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<title>１２年前のおへんろさん</title>
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<description>昔々一人の若者が四国で感じた事、気付いた事。１２年前書いたモノをＵＰ中。</description>
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<title>なが～い一日</title>
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<![CDATA[ 　<font size="3">朝５時に起きて、お堂の中のお大師さんに「ありがとうございます」と挨拶をし、朝もやの中、柳水庵を出発した。<br><br>　しばらくの間、下り坂が続いたが、間もなく昨日にひき続き、きつい上り坂が待っていた。ゆっくりゆっくり前だけを見て進む。<br><br><br>　杉林の中の道に石を積んで作った階段が現れた。２０段ほどの階段である。その階段を見上げると、朝もやの中になんおためらいもなく、真っすぐに前を向いて立っている“お大師さん”の像が立っていた。背後には、とても大きな杉の木が“お大師さん”を包み込むように立っている。その“お大師さん”が私に<br>「やっと来たか、遅かったなぁ！」<br>と言っているようであった。朝もやの中、大きな杉を背部に従え、デーンと立っている“お大師さん”。この姿には、ただならぬ気配を感じ、体の底からぞくぞくと霊気を感じた。<br></font><br><font size="3"><img width="300" height="209" class="thumb" alt="" name="myImage" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140315/16/oldohenrosan/99/f1/j/o0800055812875941320.jpg">　<br><br>　ここにも無人ではあるがお堂が建っていた。その名は“一本杉庵”。<br><br>　あの真っすぐに前を向いて立っているお大師さんがとても印象に残っている。その後も多くの“お大師像”を見たが、ここ、一本杉庵で見たお大師さんが一番大きく見えた。<br><br><br>　一本杉庵から小さな下り坂と、長い長い登り坂を経て十二番焼山寺（しょうさんじ）に到着。よくぞ！昔の人はこんな山の中に、“お寺”を作ったものだ！と感心した反面、なにもこんな山の中に作らなくても！とも感じた。それだけきついきつい山道の連続だった。<br></font><br><font size="3"><img width="304" border="0" height="210" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140315/16/oldohenrosan/4f/9e/j/t02200151_0800055012875941321.jpg"><br><br>　山中では、他のお遍路さんに出会わなかったが、乗用車やバスに乗ってきたお遍路さんの姿を見る事ができた。車道は、十一番藤井寺から、私が歩いてきた山を大きく迂回してクネクネと曲がった峠道を走り、ここまでやってきたようだ。私はそのクネクネと曲がった道を下り、次のお寺、十三番大日寺（だいにちじ）を目指した。<br><br>　大日寺までは約２０キロ、山村の中を歩く。一本杉庵で見たお大師さんのように、真っすぐに前を向いて目標を“大日寺”に定め歩く。<br><br>　「一歩」「一歩」「前へ」「前へ」<br><br>という気持ちに支えられながら進む。何度、背中のザックを捨てていきたいと思ったことか。でも歩いた。ただただ歩いた。陽も暮れ始め、辺りが暗くなってきた頃、地元の買い物帰りのおばさんに<br>「大日寺まで、あと30分くらいだよ！」<br>と声をかけてもらった時は嬉しかった！「あと少し」とがんばれた！<br><br>　陽もどっぷりと暮れ、辺りが暗くなった頃、やっと大日寺に辿り着いた。19時を過ぎていた。今日は今までで一番長い時間を歩いたし、体に無理をさせてしまった日であろう。<br><br>　おばさんに声をかけてもらうまでの数時間の記憶が薄く、思い出せない。「前へ」という気持ちが、なんとかここまで私の体を連れてきてくれたようだ。<br><br>　大日寺の駐車場にテントを張らせてもらい一日の行動を終える。この駐車場で一夜を過ごそうとしていた大阪出身のお遍路さん（車で移動）がお湯を沸かし、カップラーメンをお接待して下さった。パンをかじって寝ようと思っていた私の胃袋には、思ってもいない贅沢な夕食となった。体の疲れは限界に達していたが、声をかけてくれたおばさんと、大阪の車お遍路さんによって心は満たされ、私のなが～い一日は終わった。<br><br></font><br>
