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<title>osmanthusheterophyllusさんのﾌﾞﾛｸﾞ</title>
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<title>2011/3/20</title>
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<![CDATA[ 『今日やっと水道がでた。明日か明後日には飲める水が出るようになるだろう。今日ニュースで、宮城県で２人が救助されたと放送された。これからももっと多くの人が助かって欲しい、駄目でもせめて家族のもとに帰してあげてほしいと願う。福島にようやく原発の専門家が入り、対策本部のようなものができたようだ。長崎県の方で、原爆やチェルノブイリに関わってきた方達で政府よりずっと信じられると思った。何故政府はこういったことをしてくれないのか。今も現場で頑張ってくれている方達には感謝します。どうか無事に帰ってきて下さい。今日は減っていた大きめの余震が増えた。水、牛乳、野菜から放射性物質がでる。出荷停止。国の補償は...福島は...』<br><br><br><br>他県の救助状況が報道されるなか、福島の動きは見えなかった。何故なら原発の建物がうつるばかりで、避難状況の報道がされなかったからだ。少なくとも私は聞いたことがなかった。みんな避難していてほしい。でも避難したなら地震や津波に巻き込まれた人は？福島では救助活動はしているの？どうなっているの？疑問と不安ばかりが膨らんだ。<br><br>この頃から原発関連の専門家の動きが見えはじめた。が、この頃から様々な話に振り回される日々が始まったのかもしれない。<br><br><br><br>Android携帯からの投稿
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<link>https://ameblo.jp/osmanthusheterophyllus/entry-11188885750.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Mar 2012 21:54:00 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/19</title>
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<![CDATA[ 『東北、関東に散らばる親戚が、みんな元気にしていると電話で確認できた。まだ行方不明の人達は一人でも多く生きて見つかる事を心から祈る。親戚との電話で新たな風評被害が分かった。原発から３０㎞圏内の洋装の下請け会社からは、荷物を受け取らないし工賃も払わないと親会社が言っているらしい。確かに、地震のせいで納期が遅れていたと言うのもあるのだろうが、それでも言い方があるのではないだろうか。政府はぐちぐち仲間割れしてないで被害者救済に力を尽せと言いたい。政府も東京電力も信用できない。北海道に住む友人から、チョコレートや紙コップなど物資が届いた。手紙と5000円が入っていた。言葉が気持ちが何よりも嬉しかった。』<br><br><br><br>風評かどうかはわからない。事実、この頃は知らなかったが空間線量が高かった。荷物のやり取りでどうなるか…私には言葉にできない。この件は又聞きしただけだし、線量を測ったわけでも詳しい知識があるわけでもない、無責任な言葉を口にしたくない。でも工賃も払わないと本当に言ったのならそれは酷いと感じる。地方の洋裁の下請けなど時給も月給もピンキリあるが、はっきり言って安い。時給でそれなりの金額を稼ぐにはどれだけの時間が必要か、私の知っている会社は時給660円だそうだ。<br>北海道の友人も東京の友人も、必要なものがあれば送るから何でも言ってと言ってくれていた。食べ物も日用品も、買い物に行くためのガソリンも手に入らないなかで、いざというときは頼っていい人がいるというのは心強かったし、なにより風評という言葉に、実際に起きていた事に打ちのめされていた心を支えてくれた。逆に言えば、連絡をくれた友人以外は誰も、何も信じられなかった。部屋はあるから避難しておいでと言ってくれた友人もいた。でも他県に避難し自分も同じ目にあったらと思うと、怖くてとても避難などできなかった。当時の私の心は、とても人の悪意に耐えられる状態ではなかった。悪意などなくても、ほんの少しの言葉のあやでも耐えられない状態だった。人が、言葉が、誰かの心がとても怖かった。<br>
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<pubDate>Sun, 30 Oct 2011 16:22:12 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/18</title>
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<![CDATA[ 『そろそろ眠くてふらっとするのか、余震で揺れているなのか分からなくなってきた。弱くなったり強くなったりの繰り返しだ。他の地域でも大きな地震があるが原発と余震でいっぱいいっぱいだ。原発は後手後手にまわり、必要な情報を知らされるのも遅い。外出時は帽子やマスクを着けて肌の露出を抑えるとか、退避を口にした時に一緒に言えばいい。政府の対処が悪いから風評被害が起こるのだ。地震、津波、原発の三重苦の被害者が、スクリーニングの証明書がないと、避難所も受け入れてくれないなんて酷すぎる。風評のせいで福島に物資が入ってこないのに。首都圏に送る電力をつくるために働いていた人達にこの仕打ちはないと思う。新聞が来ない。』<br><br><br><br>今だからこそ分かる風評と差別と実害の違い。あの頃はまだ分からなかった。原発とも放射線とも無縁の生活を送ってきて知識などなにもなかった。ただ原爆やチェルノブイリや東海村といった言葉が思い浮かぶだけ。せめてSPEEDIが公開されれば、ラジオや市町村単位で住民に知識や状況など説明が呼びかけがあれば、当時から風評と差別と実害の違いが分かっていただろう。一人一人がどうすればいいか分かっていただろう。自分や大切な人達を守る方法を、傷つけない傷つかなくてすむ方法が分かっていただろう。すべてが遅すぎた。今も、これからも続くであろう誤解や悲しみや苦しみがうまれた。真実、事実という光が闇に葬られたことで、暗い現実につつまれている。優しい嘘が必要な時もある。でも嘘や隠蔽では救われない。必要なのは真実、事実。それを知らなければ闘うことも前に進むこともできない。
