<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>ブログsoma</title>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/nql30556/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>日々考えたことを記します。キーワード「がん」「哲学」「宇宙」「教育」「教会」「マラソン」</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>死ぬ気まんまん</title>
<description>
<![CDATA[ <p>１０月１３日（木）</p><p>&nbsp;</p><p>最初にことわっておくが、本日のタイトル、「死ぬ気まんまん」はベストセラー絵本「100万回生きた猫」の作者である佐野洋子の著書のタイトルであり、今の私の気持ちを表しているわけではありませんので念のため。</p><p>１０月１１日の火曜日に泉区の緩和ケアの病院と手続きをしてきた。静かで優しい医者と看護婦を久しぶりに見た。直ちにCTを取った結果、両肺にこまかい転移が見られ、胸水もやや確認される。また、肝臓にもいくつかの転移とみられる部分がある。とのことでした。覚悟していたので別にショックはありませんが、いよいよ緩和ケアの世界に入ってまいりました。ここの病院は24時間訪問診療をしてくれ、大変な時には入院もできます。でも、こういう病院がある時代でよかった。</p><p>さて、ここからもらった薬（ステロイド）が効きます。昨日は朝食後にひとかけら飲んだら、一日中熱はでませんでしたし、少し食べ物も食べやすくなった気がしました。ここまでくると、いかに毎日苦痛を少なくして生きるかが問題になります。長く生きることが目的にはなりません。患者にとってこれは本当に大切な問題なのです。さて、生と死をみつめての世界を考えていたら、前述のタイトルを思い出したので今日はこのことを記しておきまっす。</p><p>佐野洋子が飼っていた猫「フネ」が癌で余命一週間とわかった時の猫の様子の記述である。</p><p>「苦しいのか、痛いのか、ガンだガンだと大騒ぎしないで、ただじっと静かにしている。畜生とは何と偉いものだろう。時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。静かな諦念がその目にあった。（一部略）私は毎日フネを見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。人間の死に方を考え粛然とした。私はこの小さな畜生に劣る。この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。私はフネのように死にたいと思った。（一部略）太古の昔、人はもしかしたらフネの様に、フネの様な目をして、普通に死んだのかもしれない。（佐野洋子：神も仏もありませぬ）</p><p>こう語っていた佐野洋子は間もなく自分も乳ガンを宣告され、その後脳に転移するのだが、その時の主治医との対談集「死ぬ気まんまん」を出版するころには、フネを超えてまさに死ぬ気まんまんの領域にまで到達していた。そしてこの主治医も医者らしくないなかなかの人で、「佐野さんの死ぬ気まんまんはもう少しみんなに知ってほしいですね。死ぬのは当然のことだ。みんな仲良く元気に死にましょうと、日常診療でも患者さんに紹介したりしています。」と言っている。.</p><p>現代日本では死ぬときはみんな病院でという環境で、死が我々の生活から分断されてしまっており、</p><p>死は自分と関係ないもの、遠ざけたいもの、忌まわしいものという感覚がしみついてしまっています。人は生まれて死ぬという単純な真実を受け入れられないことは全く不幸なことである。</p><p>だから突然がんなんかになると、本人も周りの人も激しくうろたえてしまうのである。</p><p>そして必要以上の治療を行い死を遠ざけようとする。これは患者にとってはただの苦行に過ぎない。</p><p>何のために生きるのか、全く心の準備が足らない。ある修道院では毎日の挨拶が「メメントモリ（死すべきことを忘れるな）」だった。自分はいつ死ぬかわからないということを常に意識して生きることはとても大切なことだと思う。それからもう一つ、今の時代に生きる「死とは無だと思います」と明るく答える大勢の人々へ。無とはないことであり、死が無であるのならば、「死はないと思います」と言っていると同じことですよ。私も実は死はないと思っており、だからこそ、死という世界のその後を体験できることを期待しているわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12769126157.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Oct 2022 06:52:49 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>多くの本はいらない</title>
