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<title>oxcharrivil1982のブログ</title>
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<title>公開質問への驚きの回答〜外国との報道協定（第1部）</title>
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<![CDATA[ <title>Astor Piazzolla - Largo Tangabile - YouTube</title>        <noscript>&lt;h1 class="message"&gt;An error occurred.&lt;/h1&gt;Try watching this video on , or enable JavaScript if it is disabled in your browser.</noscript><br>Astor Piazzolla - Largo Tangabile<br><b><br>いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。<br><br><br>昨日の深夜、公開質問を試してみた。<br>果たしてどのような反応があるか、様子を見てみたかった。<br><br>12時間も経過していなかった午前中に、投稿が始まった。<br>あっという間に、4本連続の投稿で、かなりの時間と労力を<br>費やした労作だ。<br>まるで、何日も前からこの質問内容を予測していたかのような<br>迅速な対応で、実に驚いた。<br>実際には、昨晩思いついて質問内容を考えたのだから、<br>この投稿者は、既知の情報としてあっという間にまとめたことになる。<br><br>匿名希望なのでハンドルネームは明かせないが、<br>仮にコードナンバーGA001とさせていただく。<br>この投稿読者・コードナンバーGA001の方とは、これまでに<br>何度かメールのやりとりをさせていただいている。<br>なかなか博識な方で、知的レベルも高く感性もかなり鋭い。<br>プロの情報分析官なのではと思っているほどだ。<br>このような方が、まだまだ先の見えないファミリー・インテリジェンス<br>の主旨に賛同してくれているとしたら、とても嬉しいことだ。<br><br>質問の基本は、日中報道協定だったのだが、中国の歴史的背景、<br>さらには台湾との関係や、日本の総理大臣の対応など、<br>とても広角に捉え、説明してくれている。<br>お願いしたように、引用と個人的な見解も分けてくれている。<br><br>Weeklyみるとすでの配信と、サイトでの保管方法を考えている。<br>しかし、せっかくの労作なので、ブログ読者の皆さんにも<br>是非お読みいただきたいと考え、以下に転記させていただく。<br>過去の歴史の延長線上に存在する現状を洞察するという、<br>非常に立体的な情報内容に接し、私自身がとても勉強になっている。<br><br>改めて、お忙しい中、資料を作成・投稿してくださった<br>コードナンバーGA001さんに、心からお礼申し上げる。<br><br>【公開質問に対する回答情報】（投稿者コードナンバー：GA001）<br><br>■投稿カテゴリー  ブログ・昼寝ネコの雑記帳に掲載の質問への回答<br><br>■投稿内容ご記入欄（1200字以内）<br><br>　日本と中国の間に存在するといわれる、「報道協定」の実態を理解するうえで、中共と台湾(中華民国)という「二つの中国」の歴史を、日本・アメリカとの国交関係や戦後の世界史を背景に振り返ってみることは欠かせないと考え、取り急ぎ Wikipedia等をもとに、日本と（台湾・）中国との紆余曲折を経た関係を以下に、歴史に沿ってまとめてみました。  日本と中国の間に存在するといわれる、「報道協定」の実態については、追って回答提出予定です。<br><br>二つの中国（Wikipedie より） <br>%E4%BA%8C%E3%81%A4%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD<br><br>　1949年以降「中国 (China)」の正統政府を自任し台湾海峡両岸で向かい合う二つの国家政権（中共・台湾）と、両者の関係・ありようについての政治上の概念。<br><br>＊戦後、1952年に日本は台湾国民政府を正統な政府と認めて国交を結んだ（背景にアメリカの中華民国支持の強い姿勢）。<br>　↓<br>○1958年3月に第四次日中民間貿易協定、締結。<br>＊覚書に“（中国）通商代表部の設置や外交特権を与え、両国の国旗掲揚も認める”等の内容が盛り込まれており、このことで日本政府に対して中華民国とアメリカから反発が出た。  予定していた日華通商会談の中止、日本製品の買い付け禁止の処置も出され、岸政権は「結局民間サイドでの約束なので外交特権も国旗掲揚も認めない」方針を出した。  今度は中華人民共和国側が態度を硬化。