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<title>60代 退屈時間のつぶやき</title>
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<description>つれづれなるままに、日暮らし、スマホにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ（心のままに綴る60代のノート）</description>
<language>ja</language>
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<title>細かく切り売りされる社会</title>
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<![CDATA[ <p>体調を崩して数日間寝込んでいた。安静にしていると、どうしても手持ち無沙汰になる。</p><p>&nbsp;</p><p>映画を観ようとしても、本を読もうとしても集中できず、気づけばYouTubeのショート動画を延々と見続けていた。</p><p>&nbsp;</p><p>最近、「ひとつの物事に向き合う時間」がどんどん短くなっている気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>周りを見回してみると、社会そのものが細かく切り売りされるようになったと感じる。</p><ul type="disc"><li>連絡手段はSNSの短いチャット</li><li>人との出会いはマッチングアプリで必要な分だけ</li><li>アルバイトはタイミーで一時間単位</li><li>働き方は終身雇用から転職・副業へ</li><li>車は残価設定ローンで所有を分割</li><li>企業は「長期的な成長」より「短期利益優先」へ</li></ul><p>&nbsp;</p><p>かつては大きな塊だったものが、今は小さなピースに分解され、必要な分だけ買い、必要な分だけ働き、必要な分だけつながる時代になった。</p><p>&nbsp;</p><p>この流れは生活のあらゆる領域に広がり、社会全体が「分解」「部分化」「サブスク化」へ向かっている。</p><p>&nbsp;</p><p>便利になった一方で、この細片化は僕たちの価値観にも影響を与えているように思う。</p><p>&nbsp;</p><p>便利さと効率を追い求める中で、「長く続けること」「深く関わること」を煩わしいと思うようになってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>仕事は短期、人間関係は軽め、学びは必要な分だけ、所有は部分的に。</p><p>&nbsp;</p><p>すべてが「今だけ」「必要な分だけ」に最適化されていくと、人の心もまた、同じ方向へ引っ張られていく。</p><p>&nbsp;</p><p>細かい切り売りの積み重ねが、気づけば社会全体に「今だけ・金だけ・自分だけ」という風潮を生み出している気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>便利さの裏側で、長期的な視点、他者への想像力、社会全体を支える意識が薄れていく。</p><p>&nbsp;</p><p>効率化の恩恵を受けながらも、その影響を一度立ち止まって見つめ直す時期に来ているのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12971576918.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:21:39 +0900</pubDate>
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<title>記憶を探す旅</title>
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<![CDATA[ <p>かれこれ45年前の出来事を、まるで昨日の事のように話す友人がいる。</p><p>たまに会うと、「あの時はさ、こうだったよね」と同意を求められるのだが、こちらはまったく記憶にない。</p><p><br>その友人には、今でも頻繁に会っている高校時代の仲間がいる。</p><p>&nbsp;</p><p>おそらく、仲間同士の共通の話題として、当時の出来事を語り合ってきたことで、鮮明な記憶として残っているのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p><br>妻は高校時代の同級生と、当時から現在に至るまで、ずっと交流が続いている。</p><p>一方で、中学以前の友人とは高校生になった時点で交流が途切れてしまっている。</p><p><br>そのせいか、妻は「中学以前の記憶が全くない。記憶喪失みたい」と言う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>語り合う相手がいない記憶は、自然と意識の中から消えていくのだろう。</p><p><br>それでも、大切な記憶というものは、どこかに残り続け、何かのきっかけでふっと浮かび上がってくることがある。</p><p><br>少し前から、そんな記憶を取り戻すために“記憶を探す旅”をすることがある。</p><p><br>学生時代を過ごしたキャンパス、初めて一人で生活した街。