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<title>仔羊の讃えうたは</title>
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<description>キリスト教に獄中回心した、元・前科者の拙き者です。獄中回心記を主に、日常生活の中で自分と闘う、人に優しいブログにしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。</description>
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<title>心に憂いを。</title>
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<![CDATA[ <div style="text-align: center;"><font size="5"><b>彼が担ったのはわたしたちの病　<br>彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに<br>わたしたちは思っていた<br>神の手にかかり、打たれたから<br>彼は苦しんでいるのだ、と。<br>　　旧約聖書　　　　　イザヤ書　53：4</b></font><br>&nbsp;</div><div style="text-align: center;"><font size="5"><b>悩みは笑いにまさる。<br>顔が曇るにつれて心は安らぐ。<br>　　同書　　　　　　　　コヘレトの言葉　7：3</b></font></div><div style="text-align: center;">&nbsp;<div align="center"><a href="http://livedoor.blogimg.jp/onesimo1207/imgs/9/b/9b5a55f6.png" target="_blank" title="8"><img alt="8" border="0" class="pict" height="360" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207%2Fimgs%2F9%2Fb%2F9b5a55f6-s.png" width="480"></a></div></div><p>&nbsp;</p><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><p>&nbsp;</p><div><b>心に傷や暗闇を持たない人は、憂いや優しさが、余りないのではないかと私は感じます。<br><br>現に、過去に傷を負い、悩み苦しみ、現在を生きている方に私は魅力を感じますし、他人の心の痛みが凄く分かる方が多いのは現実社会で良く見掛けます。</b><br>&nbsp;<div><b>そもそも、キリストの救いは、イエスさま自身の傷による救いだと想い、信じています。<br><br>その救いの恵みは、自分自身が深く傷付いたときに初めて、活き活きとしたものとなり、心に沁みこんでくるものではないでしょうか。</b><br>&nbsp;</div><div><b>私自身もそうでした。</b></div><div><b>約１9年前、自分が犯したある罪の重さに打ちひしがれ、苦しみ嘆き、自分の「死」を考えたばかりか、人をも殺してやろうと命を狙ったものです。</b><br>&nbsp;</div><div><b>幸いにも身柄を拘束されて、今度は孤独な拘禁生活を送らざるを得なくなったとき、どう表現すべきか、荒ましい罪責感と自己嫌悪に陥りました。</b><br>&nbsp;</div><div><b>その時に出会ったのがイエスさまなのです。</b><br>&nbsp;</div><div><b>イエスさま自身が負われた傷により、私自身の罪が癒され、赦されているのを痛感しました。</b><br>&nbsp;</div><div><b>その体験があるゆえに、その後の７年半に渡る孤独で永い刑務所生活の、自分との闘いにも耐えられたのです。</b><br>&nbsp;</div><div><b>この私自身が負った傷ゆえに、現在、私は、本当に小さいものですが、人の心の痛みが分かるようになりました。</b><br>&nbsp;</div><div><b>そしていま、イエスさまには到底及びませんが、微力ながらも心に傷を持ち、悩み苦しんでいる人たちの心に寄り添い、その人たちの心の悲鳴に耳を傾けられるようになったのです。</b><br>&nbsp;</div><div><b>人の心の痛みを癒せるのは、お金という薬ではなく、人の心だと言うのが私の結論です。</b><br>&nbsp;</div><div><b>いま、心に傷を負い苦しんでいる人・・・</b></div><div><b>「自分はダメな人間だ！」とか、<br><br>「自分は生きる価値のない人間だ！」とか</b><br>&nbsp;</div><div><b>思うことは全くないですよ。</b><br>&nbsp;</div><div><b>その心の痛みや苦しみは、あなた自身にしか分からないとても大切な宝ものです。</b></div><div><b>いつかきっと、その痛みが人の心を癒すものとなるはずです。<br><br>それは自分にとって大きな宝物となるのではないでしょうか。</b><br>&nbsp;</div><div><b>優しさとは、人に憂いと書きます。</b><br>&nbsp;</div><div><b>どこまで、他人の痛みを自分自身の痛みとしてもつことができ、心に憂いを持つことで、人は優しくなれると言うことではないでしょうか。</b></div></div><p>&nbsp;</p><div><font style="font-weight: bold;">今を精一杯生き抜きましょう。</font></div><p>&nbsp;</p><div><font style="font-weight: bold;">自分が、自分自身を信じてあげないと誰が信じてくれますか・・・</font></div><p>&nbsp;</p><div><font style="font-weight: bold;">あなたにしか出来ない・・・あなたの道が、きっと、きっと、備えられているはずです。</font></div>
