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<title>Otojiro Log</title>
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<title>空白の回答欄</title>
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<![CDATA[ <a href="http://ameblo.jp/otojirolog/entry-11481117343.html">前回の記事</a>に、「いまいち知恵の使いどころがわからない」というお声が多かった。<br>雑にまとめてしまうと、「答えの出ていないこと」全般に使うのだ。<br>たとえば「未来」とか。<br>関東に住む人ならば、すでに随分前から予測されている大地震におびやかされ、さらに福島原発の核燃料庫の崩落するか否やの状況にも震えている。<br>そんな中、子供を持つ多くの友人が仕事を捨てて国外へ避難した。<br>報道されない事実を集め、未来を想像し、どう切り抜け、どう生き抜くか、知恵を絞ったのだ。<br>「海外移住なんておおげさだよ」と笑う人もいよう。<br>「それで何も起きなかったらどうするんだ」と思う人もいよう。<br>何も起きないならそんないいことはない。<br>海外で楽しく暮らすいいキッカケだったと思うだけだ。<br>しかし、もし何か起きてしまったなら、笑った人々に未来はやってこないかもしれない。<br>どちらに転んでもいいように知恵を絞った人々は生き残っていける。<br><br>知恵を絞って何かを解決すると、新しい疑問が生まれる。<br>そうすることで毎日違うことを考えることになり、発見と感動の螺旋に入る。<br>毎日同じ疑問にぶつかっているのに目を背けていると、新しい疑問にたどりつかない。<br>すると堂々巡りの思考に囚われて、やらない言い訳やできない言い訳ばかり考えるようになり、とうとう悩みのひとつも解決しない。<br>面白いことに、前者はノーテンキだと思われ、後者は「考えすぎ」と言われる。<br>本当は前者はとても真剣に考えてるし、本当は後者は深刻になってるだけで何も考えていないのに。<br><br>【記録】<br>「重力ってなんなんでしょうか？」<br>カウンセリング中に唐突にこういうことを訊かれる。<br>もちろん私の専門外の話だ。<br>そもそも重力について科学的な証明がなされているのかどうかすら知らない。<br>「私も知識としてはまったくわからないので、私の考えでいいかな？」<br>「はい、むしろそれをお聞きしたいです」<br>相手の言葉を受けて、少し考えることにした。<br>こういうときは知恵に頼るしかない。<br>とても面倒くさいが自分の頭で演算するわけだ。<br>数秒沈黙してから、私は人差し指を空中に回しながら話しはじめた。<br>「湯船につかっているとき、指で水面に円を描くと、渦ができるでしょ？」<br>私が自分でも想像しながら言うと、相手は静かにうなずく。<br>「それが重力だよ」<br>私はあっさり話を終えてしまった。<br>「え……？」<br>相手がキョトンとするので、もう少し丁寧に話したほうがよさそうだと思って、つづける。<br>「渦をつくってると、自分が描いた大きな円の外側に、逆回転する小さな渦がときどきできるんだけど、それも重力」<br>「えええ……？」<br>私は相手の反応が見たくてちょくちょく会話を切るクセがある。<br>「じゃあ、想像してみよう。湯船に描いた大きな渦が銀河系で、それによって発生した小さな渦が惑星だ」<br>相手が空中を見はじめたので、想像をしているのだと確認できた。<br>「渦は中心に向かって力が流動しているわけだけど、宇宙空間でこれが起きると周囲にある物質をどんどん集めていく。そうして固まってできたのが星というわけだね」<br>なるほどという顔で見ている相手の目を見てからさらにつづける。<br>「渦の力が大きければより遠くから物質を集められるから大きな星になりやすく、結果として大きな星ほど重力が強い傾向にあるだろう。もちろん集めた物質によって、たとえば気体を多く集めてしまった星なんかは重力の割にとても大きく見えるだろうし、個体差は著しそうだ」<br>「あ、じゃあ自転が速いほど重力が強いんですか？」<br>ここではじめて相手からの解釈がついた。<br>非常にいい流れだと思い、私は嬉しくなってきた。<br>「いいこと言うね。そうだと思う。ちなみに同じ銀河系の星はおそらくほとんどが同じ方向に自転していると思うけど、稀に逆方向に自転しているものもあると思う。その星は最初の大きな渦、つまり公転の力とケンカになって、徐々に自転の速度を遅くしていくことになるんだろう。星ができたときはそれなりに力があったから、ある程度の大きさを作れたものの、速度が遅くなるにつれて重力はどんどん小さくなっているはず。だから大きさの割にとても重力の弱い星になっちゃうわけだね」<br>「その渦ってそもそもどうやってできたんですかね？」<br>人はひとつ自分の中で何かが解決すると、次の疑問を生む。<br>進化はこうして生まれるのかもしれない。<br>「噂では、ものすごい昔、大爆発が起きて宇宙ができたとか。その爆発によって大宇宙という渦、銀河系という渦、惑星という渦、衛星という渦が、順次誘発されて生まれたんじゃないかな。銀河系の上位にもっと大きな単位の集合体があるかもしれないけども」<br>「あ、ビッグバンですか！」<br>「そうそう、それが起きる前の宇宙がどうだったのかとか、なんで起きたのかとかはまったく想像がつかないけど、とにかくそれによって湯船の中のお湯にあたる『宇宙』という物質が一気にばら撒かれて渦を描いたんじゃないかな」<br>この『宇宙』という物質については、存在すら認められていないし、はたして物質という概念で語っていいものかもわからないが、渦を生む媒体となる何かが宇宙を満たしていないと、私の説は成り立たない。<br>「湯船って考えると想像しやすいですね」<br>途方もなく大きなものを考えるときは、できるだけ身近な小さなものに置き換えるといい。<br>「うんうん。面白いのが、星の内側にはいまだに当時の爆発熱を持った物質が眠ってるってところだよね」<br>「マグマですか？」<br>「そうそう」<br>「あれ？ そういえばなんでマグマって地球の内側にしかないんですか？」<br>「それは焼き芋と同じで、ほっとけば外側は冷めてくるよね」<br>最初、ほとんどの星はマグマの塊でブヨブヨした物体だったのだろう。