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<title>リストラさんのブログ</title>
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<title>あゝ二十年 - 上村松園</title>
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<![CDATA[ とうとう二十年来の肩の重荷をおろしましてほっといたしました。ふりかえってみますと、私が十五歳の折り、内国勧業博覧会に「四季美人図」を初めて出品いたしまして、一等褒状を受け、しかもそれが当時御来朝中であらせられた英国皇太子コンノート殿下の御買上げを得た時のことを思い合わせまして、今度皇太后陛下にお納め申し上げました三幅対「雪月花図」とは、今日までの私の長い画家生活中に、対照的な双ふたつの高峰を築くものだと考えます。自分の口から申すのも変ですが、今度の「雪月花図」こそは、それほど私がありったけの全精神を注いだ努力作品なのでございます。<br><br>　私がこの作品の仰せを蒙こうむりましたのは、今から実に二十年もの昔のことで、それはその当時宮中に奉仕しておられました三室戸みむろど伯爵を経てでございました。私はそれ以来、一日も早くこの御下命の作を完成しなくてはならぬと、それこそこの二十年間、一日たりとも疎おろそかに放念していたことはありませんが、何分常に他の画債に逐おわれ通しまして、もしかそういう作品にちょっとでも手を着けようものなら、忽ち精進一途の心が二つに割れまして、つい御下命作に筆を染めかねては、一日が一月になり、一月が一年になり、二年三年五年七年と、思わぬうちに歳月が流れさり、つい今日まで延び延びになりまして、一層恐懼きょうくいたしておるしだいでございます。<br>　もっともその間には、幾度か焼炭をあて、下図をつくりましたが、そのつど俗事と俗情に妨げられまして、どうしても素志貫徹にいたらず、まことに残念に存じていますうちに、これまた幾たびかその下図が古びたり、または損じてしまったりいたしまして、さらに幾ども取りかえ引きかえして今日に及びましたしだいです。<br>
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<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 13:04:39 +0900</pubDate>
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<title>アーニイ・パイルの前に立ちて②</title>
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<![CDATA[ この劇場の荘麗華美なるに対して、有楽座から日比谷映画劇場、喫茶カテイ、名物食堂にいたる東宝系一帯の地域が、如何に陰惨な、汚穢な塵溜めのような、掃除の行届かざるを実見して、親の心、子知らずと言うべきか、何という無神経であるかと口惜しく思うのみである。<br>　この破壊された戦災地のあとには、仮小舎がそれからそれへと新築されて、まばゆき電灯のにぎやかな店かざり、あつものの香り、食欲をそそる見本品、奥より漏るるレコードは『林檎は何も言わないけれど、リンゴの気持はよくわかる、リンゴ可愛や可愛やリンゴ』……レコードに合せて流行唄を歌いながら歩く若い人達によって、賑う街の中に、我関せず焉として、焼残った東宝系の建物のみは暗闇である。<br>　もと日東紅茶の店は、進駐軍の図書室として花やかに輝く時、筋向うの喫茶カテイの洋館四階建は真暗である。四ツ角五階建名物食堂も真暗である。自力で無い、他人様のおなさけで、インフレ景気に有頂天になっている東宝には、その内部から他力本願の虚を衝いて、赤化を夢みる幻影が、スクリーンに映されんとしている。しかしながら、彼等は必ずや「アーニイ・パイル」の行届いた経営方式に驚倒し、その後塵を嘗めて、よちよちながらも学ばんとするに至るであろう。
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709409794.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 13:04:02 +0900</pubDate>
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<title>アーニイ・パイルの前に立ちて</title>