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<link>https://ameblo.jp/onesimo0331/entry-12612969412.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jul 2020 04:17:27 +0900</pubDate>
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<title>私の祈り</title>
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<![CDATA[ <div style="text-align: center;">天におられます　私たちの神よ</div><div style="text-align: center;">私の半生はことごとく罪に穢れ　自分の欲求だけを満たし</div><div style="text-align: center;">人を傷つけ　満足して参りました</div><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div style="text-align: center;">目の前にある　大きな愛にも気付かず</div><div style="text-align: center;">ひとりこうして償いの日を待つ今　やっと私自身の罪の重さと</div><div style="text-align: center;">罪の深さに気付きました</div><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div style="text-align: center;"><div align="center"><img alt="イエスさま" border="0" class="pict" height="800" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207-u2c0bagu%2Fimgs%2Fb%2F8%2Fb801275c.jpg" width="600"></div></div><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div style="text-align: center;">どうか　愚かなる私を</div><div style="text-align: center;">私の過去の　全ての罪をお赦しください</div><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div style="text-align: center;">現在の　この苦しみの時を　神の　み恵による試練の時とするならば　</div><div style="text-align: center;">主であるイエス・キリストが示された</div><div style="text-align: center;">愛と信仰と赦しにより</div><div style="text-align: center;">乗り切れるはずだと信じます</div><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div style="text-align: center;">どうか　罪深い私に　神さまの僕となれますように</div><div style="text-align: center;">そして　そして</div><div style="text-align: center;">イエスさまの名により　こころ満たされず　さまよう人たちを</div><div style="text-align: center;">救える人となるべき道を　私に示してください</div><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div style="text-align: center;">そして　私が　過去に関わって来た　全ての人が</div><div style="text-align: center;">幸せになれますように　心豊かになれますように　お祈りいたします。</div><p>アーメン　　　　　　<br>2001年　7月13日　拘置所にて<br><br><br><br>この祈りは日付けから思うと、聖書と出会ってから4か月ほど経ったときに書かれたものだと思います。<br>当時、私は聖書が無ければ一日を過ごすことが出来ないほどでした。<br>明け方に目を覚ますと聖書を開き、消灯後、小さな灯りの中でも、担当官から注意を受けても聖書に接していました。<br><br>&nbsp;</p><div style="text-align: center;"><b><font size="4">「わたしは口を大きく開き、渇望しています。</font></b></div><div style="text-align: center;"><b><font size="4">あなたの戒めを慕い求めます。」</font></b></div><div style="text-align: center;"><b><font size="4">詩編119-131</font></b></div><p><br>正にこの、み言葉のように、神さまの戒めを慕い求めていました。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/onesimo0331/entry-12612767704.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2020 05:19:17 +0900</pubDate>
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<title>私にとって、お祈りとは・・・</title>
