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<title>がんと闘いながら子育てしている、お母さんたちへの応援ブログ</title>
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<description>「残念ながら進行がんです」と宣告されてから、十数年。その時、私は39歳、子どもたちは9歳と6歳でした。これまでの日々をブログに・・・</description>
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<title>母ががんに・・・　自分の意志を伝えておくことの大事さ</title>
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<![CDATA[ <p>先日、私の母ががん宣告されました。</p><p>遂に母にもがんが襲いかかりました。　 </p><br><br><p>母の家系は、ほんとにがん家系です。</p><p>母から見ると、母の両親（私の祖父母）は2人ともがん、母の弟もがん、母の3人の子どもの内、2人ががん、そして遂に自分ががんに・・・。</p><p>恐るべし、がん家系です。　何か遺伝子に異常があるのか、生活環境に問題があるのか・・・。</p><p>ここまで一族にガンが多いと、家系的にガンになりやすい何かがあるとしか思えませんね。</p><br><br><br><p><br><br>実は、私は、母のことをあまり好きではありませんでした。　いいお母さんだなと思ったこともあまりありません。　母はいつも私の反面教師でした。　私は母のようにはなりたくないといつも思って育ちました。</p><p>だから、母が死んでも、そんなに悲しまないだろうといつも思っていました。</p><br><br><p>でも、今、母がガン宣告を受け、年齢的にも、死ぬかもしれないと思った時、自分でも意外でしたが、やはり悲しくなりました。今思うと、母は、母なりに、一生懸命私たちを育ててくれていました。　それは、決して私が望んだ形ではありませんでしたが、母は母なりにがんばって私たちを育ててくれたのだと今は思います。　そのことには本当に感謝しています。　そういう風に思えるようになったのは、私も子どもを育て、歳を獲ったからでしょう。</p><br><br><p>母は愛情表現の下手な人でした。　あまり褒めることをせず、テストの点数が悪いと、怒るタイプの人でした。　勉強のできるいい子が好きな人でした。　私は、途中までは母の希望通りに鳴ろうと一生懸命頑張っていましたが、途中で息切れし、母の望む道から外れました。　そこから母との葛藤が始りました。</p><br><br><p>考えてみると、私の子どもたちへの態度は、どこか母と似ていたような気がします。　</p><p>前回のブログでも書きましたが、私も子どもたちには優秀になってもらいたかったのですから、そういう点では母に似てしまっていましたね。　私が嫌だと思い続けていたことを、ついつい子どもたちに望み、押しつけてしまっていました。 自分が母からされてイヤだったことを、今度は自分が子どもに押しつけるなんて、本当に勝手なものですね。</p><br><br><br><p>でも、良くも悪くも、そんな母がいたからこそ、今の私があります。</p><br><br><p>私がガンになったとき母はもう半身不随で、母は、私が良くなるよう祈ることしかできませんでした。</p><p>今度は私ができることをする番ですね。</p><p>今は母がよくなり、もう少し長生きしてくれることを期待しています。</p><p>親孝行な娘ではありませんでした。　これからも親孝行な娘になる自信はありませんが、　母の為、私の出来る限りをしていこうと思っています。</p><br><br><br><p>と、７月にここまで書いたのですが、そのあと、思いがけないことが次々起こりました。</p><p>母は、７月２５日に手術をしたのですが、まわりの臓器に転移が広がっていて、結局何も出来ずに、おなかを閉じました。　そんなに進行しているとは思わなかったので、ショックでした。</p><br><p>余命宣告をされました。　何もしなければ年内持たないと言われました。　出来ることは抗がん剤だけですが、年齢が高いこともあり、抗がん剤をするべきか、しないべきか姉弟で悩みました。　姉弟で意見が分かれました。　母は認知症もあり、自分の意志をちゃんと考えたり、自分で伝えることが出来ません。</p><p>母の命の長さを私たちが勝手に決めていいのか、悩んだ末、後で後悔しないためにも、できることはやってみようということになりました。　抗がん剤をやることで母が苦しむようなら、すぐやめようということではじめました。　</p><br><br><p>年齢的にも、強い副作用のある抗がん剤はたえられないだろうということで、弱い抗がん剤をつかっているせいか、幸いなことに、今のところはそれほどひどい副作用は出ていません。　ただ、あまり効き目はないようで、少しずつ弱ってきているように思います。　いつ抗がん剤をやめるか、いつ治療をやめるか、私たち姉弟は難しい選択をしなければなりません。</p><br><br><p>私ならもう、治療はしないで欲しいという状態ですが、母の意志が確かめられないので、決断するのが難しいです。　やはり、健康なうちに、自分ががんでいよいよ助からないかもという状態になったときには、どこまで治療して欲しいかを、まわりの人に告げておく必要を感じます。　母の意志を聞いていたら、ここまで悩まずに、治療をどうするべきか判断できたのにと思います。</p><p>　</p><p>私は、自分がどこまで治療して欲しいか、どうなったら、治療をやめてほしいかを自分でよく考えて、家族に伝えておこうと思います。　家族が私の治療法で悩むことがないよう、責任を感じることがないようにしたいと思っています。</p><br><br><br><p>ここ数ヶ月は、母のことで追われ、ブログを更新できませんでした。　</p><p>でも、また少しずつ、再開していこうと思います。</p><p><br><br><br><br><br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-12180112620.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Nov 2016 01:45:38 +0900</pubDate>
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<title>子どもの為に、必死に生きてきたけど、子どもは思うようにいかないもの</title>
