<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>IMAGINE!</title>
<link>https://ameblo.jp/pauker/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/pauker/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>忘れてしまいそう。でも大事そうな何か。そんな何かを書き連ねています。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>スポーツ≒音楽!?</title>
<description>
アメンバー限定公開記事です。
</description>
<link>https://ameblo.jp/pauker/amemberentry-11110274074.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Dec 2011 13:02:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死と生</title>
<description>
<![CDATA[ <p>僕の本棚に置いてある、<font size="4">若本俊雄さんによる白鳥の写真集</font>を観た。</p><br><p>24歳で癌で亡くなった人だ。</p><br><p>最後の写真、あさぼらけの空に白鳥が向かっていく写真は、<font size="6">圧倒的</font>だ。</p><br><p>彼の言葉が残されている。</p><br><p><font size="5">「最後の最後で撮れました。神様が撮らせてくれたんや」</font></p><p><br><br><br></p><p>僕は、「生きる」ということを考えるときに、二つの考え方を出発点にする。</p><br><br><p>一つ目は、<br></p><p><font size="5">生きるということは、当たり前ではない</font>ということ。極端な話、僕が明日生きているかどうかも実はわからない。</p><br><br><p>二つ目は、</p><br><p><font size="5">死なないということがイコール生きるということ、ではない</font>ということ。</p><br><p><font size="4"><br></font></p><p><font size="4">人生のどの一場面を切り取っても<font color="#ff0000">充実してたな</font><font color="#000000">っ</font>て思える生き方をしたいと思う。</font></p><p><font size="4">時間を大切に、その中で経験していく<font color="#ff0000">出会い</font>を大切にしたいと思う。</font></p><p><font size="4"><font color="#ff0000">人に優しくありたい</font>と思う。</font></p><p><font size="4"><br></font></p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/pauker/entry-11092090933.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Nov 2011 21:08:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>夜のお祈り</title>
<description>
<![CDATA[ <p>数ヶ月前、</p><br><p>豊島公会堂で、</p><br><p>フンパーディンクのオペラ</p><br><br><p><font size="6">「ヘンゼルとグレーテル」</font></p><br><br><p>の上演があった。</p><br><br><p>僕も、<font size="4">演奏家として参加した。</font></p><p><font size="4"><br></font></p><p><font size="4">パート柄、<font size="5">休符が多い</font>ので、お客さんを観察していた。</font></p><p><font size="4"><br></font></p><br><br><p>日本語公演だったのが良かったのだろうか。</p><br><br><p><font size="5">子供たちは、</font></p><p><font size="5"><br></font></p><p><font size="5">ワクワクとしながらオペラを楽しんでいた。</font></p><br><br><p>新鮮だった。</p><br><br><p>1時間以上あるオペラだ。正直、寝てしまったり、退屈している子が多いのではないかと思っていた。</p><br><br><p><font size="5">ほとんどの子供たちが、最後の最後まで眼を輝かせて観ていた。</font></p><br><br><p>前の方に座ってた親子に眼を向けてみた。</p><br><p>お母さんは、おそらく用事があったのだろう。</p><br><p>まだ演奏の途中だったが、席を立とうとした。</p><br><p>だが、</p><br><p><font size="4">子供が動かない!!</font></p><br><p>「最後まで観て行く!!」といわんばかりに！</p><br><p><font size="4">本当に、嬉しかった。</font></p><p><font size="4"><br></font></p><p><font size="4">目の奥が、熱くなってきた。</font></p><p><font size="4"><br></font></p><p><font size="4">すばらしい経験をした。</font></p><p><font size="4"><br></font></p><br><p>こんな経験をさせてくれた関係者の皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいだ。</p><br><br><br><p>また、すばらしい音楽を作った、<font size="3">フンパーディンクに大きな大きな敬意を抱いた。</font></p><br><p>僕は、本番前の日々、毎朝毎朝、この曲を口ずさみながら通勤していた。</p><br><p>時には美しく、時には躍動感に溢れ、本当に素晴らしい音楽だ。</p><br><p>ちなみに、僕が一番好きな演奏は、</p><br><p><font size="3">スウィトナー指揮、ドレスデンシュターツカペレ</font>の演奏だ。