中華人民共和国の陳毅外相が日本政府の対応を強く批判、日中経済文化交流を中止すると宣言、民間交流が頓挫。  周恩来首相が「政治三原則」（中国人民を敵視しない、2つの中国を作らない、両国の関係正常化を妨害しない）を表明し、日中間はしばらく膠着状態に。  それまでの日本側の「政経分離の方針」（二つの中国を容認）は中華人民共和国側の「政経不可分の原則」と深刻的に相対した。<br>　↓<br>○1950年代後半頃から中ソ対立が激化、一方で米ソ協調路線に。<br>　↓<br>○1960年の日米安保条約改定の混乱の中で岸首相が辞任、池田勇人が首相に 就任。池田首相は日中関係改善論者であり、日中貿易促進を志向。中華民国(台湾)の国連における議席を維持したまま中華人民共和国の国連加盟を推進して最終的には国交樹立を目指した（「二つの中国」が前提）。しかし両国ともに「一つの中国」を原則としており、西側諸国の多くの国が「二つの中国」という現実への対応に苦慮<br>　↓<br>○1960年夏の池田内閣の誕生と合わせ、中華人民共和国側から対日貿易に対 して積極的なアプローチ開始。日中貿易促進会の役員と会談した際に周恩来首相から「貿易三原則」(政府間協定の締結、個別的民間契約の実施、個別的配慮物資の斡旋)が提示。民間契約で行う友好取引。いわゆる「友好貿易」が始まった。あくまで民間ベースのものであったが、「政治三原則」「貿易三原則」「政経不可分の原則」を遵守することが規定された政治色の強い側面があった。日本国内では反体制色の強い左翼団体や、政治的立場より収益を優先する企業が中心的な役割を果たしていた。  　↓<br>○1962年に日本と中華人民共和国との間で「日中総合貿易に関する覚書」が  交わされ、経済交流が再開。政府保障や連絡事務所の設置が認められ、半官半民ベース（この貿易は中華人民共和国側代表廖承志と日本側代表高碕達之助の頭文字から‘LT貿易’と呼ばれている）。<br>　↓<br>○1963年、日中貿易で来日中の中国人が中華民国へ亡命希望する事件（周鴻慶事件）が発生。日本政府は結局中華人民共和国へ強制送還したが、中華民国が反発して両国の対日関係が戦後最悪といわれるほど悪化。<br>　↓<br>○1964年1月に突然、フランスのドゴール大統領が中華人民共和国との国交正常化に踏み切った。これに対し、中華民国は報復的に対仏断交に踏み切り、池田内閣で検討していた「二つの中国」政策は挫折。<br>　↓<br>○1964年、日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を取り決めた。<br>　↓<br>○1964年秋に池田首相が病気のため辞任、佐藤栄作が首相に就任。その在任期間中はベトナム戦争、沖縄返還、日米安保延長があり、そして中華人民共和国では原爆保有、文化大革命があって国内が混乱した。日中間には大きな溝が生まれて、再び交流に齟齬をきたした。（佐藤内閣の大きな課題は沖縄返還であり、日中関係は停滞）<br>　↓<br>○1966年3月には日本共産党の宮本顕治が訪中したが、毛沢東と路線対立して帰国し、それまで友好的であった両国共産党の関係が悪化。この直後、中華人民共和国では「文化大革命」が始まり、やがて中国共産党を巻き込んで国内が混乱し、中華人民共和国の外交活動も停滞した。<br>　↓<br>○政治的に激動した1960年代後半は、日中両国の外交関係は半ば閉じられた状態であった。しかし、貿易面ではLT貿易は浮き沈みがあったが、民間の友好貿易は右肩上がりで当初の10倍に達した。<br>　↓<br>○1969年春に中ソ間で国境線を巡る武力衝突事件が起き、中華人民共和国はソ連を主な敵とする外交路線を取り、また混乱していた国内の文化大革命が落ち着き始めた。それまでの林彪らの文革派から周恩来が実権を回復していた頃から、積極的な外交を展開するようになった。<br>　↓<br>○1970年10月にカナダ、12月にイタリアと国交を結び、この頃からアメリカへの働きかけが水面下で始まっていた。国際連合での中華人民共和国の加盟をめぐって賛成票が多数に（米国の重要事項案も可決され、三分の二以上の賛成票ではないので加盟は実現せず）<br>　↓<br>○1971年7月にアメリカのヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官がリチャード・ニクソン大統領の命を受けてが北京を秘かに訪問、中華人民共和国成立後初めての米中政府間協議を極秘開催。同年7月15日には、ニクソン大統領が翌年中華人民共和国を訪問することを突然発表、世界を驚かせた。「ある日の朝、目を覚ませばアメリカと中国とが手を握っていた」（1965年から武力介入して泥沼化したベトナム戦争を抱えた状況で、米国が主導権を持って外交を積極的に推進することが目的）1970年代に入ってのこの米中間の対話開始と急速な接近で、当時西側の主要国で中華人民共和国との国交が正常化していない国は日本と西ドイツだけで、他の英仏伊加がすでに承認していた。「日本外交が取り残されている」との認識が一般にも拡大。