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<![CDATA[ <p>がんと闘いながら、精いっぱい頑張って子育てをしてきました。</p><p>私、がんに負けずに、こんなに頑張っているし、子どもたちはそんな私の姿をみて育つのだから、絶対優秀な子になるに決まっているとずっと信じていました。　子どもたちは、きっと頑張ってくれるって信じていました。　　優秀な子になってほしかったのです。</p><p>今思えば勝手な思い込みでしたが、当時の私は真剣にそう思っていました。</p><br><br><br><br><p>ところが、高校受験、大学受験、就職・・・と、だんだん夢はしぼみ、子どもたちは本当に普通の子に育ちました。子どもたちの名誉の為に言うと、2人とも決して悪い子ではありません。　友達もいるし、成績は普通、学校にも毎日通っていたし、特別私を困らせることもありませんでした。　優秀な子とは言えませんが、よい意味でも悪い意味でも普通の子になりました。　</p><br><p><br></p><p><br></p><p>普通が悪いという訳ではないのですが、ガンに負けず、頑張ってきたのに…という思いが私には強くありました。必死に育ててきたのに、これか・・・と思うと、正直がっかりした時期もありましたが、それは親のエゴですね。　</p><p>考えてみれば、私だって、決して親の希望通りになったわけではありません。　最近では、そんな私の子なのだから、まあ仕方ないかと思うようになりました。　蛙の子は蛙なのに、それを忘れていたのでしょうね。　自分を顧みず高望みしすぎていたということでしょう。</p><br><p>親は、子どもには、少しでも幸せになってほしいと思うもの。　いい学校を出て、いい仕事について、いい生活を送って幸せになってもらいたいと思うのは、普通だと思うのですが、　私の場合は、その思いが普通のお母さんより強かったと思います。　</p><br><p><br><br></p><p>振り返ってみれば、私も親の期待をさんざん裏切ってきました。　まったく期待通りにはならず、さんざん親をがっかりさせてきました。　それを考えれば、私の子どもたちが、普通に育ったのは、いい方なのかもしれません。</p><br><br><br><p>でも、　若くしてがんになってしまった私は、こんな辛い、悲しい、苦しいことがあったのだから、せめていいこと（＝子どもが優秀になること）があってもいいだろうと強く思っていました。　私の人生、それぐらいのご褒美があってもいいだろうと思っていました。　　　自分のことは棚に上げて、ホントに勝手な思い込みですよね。　</p><br><p>でも、人生はそんなに甘くはありませんでした。</p><p>子どもをそんな風にしか考えられなかったなんて、私の心は本当に狭かったのでしょう。　　</p><p>今は反省しています。　子どもには子どもの人生がある。　それをまるごと無条件に受け入れる、それが親だと思っています。</p><br><br><br><p><br><br><br></p><p>現在、子どもたちは自分で選んだ道を、精いっぱい生きています。</p><p>もう、成人した子供たちに、親がしてあげられることはあまりありませんが、自分の力でしっかり生きていってほしいと思います。　これからも、いろいろ困難なこともあるでしょう。　子どもたち自身が、親の言う通りにしておけばよかったと思うこともあるでしょう。（私は大人になってから、親の言うとおりにしておけばよかったと思うことが多々ありました。）　　でも、自分で選んだ道ですから、自分でなんとかするしかありません。　私にできることは、影から応援することだけ・・・。　頑張ってほしいと思います。</p><p>私は子どもたちの一番の味方でいたいと思います。</p><br><br><br><p>思い返せば、がんになった当時（39歳の時）は、大人になった子どもの姿を見ることが私の願いであり、夢でした。　その夢は、ありがたいことにかないました。　　それだけで十分なはずなのに、ついつい、私の色々な夢、子どもの能力以上の期待をを子どもに背負わせてしまっていました。　本当に人って欲張りなものです。　</p><br><br><p>　</p><br><p>　</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-11999990240.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Jul 2016 07:52:50 +0900</pubDate>
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<title>娘の誕生日</title>
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<![CDATA[ <p>ブログをお休みしている間に、娘の誕生日がありました。</p><p>今年のお誕生日は家族で祝いました。　</p><p>娘の誕生日は、私にとって、もちろん喜ばしいものではありますが、別の意味でも、私にとっては感慨深い日であります。</p><br><br><p>娘の誕生日は、私が39歳の時に、ガンの手術を受けた日でもあるのです。 娘の誕生日であるが故に39歳のあの日は私にとって余計印象深い日になりました。</p><br><br><br><p>39歳のあの日、私は前日から不安と恐怖で、全く眠れませんでした。いつもの量の睡眠導入剤では全く眠れず、少し多めに薬を出してもらい、やっと眠りに着きました。　そのおかげで、何も考えることなくぐっすりと眠ることができましたが、朝起きたら現実が待っていました。</p><br><p>朝いつも通りの時間に起こされ、手術の準備が始まりました。　主人と弟が来てくれました。</p><p>手術の時間を待つまでの時間はとても長く感じました。　手術の時間が近づき、手術着に着替えました。</p><p>ストレッチャーに乗せられ手術室に運ばれました。　私の心は恐怖と不安でいっぱいでした。</p><br><br><p>手術室に入ると、ストレッチャーから手術台に移されました。　テレビドラマで見るような手術室の大きなライトが見えました。　周りにはいろいろな機械がありました。　手術室で忙しく準備をしている看護師さんたちが見えました。　いよいよ手術が始まるのだと思いました。　</p><p>　</p><br><p>どうしてこんなことになってしまったのだろうと涙が出ました。　手術の結果が悪かったらどうなるんだろうと心配しました。　どうして私がこんな目に？　　こんな目に会うほど、何か私が悪いことをしたのだろうか？　私が死んだら、子どもたちはどうなるのだろうか？　今日は娘の誕生日なのに・・・と色々な思いが頭の中に浮かびました。　</p><p>もう「まな板の上の鯉」なのだから、運命に身をゆだねるしかないと頭の中ではわかっていましたが、緊張と不安と恐怖でいっぱいでした。</p><br><br><p>そんなことを色々考えているうちに、麻酔科の先生が来て、私に全身麻酔をしました。　だんだん意識が遠くなっていきました。　意識が戻ったときには、手術はすべて終わっていました。　私はICUに入れられました。　</p><p>気付いた時には、口には、酸素マスクが付けられ、体にはいろいろな管が付いていました。　痛み止めが使われていたせいか、痛みはそれほど感じませんでした。　手足は動かせましたが、起き上がったりはできませんでした。　麻酔がまだ残っていたのか、強い痛み止めのせいか、ウトウトして、寝たり起きたりしていました。