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<title>weidenのブログ</title>
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<title>季節は進み</title>
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<![CDATA[ 日々の忙しさにかまけていたら、６月も半ばに入りかけていた。寒い季節、天候がよろしくない時は、ともかく病気にならないことが最優先課題になる。注意やエネルギーの多くを体調維持にそそぐせいだろうか。生きる楽しみも幾分減るような気がする。温暖な風土で育ったやわな人間にとって、冬が長くて、寒暖の差の激しい土地での生活はなかなかハードである。しかし、いくら何でもそろそろ暖かくなるだろうと思うのだが、いかがなものだろう。1ヶ月前に植えたナスやシソの種、どうなったかとやきもきしていたが、太陽が顔を出して少し暖かくなったら、いそいそと芽を出して来た。ぜひその調子でがんばってほしい。アサガオの種も植えたはずなのだが、そちらの方はどうやら行方不明のままである。残念。<br>ところで、クスの木が、菩提樹の親戚だと昨日偶然知った。大学時代、図書館の前庭にクスの大木があって、この時期に花を咲かせていたような気がする。よい香りだったというより、ちょっと甘ったるい重い匂いだったような気がするのだが、今となっては確かめようがない。随分かいでいない香りといえば、キンモクセイや沈丁花もそう。それから最初の大家さんの垣根に咲き誇っていたバラ。大家さん亡き今、どうなっているだろう。今はバラの季節である。<br><br>
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<pubDate>Tue, 11 Jun 2013 15:58:16 +0900</pubDate>
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<title>旅立ち</title>
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<![CDATA[ まるで冬に舞い戻ったかと思った週末だが、今朝はふたたび雲ひとつない青空。ひさしぶりの日差しが目にまぶしい。暦でも寒の戻りだったようだ。昔の人の智恵はあなどれない。そんな週末に祖母がとうとう逝った。100の大台を超えて５年与えられた命の最後の一滴まで生き抜いた。本当にすごいと思う。娘に伝えたら、「かなしくて泣くことしかできない」と言って泣いていた。祖母のために泣いてくれてありがとう。慈愛に満ちた祖母とは言いがたい人だったが、祖母が手ほどきしてくれたものが今でも役立っている。何はともあれ、ありがとうと言いたい。一週間ほど前に、神様から天国行きのきっぷを約束されたと母に言っていたそうだ。安心して旅立ったのだろうか。
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<pubDate>Tue, 14 May 2013 17:09:55 +0900</pubDate>
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<title>栗は栗でも</title>
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<![CDATA[ トチノキを知っていますか。トチノキが校章の学校に通っていた私だが、実物を目にしたのはもっと後のこと。大学のゼミ室から見える大木がトチノキだと知ったのはいつのことだったろうか。それは西洋トチノキと言われる種類で、新緑の頃になるとクリーム色や赤の花をたんまり咲かせる。白い花の場合、無数のろうそくをつけたクリスマスツリーのような風体になる。若葉も、最初は赤ちゃんの手のようなのが、日増しに大きくなり、最後はてんぐのうちわのようにふてぶてしくなる。街路樹として見かけることの多い木だが、秋になるとクリによく似た実がたくさんなる。子供が幼い頃、帰り道で拾っては持ち帰ってくれたこの実、残念ながら食べられない。いや、食べられないことはないらしいが、それまでの手順がおそろしく大変そうだ。そういう訳でおままごとや工作の材料として重宝するくらいである。実はご近所に、食用のクリの木が生えている。ただ、気候のせいだろうか、まるまるした栗にはならず、初秋になると、青々したイガごと、ぼとりぼとり落ちてくる。その頃は栗拾いのおばさんがいたりしてなかなか楽しい。父曰く、家の庭に大人がやっとひとかかえできるような栗の大樹が何本かあり、秋になると栗を盗みに近所のこどもがやってきたそうだ。そんな幼い頃へのノスタルジーだろうか、孫のためにと実のなる木を好んで庭に植えた父である。父が選んだのは、さくらんぼやリンゴなど。やたら大きくなる割には実という実をつけることもなく、そして老いた父の手に負えなくなったそれらの木はいつしか庭から姿を消した。今の子供にとって、庭のなる果物などおもしろくも何ともなかったのも、父にとっておもしろくない理由のひとつだったことだろう。
