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<title>５月９日</title>
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<description>小細胞肺がんと闘う父。</description>
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<title>入院二日目</title>
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<![CDATA[ <p>昨日晩より徐々に雨脚が強くなってきた。</p><br><p>私たち家族の想いを映し出したように局地的大雨となった。</p><br><p>一応、翌日まで休みを取っていたが、</p><br><p>「明日ももっと雨脚強くなるみたいだから、今日お父さんにサヨナラ言って明日の朝に帰り」</p><br><p>と母が言った。</p><br><br><p>今日は、骨シンチの検査のため午前中を避け午後から病院へ行くことにした。</p><br><p>早めに昼食をいただき、母とともに病院へ行った。</p><br><br><p>父の病室へ行くと父も昼食を終え、だらりとベッドの上に横たわっていた。</p><br><br><p>骨シンチの検査を終えた父は、検査の状況を説明してくれた。</p><br><br><p>「モニターに浸潤していると思われる個所が光っていた」</p><br><p>「胸以外にも腰も光っている場所があった」</p><br><br><p>父は長く腰を患っている。</p><br><p>検査の結果は５月１３日。昨日は、頭部と腹部。今日は、骨シンチ。明日はその他の内臓などの検査。取りあえず３日間で検査を済ませる。５月１３日結果を待って、５月１４日より治療を開始する。</p><br><p>昨日頂いた痛み止めが効いているらしく、背中の痛みがなくなったと喜んでいる。</p><br><br><p>免疫力をつけるには　フコイダンを摂取したほうが良いらしい。</p><br><p>フコイダンは、もずくや、めかぶ等に多く含まれているらしい。</p><br><p>とりあえず、めかぶのふりかけを見つけたので父のお土産として購入した。</p><br><br><p>５月１３日。父の検査結果を直接聞きたかったが、急遽休みをと他私の職場のことを父が気にするため後ろ髪を引かれる思いで明日帰ることを父に報告した。</p><br><p>毎日、メールするから。しんどかったら返信はいらんから。月末また帰ってくるから。お父さんもしんどいと思うけど、頑張ればきっといい結果がでるから。</p><br><p>束の間の別れを言い、病院を後にした。</p><br><br><p>翌日、午前中の新幹線に乗り関西へ戻って行った。</p><br><br><p>局地的大雨のせいで、１時間以上新幹線は遅れていた。</p><br><br><br>
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<pubDate>Fri, 20 May 2011 00:33:59 +0900</pubDate>
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<title>1日目の夜</title>
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<![CDATA[ <p>母と私の二人だけの食事は、なんだか物悲しかった。</p><br><p>私が、関西へ帰った後、父が入院している間は母一人なのだと考えるとそれだけで辛くなる。</p><br><p>けして広い実家ではないが、一人で住むには広すぎる。</p><br><p>母と娘、父のことを考えると自然と涙がこぼれてくる。</p><br><p>癌は遺伝だとよく聞くが、そんなことはないのだと改めて感じた。</p><br><p>父方も、母方も癌になったものは誰もいなかった。</p><br><br><p>食事を済ませ、少しでも休んでもらおうと母に変わり食器を洗った。</p><br><p>普段、帰省した折にはここぞとばかり甘える私も、手伝いを駆って出た。</p><br><p>だけど、母は何かしてないと余計なことを考えるからと手を休めようとしない。</p><br><p>どうすれば、私は母と父の支えになれるのだろうか。</p><br><p>風呂が沸き、母に先に入るよう促すも、</p><br><p>「これからは、当分一番風呂になるから、りくが先にお風呂に入り」</p><br><p>何気ない会話一つで涙が出そうになる。</p><br><br><p>湯船につかり、少し泣いてしまった。</p><br><br><p>風呂から上がり父のパソコンを立ち上げる。</p><br><p>スクリーンセイバーにデジカメで写した画像が次々と映し出される。</p><br><p>兄夫婦とその子供たちと出かけた花見や私と出かけた紅葉狩り。</p><br><p>父は趣味で無造作にカシャカシャとシャッターを切る。</p><br><p>家に帰ると画像の整理をし、スクリーンセイバーで映し出すように設定をする。</p><br><br><p>ニコニコと旅先での思い出をかみしめながら設定をする父の姿を思わず想像してしまった。</p><br><br><p>メールチェックをするために立ち上げたパソコン。</p><br><p>だけど、スクリーンセイバーを何度も何度も繰り返し見続けていた。</p><br><br><p>どうか、父をお守りください。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/p-link/entry-10897028731.html</link>