一方、当時の自民党内ではまだ東西冷戦の思考から抜け出せず、また中華民国を支持する勢力が多数で（石原慎太郎や浜田幸一などは親中華民国派）、様々な権益が絡んでいた。<br>　↓<br>○1971年秋に国連総会で中華人民共和国の加盟を審議した際には、日米とも加盟そのものには反対せず、しかし中華民国を排除しようとすることは重要事項であるとした。前年までの方向と全く違う考え方の「逆重要事項案」と両国とも議席を認める「複合二重代表制決議案」の2つの案を共同提案国として提出したが、逆重要事項案が否決（複合二重代表制決議案は自然消滅）。  中華人民共和国の加盟と中華民国の追放を求めた「アルバニア案」の採決で、日米とも反対したが、結局賛成が大きく上回り、加盟と追放が決定された。同年、日本の財界首脳が訪中団を送り込み、周総理が実質の日中国交正常化宣言をおこなう。<br>　↓<br>○1972年7月7日に内閣総理大臣に就任した田中角栄は就任前から日中関係の打開に積極的な姿勢で、就任直後の首相談話で「日中国交正常化を急ぐ」と発言。中華人民共和国側も田中内閣での国交正常化に本腰を入れ、田中首相は、アメリカよりも早く日中国交正常化を果たすことを決断。<br>　↓<br>○1972年9月、日中共同声明を発表により、日本国と中華人民共和国が正式な国交を結んだ（日本国 総理大臣：田中角栄、外務大臣：大平正芳）。  周恩来は「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共同声明を実現。<br>　↓<br>○1978年8月、福田赳夫政権の下で日中平和友好条約が調印された。  「日中記者交換協定」という言葉には、形式的/公式的なものと、実態を表しているものが曖昧に混在しているようで、前者を調べただけでは後者を理解・把握しづらいかもしれません。  ネット検索をしてみたところ、以下に比較的分かりやすい説明がありました。中国側からの圧力が感じられる、報道規制強要に近い傾向が少なからずあるようです。<br><br>●日中報道協定って？： 教えて！goo より<br><br>引用開始 —<br>Q:「友人から聞いたところなんですが、日中間では報道協定があって、中国に対する批判的な記事は日本のマスコミは報道を制限している or されている、というのは本当でしょうか？ だとすれば、報道機関が日本人を親中国的に教育するという方向に向かわせることになるのでは？国の根元に関わる問題だと思うのですが・・・。 1945年の敗戦の影響がまだ尾を引いているのでしょうか？すでに日本は中国の一部なんでしょうか？」<br><br>ベストアンサーA:「文化大革命時に朝日新聞を除く日本の報道機関は北京の支局を閉鎖されました。 文革後、各報道機関は北京の支局を復活しましたが、産経新聞だけは北京に支局を置いていませんでした。 しかし、1998年にようやく産経新聞は北京に支局を置いたのですが、その際に、 ・「一つの中国」という原則 ・建設的な日中関係の構築 という中国当局との合意のもとに、常駐記者の設置することになった、と同新聞が説明しています。 ここからは、推測。  たぶん、このような合意について、産経新聞は特に表沙汰にしただけで、他の新聞社も似たり寄ったりのことをしているに違いない、「報道協定」だ（というか「報道統制」だと思うのですが）、ということで話が広まったのでしょう。  私見として、中国側としては自国に都合の悪いことばかり書くメディアに対しては支局を閉鎖するといった措置に出ることは十分に考えられるわけで、各報道機関とも一定の自主規制を行っているのが現状だと思います。 逆に言えば、自国に有利なメディアに対してあえて「報道協定」を結ぶメリットはないわけで、産経以外のメディアとこのような「協定」を結んでいるかどうかは、断定できないと思います。  日中関係の問題というより、中国の閉鎖性の問題ととらえた方が、よりわかりやすいように思いますが、いかがでしょうか。 いずれにせよ、報道を見るときは、ニュースソースをしっかりチェックする必要がありますよね。」<br>－引用終わり<br><br>●日中記者交換協定 <br>~duke/politics/<br>  「1968年の修正」における、「会談コミュニケに示された原則」（＝会談コミュニケの中の「政治三原則と政治経済不可分の原則」） 1. 日本政府は中国を敵視してはならない 2. 米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない 3. 中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない  の3点の遵守が取り決められた。  この政治三原則と政経不可分の原則に基づいて日中記者交換を維持しようとするものであった。 以下、同HPより引用<br><br>○日中常駐記者交換に関する覚書 1972年9月29日、「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」（日中共同声明）が発表され、日中両国間の国交は正常化した。以後、日中関係は大きく進展する。