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<title>岡ちゃんの膵臓がん闘病記</title>
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<description>2012年12月に膵臓がんであることを宣告された59歳の岡ちゃん(男)のその後の闘病記です。</description>
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<title>１２/１２</title>
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<![CDATA[ <p>１２/１２</p><p>午前４：３０過ぎ　病院から電話</p><p>「ご家族に連絡してください」</p><p>え？うそでしょ？</p><p>テレビで何度もこんな場面があるからお父さんは大丈夫と急いで病院に向かう。</p><br><p>５：００過ぎ　病院につく</p><p>あさい呼吸、</p><p>どこを見ているかわからない瞳、</p><p>痛み止めの点滴、</p><p>熱を下げる点滴　(「熱あるんですか？」と聞くと、「先生に言われています。」と言われる。)</p><br><p>手足が冷たい。</p><p>何もできないので第二の心臓の足の脹脛のマッサージを始める。</p><p>娘は、手を握りながら耳元で「いかないで！お願いだから！お願いだから！」と話しかけている。</p><p>何十分もやっているうちに必死でマッサージを続けると、身体があたたかくなってきた。</p><p>娘と今日は大丈夫そうだね。などと話していた。</p><br><p>夜が明けた。</p><p>７：３０　姉夫婦が駆け付けた。</p><br><p>そのうちに、</p><p>口から、鼻から、嘔吐物が出た。</p><p>看護婦さんにバキュームしてもらう。</p><p>こんなに入っていたの。というぐらいの量があった。</p><p>そして苦しいのか肩を大きく二回動かす。</p><p>バキュームは続いた。</p><p>すると、のどぼとけが静かになって、いきなり動かなくなっている。</p><br><p>何？どうしたの？なに？おきて！おきて！おきて！と叫んだ。</p><br><p>７：５０　呼吸が止まった。</p><p>何度さすっても、何度叫んでも反応がない。</p><br><p>看護婦さん</p><p>「先生が向っています。」</p><br><p>なかなか先生が来ない。</p><br><p>そして、ついに</p><p>８：２９　死亡確認時刻を言い渡されてしまった。</p><p>ついに、この日が来てしまった。</p><p>まだまだ時間が残っていると信じてうたがわなかったのに・・・</p><br><p>窓の外は、冬晴れ。</p><p>凛とした寒さの中、魂が離れてしまった。</p><br><p>私の弟も付いた。</p><br><p>息子一家は、先日産まれたばかりの赤ちゃんを連れて、こちらに向かっている途中渋滞に巻き込まれてしまった。</p><p>亡くなった時は、銀座。</p><p>もう少しでで逢えたと思うと、残念。</p><br><p>あれだけ、茨城に帰りたいと願っていたのに実現できず。</p><br><br><p>でも、これからどうすればいいの。</p><p>東京から茨城にどう変えればと思ったが、地元の知り合いのセレモニーに連絡。</p><p>「僕がいくまでまてますか？」</p><p>もちろん。どれだけ心強いか。待ってます。</p><p>感謝でいっぱい。</p><br><p>迎えに来てもらって、</p><p>１１：３０　病院をでる。</p><p>先生、看護婦さんたちが見送りをしてくれた。</p><br><p>午後１：３０　やっと家についた。</p><p>やっと苦しみから解放され、家で眠ることができたネ。</p><br><p>"魂になったら宇宙に帰るから"</p><p>と言っていたから、</p><p>最後に届いた宅配便は【アポロ１１号】。</p><br><br><p>皆様、沢山の応援のメッセージをありがとうございました。</p><p>心の支えだったはずです。</p><br><p>告別式が終わり、納骨した直後、</p><p>娘が呟いた。</p><p>「もしかして虹？」</p><p>冬晴れの空のあいまから虹がうっすらと顔を出していた。</p><br><p>岡ちゃんの妻</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11733469199.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Dec 2013 12:12:34 +0900</pubDate>
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<title>皆様ありがとうございました。</title>
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<![CDATA[ <p>岡ちゃんの娘です。</p><br><p>皆様、ありがとうございました。</p><br><p>連絡が遅くなりましたが、</p><p>Ｈ２５　１２/１２　</p><p>父、岡ちゃんは永遠の眠りにつきました。</p><br><p>父は最後まで、このブログの事を気にしていました。</p><p>モルヒネでうつろうつろとしている時、</p><p>「ブログの皆さんが応援してくれているよ。」</p><p>と伝えると、</p><p>「そっか。頑張らないとね。」</p><p>と言っていました。</p><br><p>皆様には私、岡ちゃんに娘も勇気と元気をいただきました。</p><p>ありがとうございました。</p><br><br><p>母が父の最期状況を書いていたので、こちらに書かせていただきます。