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<title>palmerhuges2024のブログ</title>
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<title>思い出列車　７３３М　本章３</title>
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<![CDATA[ <p>別名山男列車と呼ばれていた７３３М.。谷川岳に朝陽を浴びて登山するには便利な設定でした。(冬場はスキー板を持った乗客が加わりました。)ヤマ装備をいっぱいにした乗客と共に、車内は仕事帰りに飲食したサラリーマンなどで満員。アルコールの匂いも漂いました。仕事仲間のエピソードですが、寝過ごして、長岡で起こされ、上り一番で帰ったという話が耳に残ります。</p><p>さて、荷扱いは高崎線内に入ると忙しく始まりました。リヤカーが荷物車停止位置で待ち構え、僅かな停車時間にてきぱきと積み降ろししていきます。駅留、駅出しの荷物扱いがある時代で、現在のような宅配便ドラック・トゥー・トラック輸送ではないから、鉄路を使う輸送が主流でした。</p><p>籠原までは近郊区間。首都圏のベッドタウンとしてスプロー現象が起きており、客扱いの増減境になっています。満員の車内は徐々に空きはじめ、１２両から前寄り5両を切離し、７両で高崎を目指します。高崎着は、日付変わって０時０８分。４０分の間に乗務員交代、貨物列車の待避、ユ車の連結となります。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/palmerhuges2024/entry-12954482064.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Jan 2026 21:16:21 +0900</pubDate>
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<title>思い出列車　７３３М　本章２</title>
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<![CDATA[ <p>リンリンリン　ニレチから連絡</p><p>荷扱い終了　発車係応答</p><p>了解〜</p><p>ビリビリ　発車ベル</p><p>お待ちどうさまでした。下り各駅停車高崎線、上越線長岡行が発車いたします。前寄り5両は籠原止まりになります。高崎方面ご利用のお客様は後寄り７両にご乗車願います。</p><p>発車係、地下階段と地上階段確認。発車オーライ</p><p>ブーツ</p><p>発車係からカレチへ合図</p><p>ピシューガランガランパチン　シュ〜ウォ〜カチッカチャンカチッシュルシュル…ウオ〜…　ノッチオフし、発車、最後のウオーだけ吊り掛け音。今考えると魔改造なのがわかりました。</p>
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<pubDate>Sat, 24 Jan 2026 20:43:35 +0900</pubDate>
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<title>新潟市内路線バスの思い出時系列　１１　UD２サイクルの最後１</title>
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<![CDATA[ <p><a id="i15175210330" class="detailOn" href="https://ameblo.jp/palmerhuges11-05/image-12758514269-15175210330.html"><br class="Apple-interchange-newline"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220915/23/palmerhuges11-05/9e/2e/j/o0679042815175210330.jpg?caw=800" alt="" width="100%" height="428"></a></p><div><br></div><div>ヒューヒュー。エンジンをあおるとこんな音が響きます。運転手さんたちの間では、特徴的な音色で好きな車輌だと言われていました。難点は、4サイクル車よりオイルを喰うから、経費が嵩み、排ガス騒音規制に引っ掛かり、引退するのだそうです。運転手さんは、名残惜しそうに語りました。乗車したのは、キタムラ製4R106、前後扉、後ろ折戸仕様、いわゆるバス窓タイプでした。</div><div>当時、新潟西部営業所は、関屋分水路、関屋大橋西詰青山にありました。市内線が系統延長され、営業所発着になったばかりでした。同じような路線は、山ノ下営業所～臨港２丁目〜県庁前線がありました。臨港町回りが多区間に入るため、早くから後乗り前降り整理券方式になっていました。西部営業所線も、多区間が入るものの、前乗り後降り、信用方式のままの運行になっていました。行き先を新潟駅までと告げ、支払い、乗り込みました。