</p><br><br><p>主人が、ICUに入って来て、私の意識が戻ったがわかると、少し会話をし、そのあと、娘の誕生日を祝うために家に帰って行きました。　</p><br><br><p>私が39歳の時の娘の誕生日は、こんな一日でした。　娘の7歳の誕生日でした。</p><br><br><br><p>今も、あの時の自分を思い出すと、悲しくなります。</p><p>毎年、娘の誕生日を迎える度に、「あーまた1年生きられた。」と思います。</p><p>「これで術後何年だ」と、毎年手術をしてからの年数を数えます。</p><br><br><p>自分が思っていたより、長く生きてこられました。　何が良かったのかは、まったくわかりません。</p><p>娘の誕生日は、娘の誕生を祝う日であるとともに、私にとっては、与えられた時間に感謝し、これからも大事に生きていかなければと、改めて、思う日でもあるのです。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><p><br><br><br></p><p>　</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-12173878849.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jun 2016 14:19:39 +0900</pubDate>
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<title>ご無沙汰しました。</title>
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<![CDATA[ <p>ご無沙汰してしまいました。 </p><br><p>前回ブログを書いてから、気づいたら4か月もたってしまっていました。</p><p>時がたつのって早いですね。</p><br><br><p>この4カ月、自分の体調が悪く、ブログを書くことができませんでした。</p><p>実は、久々に、再発？　新たなガン？　という恐怖を味わいました。</p><p>血液検査（腫瘍マーカーを含む）、尿検査、　X線、内視鏡、エコー、患部に針を刺しての組織生検とか、いろいろ検査を受けました。　あやしいところは、一か所ではなく、複数か所ありました。　結果、どれも今のところがんではないけれど、経過を観察していきましょうとのことでした。</p><p>まあひとまず、ほっとしましたが、　今後どうなるかはわかりません。</p><br><br><p>複数か所怪しいところがあったので、検査に時間がかかりました。　　</p><p>何回も病院に通い、検査を受けました。　　結果を聞く時の緊張感、　昔を思い出しました。</p><p>39歳の頃の私もこんなだったなと改めて思いました。</p><p>最近、子どもも成人し、ほぼ一人だちしたし、いつの間にか普通の生活に慣れてしまっていました。　</p><p>でも、こういうことになると、　普通の生活が送れるっていうのは本当にありがたいことなんだなと改めて思います。</p><br><br><p>検査を受ける前や、検査結果を聞く前の憂鬱さ、怖さ、不安。　もし、再発転移や新たなガンだったら、また入院、手術、場合によっては抗がん剤を受けなければならないなあ、などと色々考えました。　　ガンの闘病がどういうものか一度体験しているので、具体的に想像できて、より落ち込みました。　</p><p>またあれを繰り返すのか・・・嫌だなあと・・・。</p><p>結果、今回はどれも経過観察ということになりましたので、ガン闘病は今のところしなくて済みましたが、今後も大丈夫とは限らないのですから。</p><br><br><br><br><p>年齢的なものなのか、最近体に悪いところがたくさん見つかります。</p><p>39歳でガンになっただけで、十分アンラッキーだと思っていたのに、これからもガンを含め、血圧とか心臓の病気とか色々な病気に注意していかなければならないようです。　　</p><p>物忘れも激しくなり、「私、もしかして認知症？」と思うことも・・・。</p><p>将来のことを考えると、本当に不安になります。</p><br><br><br><br><br><p>でも、でも、　暗いことばかり考えていてもしかたないので、　あとどれくらい人生が残されているかわかりませんが、楽しいこと、やりたいことをしていこうと今回改めて思いました。　</p><p>自分がいつ死ぬかなんて誰にもわからないんだから、できる時にできることを出来る範囲で楽しみたいと思います。</p><p>お金のかかることは無理かもしれないけれど、小さな幸せをたくさん見つけて生きていきたいと思います。</p><br><br><p>今回のできごとは、忘れていた気持ちを思い出させてくれました。　　十数年前にがん闘病をしていたころは、いつも1日1日を大切にしようと思って生きていました。　でも、最近は、なんとなく生きている感じになっていました。　だらだらっと毎日が過ぎる、そんな感じでした。　それではもったいないなと改めて思いました。　</p><br><br><br><p>今、ガンと闘っているお母さんたちも、苦しい闘病の中でも、小さな幸せをたくさん見つけて生きていきましょう。　難しいかもしれないけれど、今生きていることに感謝し、たくさん笑って過ごしましょう。　笑うってとてもいいことみたいですよ。　ナチュラルキラー細胞がふえるとか・・・。　　</p><br><p>当然笑えない日もあります。　それはがん闘病をしている人はみなそうです。　でも、がん闘病していない人にだって笑えない日はある。　無理をせず、泣きたい時は泣いていい、だけど、できるだけ笑って過ごしましょう。　そして、できる範囲で十分なので、一日一日を大切に生きましょう。</p><p>私もそうできるよう頑張っていきたいと思います。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-12166499552.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Jun 2016 08:58:32 +0900</pubDate>