<br>宇宙空間の寒さで冷やされなくては大地すら望めない。<br>「アハハ、たしかに焼き芋はふたつに割ると外側が冷めてても内側はホクホクしてますね」<br>「でも、もちろんどんどん冷めていくし、冷めたら熱膨張ならぬ冷収縮が起きて星は小さくなっていく。地球も年々小さくなってるはずだよ。まあすべて冷めきるには、文字通り天文学的な年数を必要とするだろうけどね」<br>「なるほどなあ……。ずっと星そのものに重力があるんだと思ってました」<br>「今のはあくまでも私の考えであって、有力な学説や真実とは違うかもしれないよ」<br>「でも重力が先にあって、そこに星ができあがったっていうのは面白いと思います」<br>私が持論を語るためには、超えなくてはならないハードルがある。<br>「それ以外、自分を納得させられるアイデアが出てこなかったんだよ」<br><br>自分をも納得させられる自分だけのアイデアを出してみよう。<br>学校のテストで、正解がわからなくてもとりあえず回答用紙を埋めようというのと似ている。<br>間違ってもいいんだったらそれほど難しいことじゃない。<br>日本に残るか国外に避難するか、どちらが正解かなんてまだわからないだろう？<br>だから正解にこだわるんじゃなく、自分なりの知恵を出そう。<br>自分が練り上げたアイデアなら、少なくとも自分は納得できるはずだ。<br>せめて、自分の人生に投げかけられた問いに、空白の回答欄をつくらぬよう。
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-11505607644.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Apr 2013 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>得た罪と捨てた罪</title>
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<![CDATA[ ほら、高解像度の液晶から真実なんぞをデバガメしようとするから、結局見栄えと都合のいいデタラメに騙されるんだ。<br>自分の目で見なよ。<br>触れて痛がれよ。<br>使ってみろよ脳ミソを。<br><br>乱暴に書き連ねるなら、私がこれまで書いてきた記事のほとんどで、訴えたいことはそういうことだった。<br>偉そうに言ったところで私自身がどれほどの想像力を持っているかの自信はないのだが、とにかく想像をしなければ、人がヒトであることを放棄するに等しい罪なのだと伝えたかった。<br>多くの技術と学問の発展にともない、人は効率的に何かを学ぶことができるようになった。<br>ところがこの学ぶという行為に終始する文化が蔓延してきたことで、人々は大切なものを失いつつある。<br>私はただ、それがとてつもなく恐ろしいんだ。<br><br>【記録】<br>「…………」<br>私は退屈していた。<br>人や様々なメディアから与えられた知識を、ただただひけらかす会話がつづいていたからだ。<br>知識があることは素晴らしい。<br>だが、本来知識は人が知恵を生みだすための道具に過ぎない。<br>語られている知識は興味深いのだが、それを語ったあと、その知識でもってどんなアクションができるかという話に至らないことがもどかしかった。<br>これでは知識のコレクションを自慢しているだけだ。<br>人が何をコレクションしようと勝手だが、それが目に見えないばかりに無自覚であることが恐ろしい。<br>つまり、幅広く深い強力な知識という道具があれば、様々な問題を解決しうるという思い込みが怖いのだ。<br><br>マグネシウムを燃やすと瞬間的に強烈に発光して燃え尽きる。<br>物質のそういった性質に関する知識があるだけでは何も生まれない。<br>しかし、その光を使えば写真が素早く綺麗に撮れるのでないかと想像し、知恵を絞ってストロボを創りだしたなら、人は進化を得る。<br>生活のいたるところに知恵を絞るチャンスはあるが、知恵を行使するのは一部の特殊な人のものだと思い込まれているフシがある。<br>部屋を広く見せる知恵、満腹感を得ながらダイエットする知恵、楽しみながら勉強や仕事をする知恵、自分が何かを望むたびに知恵は必要となる。<br>だが、ほとんどの人は何かが壊れても自分で直すという発想すらできなくなった。<br>そういったことは専門の人がやるものだと思っているからだ。<br>実際、どんなことにも専門の職業が存在する時代だ。<br>職業の進化と、大衆の知恵の退化は、ときに対になっている。<br><br>私はよく家具を自分で手作りする。<br>ほしいものが浮かび、既成品を調べて希望に合致するものがなければ、既成品を改造するか、新しく作るかを考える。<br>「自分につくれるかどうか」を考える代わりに「どうやったら作れるか」を考える。<br>なぜなら考えるまでもなく、いきなりは作れないからだ。<br>つくるための知識はない。<br>だが知識は調べれば手に入る。<br>つくるための技術も設備もない。<br>だが人には限られた状況でどうしたらよいか考えるための脳ミソがある。<br>人は自分なりの工夫というものができるのだ。<br>工夫を必要とすることは仕事であり、工夫のいらないことは作業である。<br>仕事をする者は重宝され、作業しかしない者は替えがきく。<br><br>知りたいことはいつでも調べられる時代になった。<br>それはとても便利でよいことだろう。<br>だからこそ、お互いの貴重な時間を割くときは、ネットや書物では手に入らない話をしよう。<br>あなたの想いや考えや工夫についてだ。<br>そのうえで共有すべき最低限の知識については教えあえばいい。<br>一緒に想像し、知恵を練ろう。<br><br>遠い昔、人は食したはずなのだ。<br>神々の園で、知恵の実を。
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-11481117343.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Mar 2013 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>伝わらぬヤマイ</title>