<description>
<![CDATA[ <p>10月10日（月）</p><p>もう、このごろは筋肉も弱ってきていて動くことやひとつひとつの動作をとりにくくなってきているのを感じる。何をするにも掛け声をかけないと動けないような感じである。それから、三食すべて食欲が出ない。食べないと消耗してしまうのでがんばって口の中に物を入れて飲み込んでいるという状況である。さて、昨日ヒルティの本をしばらくぶりに眺めていたら、ちょっと気になったことが書いてあったのでここで確認しておこう。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　No18 　</b><b>あまりに多く読みすぎるのはたとえいわゆる良書であってもまだ本当に自分の考えが固まっていない人には不健康であ　　</b></p><p><b>　る。というのは、そういう人はとかく他人の意見や気分にあまりにも染まりやすく、しかも、それらの意見や気分は完全に本物　</b></p><p><b>　とすらいえない。そのためにその人は自分の本当の欲求を見失い、自己の信念について、ときにはその生涯の使命についてさえ</b></p><p><b>　迷うことになるからである。これと反対に、少数の良い書物を読んでそれについて多く思索を重ねることはその人を進歩させ　</b></p><p><b>　る。</b>（ヒルティ・眠られぬ夜のために第一部）</p><p><b>&nbsp;</b></p><p>ずいぶん昔の話になるが、私は「モツニ」と呼ばれる人のブログを読むのが好きだった。その人は知識が深く、しかもありとあらゆるジャンルにおいて深かった。キリスト教、仏教、哲学、心理学、さらには科学やAI関係にも造詣が深く、ものすごい種類の本を読みまくっていた。（モツニっていうのは何でもかんでも鍋の中に放り込む状態を表している）その人がある日突然がんで亡くなった。知識がありすぎることが原因で昔から対立していた牧師と最後の会話をしたが結局かみ合うことなく、モツニはなくなった。私から見ると彼はあの膨大な知識の海に沈んで自分の立ち位置が見えなくなってしまったかのようだった。</p><p>それから私が気になるのは多読の人である。たくさんの本をあっという間に次々に読んでいく能力を持った人がいる。ある人はある政治家を嫌っていたが、（私も大いに嫌っていた）その政治家がかいたものをみんな読んでみないと本当に批判はできないということで片っ端から読み始めたのだった。その結果、この政治家の言っていることはみな正しく思えるようになった。と語るようになった。読んでいるものにどんどん影響を受けてしまったのである。私は人間の本質が直感でわかってしまえば、多くの本を読んだりはしない。真理って結構単純で少しの言葉の中に現れるものだからである。私は昔は多くを学べば多くを知れることを当然のことと思っていたが、今は必要最低限のことを学べば、それで事足りると考えを改めている。</p><p>&nbsp;</p><p><b>No19 </b><b>多くの本を作ることには限りがない。多くのものに熱中すると体が疲れる。結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。（旧約聖書・コヘレトの言葉</b><b>12</b><b>章）</b></p><p>&nbsp;</p><p>これは今から3000年以上も前のソロモンの言葉である。真理はいつでも単純だが、人々はそれでは不安でひたすら多くのことに熱中し、知識の海の中に埋没していくのである。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12768635319.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Oct 2022 10:40:27 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ヒルティの言葉</title>