<pubDate>Fri, 20 May 2011 00:04:29 +0900</pubDate>
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<title>入院１日目</title>
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<![CDATA[ <p>入院手続きを済ませると、父の検査が始まった。</p><p>本日の検査は、頭部のＭＲＩ検査だった。</p><br><p>検査室の前で母と二人父を待つ。</p><br><p>母がポツリと話す。</p><br><p>「お父さん、優しいやろ？」</p><br><p>「うん」</p><br><p>「お父さん、自分が大変なのに残されるお母さんのことばっかり気にしてくれる」</p><br><p>「うん」</p><br><p>「お父さんが、可哀想で涙が出てくる」</p><br><br><p>目がしらにハンカチをあてる母。</p><p>どうか、こんな優しい父を母からとりあげないでください。</p><br><p>改めて、母と父へのサポートをどうするか話合った。</p><br><br><p>しばらくすると父が検査室から出てきた。</p><p>このまま、入院する病棟へ向かうとのこと。</p><br><p>父の荷物を持ち、私たちは３人病棟のナースステーションへ向かった。</p><br><p>一人の看護師から病室へ案内される。病室は２人部屋で父は入口手前のベッドを用意されていた。</p><p>いったん病室へ荷物を置き看護師とともに入院前の身体測定と簡単な問診を受けるため談話室へ向かう。</p><br><br><p>父は、人見知りをする。知らない人とは必要最低限の言葉しか交わさない。</p><br><p>穏やかな口調の看護師は、言葉を選びながら父の話す言葉に傾聴する。</p><br><p>あらためて、私と母はビックリした。</p><br><p>看護師は年齢的にも２０代前半。もっとも父が苦手とする部類の若さである。</p><br><p>その父が、饒舌にニコニコしながら現在の状況を話していく。</p><p>看護師の質問を遮り、自分の状況を説明していく。</p><p>看護師は、父の話を上手に頷き、相槌を巧みに交えながら時に冗談も入れながら問診を進めていく。</p><p>すっかり上機嫌になった父は、これからの入院への不安がすっかり腐蝕されていったようだった。</p><br><p>問診が終わり、病室で荷物の整理を始める父。</p><br><p>「あ、Ｓさんに寝巻を貰ってこにゃいけん・・・」</p><br><p>７０歳を越してから物覚えが悪くなったと言っていた父、とくに初対面の人の名前と顔は一番覚えられないと言っていた父が、先ほど問診していただいた看護師の名前を覚えていたことに私と母は再び驚いた。</p><br><p>看護師Ｓさんの傾聴の姿勢の素晴らしさに改めて感服させられた。</p><p>これから、父をよろしくお願いします。</p><p>私と母もこれからお世話になる病院への信頼がより高まったのを感じた。</p><br><p>これまで、「先は長くない」と否定的なことばかり言っていた父が「今年も年賀状を書かにゃいけん」といい始めた。</p><br><p>「そうよ、今年だけじゃなく、来年も再来年も準備してもらわにゃ」</p><br><p>私が話すと、父はうんうんとうなずきながら一言話した。</p><br><p>「とりあえず、後５年生きれるようにがんばらにゃ・・・・」</p><br><br><p>父の一言に目がしらが急激に熱くなった。</p><p>５年生存率。</p><p>小細胞肺がんの５年生存率が著しく低いことはわかっている。必死に涙を堪え、</p><br><p>「そうよ、５年だけでなくもっと生きてもらわんにゃいけんのやけぇね」</p><br><p>溢れそうになる涙を隠し、「お茶汲んできてあげるからね」と取りだした水筒を片手に病室を後にした。</p><br><br><br><p>１８時になり、夕食が父のもとへ届けられた。父の食事を見届け、私と母は病室を後にした。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/p-link/entry-10889951493.html</link>
<pubDate>Thu, 12 May 2011 23:34:26 +0900</pubDate>
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<title>父と母</title>