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<link>https://ameblo.jp/osmanthusheterophyllus/entry-11049289561.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Oct 2011 17:20:49 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/17</title>
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<![CDATA[ 『原発問題で、とうとうアメリカが８０㎞圏外退避を言い出し、外国人が日本を脱出し始めた。私達はガソリンが手に入らない。逃げたくても逃げられない。友人も、いつまで希望を捨てずにいられるか精神的にキツイとメールで言っていた。いつになったら被災地に物資がはいるのだろう。食べ物はなくてもガソリンが欲しい。関東圏のガソリンの買い占めが恨めしい。憎らしくさえ思えてくる。被災地は車がないとどこへも行く事が出来ない。都市部と違って電車もバスも発達していない。この緊迫感は福島にいる人しか分からないだろう。』<br><br><br><br>本当に何も無かった。必要な物ほど無かった。外国が８０kmと言った時、あぁ死ぬんだと改めて思った。大切なものも守れない、ごめんねって。私が住むのは原発から５０km。今になってわかったが、しっかり汚染された地域。未だに支所は１μSv/時をこえ、うちの裏は２μSv/時以上あるらしい。うちから２kmほど先の建物では、メッシュ調査で６μSv/時をこえた場所があったらしい。今更だ。あの頃、すべてにおいて限界を感じる生活をしていた。精神的にキツイとメールを送ってきた友人には子供がいる、当時まだ１才にならない女の子。旦那さんとも色々話していたようで、避難するなら西日本までいかないとと旦那さんも言っていたらしい。でも今も県内に残っている。新聞やテレビだけの情報では必要な情報が入らない。仕事も忙しく、ネットを見ている人なら大体の人が知っているだろう子供の尿検査でセシウムがでたという話も知らなかった。この話を聞いて、旦那さんともう一度話してみると言っていた。友人が今住んでいる所もマイホーム予定地も１μSv前後。去年から進めていたマイホームの契約も破棄できないところまで進んでしまっているらしい。今になって色んな情報が出てきているけど、もうどうしたらいいか分からないと言っていた。何が正解なのかは分からない。ただ精一杯生きるだけだ。
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<pubDate>Fri, 14 Oct 2011 15:40:55 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/16</title>
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<![CDATA[ 『ちょこちょこと短い眠りを繰り返す。思い出したかのように突如大きな余震がくる。深夜から早朝にかけて多いような気がする。大きな地鳴りが聞こえ近づいてきたかと思うと、長い揺れに襲われる。強い揺れのあとは二度、三度と揺れがくる。いつまで続くのだろう。原発もどうなるのだろう。逃げなくていいのだろうか。チェルノブイリや東海村の原発事故を思い出す。不安で苦しい。』<br><br><br><br>なぜか余震は夜が多かった。一晩中テレビはつけっぱなしにしていた。暗い部屋が怖かった。一時的にでも情報から離れてしまうのが怖かった。<br><br><br>数日前、私の家にも県民健康管理調査の問診票が届いた。家族一人一人が別々の封筒で送られてきた。問診票の右上と自分の名前の下には数桁の番号が。自分はこんな番号で管理されるのかと何とも言えない気持ちになった。自分でできない健康管理なんて最悪だ。将来起こるかもしれない何かのために、何ともない今から重篤な病の患者のように…。<br>震災の頃を思い出しながらブログに記していても、強く心に残った事以外は細部までは思い出せない記憶が多い。なのに子供の夏休みや冬休みの宿題のように、時系列で何処で何をしていたかなんて思い出せるわけがないじゃないか。何処で栽培された何をどのくらい食べたか？外食したら何処産のものかも分からない。産地偽装なんて話もネットには流れているのにどうしろと？『なお、本調査への回答はご本人の自由意思によるものです。回答をされなくても、何ら不利益を被ることはありません。』当たり前だよ、これ以上どんな不利益を…。『避難区域等にいた方を対象に実施を予定している健康診断や、今後長期にわたる健康管理のための基礎資料となります』｢等｣ってどこまで含まれるんだか。これの配布は８月くらいに始まったはずだ。なのにその時点で健康診断実施予定って遅すぎる。呆れる。<br>こんなものをまともに記入できるのはスケジュール管理してるお偉いさんだけだろうさ