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<![CDATA[ 私は、「アーニイ・パイル」の横文字が、淡い、うす緑の五線紙型ネオンサインの色彩の中に明滅するのを、ジッと見詰めていた。眼がしらが熱くうるおいそめて、にじみ出して湧いてこぼれて来る涙を拭く気にもなれない。誰れも見て居らない、泣けるだけ泣いてやれ、という心持ちであったかもしれない。私は、頬のあたりまで持っていったハンカチを再び下げて、唇を押えたまま、暫らくジッと佇んで居ったのである。<br>『何という綺麗な、立派になったことであろう』掃除の行届いた劇場前の人道は水に洗われて、並木の黒い影は涼風にうごいて居る。私がこの劇場を支配しておった頃は、並木の一、二本は必ず枯れたり、ぬき取られたりしていた。碁盤目のブロックには凹凸があり、欠けて掘り出されたままに放置されていたり、砂煙が低くつづいて舞うなど、その頃の光景を思い浮べて、空虚な、敗戦気分の意気地ないというのか、我ながら、心はずかしく憂鬱ならざるを得なかったのである。<br>　東西廻り階段の入口から、硝子戸を透して正面広間の紅い絨氈は、煌々と輝いている。軽い口笛と靴音と、ステップをそろえてのぼりゆく三々五々の米兵を限りなく吸い込むこの大劇場は――誰れが建てたのか、誰れでもないこのオレが建てたのだと、負惜しみのような、うぬ惚れのような、悲哀な快楽がムクムクと胸の底を突くと、心臓がいささか高なる、呼吸が迫るようになると、セセラめく微苦笑が浮んでくる。同時に、せめてもの慰みというのであろうか、昂然として、私には想像の自由が許されている、何人にも許されている、と、その意識的態度は俄かに濶歩となって、数十歩帝国ホテル側へ、数十歩有楽座側へ、靴音高く、ゆきつ戻りつ、アーニイ・パイルのネオンを見上げながら、私の空想は若い時代の夢を回顧せざるを得ないのである。<br>　五線紙型のネオンサインを、東京宝塚劇場の屋上高くかかげて、ドレミハソラシドの音律を、省線の電車の窓から、数百万の青年子女に唄わしめんとした私の計画は、新聞紙の広告をはじめとし、あらゆるポスターに楽譜の輪郭を描いて、宝塚を象徴せしめたのである。可愛いい音楽女学生は、その楽譜を読みながら唄う。
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709408748.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 13:03:35 +0900</pubDate>
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<title>ああ東京は食い倒れ</title>
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<![CDATA[ 戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。<br>　ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。<br>　先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。<br>　以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。<br>　ギョーザ屋とは、餃子（正しくは、鍋貼餃子）を食わせる店。むろん、これも支那料理（敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても）の一種だから、戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、もみぢでは、焼売シューマイと言うと、これを食わせていたものである。尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。<br>　僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。<br>　此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン（字を忘れた）という店が出来、新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。<br>　新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、野菜の油炒め、その他何でも、油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、<br>「うんと、ギドギドなのを呉れ」<br>　と註文している。<br>　ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行はやっている。<br>　もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709407788.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 13:02:44 +0900</pubDate>
