<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>（peko）のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/peko-001/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/peko-001/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>セカイ</title>
<description>
<![CDATA[ 自分が今いるセカイってのがある。<br>この宇宙とか地球とかそんな大きい話じゃなくても、<br>今働いている所、通っている学校、そんな自分の周りのセカイ。<br><br>そのセカイでは、<br>これしたら引かれるとか、あれ言ったら引かれるとかがあると思う。<br>そのルールは、そのコミュニティによって全然違うんだよね。<br>国の文化の違いとかと一緒。<br><br>例えば僕は松本人志さんが好きなんだけど、<br>松本さんと交遊のある売れているお笑い芸人さんとかって、<br>M性感の風俗に行ってアナルになんかつっこまれたりするのって<br>普通に会話にでたりして一人でも、数人ででも行ったりするんだってね。<br>これって、引かれるセカイじゃあめっちゃ引かれるんだよね。<br>でもあのセカイでは普通なだけで。<br><br>ていう具合に、あるんだよね、セカイによってOKなことNGなことが。<br>でも、ここで考えないといけないのは、<br>仮に上の例で、自分がアナルとか引かれるグループに今いるとして、<br>自分はアナルに興味がある、と、しよう。<br>この場合M性感の風俗に行くかどうするか。<br><br>答えはたぶん二択で、<br>「行かない」って答えと「行って、言わない」って答えがあると思う。<br>これ、良いのは後者だと思うんだ。<br>なぜかというと、前者は、自分自身はもっと広いセカイを持っているのに、<br>周りのセカイのサイズまで自分を縮めてるんだよね。<br><br>まあ、上の例があまりにもアレだけどな。<br><br>でも、あたまの中は自由自在でいるべきで、<br>自分は解放してあげるべきなんだ。<br>その上で、そのセカイごとに言う事言わない事を考えれば良い。<br>もちろん、はんざいはイカンよ。<br><br>そうすることで、自分の周りに新しいセカイができる事もあるだろうし。<br>ね。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/peko-001/entry-11097943553.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Dec 2011 23:10:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>おなきんみたいなもん</title>
<description>
<![CDATA[ ※今回は、もうなんか逆に頭の中のつぶやきをそのまま書き記します。<br><br>さて、<br>・ツイッター<br>・動画系サイト<br>をしばらく禁止にしようかな。<br>ううう。<br>しようかな、どうしようかな。<br>お笑いも見れなくなるのか。。<br>まじか。。。<br>ううん。<br>ツイッターもか。<br>でもたしかにツイッターはやってなくても、<br>ぜんぜん良いんだけど、<br>両方やってる意味ってか理由って、<br>精神安定剤的な感じなんだな。<br>別の精神安定剤を探そうか。<br>それか、精神安定剤ごと一つ上のステージに上がろうか。<br>それとも、精神安定させるのやめようか。<br>むむむ。<br><br>よし。<br>全部まるごと一つ上に上がろう。<br>で、その最下層にいたのが、<br>動画サイトとツイッターなわけだから、<br>置き去りにしよう。<br><br>出力して安定しようかな。<br>何かしらを。<br>インプットが過ぎるぜおいら。<br>まるで、英語の試験問題めっちゃ解けるのにサッパリしゃべれないヤツのようだぜ！！<br><br>ヘヘッ！！<br>やってやるぜ！すでに楽しくなってきた！<br>わくわくしてきた！<br>イエイ！<br><br><br><br>※最後までお読み頂き誠にありがとうございました。<br>僕今こんな感じなんです。またこのブログ宜しくお願い致します。<br>えへへ。<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/peko-001/entry-11097597968.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Dec 2011 17:43:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>しゅちえいしょん</title>
<description>