嘗ては、在来道廻りの新潟バスセンター～弥彦、巻方面のロングラン系統に使用されていましたが、車内の運賃表示装置、整理券発行装置は撤去され、市内線専用車化されていました。営業所内には富士重工業製上下二段窓タイプ4R106も出庫を待っていました。こちらも市内線専用化されているようでした。</div><div>さて、12系統は、新潟市内中心部の砂丘地帯の坂のアップダウンが激しい区間を走ります。営業所を出て、最初の難所は、越後線の跨線橋です。ヒューという心地よい加給機の音を響かせ、有明大橋西詰に出ます。右折し、国道116号線に出て、西小針線の有明台、間もなく左折、信濃町、文京町を経て浜浦町二丁目に出ると、本来の12系統の始終点に至ります。砂丘地帯の登り坂です。</div><div>出発時刻調整のため、エンジン停止。ダイヤルを回し、燃料カットするシーンです。始動は、ダイヤルを逆に回して、気温に合わせて噴射量を整え、セルモーターを回す方式。デコンプ式ではないから、扱いは簡単そのもの。車内自動放送が市内線に導入されたばかりでした。運転席操作台横には「私は接客日本一、自動放送に負けない肉声放送」とあり、サービスに対する姿勢が伺えました。自動放送は、本来の12系統に入る区間からセッティングとなりました。車内乗車口ガラス窓横に西循環のプラ板が掲げられました。</div><p></p>
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<pubDate>Tue, 20 Jan 2026 20:21:02 +0900</pubDate>
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<title>思い出列車　７３３М　本章１</title>
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<![CDATA[ <p></p><div>上野発７３３Мは、下りのみの夜行各駅停車でした。ユニ輸送という首都圏と越後を結ぶ重要な役割を担っていたからです。荷物には中央紙の朝刊新聞輸送、郵便には首都圏からの重要な書簡があるわけです。１１５系普通番台車から始まり、冷房化されると３００番台も充当されるようになり、長距離輸送に資する陣容になりました。実は、高崎線最終には、後発高崎行がありました。７３３М最後尾にはクモニ７３が連結、後発の高崎行最終にはクモユ１４１が連結されており、新旧形式の連結となるため、切り替えスイッチが活用されることになりました。この両列車の二とユは高崎で７３３М０時４８分の発時間の間に連結作業を行い、上越国境を目指します。籠原で７３３Мは７両と身軽になり、再び高崎ではユニを連結し、堂々の９両編成になります。残念ながら画像はありませんが、断片的な音を文字再現いたします。</div><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/palmerhuges2024/entry-12954051336.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jan 2026 17:38:12 +0900</pubDate>
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<title>思い出列車　７３３М　序章</title>
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<![CDATA[ <p></p><div>定期運用は、1968年10月のダイヤ大改正時、上野～長岡間の上越線各停で、高シマに配属され、客車～８０系を経て置き換えらたことに始まります。当時のローカル電車というと、まだまだ、非冷房、吊り掛け式が主流でした。郵便車輌は新造冷房つきクモユ141、荷物車輌は73系改造の非冷房クモ二74で対処したため、併結する際、編成により制御方式を合わせる必要があり、切り替え器が取り付けられました。</div><div>スキーに出かける際は、115系に乗りたくて、長岡乗り換えの列車を選んだことがありました。この高シマの車輌が、1970年代の夏の臨時急行「佐渡」として新潟まで乗り入れた際は、新時代の到来を予感しました。</div><div>115系1000番台の新車は、信越本線長野ローカル70系の置き換えでした。この70系ローカルは、スカ色で、高崎～柏崎まで、横軽対策を経て乗り入れていたので、柏崎～直江津～二本木間では、旧新潟カラーの新ナカの車輌と運用範囲がオーバーラップしていました。どうなることかと思っていたら、置き換えられた115系1000番台は、湘南カラーでした。長ナノの車輌は、オールシーズン半自動ドアだったので、置き換えられた際も、オールシーズン半自動の金札がドア取っ手の上に取り付けられました。従来の115系と違う点は、雪切り室が付き側面にブロワーモーターの通風口が目立つ存在になった、半自動ドアのエア抜けが早くなり、開閉が楽になった点、改良の賜物でした。非冷房ながら、冷房準備工事済み、雪に強い電車になっていることが心を惹きました。</div><div>新ナカには、1976年、北ヤマから115系300番台冷房付き配置で余剰となった非冷房０番台が入り、70系６両編成運用と置き換わりました。０番台は、半自動ドアのエア抜けが悪いのと、耐寒耐雪が弱いため、1000番台配置までの繋ぎとなりました。1000番台が入ると、白新線にも入線するようになり、70系と置き換えが完了しました。この頃になると、ユニ輸送も高速道路輸送となり、終了していました。</div><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/palmerhuges2024/entry-12953683635.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Jan 2026 10:07:46 +0900</pubDate>
