<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>新聞をよむぞー!!!</title>
<link>https://ameblo.jp/pandapan1016/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/pandapan1016/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>新聞を読んで感じたことを感じたまま書いてみようと思います。頑張って続けなきゃな。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>毎日新聞　社説「全国テスト　まず学力観の共有を」</title>
<description>
<![CDATA[ 「いい点を採らなきゃ…」いつもテスト前には不安になる。<br>実際、今日もTESLの最終試験に向けて「いい点を採りたい」と強く願った。<br><br>なぜいい点を採らなければいけないのか。<br>「いい点を採れば、褒められるから」<br>単純に言えば、私にとって、これが一番の目的であると思う。<br>これは小学生の時から変わらない。<br><br>しかし、今思えば、それでは本末転倒である。<br>そもそも勉強をする目的は、そのスキルを身につけることなのだ。<br>それは、決して誰かに対して行うことではなく、自己完結でなければならない。<br>いい点を採ることは、そのスキルを身につけたという証拠である。<br>だからこそ、それが大切だというのであれば話はわかる。<br><br>子どもたちにとっても、テストの目的が「いい点」になってはいないだろうか。<br>「そもそも学力とは何か。その視点が欠かせないはずだ。」<br>社説の中のこの言葉は、勉学をすることの意味についての疑問を投げかけている。<br><br>「生きる力の教育」から派生した「ゆとり教育」の見直しがなされ、約２週間が過ぎた。<br>大人たちは「全国テストでの点取り」を考えるよりも、まずは「勉学とは」ということに目を向け、点数に惑わされない教育の現場を作っていかなければならない。<br><br><br>毎日新聞　社説「全国テスト　まず学力観の共有を」2010年4月21日　2時31分<br>http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100421k0000m070129000c.html
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/pandapan1016/entry-10514042181.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Apr 2010 12:33:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>はじめてのアメブロ</title>
<description>
<![CDATA[ mixi…友達との交流<br>twitter…思いのままに<br>アメブロ…新聞を読んだ感想<br><br>ってなスタンスでそれぞれを使い分けたいなーって思ってるんだけど。<br>そうそううまくいくかな？<br><br>だってさ、mixiであんまりまじめなこと書けないしさ。<br>twitterの140文字で何を語れっていうのさ。<br><br>もう既に新聞読むのさぼり始めてるから、それも改善しなきゃな<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif" alt="汗">
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/pandapan1016/entry-10514015170.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Apr 2010 12:06:44 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