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<![CDATA[ いつもとは少し違うことを書いてみよう。<br><br>世界には無数の病気があり、ひとつの病気においての症状も人それぞれときている。<br>さらに病気として認知されてはいないが、重度の病人さながらな生活を強いられる者もいる。<br>たとえば冷え症や生理痛や花粉症といったものも、ほんの100年前には存在しなかった症状だ。<br>現代にしか存在しないいろいろなものが、人の体を冒しはじめた。<br><br>アレルギーというものがある。<br>花粉症もこれのひとつだが、症状は実に地味なものが多く、目や鼻や喉や耳や皮膚への異物感や痒み、そして分泌物の過剰な分泌や炎症だ。<br>この地味過ぎる症状がものごとの重大さを見失いやすくする。<br>私自身もここ2年くらいの間に少しづつ花粉症の症状があらわれてきた。<br>幸いなことにまだほとんど苦しみを受けることはない程度だが、症状は徐々に悪化することだろう。<br>花粉症ほどのメジャーなものであれば想像も共感もしやすいが、あまり知られていない病気や症状だったらどうだろうか。<br><br>【記録】<br>「化学物質過敏症ですね」<br>医師は言った。<br>私は喫煙者が周囲にいる状況で過ごすと、決まって喉に異物感を覚え、一息でも煙を吸い込めば喉が枯れ、翌日には血の味の混じった咳が出る。<br>この場合のタバコには、パイプや葉巻は含まれず、さらに焚き火なども症状に関与したことはない。<br>「タバコに含まれるなんらかの物質に対するアレルギーなので、タバコだけに反応するわけじゃありませんが、少なくともタバコに反応することがわかっているのであれば避けるべきです。アレルギーは反応する物質との接触によって累積的に悪化していくので。重度の場合ではアナフィラキシーショックを起こすこともありますよ」<br>「そうなんですか…」<br>医師の言葉に大袈裟だなぁという顔で私が答えていると、医師は詳しく説明をしてくれた。<br><br>科学物質過敏症は多くの場合、物質との接触をやめても体に残留した物質によって症状が継続する。<br>症状は個人差があるが、タバコによるものの場合、喉や鼻の粘膜への刺激や炎症、呼吸器系への症状（息切れや呼吸困難等）が多く見られる。<br>他にも吐き気や動悸や頭痛といった症状があり、これらが一度に出る場合もある。<br>特にタバコは毒性が強く、重い症状が出やすい。<br>喫煙後時間が経って煙や匂いがなくなっても、化学物質が消えていなければ症状が出る。<br><br>心得として、以下をできるだけ実行するようにと勧告を受けた。<br>副流煙は喫煙者から周囲7メートルまで達すると言われているため、喫煙者から7メートル以上の距離を置くこと。<br>気をつかって外で吸ってもらう場合でも、服や肺の中にため込んだ物質を持ちこんでしまうので、なるべく一緒にいる時間は遠慮してもらうようにすること。<br><br>「症状が出るケースで非常に多いのが、喫煙直後の人が近くに来たときなんです」<br>医師の説明をメモにとりつつ聞いていた私の手が止まる。<br>「たしかに…」<br>たしかにそういう人に不意に話しかけられて吐き出された息を吸い込んでしまい、大変な思いをした記憶も多い。<br>「目の前で吸っているわけでもないのでこちらは避けることもしないし、相手も充分に気を使ったあとなので双方ともに油断をしている状態ですものね」<br>私の言葉に医師は頷く。<br>ここで私は説明を遮らないようにと温めていた質問をぶつけることにした。<br>「でも、どうしても吸うなというのは言いづらいのですが…」<br>実は近くで喫煙されているとき、私はほとんど呼吸をしていない。<br>しばらく息を止めて、苦しくなってきたら脇を向いて両手の掌で口の前に空間をつくり、そこに息を吐いて煙をどけてからまた吸う、の繰り返しをしている。<br>背もたれいっぱいに体を遠ざけて座り、ほとんど会話に参加していないのは言うまでもない。<br>「そうですね。化学物質過敏症についてはあまり知られていないので、神経質なだけと思われがちですよね。でもちゃんと理解してもらわないと、どんどん症状が悪化してしまいます」<br>「タバコアレルギーって伝え方でもいいんでしょうか？」<br>「正確にはタバコそのものではなくてタバコに含まれる物質へのアレルギーなので、その名称であげ足を取られないのなら、いいんじゃないでしょうか。タバコアレルギーという病気は存在しませんし…」<br>私は自分の友人であれば絶対あげ足をとってくると思ったので即座に案を取り下げた。<br>「まあそれを言い出したら化学物質過敏症というのも、まだ正式な病気とされていません。どういうわけか極めて微量なアレルゲンにも反応してしまう人がいて、そのありえないような極端にわずかな物質に反応するメカニズムが証明されていないからなんですが、そのせいで病院に来ても、ストレスや精神的なものとして診断されるケースが少なくありません」<br>私ははっとした。<br>私自身、ただ喉粘膜や気管支が弱いだけの人というイメージで見られることが多いからだ。<br>「それじゃあこの病気になっている事にすら気づいていない人も多くいるということですよね？」<br>「そうなんです。この他人にはうまく伝わらない病気の一番怖いところは、他人に理解をされない苦しみに孤立することと、自分が病気だと気付けず症状を悪化させていってしまうことにあります」<br>「ちなみに…」<br>私は恐る恐る訊ねた。<br>「悪化させつづけるとどうなるんですか？」<br>「先ほども言いましたが、末期には体は極めて微量な物質にも命に関わるほど強い反応を起こして無菌室のような空間にいなくてはならず、心は理解されない苦しみですり減っていきます。実はこの病気、自殺者が非常に多いのも特徴なんです」<br>いったいなぜこんな恐ろしいことを言ってくるのだろうと思っていたら、医師は一番伝えたかっただろうことを口にした。<br>「だから、言いづらいなどと考えず、周囲の方には協力をお願いしてください」<br><br>冬になるとコートを着る。<br>コートは自宅の洗濯機で洗えないことが多く、タバコの煙を浴びたコートを毎日のようにクリーニングに出している。<br>「他人が吸った一本数十円のタバコのために、毎月数万円もクリーニング代を請求されるなんて馬鹿馬鹿しいね」と友人に言われる。<br>副流煙を吸引してしまうと咳が止まらなくなる。<br>喫煙者の前で咳き込むと、嫌味なやつだと思われるんじゃないかと、必死で咳を我慢する。<br>喉は枯れ、気管支は炎症を起こし、口の中が錆びた鉄のような血の味で満たされてしまい、食事の味がわかりにくくなる。<br><br>ネットで調べたら、私と同じ症状の人と会うときは、事前に7日間禁煙をしておくという人もいて、人間の温かさを知った。<br>ここまでされるとさすがに恐縮してしまうが、似たような気遣いをしてくれる友人にも恵まれた。<br>何年も苦しんできたことだが、もう少し勇気をもって伝えてみようと、ここに記録してみた。<br>同じように苦しむ人たちへの理解の一助となればと思う。