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<![CDATA[ <p><b>ある本の中で、こんな例え話しがありました。</b><br>&nbsp;</p><div><b>ある日大雨が降りダムが崩れ始め、洪水となり町に襲いかかります。</b></div><div><b>日ごろ、祈りを重点視するキリスト教の信者さんは、避難勧告をも聞かずに、お祈りを以て救われると信じて疑わずお祈りをしています。</b></div><div><b>水はだんだんと溢れ、床下から床上まで押し寄せて来ます。</b><br>&nbsp;</div><div><b>これは危険だとばかりに、ボート救出に向かった消防隊員に信者さんは言います。</b><br>&nbsp;</div><div><b>「私は祈りをしているから良い！」　と・・・</b><br>&nbsp;</div><div><b>やがて屋根の方まで水に浸かりはじめ、今度はヘリコプターより救出しようと試みますが、お祈りが有るから自分は助かると言い張り、それを無視し、最後には死んでしまいました。</b><br>&nbsp;</div><div><b>そして、天国の門番であるペトロに尋ねるのです。</b><br>&nbsp;</div><div><b>「私はあんなにお祈りしていたのに、なぜ助けてくれなかったか！」と・・・</b></div><div><b>すると、ペトロは応えます。</b><br>&nbsp;</div><div><b>「それは、間違いです。何度も助けようと手段を取りました。最初は避難勧告・次はボート・次はヘリコプター・・・それなのにあなたは無視をしてたのですよ。」</b><br><br>&nbsp;<div align="center"><b><a href="http://livedoor.blogimg.jp/onesimo1207/imgs/b/5/b517312d.png" target="_blank" title="26"><img alt="26" border="0" class="pict" height="294" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207%2Fimgs%2Fb%2F5%2Fb517312d-s.png" width="480"></a></b></div>&nbsp;<div><b>さて、この例え話であなたはどのような事を考えるでしょうか。</b><div><b>私流に言わせて頂ければ、例えば、お祈りだけを以て病気が治るとするならば、全国各地に病院を建てずに教会を建ててお祈りしてろ！って事です。</b><br>&nbsp;</div><div><b>お祈りをしても叶わないものは叶わないのです。</b></div><div><b>＊それは何故かと言う疑問の声が聞こえて来そうですが、この話しになると今回の趣旨と違って参りますので掲げないことをお許しください。</b><br>&nbsp;</div><div><b>私は、お祈りを決して否定するものではなく、むしろお祈りを以て、自分の心と身体の全てを神さまに委ね、例え祈りが叶わず、困難が来ても、必ず救われる事を信じてそれを受け入れる勇気が必要ではないかと言っているのです。</b><br>&nbsp;</div><div><b>良く過去を振り返り、思う事は有りませんか。</b><br>&nbsp;</div><div><u><b>その時に困難と思った事でも、今となれば良かったと思える事が・・・。</b></u><br><br><b>苦しみは素直に受け止め、祈りを以て生活をしていると、きっと失ったものよりも倍以上なものを、神さまは備えてくれるなだと言うのが、私のキリスト信仰の原点です。</b><br>&nbsp;</div><div><b>確かに私は、ある特定の方に愚痴や嘆きを凄く言っています。</b><br>&nbsp;</div><div><b>しかし、根本的な部分では神さまを信じ、例えこの身体がぶっ壊れても、祈りのなかで聞いたみ声に聞き従い、実行に移す努力を惜しまずにいます。</b><br>&nbsp;</div><div><b>私自身の実生活は本当に苦しく辛い事が多いのですが</b></div><div><b>、喜びを以てそれを甘んじて受け止め従って行く事で、真の喜びを得られるものであると信じているのです。</b></div></div>&nbsp;<div><br><b><u>祈りは、神さまと自分との対話の時です。</u></b></div><div><b>祈りが叶わずとも、喜びをもって神さまの声を真摯に聞きつつ、素直にそれに従いたいものです。</b></div>&nbsp;<div><b>この拙きプログを読んで下さる全ての人の上に神さまの祝福と恵みが豊かにありますように。</b></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/onesimo0331/entry-12612628407.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jul 2020 12:37:41 +0900</pubDate>
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<title>キリストに学び生きる。</title>
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<![CDATA[ <div><font style="font-weight: bold;">父なる神さま。</font></div><div><font style="font-weight: bold;">私はいま、体力的にもとても厳しい現実を突きつけられています。</font></div><div><font style="font-weight: bold;">どうぞ、癒しの恵みを授けてください。</font></div><p>&nbsp;</p><div><font style="font-weight: bold;">いま、「ヤベツの祈り」を祈ります。