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<title>ああしんど -　池田蕉園</title>
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<![CDATA[ よっぽど古いお話なんで御座ございますよ。私の祖父じじいの子供の時分に居りました、「三さん」という猫なんで御座ございます。三毛みけだったんで御座ございますって。<br>　何でも、あの、その祖父じじいの話に、おばあさんがお嫁に来る時に――祖父じじいのお母さんなんで御座ございましょうねえ――泉州堺せんしゅうさかいから連れて来た猫なんで御座いますって。<br>　随分ずいぶん永く――家に十八年も居たんで御座ございますよ。大きくなっておりましたそうです。もう、耳なんか、厚ぼったく、五分ぶぐらいになっていたそうで御座ございますよ。もう年を老とってしまっておりましたから、まるで御隠居様のようになっていたんで御座ございましょうね。<br>　冬、炬燵こたつの上にまあるくなって、寐ねていたんで御座ございますって。<br>　そして、伸のびをしまして、にゅっと高くなって、<br>「ああしんど」と言ったんだそうで御座ございますよ。<br>　屹度きっと、曾祖母おおばあさんは、炬燵こたつへ煖あたって、眼鏡を懸けて、本でも見ていたんで御座ございましょうね。<br>　で、吃驚びつくり致しまして、この猫は屹度きっと化けると思ったんです。それから、捨てようと思いましたけれども、幾ら捨てても帰って来るんで御座ごぎいますって。でも大人おとなしくて、何なんにも悪い事はあるんじゃありませんけれども、私の祖父じじいは、「口を利くから、怖くって怖くって、仕方がなかった。」って言っておりましたよ。<br>　祖父じじいは私共の知っておりました時分でも、猫は大嫌いなんで御座ございます。私共が所好すきで飼っておりましても、<br>「猫は化けるからな」と言ってるんで御座ございます。
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709402310.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 12:59:35 +0900</pubDate>
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<title>ああ玉杯に花うけて - 佐藤 紅緑 その3</title>
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<![CDATA[ かれはすべての者にこういってつっかかった、かれはいま中学校へ通っている、豆腐おけをかついだチビ公は彼を見ると遠くへさけていた、だがどうかするとかれは途中でばったりあうことがある。<br>「てめえはいつ見てもちいせえな、少し大きくしてやろうか」<br>　かれはチビ公の両耳をつかんで、ぐっと上へ引きあげ、足が地上から五寸もはなれたところで、どしんと下へおろす。これにはチビ公もまったく閉口した。<br>　かれが今町の入り口へさしかかると向こうから巌がやってきた、かれは頭に鉢巻はちまきをして柔道のけいこ着を着ていた。チビ公ははっと思って小路こうじにはいろうとすると巌がよびとめた。<br>「やいチビ、逃げるのかきさま」<br>「逃げやしません」<br>「豆腐とうふをくれ」<br>「はい」<br>　チビ公は不安そうに顔を見あげた。<br>「いかほど？」<br>「食えるだけ食うんだよ、おれは朝飯前に柔道のけいこをしてきたから腹がへってたまらない、焼き豆腐があるか」<br>「はい」<br>　チビ公が蓋ふたをあけると巌はすぐ手をつっこんだ、それから焼き豆腐をつかみあげて皮ばかりぺろぺろと食べて中身を大地にすてた。<br>「皮はうまいな」<br>「そうですか」とチビ公はしかたなしにいった。<br>「もう一つ」<br>　かれは三つの焼き豆腐の皮を食べおわって、ぬれた手をチビ公の頭でふいた。<br>「銭はこのつぎだよ」<br>「はい」<br>「用がないからゆけよ、おれはここで八百屋やおやの豊公とよこうを待っているんだ、あいつおれの犬に石をほうりやがったからここでいもをぶんどってやるんだ」<br>　チビ公はやっと虎口をのがれて町へはいった、そうして悲しくらっぱをふいた。らっぱをふく口元に涙がはてしなくこぼれた。<br>　どうしてあんなやつにこうまで侮辱ぶじょくされなきゃならないんだろう、あいつは学校でなんにもできないのだ、おやじが役場の助役だからいばってるんだ、金があるから中学校へゆける、親があるから中学校へゆける。それなのにおれは金もない親もない。なぐられてもだまっていなきゃならない、生涯豆腐とうふをかついでらっぱをふかなきゃならない。<br>　かれの胸は憤怒ふんぬに燃えた、かれはだまって歩きつづけた。
