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<title>保育モノローグ</title>
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<description>『学び直し』をテーマに、人との繋がりを創造するプラットフォーマー・ラーニングデザイナー。保育者のための「多摩保育研究会」、「保育未来圏」を主宰。園組織の『ミドル世代』が、イノベーションの中枢的役割を担うとし、SNS、書籍にて発信中。現役保育者でもある。</description>
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<title>スパルタ指導は根が深い闇。</title>
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<![CDATA[ <p name="yzxFm">この前、バレーボールの益子さんと大山加奈さんの対談の記事を見た。感銘を受けた。</p><p name="yzxFm">&nbsp;</p><p name="rhFNv">それは、中高生時代のスパルタ特訓が、バレーを辞めた現在も自分の健康を脅かす後遺症に悩まされているというものだ。</p><p name="rhFNv">&nbsp;</p><p name="qAieK">僕の高校時代も、部活の顧問に殴られるということは日常で、顧問の機嫌を損ねると鉄拳が飛んできていた。特に、うちは野球が強く、全員並ばされて、ビンタを喰らっていた姿を見たときは、心底野球部じゃなくて良かったと思った。</p><p name="qAieK">&nbsp;</p><p name="bFuPu">そんな指導方法を昭和時代の悪しき風習だけではなく、平成はもちろん令和にも蔓延っている。</p><p name="bFuPu">&nbsp;</p><p name="DcBwB">大山加奈さんは、小学生から日本一を目指していた。小学生、中学生時代に日本一になったのかな。日本一になったことはうれしかったが、当然そこに至る道は険しく、特に指導の厳しさから、小学生のうちから「勝つこと」が本当にそんなに大事なことなのか、と指摘している。</p><p name="DcBwB">&nbsp;</p><p name="DcBwB">&nbsp;</p><p name="jj0I9">こう言った頂点を極めた人から、日本のスポーツ指導に対する警鐘を鳴らしてもらうことは稀であり、貴重である。</p><p name="jj0I9">&nbsp;</p><p name="LDHYS">「勝つ」とか「一位」になる、ということがあまりにも蔓すぎていないだろうか。何かにつけて、コンクールや競争で、順位を競う。</p><p name="LDHYS">&nbsp;</p><p name="AJqQt">いや、競うこと自体は悪くはない。小学校のリレーや徒競走はむしろ好きだった。</p><p name="vz2Oy">でも。強く言いたいことがある。</p><p name="vz2Oy">&nbsp;</p><p name="MTeHV">勝つタメに、一位になるタメに、努力したプロセスは誰も褒めてくれなかった。</p><p name="5SSIB">誰も見てくれていなかった。</p><p name="5SSIB">&nbsp;</p><p name="FVZ7I">小学生、いや中高生でさえも、大事なことって本当に順位をつけることなのか。</p><p name="kImk3">&nbsp;</p><p name="kImk3">&nbsp;</p><p name="USZ4e">どこかで、誰かが、その過程の努力や試行錯誤を見てくれていて、評価をしてくれていればもう少しその子の人生は変わるのではないか。そんなことをふと思う。</p><p name="dSWYK">保育の話を少し触れてみよう。月末に運動会をテーマにオンラインで研究会を行う予定である。そこで、話題に挙げようと思っていることは、運動会でなんでリレーが必ずあるのか。</p><p name="dSWYK">&nbsp;</p><p name="dSWYK">&nbsp;</p><p name="cH0cq">さらに、なんで全員が走らなければならないのか。もちろん、幼児なので、勝負にそこまでこだわっていない。し、スパルタ的な指導が行われているわけではないだろう。</p><p name="cH0cq">&nbsp;</p><p name="cH0cq">&nbsp;</p><p name="BAEKW">ただ、全国大会に向けた熱血指導という悪しき日本の風習よろしく、頑張れば道は拓けるとか、いやでも頑張る、みたいな退廃的な思考の産物のようにも思える。</p><p name="BAEKW">&nbsp;</p><p name="dHsLt">そもそも、子どもたちを指導している人は、そのスポーツを経験したことがあるというだけで、指導においては素人がほとんどではないのか。教育者が担うべきと言っているわけではない。</p><p name="dHsLt">&nbsp;</p><p name="dHsLt">&nbsp;</p><p name="Y0RX1">今日の練習メニューを一人一人、もしくはチームに合わせて練っていますか？</p><p name="7PkrM">もしくは、子どもたちの意欲を高めさせる工夫をしていますか？</p><p name="7PkrM">&nbsp;</p><p name="HJJFe">子どもたちができないと、すぐに怒鳴るだけでしょう。</p><p name="HJJFe">&nbsp;</p><p name="mHFdJ">最悪なことに、手をあげるだけでしょう。</p><p name="mHFdJ">&nbsp;</p><p name="pV3YH">それはね、指導とは言わない。自分がしてほしいことが、相手ができないイライラをぶつけているだけ。それは、ただの自己満足。</p><p name="2NMhr">&nbsp;</p><p name="2NMhr">&nbsp;</p><p name="8f4Ub">なんかうまく言えないが、幼児期の運動会も、その延長上のような気もする。</p><p name="CdQmq">根性、努力、練習。</p><p name="CdQmq">&nbsp;</p><p name="s08xx">もう、そんな行事やめしょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12622889948.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Sep 2020 09:45:11 +0900</pubDate>
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<title>身体の動きは、心と連動する</title>
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<![CDATA[ <p>仕事に行く時の歩幅と、仕事終わりの歩幅は違う。</p><p>&nbsp;</p><p>幼稚園に向かう時は、駅から園までの自転車のペダルが重く感じる。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、どういうわけか、帰るときはペダルが軽い。で、自宅最寄駅から歩いて帰ってくる時の、歩幅はどこかゆっくりになる。</p><p>&nbsp;</p><p>これってなんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>多分、朝はどこか心が仕事モードになり、歩くスピードも速くなり、自転車のペダルを漕ぐ回数も多くなるのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>別に悪いわけではない、身体が自分のカラダを仕事モードにしようと鼓動を早くさせようとしているみたいだ。</p><p>&nbsp;</p><p>多分、あそこでノンビリペダルを漕いでいたら、仕事モードーつまり保育モードにならない。そう、僕は自分の身体をペダルを漕ぐことによって「保育モード」にしている。</p><p>&nbsp;</p><p>それも無意識に。</p><p>&nbsp;</p><p>身体の動きは、心の動きに連動する。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この夏休み中に、図書室をリノベーションした。職員のみで、インパクトドライバーと丸のこを使って。DIYだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ある程度の外枠はできた。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、ここからは、もともとあった教材や図書などを仕分けたり、整理するという地道な作業が残っている。上の方々は、いつものように、まあ関心はなさそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>つい数年前だったら、上の号令がなければ、私も含めて何も動かなかっただろう。</p><p>だって、余計な仕事はしたくない。言われてもない仕事はしたくないからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>今日は準備出勤だったが、保育者の方から「あの図書室どうする？」と声が挙がる。「やるんだったら、今日だろうと思っていた」と。