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<title>統一原理を愛して</title>
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<description>私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです！！</description>
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<title>尊敬を受けたタンベリー刑務所での収監生活</title>
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<![CDATA[ <font size="3"><br>ダンベリー刑務所にいる時、私は昼食時間にもよく仕事をしました。そのように過ごしているので、刑務所の炊事場の責任者が私の所に来て、「もう昼食の時間ですから、早く食事をしてください。」と声をかけてくれました。人は、そういうものなのです。私が昼食時間や朝食時間を逃してしまうのではないかと、私のところに来ては促して食事をさせてくれ、自分の物をよく分けてくれたりしました。人の良心は監獄でも同じです。そのように生きれば、監獄に行っても友達ができ、私を擁護する人が現れるというのです。皆さんは、このことを忘れてはいけません。これは最も貴い話です。<br>　天からそのように受け取ったので、受けたとおりに、その伝統を伝授しなければならないのです。他のために生きようとする人は滅びません。（そのようにして）滅びの道に進めば、宇宙が保護します。死の道に進めば、反対に命を奪おうとした人が死ぬのです。うまくいかないように思え、滅びるように思え、消えてしまうように思えるのですが、生き残り、栄え、発展するというのです。反対なのです。それは、神様が保護するからです。宇宙が保護するからなのです。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（天一国経典　真の父母経 P806 6、11）<br><br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a></font>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12425502440.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Dec 2018 20:42:01 +0900</pubDate>
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<title>礼拝について</title>
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<![CDATA[ <font size="3"><br>礼拝時間より早く来た分の時間は、神様のために捧げた時間になるので、千金、万金を払っても買えない価値があります。礼拝時間は、神様に捧げる時間なので、その時間に遅れてくるというのは、神様の恩恵をどろぼうすることになるのです。礼拝は、定められた時間に出てきて捧げなければなりません。そうすることにより、その分できなかったことを蕩減もでき、神様のみ前に面目を立てられるのです。そのようになれば、きのうより良い心をもって、神様のみ前に近づいていけるのです。<br><br>　「私は、誰々のために教会に行く」と言ってはいけません。「私は、私の愛する息子、娘のために教会に行く」、「愛する夫のために教会に行く」、「愛する妻のために教会に行く」という人たちは、越えていくことができません。誰のために行くのかといえば、神様のために行くのです。神様を私のものとして所有するために、神様の愛を私の愛として探し出すために、教会に行くのです。<br><br>　　　　　　　（天一国経典　天聖経　第１１編　第２章　第１節　礼拝と祈り）<br><br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a></font>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12425317693.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Dec 2018 22:58:47 +0900</pubDate>
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<title>愛の減少感、嫉妬心。</title>
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<![CDATA[ <font size="3"><br><br>第二章　堕落論　　第四節　人間堕落の結果　　（六）堕落性本性<br><br>「このような堕落性本性が生ずるようになった根本的動機は、天使長がアダムに対する嫉妬心を抱いたところにあった。それでは、善の目的のために創造された天使長から、いかにしてそのような愛に対する嫉妬心が生ずるようになったのであろうか。<span style="color:#FF0000;">元来、天使長にも、創造本性として、欲望と知能とが賦与されていたはずであった。このようにして、天使長は知能をもっていたので、人間に対する神の愛が、自分に注がれるそれよりも大きいということを比較し、識別することができたのであり、またその上に欲望をもっていたから、神からそれ以上に大きい愛を受けたいという思いがあったということは当然なことである。そして、こういう思いは、自動的に嫉妬心を生ぜしめたのである。