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<title>タイヤキでパーティー</title>
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<title>森博嗣　『スカイ・クロラ　The Sky Crawlers』</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">僕は戦闘機のパイロット。飛行機に乗るのが日常、人を殺すのが仕事。空で人を殺した同じ手でボウリングもすれば、ハンバーガーも食べる。戦争がショーとして成立する世界に生み出された大人にならない子供―戦争を仕事に永遠を生きる子供たちの寓話。森博嗣、渾身の一作！（文庫本裏表紙より）</font><br><br>気になった箇所を抜粋。<br><br>つまり、短期のなのか長期なのか、とにかく、私たちにはまったく理解できない図式、それに動機で、大勢が動くことがある。つまるところ、大風が吹いて草木が揺れるようなもの。風が吹いたら、揺れた方が折れずに済むってことを、本能的にみんなが知ってる。<br><br><br>意識しなくても、<br>誰もが、どこかで、他人を殺してる。<br>押しくら饅頭をして、誰が押し出されるのか…。その被害者に直接触れていなくても、みんなで押したことには変わりはないのだ。<br>私は見なかった。私は触らなかった。<br>私はただ、自分が押し出されないように踏ん張っただけです。<br>それで言い訳になるだろうか？<br>僕は、それは違うと思う。<br><br><br>理解ほど、貴重で入手が困難なものはない。それが得られるのは、きまって、その必要がすっかりなくなったときなのだ。<br>
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<pubDate>Mon, 22 Jun 2015 19:57:23 +0900</pubDate>
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<title>友井羊　『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">店主の手作りスープが自慢のスープ屋「しずく」は、早朝にひっそり営業している。早朝出勤の途中に、ぐうぜん店をしったOLの理恵は、すっかりしずくのスープの虜になる。理恵は最近、職場の対人関係がぎくしゃくし、ポーチの紛失事件も起こり、ストレスから体調を崩しがちに。店主でシェフの麻野は、そんな理恵の悩みを見抜き、ことの真相を解き明かしていく。心温まる連作ミステリー。（文庫本裏表紙より）</font><br><br><font color="#FF0000"><a href="http://ameblo.jp/ojbfxxx/entry-11976151980.html">少し前の記事</a></font>で「今の警察は優秀すぎて、名探偵のうまれる余地はないのではないか」ということを綾辻行人の『十角館の殺人』の一部を引用しつつ書きましたが、本作のような日常系ミステリーは名探偵を生み出す一つの方法なのではないでしょうか。<br>「その程度の事件では警察は動かない」、あるいは「警察が本気にならない程度の事件」。殺人事件などの凶悪犯罪に対する警察の怠慢は許せないが、日常にあるささいな事件に警察が顔をつっこんでくると余計ややこしくなる、そんな事件に警察が一々本気になっていたら警察官の数がいくらあっても足りなくなってしまう。そうして警察の参加をなるべく排除しようとしたときに日常系ミステリーというのは、名探偵を生み出すのにうってつけの舞台となるわけです。<br><br>また、日常系ミステリーおいては、ミステリーの鉄則である「Who　done　it（誰がやったのか）」、「Why　done　it（どうしてやったのか）、「How　done　it（どうやってやったのか）」ということが、探偵の側に求められることがあります。それはつまり、「誰が推理するのか」、「どうして推理するのか」「どうやって推理するのか」ということです。<br>加えて「Where　done　it」、どこで推理するのか、という推理する舞台の設定。「When　done　it」、いつ推理するのかという点。ただ犯人を指摘するのではなく、犯人や被害者にとって傷が残りにくいであろう「時」を選んで、真相を告げる。<br>今まで読んできた日常系ミステリーですと、「Where　done　it」の部分に特にこだわりを持つ作品が多かった気がします。本作もスープ屋という一風変わった舞台ですし、三上延の『ビブリアシリーズ』は古書店、岡崎琢磨の『タレーランシリーズ』は純喫茶、米澤穂信の『氷菓シリーズ』では高校の古典部などそれぞれの舞台設定にこだわりがうかがえます。<br>
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<pubDate>Wed, 04 Mar 2015 21:17:39 +0900</pubDate>