<![CDATA[ 人間にはいろんな能力がある。<br>それはその場面や時代によっても何の能力が大切かが違うから、<br>重宝する能力もそのシーンによって違う。<br><br>昔、「器量」という能力は人間の大切な能力として当たり前に根づいて、<br>よく会話や、人を褒めたり評価するときにも広く使われていたと、<br>歴史の本を読むと感じられる。<br>読んでいる僕らも、その時代は自然とそういう文脈として理解していて、<br>違和感なく当たり前にそんなシーンを見ても意味が分かる。<br><br>器量とは、からっぽの能力だと思う。<br>それ自体がなにかを達成したりすることはない。<br><br>今の時代は、みんなそれぞれがなにか人に勝る能力を武器に、<br>駆け抜けていかなければ生きて行けない時代なんだろうか。<br><br>器量とは、今の時代には必要のない能力なのだろうか。<br><br>例えば三国志を読んでいると、<br>力が弱く器量に優れる人間が、力が強く器量に劣る人間をまとめているのをみる。<br>これは、家柄や生まれというものもあって、うまくバランスがとられている。<br>今の時代にはそれはない。<br>だから、力が強く器量に劣る人間が力が弱く器量に優れる人間を、<br>まとめてしまっているということはきっとそこら中で起こっていると思う。<br>能力というものは往々にして、劣っているものには優れたものを理解し難い。<br>だから、上記のような上下関係になったとき、<br>これは容易には逆転しないのだ。<br><br>最初に言ったように、器量はからっぽの能力だ。<br>だから器量だけがある人間にはなにがあるのか。<br>シーンによっては、それは、<br>なんにもないのとほとんどおんなじなのだ。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/peko-001/entry-11091073872.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Nov 2011 20:53:34 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>中学生</title>
<description>
<![CDATA[ 中学生のときの同級生で、コイツはなんか違う、とか、<br>すごい、ってやつが一人か二人はなんとなくいたと思う。<br>そいつらは今なにをしてどうなったいるだろうか。<br>あの時のあの輝きのまま、現在も輝いているだろうか。<br><br>僕は公立の中学校だった。<br>当時、中学校を選ぼうなんて思わなかったし、今でも私立がよかったとも思わない。<br>一般的にも普通に公立に行ったひとが多いと思う。<br><br>そこでは、いろんなやつがいた。<br>試験なく入れるから、こんなやつが多いとかいう傾向は、<br>土地柄以外にはほとんどない。<br>そういうところでも輝いていたやつはいた。<br>ただスポーツができた、勉強ができた、とかではない。<br>なんかチガウヤツ。<br><br>僕は今になって思う。<br>あんときテストの点が良かったやつが社会に出て輝くんじゃない。<br>スポーツもしかり。<br>だけど、こうも思う。<br>スポーツでインターハイにいったとか、<br>頭のいい有名大学に入ったやつは、<br>なんか楽しいやつの確率が高い。<br>でもそれでも、<br>なんかチガウヤツばっかってわけでは全然ない。<br><br>なにが大切なのか。<br>それは、生きていく上で、<br>どこかでなにかのきっかけで、<br>自分の「なんのために」を持っているヤツ。<br>それが、なんかチガウヤツの正体じゃないかと思う。<br><br>それは、「お金持ち持ちになるために」とかじゃない。<br>そりゃ確かに羨ましいし、みんなから羨ましがられて気持ち良さそう。<br>なれるもんならなりたい。<br>でも、その人を外から見てる僕らは、意識はしてないけど<br>その人の生き方が格好いいかどうかを<br>なんとなく心の中では分かっていて、別に格好よくはない、ってわかってる。<br>お金持ちっていうのはそれ自体が意味のある事ではないし、<br>死んだら何も残らない。<br>それがなんとなく無意識のなかでわかってるから、<br>金持ち＝なんかチガウヤツ、でもないし、<br>「お金持ち持ちになるために」って意思を持ってるやつもちがう。<br><br>お金には、入り口と出口がある。<br>いかに手元にお金を増やすか、これは入り口。<br>入ってきたお金を「なんのために」どう使うか。<br>これが出口。<br><br>入ってきたお金を、<br>「何のために」の意志を持って使うヤツは格好いい。<br>例えば、孫正義さん。<br>2011/3/11の大震災の後、復興するのにものすごいお金がかかるのは分かる、<br>この日本で自分はお金を多く持ってる人間だ。<br>だからこの先自分の一生分の給料を大震災の復興のために使う。<br>この意思決定は格好いい。<br>この意思決定の背景には、孫正義さんの、<br>自分は「なんのために」生きるのか、<br>という確固たる意思があるからできたことだ。<br>決して思いつきではない。<br><br>中学の時から、<br>なんとなく小さくでも「なんのために」を持ってるヤツがいた気がする。<br>もちろん中学の時にそんな話をしたことはないし、<br>そんなこと当人も意識はしていなかったと思う。<br>だから、勉強ができたやつ、スポーツができたやつ、が、<br>今輝いているやつではないんだ。<br><br>人間の価値の本当の根幹は、<br>「なんのために」に現れてくるんじゃないかと思う。<br>だからもっともっと考えるべきなんだ。<br>自分は「何のために」この命を使うのか。と。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/peko-001/entry-11089733775.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Nov 2011 14:19:36 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
