<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>Takaのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/philosomofu/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/philosomofu/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>哲学研究者の雑記帖</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>哲学とアニメ？</title>
<description>
<![CDATA[ <p>早くも３つ目の投稿ですが、色々な書簡などを晒していこうという計画は儚くも（研究している本以外を読みたくないという理由から）崩れ去りました。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は数か月前に失恋をして以降かなりのペース（一日平均１クール程度）でアニメを見続けていますが、やはりその中で哲学的な内容のものもちょっとあるわけです。個人的に驚いたのは、「まおゆう魔王勇者」です。そもそもこの監督の高橋丈夫という方が担当している作品は面白いものが多いのですが、まおゆうはキリスト教神学的な内容も含まれておりなかなか興味深い、</p><p>&nbsp;</p><p>私がおすすめするとすれば、やはり９話、異端として捕まったものが演説によって民衆の心を動かすところがあるのですが、何とこのシーンは演説だけで10分くらいあり、しかも内容はかなり濃密です。</p><p>&nbsp;</p><p>この演説では、自由がテーマとなります。自分が何かを決める時、他人が決めているから決めるのか、自分の意志で決めるのかが大きな違いを生む。そして自分の意志で決めることが出来る自由を神は与えたのだ、と演説は始まります。ここの「自由」は「<span style="font-weight:bold;">罪を犯す自由</span>」というのも含まれているのですが、それは神学的には「自らの意志で正しい行いを理性によって判断し実践できる」ことに価値を見いだすためです。</p><p>&nbsp;</p><p>よってここで演説している従者も次のように言います。（パラフレーズしますが）「<span style="font-weight:bold;">私に石を投げても構わない。</span>あなた方にも家族があり生活があるだろう。しかしもし石を投げる時、それは自分の意志で判断しなければならず、他人に命じられたから投げるのであればそれは虫と変わらない。」</p><p>&nbsp;</p><p>ここで民衆は熱狂するのですが、注意すべきは、ここで神を直観し自らを運命に投げ入れている従者と、その<span style="font-weight:bold;">自己犠牲の姿に陶酔している民衆</span>とは異なるものだということです。彼らは神の感じ方が本質的に異なるのであり、民衆は従者自身に神を見いだすのです。よってこの「まおゆう魔王勇者」では従者は聖人として扱われることになるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>荒々しいですが、こんな感じでアニメに堅苦しい解説を加えてみました。</p><p>アニメというのも、実はその意味を読み取ろうとすることで簡単に哲学の議論と結びつけることが出来ます。</p><p>それは、哲学が現実の世界における経験に基づいたものであるからにほかならず、その経験を何処までも下って行きながら、議論によって積み上げていくものだからです。普通に見たらめんどくさいでしょうが(笑)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/philosomofu/entry-12414253313.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Oct 2018 00:50:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>夏休みの日記を読む(I)</title>
<description>
<![CDATA[ <p>自分が子供の頃の夏休みの日記などを読むのは小恥ずかしいものでしょうが、残念ながら有名になってしまった哲学者というものは、日記も手紙もほぼすべて発掘されては全集に入れられてしまうという哀しい運命にあります。</p><p>&nbsp;</p><p>今回取り上げるのは、「和辻哲郎(1889-1960)」という哲学者です。</p><p>この人は哲学というより倫理や美学と言った方がよい気もしますが、非常にいろいろな作品を残しています。そして彼が有名なのはとにかく文章が上手いこと。</p><p>今日はそんな中でも、明治37年（和辻は15歳）の夏休みの日記をいくつか取り上げてみたいと思います。</p><p>※（）内は日にち。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">7/28 嬉しき日よ、楽しき日よ、前途に横はるは大なる花園なり。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">7/30 大雷雨！烈しかりし、恐ろしかりし、午後の空はげに。</span></p><p>&nbsp;</p><p>ここはとてもリズムがいいのですが、実は8月,9月あたりはちょっとばかしインテリ感があったり長かったりするので省きました。その点、翌年からのほうが気持ちが素直に出ているのですが、そこらへんはまた今度にしましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、和辻は他にこんなものも書いていました。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">8/24,25 午前は我も事務の人也。事務！さなり、事務、さながら進歩せざる三十年前の。</span></p><p>&nbsp;</p><p>どんだけ事務がめんどうなんでしょうね。明治37年から見ても古臭い作業をさせられていたのでしょうか、激高しながら作業していると思うと笑えてきます。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">8,20,21 休暇の半も過ぎたりとの感、激しく襲い来ぬ、いそしまむ、いそしまむ、計画の半は未だ成らず</span></p><p>&nbsp;</p><p>少々順番は前後します。まず驚きなのが当時の夏休みの長さです。日記を見る限りは7/27-9/11は少なくとも夏休みのようなので、およそ45日間程度でしょうか。ゆとり世代であっても信じがたいですね。。そして和辻も「いそしまむ、いそしまむ」と焦燥感を表しています。どんな予定を立てていたのかは謎ですが、時間があったからこそいろいろとすることがあるのでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>夏休みの終わりごろはやはりちょっと寂しくなりますね。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">9/9 雨降る、兄去る、淋しき日なり。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">9/10 淋しき日なり、さなり、殆（ほとん）ど何事も手に着かず。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">9/11 手に着かず、殆ど、寂しみを愈(いや)する読書、そも又淋しいかな、</span></p><p>&nbsp;</p><p>兄がかえって淋しいし、それを紛らわすための読書も淋しいというものです。何だか相手が女性なら和歌にでもなりそうな風景ですね(笑)</p><p>&nbsp;</p><p>何かを失ったときに、穴がポッカリ空いたようだといいますが、本来は自分は身一つで生まれてきたのですから「失う」ということは原理的に不可能なはずなのです。それでも我々は何かを失うことが出来、それは我々の一部になるのです。私たちはしばしば失った悲しみを感じがちですが、その前には必ず何かを得たということ、その「得た」ということを喜べるようになりたいものです。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/philosomofu/entry-12414209339.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Oct 2018 21:29:35 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>はじめに</title>
<description>
<![CDATA[ 人生で初めてのブログというものをはじめます。<div><br></div><div>私は普段哲学を研究していますが、いかんせん哲学というと「何やってるのか分からない」「何かどうでもいいことをグダグダ議論して自己満してる」「社会性がない」といったイメージをお持ちではないでしょうか。</div><div><br></div><div>確かに色々と変わった方もいらっしゃいますが、有名な哲学者といえど、皆当然ながら人間ですので日常的な生活というものもありました。そしてその中には、皆さんと同じように日常的なことで悩んだり喜んだりという姿があるのです。</div><div><br></div><div>当ブログでは、一部の哲学者の書簡や日記などを抜粋して、彼らのそんな日々の姿をお伝えしていきます。</div><div><br></div><div>こんなブログで、皆様のふとした日常の癒しになれれば幸いです。</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/philosomofu/entry-12413109602.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Oct 2018 02:28:03 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