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<title>新潟市内路線バスの思い出時系列　１0 ボンネットバス最終期</title>
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<![CDATA[ <p>「お母さん明日からお仕事行くからね。」小2の夏休み終わり近く、母に言われました。昭和３９年６．１６新潟地震直後、復興景気に沸き始め、労働力需要が旺盛になり始めていました。あたりに復興住宅が増え、路線確保策で、廃バス住宅に始まった新潟交通の乗務員社宅が整いました。やがて、平日松浜線に、東浜谷町始発便が増発になりました。忘れもしない８時１８分発、母を見送りに行きました。このバスが、いすゞのボンネット車輌でした。</p><p>前晩、送り込み便でやって来たクルマが社宅に乗務員を停泊させ、始発便となったのです。</p><p>グッップシュガワ〜〜ブルリンガラガラ…</p><p>エンジン始動すると停留所へ移動して行きました。母と手を取りあい、車輌の動きに合わせて停留所へ歩きました。「いってらっしゃーい。」私は手を振り、涙ながらに見送りました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/palmerhuges2024/entry-12953590627.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Jan 2026 12:21:55 +0900</pubDate>
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<title>新潟市内路線バスの思い出時系列　９　続　系統番号１・２昭和大橋循環</title>
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<![CDATA[ <p>接続列車ガ到着し、ぞろぞろと乗客ガ集まりはじめました。殿様席から、運転席を見おろすのは格別な雰囲気です。ふそう車はエンジンが縦置きのため、高さがあり、このような車内配置になるようです。両替客も多く、両替機はまだ手動式でしたから、運転士が硬貨の種類や紙幣の種類を目で確かめながら、硬貨をスロットマシンのようなタンク式のホールダーから打ち出し両替して、乗客が確かめ料金箱に投入していました。発車時刻が迫り、エンジン始動になりました。運転士は「エンジンかけますから、少々お待ちください。」と両替客を待たせ、エンジン始動。</p><p>ギューッガワ〜〜〜ボカンドンガラガラ…　</p><p>両手を使わないとかけられないわけで、今のようなキー回しだけでディーゼル機関は始動停止しないわけです。ふそう車は予熱ボタンつき始動スイッチだから、エンジンがいったん温まると再始動は比較的楽だったようです。車種によりデコンプレバーの扱いは異なり、面倒な操作タイミングが要求されます。乗客には興味深いのですが、寒冷時はたいへんな苦労があるわけです。</p><p>さて、当時の昭和大橋循環線は、萬代橋、昭和大橋の二本の橋を跨いで新潟市内の繁華街東西を結んでいます。萬代橋が路面電車規格で丈夫に架け替えられた経緯、嘗ての電鉄線が旧県庁前で止まっていた経緯、路面区間が越後線白山駅近くを掠めて走っていた経緯、どれをとっても新潟市街と郊外を結ばんとする試みが頓挫していて、調べれば調べるほど悔しい思いを感じています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/palmerhuges2024/entry-12953537352.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jan 2026 21:45:37 +0900</pubDate>
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<title>新潟市内路線バスの思い出時系列　８　統番号１・２昭和大橋循環</title>
