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<title>50代前半でアスペルガー症候群と告げられた自分自身を見つめ直す作業</title>
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<description>50代前半で初めて自分がアスペルガー症候群であることを知った。ASDの特性の上、心理学や適応障害とか発達障害など精神病については興味が無かった。しかしそれが手帳レベルに匹敵することを告げられ愕然とした。長期休暇をとって自分自身を見つめ直す日々を送る。</description>
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<title>相手の気持ちは想像できなくて当然</title>
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<![CDATA[ <div>ASDの特性の１つに、相手の気持ちを想像できない、と言われている。しかし仏教では、自分自身が理解できないのに他人の気持ちは分かりっこない、だから相手を理解すること自体がおこがましいこと、と言われている。そもそも、ASDの特徴である相手の気持ちを理解できないという点は、ASDだけでなく全員にあてはまる、つまりそれが人間の本質でしょ？と言われているように思えてならない。</div><div>&nbsp;</div><div>アルボムッレ・スマナサーラ「40歳から悔いなく生きる　ブッダの智慧」<br>p.121 「人を理解しよう」という失礼な態度をやめる。「相手のことがわからない」「理解できない」は当然のこと。<br>p.132 子供の頃「自分の事ばかり考えず相手の気持ちを考えましょう」と教育された。でも自分自身の事もわかっていないのに、まして他人の気持ちはわからない。</div><div>&nbsp;</div><div>では自分はどうしたらいいか？草薙龍瞬「反応しない練習」が参考になった。</div><div>p.103 「心の半分を前に、もう半分を後ろに使う」<br>①前を見る心は、相手をそのまま見て反応せず、ただ相手の言葉を理解する。<br>②後ろを見る心は、自分の反応を見る。<br>従来、仕事ではそれを無意識でやっていたが、結構疲れる。</div><div>&nbsp;</div><div>p.110 困った相手とどう「関わるか」<br>①相手を判断しない。<br>②過去は忘れる。<br>③相手を新しい人と考える。<br>④「理解し合う」ことを目的とする。<br>⑤「関わりのゴール」を見る。<br>このあたり、認知行動療法と何となく似ている</div><div>&nbsp;</div><div>p.172 人間関係を円くおさめる「４つの心がけ」慈・悲・喜・捨<br>慈　相手の幸せを願う。自分の都合や欲求を通さない。<br>悲・喜　相手の苦しみ・悲しみ・喜び・楽しさを理解し共感する。<br>捨　手放す、捨て置く、反応しない「中立心」</div><div>&nbsp;</div><div>ASDだから相手の気持ちを想像できない、と言われるが、仏の教えでは人間の本質だと説いていて、もう相手の気持ちに拘らなくていいんだ、と吹っ切れる。</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/entry-12608762826.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Jul 2020 12:39:54 +0900</pubDate>
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<title>ASDにとって忘己利他は戒め</title>
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<![CDATA[ <div>児童発達心理学によると、自閉症の状態で生まれて３才頃まで続く。極論を言えば他人より自分を第一に考える。先ず自分が生き残ることが優先。赤ちゃんのハイハイだって個体や環境ごとに個性がある。でもハイハイで前進したい赤ちゃんはその時必死だったと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>30年以上前に流行ったニューラルネットワークの簡単な学習実験で、モータと角度センサだけの簡単なロボットにいかに早く前進できるかを調べ、摩擦など何らかの障害によりロボットのハイハイの動作パターンが環境ごとに分かれた。ASDも同じだと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>ASDも定型発達も関係なく、みんな与えられた環境で必死に生きていると思う。