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-11424303020.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Dec 2012 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>ノスタルジアで、また会いましょう。</title>
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<![CDATA[ 夢を見たんだ。<br>今の半分の年齢の頃の真夏の日々が、まるで映画のダイジェスト版のようにコマ切れになってて、私は自分を俯瞰していた。<br>今も、そして当時もエアコンなんてない実家の私の部屋は、それでも白雲木（はくうんぼく／『沙羅双樹』という異名を持つ木）の広葉に覆われて日陰になっていた。<br>風にさざめく葉のこすれる音、葉によって優しく還元された風、そして日陰。<br>それらが私に涼みを与えてくれていた。<br>もちろん30度を超える空気に汗を流すし、上半身は裸でいなければ夜を超えるのも厳しかったけれども。<br>そうしてごろりと布団の上に転がり、葉のこすれる様を眺めて、ときおりのぞく木漏れ日に夏らしさを感じて、それを思うままに堪能していた。<br>私にとって青春時代の一番の象徴となる記憶は、そんな瞬間だった。<br><br>丈も枝も伸び放題だった白雲木は、我が家をはみだし隣家の庭に入り込んだため、隣人によってその枝を切られた。<br>その際、木そのものが死んでしまう。<br>木にも急所たるものがあることを知った事件だった。<br>私が生まれた年に植えられたその木は消え、私の部屋を包んでくれるものがなくなった頃、私は実家を出た。<br><br>【記録】<br>人は思い出の中に生きるべきではないが、思い出は人の生きた証になる。<br>だから時折、その証を確認するための空想の旅を許してほしい。<br>冷たくなった母の頬に手をあてながら、何度もその目が開く瞬間をイメージした。<br>「あら、おかえり。ごはん食べたの？」<br>母は顔に、そんなことを言い出しそうな微笑みをたたえていた。<br><br>今朝、自分の部屋から実家までをゆっくり歩いた。<br>黒いネクタイのせいで、どこか緊張が張りつめる。<br>遠い故郷や過去に想いを巡らすことを、そしてその場所や時間そのものを、ノスタルジアと呼んでいる。<br>田園調布の街並みも、鏡に映る男に宿る若さも、実家を出てひとり暮らしをはじめた頃とはだいぶ変わってしまった。<br>その反面、変わらずあの頃のままの家屋や公園を歩いては、哀愁に耽らずにはいられない。<br><br>変な話だが、私は実家で食事をするとき、必ず一品は感想を伝える。<br>「これ美味しい。塩が違うの？」<br>「あ、梅のかおりがいいね」<br>母は私が腹をすかせているとき、少しも面倒くさがらずに、それがどんな真夜中でも食事を用意してくれた。<br>そして私がたった一言「おいしい」と言っただけで、「あら、そう」と、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべるのだ。<br><br>入院先の病院から母を家に迎え入れるために、父と兄と三人で家の掃除をした。<br>換気のために窓を開けた兄が、庭を見てつぶやく。<br>「白雲木だ」<br>見ると、庭に小さく細い枝のようなものが土から伸びており、そこに見覚えのある葉をつけていた。<br>なんということだろう。<br>思い出の中にしか存在しなくなっていたものが、新しい希望となってそこに現れたのだ。<br>あの日の木漏れ日が、私の頭の中に差し込み、あふれた。<br><br>まもなく、母の肉体は私の育った家や街や世界からいなくなってしまう。<br>だけど、やっぱり今朝も玄関を開けるときに、頭に浮かべてしまうのだ。<br>私の帰宅に気付いた母が微笑んで言ういつものセリフを。<br>「あら、おかえり。ごはん食べたの？」<br><br><br>追伸、母へ。<br>命を、人生を、愛情を、おいしい食事を、微笑みを、どうもありがとう。<br>いつか私自身があの小さな白雲木のような新しい希望を育てる立場になったとき、与えてもらったすべてをその子に与えます。<br>それでは、ノスタルジアで、また会いましょう。
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-11231873413.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 15:00:00 +0900</pubDate>
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<title>あがくはよし、わめくはあし。</title>
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<![CDATA[ 『あがくはよし、わめくはあし。』<br><br>昔、私が自分に戒めた言葉だ。<br>「あがく」とは「足掻く」と書き、水中で足を動かして沈まぬように、そして前へ進めるようにするための動作だ。<br>もがき、そしてじたばたとするその所作は、ときに見苦しく見えるものであり、潔さを金とする美徳感の前では悪徳そのものだろう。<br>「わめく」とは「喚く」のことで、大声をあげて騒ぐことだ。<br>「あがく」と同様、みっともなく下品な行為だと思う人が多いことと思う。<br>このふたつの行為は一見その醜悪さに、似たイメージがあり、同じようなことのように思われがちだが、少なくとも冒頭の言葉を紡いだ頃の私には天と地ほどの差がある行為だった。<br><br>会社をはじめたばかりの私は早速経済的な困難に陥り、都会の中心で餓死を予感するほどの貧困を体験した。<br>赤字事業の傍らで深夜はアルバイトをし、不眠不休で得た収入はすべて事務所の家賃や事業費に当てていた。<br>食べ物を買えなかったので、近所のパン屋からパンの耳をもらい、宅配便に天然素材の梱包材が入っていればそれをほおばった。<br>やせ細った体になり、ときには路上で気を失い、連れ込まれた病院では極度の栄養失調だと宣告される。