</p><br><p>【１２/１１</p><p>モルヒネ投与　３日目</p><br><p>モルヒネであまり反応がないが、娘が耳元で声をかけている。</p><p>そうすると、途切れ途切れだがきちんと受け答えができる。</p><br><p>三日前の姿とはあまりにも違うのに驚いてしまった。</p><p>しかし、またすぐにいつもの状況になると疑いもしなかった。</p><br><p>「待ってた？」</p><p>「やっぱり私がいないと落ち着かないでしょう」</p><p>と耳元で声をかけると、</p><p>やっと手をあげ髪をなでるしぐさをしてくれた。</p><p>それが最期の愛情表現だったと後になって気づく。</p><br><br><p>主治医から話があると、娘と二人で説明を受ける。</p><p>画像を見せてもらうと、腹膜の中が癌で覆われていた。</p><p>腸閉塞で苦しいと聞いていたのでなんとかその部分を通してほしいと思っていたが、</p><p>腸すべてが癌に覆われ、</p><p>何か所も腸が締め付けられている状態だと知った。</p><br><p>主治医は</p><p>『今年いっぱいですかね。』</p><br><p>「え？そんなに早いんですか？」</p><p>もう言葉を失ってしまった。</p><br><p>夫が</p><p>『痛い痛い。』</p><p>と言うたびに、モルヒネを投与しているということをはじめて知った。</p><p>まともに会話できなかったので、</p><p>もう少し、ちゃんと主人と話をしたいと伝えると、明日はモルヒネの量を調整してくれるとのことでした。</p><br><p>『今日はしっかりと眠れるように、強めの睡眠剤を使いますね。</p><p>この睡眠剤を使うと呼吸が浅くなることがありますよ。』</p><br><p>正直、一日眠っているので、睡眠剤はいらないと思っていた。</p><br><p>病室に戻り、顔を見ると、明日はしっかりと受け答えができると思いっていた。</p><br><p>「あしたね。」</p><p>明日を信じて、娘と東京の自宅へ戻る。</p><br><p>岡ちゃんの妻】</p><br><br><br><br><p>父の最後の食事は氷でした。</p><p> </p><p>ハーゲンダッツが甘すぎて美味しくなくなり。</p><p> </p><p>レモン味のカキ氷　サクレ　がおいしくなくなり。</p><p> </p><p>ガリガリ君が美味しくなくなってしまった。</p><p> </p><br><p>１２/１１父が寝言で「吉野家の牛丼がうまかった。」</p><p>と言ったので、思わず笑ってしまった。</p><p>父は死ぬ前に、自家製餃子と鰻とハンバーグが食べたいと言っていた。</p><p>なぜかと聞くと、もう絶対に食べられないから。と答えた。</p><p> </p><p>食べさせてあげたかったな。</p><p> </p><br><p>１１日、仕事を休み一日中父の横で手を握りながら話しかけていた。</p><br><p>父が起きた時に、</p><p>「茨城に帰りたい？」と聞くと</p><p>『うん。帰りたい。』</p><p>と答えた。</p><p>何とか帰してあげたかったが、できなかった。</p><br><p>しかし、もしあの状態で、茨城の病院に空きが出ても動かせる状況ではなかっただろう。</p><p>Yさん色々とありがとうございました。</p><p>感謝しています。</p><br><p>岡ちゃんの娘</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11732135670.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Dec 2013 07:36:15 +0900</pubDate>
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<title>悶え苦しむ</title>
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<![CDATA[ <br>12月7日、土曜日。<br><br>いくつかの下剤を増量しているが、出ない。排便無しが、今日で5日目、6日目か？ のたうち回る苦しみ。悶絶寸前。状況はますます悪化している。<br><br>05:30 吐き気がしたので、指を喉の奥まで挿入。大量の黒っぽい吐瀉(吐く)物。やはり、腸が閉塞し、腸液が胃まで逆流しているようだ。少し楽になった気がする。<br><br>今日は退院する予定だったが、とても退院は無理。入院を延長する。<br><br>明後日の午後、茨城県つくば市のT病院の緩和ケア科で打ち合わせ、初診の予定だったが、妻と義兄に代理で行ってもらうことにした。<br><br>10:20 再び、大量の嘔吐。朝食の時に服用した薬剤、ガスモチン、マグラックスなどがまだ完全に解けずに、白い粒つぶのまま出てきた。<br><br>足の浮腫みは無くなってきた。<br><br>11:00 S医師診断。<br>ステロイド系薬剤の使用など、様々な処方を説明してもらう。<br><br>「お任せします」<br><br>と答える。<br><br>先ず、胃腸の動きをより活発化するために、パントール、プリンペランの点滴を開始。<br><br>強烈な下剤、プロスタルモンFの点滴もすることにする。<br><br>レスキュー鎮痛剤のオキノーム、3時間は持たないぐらい、痛みがひどくなってきた。<br><br>12月8日、日曜日。<br><br>状況は改善しない。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11724024706.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Dec 2013 18:24:50 +0900</pubDate>
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<title>お腹の張りと激痛</title>