</font></div><div><font style="font-weight: bold;">どうぞ、ヤベツが求め祈りを聞き入れられたように、私にも求めに応じてくださいますように・・・</font></div><p>&nbsp;</p><div><font style="font-size: 1.4em;"><font style="font-weight: bold;">「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください。」</font></font></div><div style="text-align: right;">　　　　　　<font style="font-size: 1.4em;">　　　<font style="font-weight: bold;">歴代誌　上　4-10</font></font></div><p style="text-align: right;">&nbsp;</p><div style="text-align: center;"><div align="center"><a href="http://livedoor.blogimg.jp/onesimo1207/imgs/b/5/b517312d.png" target="_blank" title="26"><img alt="26" border="0" class="pict" height="294" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207%2Fimgs%2Fb%2F5%2Fb517312d-s.png" width="480"></a></div></div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div><b>私</b><b>が現在、自治会長として地域社会の中で活動の場を与えられています。</b></div><div><b>宗教的なことには、一切タッチせずに話さえ致しません。</b></div><div><b>自称・キリスト者である私にとって、それは寂しい反面、色々と勉強になります。</b></div><div>&nbsp;<div><b>ある意味一方的で偏った考えを、キリストに興味を持って居られる方に押し付ける可能性も有り得るので、それを考慮しつつ、このコミュニティの場をまとめるのは大変ですが、私自身の勉強の場ともなっているのが本音です。</b></div>&nbsp;<div><b>コミュニティーの人数は僅かですが、そこには既にクリスチャンの方も居られたり、ノンクリスチャンであったり、教会に対して不信感を抱いて居られる方。<br>または、礼拝に授かりたいけど、精神的な疾患があり行けない方と、さまざまな方が居られます。</b></div>&nbsp;<div><b>その中で私が常に心がけて発信しているのは、教派・教団、あるいは、他宗教の方にでも否定的な事を掲げずに分かり易く、且つ日常的な問題の中で聖書をどう読み説いて行くかです。</b></div>&nbsp;<div><b>読み解くと言っても人に聖書解釈するほど能力は持ち合わせていない私ですし、聖書解釈を掲げて居る訳では決してありません。自分の過去の生活の中でどうキリストに関わって来たかを聖書の聖句を織り交ぜて祈り、行動して行くか。のみです。</b></div>&nbsp;<div><b>今はすでに天に召された、私をキリスト者として育てて頂いた方が良く言われた言葉ですが、<br><br>「貴方が、キリストに結ばれて生きる事が、唯一の証しだよ。」<br><br>私は、その言葉を大切にはしていますが誠に恐縮ながら、本来聖書の御言葉を人に伝えて行こう等とは考えていません。</b></div>&nbsp;<div><b>それは、路上生活されている方々への支援、また、東日本大震災での現地支援ボランティア活動で、強く教えられました。</b></div><div><b>聖書片手に</b></div><div><b>「神を信じれば救われる。」</b></div><div><b>「神さは愛です。」</b></div><div><b>と、叫んでみても、日常の生活さえままならない人には通じはしないのです。</b></div>&nbsp;<div><b>それよりも、対する人とどう関わり、イエスさまならその方とどのような関わりをされるかを祈りの中で行動して行きます。</b></div><div><b>すると、どうしても伝道と言うよりも先ず、その方に寄り添いつつ、共にどう歩みを起こすかを考えるべきではないかと思います。</b></div>&nbsp;<div><b>ただ、私自身はあくまでも、キリストに従うと言う決意を持っていますから、聖書の勉強も、聖職者の方々の訓えも、指導も必要だと痛感しています。</b></div>&nbsp;<div><b>そしていつも、ボランティア活動のなかでは、（私の考えでは志願兵）・・・キリストを求め従う志願兵として仕えさせて頂いてました。</b></div><div><b>そして今からも、誰に何を言われようと断じてそれを変えようと思いません。</b></div>&nbsp;<div><b>それは、根本的な深層心理の中で、聖書の御言葉を持って祈りと共に従って行きますが、他人をキリストに導こうと言う気はないのが、私のキリストに学び生きる道です。</b></div>&nbsp;<div><b>導かれるのは、神さまであり自分ではないと言う想いが強いです。</b></div><div><b>自分が、他人を導こうと思えば、そこに驕りが必ず出てきます。</b></div><div><b>「驕りは、人を傷つけるばかりか、自分にさえ嘘をついて行く道を辿るようになる。」</b></div><div><b>と言う、自分の想いからの事で、その他の考えをお持ちの方を否定するものではないのでお赦し下さい。</b></div>&nbsp;<div><b>ただ、私との関わりの中で、キリスト教の求道に入られた方も数人居られるのも事実ですが、果たしてそれが伝道と言われるかどうかは定かではありません。</b></div>&nbsp;<div><b>でも、私にはそのような活き方が一番似合っていると思います。</b></div>&nbsp;<div><b>私にとってキリストに活きるとは自己との闘いから始まるからです。</b></div>&nbsp;<div><b>前記したコミュニティーにおいても、現実生活のなかでも、私は人に教える立場ではなく、共に神さまの存在を知り、否定的感情論を捨てて、キリストにどう活きて歩みを起こすかを祈りの中で覚えて行きたいものです。</b></div></div>