</p><p>&nbsp;</p><p>この言葉に僕は驚く。つい数年前まで、上の号令がなければ余計な仕事はしたくなかった風土。</p><p>&nbsp;</p><p>それが、ここ数年の少しずつの変化により、上が言わずとも、自分の仕事以外のことに思いを馳せていくことに驚いた。</p><p>&nbsp;</p><p>なんか偉そうに言葉を並べているが、別に僕は、彼女たちと同じ立場の担任なわけで、上司でもない。</p><p>&nbsp;</p><p>午後の14時から作業をしようと、同僚たちと約束をする。上は、なんか仕事があるようだが、僕は今日そんなことをする、とだけ伝える。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>14時になると、本の仕分けの作業が始まる。僕は、紙芝居を置く棚があまりに重すぎてタワんでいたので、仕方なく２×４の材木を寸法を図り強度を高めるために補強する。本音は、この場所にいながらみんなと一緒に作業したかった。</p><p>&nbsp;</p><p>この、漲るエネルギーの輪の中にいたかったのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、それはいい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しばらくして返ってくると、ラベルごとに本を並べることになったようで、「青はどこ？」「こっち」と威勢の良い声が飛び交う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しばらくすると、若手たちが教材をしまうボックスは何がいいかPCを眺めながら検討している。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>寸法と使い方を予想しながら、プラスチックの方が洗えるからそれが良いとのこと。僕は、うーん、と一呼吸を置くと、その呼吸に気づかれ、「違う方がいいですか？」とモモコに尋ねられる。</p><p>&nbsp;</p><p>だって、そもそも洗わないじゃん、だから自然素材が良いよ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>すると、他の職員も割って入り、いや自然素材だとここの場所はカビが生えると。</p><p>なるほど。それは一理ある。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなやりとりをして、僕の案は却下された。</p><p>&nbsp;</p><p>なんか、心地よい心境だった。</p><p>&nbsp;</p><p>別に僕の意見なんて却下されようが、ダメ出しされようが構わない。むしろ、まあまあの先輩である立場の人間に、臆することなく意見を言うことがどれだけ尊いことか。</p><p>&nbsp;</p><p>そいで、やっぱり若手も中堅も、ベテランも、誰に言われるわけでもなく、必要だと自分が思う仕事を、忙しいのにも関わらず、皆でやろうと行動したことが何よりも素晴らしい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>行動することで、意識が変わっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そう、うちのチームは、上が少々ボンクラでも、自分で動くようになってきた。そして、動くようになってきたことで、自分で考えるとゆー「主体性」の芽が出てきた。</p><p>これからの組織、チーム。もちろん、リーダーも大事。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>一方で、リーダーだけではない、チームの個々が大事。それを最近、実感している。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12622318911.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Sep 2020 22:15:59 +0900</pubDate>
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<title>そもそも論は、暇になる？！</title>
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<![CDATA[ <p>前回書いた話の続き。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも論は、二極化するを検証したい。</p><p>&nbsp;</p><p>ことの発端はこうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>コロナで運動会ができない→で、平日の保育参観になる。ここまではいいだろう。</p><p>→その内容は、各学年に委ねられる。</p><p>&nbsp;</p><p>こうみると、保育者が信頼され、任されていると思われるかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、任されると丸投げは違う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>任されると言うのは、こういった方向性で考えてくれるだろうとある程度の</p><p>意図を持って、相手に判断や行動の選択肢を与えること。</p><p>&nbsp;</p><p>一方で、丸投げと言うのは、選択肢いかんの問題で、選択肢すら考えずに</p><p>あるテーマをそのまま委ねてしまうこと。で、その後文句を言うのが定石。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、そんな組織体質（上だけだが）なので、先手を打っておいた。</p><p>メールで。</p><p>&nbsp;</p><p>以下のようなことだ</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>保育参観って言っているけど、その選択をすることでこう言う課題が上がりますよ</p><p>&nbsp;</p><p>で、日程ややり方を先に議論すると、ゴールが見えづらくなるよ、ということ。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、先に何がしたいのか、そもそも運動会なんでするの？から始めた方が</p><p>一見遠回りに見えるけど、将来的にはそれが財産になるんじゃないか、ってこと。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんな３点をメールで打診して、先にクサビを打っておいた。</p><p>&nbsp;</p><p>で、もう一つ、そんなメールを入れたことを、全職員にも知らせた。</p><p>内容もね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さあ、そんな楔を刺した状況で臨んだ今日の会議。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>どんな言葉が、出るのかと期待（いや、内心、諦めもありつつ）しながら</p><p>待っていると・・・</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>出てきたのは、まず最初に日程を早く決めたいとのこと。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>馬鹿じゃねーの。ほんと、頭悪いわ、こいつっていう表情をなるべく出さないように</p><p>しつつ、まあ、日程も大事だよね。それはわかるよ、という顔を無理やり作る。</p><p>&nbsp;</p><p>で、ここで、楔を刺した効果が生まれる。</p><p>&nbsp;</p><p>ベテラン職員から、まずその前に上は何を考えているのか、という質問が飛ぶ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>すると、いつもの遊びじゃなくて、運動的な何かを見せればいいんじゃないか、</p><p>という回答。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>運動的な何かって何？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、そこは突っ込まない。突っ込んでも何も出ないから。</p><p>&nbsp;</p><p>そうですね、と共感しつつもスルー。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>で、いつものように各学年の考えていることを話すという、うちの御家芸ののような</p><p>丸投げタイムになる。</p><p>&nbsp;</p><p>出た、各学年に聞くな、ってメールで言ったのに、また聞いた・・・と怒りが</p><p>フツフツとこみ上げてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ある学年は、リレーとかをやりたい。とのこと。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>リレーがやりたいのはわかるが、リレーを通して、何がしたいわけ？</p><p>リレーやりたくない事例は、去年から散々見せてんじゃん。