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<![CDATA[ <br><br>生きています。<br><br>12月6日、金曜日。<br><br>まだ排便無し。のたうち回る。<br><br>08:00 鎮痛剤オキシコンチン40mg。<br>下剤ラキソベロン25滴服用。<br><br>10:00 復水を抜く。<br><br>まだ、残っている復水を抜く。月曜日、水曜日、金曜日と今週3度目。計画では、今日は2時間で5リットル抜く。<br>しかし、2時間40分かけても、3.6リットルしか出ない。今週合計7.6リットル。<br>足の浮腫みは無くなってきた。だが、まだ腹部の張りは全面的に残っているし、張りによる痛みもほとんど変わらない。<br><br>I医師、S医師と話し合い。<br>これだけ復水を抜いても、お腹の張りも、張りによる激痛もほとんど緩和されないのは、これらの主原因が復水ではなく、別にあること。考えられる主原因は次の二つ。<br><br>1)腫瘤(シュリュウ、癌のこぶ、癌のかたまり)自体が既にお腹のなかに充満し、張りを引き起こし、腸を含めて様々な臓器を圧迫し、神経の圧迫、炎症を引き起こしている。この場合は、手の施しようは無い。モルヒネなどの麻薬を連続投与する以外に痛みを緩和する手立てはない。<br><br>2)腸閉塞(イレウス)が起きている。<br>成長、拡張した腹膜播種(ふくまくはしゅ)が腸の閉塞、腸をどこかで閉じてしまっていて、水も物もそこで堰き止め<br>られて、堆積している。この場合は、腸の動きを活発化させて、堰を打ち破り、水、固形物が流れるようにする。<br>もちろん、大量の鎮痛剤の服用もこの原因のひとつ。鎮痛剤は腸の動きを不活発化させる。<br><br>原因を特定するために、午後、X線CT撮影、検査をする。<br><br>わかった。<br><br>腸が堰き止めらている。そこから上の腸、胃に水、物が溜まり、パンパンに腫れていた。一過性の腸閉塞とのこと。<br>やることは一つ。<br><br>堰(せき)を如何に打ち破るか？<br><br>だ。<br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11722493318.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Dec 2013 03:17:24 +0900</pubDate>
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<title>焼酎と十二の瞳。大分に行きたかった(5)</title>
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<![CDATA[ <br>12月5日、木曜日。<br><br>今日も病院のベッドの上。今年の1, 2月や10月の入院の時には外出許可がおりて病院の外に散歩に出かけることが、とても楽しみだったが、今は、いろいろな痛みのために、とても散歩に出かける勇気と元気がない。いつでも外出して良いですよ、と言われているが。<br><br>昨日の夕方からは下腹部の激痛に悶え苦しんだ。<br>ベースの鎮痛剤オキシコンチンの一回の投与量を25mgに増量してから、二日間排便無し。一昨日は検便のために、どうしても便を出す必要があったので、二時間以上便座の上に座り、唸りながら小指の先ほどの極小な塊をひねり出した。<br>昨日も朝から出ない。痛みはどんどん増し、夕ご飯は一口も食べられず。会社帰りに娘が毎日届けてくれる果物も手が出ない。<br><br>便秘は麻薬系鎮痛剤の服用では100%起きる副作用。<br><br>18:30 下腹部に強烈な痛み。緊急鎮痛剤オキノームを5mg服用。<br><br>19:00 冷や汗が出始める。熱も37.3度まで上昇。腰もひどい痛み。<br> ナースコール。血圧が110 ～ 154と我が人生の最高値になる。浣腸をお願いするが、浣腸の可否は看護師の判断ではなく、ドクターマターとのこと。座薬を挿入してもらう。氷枕のうえで60分間待ってトイレに行くが、少し固形物が出ただけで下腹部の強烈な張り、痛みはほとんど変わらない。<br><br>20:00 ドクターが浣腸を許可。<br>処置室で300ccの浣腸を二回。ちょっと茶色に色付けしたお湯が勢い良く押し戻されるだけだ。<br><br>20:30 <br>鎮痛剤オキシコンチン 25mg<br>鎮痛剤オキノーム 5mg<br>マグラックス 3錠<br>リパクレオン 4錠<br>下剤アローゼン 2包<br>ほとんど同時に服用する。<br><br>21:30 やっと下腹部の痛みが和らいできた。鎮痛剤が効いてきたのだろうか？<br><br>22:00 睡眠薬マイスリーを10mg飲んで就寝。<br><br>ほぼ2時間おきにオキノームを服用した為か、良く眠ることができた。<br>不思議なことに、これまでは左腕を下にした左向きでしか眠ることができなかった(それ以外の姿勢は痛い)が、昨夜は右向きでも眠ることができた。なぜだろう？<br><br>朝食もピーナッツバターを塗ったトーストを含め、3分の2ほど食べることができた。ホッとする。<br><br>午前中、S, I医師と相談し、鎮痛剤の量を再び増やすことにした。<br>ベースのオキシコンチンを1日50mgから80mg(一回40mg)へ。レスキュー鎮痛剤のオキノームを一回5mgから10mgにする。<br><br>午後、シャワーを浴びながら鏡に映る自分の身体を見て、ゾッとする。そこに映っているのは、栄養失調のために動くことが出来なくなり、ベッドに横たわった、骨と皮だけなのに腹だけが異常に膨らんだ人間だ。私も栄養失調なのは間違いないだろう。食べられる食事の量が激減し、せっかく取った栄養も、その多くを元気いっぱいな癌細胞たちに略奪されているのだろう。