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<title>oryoaのブログ</title>
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<description>夢なし貯金なし家族なし彼女なし、会社と家の間を往来することだけが人生の、36歳のおっさんが、思ったことを言葉にしたためるブログです。</description>
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<title>「『ワークライフバランス』という言葉が嫌いだ」と言う人が嫌いだ。</title>
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<![CDATA[ <p>最近さかんに語られる「働き方改革」に付随して、<span style="font-weight:bold;">「ワークライフバランスの見直しをしましょう」</span>などという声が世の中で多く上がっているが、これに対して</p><p><span style="font-weight:bold;">「『ワークライフバランス』という言葉が嫌いだ」</span></p><p><span style="font-weight:bold;">「『ワークライフバランス』という言葉は誤解を生みやすい、生んでいる」</span></p><p>という意見も多数見かける。</p><p>さらには</p><p><span style="font-weight:bold;">「『ワーク』と『ライフ』のバランスを取るなんて発想自体が古臭い。今の時代は『ワーク』と『ライフ』は一体化して考えるべき」</span></p><p>なんてことを言う人もいる。</p><p>これらの意見は、新しい、先進的なライフスタイルとして「いいじゃん」「かっこいいじゃん」「そうだよね社畜ってダサいもんね」などと、好意的に受け入れられているようだが、私の考えでは全く逆で、こんな危険な思想はないと思う。</p><p>私はこの危険思想が浸透してしまう前にそのやばさを啓蒙したい。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、奴らの論法はこうだ。</p><p><span style="font-size:1.4em;">■「ワークライフバランス」という言葉の前提</span></p><p>「ワーク」は「辛いけど生きていくためには仕方のないこと」であり、「ライフ」が「楽しいこと」であり「ワークを強要されていない本来の姿」である、という前提に立っている。</p><p>「ワーク」ばかりしていると、金は入ってくるが、それは本来の自分の姿ではない。「ライフ」をしているときこそ「あるがままの自分を発揮できるわけだから、「ワーク」ばかりしていると資本家に搾取されちゃうからそこそこにしておいて「ライフ」を楽しみましょう。</p><p>という発想が、「ワークライフバランス」という言葉には表れている。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">■でも今はそんな時代じゃない</span></p><p>一昔前まではそうだが、いまは「仕事（ワーク）」は「労働」とは一致しない。</p><p>昔よりも日本は物的に豊かになり、食べるものに困る人はまずいない。</p><p>これからの時代は精神的な豊かさが重要になっている。</p><p>それは、「仕事を通じての自己実現や社会貢献」であったり。「好きなことを仕事にして自分らしく輝きたい」といったこと、などである。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">■結論</span></p><p>「ワーク」は「ライフ」の一部であり、いくらバランスを取っても、「ワーク」がつまらなければ、つまらない人生になってしまう。</p><p>だから、バランスを取ろうとするのではなく、自分が楽しめる、やりがいを見出せる仕事を見つけるべき。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>以上が、私がよく見かける<span style="font-weight:bold;">「『ワークライフバランス』じゃなくて両方でライフだよ」</span>理論である。</p><p>&nbsp;</p><p>で、ここからが私の反対意見である。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">■この手張をしている人は、起業家に多い</span></p><p>なぜならば、その方が起業家、経営者、資本家にとって都合のいい世の中だからである。</p><p>だが、ノマドワーカーも多いが、彼らはまだしも、起業家がこれを言うのは罪なのではないかと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>いやいやお前ら、労働力を搾取する側の立場の人間だろうが。</p><p>それを<span style="font-weight:bold;">「仕事は金じゃない、やりがいだ」</span>なんて言い出して、いま以上に夢と希望にあふれた若者を安い金額で買い叩きたいのか？</p><p>自分たちにとって都合のいい解釈を美徳として世の中に広めようとしているのを見つけてしまうと、いやになってくる。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">■従業員は経営者から理不尽な扱いを受けるもの</span></p><p>最近は減っているのだろうけど、会社で働いていると</p><p><span style="font-weight:bold;">「なんでこんなこともできねぇんだよ？」</span></p><p><span style="font-weight:bold;">「やる気あんの？」</span></p><p><span style="font-weight:bold;">「ふざけるんじゃねぇよ」</span></p><p>などと、言われるものだからである。</p><p>労働者に責任があっても、なくても。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜならば、経営者は労働者に金銭を支払う代わりに労働力を提供する、という関係が成り立っており、一定の労働力の質と量が提供されることを期待するからである。</p><p>牛丼屋に行ってお金を払ったのに牛丼がいつまでたっても出てこなかったらブチ切れるのと同じである。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな契約を労働者としている経営者が</p><p><span style="font-weight:bold;">「いやな仕事なんてやらなくていい」</span></p><p><span style="font-weight:bold;">「仕事は楽しむもの」</span></p><p>とか、どの口が言っているのか、と思う。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">■「労働力を搾取されないように、やりがいのある仕事をやろう」こそ、労働力の搾取だ</span></p><p>やりがいで食っていけるわけないだろうが、いい加減にしろよ。</p><p>自分らの都合のいいことばっかり言って、若者釣ってんじゃねぇよ。</p><p>とかくこういう人たちは一般の人たちよりも発言力や影響力が大きいから、気を付けないとやばい。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/oryoa/entry-12459406105.html</link>
<pubDate>Mon, 06 May 2019 18:01:51 +0900</pubDate>