少し古い録音だが、音質が悪いということは決してない。</p><br><br><p>抜粋バージョンなんか、買ったらソン。</p><p>買うなら、全曲入ったこれ！(笑)</p><br><p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000X8EJIS">http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000X8EJIS</a> </p><p><br><br></p><p><br></p><p>オペラを通して僕がとりわけ好きなのが、</p><br><p>第二幕の、眠りの精が歌い、<font size="4">ヘンゼルとグレーテルが眠りにつく</font>シーンだ。</p><br><p>二人は、こう歌う。</p><br><br><p><em>夜になってわたしが眠りにつくと</em></p><p><em>14人の天使が私の周りに立ってくれます。</em></p><p><em>2人はわたしの頭のところに</em></p><p><em>2人はわたしの足のところに</em></p><p><em>2人はわたしの右側に</em></p><p><em>2人はわたしの左側に</em></p><p><em>2人はわたしをかばって眠らせ</em></p><p><em>2人はわたしを目覚めさせ</em></p><p><em>2人はわたしを天国へ</em></p><p><em>導いてくださるのです。</em></p><p><em><br></em></p><p><em><br></em></p><p><font size="5">さあ、僕たちも深い眠りにつこう。</font></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/pauker/entry-11083588318.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Nov 2011 00:17:32 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>共感するということ</title>
<description>
<![CDATA[ <p><font size="4">他の人に起こったことを、あたかも自分のことのように感じること。</font></p><br><p>これを、</p><br><p><font size="6">共感</font>と言う。</p><br><br><p>フランス・ドゥ・ヴァールという動物行動学者によると、この<font size="4">共感するという能力</font>は、</p><br><p><font size="5">人間以外の動物にもあるそうだ。</font></p><br><p>ここでは紹介しないが、『共感の時代へ』という本で、とても楽しい例をいくつも挙げている。</p><br><br><br><p>つまり、<font size="4">他の誰かに共感するということ</font>は、</p><br><p>僕たちが思っているよりも、はるかに<font size="6">動物的・本能的・身体的な行為</font>だというようなことが言われている。</p><br><br><p><font size="5"><font size="3">要するに、</font>頭で考えてどうこうと言うよりも、身体が勝手に反応してしまうものなのだ</font>ということだろう。</p><br><br><p><font size="3">たとえば、隣の人が笑っていれば、それだけで自分も嬉しくなってくる。笑顔になれる。これは、頭で考えてそうしているのではない。身体がそうしている。そういうものなのだ。</font></p><br><br><br><br><br><br><p>ここから逆に言えるのは、</p><br><p><font size="3"><font size="5">自己中心的な考え方やそれに基づいた行動</font>(自分が幸せなら、他の人はどうなってもいいという)は、<font size="5">身体の現象に逆らっていて、身体にとって</font></font><font size="3"><font size="5">喜ばしくない</font>ということだ。</font></p><br><br><p><font size="4">脳で考えた結果の行動は、時として自己中心的になりうる。だから気をつけなければならない。</font></p><p><font size="4"><br></font></p><br><p><font size="6">共感するという能力にしたがって、自分の行動を構成する。</font></p><br><br><p>これは、動物として生きるうえで基本的なことなのだ。無視してはいけない。</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/pauker/entry-11082324456.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Nov 2011 20:04:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>身体に英知が詰まってる</title>
<description>
<![CDATA[ <p>前回は「病は気から」というか、精神(脳)がいかに身体に作用するかということに触れた。</p><br><p>今回は、逆。</p><br><p>身体がいかに脳に作用するかということについての話だ。</p><br><p>ガボール・マテという学者さんによると、</p><br><p><font size="5">身体には英知が詰まっている</font>のだそうだ。</p><br><br><p>僕たちは、それを経験的に知っている。<br><br></p><p>特に楽しいことがあるわけではなくても、<font size="5">ただ笑顔でいる、それだけで何か楽しい気分になる</font>ことがある。</p><br><br><p>また、勉強したいのにやる気が出ない。そんなときは、とにかく手を動かし始めてみる。ファミレスにでも脚を運んでみる。<font size="5">やる気は身体で迎えに行くことが可能だ</font>。初めからやる気があるから勉強するのではないのである。</p><p><br><br>こんなことは、誰でも経験したことがあることだろう。</p><p><br></p><br><p>専門家もこう言う。</p><br><p>「一般的には、「脳」が私達の最高層にあって、身体は脳の支配下にあると思われがちです。しかし、本当のところは逆で、「カラダ」が主導権を握っています。