<br>S医師からは、食事がとれない時には栄養補助ゼリーを食べることを推奨されている。<br><br>ちょうど一年前の12月に茨城県つくば市のT病院で受診した人間ドックで膵臓に2～3cmの影があること、膵臓がんの可能性があることを指摘された。つくば市のT病院では40歳以降、毎年人間ドックを受診していた。<br>東京のT病院で精密検査を受けた。東京のT病院は膵臓がんの治療で、手術数も含めて実績があり、かつ、職場からも行き来が楽なので選んだ。全国の医師達からは”日本一の病院”だと評価されていることは、後に知る。<br>残念ながら、膵臓がんだった。それもステージ4、余命(生存期間中央値)が9ヶ月であることを宣告された。腹膜にも転移し、ステージは最末期の4bであること、生存期間中央値が8ヶ月であること、一年生存確率は20%以下であることが判明するのは年が明けた1月初旬の回復手術によってだった。<br><br>あれから私は、”人生の整理”を始めた。先ず、”物の整理”。カード、銀行口座、保険の整理に始まり、本や書類の整理、我が家の整理(水周りのリフォーム、蔵や納屋の補修、補強)などをしてきた。これからは、”想い出の整理”だ。<br><br>大分に行きたかった(5)。焼酎と十二の瞳。<br><br>別府の亀川温泉街の宿で勉強を終えた後、ひと気の途絶えた道を散歩しながら、時々、屋台でおでんとお酒を飲んだ。初めて屋台に入って椅子に座り、<br>「お酒をぬる燗で」<br>と注文したら、<br>「白波？ 二階堂？」<br>と屋台のオヤジさんに聞かれ、キョトンとした。オヤジさんは、私が”素人”であることを、すぐに見破ってくれたようだ。<br>「お客さん、どこから？」<br>「東京です」<br>「そうか、これが白波、こっちが二階堂。こっちで酒と言ったら焼酎だよ。白波が芋、二階堂が麦」<br>と言いながら、ボトルを私の目の前に並べてくれた。白波は見たことがあったが、二階堂という焼酎は初めて見た。それまで焼酎は飲んだことがなかった。レッド、トリス。必ずひどい二日酔いになれるウイスキーだった。その後、ホワイト、ブラックニッカ、そして角。まだまだオールドは高級ウイスキーで手が届かなかった。<br>二階堂を注文した。不思議な味(?)だった。<br>あれ以来、私が自宅で飲む焼酎は二階堂だ。<br><br>ある時、勉強を終えて宿の3.5階にある<br>”海の見える展望風呂”で、一人貸し切り状態でのんびり湯船につかっていると、右後方、右斜め上方から不思議な光線圧、エネルギーを感じた。振り返ると、たくさんの”お姉さん(40歳代？)”達が、男風呂と女風呂をしきっている壁の上から顔を出して私をじっと見つめている。その瞳は二十四はなかったと思う。多分、6人様ぐらい。十二の瞳だった。お風呂で覗かれたのも、その時が生まれて初めてだった。<br><br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131205/18/okachan1340/2f/6e/j/o0480064012771250251.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131205/18/okachan1340/2f/6e/j/o0480064012771250251.jpg" alt="photo:01" width="300" height="400" border="0"></a></div><br clear="all"><br>病院の入院病棟に飾られたクリスマスツリー。<br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11718349138.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Dec 2013 15:02:20 +0900</pubDate>
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<title>大分に行きたかった(4)</title>
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<![CDATA[ <br><br>12月4日、水曜日。<br><br>今日も病院のベッドの上にいます。<br><br>一昨日のブログで、”私のお腹の中にいるエイリアンがお腹の肉を食いちぎりながら飛び出してくる”と記述したが、もちろん冗談です。しかし、今、私が置かれている状況は、まさにこの比喩がピッタリだ。<br><br>以前は鳩尾(みぞおち)の辺りを手で触ると、硬いガンの塊を見つけることができたが、今では、手で触らなくとも、目で十分に原発巣(げんぱつそう=最初に発生したがん、英語ではprimary lesion。直訳すると、”最初の病変”かな？)の成長を確認できる。私のガンの原発巣である膵臓がんの塊は鳩尾の辺りから飛び出そうとしている。本来は小さな臓器である膵臓がガンのために巨大ナマコのようになり、パンパンに腫れ、炎症を起こしている。痛くないわけがない。おへその上に正体を現しつつあるのは、原発巣ではなく膵臓から転移した腹膜播種(はしゅ)の一つか？ 既に転移し肝臓に取り付いたガン細胞はどの様に成長し、顔を現すのだろうか？<br>これらの痛みは、帯状疱疹の痛みとそっくり。ちょっと触るだけで痛む。<br>今、Tシャツを乳首の辺りまでめくり上げてベッドの上にいる。<br>毎朝、日毎に大きくなっていくこれらの塊を見るのは、ツライ。恐怖だ。<br><br>昨日は、鳥取の米子出身の先先代の社長、Yさんから激励のメールをいただく。ありがとうございます。<br><br>「人は誰でも一冊は素晴らしい小説を書くことが出来る」<br>といった文芸評論家、小説家は誰だったか。<br> 人は誰でも波瀾万丈、涙あり、笑いあり、人生の苦悩あり。裏切りと打算、友情あり。愛と別れがある一生を送る。