</div><div>&nbsp;</div><div>それはさておき、もう一点、ASDの特性を抑制する方法として仏教に効果がありそうなものが、独りよがり・自分の意見や欲望を優先する特性だと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>インドのお坊さんが腹をすかしたトラと出くわし、自分の体を食べさせるが法話をよく聞く。自分も含めてASDの特性として、自分より他人の意見を取り入れることに強い抵抗を感じる傾向がある。でもそれって、ASDも定型発達も関係なく、人間の本質だと思う。痴漢に襲われそうになって、相手の気持ちを理解しそれを本当に受け入れることができるか？（こういう極論を例にとること自体が自分のASDの特性のひとつだ、ということが診断を受けてから悟ったが、話がそれるのでこれ以上やめとく）</div><div>&nbsp;</div><div>医者に相談にいってASDと診断されて、そういう傾向があると言われただけで、その度合いはWAISテストで客観的に計測してその傾向が見られたようだが、あくまで分布上強く出ただけのような気もする。</div><div>&nbsp;</div><div>しかし自分の欲望よりも慈しみの気持ちで相手に譲る布施の気持ち「忘己利他」を長い間自分は忘れていたような気がする。家計を支えるため仕事追われ、仕事のストレスでやられたらやり返すような考えに凝り固まっていた当時の自分に「忘己利他」は浮かばなかったと思う。</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/entry-12608762474.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Jul 2020 12:37:54 +0900</pubDate>
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<title>ASDのこだわりを捨てる方法</title>
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<![CDATA[ <div>ASDの苦手な特性であるコミュニケーションは、デイケアや医療ではSSTなどいくつか対症療法はある。しかしASDの他の特性であるこだわり・思い込み・常同性についてはどう対処すればいいのか？辛うじてデイケアや医療では、認知行動療法で自分の思い込みを和らげ思考の幅を広げる方法は習う。でもこれをマスターするにはかなり訓練しないといけないし、万能ではない。例えば明らかに人災だった福島第一原発被害者の無念はどこまで認知行動療法で解決できるのか？とASDの自分は拘ってしまう。原発村社会からリタイアしてぬくぬくと年金生活をしている人を想像して、被害者はどう思うだろう？どうしても原発村社会を憎んでしまうのが人間だと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>そこで出会ったのが仏の教えだった。高校の倫理の時間で習った仏教の基本がずっと頭の隅にあった。ASDの診断が下りる２、３年ほど前に父からもらった真宗入門講座を読んだ。ASDの診断後最近になって、煩悩や執着からの解放、これってまるでASDの特性であるこだわりや思い込みの激しさそのものからの解放と同じではないか？、と気付いた。そもそも、ASDと定型発達の境目はない、辛うじてその境目は不適応を起こしたかどうか、というのが僕の理解で、こだわり・思い込み・（変化を好まない）常同性はそもそも人間の本質なのではないか？と、自分の特性をまとめながら嘆いていた。</div><div>&nbsp;</div><div>仏教の苦しみの原因である煩悩・執着・妄想のうち、生存本能である煩悩を捨てることは難しい。でも、草薙龍瞬「反応しない練習」を読んで、自分が会社で不適応を起こした執着・妄想は正にこれだと気付いた。</div><div>&nbsp;</div><div>不正をごまかそうとする会社の体質が許せない、安全より商売を優先する体質、何か問題が発生すると犯人捜ししかできず根本解決できない会社の体質、見切り発車のプロジェクトで誰も当事者意識を持って責任を取らない体質、など、自分が会社で不適応を起こした経緯を２週間かけてまとめてうんざりした。</div><div>&nbsp;</div><div>しかしその後「反応しない練習」を読んで、会社の仕事について行けなくなったこういった体質は、自分のASDの強い拘りによる思い込みと考えていたが、仏教では執着・妄想であって、考え方を変えればその強い拘りを抑制できそう、と思った。</div><div>&nbsp;</div><div>世の中は不条理である事を悟り（諸行無常）、他人のせい、自分のせい、世の中のせい、にしてそれを恨みながら生きていく自分がいかに空しいか。そんなことに執着せずに、今、自分にできる範囲の何か周囲の人のためになることをやってみる、というように自分を変えてみる、というような方法が書いてあった。デイケアや医療で教わる対症療法とは全く違う思考アプローチのように思えた。確かにそうすることで、人間円くなれる。