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<title>20代になった子どもに聞いてみた　～　小さい頃お母さんががんになったこと（息子の場合）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>前回に引き続き、　20代になった子どもたちに、小さい頃お母さんががんになってどう思ったかを改めて聞いてみました。　今回は、息子の答えから、お話しします。</p><br><p><br></p><p>息子は私ががんになったとき、9歳で、小学校4年生でした。</p><br><br><p>今回息子に話を聞いて、初めて知ったのですが、息子が私ががんかもしれないと知ったのは、私が入院する前だったそうです。</p><br><p>入院前、私が私の父や母、主人と話していたのを聞いていたそうです。　子どもの前で、話をしたつもりはなかったのですが、私も気が動転していたのでしょう。　息子がいるのに気付かず、話をしてしまっていたらしいのです。　息子はどこかで聞いていたのですね。　とてもショックだったそうです。</p><p>情けないことに、私は息子から今回話を聞くまで、そのことに全く気付いていませんでした。</p><br><br><br><p>入院中も、お母さんが死んだらどうしようと本当に心配だったそうです。　もう、彼は、がんという病気のことも、死ぬとはどういうことかも、ある程度はわかっていたと言っていました。</p><p>入院中は、やはり寂しかったとも・・・。　でも、妹もいたので、あまり自分が寂しがることはできなかったと言っていました。　そこは、お兄ちゃんだったのでしょう。</p><p>彼はちょうど親離れをし始めていたころで、私と一緒に出歩くのを嫌がったり、私と話すのを面倒くさがり始めていた頃だったので、そんなに心配しないかなと思っていたのですが、違っていたのですね。　</p><br><br><br><p>私の入院中、何で自分のお母さんだけ、病気なのかなと思ったと言っていました。　友達のお母さんは元気なのに、何でかなと考えることもあったそうです。　そう考えると本当につらかったと言っていました。</p><p>でも、そんなこと考えても仕方がない、自分のお母さんだって頑張って病気と闘っているし、死んでしまうとは限らない。　友達のお母さんだって、外から見ていると元気そうに見えるだけで実は病気の場合もあるかもしれないし、今は友達のお母さんは元気でも、いつ自分のお母さんみたいに病気になるかわからない、だからくよくよ考えても仕方がないなど、色々考えたそうです。</p><p>　</p><br><p>小学校4年生にもなると、色々考えるのですね。　「お母さんの病気のこと、よくわからなかったー」という当時小学校1年生だった娘とは違います。　このころの3歳差は、大きいのだなあと改めて思います。</p><br><br><br><p>退院後、私から「お母さんはがん」で、「死んでしまうかもしれない」と聞いた時は、やっぱりそうかと思ったそうです。　だから話を聞いた時は、本当は知っていたので、そんなにショックは受けなかったと言っていました。　</p><br><p><br><br></p><p>退院したばかりの頃、子どもたちにこれ以上心配をかけてはいけないと、私の病状のことはあまり話さないようにしていました。　抗がん剤の治療に行くときも、私が病院から帰ってくる前に子どもたちが学校から帰ってくるので、おやつを用意してから病院に行きました。　　抗がん剤治療の後、家に帰って夕飯を作る元気はなかったので、いつも病院の帰りには夕飯を買って帰りました。　子どもには心配をかけないように私なりに努力しました。</p><br><br><p><br></p><p>でも、退院後、彼は本当は心配していてくれていたのかもしれませんが、あまり私を手伝ってはくれませんでした。　私は、私がいなくなっても、子どもたちが困らないようにと、色々家事を教えようと思っていたのに、彼は私が言うことにはあまり興味を持たず、積極的に家事を覚えようということもありませんでした。　自分から、お母さんが大変だから手伝おうということもなく、言われればしかたなくやるという感じでした。　それは大人になった今でも変わりません・・・。　娘の方が言わなくても私を助けてくれています。　これは、男の子と女の子の差なのか、私の育て方が悪かったのか・・・わかりません。　</p><br><br><p>中学、高校になったころは、反抗期のせいか私と会話することはあまりなくなり、完全に自分の世界を持っていました。　息子が私に話しかけるのは、何かをお願いしたい時と、自分の具合が悪い時だけ・・・。</p><p>私ががんの定期検査に行くといっても、結果も聞かず、完全にスルー。　なんだかな～と思うことも多々ありました。</p><br><p><br><br></p><p>今回、息子に話を聞いたのですが、あまり当時の気持ちを話してはくれませんでした。</p><p>娘はけっこういろいろ話してくれたのですが、息子はめんどくさそうに、ポツッポツッと話すだけ・・・。</p><p>私と話すのは本当にめんどくさいようです。　</p><br><br><p>最後に小さい頃にお母さんががんと聞いてよかったかと聞いたら「よかったと思うよ。」とは言っていました。　　「小さい頃いろいろ考えて覚悟もできたし、よかったんじゃない。」と・・・。　「何の覚悟？」と聞いたら、「親がいつまで生きているかわからないってことがわかったからね。　自分は子どものうちに母親が死ぬかもしれないという覚悟だよ。」と言っていました。</p><br><br><p>子どもによって、年齢によって、男女によって、性格によって、「親ががん」という事実の受け止め方はちがいますね。　私の子どもたちも、受け止め方が違います。</p><br><br><br><p>去年　「未成年の子どもがいる親、父親か母親のどちらかが、１年に約５万人も新たにがんになっている」とニュースでやっていました。　ということは、少なくとも、毎年５万人以上の子どもたちの親ががんになっているということですよね。　「自分の親ががん」という事実に向き合わなければならない子どもたちがたくさんいるということです。　　毎年５万人ですから、単純に計算すれば、１０年で５０万人の子どもの親ががんということになりますよね。　大変な数字です。　がんは本当に身近な病気なのだなと改めて思います。</p><br><br><p>ニュースでは「親ががんになってしまった子どもに何らかのケアが必要だ。」とも言っていました。</p><p>がんになってしまった親は、出来る範囲で自分の子どもの心や体のケアはしますが、親がするケアには限界があります。　ケアが必要な子どもには、専門家も含めて、きちんとケアをしてあげてほしいと思います。</p><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-12120444700.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Feb 2016 10:56:24 +0900</pubDate>
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<title>20代になった子どもに聞いてみた　～　小さい頃お母さんががんになったこと　（娘の場合）</title>