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<title>酒見賢一　『泣き虫弱虫諸葛孔明　第四部』</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">孔明、大いに泣く<br>孫権の裏切りにより関羽が戦士―。<br>復習の怒りに燃える蜀の皇帝・劉備は孔明の諫言も聞かずに呉へ進撃したが……。<br><br>張飛・曹操・劉備……<br>『三国志』の立役者・英雄たちが孔明だけを残して去る（単行本帯より）</font><br><br>人物まとめ（自分用）<br>○荊中→蜀<br>劉備玄徳<br>諸葛亮孔明<br>張飛翼徳<br>関羽雲長<br>趙雲子竜<br>?統士元（ほうとうしげん）<br><br>○魏<br>曹操孟徳<br>曹丕（そうひ）…曹操の息子<br>曹植…曹操の息子<br><br>○呉<br>孫権仲謀<br>陸遜伯言（りくそんはくげん）<br><br>○<br>劉璋季玉<br><br>張松（ちょうしょう）永年<br>法政<br>孟達<br><br>○漢中五斗米道　劉璋の領土に侵攻<br>張魯公祺（ちょうろこうき）<br><br>○関中十部<br>馬超（ばちょう）孟起<br><br><br>帯にも書いてあるとおり、三国志をほとんど知らない自分でも聞いたことのある三国志上の有名人が次々と亡くなる巻でした。<br>それにしても、三国志の勢力関係は面白いですね。同盟組んでるはずなのに、境界線で小競り合いしたり（場合によっては侵攻したり）、部下から主君への裏切り行為がいたるところであります。著者の三国志解釈の仕方にもよるのでしょうが、本当にあっさり裏切ります。まぁ、国同士は食うか食われるかの弱肉強食、部下から見れば、どの主君につくかで自分が生き残れるかどうかが決まる（ただし主君に謀殺される可能性もなきにしもあらず…）、文字通り「命懸け」なので仕方がないといえば仕方がないのですが…<br><br>それと、内容とは関係ないですが、とにかく名前を把握するのが大変でした。中国を題材にしたものに限らず、海外の方の名前には普段馴染みがないものですから、「これ誰だったかな？」というのがよくあります。あとは地名。この本だと目次のすぐ後あたりのページに地図が記載されているのですが、本を読みながらだと「今、誰それがどこどこにいる」と書かれても、いちいち参照にするのが面倒で、地理の描写に関しては雰囲気で読むという、三国志ファンの方に怒られそうな読み方をしました。地理の雰囲気自体は楽しめたので、個人的にはOKということで…<br>
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<link>https://ameblo.jp/ojbfxxx/entry-11989082981.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Feb 2015 22:44:08 +0900</pubDate>
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<title>芥川龍之介　『朱儒の言葉・西方の人』</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">機知に富み、警句をもてあそぶことの好きな芥川が、その鋭敏な頭脳と自在な表現力を縦横無尽に駆使したアフォリズム『朱儒の言葉』は、彼の懐疑的な顔つきと、厭世的な精神を鮮烈に伝える。また、死を決意してイェルサレムにおもむいたクリストに、自らの思想、感情を移入して、自己の悲しさ、あるいは苦痛を訴えた『西方の人』『続西方の人』は、芥川の生涯の総決算とも言える。（文庫本裏表紙より）<br></font><br>気になった文章を抜粋。<br>輿論（よろん）は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たといピストルを用うる代りに新聞の記事を用いたとしても。<br><br>自由は山テンの空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。<br><br>言行一致の美名を得る為にはまず自己弁護に長じなければならぬ。<br><br>文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。<br><br>我々に武器を執（と）らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかも屡（しばしば）実在しない架空の敵に対する恐怖である。<br>
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<pubDate>Thu, 05 Feb 2015 20:18:06 +0900</pubDate>