<br>苦労自慢をしたかったわけではなく、言いたいことはこうだ。<br><br>私はそんな状況の自分を言い訳しなかった。<br>それは私の精神力が強靭だったからではない。<br>言い訳のしようがなかったからだ。<br>目指すべきゴールがありながらも、そこに到達していないという事実が確かにそこにあるし、目指すべきゴールへは、自分の意志で勝手にチャレンジしたことなのだ。<br>社会や時代や顧客に責任転嫁しようとしても、リサーチを怠けた自分の責任で、言い訳を口にするほど自らの無能さをアピールしてしまうだろう。<br>なんて、格好のいいことを言ってみたが、本当は言い訳をする暇がまるでなかっただけだ。<br>毎日をもがいてもがいて光の見えない暗闇で何かを手探りしてボロボロになっていたから、そんな暇があるなら体を休めたかった。<br>だから誰かの言い訳を聞くと思うのだ。<br>「ああ、この人にはまだまだ余裕がある」、と。<br><br>【記録】<br>「ちょっと心外でした」<br>女の子が不機嫌にそう言った。<br>私がこの子のカウンセリングをはじめてから今日でまだ2度目の面談だ。<br>私の前に来た段階でムッとした空気をまとっていたので、「嫌なことでも？」と質問したあとの一言がこれだった。<br>最近「心外」という言葉をあまり聞かなかったので新鮮でもある。<br>「なにが心外だったの？」<br>私はいつものように訊ねる。<br>「先生に本気でやれって言われたんです」<br>私はなるほどと思った。<br>「君は充分に真面目にやってるつもりなのに？」<br>私がそういうと彼女は目と声を大きくして答える。<br>「そうなんです！」<br>どうやら彼女はダンスのレッスン中にレッスンコーチからたしなめられたようだ。<br>「そうか……。じゃあ本気と真面目という言葉を切り分けてみよう」<br>私はそういって言葉の整理を提案した。<br>ほとんどの場合、会話の失敗は言葉の定義の差にある。<br>今回の場合では、彼女にとって「本気」と「真面目」というふたつの言葉が同義語になっているのではと思い、レッスンコーチの言わんとしたことを噛み砕いて伝える役を私がやるわけだ。<br>「君はふざけることなく、手を抜いたわけでもなく、時間いっぱいいっぱいまできっちりレッスンを受けた、でしょ？」<br>「はい」<br>「手を抜いてない証拠に汗もだらだらにかいたし、今だってすぐに眠れそうなほど疲れてる」<br>「そうなんです！」<br>ボルテージのあがる彼女をなだめてつづける。<br>「それは間違いなく真面目にレッスンを受けている態度だ」<br>彼女は私の言葉を受けてガッツポーズをとる。<br>「ただ、真面目と本気とは実は違う」<br>彼女は表情を曇らせつつも私の言葉を待った。<br>「本気というのは、なにがなんでも達成する意志のことだ」<br>そこまでいって、私は質問をひとつ飛ばしていたことに気付いた。<br>「……ところで、何について本気じゃないって言われたの？」<br>「振付で覚えてない部分があったんです。私が学校に行きながらだから時間がないのわかってるくせに」<br>「そっか、忙しいから全部覚えるのは無理なのか」<br>「無理です」<br>即答された。<br>「じゃあ明日までだったらできる？」<br>「もう今日は疲れたので無理です」<br>またしても即答。<br>「絶対に？」<br>「絶対です」<br>とにかく即答だ。<br>「じゃあ明日までに覚えたら100万円もらえるっていう番組の企画だったらできる？」<br>「……うーん、それなら……」<br>急にもごもごとしはじめた。<br>「じゃあ明日までに覚えられなかったらお父さんとお母さんを殺すって言われたら？」<br>「そんなの、絶対やります」<br>私は「警察に通報します」とか、ひねくれた回答が来なかったことを内心安堵した。<br>「それが本気ってことだよ」<br>「…………？」<br>私の言葉に彼女は首をかしげた。<br>「100万円もらえるからとか、親が殺されるからとか、そういうのがあればできるというのなら、君の全能力を使えばできるってことを君は自分で言ったんだよ」<br>「うーん……」<br>「つまり、全能力を使ってないから覚えられないと自分で言ってるってことにもなる。それって本気と言えるだろうか？」<br>「だって親が殺されるのは嫌だもん！」<br>ここからしばらく微妙な会話のくだりがあり、結果として次のようなことを理解してもらった。<br><br>プロの世界は若手も初心者も関係なく解釈され、結果のみが判断される。<br>本気とは、疲労の具合や労働時間の長さのことではない。<br>設定したゴールへの到達力そのもののことだ。<br><br>「本気の人は、学校がどうだとか、時間がないだとか、そんなことを言わないでやってるんだよ。だって、何を言ってもできなかったら100万円はもらえないし、親が死んじゃうんだから。先生は君の本気具合を見て、プロとしてやっていけるかどうかを判断しようとしてるんだと思うよ。少なくとも、次のレッスンまでに覚えなかったらクビになる可能性は実際にあるし、そうなって困るのは君自身だろ？」<br>彼女は「プロってすごい……」とだけ言って帰っていった。
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-11028600205.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Sep 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>自らに問うこと</title>
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<![CDATA[ アニメの声優が変わると、嫌がる人は多い。<br>代役の声優の声が嫌いなわけではない。<br>イメージと異なるのが、嫌なのだ。<br><br>いつもは男性を振り回す女性が、ある男性に恋をして、その男性の前ではとても気をつかった。<br>それを長年の親友が見て、女性に言うのだ。<br>「そんなあなたはあなたらしくないから、その男はやめたほうがいい」<br>親友は自分の中にあるその女性のイメージと女性の今の姿にズレを感じることを嫌がった。<br>本来の姿（と親友が思っているもの）でいられないことは、不幸だという思い込みがあるからかもしれない。<br>例えばその女性に「その男性に気をつかうあなたは不幸か？」と問えば、きっと答えは「否」なのだ。<br>なのに、親友は自分が感じる嫌悪感を女性に強く押し付けるから、ときに女性本人も「もしかして私は幸せじゃないのかしら？」と迷いをもったりもするだろう。<br>では、男性は何をしたのだろうか？<br>自分に革命をもたらしたのか？<br>それとも自分の新しい面を掘り出したのか？<br>よくよく考えてみれば、どちらもとてつもないことだ。<br>それだけの影響を与えてくれる人は、生涯をかけてもそうそう出逢わない。<br>人は元来持ち合わせている「変わりたくない」という欲求のために、変化を捨てるのだ。<br>自らの革命や、新しい自分の発掘という経験をしたことがあって、かつ、その意義に気づける人も少ない。<br>アドバイスはそうした人から受けるべきなのだろうけども、自分の親友がそのわずかな確立に入っている幸運に期待するのも冒険に思える。<br>だからこそ、自分の心に問うしかないのだ。<br>今の自分が幸せなのか？と。
