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<title>pestbolduca1978のブログ</title>
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<title>行きたい所に行ける幸せと感謝の心</title>
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<![CDATA[ 今年の２月までほぼ寝たきりだったから約２時間かけて鶯谷へ行ってしかも約４時間のスタンディングライブ安定剤を飲みながら吐き癖しながらと言えアンコール前まで盛り上がっていたのだよ途中、意識朦朧と３回程なるが耐える約３時間半はスタンディングだもん休みながら普通の生活してますよ随分な回復じゃない中学時代の友達にもっと自分を褒めて欲しいとメールもらいましたGENKI SESSIONの皆さんスタッフさん本当に夢の様な時間を有難うございましたそして行きたい所に行ける幸せ実感してますここまで回復が出来た事に感謝してます御本尊様と旦那とお父さんに支えてくださる皆さんに改めて感謝してます本当に有難うございます～飲んでる薬まとめ～参考おくすり１１０番Android携帯からの投稿☆～お年頃主婦のんびり独り言～☆...
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<link>https://ameblo.jp/pestbolduca1978/entry-12032045835.html</link>
<pubDate>Thu, 28 May 2015 12:00:06 +0900</pubDate>
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<title>[艦これ]艦これ１４年秋イベ編 その１「E-１特攻開始！」</title>
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<![CDATA[ ども、先発組みの皆さんが攻略早すぎると思うケイシOです。夜勤から帰ってきて、まとめあんてなを見てみたら攻略情報がずらっと並んでるし。今回のイベントがぬるいだけですか？そんなことないよね？さて、始まりました１４年秋イベ。やはりE-4までだそうで。というかもうクリアしてる人がいるそうでｗ早いわー。とりあえず分かった事は、E-3の戦力だけ残しとけばいいのね。前回の夏イベより資材貯めたし完全クリア頑張ろー！あ艦これ様の情報をもとに特攻開始です。いつもご苦労様です。上２回下３回。下行ったほうがほとんど無傷で終わりましたね。Eマス軽空２戦艦２編成で初見絶望感ありましたが、陣形のせいかカスダメばっか。しかしながら那珂ちゃんがクリティカルもらい大破撤退１。E-1のメンツ。適当に少々レベルが低い艦を寄せ集めただけという。イベ前に育てた摩耶様とナチを早速投入。第二艦隊。駆逐は適当に改二艦の寄せ集め。潮にいたっては近代化改修も終わってないｗ潮といえばレベル６０で改二にいけたそうですね。そして新ボイスにニヤッとする。駆逐艦の装備は10cm高角砲×2に持ってる２２号電探適当に。行った感想としては結構簡単で安心＋少々残念？資材消費が激しいだけで６－２よりも簡単ですかね。前回イベの１面が難しすぎたとの声も。ウチは初イベが前回のだったからな・・・。身構えて損しました。まぁ、まだE-1。E-2が駆逐艦主体みたいなのでこっちが本番か。５回出撃、一回大破撤退。支援なし。ﾌﾌﾌ、ぬるい。開始１時間足らずで終了。最後削りの時にT字不利ひいてヤバイと思ったものの夕張のカットインで旗艦撃破。しかし資材全然減ってないじゃないですか・・・。海上護衛２回、北方鼠１回帰ってきてるとはいえねぇ。Oh...１－５で掘ってたのは夕張のレベル上げもかねてだから良しとしとこう。S勝利３、A勝利１。明石、霧島、榛名、隼鷹。E-2は駆逐メインか・・・。バケツぶっかけ祭りにならなければいいけど。今日はココまで、お疲れ様でした～(*￣▽￣)ﾉ~~押してくれたら喜びます∩( ´∀｀)∩ﾄﾞｳｿﾞ (っ´∀｀)っ))ﾖﾛｼｸ艦隊これくしょん ブログランキングへkeiのオタ雑記～艦これハマリ中～...