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<![CDATA[ <p>このブログのために、　20代になった子どもたちに、小さい頃お母さんががんになってどう思ったかを改めて聞いてみました。　今回は、娘の答えから、お話しします。</p><br><br><br><p>娘は私ががんになったとき、まだ6歳で、小学校1年生でした。</p><br><p>娘は、「実は、お母さんががんで入院した時はまだ小さくて、あまり状況がよくわかっていなかったんだよね。　だってまだ6歳だったんだよ。」と言っていました。　</p><p>「おかあさんが入院していて寂しかったのは覚えているんだけれど、　叔父さん（夫の弟）がうちに泊まりに来てくれていたし、おじいちゃんも、おばあちゃんもいたし（私の家は2世帯住宅でした）、全部で6人で暮らしていたから、常に誰かが家にいたし・・・。　おかあさんが死んだらどうしようとかは考えていなかったよ。　そもそも人が死ぬってどういうことかよくわからなかったし、本当にあまりよく覚えていないんだよね。」と言っていました。</p><br><br><p>私はそれを聞いた時、驚きました。</p><p>余り覚えていない？　よくわからない？　</p><p>私は必死に病気と闘い、子どもたちの為にと毎日必死で生きていたのに、その程度にしか感じていなかったのか・・・と、なんか拍子抜けでした。　の半面、私の入院があまり大きな心の傷になっていなかったことに安どしました、</p><br><br>確かに私の入院中は大勢で暮らしていました。<br><p>私の母は、そのときすでに半身不随で、軽い認知症でしたが、それでも娘にとってはいないよりよかったのでしょう。 そんな私の母以外は男ばかりで、誰も満足に家事の出来る人のいない環境でしたが、それでも常に周りに誰かがいてくれたのが娘にとってはよかったのでしょう。</p><br><br><br><p>更に、娘は続けて、</p><p>「それに、入院する前もお母さん大丈夫って言ってたし、お母さんが入院している病院にお見舞いに行った時には、お母さん笑っていたし、お見舞いに行ったことはよく覚えているんだけど、とにかく、お母さんが笑っていたから大丈夫なんだなと思っていたよ。」と言っていました。</p><br><br><p>そうでした。　私の入院中、私が退院するメドがついたころ、一度だけ、主人が子どもを連れてお見舞いにきてくれました。　その時私は子どもに不安を与えないよう、ずっと「お母さんは大丈夫だよ。もうすぐ家に帰るからね」と笑っていました。　私の心の中は、自分はこれからどうなるんだろう。　この子たちを残して死んでしまうのだろうかと不安でいっぱいだったのですが・・・。</p><p>結果的には、それがよかったのですね。<br><br></p><br><p>「退院してからも、お母さん笑ってたし、泣いてなかったし、大丈夫なんだなって思ってた。」とも・・・。</p><p>退院後に私から、「お母さんはがんなんだよ」と聞いたときも、「お母さんは、死んでしまうかもしれない」と聞いた時も、がんという病気がよくわからなかったし、それまで娘の周りで死んだ人は誰もいなかったので、死というもの自体、あまりぴんとこなかったそうです。</p><br><br><p>ただ、おかあさんがいなくなったら、料理や掃除、洗濯を自分でしなければいけなくなるということは理解できていたのか、私から料理を一生懸命習ったのは覚えているようで、今でも、「小学校4年生ごろが、一番料理がうまかった」、と娘自身が言っています。</p><p>でもこれも、本当にお母さんが死んだら、困るから覚えたというよりは、手伝えばお母さんが喜ぶと思って一生懸命にやっていたようです。</p><br><br><br><p>「でも、だんだん大きくなってきて、がんという病気のこと、お母さんが死ぬかもしれないということの本当の意味がわかってきてからは、お母さんが検診のたびに、お母さんが死んだらどうしようって、本当に心配するようになったし、怖くなったよ。」とも言っていました。</p><br><br><p>そういえば、いつ頃からだったか、私が検診を受けに行った日とか、検診結果を聞きに行った日には、娘から「どうだった？」とか「大丈夫？」とかいうメールが携帯に届くようになっていました。</p><p>私のことを心配してくれていたのでしょう。</p><p>（残念ながら、最近はメールは届かなくなりましたが・・・。もう私がいなくなっても大丈夫（？）ということでしょうか・・・？）</p><p><br></p><p><br></p><p>でも、娘は中学、高校と、勉強や友達との付き合いに追われ、私の手伝いはあまりしてくれなくなっていきました。　私をいたわってくれることも少なくなっていきました。　</p><p>反抗期もあったかもしれません。　ずいぶん口げんかもしました。　</p><p>娘が私のことを気にしているのかなと感じられるのは、検査の時のメールだけになっていました。</p><br><p><br><br></p><p>現在は成人し、まだ大学に通っていますが、今は学業や友達との付き合いの合間に、私が忙しい時や、疲れている時など、（残念ながらいつもというわけではありませんが、）さりげなく手伝ってくれることもふえてきました。　それだけ娘も大人になったということなのでしょう。</p><p>　</p><br><br><br><p>改めて聞いた娘の答えは、正直驚くことも多かったです。　中でも一番驚いたのは、小さい娘に、お母さんはがんで死ぬかもしれないと伝えたのに、実は娘はその意味をよくわかっていなかったということでした。</p><p>娘がお気楽だったのかなんなのかわかりませんが、私は子どもに自分が『がんで死ぬかもしれない』と伝えるべきか、伝えないほうがいいのか悩みに悩んだ末に伝えたのに、よくわかっていなかったのかーと思いました。　伝えた後も、小さい子に、重たい事実を言ってしまったかな、かわいそうだったかなとずっと気にしていたのですが、意味がわかっていなかったとは・・・、　全然気にしていなかったとは驚きでした。</p><br><p><br></p><p>あと、子どもに笑顔をみせるというのは、私が思っていた以上に、大事なことなのだなと思いました。</p><p>小さい頃の娘が、私が大丈夫か大丈夫でないかを私の笑顔で判断していたとは思いませんでした。</p><p>笑っていたから、泣いていなかったから大丈夫と思っていたとは・・・小さい頃はみんなそうなのでしょうか？</p><br><br><br><p>最後に、「小さい頃お母さんががんと聞いてどうだった？聞かない方が良かった？」と聞いたら、「聞いてよかったと思うよ。」と言っていました。　「ずーっと隠されていて、大きくなって初めて聞くよりよかったと思う。」と娘は言っていました。　「たまたまお母さんは、今も無事生きているからいいけれども、もしお母さんが最悪の事態になって、その時に何も聞かされていなかったら、きっと恨んでいたと思うよ。　子どもにも病気のお母さんのために何かしてあげたいという思いがあると思うから、私は隠されているのはつらいと思う。　知っていたら、もっといろいろなことをしてあげられたのに、もっとお母さんと話したり、お母さんからいろいろ聞いたり、教えてもらったりしたかったのに、　『何で教えてくれなかったのか』と思うと思うよ。　もっとも初めて聞いた時は小さすぎて、よく理解できていなかった。　大きくなるにつれて、お母さんががんということの本当の意味がわかってくるんだけど・・・。　自分の中でだんだん理解ができてくるんだよね。だから、私は、小さかったけれど、聞いてよかったと思っている。」とも言っていました。</p><br><br>ただ、これは、あくまでも娘の意見に過ぎません。<br><p>こういうことは、子どもの年齢や、子どもの性格にもよるし、感じ方は子どもによって違うと思うので、何が正解かはわかりません。　</p><p>親の病気を伝えた方がいいのか、伝えない方がいいのかは、子どもによって違うと思います。</p><p>親が伝えようと思えば伝えればいいし、伝えるのはやめようと思えばそれでいいと私は思います。</p><p>私は『自分ががんである』ということを、子どもに伝える道を選びましたが、　これが正解とは限りません。</p><p>正解はありません。　どちらにするかは、お母さんが良く考えて決めればいいのです。</p><p><br></p><p><br><br>次回は息子に話を聞いてみようと思います。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-11995314174.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Jan 2016 14:08:34 +0900</pubDate>