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-10884836060.html</link>
<pubDate>Sun, 08 May 2011 00:35:28 +0900</pubDate>
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<title>贅沢者の10年</title>
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<![CDATA[ 人生は、悔みつづけるには長すぎ、過去の何かを取り戻すには短すぎる。<br>世界の名だたる偉人たちも、晩年には自らの若さや感性を取り戻すべく奮闘し、その過程で自らが積み上げた多くのものを軽視した。<br>結果、取り戻すものも取り戻せないばかりか、ときには積み上げてきた大切なものまでを失うこともあっただろう。<br>誰にだって打ち消したい過去があり、なんとか逆転できないものかと思案する時間が訪れる。<br>そう、私にも訪れる。<br><br>数年前、白金でハウスシェアをしていたが、一年も経たないうちに古巣の田園調布へ引っ越した。<br>私は毎日のようにしている散歩に、生活の中でもとくに重要な意味を見出している。<br>アイデアを出すとき。<br>考えを整理するとき。<br>問題がなんなのかを探るとき。<br>何かを覚悟をしなければならないとき。<br>そんなときは散歩する。<br>なるべく広い場所であったほうがいい。<br>なるべく澄んだ空気であったほうがいい。<br>なるべく自分以外の人がいないほうがいい。<br>都会は視界が狭く、淀んだ空気に包まれ、そして人が多い。<br>引っ越した理由は、そういった都会の特徴を今さら知ったからではなく、自分にとって散歩がどれほど重要だったかを今さら思い出したからだ。<br><br>【記録】<br>長い長い散歩をした。<br>今年でシオンワークスは前身レヴォックスから含めると15歳になる。<br>今日で法人化からちょうど10年。<br>いろいろと最初から考え直すいい節目だ。<br>この10年という時間が、私の人生であと何回繰り返してくれるのかと考えてしまう。<br>私はもしかしたら前の10年を悔やみ羨むために今の10年を過ごしてしまったのかもしれない。<br>なんの生産も清算もできず、ただ哀愁の底にいたような気がしてならないのだ。<br>羨んだ10年を取り戻そうとして、何も生み出せない10年を過ごし、また同じような10年を繰り返すのではないかと恐怖する。<br>最近の自分を襲う不安感の正体を暴くために、多くの仮説を立てて自分にぶつけつづけた。<br>そうして3時間ほどが過ぎたとき、私は足をとめた。<br>田園調布の町を見渡せる高台で、咲きはじめの桜の下で。<br>心地よい風が吹いたからだった。<br>「そうか……」<br>やっとわかった。<br>多くのものを望む体質でもないし、夢も叶えた、ように思っていた。<br>だが気付いたのだ。<br>夢を実現する方法として、自分の時間を買い占めることには成功したが、私はその時間を自分の思うように大切にしていなかったということに。<br>穏やかで豊かな気持ちで、こうやって気持ちのいい風を受けてたたずむ贅沢を、すっかり忘れていた。<br>鼻から胸いっぱいに空気を吸い込んだ。<br>「これはうまい」<br>何回も繰り返す。<br>目標を失っていた私の心が、ぐっと意味を取り戻した瞬間だった。<br>私はこのささやかで、そして壮大な贅沢を守るために生きればよいのだとわかった。<br>ゴールがわかりさえすれば、迷わず進むことができる。<br>なんてことはない。<br>普段は他人に偉そうにいろいろ説いているクセに、自分のことときたらこんなわかりきったことも解決できていなかったのだ。<br>人は後悔と羨望にとらわれて、自分のすべきことを見失う。<br>しかし、後悔に学び羨望を糧にできるのも、人の面白いところだ。<br>明日も春の香りがする素敵な風を浴びて、贅沢な10年をはじめよう。
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-10854508459.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Apr 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>否定する資格</title>
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<![CDATA[ <hr>世界は君が思うよりずっと狭い<br>そこに詰めこまれた現実はやがて<br>僕らが体験したすべての常識を遥かに超えて溢れ出し<br>君にのしかかるだろう<br>さあ 地を這いまわり 唸りを轟かせ 力の限り睨み<br>そして 受け入れるがいい<br>君の望んだすべてを満たすためには<br>君の拒んだすべてを受け入れるしかないのだから<hr><br>「どこにやったっけな……？」<br>といった具合に、使いたいものがちょくちょく見つからないことが増えてきた。<br>原因は度重なる引っ越しで、何をどこにしまったかわからなくなっているためだ。<br>引っ越してきてから適当に収納していたいろんなものを、一度全部整理しようと、休日を一日使って部屋中に荷物を広げた。<br>高校一年生のときの数学のノートを見つけ、中をのぞくと、上のような文章が出てきたわけだ。<br>いいかげんそのノートを処分したいので、ここにこうして記録しておくことにした。<br><br>今も当時も私が信じていることは相変わらずで、得るためには捨てなくてはならないという現実がある。