<description>
<![CDATA[ <p>１０月９日（日）</p><p>昨日は一日中熱が下がらず、ベッドの上で過ごした。熱も３８℃近くになると何もしないで寝ているしかない状態になる。今日は逝去者記念礼拝なので、本来ならば私がいろいろ動かなければならない立場にあるが、このごろの体調では無理ということで、今日も教会は休ませてもらう。</p><p>それでも今は３６℃台までに体温が下がっているのでブログを打ち込むことができる。今のうちに書いてしまおう。</p><p>さて、今日はヒルティの言葉を紹介しよう。ヒルティとはスイスの哲学者で国際法の大家でもある人だが、彼の言葉はまっすぐで素直でわかりやすく、明るいのである。昔、生徒達にも紹介したことがある言葉がある。<b>&nbsp;</b></p><p><b>&nbsp;</b></p><p><b>No.17 </b><b>ひとたび完全に愛の国に入ってしまったら、この世はどんなに不完全であっても、美しくかつ豊かなものとなる。なぜなら、この世はいたるところ愛の機会に満ちているからだ。</b></p><p>（ヒルティ・眠られぬ夜のために第一部）</p><p>&nbsp;</p><p>これはなんとも美しい言葉ではないか。どんな環境の中にもあるいはひどい環境の中でこそ、愛を実現する機会がたくさんあるのだ。愛のないところに愛を置け。それが人間のこの世に於ける使命だと私は思っている。愛のない場所こそやりがいのある場所となる。もうひとつ。ヒルティの言葉。</p><p><b>&nbsp;</b></p><p><b>No.18 </b><b>老年期の始まる頃のある日、一度過去に決まりをつけなければならない。怒りもなく、後悔の思いもなく、過去の帳簿を閉じて、もはやそれを開けてはならない。過ぎ去ったすべてのよいことに感謝しなさい。とりわけ、万事がよい結末に到達したことを感謝しなさい。最後に、実にたくさんのことがもう起こる必要がなく、永久に片付いてしまったことに感謝しなさい。</b></p><p><b>そうしたらこれまでの生活とはまるで違う「永遠の」命に向かって進みなさい。</b></p><p>（ヒルティ・眠られぬ夜のために第一部）</p><p>&nbsp;</p><p>この言葉は、まさに今の私に贈られている言葉でもある。過去は動かない。過去は滅びない。</p><p>やるべきことは終わった。安心して次の段階に進んでいこう。今、私には「次の段階」に対する不安は全くない。むしろ、それを経験する期待に満ちているのである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12768464276.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Oct 2022 10:01:16 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私の宗教体験</title>
<description>
<![CDATA[ <p>１０月７日（金）</p><p>このごろ、熱が出る、疲れやすい、遠くまで運転できないという感じで、どんどんQOLが低下していくのを感じている。できるだけ早めに緩和ケアの病院に手続きしようと思っている。</p><p>さて、今はなんとかブログを書けるだけの体調はありそうなので、自分の宗教体験について書いておこう。私は大学時代からずっと教会に行き続けている。振り返ってみれば、そのおかげで人生がかなり忙しくなってしまったとは言えてしまうのだが‥。前にブログで書いたように、厳しい失恋の中で私は神を求めたのであった。自分が救われたいという感じではなく、愛を求めて、というか本当の愛を知りたい本当の愛を教えてくれという心の叫びをもってたまたま手元にあったギデオン教会新約聖書を読み進めていった。あのころは実は本当に愛に枯渇していたのである。そして、ある晩、ヨハネの福音書１３章～１５章あたりを読みながら、イエスキリストのひとつひとつの言葉が私の心に食い込んできたのである。キリストの愛が直接心に響いた。</p><p>言葉の意味が100％自分の中にしみこんできた。涙が出る程うれしかった。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。