したがって、このような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり、それはちょうど、光によって生ずる、物体の影のようなものであるといえよう。</span>なぜなら、このような欲望を満たすときに覚える一時的な満足感よりも、その欲望を満たすことによって生ずる自己破滅に対する苦痛の方が、もっと大きいということを実感するようになるので、このような行いをすることができないのである。<br>そして、創造目的を完成した世界は、あたかも一人の人間のように、互いに有機的な関係をもつ組織社会であるから、個体の破滅は、直ちに全体的な破滅を招来するようになる。したがって、全体は個体の破滅を放任することができない。このように、<font color="#FF0000">創造目的を完成した世界においての創造本性から生ずる付随的な欲望は、人間の発展をもたらす要素とはなっても、決して堕落の要因とはなり得ないのである</font>。」<br><br><br>以前も書きましたが、原理講論に書いてあるとおり、嫉妬心は創造本性からくる副産物。個性完成者も感じます。前回は、個性完成者は、親である神様の心情が分かるからこそ、一時の欲望を満たして破滅へ向かうことはしません。親を喜ばす方へ。<br><br>そして、抜粋部分の下の赤い部分に書いている内容から分かるように、創造目的を完成した世界においての創造本性から生ずる付随的な欲望、すなわち、愛の減少感、嫉妬心は、人間の発展をもたらす要素とはなっても、決して堕落の要因とはならない。<br><br>愛の減少感、嫉妬心は、人間の発展をもたらす要素になるのです。愛の減少感、嫉妬心を感じたとき、その感情のまま、うっぷんを晴らすのではなく、その思いをより一層努力する方向へ傾ける。<br>例えば、善の競争。サッカーでレギュラーを取られたら、スパイクに画びょうを入れるのではなく、プレーが上手くなるようにより一層努力して善の競争をする。<br><br><br><br>愛の減少感、嫉妬心を感じた時こそ、チャンスです。<br><br>こういう時こそ、愛し為に生きる事を通して神様を感じることができるチャンスです。善の行動をとるか、悪なる行動をとるかによって通過する心情が異なってきます。<br><br>あなたはどちらを選択しますか？？？<br><br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"></font><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12424845412.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Dec 2018 20:48:04 +0900</pubDate>
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<title>人類が綿々と受け継いだもの・・・・</title>
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<![CDATA[ <font size="3"><br>前回の続きです。<br><br><br>エバは創造目的に背いたことから良心の呵責からくる恐怖心を感じていました。そこで、エバは神様のもとへ戻りたいと。<br><br>エバは結局、恐怖心から逃れたいという思いからアダムを誘惑しました。神様から、取って食べるときっと死ぬだろうと言われていたにもかかわらず。恐怖心から逃れるために相手が死んでもかまわないと。このようにして、アダムとエバは、非原理的な愛、すなわち、相手が死んでも構わないという自己中心的な愛によって堕落してしまいました。<br><br>愛そのものも狂ってしまっているのです。自己中心的で、奪う愛。<br><br><br>では、その後の人類は？？<br><br>人類初めての子供は、アベル・カイン。<br><br>アダムとエバのもとで育ったアベルとカインの結末は？？？<br><br><br><br>カインがアベルを殺してしまいました。自己中心的な愛ので堕落したアダムとエバのもとで育ったアベルとカインは、どこまでアベルはカインを、カインはアベルを愛することができたでしょうか！？。<br><br>人類最初の兄弟殺し。そのような家庭から出発した人類は、非原理的な愛、自己中心的な愛しか知らない。<br><br>そのような私たち・・・・・<br><br><br>自己中心的な愛しか知らない私たちに、真の愛を育んでいける道を与えて下さったのが文鮮明先生、真の御父母様です。<br><br>真の愛を育んでいく道。<br><br>それは・・・・・<br><br>み言を信じて実践！！！<br><br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"></font><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12424299481.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Dec 2018 13:26:26 +0900</pubDate>
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<title>アダムは・・・・・・</title>
<description>
