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<title>mandyのブログ</title>
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<title>誰が読むために書く？</title>
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<![CDATA[ 読者に迎合するのではないが、読者により良く読んで欲しい、読者に分かって欲しいという作者の気持ちが重要な要素で、それが有って良い文章が書ける。分かりやすい平易な文章を書けば、より多くの読者を得るし、より多くの読者を感動させる可能性がある。<br><br>それは、実は数学であり、社会性である。<br>
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<pubDate>Wed, 28 May 2014 01:13:03 +0900</pubDate>
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<title>実体験があればこそ</title>
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<![CDATA[ 実体験がなければ、そのような内容は書けない。倫理的でない内容を小説にしようとすれば、その体験がなければ書けるものではないと思う。<br><br>小説家・芸術家・芸能人は、倫理的でないものをテーマとして扱うことが多い。殺人をテーマとして扱うからと言って、殺人体験ということだけは無理がある。殺人者が、悔い改めてその体験を小説にしたと言っても、そのような小説は気味が悪く読む気にならない。常識的な生活と体験の中からセンセーショナルな話題となるような小説が生まれると思えない。ベストセラー作家は、小説を書くにあたって、膨大な取材活動と資料をもとにしているという話を聞く。表現する文章が、読者を惹きつける背景となっているのだろう。
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<pubDate>Fri, 23 May 2014 22:32:02 +0900</pubDate>
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<title>小説の書き方</title>
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<![CDATA[ 小説の書き方を指南する本がある。<br>金儲けを指南する本がある。<br>金儲けを指南するくらいなら、自分が金儲けをすれば良い。<br>金儲けを指南する本を書いて、金儲けする？
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<link>https://ameblo.jp/onishima1950/entry-11857035530.html</link>
<pubDate>Wed, 21 May 2014 16:00:36 +0900</pubDate>
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<title>小説が書けたらいいな</title>
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<![CDATA[ 小説が書けたらいいな。漠然とした想いでは、始まらない。<br>小説家になって、印税収入で気楽に生活したい。そのような、功利的な、打算で良い文章が書けるはずがない。そんなものとは、別のところに世界が広がっている。<br><br>そうはいいながら、明治や大正の文豪・小説家も実は一作でも注目される作品を発表したい、世の中で認められたいと、あくせくし、あるいは悶々とした日々を送っていた方々も多い。自伝風の作品に、それを垣間見ることが出来る。<br><br>森鴎外のように不遇の時期があったとしても軍医としてステータスと安定した収入を得て、時間的な余裕を確保してあれだけの作品群を発表出来るのだから、その能力の比類なさは、指折りである。<br><br>他に収入源がなく作家として独り立ちするのは大変だから、新聞社や出版社で仕事をしていてある種の独立の目処が立った時点で独立するということだろう。<br><br>作家という職業はそれを金儲けに繋げようと意識する時点で、本来の純粋に文章を書きたいという動機に不純なものが加わる訳である。<br><br>いやいや、そのように考える必要は全くないという考え方も十分あり得る。文筆活動を経済活動と考え、需要と供給の関係、マーケットを考えてテーマを決め筋書きを考えることの何が悪い？<br>あると思います！<br><br><br>
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<pubDate>Tue, 20 May 2014 18:41:05 +0900</pubDate>
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<title>小説を書く</title>
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<![CDATA[ 小説を書く人はどういう人だろう？<br><div>ひとつの小説の全体を組み立てることが出来なければならない。</div><br><div>あの、百田直樹さんがある種の評判・評価をている。</div><br><div>テレビにたまたま出演している、あの早口の悪く言えば落ち着きのないように見える人が、、、。</div><br><div>松本清張とか司馬遼太郎なら、納得するのに、、、、。</div><br><div><br>だけど、明治の文豪といわれるような作家は、漢文の素養もあり英語や海外の事情に詳しいインテリは多かったといえるが、おそらくこの四半世紀に芥川賞や直木賞をとった作家はそのようなカテゴリーにあてはまらないのではないだろうか。<br></div><br>また、話は違うが、職業としての作家・小説家というのも辛い面があると推測される。あの、世の中から気楽な作家にも見える北杜夫など、躁鬱病で苦しんでいたらしいことが、その娘さんと茂太さんとの対談作品からうかがわれた。<br><br>還暦を過ぎて、贅沢しなければ生活できる暇人に何か文章を書きたいという動機が生じても不思議ではない。<br>
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<link>https://ameblo.jp/onishima1950/entry-11854120187.html</link>
<pubDate>Sun, 18 May 2014 19:29:32 +0900</pubDate>
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