<br><br>大分に行きたかった(4) : <br><br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131204/16/okachan1340/cf/58/j/o0480064312770095580.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131204/16/okachan1340/cf/58/j/o0480064312770095580.jpg" alt="photo:01" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>一昨年、大分工場に出張に行ったついでに、”やまなみハイウェイ”を由布院までドライブした。写真は、由布院盆地を見おろす峠の茶屋から眺めた由布岳。<br><br>大分には、難読な地名がたくさんあります。<br><br>安心院(あじむ)<br>鉄輪(かんなわ)<br>日出(ひじ)<br>大神(おおが)<br>国東(くにさき)<br><br>みんな、懐かしい地名だ。<br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11717583913.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Dec 2013 13:48:31 +0900</pubDate>
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<title>独学。大分に行きたかった(3)</title>
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<![CDATA[ <br>12月3日、火曜日。<br><br>一昨日の晩からベース鎮痛剤オキシコンチンを25mgに増量した影響か、昨日からずっと便秘。昨日も腹水を2リットル抜いたので、張りは少し引いてきたが、今度は便秘による張り。なかなか難しい。レスキュー鎮痛剤のオキノームは昨日は3回、15mgだけの服用で済んだ。今朝の体重は59.7Kg。昨日よりも2Kg減。ちょうど抜いた腹水の重さ分だろう。<br>今日も便秘のままだ。ただし、痛みは楽になってきている。<br><br>私は大学では物理を専攻した。しかし、物理学に関係の無い文学本を乱読したり、映画を一年間で200本観たりする、物理学科生としては劣等生だった。量子力学は最期までよくわからなかった。フランスのヌーヴェルヴァーグの映画を観るために御茶ノ水のアテネ•フランセに通ったり(物理学科の友人がフランス語を学ぶために通っていた)、銀座の並木座(今はない)、池袋の文芸座(倒産し、今は新文芸座)などの名画座、それも週末のオールナイト5本立てなどを観るために通った。日活ロマンポルノ5本立てもよく観た。<br><br>会社に入社したとき、仕事、配属先は品質管理部を希望した。物理学科で品質管理は学ばない。品質管理部を希望したのは、入社試験の後の技術部長たちによる面談試験で、品質管理部の部長(今は故郷の熊本で暮らしておられるDさん)が、最も優しく私に質問し、接してくれたから。他の製品技術部長、装置技術部長、開発部長などは、皆様、冷たく難しい技術的な質問をたくさんしてくれた。技術面談の後に、採用•人事担当者の質問、<br>「岡ちゃん、希望職種、配属先は？」<br>に、<br>「品質管理部で働きたいです」<br>と答えたところ、<br>「珍しいね」<br>と言われた。<br><br>1979年12月、別府市のとなり、日出(ひじ)町の別府湾に突き出た半島のミカン畑の上に建つ大分工場で3ヶ月間働くために別府の温泉宿に投宿した。働くというよりも、研修。私の採用先は埼玉工場だった。<br><br>東京のアパートを引き払い、大分に行く前に、新宿の紀伊国屋書店に立ち寄り、品質管理に関する本を5冊買い込んだ。品質管理工学のコーナーがあり、品質管理工学、信頼性工学や統計的品質管理に関する本がたくさんあるのには驚いた。学生時代には足を踏み入れることがなかったエリアだった。<br>品質管理部を希望したのに、品質管理のことを何も知らない素人のままではマズイと考えた。<br>品質管理とは？<br>統計的品質管理入門<br>信頼性工学入門<br>など5冊の本を別府行きのボストンバッグに詰め込んだ。<br><br>会社から仕事を終えて別府の亀川温泉の宿に帰り、最上階、3.5階の海(別府湾)が見える大浴場で汗を流し、ナマコ酢がもれなく付いている夕食を食べた後は、毎日1時間半は部屋でこれらの品質管理の本を学ぶことを日課にした。当時は、私はまだ毎日酒を飲む習慣はなかった。<br>私のOJT(On the Job Training)リーダー、いわゆる新入社員教育担当者のIさんに、前の晩に学んで不明な部分を朝会社で質問しても、私の質問内容もよく理解出来ないようで、対応はちんぷんかんぷんだった。Iさんも品質管理部の技術者なのに不思議だった。仕方なく、ほぼ100%独学した。いつしか、Iさんは、<br>「岡ちゃんは質問が多過ぎる。教育担当から外して下さい」<br>と上司に懇願していた。Iさんには、土日は一人で寂しいだろうと、何度か釣りに連れて行ってもらったり、公私ともに随分面倒を見てもらった。当時は、Iさんだけではなく、会社の品質管理のレベルがそんなものだったのだろう。<br>大分工場でD部長のところに挨拶<br>に行った時、<br>「埼玉工場に行く前にこの本を読んでおきなさい」<br>と手渡された本が、品質管理入門という本だった。計6 冊の本を3ヶ月間、独学した。埼玉工場に出社した1980年の4月には、最も統計的品質管理を理解している品質管理技術者になっていた。<br><br>そんな別府の温泉宿での生活を始めて2週間ほどしたとき、宿の女将さんが、<br>「岡ちゃん、今日の勉強は終わったの？ ところで、マージャンはできる？」<br>と聞いてきた。