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<title>東野圭吾　『仮面山荘殺人事件』</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">八人の男女が集まる山荘に、逃亡中の銀行強盗が侵入した。外部との連絡を断たれた八人は脱出を試みるが、ことごとく失敗に終わる。恐怖と緊張が高まる中、ついに一人が殺される。だが状況から考えて、犯人は強盗たちではありえなかった。七人の男女は互いに疑心暗鬼にかられ、パニックに陥っていった……。（文庫本裏表紙より）</font><br><br>山荘や館が舞台のミステリーと聞くと、以前に読んだ綾辻行人の『十角館の殺人』の登場人物の一人が言ったセリフを思い出します。<br><br>“地道な努力を惜しまない勤勉な刑事たち、強固な組織力、最新の科学捜査技術…警察は今や、決して無能じゃない。有能すぎて困るくらいだ。現実問題として、灰色の脳細胞を唯一の武器とした昔ながらの名探偵たちが活躍する余地が、いったいどこにある。現代の都会にかのホームズ氏が出現したとしても、おおかた滑稽さのほうが目立つだろうね」<br>（中略）現代を舞台に探偵小説を書こうとする作家は、必ずここで一つのディレンマに陥ってしまうことになる。そこでこのディレンマの、最もてっとりばやい―と云っちゃあ語弊があるか、有効な解決策として、さっきから云ってる“嵐の山荘”パターンがクローズアップされてくるわけさ”<br><br><br>ミステリーを読んでいるとたまに、「この事件って警察が科学技術を総動員して本気で捜査したら解決するのでは？」と思ってしまうことがあります。警察が出てくる作品だと「警察だったら、そのくらいは調べておいてほしい」、「そこ調べてないの！？」と感じてしまうモノもたまにありますね。ただ「本気」の警察が事件に介入してくるとミステリーとしての情緒が失われてしまうことも事実なのかなぁと。<br>科学技術による捜査を主眼においてる小説は、もちろんそれはそれとして「アリ」ですけど、ミステリー好きな人っておそらく、科学的にどうやって解決するのかより、登場人物が知恵を絞って犯人のアリバイを崩したり、発言の矛盾点を探すほうに主眼を置いてると思うんです。<br><br>そうなってくると外の世界から隔離された山荘や館というのがミステリーの舞台としては、描きやすいんですかね。<br><br><br>『仮面山荘殺人事件』の記事というよりかは、『十角館の殺人』の記事になってしまいました。こんなことなら『十角館～』を読んだ時に記事を書けばよかったです。時間が経っていたせいで引用部分を探すのに大分苦労しました。<br>
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<pubDate>Mon, 12 Jan 2015 09:08:32 +0900</pubDate>
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<title>ごあいさつ</title>
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<![CDATA[ 新年あけましておめでとうございます<br>今年もよろしくお願いします<br><br>今年一年、皆様が一冊でもいい本と出会えることを心よりお祈りいたします<br><br>2015年<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ojbfxxx/entry-11971942980.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 2015 19:46:25 +0900</pubDate>
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<title>ごあいさつ</title>
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<![CDATA[ 今年最後の更新になると思います。<br>といっても、特に書くことはありません。<br><br>皆様、よいお年を。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ojbfxxx/entry-11970518820.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Dec 2014 18:03:32 +0900</pubDate>
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<title>梅田みか　『書店員の恋』</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">今井翔子は本と書店の仕事を愛する26歳の書店員。ファミレスの厨房でアルバイト中の恋人とベストセラー作家、まったくタイプの違うふたりの男性の間で心は揺れる。「いったいどっちを選べばいいの？」恋と仕事に悩み、成長する女性の姿を描いた共感全開の恋愛小説。（文庫本裏表紙より）</font><br><br>恋人はやさしい。でもやさしすぎて物足りない。だから私には恋人より条件のいい男が現れた場合、その男と恋人を天秤にかける権利があるし、その男の下心に鈍感であっても誰にも文句を言われるイワレはない。<br>全編を通じて、主人公の今井翔子が浮気をするために自分自身を納得させるための言い訳ショーという印象を受けました。<br><br>そもそも「ふたりの男性の間で心は揺れる」って表現はどうなんでしょう。浮気するかどうかの天秤にかけてるだけですよね。世の中には表現方法が違えば、その本質が変わると思ってる人もいるみたいですけど、らくだ色をキャメルと表現したところで、本質の部分である色は変わらないですよ。<br><br>あと、周りを巻き込んで不幸にするのが「大人の恋愛」で、そういった体験をすれば人間として成長できるみたいなのは、個人的には受け入れられませんでした。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ojbfxxx/entry-11928793616.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Sep 2014 21:49:58 +0900</pubDate>