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<link>https://ameblo.jp/oldohenrosan/entry-11796805834.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Mar 2014 15:46:29 +0900</pubDate>
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<title>お水さん、ありがとう！</title>
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<![CDATA[ <font size="3">　山道は平地を歩くより二倍か、三倍近い時間がかかる。そんな事はまるっきり考えずに、焼山寺までの道のり約１３キロを半日で歩けるであろうと、とても甘い考えをして昼から歩き始めていたのだ。しかし、それはとんでもない間違いであった。足が重く、肩が痛く思うように進めない。一時間に２キロ進めればいい方であった。<br><br>　焼山寺への道中には民家もお店もない。このペースでいくと焼山寺に辿り着く前に陽が暮れてしまう。という事は、山中で夜を過ごさなければいけないのだ。焼山寺まで辿り着けば、お寺の軒下でもどこか適当な寝場所が見つかるであろうと思っていたのだが・・・・。<br><br><br>　山中で一泊か。「できればそれは避けたい！」と、歩きながら考えていた時であった。小さな峠を越え、なだらかな坂を下っている途中に小さなお堂があった。<br><br>　戸は取り外されていて中に入れた。一歩中に入ると光が差し込まず、ドシッと暗い。六畳ほどの土間の奥にお大師さんの像が祀ってあった。人が一人寝るのには、ちょうどいい大きさの長椅子があった。<br><br>　目が慣れてきて部屋の中が良く見えるようになると、この長椅子で以前にも寝た人がいただろうと思われる形跡があった。長椅子の端にろうそくを置いた跡があったり、「一泊お世話になりました」と書かれたお札が置いてあったり。<br><br>　このお堂を見つけて、少し早いがここに今夜はお世話になる事に決めた。先に進んでも、ここ以上の条件の良い寝場所は見つからないであろうと思ったし、体が「もうまいった！」と弱音をはいていたのである。<br><br><br>　地図を見ると、ここは「柳水庵（りゅうすいあん）奥之院」というらしく、少し先に「柳水庵」があるのがわかった。奥之院は無人だが、柳水庵は住職さんが居るらしいので、挨拶をしに伺った。なんてことはない200メートルも下ったら、そこは柳水庵だった。住職さんに挨拶をし、<br>「上のお堂に一泊させて下さい」<br>と言うと、住職さんは、<br>「山の上はまだ寒いですよ！それでもよければ、どうぞお泊り下さい！」<br>と了解して下さった。<br><br><br>　ここ柳水庵は、名前にもあるように、水が豊富に湧いている土地である。疲れきった体にその良く冷えた湧水がとてもうまく感じた。日常生活では蛇口をひねれば水が出るのは当たり前と思い、特に“水”に対して特別な感情を抱いた事はないが、この時は“水”を心から「うまい！」と思い、心から「ありがたい」と感謝の気持ちを持った。そして、「あー生きてる！」という実感が心の奥底から込み上がってきた。<br><br>　「お水さん　ありがとう！　そして　これからもよろしく！」<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/oldohenrosan/entry-11795848194.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Mar 2014 11:38:11 +0900</pubDate>
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<title>お札（ふだ）に励まされる</title>