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<pubDate>Wed, 22 Jul 2020 08:24:09 +0900</pubDate>
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<title>自分の弱さを誇ろう。（下）</title>
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<![CDATA[ <p><b>キリストがわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。</b></p><div><b>　　　　　　　　　　　　　　　　　コリント人への第二の手紙　１２：９</b></div><div><div align="center"><b><img alt="イエスさま" border="0" class="pict" height="800" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207-u2c0bagu%2Fimgs%2Fb%2F8%2Fb801275c.jpg" width="600"></b></div></div><p><br>&nbsp;</p><div><b>人は誰しも自分の強さを誇りにして生きていると思いませんか？<br>かつての私も、それを誇りにして生きて参りました。</b><br><br><br><b>資力があり、体力もあり、絶対的発言権をも有す、自分に誇りを持っていたのです。</b><br><br><br><b>しかし、この誇りは「恐れ」と言う言葉を併せ持つ偽りの誇りだったのです。</b></div><div><b>絶対的権力を失ったらどうなるのだろうか・・・</b></div><div><b>お金が無くなったらどうなるだろうか・・・</b></div><div><b>それは、まさに「恐れ」です。</b></div><div><br><b>恐れと言うのは、その誇りを傷つけられては怒り、更に大きな力を持つ他者を妬むと言うもので、それは偽りの強さの誇りにあったと思えてなりません。</b><br><br><br><b>このような誇りは必ず、失う「時」が参ります。</b><br><b>過去の私のように、自分の力を誇りにしている人は、このような力を失った弱さに直面すると悲嘆に暮れて絶望します。</b><br><b>そのような弱さに陥らないように、人はあらゆる努力をしますが、いつかは何らかの形で弱さに直面するものです。<br><br>良い例が「老化」と「死」です。<br>これだけは避けられない真実です。</b><br><b>強さをそれまで誇りとして来た人は、その真実に直面したとき、様々な手段を用いてそれを避けて通ろうとします。<br><br>それでも尚、防ぐ術を失ったとき、絶望と屈辱を味わうものです。</b><br><b>しかし、自分の弱さを誇るとすればどうでしょう。<br><br>その人の人生には、もう恐れるという事は無いのではありませんか。<br>弱さを誇るというのは、弱さの極致です。</b><br><br><br><b>私は９年前、脳梗塞で倒れました。</b><br><b>それまで非道な道を歩み、強さだけを誇りにして来た自分に示されたものであり、神さまの御心なのだと、過激なボランティア活動に徹していたのですが、左半身不随となった病院のベッドの上において、嘆き悲しんだものです。</b><br><br><br><b>しかし、自分の価値観・力を投げ捨てて、キリストの慈愛と力に身を委ねた時に、自分の力ではなくキリストの力により生かされているという真実を知りました。</b><br><br><br><b>そして、キリストを信じる者とは、キリストに結ばれてキリストの力によって生きて行くのだと言う確信を得たのです。</b><br><br><b>あれから９年・・・<br>見た目には、健康な者と変わりない私も、日常生活に色々な支障を来しています。<br>左半身の重さ。</b></div><div><b>利き手である左手の不自由さ。<br>歩くことの不便さ。<br>辛くも診断された記憶障害。<br>でも、私は、この現実を深く受け入れ、この自分の現実に、弱さの中の誇りを覚えて大切にしています。</b><br><b>「自分の弱さを誇ること。」<br><br>弱さのなかにこそ、真実なる力が発揮されます。<br>私には弱さこそ、絶大な力です。<br>大いに自分の弱さを誇りましょう。</b></div>
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<pubDate>Tue, 21 Jul 2020 05:38:00 +0900</pubDate>
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<title>自分の弱さを誇ろう（上）</title>
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<![CDATA[ <p><b><font color="#0000FF"><font style="font-size: 1.4em;">事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。</font></font><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ヘブライ人への手紙　２章１８節</b><br>&nbsp;</p><div align="center"><img alt="13" border="0" class="pict" height="582" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207%2Fimgs%2F5%2F9%2F5955f247.png" width="466"></div><p>&nbsp;</p><p><br><font style="font-size: 1em;"><font style="font-weight: bold;"><font style="text-decoration-line: underline;">「</font></font></font><b><font style="font-size: 1em;"><font style="text-decoration-line: underline;">真に他人の痛みを自分の痛みとして受け入れられるようになること。」