（ヨハネ15章12節）キリストが私たちに与えた新たな掟とは、互いに愛し合うことなのである。私はこの掟がうれしくてしかたなかった。この掟の下で生きていきたいと強く思った。その日を境に、私は愛がなんであるかを知った。さらに言えばキリストの教えの下で人生を送りたいと考えるようになった。科学的立場からみると、聖書に書いてある出来事には疑問符がつく部分が多くあるのだが、それらを飛び越えるだけの力をキリストの愛の掟は持っていたのである。そして私は近くの教会へ行って信仰告白をしたのだが、そのあとのことである。私の心の源泉から愛が湧き出てきたのである。自分の心の中からまるで泉のようにザーザーと愛があふれるのだ。これは約一週間くらい続いたと思うのだが、愛が自分の心から湧き出て流れていく。流れていってしまうのがもったいないとも感じた。そして「あふれる愛」とは文字通り愛があふれて流れていくものだということを知った。この体験は今思えば聖霊体験の一種じゃないかとも思えるのだが、残念ながら、その後の教会生活の中でこういった体験が再びおこることはなかった。それでもヨハネの福音書を読んでいて感じてしまった「愛」と、それが自分の中から溢れていくという体験、これは自分の中に刻まれた経験としてどんなに時間が過ぎても全く消えていくことはないのである。今でも自信をもって言える。愛が人間にとって最も大切なものであるということ。そして本当の愛とはキリストの内にあふれているということである。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12768148627.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Oct 2022 11:21:45 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ねんりんピックの思い出</title>
<description>
<![CDATA[ <p>１０月５日（水）</p><p>　ここのところ、発熱が止まらない。昨日はカロナール（アセトアミノフェン）という解熱剤を飲んで、熱が下がったところで口腔外科に行ってきた。２時間くらいかかったが、椅子に座って待っているだけでもなかなかの疲労を感じた。そして、そこで宣告されたことは、歯茎にできているできものは癌であるということ。まあ、覚悟はしていたのでたじろぐことはなかったが、なんかいよいよ体中に癌が転移してきているんだなあということ。それに伴う腫瘍熱が発熱の原因ということなのでいよいよ私の体も追い込まれてきたようだ。熱のあるときはパソコンに向かうのもしんどいので、解熱剤の効いている間になんとかブログを続けていこうと思う。</p><p>さて、今日はねんりんピックについての思い出である。2016年の長崎ねんりんピックに妻が、2017年の秋田ねんりんピックには私が、いずれも仙台市の代表選手として選ばれて出場している。ねんりんピックっていうのは６０才以上の年寄りたちの全国大会であり、それぞれの県、または政令指定都市の代表が集まって競いあうのである。私の妻は昔から長距離走が嫌いで、マラソンなんてやる人の気が知れないとよく言っていた。それが、自分が親子ペアの大会に出てからは次第に興味を持ち始め、しまいには私と夜９時３０分過ぎから毎日のように８キロほど練習するようになってめきめき力をつけた。５０代の部においては錦秋湖マラソン１０キロの部で４連覇、阿武隈リバーサイドマラソン５キロの部では６連覇と、同年代では敵なしといえるレベルまで到達した。６０代になり、当然のように長崎ねんりんピックの代表選手に選ばれたので、私もコーチとしてついて行った。大会前日、諫早陸上競技場でコースをともに試走し、競技場近辺の公園を３キロ走るレースの計画を立てた。出場選手を調べてみると長崎や茨城の選手が強いことがわかった。当日のレースはトップ集団に粘り強くついて行って最後にラストスパートをかけるという極めて単純な計画である。さてレース当日、スタートから妻は５人くらいのトップ集団の中で走り始め、中間点付近では早くも３人に絞られた。そのままついて行けと、檄と飛ばす。陸上競技場に入る直前に２位にあがる。よーし、このまま２位でゴールできればと思ったら、何と最後の直線勝負となるところで見事なラストスパートをかけて１位を走っていた選手にぐんぐん迫り、そのままかわしてゴール！優勝だ！全国一位だ！見ていてとても感動的なレースだった。</p><p>なお、この時私は５キロと１０キロの仙台市代表選手（男子）のコーチもやったのだが、「そのペース維持しろ！」