私は物理学はそんなに真面目に勉強しなかったが、マージャン(麻雀)はかなり真面目に勉強していた。それなりの投資もしていた。<br>「女将さん、マージャン出来ますよ」<br>と答えたところ、<br>「それはよかった。私、ちょっと忙しくなったので、2、3時間、代わりに打ってくれない？ 1階の雀荘(じゃんそう)に行って。お父ちゃん達が待っているから」<br>とのこと。1階の雀荘に行くと、宿のオヤジさんと二人の40歳半ばかとおもわれる男の人たちが私を待っていた。<br>オヤジさんが、<br>「岡ちゃん、さっそく始めよう」<br>と挨拶もそこそこに麻雀牌をかき混ぜ始めた。お客さんの二人は、普通(？)のサラリーマンではなさそうだった。教えてもらったゲームのレートが20歳代のサラリーマンには高過ぎたので驚いたが、オヤジさんの、<br>「心配しなさんな。大負けしたら、お店でもってあげるから」<br>との言葉でゲームが始まった。<br><br>3ヶ月間続くゲームのスタートだった。<br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11716945283.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Dec 2013 13:22:07 +0900</pubDate>
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<title>延命治療中止。大分に行きたかった(2)</title>
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<![CDATA[ 12月2日、月曜日。<br><br>東京は今日も朝から雲一つ無い青空。<br><br>先週で抗がん剤TS-1の服用を止めた。中断ではなく、やめることを決断した。今年の2月から11月までの10ヶ月間、抗がん剤ジェムザールとTS-1による延命治療をしてきたが、先週で延命治療はおしまい。抗がん剤による延命治療の目的は、ガンを退治すること、ガンを治すことではなく、ガン細胞の成長の邪魔をし、増殖のスピードを少しでも遅くすること。残念ながら、胃がん、大腸がん、肺がん、膵臓がんなどの固形ガンを退治する抗がん剤は、まだ無い。<br><br>もう、延命治療の時は過ぎた。これからは緩和ケアの段階に入る。もちろん、これらは私の生き方に根ざした、私の個人的な判断。人によっては、最期まで抗がん剤を飲み続ける人もいると思う。最期まで、新しい治療法を追い続ける人もいるだろう。それも、その人の生き方。<br><br>従って、緩和ケアの目的は、治療、延命ではなく、いかにして痛みを和らげ、残された余命(数週間？数ヶ月？<br>わからない)を過ごすかになる。<br><br>夕べは、久しぶりに、実によく眠ることができた。<br><br>19:00 レスキュー鎮痛剤オキノームを5mg服用。<br><br>20:00 ベース鎮痛剤オキシコンチンを増やし25mg服用。<br><br>22:00 睡眠薬マイスターを10mg服用して就寝。<br><br>03:50 次に目が覚めたのは、03:50 トイレのためだった。約6時間、連続して眠ることができた。<br><br>05:00 痛みが出る前にオキノームを5mg服用。<br><br>06:00 起床。<br><br>足のむくみはひどい。足のむくみは、主に腹水が増加して、太もも付近のリンパ管を閉塞気味にし、足に行ったリンパ液が戻ってくることができず、足に滞留するために起こるようだ。これも、がんの最末期症状の一つ。看護師がリンパマッサージをしてくれた。少し楽になる。足枕も持ってきてくれた。足先を少し持ち上げて、リンパ液が戻り易くする。<br><br>このように、9月以降に私の身体に現れた不都合(?)は、全て腹水の増加とがん細胞の成長、増殖による他の臓器への空間的、物理的圧迫に起因していた。<br><br>胃の幽門部、十二指腸を圧迫、閉塞し、消化不良、食事障害を誘発。<br><br>腹水の増加による下腹部の張り、痛み。<br><br>腹水の増加によるリンパ管の圧迫、リンパ液の循環障害、足のむくみ。<br><br>次は何？<br><br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131202/16/okachan1340/fe/e8/j/o0480036012768132046.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131202/16/okachan1340/fe/e8/j/o0480036012768132046.jpg" alt="photo:01" width="300" height="225" border="0"></a></div><br clear="all"><br>今日の朝食。おかずはほぼ食べた。お粥は、見るのも嫌になってきた。<br><br>10:00 S医師が私の病室で腹水を抜いてくれた。11時までの1時間で2リットルの腹水を抜いた。2リットルが一日に抜ける上限らしい。一気にそれ以上抜くと血圧低下などの副作用のリスクが急に高まるようだ。まだ張りは残っているが、下腹部の痛みは少し緩和された。<br><br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131202/16/okachan1340/54/9c/j/o0480036012768132043.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131202/16/okachan1340/54/9c/j/o0480036012768132043.jpg" alt="photo:02" width="300" height="225" border="0"></a></div><br clear="all"><br>昼ごはんから、お粥食ではなく、パン食に変更した。