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<pubDate>Fri, 12 Dec 2014 15:35:51 +0900</pubDate>
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<title>血文阿弥陀如来石塔と谷保天満宮を見てきました</title>
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<![CDATA[ 20日の月曜日、国立市にある血文阿弥陀如来石塔と谷保天満宮を見に行ってきました。血文阿弥陀如来石塔とは、鎌倉武士で法然上人の弟子になった津戸三郎為守が割腹自殺をしたときに、その血で手紙をしたため、阿弥陀如来の胎内に納めた伝承から作られた石塔です。その阿弥陀如来像は法然上人作と伝わり、谷保天満宮の別当寺、安楽寺というお寺に安置されていましたが、そのお寺が廃寺となった際に仏像そのものは谷保天満宮に改めて安置されたとのこと。そこで、その阿弥陀如来像を慕って谷保天満宮の近くの坊に石塔が建てられたそうです。石塔には、「津戸三郎為守血文之阿弥陀如来法然上人作」と刻まれています。1778年の造立。谷保天満宮から徒歩5分くらいの住宅街の墓地にひっそりと建っています。法然上人の弟子には鎌倉武士も多いのですが、津戸三郎為守もその一人。関東に下ってからも教えを請うため京都の法然上人にたびたび手紙を出す熱心な信者でした。そしていくつか残された手紙から当時の関東における浄土宗の受容のされ方がうかがえて興味深い史料になっています。当時、関東では、「津戸三郎為守は教養のない無智の者だから法然は誰でもできる口称念仏を教えたのだ。教養があって智恵のある人にはもっと奥深い方法を教えていたに違いない」という流言が広がっていました。知識の無い人に簡単な行を教え、知識のある人にはもっと難しい行を教えていた・・・。親鸞聖人が息子善鸞を義絶した事件の経緯と根本で通じていますよね。それだけ「口で南無阿弥陀仏と称えるだけで往生する」という専修念仏の教えが常識を覆す前代未聞の「易行」だったことが分かります。素直に信じることができず、疑心暗鬼となった人々が、都から遠く離れた関東の地で頼るすべもなく「本当はもっと深い教えがあるに違いない」と疑念を抱くのは当然のことだったのかもしれません。津戸三郎為守もこの流言に動揺して京都の法然上人に何度も手紙を出しているのです。それに対する法然上人の手紙は、他の手紙と異なって珍しく語調が激しく、信仰を邪魔したり信仰の異なる人への接し方にも言及しています。「無智の人に念仏を教え、知識のある人には念仏以外の方法も教えているとはとんでもない間違いです。そのわけは、念仏の行は、智恵ある者智恵なき者にかぎらず、また阿弥陀仏が昔お誓いになった本願も、あまねくすべての人のためだからです。無智の者のために念仏往生の願を立て、智恵ある者にはなにか他の深遠な修業を、阿弥陀仏が往生の条件とされたことはありません」「そのような妄言を言いふらしている者は、かえって気の毒な人なのです。そんな妄言に心を乱して、お念仏に疑いを抱いたり不審を起すのなら、その程度の言うに足りない人間だと言うべきでしょう。阿弥陀仏との縁が浅く、それによって往生できる機縁が熟していない人は、阿弥陀仏の本願を聞いても信ぜず、他人がお念仏をしているのを見て腹を立て、怒りを抱いてこれを邪魔しようとするのです」「しかしながら、お念仏を信じない人を諭したり、お念仏の教えを強要したりしてはいけません。別の道を学び、別の考えを持つ人は、その人を恭敬こそすれ、悲しめたり侮ってはいけません」ナイーブな問題に対して毅然と立場を示しています。そして「阿弥陀仏の平等の慈悲」を中心に語り、「強要してはならない」と念を押す当たりに確固たる信念と、合理性を持ち合わせていると感じます。津戸三郎為守も何度か手紙をやり取りするうちに疑いは消えたようです。長々と津戸三郎為守について書いてしまいました。そもそもなぜ津戸三郎為守と法然上人に縁のある阿弥陀如来や石塔が谷保天満宮と関係があるかと言うと・・・。菅原道真が太宰府に流されたときに、その子どもが谷保に流され、そこに道真の像を祀ったことが谷保天満宮の始まりなのですが、その子孫は代々津戸姓を名乗るようになり、道真の子から数えて七代目にあたる津戸三郎為守も谷保天満宮を守り、存命中に現在の地に遷座しています。つまり、津戸三郎為守は谷保天満宮の祭神である菅原道真の子孫なのです。そして、彼が谷保天満宮を遷座・再興した際に、法然上人作と伝わる阿弥陀如来を別当寺の本尊として安置したのでしょう。谷保天満宮（菅原道真）・津戸三郎為守・法然上人・血文阿弥陀如来石塔と話がつながってきました。画像は石塔に彫られた阿弥陀如来。そして谷保天満宮所有で、法然上人作と伝わり、津戸三郎為守の血文が納められている阿弥陀如来がこちら。その谷保天満宮。御祭神は先ほど述べた菅原道真です。学業の神様ですね。この谷保天満宮は東日本最古の天満宮であり、亀戸天神社・湯島天満宮と並んで関東三大天神と呼ばれるそうです。もう学業に励むことはない自分ですが、ここはしっかりとお参りします。神楽殿。高さがあり、建物全体に見るものを威圧するかのような緊張感が感じられました。こういう雰囲気は好きです。菅原道真が亡くなった時、牛車の牛が悲しみ動かなくなったといういわれから、拝殿入口に大きな座牛の像があります。場所柄、学問の神様にお願いするのは一橋大学や都立国立高校の受験生が多いのでしょうね。今までの不勉強の懺悔という意味で手を合わせました。以上、血文阿弥陀如来石塔の話が長いレポになってしまいました。家から電車で30分とかからない場所ですし、なんと言っても法然上人にゆかりのある史跡もあります。菅原道真、津戸三郎為守と時代の異なる歴史上の人物にも触れることができます。石塔とともに再度じっくりと訪れてみたいですね。光あるうち光の中を...
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<pubDate>Sun, 07 Dec 2014 21:00:18 +0900</pubDate>
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