<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>相続準備はじめました～佐々部光章</title>
<link>https://ameblo.jp/one-two-3-4-five/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/one-two-3-4-five/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>まだまだ元気な70代の佐々部光章です。ふとしたきっかけから相続準備をはじめました。後世に残したいマナーをブログにまとめます。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>瞑想の郷（富山県）と曼荼羅～佐々部光章</title>
<description>
<![CDATA[ <p>北陸・富山県利賀村上畠の山腹にある「瞑想の郷」を訪れる観光客は必ず、「瞑想の館」に掲げられた極彩色の大きな曼荼羅（まんだら）を見上げながら、説明のスタッフに「なぜ利賀に曼荼羅があるのか」と質問します。<br><br>「瞑想の郷」は宮崎道正村長ら関係者が思いもしなかったひょんなきっかけで生まれました。<br><br>毎冬開かれる「利賀そば祭り」は、大勢の観光客でにぎわいますが、ルーツは前利賀村長の野原啓藏さんが利賀郵便局長を務めていた昭和40年代にさかのぼります。<br><br>野原さんは、大口の預金者や保険契約者を接待する「そば会」を毎年、地元で開いてました。<br><br>村長になった後の1985年（昭和60年）、富山県が雪対策条例を制定したのを機に、村のイメージアップに「そば祭り」を村のイベントとして計画、1986年（昭和61年）に第1回「利賀そば祭り」が開かれました。<br><br>これが図に当たり、そばによる村おこしが始まりました。<br><br>拠点として「そばの郷」が建設されることになり、計画は宮崎村長に引き継がれました。<br><br>●ツクチェ村を訪問<br><br>1989年（昭和64年）1月、宮崎村長ら19人の調査団は利賀村を出発、ソバ原産地の一つであるネパール・ツクチェ村に向かった。<br><br>「ソバの郷」の中心施設、ソバ博物館に展示するソバ文化に関する資料収集を兼ねての友好提携調査団です。<br><br>悪天候に足止めされ、ツクチェ村にたどり着いたのは1週間後でした。<br><br>ツクチェ村の村民は総出で一行を「ナマステ」と出迎え、大歓迎しました。<br><br>「ナマステ」はネパール語で「こんにちは」の意味です。<br><br>翌日、羽織はかま姿の宮崎村長がツクチェ村と友好提携を調印しました。<br><br>●曼荼羅に目を奪われ<br><br>ツクチェ村は、日本の高僧、河口慧海が1868年（明治初年）、チベットに潜入した時に一時隠れ住んだゆかりの地でもあります。<br><br>村の寺院を訪れた宮崎村長は荘厳な曼荼羅壁画に目を奪われ、息をのみました。<br><br>曼荼羅を描いたのはツクチェ村の画僧、サシ・ドージ・トラチャンさんです。<br><br>全く予定にはありませんでしたが、宮崎村長はサシさんの手を取り、「利賀村に来て曼荼羅を描いてくれませんか」と申し出ました。<br><br>利賀村に曼荼羅を収蔵する「瞑想の郷」建設のきっかけはこの時に始まります。<br><br>佐々部光章<br><br>■瞑想のやり方<br><a href="https://kamittochuuch.com/meisou-how.html" target="_blank">https://kamittochuuch.com/meisou-how.html</a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/one-two-3-4-five/entry-12555868965.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Dec 2019 14:27:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>山の神の異称と主婦連と杓子～佐々部光章</title>
<description>
<![CDATA[ <p>かかぁなどの由緒あるいいまわしに比べると、山の神は土俗的です。<br><br>本来の山の神は山をつかさどる山の精で、民間の信仰では秋の収穫後は近くの山におり、春には山を下って田の神になるとされていて、妻の異称とするのは、杓子をもった姿にえがかれるからです。<br><br>杓子が主婦のシンボルであるのは、主婦連の街頭行進を引用するまでもありません。<br><br>姑が嫁に主婦権を譲渡するのを、古くは杓子渡しといっています。<br><br>いつまでも嫁にいかず、母親のよそうご飯をたべて、気楽でいいというのはもってのほか、女中にいっても、早く杓子をもって、他の奉公人によそってやる役になりたいとしたものです。<br><br>杓子果報とはご飯をたくさん盛ってもらえること。<br><br>転じて運がいいことをいい杓子当たりということばもあって、あしの盛り加減のいいことで、"宿場の飯盛さえ、杓子当りの悪い我等"と「春色梅暦」にもあります。<br><br>佐々部光章</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/one-two-3-4-five/entry-12308816512.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Sep 2017 08:15:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>金婚式の祝いは、こまかい配慮も大切</title>
<description>
<![CDATA[ <p>祝宴はどんなに楽しく、雰囲気のはずんだものであっても、ほどほどにきりあげるようにします。<br><br>長時間の宴席はご老体にとって疲れるものです。<br><br>あくまでも、ふたりのための祝宴ですから、最後まで、こまかい配慮を忘れないように注意します。<br><br>なお、祝宴を夫婦の自宅でする場合は、主催者が最後まで残ってきれいにあと片づけをしてから引きあげます。<br><br>あるいは外で行なう場合は、夫婦を自宅まで送りとどけて、最後までお世話することは当然のことです。<br><br>お祝いの贈り物は、金婚式のシンボルは金ですから、できれば金製品のプレゼントを贈ってあげたいところです。<br><br>もちろん予算の都合もあるでしょうから、金そのもので作られたものでなくても、金糸をあしらった織物や、金蒔絵の漆器などでもかまわないわけです。<br><br>お祝いの方法としては、祝宴を催すかわりに、家族のだれかが付き添って、ご老体を温泉などに招待して二、三日ゆっくりと休養してもらうのもいいでしょう。<br><br>ただしこれは、祝われるふたりの健康状態がいいときにかぎります。<br><br>佐々部光章</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/one-two-3-4-five/entry-12308816195.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Sep 2017 07:40:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>金婚式の祝いは、まわりの人がお膳立てを～佐々部光章</title>