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709398639.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 12:58:55 +0900</pubDate>
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<title>ああ玉杯に花うけて - 佐藤 紅緑 その2</title>
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<![CDATA[ 　伯父はチビ公をつれてこのねぎ畑で昔の話をした。それからというものはチビ公はいつもねぎ畑に立ってそのことを考えるのであった。<br>「この家をとりかえしてお母さんを入れてやりたい」<br>　今日きょうもかれはこう思った、がかれはゆかねばならない、荷を肩に負うて一足二足よろめいてやっとふみとどまる、かれは十五ではあるがいたってちいさい、村ではかれを千三せんぞうと呼ぶ人はない、チビ公のあだ名でとおっている、かれはチビ公といわれるのが非常にいやであった、が人よりもちびなのだからしかたがない、来年になったら大きくなるだろうと、そればかりを楽しみにしていた、が来年になっても大きくならない、それでもう一つ来年を待っているのであった。<br>　かれがこのあぜ道に立っているとき、おりおりいうにいわれぬ侮辱ぶじょくを受けることがある。それは役場の助役の子で阪井巌さかいいわおというのがかれを見るとぶんなぐるのである。もちろん巌はだれを見てもなぐる、かれは喧嘩けんかが強くてむこう見ずで、いつでも身体からだに生なまきずが絶えない、かれは小学校でチビ公と同級であった、小学校時代にはチビ公はいつも首席であったが巌は一度落第してきたにかかわらず末席であった。かれはいつもへびをふところに入れて友達をおどかしたり、女生徒を走らしたり、そうしておわりにはそれをさいて食うのであった。<br>「やい、おめえはできると思っていばってるんだろう、やい、このへびを食ってみろ」
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709397521.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 12:58:23 +0900</pubDate>
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<title>ああ玉杯に花うけて - 佐藤 紅緑 その1</title>
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<![CDATA[ 豆腐屋とうふやのチビ公はいまたんぼのあぜを伝ってつぎの町へ急ぎつつある。さわやかな春の朝日が森をはなれて黄金こがねの光の雨を緑の麦畑に、黄色な菜畑に、げんげさくくれないの田に降らす、あぜの草は夜露からめざめて軽やかに頭を上げる、すみれは薄紫うすむらさきの扉とを開き、たんぽぽはオレンジ色の冠かんむりをささげる。堰せきの水はちょろちょろ音立てて田へ落ちると、かえるはこれからなきだす準備にとりかかっている。<br>　チビ公は肩のてんびん棒にぶらさげた両方のおけをくるりとまわした。そうしてしばらく景色に見とれた。堤の上にかっと朝日をうけてうきだしている村の屋根屋根、火の見やぐら、役場の窓、白い土蔵、それらはいまねむりから活動に向かって歓喜の声をあげているかのよう、ところどころに立つ炊煙すいえんはのどかに風にゆれて林をめぐり、お宮の背後うしろへなびき、それからうっとりとかすむ空のエメラルド色にまぎれゆく。<br>　そこの畠にはえんどうの花、そらまめの花がさきみだれてる中にこつとしてねぎの坊主がつっ立っている。いつもここまでくるとチビ公の背中が暖かくなる。春とはいえども暁あかつきは寒い、奥歯をかみしめかみしめチビ公は豆腐とうふをおけに移して家をでなければならないのである。町の人々が朝飯がすんだあとでは一丁の豆腐も売れない、どうしても六時にはひとまわりせねばならぬのだ。