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<![CDATA[ 　<font size="3">今日は、昔から「遍路ころがし」と呼ばれている山越えの道を歩き、十二番焼山寺（しょうさんじ）へと向かった。三日目にしてかなりの難所が待っていた。</font><br><br>　<font size="3"><br>　昨日の疲れがまだ取れてなく体が痛い。平らな道を歩くのも大変なのに山道とは、日頃から登山は好きで山道には慣れていたのだが、背中の荷物が重すぎて不安でいっぱいだった。<br><br><br>　十一番藤井寺に向かう途中に目にしたクロネコヤマトの宅急便の看板の前で、少し悩んだが今後を考えで不必要そうな荷物を自宅に送り、少しでも荷物を軽くする事にした。<br><br>　まず、自炊道具一式。昨夜のように一日中歩いていたら、夜に自炊する体力も気力も残っていない、今後は弁当やパンを食べて過ごす事にした。一度も使わずに“自炊道具一式”は一足先に我が家へ帰る事になった。しかし、自炊道具と衣類数点を箱に詰めて計ってみたが、たったの2キロしかなかった。もう少し荷物が軽くなると考えていたのだが・・・・・。だけど、2キロでも減るとだいぶ背中の荷物が軽くなったように感じた。<br><br><br>　山越えに備えて、スーパーでおにぎりやカンパン等の食料を二日分ほど買い込み、山道の起点となる藤井寺へと向かった。<br><br>　ここ、十一番藤井寺から、十二番焼山寺へと向かう約１３キロの道のりの「遍路ころがし」が始まる。私が到着した時は昼近くで、他のお遍路さんの姿はなく、これから歩き出す人は私だけだった。<br></font><br><font size="3"><img width="295" border="0" height="202" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140314/11/oldohenrosan/31/fa/j/t02200152_0800055212874673063.jpg"><br><br>　いざ！出発！歩き始めは気合一杯だったが、10分も歩かないうちにさっきまで軽くなったと感じていたザックが肩に喰いこみとても痛い。それに足も重く、ちょっとした段差を上るのも一苦労。「こんなはずでは！」と、先を急ごうとするのだが、体が言う事をきかず、１５分歩いては、１０分休む、といった具合でなかなか進まない。<br><br>　歩いている最中、思い通りに動かない足と、すぐ休むことばかり考えてしまう弱い自分が情けなくて、悔しくて歩きながら大粒の涙がこぼれてきた。顔一面に噴き出している大量の汗と大粒の涙と鼻水が一緒となり、ものすごい状態になってしまった。<br><br>　そんな最悪な私を救ってくれたのが、道中、木々の枝にぶらさがっている<br><br>「あと一息」「同行二人（どうぎょうににん）」<br><br>などのお札（ふだ）であった。その言葉に励まされて前へと進む事ができた。このお札は今までに多くのお遍路がこの道を歩き、汗を流した証しだ。この時、自分一人で歩いているのではないのだ、今まで歩いた多くのお遍路さん達、お大師さんがこうして私を見守り、励ましてくれているのだ、と感じた。<br></font><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/oldohenrosan/entry-11795811132.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Mar 2014 10:45:40 +0900</pubDate>
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<title>道標（みちしるべ）</title>
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<![CDATA[ <font size="3">　朝一番に、三番金泉寺をお参りし、次のお寺を目指し歩き始めた。天気は雲一つない快晴、まだ３月中旬だというのに、白装束の下は長袖シャツ１枚で十分だった。<br><br><br>　一番寺から十番寺までは平らな道が多く、お寺とお寺の距離も短いので、一日でいくつものお寺を巡る事が出来る。昨日はまるっきり見かけなかったお遍路さんの姿を、今日は道中やお寺でたくさん見かける事ができた。出発する前に想像していたよりも多くのお遍路さんが歩いていた。<br>　遍路道上で出会う方は歩いて巡られている方で、それ以外の、お寺のみで出会う方は車移動やバスツアーの方々だった。大半は後者であったが、歩きの方もかなりたくさんいらした。定年退職後のご夫婦で歩かれているのだろうと、推測できる方々が多かった。<br>　</font><br><font size="3"><img width="221" height="300" class="thumb" alt="" name="myImage" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140313/12/oldohenrosan/db/e0/j/o0800108412873723687.jpg"><br>　この遍路道は、千二百年近く前に弘法大師“空海（くうかい）”さんが創られた巡礼路であり、その当時から現在まで数多くの人々が巡ってきた。昔はお遍路が道に迷わねよう、道中の要所に石標が置いてあって、道を行くお遍路を導いてくれた。現在は、地元の方や有志の方々が作ってくれた看板や、矢印、ステッカーによる道案内を頼りに進む。