<br>何も捨てずに得られるもの、それは刹那的で儚く、ときには記憶にすら残らないようなものになってしまう。<br>これは、子供であることの制約に耐えるために、私が自らに戒めた文章なのだ。<br><br>【記録】<br>「今思えば、学校の勉強なんてどれほど役に立ってるのか怪しいもんだなぁ……」<br>まもなく小学校にあがるという子供を持つ友人が言う。<br>「あれは学習内容そのものより、淡々と何かに取り組める人間を育成することが目的なんだろうしね」<br>私は少しうがったことを言ってみる。<br>「一番必要そうなところは結局教えてくれないし」<br>「性とか金とか政治とか宗教とかね」<br>「そうそう！」<br>友人は身を乗り出して同意してきた。<br>ところが私はよくよく想像してみて困ってしまう。<br>「じゃあ自分で教えられるかと言われたら、教科書で教えて実感できるものでもないし、ハンパな知識が悪影響にもなりかねないものだから、学校でちゃんと教えてないのもなるほどとも思うね……」<br><br>学校へ通っていた頃の私は、どうしても理解できないことがあった。<br>人のもつ常識など刹那的な産物だと思い込んでいた私が、日々あたりまえのように、なんのために存在しているのかもわからない数学の公式を覚えさせられるのは苦痛でしかなかった。<br>私が知りたいのは、その公式が誰がどういう経緯で、なんのために生み出し、何に使えるのか、ということだった。<br>しかし恐ろしいことに、それを教諭に訊ねてみても、授業以外で使ったことなどないというのだ。<br>そう、もっとも恐ろしいのは、数学の授業でしか使わない公式を教えていることに、なんの疑問も持たないということだ！<br>私には極めて理解のできないことだった。<br>それがあたりまえだから、ということなのだろう。<br>だが、世界には「あたりまえ」などという一概な観念で量ってはいけないことが山ほどある。<br>たとえば上述の性や金などの問題。<br>生きるために、繁殖するために、必要なものなのに、漠然と悪いもののように教育する。<br>その人にはその人の正解がある。<br>公式を覚える授業より、自分の公式をつくる授業があればいいのに。<br>教科書を眺めてそう考えていた。<br>それを訴えても首をかしげられるだけだった私は、その憤りを捨てるために口を閉ざし、無機質たることを心がけた。<br>事実、受け入れもしない人間には否定する資格がないことを知った。<br>その発見を記した文章を見つけて、今は微笑ましく思う。<br>なぜ自分の望んだ世界になっていないのかが、今ならよくわかる。<br><br>「結局さ、学校に教育を任せっきりになって、親が教育を怠ってきた結果が今のこの国なんだよ」<br>友人が出した答えは、一般論なうえに結果論だが、間違ってはいないと思う。<br>自分の望んだ世界をつくれる人、それは自分がつくってみせると自ら責任を負う人のこと。<br>他人には他人の正解があるのだから、他人任せにして自分が望んだ世界になるはずがない。<br>責任を負っていないという楽な状況を捨てることは決心や覚悟がいるだろう。<br>しかし、どのみち自分の人生の責任はとらされるのだ。<br>最初から責任をとるつもりの人生か、気づいたら責任をとらされている人生か、違いはそれだけだ。<br>「どうせ責任とらされるなら、もっとああしておけばよかった」<br>そんな言葉を聞くたびに、「あたりまえ」への順応が飛びぬけていい人々なのに、なんでこんなあたりまえなことも知らなかったのかと、やはり私には疑問でならないのだ。<br><br>「私が時間と情熱を割くことで、あの子の生き方が変わるんなら、いくらでも割くよ」<br>友人が強く言う。<br>「だってあいつ可愛いもん」<br>私は笑ってしまった。<br>そうなのだ。<br>覚悟する理由など、これくらいシンプルなほうがいい。
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-10534262229.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Mar 2010 03:22:37 +0900</pubDate>
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<title>亡き学びや</title>
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<![CDATA[ <p>何度も書いていることだが、子供の頃の私は、大工の父の現場へ幾度となく足を運び、手伝いまがいのことをしていた。<br>小学校も高学年になる頃にはノコギリやカンナ、ノミといった刃物を扱い、三階建ての家屋の屋根にあがっては手をつく場所もない足場を、子供には少し重い道具袋をさげて歩いた。<br>現場で出る細かな廃材を、現場でそのまま焼却することもあった。<br>これが私がときどき行う焚き火の原点である。</p><br><p>刃物と火と高所。<br>これらはとても危険をともなうものだ。<br>意識はしていなかったが、私はこれらにとてもデリケートな対応をする。<br>つまり、これらを前にして、絶対にふざけたりしない。<br>その反面、とても頻繁に扱う。<br>私は最近、深く思い知らされたことがある。<br>多くの人は、刃物や火の扱い方どころか、それらの恐ろしさも知らないのだ。<br>刃物をどう使うと怪我してしまうのか、どう使うと刃こぼれしてしまうのか。<br>火は何で起こすと火事になりやすくなるのか、どうやって消火するのか。<br>そしてそれらはどうしたら本領を発揮してくれるのか。<br>危ないからと触らせてもらえなかった子供たちが今、親の世代になった。<br>そう、つまり、それらを教わることもないまま、教える立場になってしまったのだ。<br>それらで怪我をしたこともないから、刃物を人に向けることの恐ろしさも、不用意な火が起こす災害の脅威もわからない。<br>実感はないが「どうやら危険らしい」という情報からか、とにかく子供から遠ざけるようにだけする。<br>今や、誰が「危険」を正確に教えることができるのだろうか。</p><br><p>【記録】<br>「これならいいか」<br>私は腰のあたりまである雑草を分け入って、自重に耐えられず落ちた枯れ枝を拾い集めていた。<br>自分の腕より太く、自分の身長より長い枝が数本。<br>これだけあれば一晩を過ごせる。<br>集めた枝を適当に組んで火をつけた。<br>「……ん？」<br>なかなか火が枝につかない。