<![CDATA[ <font size="3"><br>昨日の続きです。<br><br><br>エバは創造目的に背いたことから良心の呵責からくる恐怖心を感じていました。そこで、エバは神様のもとへ戻りたいと。<br><br>エバは結局、恐怖心から逃れたいという思いからアダムを誘惑しました。神様から、取って食べるときっと死ぬだろうと言われていたにもかかわらず。恐怖心から逃れるために相手が死んでもかまわないと。このようにして、アダムと相対基準を結んで授受作用していく中で、非原理的な愛、すなわち、私の欲を満たすためなら相手が死んでも構わないという自己中心的な愛によって堕落してしまいました。<br><br>愛そのものも狂ってしまっているのです。自己中心的で、奪う愛。<br><br>エバは犯してはならないことを犯してしまいました。<br><br>エバが悪い・・・・・・・・・・・<br><br><br>では、アダムは？？？？<br><br><br><br><br>第二節 堕落の動機と経路<br> <br>（二）霊的堕落と肉的堕落<br><br>「(2) 肉 的 堕 落<br>アダムとエバは、共に完成して、神を中心とする永遠の夫婦となるべきであった。ところが、エバが未完成期において、天使長と不倫なる血縁関係を結んだのち、再びアダムと夫婦の関係を結んだためにアダムもまた未完成期に堕落してしまったのである。このように、<font color="#FF0000">時ならぬ時にサタンを中心としてアダムとエバとの間に結ばれた夫婦関係は、そのまま肉的堕落となってしまったのである</font>。」<br><br><br>結局、アダムも時ならぬ時にサタンを中心として、エバと結ばれました。神様に取って食べたら死ぬだろうと言われていたにもかかわらず、エバの誘惑にのっていってしまいました。相手が死ぬことが分かっていたならば、エバの誘惑にのらなかったはずです。それでも、誘惑にのっていきました。相手が死んでも構わないと、誘惑にのっていきました。まさに、非原理的ない愛、自己中心的な愛なのです。<br><br><br>エバもエバなら、アダムもアダムでした。<br><br>では、その後の人類は？？？？<br><br><br><br><br>明日に続く。<br><br><br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"></font><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12423435912.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Dec 2018 21:34:54 +0900</pubDate>
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<title>非原理的な愛の力＜肉的堕落＞</title>
<description>
<![CDATA[ <font size="3"><br>昨日の続きです。<br><br>相手が死んでも構わないという自己中心的な愛（非原理的な愛の力）で堕落してしまいました。<br><br><br>原理講論P１１０<br><br>「・・・・・・・・・・・・エバは、今からでも自分の原理的な相対者であるアダムと一体となることにより、再び神の前に立ち、堕落によって生じてきた恐怖心から逃れたいと願うその思いから、アダムを誘惑するようになった。これが、肉的堕落の動機となったのである。<br>・・・・・・・・・・・・<br>だからこそエバは自分を誘惑した天使長と同じ立場で、アダムを誘惑したのである。アダムがルーシェルと同じ立場に立っていたエバと相対基準を造成し、授受作用をすることによって生じた非原理的な愛の力は、アダムをして、創造本然の位置より離脱せしめ、ついに彼らは肉的に不倫なる性関係を結ぶに至ったのである。・・・・・・・・・・」<br><br><br>エバは創造目的に背いたことから良心の呵責からくる恐怖心を感じていました。そこで、エバは神様のもとへ戻りたいと。<br><br>エバは結局、恐怖心から逃れたいという思いからアダムを誘惑しました。神様から、取って食べるときっと死ぬだろうと言われていたにもかかわらず。恐怖心からのが逃れるために相手が死んでもかまわないと。このようにして、アダムと相対基準を結んで授受作用していく中で、非原理的な愛、すなわち、相手が死んでも構わないという自己中心的な愛によって堕落してしまいました。<br><br>愛そのものも狂ってしまっているのです。自己中心的で、奪う愛。<br><br>エバは犯してはならないことを犯してしまいました。<br><br>エバが悪い・・・・・・・・・・・<br><br><br>では、アダムは？？？？<br><br><br>明日に続く。<br><br><br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"></font><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12422416735.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Nov 2018 18:27:16 +0900</pubDate>
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<item>
<title>死を覚悟してまでも・・・・（霊的堕落）</title>
<description>
<![CDATA[ <font size="3"><br>昨日の続きです。<br><br>霊的堕落の原因は、愛の減少感でしょうか？？<br><br>神様は「取って食べると、きっと死ぬだろう」と戒めをアダムとエバに与えました。死ぬと言われたのに、その死をも超えさせたのは、愛の減少感でしょうか？？？<br><br><br>原理講論P１０９<br>(1) 霊 的 堕 落　　から抜粋します。<br><br>「・・・・・<br>　被造世界は、そもそも、神の愛の主管を受けるように創造されている。したがって、愛は被造物の命の根本であり、幸福と理想の要素となるのである。それゆえに、この愛をより多く受ける存在であればあるほど、より一層美しく見えるのである。ゆえに神の僕として創造された天使が、神の子女として創造されたエバに対したとき、彼女が美しく見えたというのも当然のことであった。