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<![CDATA[ <p>５月９日、入院当日。</p><br><p>私は、上司に急遽休みをいただき帰省した。父の病気を聞き、本来５月末から６月頭にかけて帰省するつもりでいたが、父の治療状況によっては会話がままならなかったらと思うといてもたっても居られなかった。</p><br><p>１３：００までに入院手続きを済ませる必要があったため、午前中に実家に帰れるよう新幹線の切符を手配し帰省した。</p><br><br><p>自宅まで一人で帰ると言っていたが、駅まで迎えに来てくれるという。</p><p>最寄駅につくと、改札口に父と母が揃って出迎えてくれた。</p><br><p>車を私が運転すると言うも、父は「自分で運転できるから大丈夫」だと言う。</p><br><p>しゃきしゃきと普段通りに歩く父の姿を見ていると、父の体に潜む病魔が信じられなかった。</p><br><br><p>実家につくと、母は早めの昼食を用意していてくれた。</p><br><br><p>久々に食べる父と母と私の３人の昼食。</p><br><p>いつもと変わらない風景だった。</p><br><br><p>昼食後、父は石油ストーブの片づけを始めた。</p><p>ストーブに残った石油の吸いだしとまた冬に利用するための整備をしていた。</p><br><p>父の姿に堪らなくなり、父と娘二人で石油ストーブの整備を黙々と続けた。</p><p>洗い物をする母は背中を向け涙ぐんでいた。</p><br><p>病気の深刻さを受け止めている父は、言葉の端々にもうこの家に戻ってこれないかもしれないとポツリと漏らす。</p><br><p>母と二人で何を言っているんだと父を嗜める。</p><br><p>一番つらいのは、父であることはわかっている。</p><p>これから、つらい過酷な治療が待っていることもわかっている。</p><br><p>ただ、励ますことしかできない、いっしょに闘おうと伝えることしかできない。</p><p>どうか、父をお守りください。心の中で呟いた。</p><br><br><p>家を出る時間が刻々と迫る。</p><br><p>父の運転する車で私たち３人は病院へ向かった。</p><br><br><br><p>行きは３人、帰りは２人。</p><br><p>お父さん、私たち家族はお父さんが病気に打ち勝ってくれることを信じているよ。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/p-link/entry-10889895819.html</link>
<pubDate>Thu, 12 May 2011 21:45:40 +0900</pubDate>
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<title>入院</title>
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<![CDATA[ <p>５月９日。小細胞肺癌と診断された父が入院した。</p><br><p>父は、７５歳。後期高齢者として定期的に健康診断は受けていた。</p><p>４月になり、かかりつけの医者から胸のレントゲンで心臓動脈付近に影があると言われた。</p><p>動脈瘤の恐れがあるのでＣＴを受けるようにと総合病院へ行くようにと紹介状を渡された。</p><br><br><p>ＣＴの結果、動脈瘤ではなかった。</p><p>肺に腫瘍ができているとの診断。</p><br><br><p>４月１２日、母から診断の結果を電話で聞いた。</p><br><br><p>去年の９月血痰を吐いた。今まで血痰を吐いたことなく、すぐに病院へ診断。</p><p>腫瘍マーカーのレベルが３だったとのこと。</p><br><p>そして、１１月。再び血痰を吐いたため、すぐさま検査。腫瘍マーカーのレベルが１段階下がったため、医師より様子を見ようと言われたとのこと。</p><br><p>正月から３月にかけて、徐々に体重が減っていったとのこと。</p><br><p>そして、東日本大地震の日、父の体が悲鳴を上げ始めた。</p><br><p>背中に痛みがあり、横になれなくなったとのこと。</p><br><br><br><p>４月に入り、帰省しようかと考えていた私は実家に連絡した。</p><p>豆に実家に連絡をとってはいたのだが、父が癌にむしばまれていることを聞かされたのは４月１２日のことだった。</p><br><p>母との電話を終え、数時間後、携帯に見知らぬ電話番号が表示された。</p><br><p>電話の主は、兄だった。</p><br><br><p>私たち兄妹は、仲は悪くないのだがお互いに実家を離れそれぞれの家庭ができると中々連絡をとらなくなった。</p><br><br><p>「母さんから、聞いたか？」</p><br><br><p>兄からの一声。</p><br><br><p>初めて、兄から聞いた弱音。</p><br><p>「母さんになんて言ってあげたら良かったんだろう・・・・」</p><br><br><p>６歳年上の兄から相談されたことのなかった私は、つきつけられた現実に胸が締め付けられそうになった。</p><br><br><p>嘘ではなかった。父は、本当に癌だった。</p><br><br><p>４月中旬、父の癌の組織検査を行う。</p><br><br><p>４月２８日、父の検査結果が言い渡された。</p><br><br><p>【小細胞肺癌】</p><p>大きさは、６㎝ほどのにまで成長しているとのこと。</p><br><br><p>５月９日に入院が決まり、そこからどの程度進行しているのか体全身の検査を始める。</p><p>検査の結果により、今後の治療方針が決まる。</p><br><p>結果は、５月１３日に言い渡される。兄がつきそうとのこと。</p><p>どうか、父をお守りください。</p>
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<link>https://ameblo.jp/p-link/entry-10888752360.html</link>
<pubDate>Wed, 11 May 2011 21:01:33 +0900</pubDate>
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