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<title>詭弁論者の独り言</title>
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<title>久々の</title>
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<![CDATA[ 通信速度制限くらうの怖くて最近書かなかったという言い訳をしておく。久々である。まあリピーターなどいないのだろうが。<br> <br> 朝の電車で隣の女性に肘でどつかれるというつらい体験から、いろいろ考えた。俺が居眠りして寄りかかりそうになったのを押し返されたのだ。ちょっと傾いただけでそうされたのでなかなか冷酷な方であった。ちなみに俺がブサイクキモオタだからそうされたのではないことを断言しておこう。前回の記事に屈辱的ないいねをされたのだが、いらぬ心配だ。本当だよ。まあ、それはさておき、その体験からいろいろ考えたのだ。<br><br>  野郎どもなら理解できるだろうが、若い女性が寄りかかってきていやな思いをすることはないだろう。そのまま寄りかからせてあげるか、そっと押してあげるかの対処を取るはずだ。取るよね？しかし、女性は違う。男が寄りかかってきたら押し返すよね、たいてい。しかも、けっこう力込めるよね。ね？これはなぜかと考えてみたわけだ。一見当たり前に思われるかもしれないけど、これは男女の恋愛観への考察に発展させることができるかもしれない。<br> <br> 男は女性が寄りかかってきてもたいてい嫌がらない。むしろ喜ぶ。別にその女性の顔を確認したわけでもないのに、である。これはつまり、男は出会ったばかりの女性に好意を抱ける、一目惚れができる、ということだ。しかし、女性はそうではない。すなわち、女性は一目惚れをすることは稀である。<br> <br> しょーもない考察だが、割と有用だ。男はワンチャンを待ってはいけない。自分で近づかないと女性は寄って来ないのだ。
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<pubDate>Mon, 26 May 2014 20:48:43 +0900</pubDate>
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<title>numbergirl</title>
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<![CDATA[ 前に言ったけど、numbergirlが好きだ。<br>俺の世代だと知名度が低くてナンバガ好きの友達がなかなかいないので、ここでいろいろ語りたい。<br>好きな曲はタッチ、INUZINI、Trampoline girl、omoide、水色革命、Samurai、鉄風等挙げればきりがない。<br>商業主義に走らず、薄っぺらい愛の言葉など歌わず、派手に飾ることもせず、あれだけヘビーなサウンドを掻き鳴らし、シャウトする。とてもかっこいい。鳥肌必至。<br>でも、スタジオ収録音源は好きでない。ライブ音源が大好きだ。このことはある程度詳しい人なら共感してもらえるだろう。<br>4人は皆粗っぽさを出しながらも演奏がとてもうまい。中でも好きなのはナカケンのベース。あれほどベースが存在感を示しているバンドは見たことがない。重低音で地鳴りのように響く彼のベースはかっこいい。ひさこのギターも好き。tatooありとかヤバイ。バリヤバイ。鋭い。<br>向井は我を貫いているのがかっこいい。あと、mcがウケる。向井かみすぎ。<br>一番かっこよかったのはラストライブ。「ナンバーガールの歴史を今ここに終了する。」そのあとomoideとiggypopやって、乾杯と言って去っていった。お涙頂戴みたいな未練たらたらな終わりでなく、きっちり演奏しきって、ぱっと去っていった。それでおしまい。かっこよすぎる。ラストライブには行ってみたかった。けど、もうナンバガは存在しない。それもまたそそられる。<br>とにかくナンバガ好きです。ナンバガ好きな人是非コメントください。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/num-meta/entry-11852521809.html</link>
<pubDate>Sat, 17 May 2014 07:59:13 +0900</pubDate>
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<title>第二幕</title>
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<![CDATA[ 前回の記事は我ながらみっともない笑。個人的感想でしかない。まさに詭弁。おっと俺はそもそも詭弁論者であった。<br> それはさておき、何と…こんなしょうもない記事を…読んでくれた方がいたのです(まだ2人だけど)！これは感動。ありがとうございます。そして一人はいいねしてくださって、もうほんとありがとうござんす。これからもよろしくです。<br> <br> 今日は少しまじめに。テーマは性善説か性悪説か。私は性悪説派だ。例えば、朝のラッシュ時の駅の様子。皆が我先にとずんずん歩いていって、人に多少ぶつかろうとも謝らない。それはなぜかというと、そこでそのような振る舞いをしても自分にとってデメリットがないからである。つまり、朝のラッシュですれ違う人との関係は、すれ違うその一瞬だけのものなので、今後その人との関係が悪くなって自分の不利益となる心配はないから、気をつかうこともないし、見返りを望めないから親切にもしない。