<br>　だが、このねぎ畑のところへくるとかれはいつも足が進まなくなる、ねぎ畑のつぎは広い麦畑で、そのつぎには生いけ垣がきがあって二つの土蔵があって、がちょうの叫び声がきこえる、それはこの町の医者の家である。<br>　医者がいつの年からこの家に住んだのかは今年十五歳になるチビ公の知らないところだ、伯父おじの話ではチビ公の父が巨財を投じてこの家を建てたのだが、父は政党にむちゅうになってすべての財産をなくなしてしまった、父が死んでからかれは母とともに一人の伯父の厄介やっかいになった、それはかれの二歳のときである。<br>「しっかりしろよ、おまえのお父さまはえらい人なんだぞ」<br>　伯父はチビ公をつれてこのねぎ畑で昔の話をした。それからというものはチビ公はいつもねぎ畑に立ってそのことを考えるのであった。<br>「この家をとりかえしてお母さんを入れてやりたい」
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709395653.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 12:54:10 +0900</pubDate>
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<title>ア、秋 - 太宰治</title>
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<![CDATA[ 本職の詩人ともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。<br>「秋について」という注文が来れば、よし来た、と「ア」の部の引き出しを開いて、愛、青、赤、アキ、いろいろのノオトがあって、そのうちの、あきの部のノオトを選び出し、落ちついてそのノオトを調べるのである。<br>　トンボ。スキトオル。と書いてある。<br>　秋になると、蜻蛉とんぼも、ひ弱く、肉体は死んで、精神だけがふらふら飛んでいる様子を指して言っている言葉らしい。蜻蛉のからだが、秋の日ざしに、透きとおって見える。<br>　秋ハ夏ノ焼ケ残リサ。と書いてある。焦土である。<br>　夏ハ、シャンデリヤ。秋ハ、燈籠。とも書いてある。<br>　コスモス、無残。と書いてある。<br>　いつか郊外のおそばやで、ざるそば待っている間に、食卓の上の古いグラフを開いて見て、そのなかに大震災の写真があった。一面の焼野原、市松の浴衣ゆかた着た女が、たったひとり、疲れてしゃがんでいた。私は、胸が焼き焦げるほどにそのみじめな女を恋した。おそろしい情慾をさえ感じました。悲惨と情慾とはうらはらのものらしい。息がとまるほどに、苦しかった。枯野のコスモスに行き逢うと、私は、それと同じ痛苦を感じます。秋の朝顔も、コスモスと同じくらいに私を瞬時窒息させます。<br>　秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。<br>　夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗ききょうの花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。<br>　秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼けいがんの詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者くせものである。<br>　怪談ヨロシ。アンマ。モシ、モシ。<br>　マネク、ススキ。アノ裏ニハキット墓地ガアリマス。<br>　路問エバ、オンナ唖ナリ、枯野原。<br>　よく意味のわからぬことが、いろいろ書いてある。何かのメモのつもりであろうが、僕自身にも書いた動機が、よくわからぬ。<br>　窓外、庭ノ黒土ヲバサバサ這はイズリマワッテイル醜キ秋ノ蝶ヲ見ル。並ハズレテ、タクマシキガ故ニ、死ナズ在リヌル。決シテ、ハカナキ態ていニハ非ズ。と書かれてある。<br>　これを書きこんだときは、私は大へん苦しかった。いつ書きこんだか、私は決して忘れない。けれども、今は言わない。<br>　捨テラレタ海。と書かれてある。<br>　秋の海水浴場に行ってみたことがありますか。なぎさに破れた絵日傘が打ち寄せられ、歓楽の跡、日の丸の提灯ちょうちんも捨てられ、かんざし、紙屑、レコオドの破片、牛乳の空瓶、海は薄赤く濁って、どたりどたりと浪打っていた。<br>　緒方サンニハ、子供サンガアッタネ。<br>　秋ニナルト、肌ガカワイテ、ナツカシイワネ。<br>　飛行機ハ、秋ガ一バンイイノデスヨ。<br>　これもなんだか意味がよくわからぬが、秋の会話を盗み聞きして、そのまま書きとめて置いたものらしい。<br>　また、こんなのも、ある。<br>　芸術家ハ、イツモ、弱者ノ友デアッタ筈はずナノニ。<br>　ちっとも秋に関係ない、そんな言葉まで、書かれてあるが、或いはこれも、「季節の思想」といったようなわけのものかも知れない。<br>　その他、<br>　農家。絵本。秋ト兵隊。秋ノ蚕。火事。ケムリ。オ寺。<br>　ごたごた一ぱい書かれてある。