「粘れ！そのままついて行け」などの私の檄が強すぎたのか、どちらも良いペースでレース展開していたのが後半、いずれも脱水状態になってフラフラになり、ゴール後倒れて医務室に運ばれるという結果になってしまった。この日はかなり暑かったのだが、頑張らせすぎてしまったことを反省している。なお、私のねんりんピック秋田大会は５位に終わっている。全国選抜の選手達は強かった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12767814148.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Oct 2022 11:21:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>六十代のマラソン</title>
<description>
<![CDATA[ <p>１０月２日（日）</p><p>今日も一日中発熱。37.5℃あたりから動かない。それほど高熱ではないが、体全体に倦怠感があって何かをすることが困難な状態。できればずっと寝ていたい状況が続く。今日は礼拝を欠席。CS礼拝の週報はN牧師に情報を送って印刷をお願いし、全体の仕切りをI先生にお願いする。しかし、こんな体調が続くか、またはさらに重篤になっていくとするとブログを書くのもなかなかしんどくなっていくだろう。まだ体が動くうちにブログを書きためようと考えるのだが、さてそううまくいくかどうか。昨日は私の尊敬するアントニオ猪木が死んでしまった。SS高校で学年主任をやっていたときには学年集会の最後によく、みんなを立たせて「いくぞー、１，２，３，ダー」をやって機運を盛り上げさせていただいた。アントニオ猪木にはいくらでも思い出があるので追悼文を書こうかと思ったが、自分がこのブログに書こうと計画していることもいろいろあるので、そちらを優先させることにした。私自身がいつまで書けるかわからないからだ。</p><p>さて、今回は私のマラソン人生の六十代の部について紹介しよう。私は６０で公立高校を退職したらまずフルマラソンに挑もうと思っていた。また、６０代でも５キロは１８分台で、１０キロは３８分台で走れるレベルを維持しようと考えていた。６０代最初のレースで５キロは４秒オーバーしたが、１０キロは３８分台をクリアした。（３８分５７秒）。このレベルを維持していけば常に六十代の部では優勝を狙えるはずだった。６０代最初の仙台国際ハーフマラソンも１時間３０分４２秒で６０代の１位をとることが出来た。しかし、ここから、私の人生はだいぶ変わっていく。左腎臓に癌がみつかり、秋に摘出手術をする。医者からは長い距離はやめたほうがいい。短い距離なら走っても良いといわれる。そこで翌年からは仙台国際ハーフマラソンは６０代２Kの部に出ることにした。ところが、２kの部はきちんと表彰式がありメダルや賞品がもらえるし、上位者は新聞にも掲載され、仙台国際ハーフのホームページにはその記録とフォトギャラリーにも表彰式の写真までが保存されていくではないか。（ハーフ６０代の部は何もない。）実際2016、2017、2018、2019では４連覇してこのときの写真はきちんと保存されている。お暇な方は探してみて！その後はコロナのため大会が中止になってしまったが、私はなんとかこの連覇を続けて行こうと考えていた。実は腎臓摘出の翌年には膀胱にがんが転移していることがわかり、内視鏡手術も３度ほどおこなっている。実はそのたびに医者からは膀胱摘出を視野に入れて考えましょうといわれ、病院に対してはかなり及び腰になってしまった。膀胱を取ったらマラソンなんてできなくなる。どうしても取らねばならないのならぎりぎりまで待ってから取らないと損する。しかも転移性の癌があれば膀胱摘出などの大きな手術をするとかえって危険だ‥。近藤誠の理論にも影響されて、膀胱摘出を回避することばかり考えていた。これがまずかった可能性はある。妻からもそう指摘される。ただし、膀胱を早めに取っておけばより早く死んでしまった可能性も捨てきれない。そんなわけで、本当はマラソン６０代の部を勝ちきって、７０代でさらに活躍しようという心の中の目論見は、癌のために木っ葉微塵に粉砕されてしまった。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12767384224.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Oct 2022 20:28:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私のマラソンレースの仕方</title>