</p><p>いやいや、もうリレーを全員やろう、みたいなのはもういいよ</p><p>&nbsp;</p><p>と言いたいのを、必死に抑え込み</p><p>&nbsp;</p><p>だけど、子どもたちと相談したい、という言葉が聞けたので、</p><p>まあいいか、と溜飲は下がる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>で、うちのばん。</p><p>&nbsp;</p><p>メールで書いた通り・・・とメールの内容を引用しつつ、親が見られないというのを</p><p>チャンスに変えるのはどうですかね？見せるプレッシャーがない分、もっと楽に</p><p>できると思うし。子ども運動会みたいな。まず、そもそも何がしたいのか改めて</p><p>話しましょう</p><p>&nbsp;</p><p>そんな発言をしたと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そしたら、それが、なんだろうな大した議論もなく、「子ども運動会」をする。</p><p>そんな方向になっていった。</p><p>&nbsp;</p><p>うーん。</p><p>&nbsp;</p><p>ここから、もっと本当は掘り下げたかったけど、あまり議論が展開されず</p><p>おいおい、俺が行ったことが何の議論もなく通っちゃったよ。これでいいのか、</p><p>おい、職員、これでいいのか、とちょっと驚く。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、みんな貝のように黙ったまま動かない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ここまでクサビを打ったのに、これでいいのか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>と思いながら、議論ははちゃめちゃな方向に色々飛んでいく。</p><p>&nbsp;</p><p>じゃあ、来年はどうするのか、このまま親に見せないというスタイルを</p><p>貫いたら、園児募集にも関わる・・・・</p><p>&nbsp;</p><p>とかそんないま、言うことじゃあねえだろう、とか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>年長は親に見せた方がいい、とか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>いやいや、なんでそんなに見せたいんだろうね。</p><p>そんなに見せるのが好きなら、自分が走れば？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、俺が要職でもないのに、引っ掻き回しているのはよくわかっている。</p><p>ただ、平日開催で、学年別で、保育参観という形態になったということを逆手に</p><p>とって、運動会の本質を問いたかっただけである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、本質論を議論するのは非常に難しい。</p><p>&nbsp;</p><p>目の前のやるべきことに引っ張られるからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>なんでやるのか、と問われても、どうせ10月の頭にやらねばならないという発想から</p><p>抜け出せない。</p><p>&nbsp;</p><p>今までの経験やスタイルから抜け出せない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>いやー、難しい</p><p>面倒くさい</p><p>こういう会議をすると、頭が痛くなる</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>結論：</p><p>　本質論を議論する際は、目の前のやるべきことに引っ張られる。</p><p>運動会のあり方という抽象論を展開していても、目の前の「親の参観」という</p><p>方法に、議論が戻ってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>　事前に「合意形成のための策」をいくつか練ったが、当日の雰囲気により</p><p>発言者が偏り、皆「腹を探る」状態になり、貝のように口をつぐむか、</p><p>あるいは話しやすい「方法」に発言が偏ってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>　そのため、職員同士でもう少し事前の合意形成が必要であったか。ゼロベースに</p><p>近いものなので、職員同士で何を考えているのか把握している必要もあっただろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>会議だけで全てを決めようと思っていた、もう大丈夫だろうと思っていた、</p><p>俺が甘かったか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、最後は自分に銃口をむけて終わろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最後に</p><p>&nbsp;</p><p>上は、会議の途中から、園便りを書き始めていた</p><p>&nbsp;</p><p>よっぽど、会議が暇だったらしい</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12620032779.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Aug 2020 21:20:34 +0900</pubDate>
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<title>そもそも論は、二極化する</title>
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<![CDATA[ <p>コロナによって浮かび上がるのは、まあいろいろあるが、所属長のリーダーシップがその一つ。数あるうちの一つだが、これがまあまあ重要なファクターでもある。</p><p>&nbsp;</p><p>過度に感染を恐れ、必要以上に保育を制限したり。まあ、間違いではない。</p><p>この状況だし。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、行事の数々の判断。ここが結構、園によって判断が分かれるところでもある。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>うちも、来週、運動会の話し合いがもたれることになる。</p><p>&nbsp;</p><p>で、最近の感じでいくと、上がノープランで、現場に丸投げというが通例になっている。まあ、それでも、現場に委ねられるので、制限されるよりはマシではある。</p><p>&nbsp;</p><p>うちは、祝日に全学年開催というのは早々に中止したので、平日の参観というスタイルにはなると思うが、厄介なのは「参観」って何？ということ。</p><p>&nbsp;</p><p>通常の参観なのか、運動会の内容を学年ごとの参観にするのか。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、待てよ。</p><p>&nbsp;</p><p>参観って言ったって、来られない親がいるんじゃねえのか。</p><p>&nbsp;</p><p>数日設けるの？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>え、じゃあ数日、運動会みたいなことやるの？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>と、考えれば考えるほど、問題が起きてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>何か新しいことや再考する際に、「方法」から考えていくと必ず穴に落ちる。</p><p>で、解決の糸口である「指針」がないから、「方法」という迷路から出られない。</p><p>&nbsp;</p><p>そう、いつの間にか、<span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">「保護者が平日に来られる平等なやり方は何か？」に</span></span></p><p><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">論点がすり変わってしまう</span></span>のだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>コロナ現象はここが怖い。</p><p>&nbsp;</p><p>通常のやり方ができないから、違う方法を模索しようと話し合いを始めているから</p><p>仕方がないっちゃーないんだけど、その切り口から入ってしまうと出口が見えなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>以前、青山さんとの対談で、「そもそものストーリーを掘り起こしてみる」という話題が出てきたんだが、これはかなり意識しないと難しい。