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709387653.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 12:53:05 +0900</pubDate>
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<title>ああ華族様だよ　と私は嘘を吐くのであった</title>
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<![CDATA[ 居留地女の間では<br><br>　その晩、私は隣室のアレキサンダー君に案内されて、始めて横浜へ遊びに出かけた。<br>　アレキサンダー君は、そんな遊び場所に就いてなら、日本人の私なんぞよりも、遙かに詳かに心得ていた。<br>　アレキサンダー君は、その自ら名告るところに依れば、旧露国帝室付舞踏師で、革命後上海から日本へ渡って来たのだが、踊を以て生業とすることが出来なくなって、今では銀座裏の、西洋料理店某でセロを弾いていると云う、つまり街頭で、よく見かける羅紗売りより僅かばかり上等な類のコーカサス人である。<br>　それでも、遉にコーカサス生れの故か、髪も眼も真黒で却々眉目秀麗ハンサムな男だったので、貧乏なのにも拘らず、居留地女の間では、格別可愛がられているらしい。<br>　――アレキサンダー君は、露西亜語の他に、拙い日本語と、同じ位拙い英語とを喋ることが出来る。<br>　桜木町の駅に降りたのが、かれこれ九時時分だったので、私達は、先ず暗い波止場の方を廻って、山下町の支那街へ行った。<br>　そして、誰でも知っているインタアナショナル酒場バアでビールを飲んだ。ここの家はどう云う理由か、エビス・ビールを看板にしているが、私はずっと前に、矢張りその界隈にあるハムブルグ酒場で、大変美味しいピルゼンのビールを飲んだことがあった。<br>　独逸へ行こうと思っていた頃で、そこの酒場に居合せた軍艦エムデン号の乗組員だったと称する変な独逸人に、ハイデルベルヒの大学へ入る第一の資格は、ビールを四打飲めることだと唆かされて、私はピルズナア・ビールを二打飲んだのであった。<br>『そのエムデンは店の人です、つまりサクラですね。――』<br>　と、アレキサンダー君はハムブルクを斥けた。<br>『それに、あすこには、こんな別嬪さん一人もいませんです。つまらないですね。』<br>　アレキサンダー君は、さう云いながら、私達の卓子テーブルを囲んで集まった、各自国籍の異るらしい四五人の女給の中で、一番器量良しの細い眼をした、金髪の少女の頤を指でつついたものだ。<br>『マルウシャ！　日本人の小説を書く人に惚れています。――マルウシャ、云いなさい！』<br>　その少女の噂は、私も既に聞いていた。彼女は私に、××氏から貰ったのだと云う手巾ハンカチを見せたりした。<br>　それから彼女は、アレキサンダー君と組んで踊った。ストーヴの傍にいた家族の者らしい老夫婦が、ヴァイオリンと竪琴ハープとで［＃「竪琴とで」は底本では「堅琴とで」］それに和した。私はエビス・ビールが我慢出来なかったので、酒台のところに立って火酒ウォトカを飲んだ。<br>　若い時分には、可なりの美人だったらしい面影を留めている女主人が、酒をつぎ乍ら私の話相手になってくれた。<br><br><br>　いいよ　君が死ねば僕だって死ぬよ<br><br>　私達は予定通り、恰度一時間を費して、インタアナショナルを出た。<br>　真暗な河岸通りに青い街灯が惨めに凍えて、烈しい海の香りをふくんだ夜風が吹きまくっていた。<br>　元町へ抜けて、バンガロオへ寄って、そこで十二時になるのを待った。アレキサンダー君が、このダンス場の看板時間まで踊り度いと云うので、踊の出来ない私は、ぼんやりウイスキーを舐めるばかりで、旺んなホールの光景を見物しながら待っていたわけである。<br>　へべれけに酔っぱらった大そう年をとり過ぎた踊子ダンサーが、私の傍へ来て、ポートワインをねだるので、振舞ってやると、やがて彼女は、ダンス位出来なくては可哀相だから、教えてやると云って、私の両手を掴んで立ち上がるのであった。<br>　だが、彼女は直ぐに、蝋引きの床の上に滑ってころがった。何度でもころがった。