<br>　<br>　これには本当に助かった。迷いそうな場所や間違ったかな？と不安になった時に“道標”を目にすると、とても安心できた。<br>　昔も現在も、石標や看板等を設置してくれる方々のお陰で、道に迷わず旅を続けられるのだ。<br></font><font size="3"><img width="300" height="207" class="thumb" alt="" name="myImage" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140313/12/oldohenrosan/bb/3b/j/o0800055212873723686.jpg">　<br><br>　今日はその道標に導かれ、三番金泉寺から十番切幡寺（きりはたじ）まで歩く事ができた。回数を重ねる旅に胸を張って“般若心経”を唱える事ができるようになってきた。気持ちはドンドン高まっていくのだが、体が追いついてこない。<br></font><br><font size="3"> <br>今日の移動距離は約25キロ、２日目にしては歩いたほうであると思うが、足の裏やふくらはぎはパンパンに張ってしまい、重い荷物が肩に食い込んでヒリヒリしていたり、全身がすでに悲鳴を上げ始めていた。この先が不安である。<br></font><font size="3"><font size="3"><img width="300" height="206" class="thumb" alt="" name="myImage" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140313/12/oldohenrosan/6a/3a/j/o0800055012873723688.jpg"></font>　<br><br>　今夜は切幡寺近くの神社の芝生の上が寝場所。自炊の道具は持っているが、疲れきっていたのだ、何かを作る気力が残っていない。途中で買ったパンを食べて早々に眠りについた。</font><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/oldohenrosan/entry-11794957063.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Mar 2014 11:30:32 +0900</pubDate>
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<title>寝る場所などに執着してはいかん</title>
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<![CDATA[ 　<font size="3">いよいよ、歩き四国お遍路の旅の始まりです。<br>　<br>　一番札所霊山寺を後にし、二番札所極楽寺を目指す。その距離約1キロ、ゆっくり歩いても20分ほどの道のりです。始めたばかりということで足慣らしのためにゆっくりと歩いた。この旅の為に買った茶色のトレッキングシューズも、出発の少し前に買ったばかりだったので、十分に履き慣らしをしていなかったのです。<br></font><font size="3"><br><img width="300" height="207" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140313/11/oldohenrosan/b7/ea/j/o0800055412873685709.jpg" name="myImage" alt="" class="thumb">　<br>　<br>　極楽寺に着きお参りと納経を済ませた時には、すでに17時を過ぎていた。辺りはまだ明るかったが、お参りしたお寺で書いていただく納経という、そのお寺をお参りしたという証しをしていただけるのが7時から17時までなのだった。<br>　私も霊山寺で納経帳を買い、八十八ヶ寺で納経をしてもらうつもりでいた。一ヶ寺、300円かかるのは、かなりな出費になると思ったが、一生のうちに一度来られるかどうかなので、その“証し”として、そして、先祖の供養の為にと思ったのです。<br>　<br><br>　次のお寺、三番金泉寺（こんせんじ）までは約2.5キロだが、今日行ったとしても納経所は閉まっている。だから、金泉寺に着く前に野宿をする場所を探さなければいけないことに気付いたのです。<br>　歩き始める事しか考えていなかったので、今夜寝る場所のことなど気にする余裕などなかった。野宿をする為のテント、寝袋、マットなどはザックの中に入っているが、肝心なテントを張る場所は自力で探さねばならないのだ。　<br>　<br><br>　金泉寺に向かう道中、辺りをキョロキョロ“良い寝場所”を求めていたが、民家ばかりでいい場所は見つからない。