</p><p>&nbsp;</p><p>妻が子供時代を過ごした東北の小学校や、中学生のときに住んでいた団地を訪ねたりもした。</p><p><br>団地の窓を見上げながら、「毎朝、学校に行くとき、お母さんがあの窓から手を振ってくれた」と、早くに亡くなった母親との思い出を妻がつぶやいた時には、なにか大切なものを共有できた気がした。</p><p>&nbsp;</p><p><br>意識から消えてしまった大量の記憶がある今だからこそ、たまには“記憶を探す旅”に出るのも悪くないと思う。</p><p><br>忘れていたはずの自分に、思いがけず再会できるかもしれないからだ。<br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12970962240.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 15:52:43 +0900</pubDate>
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<title>団体旅行の時代</title>
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<![CDATA[ <p>十和田湖に長年放置されていた遊覧船が撤去されるというニュースを見た。<br><br>以前、十和田湖を訪れたとき、放置されて幽霊船のようになった遊覧船がバスの窓から見えたのを思い出した。<br><br>そのときは奥入瀬渓流を歩き、遊覧船に乗って十和田神社を参拝した。<br>遊覧船は昭和の団体旅行客の利用を前提としたような大きな船で、観光シーズンではなかったせいもあるが、乗客数に対して明らかにキャパが大きすぎる気がした。</p><p><br>かつての賑わいと、今の閑散さを無意識に対比してしまい、観光地でありながら、もの悲しさを感じてしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>僕が就職した40年前、会社の団体旅行は、一般的な行事として広く行われていた。<br>任意参加とはいえ、ほとんどの社員が参加していたし、楽しみにしている人も結構いた記憶がある。<br><br>当時の企業文化は、今よりも“共同体”としての色が濃かった。<br>仕事ができる人も、そうでない人も、それぞれが自分の能力に応じた役割を果たし、集団の中に自然と居場所があった。<br><br>今のように個人単位でタスクが割り振られ、成果が厳密に求められる働き方とは違っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>団体行事や仕事帰りの宴席などを通して人間的な繋がりも強かったので、個人が精神的に追い詰められてメンタルを崩すことも少なかったように思う。</p><p>&nbsp;</p><p>昔が良かったと単純に言うつもりはないが、 よく言われる「従業員満足度」や「エンゲージメント」は、当時のほうが高かったのではないか── そんな気がしている。</p><p>&nbsp;</p><p>ニュースサイトで、転覆した古い遊覧船の映像を見ながら 、あの頃の賑わい、団体旅行の文化、会社という共同体の空気──そんなものが頭の中によみがえってきた。<br><br>時代は変わり、観光地の風景も、働き方も、人のつながり方も変わった。</p><p><br>十和田湖に取り残された遊覧船は、“過ぎ去った時代の象徴”のようにも見えた。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12970826444.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Jun 2026 08:36:24 +0900</pubDate>
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<title>シニア夫婦の距離感</title>
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<![CDATA[ <p>夫婦の距離感というのはなかなか難しい。シニアになって、つくづくそう感じている。</p><p>&nbsp;</p><p>家にいると、どうも妻に煙たがられる。</p><p>対策としては、『できるだけ家事をやる』こと、そして『同じ空間に長くいない』こと。</p><p>&nbsp;</p><p>今では食事も別々で、僕は自分の部屋でパソコンの画面を見ながら、妻はリビングでテレビを見ながら食べている。</p><p>&nbsp;</p><p>たまにリビングで長居していると、「気が散る」と言われる。</p><p>&nbsp;</p><p>最近の妻の日課は、『渡る世間は鬼ばかり』の再放送を見ながら毒づくことだ。</p><p>あれを横で聞いていると、確かに僕も落ち着かない。</p><p>&nbsp;</p><p>二人ともお酒が好きなので、たまに一緒に飲むのだが、家で飲むとどうしても口論になる。</p><p>そのため、二人で飲むときは外と決めている。外で飲むと不思議と喧嘩にならないからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>唯一、同じ空間で過ごしているのは、寝ているときだ。（もちろんベッドは別）<br>日中は距離を取っていても、夜は同じ部屋で眠ることで相手の存在を無意識に感じている。<br>その“ゆるいつながり”が、夫婦としての安心感につながっているのかもしれない。<br><br>夫婦だからといって無理して一緒にいる必要はない。かといって別々に生きているわけでもない。</p><p><br>お互いの“居場所”を尊重しながら無理なく暮らしていく。<br><br>シニア夫婦にとって大事なのは、仲良くすることより、うまく距離を取ることなのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12970781131.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Jun 2026 19:18:41 +0900</pubDate>