1974年1月5日には両国政府間で日中貿易協定が結ばれ、同日には「日中常駐記者交換に関する覚書」（日中常駐記者交換覚書）も交わされた。   日本のマスコミはこの「日中記者交換協定」のために中国を糾弾する報道ができないのです。実に日本を馬鹿にした協定です。 それにしても、こんな状態で公正な報道が出来るのでしょうか？  公正な報道が出来ないのに中国に支社を作ったり、中国に記者を常駐させる必要があるのでしょうか？   一方的に中国の要求を書き連ねただけの、こんな馬鹿げた協定は改正するか破棄して、公正な報道をして欲しいものです。<br><br>●＜参考＞ちょっと分かり辛いですが、以下、Wikipedia より－  1964年4月19日、日中貿易に対する積極的な姿勢を持つ池田首相の政権下、遡り1962年から開始されていた「日中総合貿易に関する覚書」に基づいての半官半民で再開されていた日中間の経済交流（LT貿易）の代表者、高碕達之助事務所と廖承志事務所が日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を取り決めた。 同年9月29日、7人の中華人民共和国の記者が東京に、9人の日本人記者が北京にそれぞれ派遣され、日中両国の常駐記者の交換が始まった（日中記者交換協定）。  1958年8月に訪中した社会党の佐多忠隆・参議院議員に対し、廖承志（当時、全国人民代表大会常務委員会委員）が周恩来・総理、陳毅・外交部長の代理として示した公式見解以来、中国側がたびたび主張してきた日中間の外交原則‘政治三原則’について （前略）これまで我々がのべてきた政治三原則は決して日本政府に対する過酷な要求ではなく、非常に公正なものである。  第一に、日本政府は中国を敵視してはならないことである。なぜなら、中国政府は決して日本を敵視していないし、さらに、日本の存在を認めており、日本人民の発展をみて喜んでいるからである。  もし双方が話し合いをすすめるとすれば、当然日本政府を相手方とするものである。だが、日本政府は中国に対しこのような態度では臨んでいない。彼らは新中国（中共）の存在を認めず、これとは逆に、新中国を敵視し、台湾を承認し、台湾が中国を代表するとのべている。また日本政府は新中国政府を会談の相手方にしようとはしていない。  第二は米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しないことである。米国で今後大統領が民主党から当選するにせよ、また共和党から当選するにせよ、すべて「二つの中国」をつくることをたくらむであろう。 香港にある台湾系の新聞の報道によると、共和党の「二つの中国」をつくるたくらみは消極的で、待つて見ていようとするものであり、一方、民主党が政権をとれば、「二つの中国」をつくるたくらみが積極的であり、主動的であろうとのべている。  これはある程度道理にかなっていると思う。米国がこのように行ない、日本がこれに追随すれば、われわれはもちろん反対である。 第三は中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げないことである。 （後略）<br><br>●「日中報道協定」について、Wikipediaの「言論統制」のページのほうが分かりやすいようですので、以下にお知らせします。<br><br>言論統制－中国 <br>%E8%A8%80%E8%AB%96%E7%B5%B1%E5%88%B6<br><br>－引用開始<br><br>中国 詳細は「中国における検閲」を参照  中国においては言論の自由は存在せず、反政府言論は厳しく取り締まられている。  外国メディアに対する抑圧もあり、1964年（昭和39年）に「日中記者交換協定」が締結され、1968年（昭和43年）に「日中関係の政治三原則」が確認された。「日中関係の政治三原則」とは、「1．中国を敵視しない、2．二つの中国の立場に立たない、3．日中国交正常化を妨げない」であり、日中記者が記者交換するにあたって守るべき原則とされた。当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHKなどはこの文書を承認した。産経新聞はこの協定に反発し、傘下のフジテレビを含めて特派員をすべて引き上げた。 その後、「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」は日中国交正常化後の1973年に廃止され、その後に結ばれた「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」は報道を規制するような条項は含まれていない。そのため、この公文を以って報道機関の国外退去を求めることはできない。  そもそも「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」およびその後の「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」は国家間での取りきめであり特定社が協定を結んだり結ばなかったりできるものではなく、実際に先述の産経新聞社も「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」に基づいて1998年に北京に中国総局を開設している。  