</div><div>&nbsp;</div><div>ASDの特性である拘りを抑制するために仏教の四諦の考えを応用することについて、他の本でも表現が違っても同じ説明があった。</div><div>&nbsp;</div><div>ひろさちや「こだわりを捨てる」はタイトルそのものがズバリ的中している。娑婆は理不尽な事ばかりで、それにいちいち執着しない。p.81には、この娑婆では他人に迷惑をかけずには生きられない。自分は他人に迷惑をかけている。それを他人はじっと耐え忍んでくれている。だから、わたしも他人から受ける迷惑を耐え忍ばねばならない。それが娑婆の生き方です。（忍辱波羅蜜）p.56 自分がかける迷惑は赦してもらうが、他人の迷惑（世の中の不条理など）は赦さない、というのはあまりにも自分勝手です。</div><div>&nbsp;</div><div>アルボムッレ・スマナサーラ「40歳から悔いなく生きる　ブッダの智慧」<br>p.111 「世直し思考」悪い人・ずるい人たちにいちいち文句をいっても仕方がない。殺人事件の犯人を裁くのは自分でなく裁判官。<br>p.172 「自分の常識が正しい」と思い込み他人に押し付けるのは心の病気。自分と違う常識を見つけても目くじらを立てない。</div><div>&nbsp;</div><div>子どものころ、親以外の大人にこういったことで怒られた事を思い出した。大人になったら、こういった生き方の基本部分で、誰も自分のことを叱ってくれる人はなかなかいない、とつくづく思う。仏教の本を読んで、自分の事を叱ってくれた、と感じる。</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/entry-12608663483.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Jul 2020 22:36:57 +0900</pubDate>
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<title>不適応についての仏の教え</title>
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<![CDATA[ <div>ひろさちや「こだわりを捨てる」によると、現代社会で生きていくには「世間の物差し」に自分を合わせて、うまく適応できた場合だけその組織にいることが許される。例えば学校や職場、家庭など。会社の仕事について行けなくなったら、働かざるもの食うべからず。学校では子供を商品として大企業に売り渡す。教育ママの管理下に置かれた娘さんが期待に応えられず心を病む。我々生きていくために「世間の物差し」に振り回されその奴隷となって生き延びていくしかない。でも仏の教えを学ぶことで、少しそこから解放される場合がある。</div><div>&nbsp;</div><div>草薙龍瞬「反応しない練習」p.20に、ブッダの苦しみからの解放についてのコアとなる考え方「四聖諦（四諦）」がこう書いてある。</div><div>&nbsp;</div><div>苦諦　生きることには「苦しみ」が伴う。<br>集諦　苦しみには「原因」がある。<br>滅諦　苦しみは「取り除くことができる。」<br>道諦　苦しみを取り除く「方法」がある。</div><div>&nbsp;</div><div>この考え方は近代的な医療の体系と類似している、と西洋の学者には言われているらしい。つまり、ブッダ自身のコアの教えは、南無阿弥陀仏と念仏すれば極楽浄土に行ける、という宗教感とは一線を画し、論理的合理的な思考アプローチでほとんどすべての問題について普遍的に使えるノウハウ、といえると思う。この点で宗教というよりもむしろ哲学だと思えてならない。</div><div>&nbsp;</div><div>苦諦については、上記の「世間の物差し」で理解しやすい。</div><div>&nbsp;</div><div>集諦の苦しみの原因は「三愛」であると、ひろさちや「はじめての仏教」p.47で述べている。しかし、草薙龍瞬「反応しない練習」p.56の三つの執着のほうがすんなり理解しやすい。</div><div>&nbsp;</div><div>①求めるものを得たいという執着（だがかなわない）<br>②手にしたものがいつまでも続くようにという執着（やがて必ず失われる）<br>③苦痛となっている物事をなくしたいという執着（だが思い通りにはなくならない）</div><div>&nbsp;</div><div>滅諦は、苦しみの原因である三つの執着を捨てれば解放できる、ということを単に言っているに過ぎない。品質不具合問題の原因に対する対策が、原因の除去であるのと同じ考え方になっている。</div><div>&nbsp;</div><div>道諦の苦しみを取り除く「方法」は、「八正道」と言われる修行僧が解脱のために行う心がけやルールだが、一般庶民にはそれを忠実に行うのは不可能で、草薙龍瞬「反応しない練習」ではそれを一般庶民でもできるように柔らかく解説している。</div><div>&nbsp;</div><div>ここではむしろ真宗入門講座の仏法を紹介したい。