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<title>民宿とホテル</title>
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<![CDATA[ <p>今まで、旅行で宿泊するのはホテルばかりだったが、最近、YouTubeで民宿に泊まる動画を見るようになり、民宿に興味がわいてきた。<br><br>思い返してみると、民宿を利用したのは、学生時代のクラブ合宿、友人とのスキー旅行など、限られた目的のときだけだった。<br><br>そんな中で、思い出に残っているが、３0代前半の頃、長期出張で瀬戸内の民宿に一人で三か月ほど滞在したときのことだ。<br><br>ホテルにしなかったのは、長期滞在ということで民宿の方が割安だったからだが、地元の人が選んでくれた評判の良い民宿だったこともあり、結果的にとても良い選択だった。<br><br>その民宿は海の近くの高台にあり、朝、窓を開けると瀬戸内の海がきらきらと光って見えた。</p><p><br>部屋の扉は引き戸で、トイレや洗面所は共同。<br>プライバシーはあまりなかったが、どこも清潔に保たれ、ストレスなく快適に過ごせた。</p><p>&nbsp;</p><p><br>思い返してみると、若い頃には気づかなかった“旅の味わい”が、民宿にはあるような気がする。<br><br>歳を重ねて、若い時のようにプライベートな空間を強く求めなくなったことも影響しているのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>ホテルのようにマニュアル化された整ったサービスとは違い、民宿にはその土地ならではの温かさがある。</p><p>&nbsp;</p><p>これからホテルだけでなく、その地域に根ざした民宿で、人とのふれあいや、その土地の新鮮な食材で作った美味しい料理で楽しむ旅をしてみたいと思っている。<br><br>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12970242285.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 07:58:55 +0900</pubDate>
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<title>これからの住宅について考える</title>
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<![CDATA[ <p>現在、僕は駅から徒歩圏ぎりぎりの「戸建て」に住んでいる。<br><br>購入を検討し始めたのは、バブルが弾けて不動産価格が下落し始めたころ。<br>当時は賃貸アパートに住んでいて、子どもが走り回るたびに周囲への迷惑が気になり始めた時期でもある。<br><br>バブルは弾けたが、そのうち景気は戻るだろうし、僕が定年まで会社勤めをすれば、住宅ローンも何とかなるだろうと思える時代だった。<br><br>最初はマンション購入を考えていたが、毎月の管理費や修繕積立金、駐車場代がネックになり、戸建てに変更した。<br><br>修繕費は戸建てでも必要だが、自分のペースで実施時期や要否を判断できる点は大きなメリットだ。<br>20年近く住んでいれば水回りなどいろいろと不具合はでてきたが、建物自体の修繕は、10年目に外壁と屋根の塗り替えた程度だ。<br><br>小さな庭があるのも意外と良かった。<br>それまでガーデニングや家庭菜園には全く興味がなかったが、殺風景なので自己流で始めてみると、案外楽しいものだと気づいた。<br>息子が小さかったころ、一緒に土いじりをしたり、DIYの真似事をしたのも良い思い出だ。<br><br>ご近所づきあいは、生活にほどよい潤いをもたらしてくれている。<br><br><br>これまでの生活で戸建てのメリットを十分実感しているのだが、歳を重ねるにつれ、戸建てならではのデメリットも感じるようになってきた。<br><br>戸建ては外気の影響を受けやすく、夏の暑さ・冬の寒さはマンションとは比べものにならない。<br>光熱費は高くなるし、高齢者にとって寒暖差は健康に直結する。無視できないデメリットだ。<br><br>二階への導線も負担になってくる。<br>洗濯物を二階に干すのも大変だし、階段で足を踏み外すリスクも考えるようになった。<br><br>収納スペースの関係で、季節の変わり目にはロフトに上がって物の出し入れをする必要があるが、いつか梯子から転落するのではと不安になってきた。<br><br>庭木の剪定も、年齢とともに負担が大きくなる。<br><br><br>こうしたことを考えると、利便性の高い駅近マンションの魅力が増してくる。<br><br>車に乗らずに生活できる環境、気密性、セキュリティの高さ、ワンフロアで生活が完結する点など、マンションならではの安心感は、高齢者にとって大変魅力的だ。<br><br><br>別の観点で、自分の地元に戻るということも考えてはみた。