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも論って、場合によっては喧嘩の火種になったりするし、場合によっては結論が出ないまま終わったりすることもある。いや、多分、結論なんて出ないんだけどね。</p><p>&nbsp;</p><p>または、<span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">やるか／やらないのか、の二極化になったり</span></span>する。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>数年前がそうだった。僕が。</p><p>結構、行事反対派なので。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>だから、そもそも論からの〜、対話しながら行事の再定義、みたいなことが必要なんではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>平日に開催、保護者は見られないかもしれない、というピンチをチャンスとして捉えると、どんなことができるのか。</p><p>&nbsp;</p><p>どんな可能性があるのか、考えるベクトルはそこかな。</p><p>&nbsp;</p><p>今年の運動会は、どんな意味を持たせるのか。</p><p>&nbsp;</p><p>それだな。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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</description>
<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12619102765.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Aug 2020 15:58:00 +0900</pubDate>
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<title>コロナによる分散登園（少人数登園）で分かった日本の幼稚園の質の低さ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>現場で保育をしていると、そりゃ大変なこともあるし、きつい時もある。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもの思いがわからず、保育者の思いとすれ違い、肯定的にみたいけど</p><p>どうしてもそういかない時もある。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、どうしても今年のクラスは苦戦することが多い。</p><p>&nbsp;</p><p>コロナによる自粛の影響や登園スタイルの変化、そして日々の生活の変化等々、あるとは思うが、非常に難しい保育を強いられている。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、あまりその辺は詳しくは書けないが、クラスの状況が大変過ぎて</p><p>どうしても肯定的に見られない状況が続く。</p><p>&nbsp;</p><p>これは、ここ４、５年、自分自身、遊びを重視し、肯定的にみようと努めていた</p><p>にもかかわらず、今学期は「遊び」や「学び」以前のことに力を注がざるを得ない状況に陥ってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その大きな要因がやはりひとクラスあたりの人数である。</p><p>&nbsp;</p><p>我が園は、6月から分散登園というスタイルでクラスを半分に分けて登園した。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>なので、そのかんはわずか１５人ほどの園児が、登園する。</p><p>&nbsp;</p><p>少人数なので細やかに対応できる。進級し、クラス替えがあったとしても</p><p>不安を抱く子に対しても、丁寧に対応できる。</p><p>&nbsp;</p><p>これは、実際はとてもよかった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、問題はここからである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>実際の人数は、その倍の３０人に当たる。いつかは、通常登園になるのであるし、担任としては早く通常に戻してもらいたい。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、実際に通常登園に戻ったときの、変化は燦々たるものである。</p><p>&nbsp;</p><p>昨日まで１５人で余裕を持って生活できたていた環境が、倍の人数になり一変する。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>不安で部屋に入れない子</p><p>&nbsp;</p><p>入っても人数の多さに圧倒されて立ち尽くす子</p><p>&nbsp;</p><p>支度して、すぐに外にいく子。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さらに、人数が増えて通常登園になった途端、３０人という子どもたちが</p><p>「群衆」と化す。</p><p>&nbsp;</p><p>話し声が大きくなり、集まったときにの声のボリュームは大きくなる</p><p>大人の指示の声がどうしても大きくなる。</p><p>イライラする。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>昨日まで、余裕を持って対応できていたことが、途端にできなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これは一体何が起こっているのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>考えてみれば、当たり前であるが、人数が倍になるというファクターもあるが</p><p>そもそもひとクラス３０人という数字自体が異常なのではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>我が園の顧問でもある、汐見先生も同じようなことを指摘。</p><p>&nbsp;</p><p>このコロナをきっかけに、少人数生に踏み出しているえんもある。</p><p>そもそも、欧米で３０人を超えるクラス人数というのはあり得ない。</p><p>&nbsp;</p><p>確かに、そう。</p><p>&nbsp;</p><p>分散登園と通常登園で、</p><p>昨日できていたことが急にできなくなる。</p><p>昨日、大人しかった子が暴れ始める</p><p>昨日遊べていた子が途方に暮れる</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>コロナをきっかけに、人数の多さは子どもの「当たり前」を削ぎ落としてしまう</p><p>ということを、目の当たりにしてしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私立の幼稚園は、経営的な視点から、ひとクラスの人数を減らすというのは</p><p>簡単ではないだろう。単純に、部屋の数や人件費がかさむからである。</p><p>&nbsp;</p><p>単純にはいかない。そんなことはわかってはいる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、３０人という大人数がクラスに在籍し、一人一人を丁寧にみるという</p><p>標語は使用は控えるべきだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>それは無理だ。３０人という人数がひとクラスに在籍している時点で、もはや</p><p>個の内面に寄り添う、というのは不可能に近い。</p><p>&nbsp;</p><p>１０人台の集団とは、もはや意味合いが全く異なるからである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>どの人数からははっきりわからない。が、ある一定の人数に増えると、</p><p>ある人が自分に語りかける言葉は、自分に向けられていないことがわかる。</p><p>&nbsp;</p><p>ひとクラスに当たる大人の人数が多ければ、補えるのか。いや、それもそうとは</p><p>言い切れない。</p><p>&nbsp;</p><p>年中後期からは、大人というよりは子ども同士で繋がっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>日本の保育の当たり前を、今こそ見直すべき。</p><p>&nbsp;</p><p>最大値が３５にんというは、むしろ暴挙であり、冒涜でもあり、</p><p>経営に目がくらんだ保育崩壊以外の何物でもない。</p><p>&nbsp;</p><p>ただでさえ存続が危ぶまれ、社会的なニーズや期待値も限りなく低い幼稚園。</p><p>詰め込むだけ詰め込み、知識や技術を押し売りするわけのわからん経営手法だけの組織が生き残るという、世界にも類を見ない最悪な環境を、どう手をつけてシフトチェンジしていくのか。</p><p>&nbsp;</p><p>コロナでわかった一つこと。でもある。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12614289111.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Jul 2020 22:44:20 +0900</pubDate>