<description>
<![CDATA[ <p>１０月１日（土）</p><p>今日も私の体調は蘇らなかった。朝からずっと37.6℃あたりの熱があり、下がらない。今日は娘の一家が私のためにトゥルースリーパーを買ってきてくれた。プレミアムなんとかという高い種類のものだそうで、寝心地はいい。これで背中の凝りはかなり解決できるかもしれない。また、一緒に来た孫がじいじの家にお泊まりしたかったらしく、願いが叶わないとすねてしまった。全く、私の体調のせいで孫に悲しい思いをさせてまことに申し訳ない。本当ならば、まさにこれからいっぱい泊まってもらっていっぱい一緒に遊びたいのだが‥人生は厳しい。さて、このように私の体調はこのごろ確かに下降線をたどっている。ブログが書けるうちにどんどん書いてしまわないと悔いが残るので、今日は自分でも印象に残っているマラソンレースを紹介してみよう。五十代の部を何回も走っているうちに自分の走りの特徴、また、ライバルの走りの特徴がわかってくる。そこで私はレース前に必ず頭の中でそのレースを詳しくシミュレーションしてみるのである。そしてどうやって勝つかを決めておく。このシミュレーションが一番ヒットしたのは南陽さわやかマラソンだった。山形県の実力者SIがエントリーしていた。彼は私より一段上のスタミナを持っていた。私が彼に勝つとしたらスタートダッシュとラストスパートしかない。私は寝るとき頭の中で毎日彼に勝つためのレースのシミュレーションを繰り返した。スタートから私はダッシュして彼の前を走る。公園から外部の道路に出るところで彼は私を追い抜いていく。そのまま上り坂をかなりのペースで走り、私との差を広げようとするだろう。無理して追わないこと。折り返し点までの上り坂はとにかく省エネで走り、あまり大きく差を広げられなければいい。一番大切なのは、折り返し点で十分な余裕があること。そしてそこからの下り坂で少しずつその差を詰めていく。ただし、ここでも十分な余裕を維持していることが条件だ。公園の入り口までにダッシュすれば追いつける距離までその差を詰めておくこと。そして公園の中に入ったらあとはどんどんペースアップしていき、最速のスピードでゴールを駆け抜けること。そして現実のレースは寸分の違いもなくシミュレーション通りになった。</p><p>また、阿武隈リバーサイドマラソンでも私のライバルであるOSを相手にシミュレーションした。</p><p>彼は私を途中で抜かないでずっと後ろをついてくるだろう。そして河川敷から公園へ降りる下り坂で私に追いつくだろう。そのときに一番大切なのは十分な余裕を維持していることである。そして公園の中を彼と併走して、グランドに入る直前にダッシュする。さらにグランドではどんどん加速して最速のスピードでゴールを駆け抜けること。これもまたまったくこの通りになった。なお、これらはいずれも５KMのレースでした。実は他にもほぼシミュレーション通りになった大会は沢山あるのだが、みんな走り方はほぼ同じである。ラストスパートをしたらどんどん加速してゴールまでスピードをゆるめない。これで本当に気持ちのいいレースをたくさん体験することができた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12767187017.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Oct 2022 17:57:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>現状報告２</title>
<description>
<![CDATA[ <p>１０月１日（土）</p><p>今週は、安部元総理の国葬などがあったりして、ブログのネタはいろいろあるなどと思っていたが、ほとんど発信できなかった。それはここにきて体調が落ちてきているためである。例えば、背中全体が凝っていたり痛かったりして落ち着いて椅子に座っていられないこと、また、疲れやすくなっていること。また、なぜか夕方頃から37.5～37.8℃まで熱が上がってくるのである。また、相変わらず食欲はなく、毎食ごとに正露丸を服用している。常に眼を閉じていた方が楽で、妻から「眠り姫」と呼ばれている。こんな体調なので、どんなに空が晴れ渡っていても、旅行に行きたいとか美味しいものを食べに行きたいとはならないのである。