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<![CDATA[ <p>系統番号１と２は新潟市内均一区間を代表する看板循環路線。父との乗り歩きで、こんな笑い話を交わしました。「乗ったら一日中ぐるぐる回っているの？」「そうだよ。バス賃払ったら、いつまでも乗っていられるんだよ。」「目が回っちゃう。」実際は、２巡目に゙入ると運賃２回目を支払うことになります。路面電車代替としてスタートした新潟市内均一路線らしく、「列車接続」と謳った便がありました。優しい配慮で、雪害や事故で国鉄が遅延すると接続を確保して発車待ちをします。</p><p>スイッチバック式だった市内線の風景を文字表現します。母と越後線で新潟駅に出て買い物に利用したとある日です。</p><p>ガラガラゴン　</p><p><span>この日はふそう＋キタムラのクルマでした。特徴的な車輌音でわかりました。殿様席に乗れると思うと嬉しくなりました。</span></p>バックキアチェンジ<p></p><p>ウォ〜〜〜キ〜ッドン車止めに止まる</p><p>ピピ〜ピピ〜ピピ〜ピッピッピッピッピ〜　</p><p>カチャ乗客抑止の通路チェーンを係員が外しました。</p><p>右脇の案内所(キップ売場兼制御室)から　お待ちどうさまでした、ただいま１番線に入りましたクルマは古町、県庁前、南高校方面昭和大橋先回り新潟駅行でございます。ご順にご乗車願います。(願います、というアナウンスが、車掌乗務時代の名残を彷彿とさせます。)車掌乗務時代は、車掌が運転手に乗降があれば「次願います。(後に次ストップ)」通過ならば「次オーライ」で、肉声合図、運転手がブザーで応答していました。</p><p>ビシュードンドン　</p><p>前扉が開きました。</p><p>ガリッ</p><p>サイドブレーキを引く音</p><p>教習研修中でヲタ席には、教官役のベテラン運転手が乗っていました。</p><p>「列車接続だから、エンジン切って。」</p><p>「はい。」</p><p>ギューッ　ガラがラガラガラ　車内に静寂が漂いエンジン停止</p><p>ボカン　ドン</p><p>床下から心地よいデコンプ戻りの音がしました。</p><p>「このクルマは、列車接続を取ります。お時間までお待ちください。」</p>
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<link>https://ameblo.jp/palmerhuges2024/entry-12953511408.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jan 2026 17:20:03 +0900</pubDate>
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<title>新潟市内路線バスの思い出時系列　７　統番号５　山ノ下〜臨港２丁目〜県庁前(現市役所前)</title>
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<![CDATA[ <p>前述の一日市、津島屋線に入っていた山ノ下営業所所属のショートボディ川崎重工業＋いすゞのクルマは、北葉町を境に料金多区間に入るため、前乗り前払い信用方式のまま乗客行先申請収受にしていました。運転手席背後と中扉車掌ポスト前に、料金早見三角表示板を取り付け、整理券方式と見なす措置を取りました。車掌ポスト直上には、ツーメン時に使用する整理券置き棚とカバーのかかった料金箱がありました。車掌による整理券発行と両替方式、乗客自身の料金投入方式としていた郊外線ツーメン車扱いとして、共通運用で生き延びた車輌だと推察出来ます。昭和５１年春、系統番号５、山ノ下営業所〜臨港２丁目〜県庁前(白山前)線には、ワンマン扱いで北葉町から西片原まで乗車しています。これがさよならバスになりました。昭和５２年頃、バスビルがバスセンターに移転した後も、バックカメラ装置つきワンマン車が入るまで生きていました。ボンネットバス然としたいすゞ独特の渦流式エンジン音が今でも耳に焼き付いています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/palmerhuges2024/entry-12953371015.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jan 2026 17:07:43 +0900</pubDate>
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<title>新潟市内路線バスの思い出時系列　６　続循環路線</title>
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<![CDATA[ <p>流作場四角から国道7号線へ左折し、暫く直進します。やがて事実上の終点になる沼垂上三ノ丁手前の交差点に差し掛かりました。左折信号待ちの間に、運転手が長いクランク棒を運転席から立ち上がり取り出すと、左側の行き先幕を回しました。行先を附船町に変えました。これがワンマンバス循環路線にした利点だと学びました。こうすると折り返し場が必要ないんです。利用者は、循環区間内のどこから乗っても附船町方面に行けて追加運賃は取られないわけで便利な制度でした。このまま循環区間内の沼垂四角、片原橋、西片原まで乗り通しました。西片原は新潟駅最寄りのバス停で、新潟駅方面の方はお乗り換えください。」と新潟駅に行かない路線では必ずアナウンスがありました。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/palmerhuges2024/entry-12953401330.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Jan 2026 16:26:39 +0900</pubDate>
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