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<title>面白いことが起こる人と起こらない人</title>
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<![CDATA[ おれの周りでは面白いことが起こらない。<div>一方で、自分自身の周囲に面白いことが次々と起こる人がいる。</div><div><br></div><div>なぜなんだろう。</div><div>と思って考えていると、その理由が</div><div>「行動量、運動量の差」</div><div>だってことに気がついた。</div><div><br></div><div>ほぼ会社で席に座ってるからな…。</div><div>たしかにバンバン席をあけることはできないが、ちょっとサボって外に出る時間を増やしてみよう。</div>
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<link>https://ameblo.jp/oryoa/entry-12458167290.html</link>
<pubDate>Wed, 01 May 2019 13:35:13 +0900</pubDate>
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<title>仕事が暇でよかった</title>
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<![CDATA[ <p>最近、仕事がめちゃめちゃ暇である。</p><p>&nbsp;</p><p>と言うと、</p><p><span style="font-weight:bold;">「お前のようなロクに仕事のできないウスノロボンクラ野郎なんて年中暇だろうがっ」</span></p><p>とお思いの方も多いだろうが、決してそんなことはなく、具体的に反論させていただくと、例えば3月なんて、飯を食ったり寝る時間がないほどであった。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">「過ぎたるは及ばざるが如し」</span></p><p>という諺があるように、何事もバランスが大事であり、忙しすぎるのも暇すぎるのも、都合が悪い。</p><p>3月にやっていた仕事の半分くらいの量の仕事が、暇な時期に来てくれれば「きっつー」とも「ヒマすぎるわ」ともならず、万事オッケィ一件落着なのだが、残念ながら仕事というやつは、こちらの様子を見て</p><p><span style="font-weight:bold;">「あ、あいついま大変そうだから、落ち着くまで待っといたろ」</span></p><p>とか</p><p><span style="font-weight:bold;">「あいつヒマしてるから、ちょうどいいくらいの量、いったろ」</span></p><p>などと、気を遣ってはくれないのである。</p><p>&nbsp;</p><p>また、時系列以外にも、人と人との間にもバランスはある。</p><p>例えば、上司たるものバンバン部下に仕事を振って自分は一切仕事をしないものだが、責任だけは取らなくてはいけないから、重要な仕事では失敗してほしくない。</p><p>従って優秀な部下ばかりに仕事を依頼することになり、ボンクラにはいつまで経っても仕事がない。</p><p>優秀な人は</p><p><span style="font-weight:bold;">「どうして俺ばかり働かされなくちゃいけないのか。同じ給料なのにやってられないしなんなら殺したい」</span></p><p>と不満を持つし、</p><p>ボンクラはボンクラで</p><p><span style="font-weight:bold;">「俺はどうせボンクラって思われてるんだろうなーはぁ死にたい」</span></p><p>という気持ちになって、ここでも「アンバランス＝悪」という構図が浮き上がる。</p><p>&nbsp;</p><p>こう書くと、</p><p>「バランス最高！　不均衡最悪！　神よ、ありとあらゆるものにバランスを」</p><p>と感じたり思ったりする人も多いだろうし、実際私もそう思っていた時期があった。</p><p>しかし、今は違う。</p><p>私は不均衡のすばらしさを知ったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>毎日朝が来るから人はさわやかな気持ちになれるのだし、夜が来るから寝ることができる。</p><p>夏があるから秋が待ち遠しくなる。</p><p>男女の違いがあるからこそ、男は女をなんとか口説いていてこましたいと思うし、同じ女でも違いがあるから、あーあの女ええな、なんとかいてこましたい、と思うのである。</p><p>違う意見の人がいるからこそ、発見がある。</p><p>日本人の全員の趣味がサーフィンで、しかもみんな同じ能力だとしたら、見ていてこんなつまらないものはないし、自分も同じことが同じレベルでできるのだから、他人を見ようとも思わない。</p><p>みんな一緒だったら、<span style="font-weight:bold;">「あの人のようになりたい」</span>と思うこともないし、東京とブエノスアイレスが全く同じ景色なら、行ってみようとも思わない。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり、アンバランスがあるからこそ、人は何かを感じたり何かをしようというモチベーションを持ったりするのである。</p><p>ということで、俺は今、暇を持て余している。</p>
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<link>https://ameblo.jp/oryoa/entry-12454989080.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Apr 2019 22:47:55 +0900</pubDate>
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<title>本当に小さな小さな一歩</title>
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<![CDATA[ <p>文章を書くことを生業にしたい。</p><p>つまり、売文家になりたい。</p><p>&nbsp;</p><p>そう思いながらも、売文活動やその訓練など、将来につながるようなアクションを取ることもなく、ただぼんやり生きてきた結果、36歳になってしまい、人生もそろそろ折り返し地点。</p><p>このままのペースでいくと、生業にするどころかたった一文も売ることなく、会社員として自分の時間を会社に売り続けて終える一生になることは避けられなさそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そう思っている時、たまたまある本に出会い</p><blockquote><p>どんなクソ文章でも書き始めない限り、書き続けられるようになることは永遠にない。</p></blockquote><p>とかそんな主旨の記述に遭遇、たしかにその通りやなぁ、と思い、ブログを開設、ここにクソ文章を書き始めることにした。</p><p>&nbsp;</p><p>これが栄光の第一歩になるか問われれば、ならない可能性が極めて高いだろうが、0％を0.0001％にするための、おっさんの悪あがきである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/oryoa/entry-12454747355.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Apr 2019 18:38:31 +0900</pubDate>
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