実家は老朽化が激しいが修繕しながら住めないことはない。<br><br>古い戸建てなので、今の住居より更にデメリットはあるが、友達もいるし、昔ながらの地域のつながりもあって僕としては魅力的な面もある。</p><p><br>アイデアとしては良いと思ったので妻に提案してみたが、当然、却下されてしまった。妻としてのメリットが感じられないので無理もない。<br><br>そうなると、子どもが独立した後に、夫婦２人、こじんまりとした駅近マンションに転居するのがベストな選択なのかもしれない。<br>今より狭い家に引っ越すのであれば、いつの間にか増えた生活用品を見直すきっかけにもなる。<br><br>とは言いつつ、近頃の首都圏マンションの価格高騰を考えると、これから家の売買をする経済力も気力も持ち合わせていない。<br><br><br>結局は、このまま現在の家に住み続けることになるのだろうが、人生で一番の出費となる家の購入で大きな後悔をせず、こころ穏やかに生活できていること自体、幸運なことだと思うことにした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12970286392.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Jun 2026 12:27:15 +0900</pubDate>
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<title>シロギスだより</title>
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<![CDATA[ <p>海の近くの地元に住む同級生から写真付きでLINEが届く。</p><p>&nbsp;</p><p>シロギスがたくさん釣れているという報告だ。</p><p>&nbsp;</p><p>型の良いキスが並んだ写真と、捌いて天ぷらにした写真。横には家庭菜園で収穫したキュウリが添えてある。</p><p>&nbsp;</p><p>友人は既に仕事を辞め、今は両親の介護をしながら、地元でアルバイトをしている。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>一緒に釣りをしたのはゴールデンウィークの頃だった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>先日、別の友人が大きなアオリイカを釣り上げたので、&nbsp;次は夜釣りでアオリイカを狙おう、という話も出ている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>シロギスか？アオリイカか？そろそろ、次の釣りの予定を立てようと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12970234209.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jun 2026 11:29:40 +0900</pubDate>
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<title>今日は、桜桃忌</title>
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<![CDATA[ <p>今日は桜桃忌。</p><p>&nbsp;</p><p>最近は、生誕祭として取り上げられることが多いらしい。</p><p>以前は、太宰の墓前に集まる人々の様子をニュースでよく見たが、最近はどうなのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>僕の学生時代は、太宰を読むのが“定番”だった。</p><p>多くの人が一度は通る、流行のようなものだったのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>就職してからは、実利の世界で生活していたので、太宰を読む機会はほとんどなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも、作品そのものというより、太宰の生き方が頭の隅に残っていて、何かの拍子にふっと思い出すことがある。</p><p>&nbsp;</p><p>昨年、山梨を旅行した際に武田神社へ参拝した。</p><p>&nbsp;</p><p>鳥居の右脇に、太宰が甲府に居を構えていたことを示す看板があり、作品の一部が引用されていた。</p><p>&nbsp;</p><p>短い文章だったが、昔読んだときの文体を思い出し、すっと入ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>顎に手を当てた、少し憂鬱そうな太宰の写真も添えられていた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>数年前、青森へ向かう新幹線の中で、学生時代に読んだ『津軽』を読み返した。</p><p>&nbsp;</p><p>せっかくだから金木まで足を延ばすことも考えたが、観光地化されているようなので、結局やめた。</p><p>太宰に読んでいた学生の頃は、いつか斜陽館に行ってみたいと思っていたものだが…。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも、太宰が僕の頭の隅から消えないのは、作品だけではなく、自己破壊的な人生とセットになっているからだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>僕たち世代とは感覚の違う今の若い世代には、太宰がどう映るのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12970114908.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 18:44:31 +0900</pubDate>