ちなみに(諜報活動等の明確な敵対行為の発覚以外で はほとんど実行されたことは無いが)、協定の有無に限らず全ての主権国家は記者の滞在許可を取り消し国外に追放することが可能である。 文化大革命の時期には外国メディアが次々と中国から追放され、日本の報道機関も朝日新聞をのぞいてすべて追放された。その後、他の日本の報道各社も中国への再入国を許された。  ネット検閲も激しく、googleはこれに反発し、中国から撤収した  2011年1月に中国記者協会の党組書記は、中国で最近、経済や人々の生活に関連した虚偽報道が多すぎると指摘した。 －引用終わり  ちなみに、同ページ中、日本については、 －引用開始  戦後は日本国憲法に言論の自由を保障すると明記されたが、プレスコードなどGHQ（連合国軍最高司令官総司令部）による言論統制・弾圧は占領解除まで行われた。  現在、日本では憲法上、言論の自由が保障されているが、菊タブーや鶴タブーなど言論の禁忌（報道できないこと）が少なからず存在している（詳しくは報道におけるタブーを参照。これらは報道機関の自主規制とされている）。  公安警察や公安調査庁は、憲法違反・違法な情報収集活動を行っているとして、その廃止を求める政党や個人もある。 －引用終わり  個人的な所見では、まず日本ほど言論・表現の自由が許されている国は無い（イスラムほか一神教を含む宗教が政治から基本的に分離されている）一方、マスメディアの報道体制については、GHQ占領下の検閲や日中報道協定の束縛から、自主規制（出版物の差し止めの際に発生する諸費用を懸念）の流れを経て、現在では戦後の総連からの採用強要等により増加した在日・特亜社員による蚕食が原因の報道隠蔽・偏向報道・誘導報道といった弊害のほうが問題ではないかと思われます。  目にする限りでは、国家による圧力よりも寧ろ、特定の外国政府系組織、似非NGO/NPO、特定宗教系組織からの言論弾圧のほうが目に余ります。  日中報道協定、日韓報道協定の内容以上に不可解で異様なのが、日中韓のマスメディアの所在地が互いに重複しているところです。<br><br> ●マスコミの実態 <br>?guid=on <br>－引用開始  <br>海外の反日マスコミと一心同体･業務提携・住所が一致  日本の反日マスコミが、中国・韓国・アメリカの反日マスコミと癒着していることは、日本支社が同じ所在地になっていることからも明らかです。  記事の論調も驚くほど一致し、全て反日・左翼・リベラルです。<br><br>－引用終わり<br><br>●反日マスコミの正体<br>#id_c5ea0f73<br>－引用開始<br>○海外の反日マスコミと一心同体。業務提携・住所一致 日本の反日マスコミが、中国・韓国・アメリカの反日マスコミと癒着していることは日本支社が同じ所在地になっていることからも明らかです。いわばお仲間であり、記事の論調も驚くほど一致し、全て反日・左翼・リベラルです。これでまともな報道ができるわけはありません。<br><br>新聞社住所（日本支社）<br>・朝日新聞 朝日新聞東京本社   〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2 (AFP、NYT) <br> ・東亜日報   〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2<br>・ニューヨーク・タイムズ東京支局   〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2<br><br>・毎日新聞東京本社  〒100-8051東京都千代田区一ツ橋1-1-1<br>・朝鮮日報  〒100-0003東京都千代田区一ツ橋1-1 4F<br><br>・読売新聞東京本社  〒100-8055東京都千代田区大手町1-7-1<br>・韓国日報  〒100-0004東京都千代田区大手町1-7-1 8F<br><br>・日本放送協会NHK放送センター  〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1<br>・韓国放送公社(KBS)   〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C<br><br>　<b>＊文字数超過につき、続きは第2部でご覧いただきたい。</b><br>　　続編第2部はここをクリック→<br><br><b><br>いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。<br></b></b>           ...
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<pubDate>Mon, 18 Apr 2016 15:06:55 +0900</pubDate>
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