仏法を学ぶとは、先ず自分を知ることで「八正道」の「正見」を指していると思われる。ASDの自分にとってまずやるべきことは、自己理解で自分の特性をまとめることもその１つだと思う。次に現世の仕組み「諸行無常」「諸法無我」「縁起」などを理解すること。こういった普遍的な現世の仕組み（その一部は、歴史は繰り返す、かな？）が分かると、自分の執着がだんだんどうでもよくなってくる場合もある。現代風には、達成できるかどうかもわからない厳しい「八正道」を全部実行するのではなく、平家物語の冒頭のような現世の仕組みをおさらいするだけでも、自分を冷静に振り返ることに繋がるかもしれない、というのが僕にとっていまのところしっくりくる仏法になっている。</div><div>&nbsp;</div><div>一方、最初から不遇な環境で生まれた人や生まれたときから障害を持つ人など、自分ではどうすることもできない境遇や苦しみを持った人はどうしたら救われるのか？という問いに対しては、大乗仏教や浄土教の他力本願により仏から安心して生きていていいんだよ、と阿弥陀仏から慰めてもらえるオプションがある。</div><div>&nbsp;</div><div>真宗入門講座によると、真宗の門徒の生き方は、世間の物差しに適応する生き方を問う（疑う）こととなっている。阿弥陀仏の本願である存在の無条件肯定、「こんな自分が生きていても安心していいんだよ」、を念仏で感じながら、「念仏者は無碍の一道なり」（歎異抄第７条）自分の思い通りにならない事「碍」に振り回されない生き方があるよ、と教えてくれている。</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/entry-12608246886.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Jul 2020 00:23:32 +0900</pubDate>
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<title>ブッダの教えについて僕の理解</title>
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<![CDATA[ <div>仏教は宗教というよりもむしろ哲学の要素が大きいと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>仏教の目的である解脱とは、輪廻転生から抜け出し涅槃に行くことだと思っていた。涅槃とは永遠の眠りを意味するらしい。そこで出世間で修行して悟りを開く自力本願で解脱に挑戦するが、解脱を達成できる人は極くまれで解脱はかなり難しい。現世（人界）で悪行を働くと死後地獄界などに生まれ変わり、今よりもっと苦しむ。世間で生きている一般庶民は、生活のため解脱のための修行をする余裕がない。そこで一般庶民にとっては、来世はせめて六道輪廻の天界（たとえば極楽浄土）に生まれ変わり、出世間で条件が整った状態で余裕をもって修行にいそしみ解脱を図る、というのが他力本願である、というのが僕の理解だ。</div><div>&nbsp;</div><div>「なんだ、古代インド人が切に願った涅槃とは、身体も魂も完全に消滅して輪廻転生しない状態だったんだ。だったら生き物はすべて死後は消滅して自分の体を構成していた酸素や炭素原子は分散してバラバラになるから必死になって修行しなくてもいいじゃん」という議論が起こるかもしれないが、そこには触れない。</div><div>&nbsp;</div><div>草薙龍瞬「反応しない練習」のp.48,133によると、前世や死後がどうなるかや輪廻転生自体が本当かについて、ブッダ自身は「正直いってわからない」といっていたらしい。つまりブッダ本人が一番みんなに言いたかったことは、当時の古代インド人が信じていた死後救われる方法ではなく、むしろ現世（娑婆）の苦しみからどうやって解放されるか、についてだった。その教えの基礎が「四諦」であり苦しみから解放される方法が「八正道」と言われる。</div><div>&nbsp;</div><div>後に仏教が日本に伝来し、親鸞自身も先輩である法然から、南無阿弥陀仏と念仏すれば極楽浄土に行ける、と100%信じ切って何ら後悔せずに納得しながら入滅できた。親鸞自身ある意味解脱の境地には達していたように思える。その親鸞も、法然の言うことが本当にそうなのか、正直いってわからない。でも完全に先輩である法然を信じ切って何ら後悔しない（歎異抄第２条）、といったらしい。つまり、ブッダも親鸞も、死後や輪廻転生については確かめようがないから本当のところどうなのかはわからない、というスタンスだったようだ。むしろ彼らは、娑婆の苦しみから解放される方法がある、うまくいくかどうかわからないが、自分ができる範囲で少し挑戦してみる価値はあるよ、と説いているように僕には聞こえた。</div><div>&nbsp;</div><div>僕がいままで読んだ本には見当たらなかったが、ブッダ自身は「無我」で、死後自分の魂が残り他の生物に乗り移る輪廻転生において、バラモン教やヒンドゥー教で信じられていた不変の魂「我」は存在しない、と主張していることがネットでわかった。