と、気付いたら、金泉寺に辿り着いてしまった。境内に人の姿は見当たらない。ともかく、本堂とお大師堂をお参りしてから、これからを考えた。この時はまだ、お寺の中には通夜堂（つやどう）という、歩き遍路が泊まってもいいお堂があることを知らなかったので、遍路道をそれ、国道を歩き野宿できそうな地を求めた。<br>　<br><br>　辺りはだいぶ暗くなり、まわりの景色は闇の中に消えつつある。初日からかなり気が滅入ってきた。そんな時、国道を渡ったところに学校のグランドが見えてきた。気持ちがかなり焦っていた私は、「あそこしかない！」と、急いで国道を渡り、テニスコートの横にあった草のおおい茂る場所を、記念すべき第一夜目の寝場所に決め、暗い夜空の下、手探りで私の家となる小さな一人用のテントを張った。<br>　<br><br>　この日はたった5キロほどしか歩いていないが良く寝れた。3月なのに、さほど寒さは感じなかった。そうだ！ここは四国なのだ。<br>　学校に人が来る前にテントを撤収するために、5時半に起き、テントをたたみ、一夜お世話になったグランドを後にし、昨日来た道を戻り、再び金泉寺に向かった。<br>　<br><br>　今日は、朝から晴天、金泉寺へ向かう途中、後ろを振り返るとちょうど地平線から太陽が昇るところだった。とてもきれな朝焼けである。太陽に「今日も一日よろしくお願いします。」と、あいさつをした。<br><br> </font><img width="306" border="0" height="210" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140313/11/oldohenrosan/2f/38/j/t02200153_0800055812873689560.jpg"><br><font size="3"> <br><br>　金泉寺で初めて自分以外のお遍路さんの姿を見た。二年近く巡っているという広島からのおじいさんだった。その方に、四国内の野宿事情を聞いてみたのだが、ピシャッ！と一言。<br><br>「寝る場所などに執着してはいかん！」<br><br>と、とても強い口調でおっしゃった。<br><br>　その時のその言葉は、旅の最中に常に頭の中にに残っていた。眠る事は確かに大事だけど、そればかりを気にして歩いていたら、他の大切なものを見落としてしまうぞ！と、言う事をあの方は言っているのだと思った。とても大事な事を教えてくれたのだ。<br><br></font><br>
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<link>https://ameblo.jp/oldohenrosan/entry-11794358927.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Mar 2014 17:03:25 +0900</pubDate>
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<title>「変身」</title>
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<![CDATA[ 　<font size="3">東京、有明発のフェリーは昼すぎに徳島港に到着した。<br></font><br><img width="300" height="211" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140311/18/oldohenrosan/d0/20/j/o0800056512872101326.jpg" name="myImage" alt="" class="thumb"><br><font size="3">　<br>　そしてバスを乗り継ぎ、一番札所霊山寺（りょうぜんじ）に着いた時に陽はすでに傾いていた。これで自動車等の交通手段とはお別れだ。これからは自分の足だけが頼りとなる。<br><br></font><br><font size="3"><img width="300" height="206" class="thumb" alt="" name="myImage" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140311/18/oldohenrosan/10/85/j/o0800055112872101327.jpg">　<br>　<br>　霊山寺で、今後に必要な品を買い揃える。昔からお遍路（へんろ）は、白装束（しろしょうぞく）を身に着け、頭には菅笠（すげがさ）をかぶり、お遍路には最も大切な弘法大師（こうぼうだいし）の化身ともいわれている金剛杖（こんごうづえ）を片手に持つ。というスタイルが定着しているようだ。