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<title>ただの日記というなの愚痴</title>
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<![CDATA[ <p>答えがない世の中になる。</p><p>&nbsp;</p><p>保育の世界も同様で、打つ手が、全て新手になる。</p><p>&nbsp;</p><p>何を基準にするのか、何を参考にするのか、自分たちの方針や哲学、考え方</p><p>&nbsp;</p><p>そして、情報の収集が不可欠になる。</p><p>&nbsp;</p><p>それがないと、当然、後手になる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>後手が悪いわけではない。真似が悪いわけではない。しかし、そこに信念のような</p><p>ものがないと、人は簡単に見抜く。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自分たちが何を軸に保育をしてきたのか、今ものすごく問われている。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、行事もそう。なんでこれをしてきたのか、今考えるチャンスでもある。</p><p>&nbsp;</p><p>残念ながら、多くの園、並びに多くの人は、前年踏襲で「違和感」を覚えることが</p><p>なかったため、ほとんど「思考」が停止している。</p><p>&nbsp;</p><p>思考というのは、明日の献立を考える、ということではなく。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>なぜ、これをしているのか、果たして本当にこれが今必要なのか、</p><p>目の前の子どもの姿から考え、思いを馳せること。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>経営的なことを求めているわけでもなく</p><p>カリスマ的なことを求めているわけでもない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>こういった「答えのない世界」に強制的に投入され、</p><p>いかに「考え」ていなかったかが、露呈される。</p><p>&nbsp;</p><p>反対に、思考が止まっていなかった園は、こういった事態を諸共せずに</p><p>手が打てる。自分たちで考え、自分たちで動いていける。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>違った見方もできる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私個人は色々と経験して、トップが無能だと、したは育つ。</p><p>成長したい各々は、強制的に「主体」になる。いや、ならざるを得ないのか。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、限界はある。</p><p>&nbsp;</p><p>いかに、一組織人が頑張ろうとも、やれることには限りがある。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それは逆も然り。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さ、そんな状況で、一人一人がどう踏ん張るのか。</p><p>当事者意識を、職員一人一人がどう持つかが問われる。</p><p>&nbsp;</p><p>リーダーだけではない、組織の変革をどう実現していくのか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>どうフォローしていくのか。重い重い宿題だ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12614063188.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Jul 2020 22:18:04 +0900</pubDate>
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<title>青山誠さんとの対談から２〜ピンチはチャンスで、チャンスはピンチ？！〜</title>
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<![CDATA[ <p>一昨日の対談で、出たもう一つのキーワード。</p><p>&nbsp;</p><p>コロナをきっかけに軒並み保育内容、とりわけ行事や活動を変更、中止にせざるを得ない（ピンチ）</p><p>&nbsp;</p><p>だけど、これをきっかけに考え直したり、見直したり、職員同士で話し合えるかもしれない（チャンス）</p><p>&nbsp;</p><p>でも、考え直す方向によっては、短期間に詰め込んだり、教師の指導（というなの強制力や締め付け）が厳しくなったり、より個に特化する施策も出てくることもある（ピンチ）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ピンチは、チャンスだけど、チャンスはピンチでもある。</p><p>&nbsp;</p><p>言葉遊び風だけど、確かに見直す内容によっては、もしくは見直し方によっては、ピンチはチャンスだけど、チャンスがピンチになってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、簡単にいうと、そんな感じだわけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>いや、うちは、ピンチをチャンスに変えているよと思うトコロも</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ピンチをチャンスに変えるべく頑張ってはいるものの、</p><p>ピンチをそのまま引きずってしまっている箇所もない訳ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>多分。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>だって、このコロナの状況で、人の考え方は多様であり、みな模索しながら生活している。</p><p>&nbsp;</p><p>完全に自粛している人もいれば</p><p>気分転換に出かける人もいるだろう</p><p>気にしない人もいるだろう</p><p>外に出ざるを得ない人もいるだろう</p><p>&nbsp;</p><p>さらに、感染者数が増えている状況にもかかわらず、前回と同じ状況かどうか分からず、対応や判断に困り、解釈の仕方はさらに多様になっている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんな中、園の対応は、各園で異なり、かつ園が打ち出す方向性に、保護者は全て了承しているとも言い難い。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ある意味、この保護者は共感してくれるが、あの保護者は共感してくれない、と</p><p>チャンスとピンチの捉え方が異なってくるのは当然だろう。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、これは「コロナだから・・」という状況に関係なく、平時から常に</p><p>そうでもある。</p><p>&nbsp;</p><p>そう、これも対談の中で出てきたキーワードで、コロナとは「状況」だよ、と。</p><p>一つの状況に過ぎなくって、行事を改革しようとしていることも「状況」だし</p><p>去年、園庭を改造しようとしたことも「状況」。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>良いと思ってくれる人もいれば、うーんと思う人もいるだろう。</p><p>極々自然なことだ。逆に、全員が「良い」と思っているのは、不自然極まりなく、気持ち悪い。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、つまり、そういうあらゆる「状況」に対して、園がそこにいる職員が、どのように伝え、対話し、共に歩もうとしてきたかが、問われる。そんな気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>平時から、ね。</p><p>&nbsp;</p><p>コロナだからではなく、今までの日常でどうしてきたか、です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ピンチを「ピンチかチャンスか？！」に二分するんではなく、<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">なんとか「チャンス」にしようとしている人を増やすこと</span></span>がこれからの、園と保護者の関係に求められる。