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<title>団塊思い出日記</title>
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<description>60年の思い出を綴ります。</description>
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<title>白血病の女性との出会いーその３</title>
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<![CDATA[ <p>その人は白血病と診断されて以降　薬を</p><p>グリベック→タシグナ→スプリセルと変えて来た。</p><p>白血球は５０００位の正常値になったががん細胞は増え続けている。</p><p>3週間入院して不整脈の副作用を監視しながら薬の所定量を</p><p>服用するようになるかも知れない。そしてその次のステップは</p><p>骨髄移植だ。不安で不安で仕方ない。何とかして後10年は生きたい。</p><p>上の子供が高校卒業まではとの思いである。</p><p>少し遅れて合流した彼女の親友の女性と涙ながらに彼女の話を聴いていた。</p><p>しかし話す彼女は以前とは少し変化があった。以前は泣きながら話したのに</p><p>今回は涙を見せる事はなかった。それには理由があった。</p><p>昨年の夏にご主人の提案で家族で震災地に行ったそうだ。</p><p>そこで見た光景、感じた思いが泣かなくさせたのだと言う。</p><p>提案されたご主人の思いに脱帽である。そして体調悪いをこらえて</p><p>長距離ドライブについて行った彼女、そして6歳と8歳の子供さんにも</p><p>脱帽である。</p><p>私なんぞは何とノー天気に64年を生きて来たのか・・・</p><p>人の命なんて真剣に考えたことなんてあるのか？</p><p>健常人の生き方って何なのだ？</p><p>そんな思い、考えさせられた居酒屋であった。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11200062929.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Mar 2012 09:17:35 +0900</pubDate>
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<title>白血病の女性との出会いーその2</title>
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<![CDATA[ <p>「よし　会おう！　何処かで昼飯でもご馳走しようと思うが来れるか？」</p><p>「大丈夫です。行けます。」</p><p>「じゃあ　何時　何処で　何食べるか？」</p><p>「じゃあ　考えておきます。」</p><p>翌日にメールが入った。</p><p>「ランチと思っていましたが・・　私　行きたい居酒屋さんがあるのですが・・」</p><p>「えっ？　居酒屋はタバコ臭いしお酒を飲まない訳にもいかないし</p><p>　あなたは耐えられますか？」</p><p>「大丈夫ですよ。　では20日の午後5時に○○居酒屋で・・・」</p><p>かくして私は彼女と居酒屋で会うこととなった。</p><p>私が居酒屋でもよしとしたのは彼女は私の64歳での退職を</p><p>恐らく承知しての提案だろうから好きにさせてやろうとの思いからである。</p><p>自分は常に薬の副作用と闘いながら常に命と対峙していると言うのに</p><p>何たるや　昔の酒好き上司と居酒屋で会いたいとは。</p><p>完全に私の負けである。私なんぞには出来ない配慮である。</p><p>駐車場で待っていたら元気そうに車から降りて来た。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11200035610.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Mar 2012 08:35:57 +0900</pubDate>
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<title>白血病の女性との出会い－その１</title>
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<![CDATA[ <p>昭和47年生まれの女性である。</p><p>平成22年の夏に骨髄慢性白血病と診断された。</p><p>当時は私と同じ職場にいた。物静かな女性で二人のお母さんである。</p><p>上司だった私に診断された旨を涙ながらに報告（告白）しに来た。</p><p>本人も家族も　私なんぞには到底理解に及ばない途轍もない</p><p>不安の衝撃であったのだろう。</p><p>それでも彼女は気丈に「私はこの職場が好きだからここで働きたい」と言う。</p><p>薬の副作用がひどくて仕事が出来る状態にはなかったが</p><p>私は翌23年3月まで休職の形で雇用し続けた。</p><p>忘れもしない平成23年3月11日　東日本大震災の日の午後に</p><p>私は彼女を会社に呼び出して病状等のヒヤリングをしていた。</p><p>その時である。グラグラ～グラ！グラ！と来たのである。</p><p>二人で会議室から屋外に飛び出したが既に職場はパニック状態であった。</p><p>何と因果な出来ごとであろうか　命と真剣に向き合っている人と</p><p>久しぶりに会っていると言うのにである。</p><p>彼女から1週間前に久しぶりにメールが届いた。しかも朝の7時にである。</p><p>3つ目の薬に切り替えたが副作用（不整脈）激しく所定量を服用出来ずに</p><p>不安で仕方ない。私と会いたいと言う。</p><p>私はメールの着信が朝7時と言うの何故か気になったので</p><p>直ぐに返信をした。「よし　会おう！」</p>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11200011566.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Mar 2012 07:34:08 +0900</pubDate>