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<title>お正月</title>
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<![CDATA[ <p>もうすぐお正月ですね。</p><p>2015年ももうすぐ終わりです。</p><p>町中が、クリスマスからお正月を迎える準備に変わってきましたね。</p><br><br><br><p>がんになってから、私はお正月があまり好きではなくなりました。</p><p>がんになったばかりの頃は、お正月のたびに、来年のお正月は迎えられるだろうか・・・、とか、　来年のお正月にはもういないのではないか・・・などと考えてしまっていました。</p><p>新らしい年を無事に過ごせるだろうか考えると、怖くなりました。</p><br><br><br><p>がんになる前は、年末には大掃除をして、新たな気分で新年を迎えていました。</p><p>新しい年がいい年になることを願っていました。</p><p>お正月は特別な感じがしました。</p><br><p><br><br></p><p>でも、がんになってからは、お正月を祝う気があまりしなくなりました。</p><p>最近でも、大掃除はします。　お正月の準備も一応します。</p><p>だけど、気持ちは、12月31日の次の日というだけ・・・。　</p><p>つまり普通の日となんらかわらない、普通の一日と感じるようになりました。</p><p>今の私にとっては、お正月だからって、特別なことはない、単なる昨日の続きでしかありません。</p><br><br><br><p>でも、子どもたちには、お正月の迎え方、準備の仕方を教えなければなりませんよね。</p><p>大きくなってから子どもたちが恥をかかないようにしてあげなければなりません。</p><p>だから、お正月の準備はします。</p><p>ちゃんとお雑煮も作るし、おせちも用意します。</p><p>子どもたちの為に、きちんとします。</p><p>（たぶん私一人だったら、掃除くらいはするでしょうけれど、特別なことはしないでしょう・・・。）</p><br><br><br><p>今年はお正月の準備をしながら、去年の今頃は私の愛犬がいたのにな・・・などと思い、悲しくなっています。　なんとなく、お正月ってそういうことを感じさせますね。</p><p>誰かが（何かが）いないのが寂しくなります。</p><br><br><br><p>最近は、昔、一休さんがうたったという、「門松は（正月は）冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。」を思い出します。　昔、よく私の父が言っていました。</p><p>私が若い時は、お正月なのに、なんか不吉な歌だなと思っていましたが、今ではこの歌の意味、よくわかります。</p><p>お正月はめでたいけれども、一方で新しい年になるということは、みんな一つ年をとるわけだから、それだけ死が近くなるということ、だから、そういう意味ではめでたくないといった意味です。</p><p>昔から、お正月と死を結び付けて考える人がいたのですね。</p><p>本当に今の私には、お正月はめでたいようで、めでたくありません。</p><br><br><br><br><p>なんか、悲観的なことばかりを書いてしまいましたが・・・。</p><p>ここまで書いていたら、私にもお正月が楽しかった時があったなあと思い出しました。</p><p>子どもの時はお正月が楽しかった・・・。</p><p>夜遅くまで起きて、除夜の鐘を聞いて・・と、いつもと違う時間が流れ、なんかわくわくしたような記憶があります。</p><p>20代の頃も友達とお正月に出かけたりして、それなりに楽しかったことを思い出しました。</p><p>とても懐かしい思い出です。</p><br><br><br><br><p>今年もあと5日です。</p><p>新しい年ががんと闘っている皆さんにとっていい年になりますよう、願ってやみません。</p><p>新年も、今までと変わらず、一日一日を大事に生きましょう。</p><p>お正月は家族と一緒にいられる時間を大事にしてください。</p><p>来年もあせらず、あきらめず、自分のペースで生きていきましょう。</p>よいお年をお迎えください。<br><br><br><br><br><br><br><br><p>、</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-12100184905.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Dec 2015 15:24:28 +0900</pubDate>
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<title>老人ホームで見たこと</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は、今老人ホームで生活しています。</p><p>半身不随で、認知症もあり、着替えも、お風呂も、トイレも一人ではできません。</p><p>右手は使えるので、なんとか、食べることはできますが、マヒのせいか嚥下もうまくできません。</p><p>認知症は、年々進み、ぼーっとしたり、混乱することが多くなってきました。</p><br><br><p>母に会いに老人ホームへ行くたびに、いろいろなお年寄りを目にします。</p><p>皆さん一人で生活をするのが難しい方ばかりです。</p><p>ボーっとしている人、ずっと叫んでいる人、他の人の部屋に勝手に入ってしまう人、何かが気に入らずずっと怒っている人、　人形を赤ちゃんだと思いこみずっとあやしている人など、今までに色々な人をみてきました。</p><p>家族が誰も面会に来ない人、脱走しようとする人、暴力をふるう人、寝たきりの人など本当に色々な人がいます。</p><p>認知が進み、若いころに戻ってしまう人、監禁されているから警察を呼んでほしいと叫ぶ人、こんなところにいたら殺されると騒ぐ人、昼夜が逆転する人、混乱した頭で混乱したことを話す人・・・数え上げたらきりがありません。</p><br><br><p>老人ホームは２４時間看護師が常駐し、健康管理はしっかりなされていて、ちょっとでも具合が悪くなるとすぐ医者が呼ばれ、薬をだされます。　私たちよりも手厚い医療体制です。</p><p>これでは、国の医療費もかさむなと納得してしまいます。