だから、朝のラッシュ時の様子をこのように考察すれば、人は、自分の利益不利益に関わらなければ善を行わないと言えるので、性悪説が正しいと言える。<br><br> 別の例を挙げよう。陰口を叩いたことのない人はそうそういないだろう。普段ある程度の関わりを持つ人に対してすらこんなことをするのはなぜだろう。それは、陰口を叩き合っている連中内での仲間意識を楽しんでいるのだろうと考えられる。いずれにせよ、性善説が正しければこんなことはしないはずである。つまり、人は生まれながらにして完全悪であるとまでは言わないが、多少の悪を持っていると言えるのではないか。<br> <br> 人は生まれながらにして善であるが、環境が、大人がそうさせたんだ、という意見を言う人がいるかもしれない。しかし、幼児はわがままである。これは自らの利益不利益を尊重する意志の表れといえる。もちろん、幼児のわがままを許容しない大人はいないが、幼年期や少年期でのいじめや仲間はずれはどうであろうか。大人はそのようなことはいけないと教えているはずだが、それでも起こってしまう。環境がいじめを促進する例も思いつかない。<br> <br> ただ私は「悪」を絶対悪だとは思わない。必要悪であることもあるのだ。それは、自己防衛本能である。何かの大惨事の時に、多くの人は赤の他人には気をつかうことなく、我先にと逃げるだろうが、これは自らの命を守るために必要な行動と言える。人間も所詮は動物なのだから。<br> <br> 次に性悪説の例外を挙げよう。それは、震災などで大切な人を失った方であろうか。その件をきっかけに心の底からの善を行っているように思われる。そこには本当の絆がある気がした。震災当時メディアは「絆」という言葉を好んで多用したが、あれは本当に嫌悪感を覚えた。被災者の本当の苦しみを知らないのに安易に「つながっている」なんてよく言えたものだ。しかし、それは私も同じことなのである。<br> <br> 少し話が脱線したが、結論は、性悪説の方が正しいということである。<br><br>冷凍都市の暮らし    by向井秀徳<br>
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<link>https://ameblo.jp/num-meta/entry-11850174551.html</link>
<pubDate>Wed, 14 May 2014 22:11:00 +0900</pubDate>
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<title>詭弁論者</title>
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<![CDATA[ ブログ初挑戦の大学生である。<br>理屈をこねるのが好きなのだが、普段はそうそうできないのでブログに吐き出させていただく所存。<br> numbergirlとかよく聞く。あと森見登美彦の小説の語り口とか好き。京都憧れる。<br><br> 今日はインカレテニスサークルについて論じる。<br> そんな堅苦しく語るもんじゃないという意見は聞き流させてもらおう。<br>ひとまず個人的な感想を述べると、あれらのサークルの雰囲気は異質である。テニスにガチ()でみんな仲良いみたいな語り文句を彼らは好むが、彼らの根底には異性との関係の進展を期待する下衆な心がうずめいている。少なくとも私はそう感じたのである。論拠はこれから示す。<br> 私の通う大学は男子が圧倒的に多く、それ故野郎共は女性に飢えている。一方、インカレの相手先は女子大で、彼女らもまた男(高学歴)を求めている。もちろんこのことは誰にでも当てはまるとは言わないが、大多数の人はそうであろう。かく言う私も変わらないのだが。よって、テニサーは両性の利害の一致した、出会いには理想的な環境と言える。<br>私はもちろん恋愛に反対しているわけではない。出会いを求めるのはごもっともなことだ。ただ、私がテニサーに嫌悪感を覚えるのは、人間関係の軽薄さ故である。あの場では本当に仲の良い友達はできにくいものだ。というのも、異性との関係を目当てにする上では、同性が恋敵となることはあっても味方となることはないからである。お互いに協力しあって彼女をつくろうだとか、彼女を譲り合うなんて状況はありえないだろう。そこでは、中高の部活で得たような友人関係を得ることはできないと気づき、私は失望したのである。<br> また、セレクという制度が気に食わない。いったいあれは何を基準に選んでいるのだろうか。そんなこと知ったこっちゃないが、所詮学生の分際で、面接官の気分になって人を振るい落とすとは呆れる。何様のつもりなのだろうか。女子大にはセレクがないらしいが、「今年は女子大の勧誘がんばった」とかいうセリフを鑑みれば、かわいい娘には必死に勧誘するのでしょうね。<br> 以上を読めばわかる通り、私は一瞬テニサーに入っていたが、すぐにやめた身である。ただそんなことはどうでもいい。結論を言おう。往々にしてテニサーはイベント()付き合コンサークルである。全てのテニサーに当てはまるわけではない。「俺たちはそんなサークルじゃないぜ」と主張したいテニサー諸君、どうか気を立てないでほしい。所詮詭弁論者の戯言である。ただ本当にそのサークルで楽しめているか、自問自答してほしいものである。<br> 駄文長文失礼した。こんなブログをどう検索したら見つけられるのかわからないが、読んでくれたら幸いである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/num-meta/entry-11847790720.html</link>
<pubDate>Sun, 11 May 2014 23:23:06 +0900</pubDate>
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