じっと目を閉じて体調の悪さに堪える。それが一番楽な生き方になってしまった。そうし中でも中でも体のきつさをあまり感じない状態になることがある。そんな時には散歩やドライブをすることができるが、あまり長い時間やってしまうと疲労につながり、さらに発熱につながってしまう。まったくやっかな状態に陥ってしまった。昨日、病院に行って主治医と相談してきたが、背中の凝りはマッサージするしかない。その他の不調については増えているがん細胞が原因で、特効薬はない。緩和ケアを考えてみますか？とのことだった。主治医にとってはすべて他人事である。現在の体の状態を確認するためのCTを１０月中旬に撮り現状把握をする。全身に転移した者の運命を悟らざるを得ない状況である。とにかく、このブログにも書きたいことはまだまだあるので、私の体調よ、蘇れ！と祈るしかない。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12767092513.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Oct 2022 06:18:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>選挙運動のようなマラソンレース</title>
<description>
<![CDATA[ <p>９月２６日（月）</p><p>昨日は、背中全体が凝ってなかなか睡眠がとれない状態で起床。９時から教会学校（CS）、礼拝、掃除、CS教師会と立て続けに用事が入り込んだため、いつもより忙しく時間もかかった。それでもやり終えて家に帰って寝ているうちに体温が37.6℃になってしまいその後、夕方から夜にかけてさらに38.2℃まで上昇。妻から病院へ行こう。入院させてもらおうと言われたが、水を多く飲み、夕食を少し摂ってカロナール（解熱剤）を飲んだら、平熱まで体温は落ちた。ただ、このごろ、夕方から微熱が出ることが多く、水分不足や疲労がその原因のひとつだろうと想像している。このごろは、体をあまり動かしていないので、喉も乾かないようなので注意して水分を摂っていきたい。</p><p>さて、マラソンの話の続きになるが、記憶に残るマラソン大会の筆頭とも言えるのが２００４年の釜石健康マラソンである。この大会は非常にローカルな大会で遠くから参加してくる強い選手もあまりいないし、そもそも全体の参加者数も少ないし、入賞しやすく、年代別で優勝するとトロフィーがもらえるということで妻と共に何回か参加したなつかしい大会である。この時私は４９歳だった。釜石南高校（現釜石高校）の隣にある釜石市陸上競技場を発着点とする５キロの部に私は出場した。確か、男女５キロの部の選手５０～６０人全員で一斉スタートだったと思う。スタートして競技場を回っているとあれ？私の前を走る人がいない。普通はローカルな大会でも長距離を専門にやっている若者が少しはいて、そうとうのスピードで飛び出すものなのだが‥。少しスピードを落としてみたが、誰も私の前に出て来る者はいなかった。ようし、もうぶっちぎってやろうと思い、競技場の途中からスパートして全体の先頭を走ることとなった。誰も前を走る人がいないということは結構つらいものがあって、慣れたコースでないと表示はあっても、本当にこの道、このコースを走っていいのかという不安にかられるものである。さて、陸上競技場を出て甲子川の堤防に入る。道路の前に一台の車両が止まっていて私を双眼鏡で覗いている。何やってるんだと思ったら、急に発車すると共に、マイクで大きな声でしゃべり始めた。「ご町内の皆様、釜石健康マラソンを開催いたしております。ただ今５キロの部の選手が走っております。ゼッケン番号××××、○○○○選手を先頭に△△名の選手が走っております。どうぞ沿道へ出てご声援よろしくお願いします」先導車両がこれを何回も連呼するのだ。私はすっかり気分がよくなってしまった。まるで選挙に出る候補者のように、自分のゼッケン番号と名前を連呼してくれる先導車を追いながらアドレナリン噴出、勇気百倍、もう疾走するしかなかった。５～６回は名前を連呼されたと思う。釜石市に私の名前がとどろき渡っているのだ。ワクワクした。ただ残念ながら沿道の応援者の数は少なかった。やがて先導車はコースからはずれ、一人で走ることになった。走るコースを間違えないようにと気をつかいながらもなんとか正しいコースを走り抜き、興奮状態が続いたまま、私は陸上競技場に飛び込んでいった。一人で走るトラックはすごく気持ちがよかった。ゴールタイムは５キロ１７分３３秒。