</p><br><br><p>母も老人ホームで暮らしている他の方々も、こんな老後は望んでいなかったでしょう。</p><p>私の母も、クモ膜下出血で倒れ、意識を取り戻し、半身が動かないということに気付いた時、何で命を助けたのかと、怒っていました。　母は「自分が倒れていたら、救急車を呼ばず、そのままほっておいてほしい、　自分のことが自分でできなくなって生きるのは嫌だから」とずっと言っていました。　</p><p>でも、家で倒れている母を父が見つけた時、一瞬父の頭にも、母が常日頃言っていた「救急車を呼ばないで」という言葉がよぎったそうですが、放っておくわけにもいかず、救急車を呼んだのだと後で言っていました。</p><p>治療すれば、治るかもという期待もあったとも言っていました。　</p><p>でも、結果は母が望んでいない、最悪の形になりました。</p><p>命は助かりましたが、半身不随と認知症が残りました。</p><br><br><p>介護は本当に大変で、最初は父が一人で面倒を見ていました。　よく頑張っていたと思います。</p><p>私も手伝えることは手伝っていました。</p><p>やがて、父の具合が悪くなり、娘の私もがんになり、母の面倒を家でみることがだんだん難しくなりました。　母には、老人ホームに入ってもらうしかなくなりました。</p><p>母が倒れてからもうすぐ20年、老人ホームに入ってからももうすぐ10年になります。</p><p>母の老後は、本当に苦しいものになりました。</p><br><br><p>私は、母のようには絶対なりたくありません。</p><p>老人ホームに入居されている方を見ると、幸せそうには思えません。</p><p>少なくとも私の母は「幸せではない」と母自身が自分で言っています。</p><p>本当は、母を家に引き取り、家族で面倒をみられれば、母ももうちょっと幸せになれるのかもしれませんが</p><p>いつまで続くかわからない母の介護を家でする勇気が私にはありません。</p><p>介護の辛さは、いつまで続くかわからないということだと思うのです。</p><p>いつまでと期間が決まっていたら、1年とか2年とか期間がきまっていたら、まだがんばれると思うのですが・・・。</p><br><br><p>　</p><p>一生懸命生きてきたお年寄りたちの最後がこれでは悲しい気がします。</p><p>老人ホームは、ほとんどの人が死ぬまで出ることができません。</p><p>老人ホームに行くと、いくら長生きしてもこれでは・・・といつも思ってしまいます。</p><br><p><br></p><p>私はがんで、若くして死ぬかもしれないとずっと思ってきました。</p><p>若くして死ぬのは本当につらいです。　誰も、絶対若くして死んでほしくはありません。</p><br><br><p>でも、老人ホームに入居している方々を見るたび、こんなことろで、長く生きるのもつらいなと思うのです。必要以上に長生きするのも、苦しく、つらいことです。</p><p>私の母は、62歳でクモ膜下出血で倒れました。　それからもう、20年も半身不随の生活です。　認知もあり混沌とした世界に生きています。　私はそれをそばでずっと見てきました。</p><p>母はがんではありませんが、　母の運命も過酷だなと思います。</p><p>自分のことが、自分で出来るうちに、認知症になる前に、老人ホームに入らないですむうちに、人生の幕引きができたらいいなと、母がクモ膜下出血で倒れた年齢に近くなってきた私は最近思うのです。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-12051078716.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Dec 2015 21:55:32 +0900</pubDate>
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<title>「死」について考えた</title>
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<![CDATA[ <p>39歳でがんになって、今まではあまり考えもしなかった死が一気に身近になりました。</p><p>死ぬってどんな事なんだろう。</p><p>死んだらどうなるんだろう。</p><p>漠然とした恐怖が私を襲いました。</p><br><br><p>夜、布団に入ると、死について色々考えました。</p><p>死んだら無になるのか、死後の世界はあるのか。　生まれ変わりはあるのかなどと、答えの出ない問題について色々考えました。</p><br><p>でもいくら考えても、答えが出るはずなどなく、眠れない夜が続きました。</p><p>死の恐怖に飲み込まれました。</p><p>それが嫌で、睡眠導入剤を飲んで眠りました。</p><br><br><br><br><p>そんな中で、私がたどり着いた答えは、本当に死んで、戻ってきた人はいないのだから、（臨死体験をした人はいるようですが、それに関しては批判的な意見も色々あるので）　死んだらどうなるかは誰にもわからない・・・だったら、自分の都合のいいように考えようということでした。</p><p>つまり、自分が少しでも死が怖くなくなるように、考えようと思いました。</p><p><br></p><p>死について、自分が死んだら天国に行くと思った方が楽ならば、そう思えばいい、輪廻転生があって、きっと生まれ変わると思った方が楽ならば、そう思えばいい、死んだら無になって、何もなくなると思う事で自分が納得するならば、そう思えばいい・・・などと思うようになりました。</p><p>答えはないのですから、何と思おうと自由なはずですよね。</p><p>だったら、死の恐怖が少しでも少なくなるよう、気持ちが少しでも楽になるように考えてもいいと思うのです。</p><br><br><p>私は、以前は、死んだら生まれ変わって、来世はきっと今よりよくなると考えるようにしていました。</p><p>だから、死は次の人生への通過点だと考えるようにしていました。</p><p>そういう風に思うことで死の恐怖が少し和らぐような気がしていました。</p><br><br><p>でも、最近は、死んだら、ゆっくり休みたい、ゆっくり眠りたいと思うようになりました。</p><p>人生に疲れたということでしょうか？（笑）</p><p>やはり、年をとったということなのかもしれません。</p><br><p><br><br><br></p><p>私は、家族に見守られて、できるだけ苦しまずに死にたいと思います。</p><p>私が死んだことは、あまり人に伝えず、家族だけで、見送ってくれればいいと思っています。</p><p>死ぬべき時が来たら、この世から、ひっそりといなくなりたい・・・最近はこんな風に思います。</p><br><br><br><p>人は必ず死にます。　それは避けられません。</p><p>死ぬ時期は平等ではありませんが、死自体は、誰にでも、平等に訪れます。</p><p>100年後には今生きている人のほとんどが死んでいるのです。</p><p>いつか必ず自分の番がきます。</p><p>それは、今日生れた赤ちゃんだって同じです。</p><br><br><br><p>自分がどんな死を迎えるかは、誰にもわかりません。</p><p>でも、生きられる間は、精いっぱい生きようと思います。　</p><p>願わくば、色々病気をしても、平均寿命ぐらいまでは生きられて、最期まで自分のことは自分でできて、</p><p>平穏な死を迎えたいものです。</p><p>死ぬ時に、「苦しいことも多かったけれど、よくがんばった」と思えるよう、今後も生きていきたいと思います。</p><br><br><br><p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-12051077599.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Dec 2015 09:38:02 +0900</pubDate>