</p><p>&nbsp;</p><p>それを、青山さんは「共犯関係」（多分、この字？）と言っていたけど、ちょっと、まあ犯罪の匂いもしてしまうので、「共絆関係」（キョウハンカンケイ）と呼びたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、どっちでも良いんですが、</p><p>&nbsp;</p><p>とにかくさ、子どもたちのことを「園」のみで決めていく、という時代はもう終わりということで。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもは地域で育てていくもの。地域のプラットフォームとしての担い手が園である必要性が出てきているのであれば、これからどういう経験が必要なのか、そのためにどんな行事や活動が必要なのか、それを一緒に考えていこう、ということ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.96em;">まとめ</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>色々と話が飛んだので、思考の整理がてらの、まとめ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ピンチはチャンスで、チャンスはピンチです。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、ピンチかチャンスかは、人によって捉え方が異なる</p><p>&nbsp;</p><p>捉え方は、強制することはできない。なので、どうやってチャンスと捉える人を増やそうか、と考えることはある意味、無意味。</p><p>&nbsp;</p><p>そうではなく、どうしたらチャンスになるか、つまり、より良くしていこうと共に考える共絆関係を保護者と作ることを、日常から、今からでも良いからシフトしていくこと。</p><p>&nbsp;</p><p>それが、これからの時代の教育で必要なのではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなところかな。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、</p><p>&nbsp;</p><p>保護者にアンケートをとっているとか、頂いたクレームは柔軟に対応しているといったことは、共絆関係とは言わない。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなんは、もぐらたたき、でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>ピンチという「もぐら」をプレイヤーが叩いて、叩いて、対応していったところで、「もぐら」は一向に減りはしない。</p><p>&nbsp;</p><p>むしろ、プレイヤーを増やしたり、もぐらが出てこない仕組みやゲームそのものを変える知恵をもらえるような「パーティー」作りが、問われるのではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>もぐらたたきは、オワコンです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12613156632.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jul 2020 22:44:20 +0900</pubDate>
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<title>フリーハンドとコード進行〜青山誠さんとの対談から〜</title>
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<![CDATA[ <p>先日、某雑誌にて、かの有名な「青くん」こと青山誠さんと</p><p>対談をさせて頂いた。</p><p>&nbsp;</p><p>その中で出た「行事」と言うキーワード。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>青山さんは2年前から新規園で園長をしている</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その運営の中で、『フリーハンドでやるには難しく、ある程度のコード進行が必要</p><p>だろう』、というワードが出た。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕は、青山さんとお話をさせてもらうと、いつも勇気づけられる。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の中の「モヤモヤ」していて</p><p>言葉にならない、もしくは「そう思っていいのか」ということを、明確に言葉として</p><p>聞くことで、『ああ、それでいいんだな』という応援にも似た気持ちにさせてくれる。</p><p>&nbsp;</p><p>これは、何も青山さんと同じ考えだぜ、イエーイ！ということでは決してなく。</p><p>&nbsp;</p><p>こんなこと感じていいの、思っていいの、ということを、青山さんが言葉にして</p><p>くれることで、「あ、いいんだな」と楽になれるのだ。それで救われている人は</p><p>僕のようにいるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>2016年から改革を始めて以来、フリーハンドで、言うなれば行事は全て廃止し、</p><p>子ども主体の保育とは「こちらが計画していくものではない」とも思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>2017年から本格的に、中ば強引にフリーハンドでガンガン保育をしていき</p><p>言うなれば既存のコード進行からどんどん逸脱していく訳である。その結果、</p><p>子どもの面白さに気づき、保育がますます楽しくなっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、中堅としてある程度、保育経験をつみ、子どもたちの育ちの上でなくてはならないものは感覚的に分かってはいる（わかっていないことも多いのだが）。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、うまくいった、ということも少なからずあるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり、自由に好き勝手に、子どもの興味の赴くままに保育をするということでは</p><p>ない、ということ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>経験値による知恵は、なかなか言語にしづらいものでもある。</p><p>（これは、中原さんも、「本当に大事な知恵は言語にしづらい」と指摘している）。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、行事や活動という万人が理解できる「ツール」として変換される。</p><p>&nbsp;</p><p>理解しやすい、実践しやすい、再現しやすいツールとしての行事は、新人だろうが</p><p>若手だろうが、誰でもある程度、「こなす」ことはできる。</p><p>&nbsp;</p><p>その「ツール」を駆使すれば、誰がやっても子どもたちは一定の成長をすることが</p><p>できる（ここでいう、「成長」は果たして真に子どもの学びになっているかは</p><p>さておき）。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>万能な活動・行事という「ツール」を使うことで、子どもたちは成長する。</p><p>&nbsp;</p><p>一方で、「ツール」と化した「メソッド」に、知恵が落とし込まれることで、</p><p>使用する側の「思考」は完全に麻痺する。いや、停止し、「こなす」ことに</p><p>重きが置かれることになる。</p><p>&nbsp;</p><p>そこで、大事なことは、子どもの思いを聴くことより、いかに上手にその</p><p>ツール、メソッドを遂行するか、ということにすり替わってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな疑問と疑念を感じながら僕は、改革してきた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>話をもとに戻そう。</p><p>&nbsp;</p><p>中堅として経験値と知恵をある程度積み重ねていくと、行事活動という</p><p>ツール・メソッドがなくともフリーハンドで保育ができてしまう。</p><p>むしろ、こちらの方が楽しいのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、経験値や知恵がまだまだ乏しい若手は、フリーハンドで突然やれ、と</p><p>言われても、難しい場合がある。</p><p>&nbsp;</p><p>それは、２０１６年以来、若手の姿をみて痛感したことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>断っておくが、若手の保育がダメなのではない。