<br>　<br>　もちろん「そうでなくてはいけない！」ということではないので、今回、私は白装束を上のみまとい、金剛杖を持ち、歩く事にした。菅笠もできればかぶりたかったが、背中の荷物が大きすぎて頭の高さまで到達してしまい、ひさしの深い菅笠とぶつかってしまいかぶれなかった。それと、納経帳（のうきょうちょう）を買った。今までにこの類の買い物をした事がなかったので大いに戸惑った。<br><br><br>　買ったばかりの白衣を身に着ける。普段は黒系の洋服しか着なかったので、鏡に写る“白衣の自分”は別人に見えた。白衣の背中には道中に何度も唱えた<br>「南無大師遍照金剛（なむだいしへんじょうこんごう）」<br>の文字。右手に金剛杖を握り、お遍路の姿に変身をした。外見は“お遍路”だが、お寺での作法はまるっきり知らなかったので、お店でもらった“お遍路ガイド”のような小冊子を読み、それに書いてあったことに従い、順序通り、一連の“作業”をこなした。そうです。まるで意志のないロボットのように。<br><br>　まず、山門に入る前に“一礼”をしてから山門をくぐる。次に、手と口を水で清めて本堂へ、ろうそく一本、線香三本、お賽銭を上げ、先ほど買った“お札”に、今日の日付・住所・名前を記入して備えつけの納札箱に入れる。それから“般若心経（はんにゃしんぎょう）”を唱えるのだが、午後４時を過ぎた境内には、他の参拝者の姿はなく、私一人きりだ。<br><br>　本堂のご本尊様はの前には“ドカン”とお守りなどを売る売店があり、おばさんが二、三人座っていた。その売店のおばさん達と向き合って、お経を唱えるのは気がひけた。一応、自宅近くのお寺でもらった般若心経の書かれている紙を持参していたのだが、恥ずかしいという気持ちが働き、一礼をして「これから出発します」とだけをご本尊様に告げ、一番霊山寺を出発した。<br>　<br>　<br>　今、思い返すとあの日、お大師堂にはお参りしていなかったのです。本来はご本尊様を参った後に“弘法大師”のお祀りしてある“お大師堂”を参るのが作法であるのだが・・・・。</font><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/oldohenrosan/entry-11793548444.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Mar 2014 17:34:36 +0900</pubDate>
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<title>プロローグ</title>
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<![CDATA[ 　<font size="4">私の旅はいつも突然にはじまる。これで何度目の荷造りになるのだろう？何度やっても不精者の私はうまく荷造りをする事ができない。<br><br>　荷造りが終わってみると予想以上の大きさになり、“こんなはずでは！”と、何度か持っていくものを、これは必要か？否か？を選別をしてみたが、さほど大きさは変わらずに６０ℓのバックパックがパンパンの状態で、重さにして22,3キロ。背負ってみたがズッシリと重みが肩に掛かり、立っているのが辛いほどだ。その荷物を前にして、出発の前から思いっきり不安な気持ちになってしまった。<br>　<br><br>　今回の旅は経っているのも辛くなるほど重い荷物を背負って、自分の２本の足だけを頼りにした“歩き”のみの旅だ。しかも野宿のみの“四国遍路の旅”です。<br>　<br><br>　体力には多少の自身はあったが、仏教に対する知識及び信仰心の薄かった20代後半の私が、全行程1.300キロを歩ききり、<br><br>“気づかせてもらった事”<br><br>“感動させてもらった事”<br><br>“教えていただいた事”<br><br>等々を、これから書いていきたいと思う。これから始まる“私の旅”に良かったら皆さんお付き合い下さい！<br></font><br>
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<link>https://ameblo.jp/oldohenrosan/entry-11793508956.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Mar 2014 17:07:30 +0900</pubDate>
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<title>１２年前に書いた「おへんろ」紀行をアップしていきます。</title>