ましてやエバがルーシェルの誘惑に引かれてくる気配が見えたとき、ルーシェルはエバから一層強い愛の刺激を受けるようになったのである。こうなるともう矢も盾もたまらず、ルーシェルは死を覚悟してまで、より深くエバを誘惑するようになった。このようにして、愛に対する過分の欲望によって自己の位置を離れたルーシェルと、神のように目が開けることを望み、時ならぬ時に、時のものを願ったエバとが（創三・５、６）、互いに相対基準をつくり、授受作用をするようになったため、それによって<font color="#FF0000">非原理的な愛の力</font>は、彼らをして不倫なる霊的性関係を結ぶに至らしめてしまったのである。」<br><br><br><br>取って食べると死ぬと言われたのに、死をも超えさせたもの。<br><br>それは、非原理的な愛の力。<br><br>この非原理的な愛とは、どんな愛でしょうか？？<br><br>とって食べたら死ぬ、これは私だけでなく、相手も死ぬ。私の過分な欲望を埋められるなら、相手が死んでまでもかまわない。なんと自己中心的な愛ではないでしょうか。自分の欲望が満たされるなら相手が死んでも構わないというのは、命懸けの自己中心的だと言わざるおえません。<br><br>この自己中心的な愛によって死をも越えて、堕落してしまいした。<br><br>堕落してサタンの血統になったしまっただけではありません。愛そのものも狂ってしまったのです。<br><br>そして、その後は・・・・・・<br><br>明日に続く！！！<br><br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"></font><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12421930088.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Nov 2018 15:32:15 +0900</pubDate>
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<title>堕落の動機と経路（霊的堕落）</title>
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<![CDATA[ <font size="3"><br><br>原理講論P１０７<br>第二章　堕落論　の冒頭から抜粋をします。<br><br>（二）霊的堕落と肉的堕落<br><br>「神は霊的部分と肉的部分をもって、人間を創造されたがゆえに、堕落においても霊肉両面の堕落が成立した。天使とエバとの血縁関係による堕落が霊的堕落であり、エバとアダムとの血縁関係による堕落が肉的堕落である。」<br><br>神様は人間を霊的部分と肉的部分を創造しました。だから、堕落においても霊的部分と肉的部分があります。<br><br>まずは、霊的堕落について。<br><br><br>原理講論P１０８，１０９<br>(1) 霊 的 堕 落<br><br>「神は天使世界を創造されてから（創一・26）、ルーシェル（明けの明星という意、イザヤ一四・12）に天使長の位を与えられた。それゆえに、あたかもアブラハムがイスラエルの祝福の基となったように、ルーシェルは天使世界の愛の基となり、神の愛を独占するかのような位置にいたのであった。しかし、神がその子女として人間を創造されたのちは、僕として創造されたルーシェルよりも、彼らをより一層愛されたのである。事実上、ルーシェルは、人間が創造される以前においても、以後においても、少しも変わりのない愛を神から受けていたのであるが、神が自分よりもアダムとエバをより一層愛されるのを見たとき、愛に対する一種の減少感を感ずるようになったのである。・・・・・・・・・・・・・・・・<br>このような立場で愛の減少感を感ずるようになったルーシェルは、自分が天使世界において占めていた愛の位置と同一の位置を、人間世界に対してもそのまま保ちたいというところから、エバを誘惑するようになったのである。これがすなわち、霊的堕落の動機であった。」<br><br><br><br>ルーシェルは天使世界において愛の基の位置にいた。愛の基の位置とていう表現はちょっとわかりずらいですかね。<br><br>神様は天使達を愛するとき、天使長を介して愛しました。天使長を介して神様は天使を愛していたので、ルーシェルは神様の愛を独占しているかのような位置にいました。<br><br>そのため、神の子女であるアダムとエバが創造されたとき、ルーシェルは自分以上に愛するその存在が現れたために、一種の愛の減少感を感じたのです。神様は、アダムとエバを創造される以前においても、以後においても、変わらずルーシェルを愛していました。しかし、ルーシェルは、自分以上に愛されているアダムとエバの姿を見たとき、愛に対する一種の減少感を感じたのである。<br><br><br>では、ここで質問です。<br><br><br>霊的堕落はルーシェルとエバの間で生じました。<br><br>この霊的堕落の原因は、愛の減少感でしょうか？？<br><br>神様は「取って食べると、きっと死ぬだろう」と戒めをアダムとエバに与えました。死ぬと言われたのに、その死をも超えさせたのは、愛の減少感でしょうか？？？<br><br><br>明日に続く。<br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"></font><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12421648495.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Nov 2018 10:48:44 +0900</pubDate>
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<title>自分でも知らずに・・・・</title>