</font></font></b><br>&nbsp;</p><p><b>それが、私の切なる願いであり、祈りです。<br><br>しかしながら、人の心の痛みを自分のものとして受け入れるには限界もあります。<br><br>そう、人の心の痛みは、人それぞれだからです。</b><br>&nbsp;</p><p><b>でも、自分の弱さや痛みを乗り越えた者には、他の人に向かって有効な援助ができるものだと信じて止みません。<br><br><br>神さまは、人・ひとりひとりに、それぞれの課題・弱さを与えておられます。</b><br>&nbsp;</p><p><b>それは、決して私たちが、不平や不安をこぼすためでなく、その中に神さまの慰めの御手の業を観るため。<br><br><br>自分と同じような境遇の中に在る人々に対する励ましの意味を持っている事を信じます。<br><br><br>不遇と思えるなかに、神さまの栄光を観ることは、本当に大切な事だと思います。</b></p><p>&nbsp;</p><p><b>コロナ禍のなかで苦しむ方々、震災地で明日の不安を抱えて居られる方々</b><b>、みなさんの上に、神さまの祝福と恵みが、豊かに満ち満ちと溢れ、佳き時を過ごされますように。</b></p><p><b>シャローム♱</b></p>
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<link>https://ameblo.jp/onesimo0331/entry-12612339009.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Jul 2020 02:21:39 +0900</pubDate>
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<title>99.9%の確率</title>
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<![CDATA[ <p><b>この確率は、私が刑務所から出所する時に幹部職員に言われた、再犯の確立です。</b><br>&nbsp;</p><div align="center"><b><a href="http://livedoor.blogimg.jp/onesimo1207/imgs/0/d/0d2980bb.png" target="_blank" title="刑務所"><img alt="刑務所" border="0" class="pict" height="258" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207%2Fimgs%2F0%2Fd%2F0d2980bb-s.png" width="480"></a></b></div><p><br><b>私は、刑務所在監中、<br><br>「恐ろしく極悪非道だ！」　「腐れ外道！」などと、いわゆる転勤族である、キャリアの刑務官に言われ続けていました。</b></p><p><br><b>入所直後から約５年もの間、喧嘩ばかりしては、罰を重ねていたのだから仕方がありません。<br><br>反対に地元に根付いている、刑務官からは、<br><br>「お前自身の気持ちは分かっているから、偉いさんの言うことは気にするな。」<br><br>と、励ましの言葉を頂いていました。</b></p><p>&nbsp;</p><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div><b>あれから12年余り・・・夢中で走り抜けて参りましたが、その、99,9％の壁はとても高く厚いものでした。<br><br>前科者に対して、社会側の受け入れは殆ど無いに等しく、周りからは白い目で見られ何か事あるごとに、針小棒大に語られる。<br><br>信用を築き上げることは、普通一般人よりも難しく、信用を崩すことに関しては、素早く崩されて参りました。<br><br>私自身、悔しくてならないのは、責任をなすりつけられるような針小棒大に語られる事件が数々有ったのが現実です。</b></div><p>&nbsp;</p><div><b>そのたびに涙を流しました。</b></div><p>&nbsp;</p><div><b>それほど、９９.9%の壁は私にとって過酷なもので有ったと言っても過言ではありません。</b></div><p>&nbsp;</p><div><b>でも・・・私がキリスト者だからいうのでなく、それ以前に人間として、</b><br><br><b><font size="4">「自分の心だけは大切に。」</font></b><b>と、今も生きています。<br><br><font size="5">「何を守るよりも、自分の心を守れ。<br>そこに命の源がある。」　　　　箴言４章２３節</font><br><br><br><u>私は、他人（ひと）の笑顔を見るのが好きです。</u><br><br>その、他人の笑顔を大切にしたいと言う想いで、今を生きています。<br><br>誰もが本当に大切なものが有るのではないでしょうか。<br><br>それを大切に生きて貰えたらと思っています。<br>特に更生を志す方々には、特に言いたいのです。<br><br>悔しくても、腹が立つことが有っても、「更生」を口にするのなら、泣き寝入りすることも、一つの手段であり、決して負けではないのです。<br><br>みんな、それぞれの生き方も、感じ方も、環境も違うけど、違うからこそ、尊く美しいものではないでしょうか。</b></div><p>&nbsp;</p><div><b>貴方自身の９９.９％の壁を乗り越えられますように。</b></div>
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<pubDate>Mon, 20 Jul 2020 04:06:49 +0900</pubDate>