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<![CDATA[ <font size="3">１２年前の春、私は「四国遍路」の旅へ出た。<br><br>あの当時は、自分が向いたい方向がしっかり定まらず、色々職を変えたり、その合間に国内・海外へと旅を繰り返していた。一カ所に留まる事が苦手だった。<br>常に景色が変わっていないと気がすまなかった。２０代前半は、このスタンスが快適だった。<br><br><br>ただ、時は経ち２０代後半になった頃から、単純には旅を楽しめない自分がいる事に気が付いていた。<br>自分には、どこか落ち着ける地があるのであろうか？そんな事を考えなら過ごしていた時、昔、旅仲間から聞いた「四国遍路」の旅を思いついた。<br><br><br>特に信仰心があったわけではないが、歩いて1.200キロを歩く現代離れした旅のスタイルに興味を持った。自分に歩けるだろうか？そんな心配も若干あったが、<br>行動力には定評のあった私は、素早く荷支度をして四国へと旅だった。<br><br><br>結果的にこの四国での体験がきっかけとなり、今の仕事に就く事ができた。<br>今では、自分のお店を持ちボチボチとやっている。<br><br><br>恐らく四国での時間がなければ、今の自分はないであろう。また、時間を作れたら「おへんろ」をしたいと思いながら早１２年。３月になると思い出す１２年前の「おへんろ」へ旅立つ前のドキドキを。<br><br><br>今は歩く事はできないが、少しでも“あの時”の感覚を思いだしたくて、12年前に私自身が書いた「おへんろ」紀行文を読み返しながら、同時にブログにアップしていく事を思いついた。<br><br><br>おへんろを終えたばかりの私は、とても興奮していた。<br>自分が四国で見て感じたものを他の誰かに伝えたい！それと、薄れていくであろう自分自身の意識の為にも、今の頭の中にあるモノを文章にしたい！日記程度しか書いた事がない私だったが、何かに取付かれたように書いていた。<br><br><br>そして、ひとつの文章が出来上がった。<br><br><br>出来は良いかは解からないが、ものすごいものが書きあがった！とおおいに勘違いした。原稿用紙を持って出版社へと足を運んだりもした。数社に持ち込みをしたが、答えは全部「ノー」。<br><br><br>当たり前であろう。文章力もなく無名な私の書いた物が評価されるわけがない。<br>話を聞いてくれただけ有難い話である。<br>行き場のなくなった原稿用紙数百枚は、三冊に分けとじ込み表紙をつけて「本」<br>らしく仕立て、実家の本棚で眠っていた。<br></font><br><font size="3"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140310/17/oldohenrosan/f8/1e/j/o0800060012871054145.jpg"><img alt="手づくり感バッチリ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140310/17/oldohenrosan/f8/1e/j/t02200165_0800060012871054145.jpg"></a><br><br>私自身、読むのは10年近くぶりかな？ちょっと恥ずかしい気がするが、１２年も前の自分が書いたモノとなると、別人が書いたモノにも感じられ新鮮な気さえしてくるから面白い。<br><br><br>と言うわけで、これからどれぐらいの時間が掛かるかわかりませんが、少しづつ１２年前の原稿をアップしていきます。<br><br>・オリジナルな文章を皆様にお伝えしたいので、誤字・脱字と思われる文以外は一切修正をせずに書いていきたいと思います。<br><br>・登場する人物のお名前等は、プライバシーの問題もあるので、仮名に書き換えたりアルファベット表記にしたいと考えています。<br><br>・その時の写真もあったので、一緒にアップしていきたいと思います。（写真なので、スキャナー取り込みです）<br><br><br>これから「おへんろ」へ行く方に読んでもらって少しでも参考にならば幸いです。ただ、ガイドブック的な要素はかなり低い気がします。２０代の若者が四国へんろを通じて様々な事柄に目を向けて、考えて意見をする。「青年の主張～おへんろ版～」的なカテゴリーかもしれません（笑）<br><br><br>私自身も最初の数ページしか読んでいないので、どんな展開になるか、ワクワクドキドキな状態です。<br><br><br>では、今後も宜しくお願いします。<br><br>次回から、本編の始まりです。<br><br></font><br>
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<pubDate>Mon, 10 Mar 2014 15:47:19 +0900</pubDate>
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