<br>私は一度枝の山を崩して、今度はちゃんと空気が入るように組みなおした。<br>するとあえなく燃え上がった。<br>ある程度燃えたところでアルミホイルで巻いた里芋を火の中に放りこむ。<br>「そうか……」<br>私は今まで何人かの友人が焚き火をしようとして火がつかなかったと嘆いていたのを聞いて、なぜそんなことができないのかと疑問に思っていた。<br>枝の組み方がよくなかったのだ。<br>そしてなんとかしてつけようと、無駄に紙やら葉やらを燃やして燃え上がって舞う火の子がボヤ騒ぎを起こす。<br>あっさり火を起こせる自分を見て、今になって、あのふざけた父親の教育の成果に脱帽した。<br>平和ボケも過ぎた国の、今亡き学び舎の必要性を訴えたい。<br>どこかの銀河系のような淡くも強い赤い光を放つ炭の群れに暖をとりつつ、焼きあがった里芋に塩を振ってかぶりついた。<br>この優しい暖かさを知らない人がいるとは、なんと不幸なことか。<br>里芋を焼くのは私くらいだろうけども……。</p>
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-10418098673.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Nov 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>継続の福音 2</title>
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<![CDATA[ <p>「慣れ」というものは、存外ものすごい力を発揮するものだ。<br>私は八時間寝ないと調子が悪くなる。<br>この数年はそう思って過ごしてきた。<br>実際、いざ仕事となって、二時間睡眠が二日もつづけば、まぶたを開けているだけで息が切れる始末。<br>ところが、それも三日目となると、体のほうがそれに対応をはじめる。<br>二時間の睡眠で、できる限りの、そして最低限の回復をしようとしてくれるようになった。<br>二時間睡眠は体に無理をさせていることだから、長くつづければ当然どこかでシワ寄せが来るだろう。<br>だが、毎日つづけるなにかしらの習慣というものは、思いがけないところでとてつもない力を見せてくれる。<br>「継続は力なり」と昔の人は言う。<br>幼少の頃、たびたび大工である父の仕事現場で家ができあがっていく様を見て、私は空間というものを意識しつづけた。<br>自分の部屋の家具を決めようというとき、頭の中でそれを並べて、それが空間にマッチするのか、残りどれぐらいのスペースがあまるのか、そこで自分が快適に過ごすのに充分なサイズなのか、立体にしてイメージできるようになった。<br>イメージできるようなった、と言っても、できなかった頃の記憶などほとんどないし、それをできない人がいると知ったのも高校生の頃かそれよりも後だ。<br>つまり、私にとっては空間を想像できるということは、あって当然の能力だったのだ。<br>想像力は誰にだってあるのだから。<br>ところが、想像というのも訓練が必要なもので、人は普段触れているものをイメージするのは得意だが、それ以外についてはとても軟弱だ。<br>新しいことをはじめるたびに、私は想像のおよばないことにぶつかり、そのことに気づかされる。<br>それでも、訓練という言葉を使ってはいるが、多くの発見は私に喜びを与えてくれる。<br>だからこそ、私は新しいことをはじめてみようと思うのだ。</p><br><p>【記録】<br>真夏日のさなか、両手のふさがった私は自分の汗もぬぐえないでいた。<br>自分も参画して24日からオープンした新しい店（<a href="http://himel.jp/">himel fresh juice</a> ）のために買い出しに走りまわっているのだ。<br>オープンまでの数日と、オープンからの数日はほとんど寝ることもなく準備に追われた。<br>オープン初日は、前日の準備から閉店までの30時間以上も店に立ち、生まれてはじめてムクミで足が痛くなることを知る。<br>休憩もせず立ちっぱなしだったのがあるにせよ、普段から立ち仕事をする人たちに頭が上がらなくなった。<br>こうしてまた少し、人のちょっとした苦しみをイメージすることができるようになるのだ。<br>まあ、ただ自分の痛みを思い出しているに過ぎないのだが……。</p><br><p>最初の数日は自分も店に立ってみようと思ったのには、同じ意味合いがある。<br>店頭に立ち、お客さんと向かいあう立場に、どのような喜びと苦しみがあるのか、それを知るためだ。<br>自分が実際に手間をかけて仕込みをした野菜や果物を、レシピがあるとはいえ自分がジュースにしている。<br>目の前でそれを飲んだお客さんが笑顔になるのか、そうでないのか、それは店頭に立つ立場なら自分の気分を左右する瞬間だ。<br>店頭に立つスタッフが、お客さんにメニューを自慢できるような店にしたい。<br>遠くからわざわざやってきて行列に並んでもらう店や、取材が殺到して大流行するような店を目指したいわけではない。<br>地元の人たちに普段から使ってもらえて、知人や友人が来たらお勧めしてくれる、そういう店でありたい。<br>そう、たとえ自分が店頭に立たなくとも、「あなたらしいね」と言われるようにしたいのだ。</p><br><p>おもいのほか速くなくなる消耗品を買い足して店に到着すると、初日に来てくれた夫人がちょうど店の前に来た。<br>「あら、よかった。今日はいらっしゃるのね」<br>オープン初日から、毎朝出勤前と毎晩帰宅前に寄ってくれていて、私がいるときはしばらくお話していく。<br>数百円のジュースを通して、お互いの生活にわずかな彩りが生まれる。<br>毎日繰り返していくことで、その彩りには力が生まれる。<br>いったいどんな場面で、どれだけ役に立つことなのかなんかはわからないけれども、着実にそれは自分の力として蓄えられていく。<br>だからこそ、私は新しいことをはじめてみようと思うのだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/otojirolog/entry-10346392643.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Jul 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
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