自己ベストである。先導車両のアナウンスのお陰である。釜石健康マラソンでも先導車両がこんなアナウンスをやったのはこの年のみだと思う。それを経験できたことは本当にラッキーだった。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12766312317.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Sep 2022 14:33:58 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ストップウオッチが壊れている！？</title>
<description>
<![CDATA[ <p>９月２３日　(金）</p><p>今日は久しぶりに長男が来たので、寿司を食べに行った。私の腹はこのところおかしい。最初は普通に食べられるのだが、ある量を超えるととたんに胃が重くなってもはやそれ以上は食べられないということになる。いつも腹のようすがスッキリしていないということと、やはり寝ているともう背中が凝って、寝ていられなくなるというこの問題が私を悩ませている。どっちにしても常に体の不調を背負いながら生きているという状態である。</p><p>さて、マラソンの話の続きである。妻と共にマラソンを練習することによって、冬も走るとか、夜も走るとか、それまでにない選択肢を得た私は五十代の前半に競技者としてのピークを迎えることになった。その頃にハーフマラソンと１０Kレースでの自己記録を達成した２つの大会は忘れられない。というのも、どちらも走りながら腕時計のストップウオッチが狂ったしまったと感じたからである。ハーフは２００７年のカッパハーフマラソン。陸連公認コースである。何十年もマラソンを走っていれば、自分が走っているペースが１キロ何分くらいのものかはほぼわかる。私のレースでの走り方のパターンは最初は速く、中間走はやや抑え気味に、そして最後は速くというものである。ハーフは一定のペースを維持することが大切なので、最初だけ１キロ３分４５秒程度で入って、あとは１キロ４分ペースを維持するイメージでレースに臨んだ。そしてそのようなペースで走っているつもりだった。ところがおかしい。最初の１キロだけでなく、その後も距離の表示を通過するたびに、１キロ４分のペースがどんどん縮まっていくではないか。距離表示は正しいはずなので、自分のストップウオッチが狂ってしまったのかと錯覚するほどだった。つまり、その日の走り方は自分が感じているペースより実際はずっと速かったのだった。なにしろ、そんなに速く走っている実感のない私は体に余裕があった。それで、折り返し点を過ぎたところで、目の前を私と同じ名字を持つ宮城県マラソンのレジェンドS馬選手が走っているのを確認した。そこでこのタイムは本物だとわかった。そして余裕をもっていた私は尊敬するS馬選手を一気に抜き去った。余裕があったので、後半さらにペースアップできそうな気がしたのである。結局、ゴールタイムは１時間２１分３７秒。１キロ平均３分５２秒で走りきったことになる。ハーフ４５歳以上の部の表彰式では１位が後に私の同僚になるK村選手、私が２位。３位のS馬選手は同じ名前の選手（私）に負けた悔しさからか、表彰式には出てこなかった。同様のことが翌年の２００８年の錦秋湖マラソン１０キロ（陸連公認コース）でもおこった。スタートの１キロは３分４０秒程度で行き、その後は１キロ４分を切るスピードで走り続け、最後にラストスパートをかける。そのように走っているはずが、なぜかいつまでたっても１キロ３分４０秒程度を維持しているではないか。ああ、まただと思ったが、やっぱりこの時も、自分の時計が狂っているという思いは残ったままだった。結局１０キロを３７分１５秒でゴールイン。５０代の部３位だった。１キロ平均３分４３秒で走りきったことになる。このように自分の体が自分のイメージを超えて反応することがあり、そういう時に自己ベストは出るのだなと思う。実際この２レース以外は自分の走りの実感とタイムがずれることはなかった。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nql30556/entry-12765844937.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Sep 2022 18:55:50 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