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<link>https://ameblo.jp/osmanthusheterophyllus/entry-11045688686.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Oct 2011 13:40:49 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/15</title>
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<![CDATA[ 『疲れが溜まってきたのか、不意に眠気に襲われ２、３時間ほど眠れたようだ。ガソリンはどこからも給油できないが、皮膚科に通院してもらっていた薬がなくなり３０分かけて病院に行く。医薬品が不足しているため、いつもは４０日分もらえる薬が２週間分しかもらえない。顔見知りになった薬剤師も、医薬品不足を嘆き今後の見通しもつかないと言う。貴重なガソリンを使い、市の中央まで出てきたので食材や化粧品などスーパーで買う事にする。どこの店も人が並ぶ。一人当たり買える個数が決まっている物がが多い。この日、震災後初めてパンが３つ買えた。原発の状況が悪くなっているようだ。きちんとした情報の開示を望む。』<br><br><br><br>一般車両は給油できなかった。地震で営業できなくなった、店にあった分が無くなり補充もできなくて営業できなくなった、緊急車両専用だった、ガソリンスタンドのスタッフさんも当時大変な思いをしていただろうと、今だから色々と想像もできる。当時も無いものは無い、無理なものは無理、本当に必要とするところにまわしてほしいとは考えていたが、いつ給油できるか分からないというのは不安だった。生活を続けるには車が必要で、車を使い続ければガソリンが無くなって、そんな状態で何かあってもどうすることもできない。ボランティアもしたかったが、移動には車を使うからガソリンが必要で、ガソリンを買うにはお金が必要で、私にはそのどちらもなかった。<br>ガソリンだけじゃなくて薬もそう。私のかかりつけの病院も薬局も２週間分で処方してくれたけど、場所によっては数日。私は幸運だっただけ。薬局でも在庫が無くなればあとはいつ手に入るか分からないと言っていた。病気によっては本当に命取りになる状態だった。<br>スーパーも長蛇の列。もちろん外に。マスクもしてなかった。原発の情報などあってないようなもの、本当に必要なことなど何一つ分からなかった。私が行ったスーパーの買える商品は、普段買い物していた時はお一人様何個までと書いてあったが、この時は一家庭で何個までだった。家族の多い家庭、子供のいる家庭はどれほどの苦労があっただろう。２才の子供がいる従姉妹も、子供に食べさせる物が手に入らない、オムツかぶれが酷いから決まったものしか使えないのに、そのオムツが手に入らないと言っていた。そういえばとあるドラッグストアに行った時は、入口で店内に入れる人数を規制して、店内すべての商品から一人５個までと買える個数も指定された。多くの人に商品を行き渡らせるには仕方ないことだけど、あの時、双葉から避難してきたという人も並んでいた。とても５個では足りなかっただろう。私自身、何ができるのか、どう動けばいいのか分からなくなっていた。
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<link>https://ameblo.jp/osmanthusheterophyllus/entry-11042755989.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Oct 2011 16:37:05 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/14</title>
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<![CDATA[ 『相変わらず余震が気になり眠れない。今まで知ることの出来なかった情報がもっと欲しくて、余震が不安で朝までテレビを消す事ができない。水道がでないので、隣町の水道の使える親戚の家に車で水をもらいに行く。２才になる姪が余震に怯え、風や小さな物音にも怖い怖いと人から離れようとしない。午後から母と、車で３０分かけ市の中央部のスーパーに買い物に行く。食べる物から何から集めなくてはならない。ガソリン節約のため、しばらく出歩かなくていいように多めに買う。お米、パン、牛乳などはどこでも手に入らない。初めて市内の惨状を目の当たりにする。道路が建物が…あり得なかった。原発はどうなるのだろう。』<br><br><br><br>うちでは、市内で水道管が破裂した影響で水道が使えなくなったが、隣町は水源が違ったため使えたようだ。正直本当に助かった。給水所でもらえたのは、うちの地域では６リットル、知り合いの地域では２、３リットルだったと思う。非常時だけど、お風呂に入れないまでも体をふくくらいはしたいと思った。この状態が夏じゃなくてよかった、色々な意味で、と母と話した記憶もある。<br>たぶんこの日だったと思う。近所の人から井戸があるから使っていいよと言われた。田舎だから井戸が残っている家も多い。でも親戚の家に行った時、井戸は使わないほうがいいと町内会から話があったと言うのだ。もちろん原発の影響で。うちの方ではそんな話はまだなかった。隣同士の町でも情報と対応に差が出ていた。<br>市中心部のスーパーは、漏電や貯水タンクが破損して水浸しになったり、建物自体が駄目になったスーパーは閉鎖、ある程度無事なら店内で買い物ができるようになっていた。でも天井が落ちて無くなってる場所、落ちる危険で封鎖されてる場所が多かった。陳列棚も何も置かれていない場所ばかりなのに、店の外には行列ができていた。<br>本震に続く余震で、昨日大丈夫だった場所も今日は崩れていたり道路も歪んだ。じゃあ明日は？自宅はいつまでもつのだろう……。震災から半年以上経つ今も、家がいつまでもつのか考えない日はない。余震だけでなく豪雨被害で土砂崩れも起きているのだから。