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<title>初めてのボランティア</title>
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<![CDATA[ <p>３月３日ボランティアの集いと言う催しがあるので３月２日にその事前準備に行った。</p><p>テント張りやら２３のボランティアサークルの紹介パネルの設置作業である。</p><p>何しろ男手が少ない。立って見てるだけのご婦人達だけがやたらと多い。</p><p>でも作業は順調に進み予定より早く終わった所でボランティア連絡協議会？の</p><p>会長さんが御礼の挨拶をしだした。何ともびっくりした。</p><p>黒っぽいセーターの上に黒い上着、黒っぽいロングスカート、濃いえんじ色の</p><p>マフラーのいでたちでる。隣の知らないおばさんが「魔女」だと私に小声で</p><p>ささやいた。少なくとも準備作業に来る格好ではない。</p><p>もう２０年以上も会長をしているらしい。う～んである。</p><p>とはあれ私のボランティア活動の初日は終わった。</p><p>若い人が少ない。男が少ない。これだけは認識できた。</p><p>因みに私が入ったボランティアサークルは傾聴ボランティアである。</p><p>傾聴ボランティアのデビューは３月２２日である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11184378812.html</link>
<pubDate>Tue, 06 Mar 2012 04:51:13 +0900</pubDate>
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<title>もうすぐ64歳の決断</title>
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<![CDATA[ <p>全員整理解雇で終わった前職から今の会社に入って8年余が経つ。</p><p>昨年の3月　あの大地震直後に1年後の契約更新はないと通知されていた。</p><p>再雇用制度は65歳までではないのか？の疑問を持ちながらも</p><p>会社も規模縮小は避けられないから仕方ないかと自分に言い聞かせて</p><p>この64歳を迎えんとしてきた。</p><p>そんな去年の12月にある会社の役員が私を訪ねて来て</p><p>赤字会社の建て直しに参画してくれないかと私を誘ってくれた。</p><p>その会社に行くには単身赴任が必須であること、64歳で何故に火中の栗を</p><p>拾うことの価値、強迫性障害から抜け出せないでいる息子のこと、</p><p>女房殿のこと、そして私自身の健康の事等などが最終決断を遅らせてきた。</p><p>一方で現在の勤め先からもパートとしての残留を打診されていた。</p><p>2月10日　現会社への残留を正式に断って3月末退職を決めた。</p><p>2月14日　12月に誘ってくれた赤字会社再建プロジェクトへの参画の決断をした。</p><p>この決断の理由は2つである。</p><p>１．誘ってくれた内容が面白そう。</p><p>２．死が近づくと生きたい気持ちが強くなる。</p><p>誘ってくれた役員殿にはお誘いを受ける理由は誠にいい加減なものです　と</p><p>言ってある。だから私は自分の思いとは裏腹に「頑張ります」は一切言わないと</p><p>決めている。</p><br><br><p>　　　　　　　</p>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11173820754.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Feb 2012 05:24:51 +0900</pubDate>
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<title>もうすぐ64歳</title>
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<![CDATA[ <p>あと1カ月余で64歳を迎える。</p><p>今　私は時間の経つの速さに焦りながら一つの迷いを持っている。</p><p>64歳で仕事から完全リタイアと決めていた所へ「仕事をしにこないか」と</p><p>誘われている。その会社は大赤字だが何とか立て直したいと言う。</p><p>何とも夢のある話ではないかと思う。</p><p>テレビで「得るは捨つるにあり」との言葉を聞いたことが私の64歳を</p><p>左右しようとしてるがやはり迷うのである。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11158595943.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 05:26:52 +0900</pubDate>
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<title>双子君達の幼少時代</title>
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<![CDATA[ <p>双子君達は小さく生まれたが順調に育っていた。</p><p>しかし、2歳の頃に少し異変が起きた。</p><p>時々　ボーっとしていることがある　と妻が言い出した。</p><p>目がうつろでボーっとしてる。おかしいと言うのである。</p><p>私達は病院を転々としたが異常なしであった。</p><p>最後に大学病院の小児科を訪れた。</p><p>そこで二人とも入院をしてそのボーっとしてるのを看護婦さんに</p><p>確認してもらうことにした。</p><p>入院何日目かに看護婦さんも確認してある病名がついて薬も処方された。</p><p>妻は疲れもあってノイローゼ気味になっていたが彼らの症状は</p><p>短期間で収まった。あれは本当に病気だったのだろうかと思うくらいに</p><p>元気に大きくなっていった。</p><p>彼らは二卵性と言われたので決して瓜二つではなかったが</p><p>風呂上りなどは見分けが付かないほどに似てはいあた。</p><p>おもちゃを与えれば必ず同じものを欲しがったりだった。</p><p>出かけるときは妻が上を私が下の子の手を引いた。</p><p>長男は3歳上だったので手を引く必要はなかった。</p><p>それでも妻は一人を背中に二人を自転車の前後に乗せて</p><p>元気だったし、3人があれ以降は何事もなく育っていったので</p><p>幸せでもあった。何よ　今更　と妻は本当に仕事人間であった</p><p>私に言うだろう。</p><p>大学病院の診断名は「てんかん」であった。</p><p>しかし短期間で薬もやめることが出来たのでその診断名は</p><p>間違いだったと今でも思っている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11140063123.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Jan 2012 15:36:36 +0900</pubDate>