久しぶりにトーストにマーガリンを塗って食べた。今はパン食の方が食べやすい。<br><br>話題急変。<br><br>1)ナマコはウマい。<br><br>ナマコの旬は12月からの冬、寒くなってから。ナマコは、暖かくなると冬眠ではなく夏眠してしまう。夏のナマコは美味しくない。夏、寿司屋でナマコ(海鼠)酢を注文するのは、ヒラメのにぎりを注文するのと同じように、恥ずかしいこと。夏のヒラメは、”猫またぎのヒラメ”という。魚が大好きな猫ですら食べずにまたいで通り過ぎるという。ただし、夏が旬の鯵(アジ)釣りをしていて、釣れたアジを釣り針に掛けたまま海底近くに泳がせておくと、時々、ヒラメが釣れる。私もそうして釣った8月のヒラメを何度か食べたが、実はそれなりに美味しかった。<br><br>私がナマコを初めて食べたのは、34年前の12月、大分県別府市のJR亀川駅(別府駅から日豊本線を福岡方面に二駅)近くの温泉宿、ホテルSだった。投宿初日の夕ご飯にナマコ酢が出た。ビールを飲みながら食べた。生まれて初めてのナマコ。美味しかった。給仕をしてくれた女将さんに、<br>「初めて食べました。ナマコって、とても美味しい食べ物ですね」<br>と言ったところ、その日から一ヶ月間夕食に必ずナマコ酢が出た。さすがに飽き、ナマコ酢攻撃の中断を申し出た。ただし、あの時、私はまだナマコの実物を見たことはなかった。もし実物を知って、触ったことがあったなら、あれほど一目惚れ(?)したかどうかは分からない。<br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11716365399.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Dec 2013 13:55:22 +0900</pubDate>
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<title>大分に行きたかった(1)</title>
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<![CDATA[ <br>12月1日、日曜日。<br><br>一昨日、金曜日、昼に腹水を2リットル抜いた夜は、体温が一時的に38度を越えた。念のため採血、採尿して血液と尿の細菌検査をしたが異常なし。昨日の朝は37.1度まで自然に下がり、今朝は36.3度と平熱に戻った。ただし、お腹の張りと痛みに大きな変化はない。お腹の痛みは、大きく分けて二つ。<br><br>一つは鳩尾(みぞおち)とヘソの少し上の二箇所に現れている膨張した膵臓ガンがますます拡張し痛みを引き起こしている。この二箇所から、もうすぐお腹の肉を突き破り、エイリアン(？)の様な異様な生物が顔をのぞかせるようだ。私はオカルト、ホラー映画は好きではなく観たことはないが。この痛みは、一昨年経験した帯状疱疹(たいじょうほうしん)の痛みに似ていて、ちょっと触るだけて痛い。帯状疱疹になった時は、Tシャツが乳首に触れるだけで飛び上がるほど痛み、夜中に着ていたTシャツの胸のあたりを二箇所、ハサミで切ってしまったこともあった。<br>もう一つは、お腹の張りの痛み。今回、腹水を抜くことで少しは緩和されるかと期待したが、2リットル抜いただけではまだ張りが残り、痛みも同じままだ。<br><br>しかし、鎮痛剤を増量することで、昨日、今日はどうにかすごした。<br>昨日の朝の回診時に、担当のS医師が、<br>「遠慮しないで、どんどんやりましょう。岡ちゃん、ちょっと遠慮していませんか？」<br>と、無礼講の宴会の開会の挨拶のように明るく提案してくれた。もちろん、お酒ではなく、鎮痛剤のこと。この言葉を聞いた後は、ほぼ3時間おきにレスキュー鎮痛剤のオキノームを飲んでいる。<br><br>今朝の朝の回診時に、S医師が<br>「明日まで待たずに、今日これから腹水を抜きましょうか？」<br>と提案してくれたが、<br>「いや、明日でも大丈夫です。明日にしましょう」<br>と遠慮してしまった。なんとなく、私の心の準備(?)が出来ていなかった。<br>若いS医師は常にアグレッシブだ。<br><br>今夜からはオキノームではなく、ベース鎮痛剤のオキシコンチンの量を、一回20mgから25mgに増やすことにした。<br><br>食事はあいかわらず。何を食べても味気なく、美味しくない。無理矢理、ほんのちょっとだけ、食べる。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131201/17/okachan1340/a1/42/j/o0480064012767062733.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131201/17/okachan1340/a1/42/j/o0480064012767062733.jpg" alt="photo:01" width="300" height="400" border="0"></a></div><br clear="all">今日の朝食。豆と鶏肉などのトマト煮込みは全て食べた。<br><br>昼食もほとんど食べることができなかった。<br><br>昼に姉夫婦がお見舞いに来てくれた。いま、話をすることも疲れるので、身内以外のお見舞いの申し出は全てお断りしている。我儘言って申し訳ありません。姉夫婦と入れ違いで娘が来てくれた。メロンを主としたカットフルーツを買ってきてくれた。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131201/17/okachan1340/bc/40/j/o0480064012767062727.