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<pubDate>Fri, 10 May 2013 22:54:28 +0900</pubDate>
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<title>週のはじまり</title>
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<![CDATA[ 週のはじまりはいつもあわただしい。幼い頃、毛虫やらハチやら虫の大軍に襲われる悪夢をよく見たが、今朝はその夢のパターンが復活。かぶと虫のような昆虫が手のひらを這う感触が今もくっきり残っている。目覚まし音で起こされ、現実の世界にもどれてほっとする。今週はイレギュラーな予定がいくつか入り、気分的に落ち着かない。毎日のように予定が入っていると安堵する人もいれば、反対に予定が入って不安になる人もいる。私は明らかに後者である。子供の頃、おけいこごとが嫌だったのも、決まった曜日の決まった時間、きまったところに行かねばならないのが苦痛だったからだ。それは今も変わらない。<br>子供を見ていても、生まれながらの素質やら性格やらがあるように思う。親のしつけや学校の教育、社会からの影響はどこまで人間は変わるのか。自分の場合から思うに、本質的な部分はあまり変化していないようだ。これではいけないと思い、自分で（むなしく）努力している部分はあるにせよ、苦手なものは昔から苦手。その一方で、長所を伸ばすほうはあまりむずかしくなさそうに見える。<br>閑話休題。<br>窓辺に蘭を数鉢置いているのだが、ここのところよく花を咲かせてくれる。日のあたり具合がよいらしい。すでに枯れた花枝を切らずにそのままにしておくとよいと聞き、実践しているが、それもきっとよいのだろう。今週は窓辺のプランターに種まきの予定。
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<pubDate>Mon, 06 May 2013 19:20:59 +0900</pubDate>
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<title>さて、</title>
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<![CDATA[ さて、怒濤のように押し寄せる春の営みはとどまることを知らない。先週末は桜が満開、そしてここ数日はライラックの花が匂い立ち、木々の葉も日ごとに大きく色鮮やかに変化している。もう少し<br>おだやかに、ゆっくりと春をたのしみたいと思うが、自然の歩みにあらがうのは無理というもの。昨日の雨と風ですっかり散った桜の花びらをながめながらそう思うのだった。くったくなく澄み渡った青い空に緑が映え、どこまでも心が広がって行くような気持ちだ。今日は日曜日。
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<pubDate>Sun, 05 May 2013 20:59:51 +0900</pubDate>
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<title>別れはいつの間にかやってきて、</title>
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<![CDATA[ 今朝、南側の窓から中庭を見てふと違和感を感じ、もう一度じっくりと覗き込んで驚愕した。<br>わたしの柳の木がなくなっている！目をこすりもう一度眺めたが、あるべきところにない。<br>今の住まいが気に入ったおおきな理由のひとつが、あの柳の木だった。長い長い冬が終わる頃、<br>まっさきに芽吹いた枝をそよがせ、春の訪れをそっと知らせてくれたあの木。そよそよと枝をなびかせて、幾度となく私をなぐさめてくれた、かけがえのない友人。「やわらかに柳あおめる北上の．．」という啄木のうた、それなのに、今年はなぜかいつもばたばたしていて、横目で眺めていただけだった。じっくりと新緑の美しい姿をみることは一度もなかった。悔やんでも悔やみきれない。<br>一日中そのことを思い出しては悲しくなった。今晩は、木を悼むことにしよう。柳は、私が好きな木のひとつ。その中でもこの柳は私にとって特別な存在だったのだ。失った今、そのことを実感する。<br>私が好きだったあの眺めはもうない。
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<link>https://ameblo.jp/peter-mayr-strasse4/entry-11519705099.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Apr 2013 04:05:38 +0900</pubDate>
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