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<title>双子誕生</title>
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<![CDATA[ <p>長男誕生の時は「破水による早産」と言われて病院に駆け付けた。</p><p>今回は何事かと恐る恐る産婦人科に行った。</p><p>先生はモニターで妻の胎内を見せて「どうもこの子の後ろにもう一人いるようだ」と。</p><p>えぇぇ・・　頭が少し白くなった。　世間では双子の存在は勿論知っていたが</p><p>まさか我が家に　ユメユメ想像してなかった。</p><p>色々とあるなあ　とは実感であった。</p><p>よそ様は「可愛くていいね」と言ってくれたが３歳上の長男と３人の子育ては</p><p>取り分け家内にとっては大変だったろうと思う。</p><p>「今更　何よ」と言われそうだが「御苦労さま」の感謝の何物でもない。</p><p>そして順調と思っていた双子の小学入学頃までの子育ては極めて多難であった。</p><p>このことは次回に記すとする。</p><br><br>
]]>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11131327873.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Jan 2012 19:57:49 +0900</pubDate>
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<title>謹賀新年　昨年を振り返る</title>
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<![CDATA[ <p>茨城県に住む私の昨年は３月１１日の大地震と福島原発問題により</p><p>公私ともにバタバタの１年であった。</p><p>会社の仕事も４月から３ヶ月間　週６日操業の所を週４日操業に短縮</p><p>経常も大幅ダウン、赤字月が続いた。自宅は地盤沈下、液状化で引っ越しを余儀なくなった。</p><p>住まいについては県、市との諸々の交渉、相談、手続きそして新しい住まい探し、また</p><p>行政の生活支援を受けるための家の解体と私の持つエネルギーは底を突くほどに</p><p>消耗した。でも、年内には殆どのことをやり終えて新しい住まいで取りあえずの安堵の新年である。</p><p>世の中を見渡してもユーロ圏の経済不安、円高、中東の独裁体制崩壊、そしてタイの</p><p>大洪水などの異常気象等など飛び込んでくるニュースに飽きる事のない１年だった。</p><p>私たちはこれらの出来ごとの渦の中に　意識しようがしまいが確実に巻き込まれながら</p><p>いきているのだが悲観ばかりしてもおれない。</p><p>幸いかな　人の世には「逆境をチャンスに変える」とか「禍転じて福と成す」てな言葉もある。</p><p>かって成田にある寺の住職が「今が大事、今日が大事」と言ったことを思い出しながら</p><p>この新年を迎えている。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11124354826.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Jan 2012 04:01:51 +0900</pubDate>
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<title>子供１歳　妻結核で隔離</title>
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<![CDATA[ <p>長男誕生からちょうど１年が過ぎた頃　妻の風邪が</p><p>中々治らなかった。</p><p>町医者から総合病院に移ってのレントゲン結果は</p><p>結核であった。びっくりしたが沈んでいる暇もなく</p><p>妻は結核専門病院に隔離入院となった。</p><p>運よく　長男も私も大丈夫であった。</p><p>長男は少々のコネを使って市の保育所通いとなった。</p><p>出勤前に保育所に送り届ける。会社帰りに病院に寄る。</p><p>長男は妻の母親が迎えてくれる。</p><p>こんな生活が半年続いた。</p><p>結核病院の担当医は一過性だから入院半年で感知すると</p><p>言ってくれての入院だったがその通りになった。</p><p>私は感染を恐れて長男を一度も入院中の妻には</p><p>合せなかった。</p><p>だから妻が退院をして来た時に長男が母親に対して</p><p>どんな顔をするかが心配であった。</p><p>それも取り越し苦労であったので安堵したのを覚えている。</p><p>この半年の間　妻の実家には大変に世話になったし私自身も</p><p>少々疲れたがよくぞ妻も１歳の長男も頑張ってくれたものだと</p><p>感謝以外のなにものでもなっかった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nozu1948/entry-11123057644.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 22:45:49 +0900</pubDate>
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