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131201/17/okachan1340/bc/40/j/o0480064012767062727.jpg" alt="photo:02" width="300" height="400" border="0"></a></div><br clear="all"><br>これは全てたいらげた。果物でもリンゴなどよく噛まなければならないものはダメだ。メロン、マンゴーなどはまだそれなりに美味しく食べることができる。<br><br>今月の14日には、毎年恒例の茨城工場出身者が10人ぐらい集まる忘年会が茨城の土浦市のおばちゃんが一人でやっている鉄板焼屋で予定されている。去年までは、一番の若造の私が万年幹事だったが、今年からは今年定年退職したEさんにバトンタッチした。届いた案内メールに出席の返事をしていたが、今の状態ではとても無理なので、欠席にしてもらった。<br>今年は大分県からMちゃんが駆けつけてくれることになっていた。Mちゃんは茨城工場の工場長秘書を務めたりしていて大変お世話になった。彼女が東京本社勤務になってからも何かと面倒を見てもらった。久しぶりの再会を楽しみにしていたが、残念。彼女は茨城の土浦市出身だが、ダンナが大分県出身なので今は大分にいる。二人とも再婚。ダンナのMさんは私が大分工場にいた1984年からの知り合い。二人とも、実に人間的な、魅力的な人だ。<br>いま二人は大分のMさんの実家でお母様と暮らしつつ、大分市の府内町で素敵なBARをやっている。名前は<br>”猪鹿(いのしか)BAR”。<br>定番メニューが<br>白和え<br>お新香<br>自家製マリネ<br>とは、私のようなオヤジをくすぐる。今年、大分県鉄道路線制覇旅に行った時にお店に行く約束になっていたが、約束は果たせそうもない。大分に行きたかった。かわりに急遽、彼女が土浦市の忘年会に来てくれることになっていた。ゴメンなさい。<br><br>大分にはたくさんの知人、友人、恩人がいる。<br><br>私が最初に大分県に暮らしたのは1979年12月から1980年3月までの3ヶ月間だった。別府のホテルSという3.5階建ての温泉旅館に投宿し、大分工場に会社のバスで通勤した。当時はまだ車を買えるほどには貯金がなかった。<br><br>ホテルSはおじさん、おばさんが二人で営む小さな温泉旅館だった。ただし、鉄筋コンクリート造りのまだ新しい宿だった。なぜか、一階は雀荘(麻雀屋)。お二人とも、マージャンが大好き。<br><br>ここでの3ヶ月間、実に様々な面白い体験を私はすることができた。<br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Sun, 01 Dec 2013 16:14:39 +0900</pubDate>
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<title>入院し腹水を抜く。体調悪し。</title>
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<![CDATA[ 11月29日、金曜日。<br><br>夕べはよく眠れた。<br>抗がん剤TS1は昨日も服用しなかった。<br><br>20:00 鎮痛剤オキシコンチン20mg服用。<br><br>21:30 鎮痛剤オキノーム5mg服用。<br><br>22:00 睡眠薬マイスリーを5mg服用して就寝。<br><br>02:50 目が覚める。オキノーム2.5mg服用し眠る。<br><br>05:50 起床。<br><br>10:00 長男が運転する車で東京のT病院に到着。妻、義兄も一緒。<br><br>採尿、採血、超音波(エコー)検査。<br>久しぶりに担当のS医師、T消化器内科部長の診断。話す。<br><br>11:40 主治医のI医師の診断。<br><br>肝機能、腎機能、血液など全身状態には大きな異常は現れていない。しかし、エコー検査で腹水の”貯留多量''が確認された。<br>「緩和ケアを受けることになっている茨城県つくばのT病院で腹水を抜くか、ここですぐに抜いてしまうか、どちらにしましょう？」<br>との質問だったので、<br>「これからすぐに抜いてください」<br>とお願いする。<br><br>念のために、今日から入院することにした。入院のための荷物は車に積んできていた。<br><br>13:00 担当のS医師が腹水を抜き始める。1時間30分で2.0リットルの腹水を抜く。<br><br>13:30 2リットルの腹水を抜き終わる。<br><br>車椅子で10階の病室に移る。<br><br>15:30 ハーゲンダッツのバニラアイスを一つ食べる。<br><br>16:00 オキノーム5mg服用。<br><br>18:00 夕食。<br><br>体がだるい。<br>食欲が無い。ほとんど手をつけず。<br><br>お腹の張りもあまり緩和された感じではない。2リットルでは不足で、明日か月曜日にもっと抜いてもらおうか。足の浮腫み(むくみ)もひどい。<br>1時間おきの下痢は続いている。便を軟らかくする薬、マグラックスを毎食後3錠飲んでいるが、多すぎるのか？<br><br>19:00 オキシコンチン20mg服用。<br><br>体温が37.9度になっている。どうしたのだろう？ 37.9度は久しぶり。1月の術後の腸閉塞の時以来か？ 看護師が氷まくらを持ってきてくれた。<br><br>体調は悪い。<br><br>娘が見舞いに寄ってくれた。娘の友達のI看護師も顔を出してくれた。<br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/okachan1340/entry-11714686169.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Nov 2013 20:08:40 +0900</pubDate>
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