つまり、「脳からカラダへ」ではなくて、「カラダから脳へ」です。」(池谷裕二『のうだま』)</p><p><br></p><br><p><br></p><p>少し観点を変えてみたい。今度は、身体が発するメッセージが健康にとっていかに大切か、という話だ。</p><p>ちょっと難しいが、以下のように考える学者もいる。<br><br></p><p>「病気になる人、特に精神的に苦しんでいる人の住居はたいてい「悪い場所」にある。不動産屋で部屋を探しているときに、駅から近くて、日当たりが良くて、買い物が便利で、家賃が安くて・・・・だけど、「住みたくない家」というのにときどき出会うことがある。どこが気に入らないのかと問い詰められても、うまく答えられない。でも、「何だかいやな感じ」がする。こういう感じは、分かる人には分かるし、分からない人には分からない。」(内田樹『子どもは判ってくれない』)<br></p><p><font size="5">「身体の発信する微弱なメッセージを聴き取ることは私達の生存戦略上、死活的に重要である」(同)</font></p><p><font size="4"><br></font></p><p><font size="4"><br></font></p><p>では、どうするか。</p><br><p>僕は、</p><p><font size="5"><br></font></p><p><font size="5">自分の身体が本当に欲しているのは何かを考えることが第一歩</font>と考えている。具体的には、<font color="#ff0000" size="3">姿勢、音楽、食事、運動、睡眠時間、人間関係、服装(装飾品)、家、仕事など、ライフスタイル全般</font>だ。</p><br><p><font size="4"><br></font></p><p><font size="5"><font size="3">また、おじさんなのに元気。腰痛も肩こりも無い。行動的で、いつまでも若々しい。そんな人はたいてい周りに一人くらいはいるものだ。</font>そんな誰かの振る舞いを参考にしてみる</font>のもいいかもしれない。</p><br><br><p>身体の異常と治癒、治療に関しては、まだまだ考えていることがある。</p><br><p>それはまた今度！</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/pauker/entry-11078163929.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Nov 2011 11:41:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>食べ物について思うこと</title>
<description>
<![CDATA[ <p>放射能問題で、食の危険性が騒がれている。</p><br><p>食について考える。</p><br><p>もちろん、安全で身体に優しいものを食べたほうがいいに決まっている。</p><br><p>しかし、身体に優しいものばかりを食べようと思って、外食するときも「これは大丈夫かな？」「これはどこ産かな？」と、過剰に気にしてビクビクしながら食べていては、</p><br><br><p><font size="5">安全な食品までもが身体を脅かすのではないか？</font></p><br><br><p>と思う。</p><br><br><p>アンドルー・ワイルは、病気について、その要因となるものを、「原因」と「作因」に分けて考える。</p><br><p>「病気の作因はいたるところにある。ウィルス、バクテリア、原虫のみならず、発ガン物質、アレルゲン、昆虫、毒性植物などなど、無数の潜在的刺激物として存在している。相対的に健康という山の局面でしっかりと平衡を保っている人は、そうした作因と相互作用してもめったなことでは発病しない。作因とのかかわり方を決定するのが内部因子である以上、病気の真の原因は内部にあるといわなければならない。内部にあると同時に、それはまた非物質的なものである。」(『人はなぜ治るのか』)</p><br><br><p>ワイルが言うことが正しいのならば、放射能を含んだ食品(作因となりうるもの)を摂取しないように気をつけるのと同じくらい、いや、それ以上に、<font color="#ff0000">自分自身の内部の質をいかに高</font><font color="#000000"><font color="#ff0000">めるか</font>ということも大切だ</font>。</p><br><p><font size="3">つまりビクビクしない。ワクワクする。</font></p><br><p>以下は参考までに。</p><p><br></p><p><a href="http://ameblo.jp/togihideki/theme-10042202355.html">http://ameblo.jp/togihideki/theme-10042202355.html</a> </p><p><br></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">「全員、食べ物と飲み物には最新の注意を払った。サラダも食べない。洗った水が怪しいから。果物も食べない。どんな虫がついていたかわからないから。歯磨きの口すすぎも封を切ったばかりのミネラルウォーターを使う。全員、慎重にそれを守った。</font><font size="2">でも僕だけはそんな注意をひとつも守らなかった。わざわざ地元の人しかいかない定食屋に行ってわけのわからないものを味わったりもした。その都度、好奇心でわくわくしっぱなしだった」</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">「数百人いた僕以外の日本人はことごとく全員、一人残らずひどく腹を壊した。全員熱にうなされた。調べたら、なんと<font color="#ff0000">「赤痢」</font>に感染した人もいて隔離されるに至った。そんな中、僕ひとり、ぴんぴんしていた。みんなは確実に注意を守ったらしい。なぜ？これは答えにはならないかもしれないけれど、僕と、僕以外の違いは、　ただひとつ<font color="#ff0000">ビクビクしていたか、していなかったか</font>。」<br></font></p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/pauker/entry-11077806795.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Nov 2011 22:56:26 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