</div><div>&nbsp;</div><div>ブッダも親鸞も、前世や死後は正直わからないが、現世で我々が抱えている苦しみ「四諦」で理解でき「八正道」で緩和できるので絶望しなくてもいいよ、ということを論理的合理的に説明している。仏教は宗教というよりもむしろ哲学だと思う。</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/entry-12608141544.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Jul 2020 15:53:41 +0900</pubDate>
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<title>ASD当事者の仏教による救い</title>
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<![CDATA[ <div>癌やインフルエンザは誰が調べても同じ結果を同定できる。しかし、適応障害など精神疾患は、医者によって診断がばらばらで、WAISテスト以外に客観的に発達障害を計測する方法はなく、それって癌やインフルエンザなどの疾患の科学レベルと違い、精神疾患自体が結局科学的に何もわかっていないし再現性もなく、医者の診断にはその医者の主観が多いに働き、それによって患者が振り回される危険性をかなり感じた。</div><div>&nbsp;</div><div>実際、デイケアには様々なパターンで世の中の期待に応えられず不適応を起こした人を大勢見た。仕事のストレスだけでなく、引きこもり、教育ママの管理下の娘さんなどありとあらゆる不適応のケースの方を見た。ある引きこもりの人は9年前まではバリバリ仕事していて部下をうつ病にさせてしまった、という話も聞いた。その人は当初別の精神疾患で入院していたが、つい最近WAISテストを受けて発達障害が原因だ判明したらしい。それって、9年前の別の精神疾患は誤診だったといえ、その方は無駄に不毛な9年間を入院や引きこもりで費やしてしまった。誠に無念な話だと痛感した。</div><div>&nbsp;</div><div>世の中、ケースワーカーや精神科などの言いなりになって、spoilされて自立できなくなってしまった人が一杯いる。こういう過去の精神疾患の誤診で状況を悪化させた方が恐らく全国に何十万人もいるんじゃないかと思う。アメリカでは40年も前から大人の発達障害について研究され知見を得ていたらしいのに、日本の精神医学の怠慢による犠牲者がかなりいるように思えてならない。過去日本人が、水俣病や薬害エイズ、らい病など国や企業の怠慢を正してきた歴史になぞって、全国の発達障害者で誤診によって被害を受けた当事者は、被害者団体を作り、誤診を下した医者や、明らかにアメリカから遅れを取った日本の精神医学の怠慢や失策について、その救済を訴える全国レベルの裁判を起こしてもいいのではないかと、ついASDの僕は憤ってしまう。</div><div>&nbsp;</div><div>僕はそんな犠牲になりたくない。でも一歩間違えたら間違いなく引きこもりになっていたと思う。日本で発達障害がようやく認知された後のタイミングで、昨年生まれて初めて精神科にいったことが本当に幸運だったようだ。</div><div>&nbsp;</div><div>しかし、そのような精神医学の無力を嘆いてもしかたない、と思っていたところに仏の教えを学んだ。</div><div>&nbsp;</div><div>ASDの自分が医療で教わる対症療法（ものは言いよう、や、相手の話をよく聞き取り入れる）を意識するだけではなく、仏教を自分の拠り所にすることで、自分のASDの特性を根こそぎ円い方向に「少し」修正できる可能性が見えた。デイケアや医療ではそこまで踏み込んだケアは敬遠されるが、近代精神医学が無かった時代、古来、苦境に立った人々（これまでの2600年間で累積10億人以上？）が、仏に救いを求めた気持ちが何となくわかってきたような気がする。その証拠が、国内に多数存在するお寺、その檀家、仏壇、「金輪際」「四苦八苦」「言語道断」など我々が話す仏教用語として残っている。精神科で本当に救われた人が何割いるかその成功率はわからないが、ブッダ誕生以来2600年間に仏教で救われた世界中の人々は、精神科で救われた人の累積数をはるかに凌駕するものと思われる。</div><div>&nbsp;</div><div>精神医学の無力を嘆いたり、理不尽な会社の体質に拘っている自分に気付き、その執着や妄想で無駄な時間を過ごす自分がいかに空しくアホらしいか、にだんだん気付いてきたように思う。</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/entry-12608108225.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Jul 2020 13:04:10 +0900</pubDate>