<br>　私は到頭、やっかいな老踊子を、静かに長椅子クッションの上に寝かしてやらなければならなかった。<br>　十二時にバンガロオを追い出されて、私達はさて、大方寝てしまった元町通りを、真直に徒歩で大丸谷へ向った。<br>『大丸谷は本牧より半分安いですが、悪い。そして、日本人は好かれませんよ。』と、アレキサンダー君は、私と腕を組ませて歩きながら云った。<br>　草の生えている真暗な坂道を上がって行くと、左側に何々ホテルと記した、軒燈りの見える家が幾軒となく立ち並んでいた。<br>　私達はその中で、一等堂々として見える新九番館ニュウ・ナンバア・ナインを的にして行ったのだったが、玄関も窓も、すっかり暗くなっていたので、已を得ず、その裏側にある東京ホテルの玄関を敲いた。<br>『何国？――』と云う声と共に、傍の小窓が開いた。<br>　窓明りを背負って現われた黒い女の顔は、玄関の扉にくっ着いているアレキサンダー君よりも、その後に立った私の方を主に窺った。<br>『支那人チャニス。』とアレキサンダー君が咄嗟に答えた。が、『満員！――』そして忽ち、窓は閉まった。<br>『ちえッ！――』アレキサンダー君は、唾を甃石の上へ吐きつけた。<br>『チボリへ行っても寝ています、本牧へ行きましょう。』<br>『オールライト！』<br>　と、私は答へた。<br>　私達は、それから本牧へタキシイを駛らせながら、十二天と小港の何れを択ぶべきかと相談した。<br>　そして結局、キヨ・ホテルはブルジョワ・イデオロギイであると云うので、後者をとることになった。車は夜更けの海辺を疾走した。<br>　狭い横町を左へ折れて、梅に鴬の燈りが灯っているホテルの前を過ぎると、間もなくアレキサンダー君は車を停めさせた。私達は、エトワールと云うホテルに入った。ひきつけとも云うべき明るい広間に、十人もの六月の牡丹の如く絢爛たる女が並んでいた。<br>　アレキサンダー君には、すでに馴染があったが、私はその中で、最も自分の気に入ったどの女をでも、選択することが出来たのである。<br>　女達はアレキサンダー君を、『サーシャ』『サーシャ』と呼んで取り巻いた。アレキサンダー君の女は、頭を美事な男刈にした、眉根の険しい感じのする、十七八にしか見えない小娘であった。<br>『サーシャ、タンゴ――』と、その女は直ぐに男の体に絡みついた。<br>　私は自分の女を択ぶことを、『酒場さん』なる鴇母おばさんに催促された。私は大勢の女の一等後の方で、蒼い顔をして外っぽを向いている、痩せた女を指してしまった。<br>　彼女はさっきから、私の心を殊の外惹いていた。それと云うのは、彼女は他の女達のように、私へ笑いをかけることをちっともしなかったし、それに脆弱な花のように、ひどくオドオドとした哀れな風情が、その大きな愁しげな眼や、尖った肩さきなどに感じられたからである。<br>　併し、これは鴇母さんにも、他の女達にもまたサーシャにも、少からず意外であるらしかった。が、私は彼女を膝の上に腰かけさせて、その艶のない頬を撫でてやった。<br>　私共は二人分として二十五円払った。勘定が済むと、それぞれの寝室へ入った。私の女は、私の衣服をたたんで、鏡台のついた箪笥へしまってくれた。『あなた、偉い方？』と女は私の髪を骨ばった指で弄びながら訊いた。女の声は喉もとで嗄がれて、長い溜息のような音を立てた。<br>『ああ、華族様さ。けれども男爵だよ。』と、私は嘘を吐くのであった。<br>『そう、いいわねえ。』彼女の声は風のように鳴った。<br>『君、病気なんだね。肺病だろう？』<br>『ごめんなさいね――あたし、死ぬかもわからないの。』<br>『いいよ、いいよ。君が死ねば、僕だって死ぬよ。』<br>『まあ――調子がいいわね。』私は彼女の、小さな頭を胸の中に抱いた。<br>『お止しなさいな。あたし、もっと悪い病気なのよ。』と、彼女は唇をそらそうと※(「足へん＋宛」、第3水準1-92-36)いた。<br>『いいよ、いいよ。』私は、そして、無理遣りに彼女の頬を両腕の中におさえた。――そんな病気は、世界中の何万何億と云う男と女とを、久しい時代に渡って一人一人つないで来た――云いかえれば、男女の間の愛と同じ性質のものである――と云った［＃「云った」は底本では「云つた」］、アレキサンダー君の言葉を思い出しながら……
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<link>https://ameblo.jp/old-books123/entry-11709385263.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 12:51:24 +0900</pubDate>
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