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<title>赤ちゃんの泣き声</title>
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<![CDATA[ <p>お隣の家から、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。</p><p>強く泣いたかと思えば止み、少し間を置いてまた泣き出す。そのリズムが、どこか懐かしい。</p><p>&nbsp;</p><p>お隣さんは、「泣き声でご迷惑をおかけします」と挨拶に来てくれが、不思議とうるさいとは感じない。</p><p>むしろ、いとおしさのようなものが湧いてくる。抱っこしてあげられたら、と思うこともある。</p><p>&nbsp;</p><p>赤ちゃんの泣き声は、今の生活とは少し離れたところにある記憶を静かに呼び起こしてくれる。</p><p>&nbsp;</p><p>自分が子育てをしていた頃も、こんなふうに泣き止まない日がたくさんあった。</p><p>&nbsp;</p><p>ウチの息子は、とにかく気難しくて、抱っこしても、あやしても、理由が分からないまま泣き続けた。</p><p>&nbsp;</p><p>特に夜はたいへんだった。</p><p>深夜になってもぐっすり寝てくれず、やっと寝たと思って布団にそっと置くと、またすぐに泣きだす。</p><p>&nbsp;</p><p>家の中は、寝不足の夫婦の殺気が満ちていたと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>どういうわけか、車に乗せて走っていると寝てくれたので、当時は夜の街を息子を乗せて毎日のように走っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>赤ちゃんの泣き声を聞いて、そんな日々を思い出す。大変だったはずなのに、あの時間も今では懐かしい。</p><p>&nbsp;</p><p>お隣の夫婦には、「大変だけど、頑張って」と静かにエールを送っている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12970033165.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Jun 2026 20:58:56 +0900</pubDate>
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<title>道を覚えられなくなった理由</title>
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<![CDATA[ <p>僕は相当な方向音痴だ。<br><br>不案内な土地を歩いていると、ふと自分がどちらへ向かっているのか分からなくなることがある。<br><br>しかし、そんな僕でさえ「お前のほうが方向音痴じゃないか？」と疑いたくなるのが、7年前に購入した車に搭載されているカーナビだ。<br><br>わざわざ路地のような細い道を曲がれと言ってきたり、渋滞しているわけでもないのに、遠回りのルートを案内してくる。<br><br>案内された道があっているか？疑心暗鬼で使い続けることはストレスなので、今はスマホのグーグルマップを頼るようになっている。<br><br>グーグルマップは車載ナビと比べると、安心感が雲泥の差だ。この7年での技術の進歩には驚かされる。<br><br><br>歳をとってからの運転は注意力が散漫になりやすい。案内されたとおりに進めば、目的地に到着できるのは有難い。</p><p>&nbsp;</p><p>反面、さほど遠くない場所でも、どこをどう曲がったのかを覚えていられない。<br><br>年齢による記憶力の低下もあるが、毎回「曲がれ」と言われたところをただ曲がるだけでは、道順が記憶に残らないようだ。<br><br>目的地に着けば問題ないといえばそうなのだが、車で３０分程度の、たまに行く場所なら、グーグルマップに頼らず自分の記憶で行きたいものだ。<br><br><br>何か良い方法はないかと考えた結果、道路地図の本を買うことにした。</p><p>&nbsp;</p><p>昔のように目的地までの道順を赤線でなぞったり、交差点に丸を付けたりするのが、僕のようなアナログ人間には一番なのではないかと思ったからだ。<br><br><br>たまには地図を広げて、ページをめくりながら道順を確認する時間も悪くないものだと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oldman-spilit/entry-12969698665.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Jun 2026 08:49:31 +0900</pubDate>
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