</p><p>むしろ、染まっていないだけ、とても良い保育をする。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、保育の方向性だったり、集団の育ちに必要な投げかけだったり、</p><p>ここでの対応が、どう中期的に関わっていくかの見通しだった理、</p><p>「個」への対応以外の場面で、戸惑うことが少なくない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんな姿を見て、行事は何もいらない、と強く思っていた当時に比べ、</p><p>今は、緩やかであるが、ある程度、行事や活動という節目あるいはポイント</p><p>なるものは、あってもいいのか、どうなのか・・・・と朧げながらも</p><p>感じるようになっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんなことを感じていたので、彼の言葉を聞いたときに、ああそうだよね、</p><p>やっぱりそうでいいんだな、と強く共感する。</p><p>&nbsp;</p><p>誰もがフリーハンドでできる訳でもなく、僕も若手と組んだときに</p><p>その「ポイント」をうまく伝えられずに、かえって悩ませてしまうことも</p><p>あった。</p><p>&nbsp;</p><p>やはり、青山さんのいうコード進行。違う言葉で、「ハレとケ」という表現も</p><p>していたけれど、そういう「流れ」みたいなものが緩やかにあってもいいのか</p><p>と思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>じゃあ、そのコード進行の「G」にあたる部分、「A」にあたる部分は、</p><p>何か？ということになる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>何があればいいのか。</p><p>保育における「G」は何か。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それは、多分、誰も答えを出してくれない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それに対する「こたえ」はない。</p><p>&nbsp;</p><p>ツールやメソッドにしたことで、今の弊害は始まっている。</p><p>&nbsp;</p><p>それと同じで、「これだよ」という答えを誰かが、どっかの偉い人が</p><p>出した時点で、解決してしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>これとこれをやればOK、ということを誰かが行った時点で、</p><p>「考える」ことを辞めてしまう。</p><p>子どもを「みる」ことを辞めてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>暫定的で、包括的な、なんとなくな「もの」、でしかないのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>それを考える、考え続けることが、そのプロセスこそが大事なのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>かもしれない。かもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>世の中に「ぜったい」は、ないのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12612945634.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2020 23:23:40 +0900</pubDate>
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<title>保留は、むしろ前進のサイン</title>
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<![CDATA[ <p>昨日は久しぶりのブログ。</p><p>&nbsp;</p><p>モヤモヤ感について書いた。</p><p>&nbsp;</p><p>人は、答えを求めたがる生き物あるが、世の中にはすぐに</p><p>こたえ、つまり結論を出さないほうがいいこともある、そういう話だ。</p><p>&nbsp;</p><p>最近、読んだ敬愛する中原さんは、「本当に大事なキーワードは、言語にならない」</p><p>というような趣旨を書いている。</p><p>&nbsp;</p><p>言語になりづらい、ということであろう。</p><p>&nbsp;</p><p>成功した体験を、言葉で人に伝えるのは容易ではない。</p><p>ハウツーになりがちであるし、例えば保育における感覚的なもの、って</p><p>言葉にしづらい難しさもある。</p><p>&nbsp;</p><p>答えを出した途端、あるいは、答えを出してくれると思った途端、</p><p>人は思考が停止する。これも中原さんが言っていたことである。</p><p>&nbsp;</p><p>今日、本がたくさん置いてある部屋を整理した。</p><p>本の部屋なるものが、我が園にはあるが、絵本以外に空き箱や教材、雑巾、</p><p>蛍光灯など、ありとあらゆるものが置いてある。そこを我が園では「図書室」と</p><p>読んでいる。</p><p>&nbsp;</p><p>職員から、ここをなんとかしたいという話が挙がる。</p><p>&nbsp;</p><p>確かに、用途不明なものが乱雑におかれ、図書室と呼ぶにはあまりにも</p><p>雑多すぎる。</p><p>&nbsp;</p><p>夏休み期間にどうにかならないか、DIYで何とかしようとそういう話になるので</p><p>あるが、話はあらぬ方向に転がっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>蔵書が、とにかく古いのだ。</p><p>そして、同じ本が何冊もあったりする。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これは果たして、本当に必要なのか？ということ。</p><p>&nbsp;</p><p>蔵書とディスプレイをコーナーとして区切るのか？ということになる。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そして、年長児は本を借りる。その際、ディスプレイとして置いてある本が</p><p>少なければ、借りる冊数がそもそも少なかったら意味がない。と。</p><p>&nbsp;</p><p>そこで、なんで本を借りるのか、という本質的問いが生まれる。</p><p>&nbsp;</p><p>個人的には、本を借りるというシステム自体が、強制的で子どもの興味に合っておらず２学期にもなると、本を借りる曜日になると、いやいや借りる子もいれば、</p><p>やっつけで仕方ないから図書室に向かう子も少なくない。</p><p>&nbsp;</p><p>もう、オワコンなのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>図書室環境の使い方の議論から一転、そういった本質的なー図書室を我々は</p><p>どのように子どもたちに使って欲しいのかーという本質的な問いに差し掛かる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>でも、大体そういった本質的な話になると、静まり返ってしまう。</p><p>答えがあるようでないからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>小学校で借りるための練習？</p><p>&nbsp;</p><p>いやいや、そんなあほな話はない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>結局、結論は出なかった。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、夏休みを使って図書室の環境整理をすることはあらかた決まっていた。</p><p>これがいいのかどうかはわからないが、</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえず、今日蔵書の整理をする。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんな流れがあったうちに今日だった。</p><p>&nbsp;</p><p>意味がわからないまま、行動する。一見、無意味かもしれないが、</p><p>ここに私は一つの価値があると思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>「やる」ことは決まっており、それ自体の意義は置いておいたとしても</p><p>本質的な答えは出ずとも、とりあえず動いてみる、ということはとても意義の</p><p>あることのような気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そう、今やうちの組織は、結論が出ずとも、とりあえずやってみようと</p><p>保留が「静観」ではなく、「行動」に結びついている。</p><p>&nbsp;</p><p>これだ！大事なのは、これだ！</p><p>&nbsp;</p><p>多分、答えが出ないと、多くは、ステイになってしまう。