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<title>ASDと仏教</title>
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<![CDATA[ <div>ASDは先天的なもので、デイケアなどでトレーニングに励んでも基本的には治らない、と一般的には言われている。定型発達でも大人になったら自分の性格を変えることは難しい、とよく聞きく。しかし、頑固親父が大病や事故で死にかけて仏のように性格が変わった事例がよくある。高校時代、いわゆる熱血タイプで部活指導に厳しい先生が脳溢血か何かで倒れ、半身不随になり、リハビリを経て戻ってきたら、仏のように人が円くなられたのを思い出した。</div><div>&nbsp;</div><div>人間は、何か大きな試練を経ると変われるんだ、と思う。多分、いまの僕がまさにそのチャンスではないかと。</div><div><br>新型コロナの外出自粛中、じっくり自分と振り返り、自分の特性をまとめ、会社で休職に至る経緯を全部書き出して、仕事のストレスのそれぞれがASDとしてのどの特性に対応するかをまとめた。中には会社の理不尽な体質について行けなくなったことも多々あった。森友事件で証拠隠滅をさせられ自殺した財務省の赤木さんのことも、自分とは関係ないが似たような経験があり、書きながら怒りがこみ上げることもあった。職場のパワハラや不正などのストレスで鬱になった場合、自殺しないと労災認定されないのか、悪いやつらは自殺など気にも留めず人生を謳歌している、といった妄想に明け暮れ、過労自殺の新聞記事を切り抜きしたりもした。会社で休職に至る経緯を２週間かけて完成させた後、こんな自分が情けなくなった。</div><div>&nbsp;</div><div>復職して、障害者手帳を盾にして、合理的配慮をお願いして、それにすがって生きていく、というのもありなのかもしれない。でも世間はそんなに甘くないし、「障害を言い訳にするな」という声が聞こえてくる。いずれ復職した時、「合理的配慮」よりも「復職させてもらった感謝の気持ち」を忘れずに、過去の拘りを捨てて、頂いた仕事に集中する。多分これが自分にとって理想の心構えなんだろう。でも、できるかな、と自問した。</div><div>&nbsp;</div><div>そんな折に、家内が持っていた草薙龍瞬「反応しない練習」という本を読んだ。そして、会社で休職に至るまで躓いた経緯のほとんどは、ひょっとしたら自分の執着であり妄想で、100%でなくともある程度そこから解放できるのではないか？という気になった。</div><div>&nbsp;</div><div>ASDである自分がそもそも適していない仕事を背伸びしてしていた、というのが主治医の見立てだった。でもそれだけでなく、会社の体質に納得いかなかったりついて行けなかった事に固執する自分に気付いた。会社の体質を振りまいている連中は、自分の休職など気にも留めていないだろうし、そこに拘っているのは自分だけで、そんなことに振り回されていることが、いかにアホ臭いか、１日１日経る毎に、自分がだんだん冷めていくような感じになった。</div><div>&nbsp;</div><div>仏教を自分の拠り所にすることで、復職時に、障害者手帳を盾にすることなく、「障害を言い訳に」せず、「復職させてもらった感謝の気持ち」を忘れずに、過去の拘りを捨てて、頂いた仕事に集中する、ことができそうな気がしてきた。</div><div>&nbsp;</div><div>相手の話をよく聞き、相手の意見を受け入れる、この課題は自分のASDの特性を補うために意識しなければいけない、医療サイドから言われている一種の対症療法だ。でもそれだけではなく、仏教を拠り所にすることで、我を捨てれば、自然にできそうな気がする。</div><div>&nbsp;</div><div>もちろんいくら修行を積んでも解脱できないケースがほとんどなのは理解できる。でも医療上の対症療法や問題があった場合の免責に使う手帳だけではなく、仏教を拠り所にすることで、自分自身を円くしなやかに変えることはできるのではないかと思った。</div>
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/entry-12608023539.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Jul 2020 01:19:16 +0900</pubDate>
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<title>デイケアや医療では補えないもの</title>