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<![CDATA[ <font size="3"><br><br>原理講論P９１<br>第二章　堕落論　の冒頭から抜粋をします。<br><br>「　人間はだれでも悪を退け、善に従おうとする本心の指向性をもっている。しかし、すべての人間は自分も知らずにある悪の力に駆られ、本心が願うところの善を捨てて、願わざる悪を行うようになるのである。このような悪の勢力の中で、人類の罪悪史は綿々と続いてきた。キリスト教ではこの悪の勢力の主体をサタンと呼ぶのである。そして、人間がこのサタンの勢力を清算できないのは、サタンが何であり、またそれがどうしてサタンとなったかという、その正体を知らないからである。それゆえに、人間がこの悪を根こそぎ取り除き、人類の罪悪史を清算して、善の歴史を成就するためには、まず、サタンがサタンとなったその動機と経路、およびその結果を明らかに知らなければならない。つまり、このような問題を解明するために、我々は堕落論を知らなければならないのである。」<br><br><br><br>驚くべきことが書いてあります。まずは、この内容はすべての人間に当てはまりますと。<br><br>では何が？？？<br><br>すべての人間は自分も知らずに・・・・・願わざる悪を行うようになる。<br><br>私たち堕落人間は、全員、知らずに悪の行動をとる。<br><br>周りの兄弟姉妹を見てみてください。知らずに悪を行なっているでしょう！！！やっぱり奴はサタンだ。<br><br>なんて目で見てる私もサタンの申し子。<br><br><br>本当に恐ろしいことです。これでは地上に天国のような、皆が幸せに暮らすことができる世界ができる訳がない。地球がひっくり返ってもそんな世界が出来る訳がないです。<br><br>このような問題を解決するために堕落論を知らなければなりません。<br><br><br>明日に続く。<br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"></font><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a><br>
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<link>https://ameblo.jp/peace-cup/entry-12420563958.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Nov 2018 13:23:06 +0900</pubDate>
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<title>訓読会の生活</title>
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<![CDATA[ <font size="3"><br>これから、訓読会をしなければなりません。本を買って、皆さんがその体制をつくっていかなければなりません。食口がひと所に集まり、訓読会をしなければならないのです。先生は、山に行っても、訓読会の時間になれば、独りでもしています。皆さんも訓読会の時間になれば、寝ていても、起きて訓読会をしなければなりません。<br><br>先生と関係を結んだみ言に通じるようになれば、み言に通じれば通じるほどその精誠の度数が強くなり、愛の心がそこに宿ります。ですから、み言訓読会を毎日のようにしなさいと言うのです。訓読の味が、御飯を食べることよりも、愛することよりもおいしいという人は、無限に発展するでしょう。<br><br>　み言がどれほど貴いかをよく知る人は、先生しかいません。そのみ言がすべて、今まで埋まっていました。そのみ言には、そのときに深刻だった天の心情圏が埋まっています。そのみ言を読み始めれば、昔、感動を受け、関係を結んだ霊人たちがすべて協助するので、相当な恩恵を宿るのです。もう一度このように目を覚まして読むことにより、昔、天が役事を今も同じようにするのですが、その背後では霊界の協助によって何十倍、何百倍、強く役事するというのです。<br><br>                                天一国経典　天聖経　第１１編　第３節 訓読会の生活 P1195<br><br><br><br>クリック、応援よろしくお願いします<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"><br><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン">　　<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif" alt="ダウン"><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842"><img src="//philosophy.blogmura.com/uc/img/uc150_49.gif" width="150" height="49" border="0" alt=""></a><br><a id="&amp;blogmura_banner" href="//philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html?p_cid=00753842">にほんブログ村</a></font>
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<pubDate>Thu, 15 Nov 2018 18:21:38 +0900</pubDate>
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