<description>
<![CDATA[ <p>銀婚式のお祝いは当事者である夫婦が親しい友人や知人を招いてするのがふさわしいものですが、金婚式は、結婚して五十年という長い年月を共に歩いてきた老境にある夫婦をいたわり、また励ます意味で、周囲の親しい人々が率先して、お祝いの機会を作ってあげたいものです。<br><br>もちろん、当事者が客を招いてしてもかまわないわけですが、息子や娘、また孫たちが、ふたりの親しい人々を招いて、お祝いの席を作るのがふさわしいといえるでしょう。<br><br>年配者として、また人生の先達として、今後の幸福と健康を願う気持ちをこめて、心からお祝いしてあげることが望まれます。<br><br>祝宴は、肩の凝らないくつろぎと、あたたかい雰囲気に満ちたものがよく、お料理や飲みものも、ご老人の口に合うものを用意します。<br><br>料亭やレストランを利用するのもけっこうですが、遠方に出かけるのは老夫婦にとっては苦痛の場合もあります。<br><br>できれば夫婦の自宅か、近い場合は、息子か娘の家で催してあげるのがいいでしよう。<br><br>佐々部光章</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/one-two-3-4-five/entry-12308815812.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Sep 2017 07:10:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>結婚式は仏前でも行なわれる</title>
<description>
<![CDATA[ <p>結婚はおめでたいもの、お寺は死んだ人をほうむるところ、というような観念からすると、仏前結婚式は奇異に感じられるかもしれませんが、地方によっては住民のほとんどが、結婚式をお寺で行なったり、仏式による自宅結婚式を行なっているところもあります。<br><br>袖すり合うも他生の縁（すり合うは互いに触れることで、道行く知らぬ人と袖がふれあうことさえ宿縁による）ということばもあって、過去から未来へとつづくこの世界で、同じ現代の地上に生をうけ、数ある人々のなかで妻と呼び、夫と呼ばれる間柄は、仏教でいうまことに深い因縁です。<br><br>この意味からは、神前結婚や教会によるキリスト教の結婚式もけっこうではあるが、とくに国民の大多数を占める仏教信者、仏教徒としては、ご仏前で華燭の典を挙げて二世の契りをむすび、祖先の霊前に孝養を誓うのも意義のあることといえましょう。<br><br>佐々部光章</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/one-two-3-4-five/entry-12308815375.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Sep 2017 12:28:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>盆には先祖の霊を供養～佐々部光章</title>
<description>
<![CDATA[ <p>盆は別名、盂蘭盆あるいは盂蘭盆会といい、７月１５日に、祖先の霊に供物をお供えして供養する行事です。<br><br>もとは、梵語のウッランバナが語源で、仏教の行事として行なわれていたものです。<br><br>釈迦のお弟子さんのひとりである日蓮が、地獄で餓鬼道に落ちた自分の母の苦しみを知って、釈迦の教えに従って７月１５日に供養したところ、母は救われて極楽浄土に行くことができたという仏説がその由来とされています。<br><br>お盆の行事は１５日を中心にして、１３日の夕方から１６日の朝までするのが一般的ですが、地方によっては旧暦や一か月遅れでするところもあります。<br><br>精霊棚を作って精霊を迎える１３日は「迎え盆」といって、先祖の霊を迎える精霊棚（先祖棚）を作り、種々の供物をお供えします。<br><br>盆の花取日といわれる１１日の早朝に山に入って、桔梗、女郎花、萩、山百合などの盆花を摘み取り、霊前に飾ります。<br><br>供物は白玉だんご、水、果物、野菜などを供えます。<br><br>また、お盆には精霊が馬に乗り、牛に荷物を背負わせて帰って来るという言い伝えから、きゅうりやなすに割箸で脚を作り、馬や牛の形を作って供えるのが習わしです。<br><br>今では、この精霊棚も一般の家庭ではあまり作られなくなり、代わりに仏壇を清めて、花や供物を供える場合が多いようです。<br><br>夕方になると、墓地や家の門前で、精霊の迎え火を焚くしきたりがあります。<br><br>火を焚いて、精霊が帰ってくる道を照らして導くためのものです。<br><br>家族は迎え火の煙に向かって合掌して霊を迎えますが、これを「精霊迎え（魂迎え）」といいます。<br><br>１４日と１５日は、朝から精霊棚にお供えを欠かさないようにしておきますが、１５日の夕方には（地方によっては１６日の夕方）、「送り盆」といつて、迎え火と同じように送り火を焚きます。<br><br>そして、精霊を送り出すのですが、これを「精霊送り（魂送り）」といいます。<br><br>なお、盆踊りは、もともとは帰ってくる精霊を迎えて慰め、再び送り帰すために、墓地の近くの広場やお寺の境内などで踊ったものです。<br><br>佐々部光章</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/one-two-3-4-five/entry-12308255342.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Sep 2017 15:18:27 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