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<title>「一日を生きる。」</title>
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<![CDATA[ <p><font style="font-weight: bold;">おはようございます。<br><br>最近、歳のせいか、早寝早起きが常となっていまして、今朝もまだ、６時前・・</font></p><p><font style="font-weight: bold;">何気に聖書を開いていますと、このような聖句が目に留まりました。</font></p><p><br><font style="font-weight: bold;">マタイによる福音書 ６－２５<br>「それゆえ、あなたがたに言っておく。命のために何を食べ、何を飲もうか。また体のために何を着ようかと、思い煩ってはならない。命は食べ物にまさり、体は着る物に勝っているではないか。<br><br>同６－３４後半<br><br>「だから。あすのことを思い煩ってはならない。明日のことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である。」</font></p><p>&nbsp;</p><div style="text-align: center;">&nbsp;</div><div><b>※この訳はフランシスコ会聖書訳ですので、ご了承ください。</b></div><div><font style="font-weight: bold;">本当は、２５節～３４節まで掲げれば良いのですが、この全体を差して、「摂理の信頼」と記されています。</font><br>&nbsp;<div align="center"><font style="font-weight: bold;"><a href="http://livedoor.blogimg.jp/onesimo1207/imgs/0/f/0f70e455.png" target="_blank" title="3568"><img alt="3568" border="0" class="pict" height="323" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207%2Fimgs%2F0%2Ff%2F0f70e455-s.png" width="480"></a></font></div><br>&nbsp;</div><div><font style="font-weight: bold;">大河ドラマで放映されていました</font></div><p><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%B8%B8_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)" target="_blank">真田丸</a><font style="font-weight: bold;">のゆかりの地でもあります、飯山市に</font></p><p><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8F%97%E5%BA%B5">正受庵　</a><font style="font-weight: bold;">という禅宗の寺院が在りますが、その開山の祖である方が説かれています。</font></p><p>&nbsp;</p><div><font style="font-weight: bold;">「今一日暮らす時の勧めをば励み努めるように。どのような苦しみであっても、一日と思えば耐えられる。楽しみもまた、その一日と思えば、道を誤ることもない。一日一日と思えば退屈もしない。一日一日を勤めれば百年千年も勤めやすい。一大事というのは、今日ただ今のこころである。それを疎かにしていては、明日はない。」<br><br>・・・文章は、敢えて私流に掲げていますのでご了承ください。・・・</font></div><p>&nbsp;</p><div><font style="font-weight: bold;">一日を思い煩い、悲しみのなかで生活しても一日。</font></div><div><font style="font-weight: bold;">笑い、楽しみ平和の中で生活しても一日。</font></div><p>&nbsp;</p><div><font style="font-weight: bold;">私は、平安のなかで一日、一日を生活して行きたいってそう思います。<br><br><br>それにしても、イエスさまが説かれた言葉とは根本は違いますが真実は付いているのではないでしょうか。</font></div><div><b>人間生きていると本当に色々とありますが、</b><font style="font-weight: bold;">今日一日を精一杯生きたいものですね。</font></div><div><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/doUO441nIMo" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p></div>
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<pubDate>Fri, 17 Jul 2020 05:10:57 +0900</pubDate>
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<title>こころを大切に・・・</title>