</p><p>決まらなかった＝動かない、を意味している。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>でも、今や若手を含めて、じゃあこんなんどうですか？とか、これとりあえず</p><p>持ってきます、とか、とりあえず動いてみる職員が出始めている。</p><p>&nbsp;</p><p>保留が、足踏みではなく、むしろ積極的な前進という意味合いに変わって</p><p>きている。</p><p>&nbsp;</p><p>これは嬉しい。だから、僕は、最近、むしろ動かない。</p><p>&nbsp;</p><p>大事なことはいうが。サボろうとしていたりとか。楽しようとしていたら、</p><p>先陣きって言う。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、そんなことはいい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>2016年から始まった改革は、2020年になり一人一人が考える一人の人間として</p><p>そこに「在る」ようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>結論を出さないことによって、各々の行動力を生み、この失敗を次に生かせる。</p><p>現場だけで生み出す改革は、右往左往することが多い。が、現場の人間が</p><p>考えながら動く、という究極の組織を作る第一歩なのではないかと思う。そんな気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり</p><p>&nbsp;</p><p>今日言いたいことは、組織やチームにとっての「モヤモヤ感」は、現場一人一人の「思考」を刺激する活性剤になり得る、そんな可能性があるということ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、約１０００冊の絵本を運ぶのは、流石にきつい。</p><p>この苦労が報われることを、祈るのみ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12612534072.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Jul 2020 23:01:23 +0900</pubDate>
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<title>今日の献立は保留にできるのか</title>
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<![CDATA[ <p>自分は将来どんな職業に向いているのか、どんなことに適性があるのか、若い頃はそれこそ占いに（ちょっと）傾倒したこともあった。</p><p>&nbsp;</p><p>それこそ、自分の先生に、「君はこれが向いているから、これをやりなさい」と言われたほうが、どんなに楽だったか。</p><p>&nbsp;</p><p>最も悩んでいた大学卒業後は、いつもそんなことを考えていた。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、誰も答えは出してくれなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>ずっとモヤモヤしながら、現場経験を積んでいくと、悪戦苦闘しながら自分の得意なことが見つかってきた。そう、行動しながらでないと、自分の光るものは見つからない。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも、これが自分の生きる道だ！とは言えないとは思うし、やっぱり40歳が近くなり、自分のキャリアはどうするのか最近、モヤモヤしているけど、こうやってずっと考え続けていくんだろうな、と40歳を目前にして思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>何が苦しいって、「答え」が出ないこと。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は、多分ひといちばい答えを早く求めたがる。</p><p>&nbsp;</p><p>グレーが苦手だし、</p><p>また明日の続き、が死ぬほど苦手だ。</p><p>&nbsp;</p><p>今日できることは今日完結したいし、</p><p>今終えられることは、今終わらせたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>でも、世の中には、答えをすぐに求めないほうがいいこともある。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>今日何を食べるのか、答えをグレーにすると、食事にありつけないので、</p><p>それは困る。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>じゃあ、答えをすぐに出さないで得することは何か？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それは、</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>答えを保留することで、結果的に得られる情報や経験のほうが</p><p>重要である場合、なんではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>答えを出すと、思考はそこで停止する。</p><p>&nbsp;</p><p>今日の晩ご飯を、クックパッドなどでひたすら迷い、昨日はこれを食べた</p><p>子どもはこれが好きだ、云々カンヌンしている時って、「思考」がフルスロットル</p><p>で働いている。</p><p>&nbsp;</p><p>保留にしている、つまり、調べている時って、色々な情報に出会う。思わぬ情報との出会いに知識を得たり、学ぶこともある。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、晩ご飯に限っては、メニューが決まると、思考は一時停止し、調理という「動作」にシフトする訳で、つまり、思考は停止するわけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、明日も、その次の日も、「今日のご飯の献立」は考え続けないといけないが。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自分の適性、みたいなものはどうだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>俺は、これが向いている！</p><p>俺は、これだ！と「答え」を決めてしまった時点で、そこで思考はストップする。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>が、苦しいが、答えを保留し、その道の専門書を読みあさったり、知人に話を聞いてもらったりしているプロセスの中で、人と繋がり、道が拓けていくこともあるかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これは、アイデンティティだけでなく、日常の、たびたび登場する組織の</p><p>「対話」にもある。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>人は、答えを出そうとする。</p><p>そんで、やりやすい方法で、すぐに解決しようとする。</p><p>&nbsp;</p><p>保留は、暗黙の了解で、「なし」になっている場合も多い。かもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>保留やグレーは、答えを一時保留して、それに関わる情報や経験を</p><p>アンテナを貼りながら蓄積しよう、ってこと。</p><p>&nbsp;</p><p>保育でいえば、子どもの姿をよくみながら、どんな動線にしたらいいのか</p><p>どんな環境にしたらいいのか、よく、見るということ。</p><p>&nbsp;</p><p>答えが出るまでは、確かにキツイ。</p><p>&nbsp;</p><p>というか、明確な答えなんて、この世にないかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>今日の献立をどうするか、には、答えがあったほうがいい。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、</p><p>&nbsp;</p><p>園の献立をどうするか、には、答えを保留したほうが、思考は止まらない、</p><p>のかもしれない</p><p>&nbsp;</p><p>そんな、かもしれない、という久ぶりのブログ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/odohiroyuki/entry-12612310605.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Jul 2020 22:43:48 +0900</pubDate>
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