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<link>https://ameblo.jp/osmanthusheterophyllus/entry-11038647945.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Oct 2011 23:03:35 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/13</title>
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<![CDATA[ 『余震の数が減らない。今日も眠れず朝を向かえる。ようやく電気が通り、起きた事のすべてを知る。広い範囲にわたる惨状に、ただただテレビの画面を食い入るように見つめる事しかできない。家があり、温かい食事をする事ができる事が申し訳なくて涙がでる。水道が止まる前に溜めておいた水をお風呂にまわす。自分達もギリギリでしている生活だが、それすら出来ない人がいると思うと胸がしめつけられる。平静ではいられない。福島は地震、津波だけでなく原発まで爆発していた。県内にいて大丈夫なのだろうか。』<br><br><br><br>たしかこれをスケジュールに入力したのは、１３日深夜…１４日に日付がかわってだいぶ時間も経っていた。１１日から一睡もしていなかった。暗い家のなかが突然回復した電気で少し明るくなったが、電気がついたのに暫く状況が飲み込めずボーっとしていた。ハッとして大声で「電気ついた！」と叫んだのは今も覚えている。その後はひたすらテレビを見た。ようやく自分が置かれた状況が分かる。津波に絶句もしていたが、とくに原発。すぐにチェルノブイリと東海村を思い出した。東海村の時も杜撰な対応をしていた国や東電のことも。この時点で心のどこかで、自分は死ぬんだと覚悟もした。結婚もしていない、子供もいない、ただそれだけが救い。でも大切なウサギを守れないかもしれないことが怖くてたまらなかった。
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<link>https://ameblo.jp/osmanthusheterophyllus/entry-11037832131.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Oct 2011 13:52:41 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/12</title>
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<![CDATA[ 『絶え間なく続く余震に一睡もすることなく朝を向かえる。生活に必要な物を買いに走るが、品数はとても少ない。余震は続く。電気はこない。水道もこない。携帯の充電が貴重で使えない。電池がなくラジオも使えない。何が起きているのか分からない。情報が欲しい。夜になり、友人すべてと連絡がとれる。少し安堵する。』<br><br><br><br>この日の夜中に仙台の宮城野区に住む友人とようやく連絡がとれた。宮城野区も被害のあった地域、子供もまだ小さいから本当に心配だった。<br>お店も震災直後の混乱のなかで、電気もこない、店内は足の踏み場もない状態で、商品を外に出して手書きの値札に電卓で対応していた。スタッフの方も自分の家の心配など色々あっただろうに、お店を開いてくださって本当にありがとうございました。
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<link>https://ameblo.jp/osmanthusheterophyllus/entry-11035701443.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Oct 2011 09:26:59 +0900</pubDate>
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<title>2011/3/11</title>
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<![CDATA[ 『ＰＭ２：４６。何分も続く長く激しい揺れだった。<br>私の住む地域は昔から岩城の国と呼ばれ地盤がしっかりしているせいか、回りの地域より被害は少なかった。家には少しヒビは入ったが住む事はできる。でも電気と水道が止まる。プロパンガスが使え、家の食材で蝋燭の灯りで食事をとる。充電が切れると困るため、携帯は電源を切り節約する。電話は繋がらない。メールは余程運が良くない限り届かない。周りの状況を知るためワンセグをつける。あまりの惨状に言葉を失い、涙を流す事すら忘れた。休む事を知らない余震に、不安と緊張が途切れることがない。萌黄は絶対、どんな事があっても自分が守る。家族を癒してくれた小さな命を。』<br><br><br><br>この日はさすがにこんな事を書くなんて思う余裕もなかったから、翌日に書いた。<br>ほぼ状況の分からないなか、病やペットロスを癒してくれた小さなウサギを守る事ばかり考えてた。<br>固定電話も繋がらなくなったから、携帯は本当の命綱。<br>ワンセグでの状況確認も１、２時間に１分程度。<br>家中の布団を出してきて暖をとるが、寒さと続く余震に一睡もできなかった。
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<link>https://ameblo.jp/osmanthusheterophyllus/entry-11028278602.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Oct 2011 20:40:20 +0900</pubDate>
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