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<title>J.K.ローリング　『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">ハリーは13歳。ホグワーツ校の三年生！！！<br>ハリーの命を狙ってアズカバンを脱獄した囚人とそれを追う看守の吸魂鬼（ディメンター）。<br>そしてどこからともなく現れる黒い死神犬。<br>迫り来る死の影を払いのけ<br>ハリーはクィディッチの試合に臨みます。<br>みなさん、さあ、箒に乗ってください。<br>ハリーの応援に行きましょう。（ふくろう通信　号外No．３より）</font><br><br>いわずと知れた世界的ベストセラーのハリーポッターシリーズ3作品目です。<br>ファンタジーの王道。出てくるキャラクターや魔法、小道具、どれをとっても魅力的です。<br>読んでて、日本人として思うことは、「この道具、ドラえもんに似たの出てきたな」と。やはり古今東西、やりたいことが似通ってくるんですかね。もちろん、ディティールや物語の中でどう活かしてくるのかは、作者によって違いがあって、両方とも素晴らしい作品であることは、ここで改めていうこともないですが・・・<br><br>あと、キャラクターに関して言えば、マルフォイとスネイプ先生。<br>主人公のハリーにいちいちチョッカイを出してくるライバルとか、主人公を目の敵にする教師、小説だと分かってはいるんですが、「負けるな、ハリー」と思いながら読んでしまいました。<br>この作品を小学生くらいの時に読んでいたら、間違いなく、演じた俳優さんこみで嫌いになったキャラですね。とは言っても、ハリー・ポッターシリーズの映画自体はまだ１作品も見たことないんですがね。<br>
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<pubDate>Sun, 24 Aug 2014 23:27:48 +0900</pubDate>
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<title>法月倫太郎　『二の悲劇』</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">〈都内のマンションでOL殺される〉顔を焼かれた酷いこの事件は、当初、単純な怨恨殺人と見られた。三角関係にあったルームメイトの女が逃亡していたのだ。だが、被害者が胃に呑み込んでいた鍵は一体何なのか―探偵法月倫太郎が出馬した矢先、容疑者は京都で死体となって発見、そして鍵の正体が明らかになるにつれ、名探偵を翻弄する迷宮の扉が開いた……！（文庫本裏表紙より）</font><br><br>ミステリーを読むのは割りと久しぶりな気がします。<br><br>作者としては、哲学における「自我」を絡めて描きたかったのだと思いますが、自分の不勉強のせいで、哲学的要素の部分がいまいち理解できませんでした。といいますか、自分の頭の不出来さと文章の下手さを棚に上げて言いますけど、何で哲学者ってあんなに読みづらいを書くんですか？正直チンプンカンプンです（久しぶりにこの表現使ったな・・・）。<br><br>ミステリーとしては、被害者の日記が現場から消えていたということに探偵がこだわりすぎてると思いました。<br>日記の中に犯人にとって不都合なことが書かれている、けれども日記の内容によって事件の全貌が明らかになるとは限らないと考えてもいいはずなのに、「日記さえ見つかれば」、「日記の内容さえ読めれば」と探偵側が日記に対して血眼になりすぎです。、しかも、日記が事件を解くカギになると信じてる根拠が被害者が日記帳を開けるためのカギを呑み込んでるということだけですからね。重要な証拠である可能性は高いんでしょうが、それにしたって日記に対して一直線すぎといいますか・・・被害者が最後の抵抗としてカギを呑み込んだ行為にしても、犯人にあっさりと日記を読まれるのがイヤだったという程度のものであって、事件解決のために何かを残したかったわけではないくらいに推理するのが妥当だと思いますけどね。<br>皮肉をこめた言い方をすれば「古きよき時代のダイイングメッセージ」というのを感じました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ojbfxxx/entry-11913201560.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Aug 2014 20:45:58 +0900</pubDate>
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