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<![CDATA[ <div>デイケアに通って、ASDについて心理教育でレクチャーを受けて、自分で自分の特性をまとめたりして、だんだん、いま苦手な状況の中にいる、いま自分がASDの特性をフルスロットルで出して話ている、ということが自覚できるようになった。しかし自覚はできても、事前に予防するまではできなかった。</div><div>&nbsp;</div><div>SSTなどのコミュニケーションのクラスで、この歳になってはじめて、相手に不快を与えずに話すトレーニングも受けた。主治医曰く、自分の受け答えを改善する気持ちを持てば、こういったトレーニングは効果ある、といわれた。この点は、先入観を一切捨てて、素直にコミュニケーションを受けた。</div><div>&nbsp;</div><div>しかしデイケアで教えるコミュニケーションとは、相手に不快を与えない、表面的な作法であって、相手は減点主義なので粗相さえしなければOK、つまり会話の中身には触れない。SSTでは、自分と相手と思惑が衝突する場合、どう折り合いをつけるかというテーマで、つい無意識で我を押し通してしまいがちな自分にとっては、いいトレーニングにはなった。デイケアや主治医からは、相手の話をよく聞き、相手の意見を受け入れる、ことを練習するように言われた。確かにその通りだと思う。相手の話をよく聞き、相手の意見を受け入れる、この課題は自分のASDの特性を補うために意識しなければいけない、一種の対症療法だと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>デイケアに通って９ヶ月経て、ASDに対して医療ができるのは対症療法だけではないか？と感じた。でもいまや障害者手帳を貰った自分にとっては、それ以上のことは望まず、復職できたとしても、職場でまた折り合いがつかなかったら、手帳を見せて免責してもらうしか手段は無い、とほとんど諦めていた。ASDは先天的なもので異常発達した思考を変えるのはトレーニングで努力しても基本的には改善は望めない、と医学では言われていてそれを免責するために手帳を交付します、というスタンスが透けて見える。</div><div>&nbsp;</div><div>新型コロナの外出自粛中、家内が持っていたの草薙龍瞬「反応しない練習」という本を読んで、上記の考えが少し変わった。</div><div>&nbsp;</div><div>まず最初に感じたのは、「反応しない練習」で述べている自分の気持ちの分析などは、認知行動療法で習う認知の再構成法の考え方と酷似していることだった。相手を変えることはできないが、自分の認知や行動をある程度制御することは可能で、理屈上成功する可能性があると言われてる。成功すれば負の連鎖を断ち切ることができる。</div><div>&nbsp;</div><div>次に「慢」という自分の価値観への拘わり、が執着を生み、怒り、憎しみ、苦しみ、絶望に繋がるとあった。これってまるでASDの自分の嫌な部分そのものじゃん、と思った。仏教では執着からの解放を教えているが、自分のASDの特性でもある拘わりや思い込みは、いかにつまらない、アホらしいものか、そんなことに囚われている自分がいかに時間と労力の無駄か、と思い知らされた。</div><div>&nbsp;</div><div>ひょっとして、ASDの自分にとって対症療法にかわる根治療法は仏の教えなのではないか？と感じ始めた。つまり、コミュニケーションとか相手の話をよく聞く、とか表面的に対症療法として意識するだけではなく、仏教を自分の拠り所にして、それを基本として生きていくことで、他人に対してある程度円い人間に自分が変われるのではないかと、思い始めた。</div><div>&nbsp;</div>
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<pubDate>Wed, 01 Jul 2020 01:16:49 +0900</pubDate>
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<title>診察を受けて週末考えたこと</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/amemberentry-12515205364.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Aug 2019 17:57:58 +0900</pubDate>
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<title>メンタルクリニックの診察</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/parmer7700/amemberentry-12515203275.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Aug 2019 13:00:00 +0900</pubDate>
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