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<title>パートを始めた。</title>
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<![CDATA[ <p>闘病も5年を過ぎ、子どもたちが中学生と高校生になり、教育費が必要になってきました。</p><p>更に私自身、思っていたより長生きしたので、老後のお金が心配になってきました。</p><br><p>私は結婚してからずっと専業主婦だったので、もう十何年も仕事をしていませんでした。</p><p>がん治療後、特別運動もしていなかったので、体力もあまりありませんでした。</p><p>十数年ぶりに仕事に出ることにはとても不安がありました。</p><p>自分が家庭にいる間に世の中はパソコンの時代になっていました。</p><p>私が結婚前に働いていたころはパソコンなんて会社で使っていませんでした・・・。</p><p>excel・ wordって何？っていう感じでした。</p><p>体力的にも続くか心配でしたが、金銭的にどうしても仕事に出る必要がでてきたので、意を決してがんばることに決めました。</p><p>自分でパソコンの勉強はしました。</p><p>幸運にも採用され、パートに出ることになりました。</p><p>9時から5時まで、週2～3回の勤務です。</p><br><br><p>最初は、精神的にも、体力的にもものすごく疲れました。</p><p>仕事内容も幅広く、自分にはとても無理ではないかと思いましたが、とりあえず3カ月は頑張ろうと思って続けているうちに、慣れてきました。</p><p>現在も何とか続いています。</p><p>がん闘病後は、あまり人付き合いをしていなかったので、最初は人と付き合うのもすごく疲れました。</p><br><p><br><br></p><p>パート先には.20代から70代の人までいて、私の世界はすごく広がりました。</p><p>パートは40代50代の人が多く、子どもの教育費、老後のお金の為に働いている人が多いです。</p><p>新しい会社なので、50代の正社員は少ないです。　</p><p>正社員はほとんどが20代から40代と言った会社で働いています。</p><br><br><p>20代から30代前半くらいの女子社員のもっぱらの関心事は結婚のことのようです。</p><p>同期や後輩が結婚すると、やはり心穏やかではいられなくなるようで、焦りがあるようです。</p><p>結婚すると、退社する人が多く、この辺は私が20代の頃と変わっていないなと思います。</p><p>（今は、厳しい時代なのに、旦那様のお給料だけでよくやっていけるな、旦那様は高給取りなのかななどといらないことを考えたりしています。）</p><p>たまに、結婚してからも続ける人はいますが、子どもが生まれるとほとんどの人が辞めてしまいます。</p><p>そういう意味では、私の若いころと同じで、子育て支援があまりない会社なのかもしれません。</p><br><br><p>お昼休みなど、なかなか結婚できない、自分は一生結婚できないのではと悩んでいる話をよく聞きます。</p><p>私が年がずっと上で、安心するのかよくそんな話をされます。</p><p>結婚している子は、なかなか子どもができないと悩んでいたりします。</p><p>自分より後に結婚したのに、さきに子どもができて辞めていくのを見ると、やはり心穏やかではいられなくなるようです。</p><p>人間は常に何か悩んでいるのですね。　悩みはつきないようです。</p><p>結婚したいのになかなかできないと悩み、子どもがほしいのになかなかできないと悩み、</p><p>子どもが生まれれば子どものことで悩み、　病気になれば病気のことで悩み、　年をとれば老後のことで悩む・・・本当に人間の悩みはつきません。</p><br><br><br><p>パートに行くと色々な事情で働いている人がいて、みんな事情や悩みを抱えているのだなということがよくわかります。　</p><p>事業が失敗して働いている人もいますし、定年後の生活の為に働いている人もいます。</p><p>子どもの教育費の為に働いている人もいるし、前の会社をリストラされて働いている人もいます。</p><p>きつい仕事ですが、皆頑張っています。</p><p>中には、入社してすぐ辞めてしまう人もいますが、それはどこでも同じですよね。</p><br><br><br><br><p>正社員で、がんになり、闘病しながら働いている既婚の男性もいます。</p><p>会社は治療について理解を示してくれて、休みや勤務時間など考慮してくれているようです。</p><p>パートで働いている人のなかにも、旦那さんががんになってしまったという人が今までに2人いました。</p><p>私と同じようにがんを経験しているパートの仲間もいました。</p><p>全員で40人くらいの小さな事業所ですが、両親や祖父母ががんという訳ではなく、本人か配偶者ががんという人たちが、今までに私を含め5人もいました。　</p><p>なんか多くて驚きです。　やはり、がんは身近な病気なのだなと思いました。</p><br><br><br><p>今も、年に2回がんの再発・転移の定期検査を受けながら、働いています。</p><p>パートなので、平日に病院には行きやすいです。</p><p>体調が悪いなと思う時はすぐ病院に行くことができます。</p><br><p>仕事はたいへんですが、今は金銭的に頑張るしかありません。</p><p>でも、社会とのつながりがもてるという点では、有意義だと思っています。</p><p>何よりみんな大なり小なり、色々悩みを抱えながら、必死に生きているのだなということがわかります。</p><p>悩みがあるのは、私だけではないということがわかります。</p><p>生きるって、やっぱりたいへんだなってつくづく思います。</p><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/papi-1024/entry-11999993354.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Dec 2015 10:01:37 +0900</pubDate>
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