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<![CDATA[ <p><font style="font-weight: bold;">人生には失敗しない選択肢があります。</font></p><div><font style="font-weight: bold;">それは、好きなこと。</font></div><p><b>自分にとって一番、大切なことを素直な自分のココロに耳を傾けて行く事です。</b><br>&nbsp;</p><div style="text-align: center;"><font size="4"><b>「何を守るより、自分の心を守れ。そこに命の源がある。</b></font></div><p><b><font size="4">箴言　4-23</font></b></p><div style="text-align: left;"><div align="center"><a href="http://livedoor.blogimg.jp/onesimo1207/imgs/c/d/cdee7512.jpg" target="_blank" title="271"><img alt="271" border="0" class="pict" height="482" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207%2Fimgs%2Fc%2Fd%2Fcdee7512-s.jpg" width="480"></a></div></div><p><br><br>&nbsp;</p><div><div><font style="font-weight: bold;">自分の心は自分しか持っていません。</font></div>&nbsp;<div><font style="font-weight: bold;">自分の心は自分でしか分からないのです。</font></div>&nbsp;<div><font style="font-weight: bold;">自分に自分をしているのは、実は心なのです。</font></div>&nbsp;<div><font style="font-weight: bold;">自分の中核であり、人生の中心であるココロに、素直な気持ちで耳を傾け、心と相談しながら選択して行きます。</font></div>&nbsp;<div><font style="font-weight: bold;">好きなことを追求して生きて行くのが最高な人生でしょう。</font></div>&nbsp;<div><font style="font-weight: bold;">心を犠牲にしてはなりません。</font></div>&nbsp;<div><font style="font-weight: bold;">心の欲求を犠牲にしてしまえば、後悔と言うものが残ります。</font></div>&nbsp;<div><font style="font-weight: bold;">でも、惑わされてはならないのは、自分の好きなことをするのと、自分の心に嘘を付かずに行動するのは全く別問題なのです。</font></div></div><p>&nbsp;</p><div><font style="font-weight: bold;">自分のこころを、もっともっと大切にして行きましょう。</font></div>
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<pubDate>Thu, 16 Jul 2020 16:22:47 +0900</pubDate>
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<title>悪と闘うこと。</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><b><font size="5">それから霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは４０日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。<br>　　　　　　　　　　　　マルコによる福音書１章１２・１３</font></b><br>&nbsp;</p><div align="center"><a href="http://livedoor.blogimg.jp/onesimo1207/imgs/5/b/5b5aa0bf.png" target="_blank" title="10"><img alt="10" border="0" class="pict" height="444" hspace="5" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fonesimo1207%2Fimgs%2F5%2Fb%2F5b5aa0bf-s.png" width="480"></a></div><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p><b>自分の内にうごめく悪＝敵意・憎しみ・不信などに耐えられないという感情が自分を着飾り、人との関りを持たせているのだと、私は想います。<br><br>人を批判できない弱さの裏には自分自身が人の批判に耐えられないという弱さが有るのではないでしょうか。<br><br><br>誰しも、人の中では否定し難い悪が存在しますので、この事実を無視して生きる事は出来ないのではないのです。<br><br>人は傷付けられることなくして、決して成長はありません。<br><br>人間の生き抜く力は、この悪を認め、対決し、止揚したときに、初めて備わるのだと思います。</b></p><p>&nbsp;</p><div><b>今日も一日、自分らしく在りましょう。</b></div><p>&nbsp;</p><p><b>ありのままの自分を、自分に優しく受け止め、受け容れましょう。<br><br>きっと、心からの喜びが生まれてくるはずです。</b></p>
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<link>https://ameblo.jp/onesimo0331/entry-12610984290.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Jul 2020 07:11:03 +0900</pubDate>
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