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<title>takeshi gのブログ</title>
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<title>欧州の思い出１２</title>
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<![CDATA[ <p>長々と続けてきた旅の思い出だが、この稿でペンを置くこととしよう</p><p>&nbsp;</p><p>マダムは何かと僕のことを気にかけてくれていた。</p><p>まあ、僕以外の男女が一組になってしまったからなおさらだったのかもしれない。</p><p>ある日、「明日は朝市に行くわよ！」と誘ってくれた。一緒に家を出て、メトロに乗って駅を降りて向かった先にその朝市はあったが、朝早くから大勢の人で大変な賑わいだった。</p><p>その時の様子を写真に収めていたので貼っておこう。もしかしたらここに写っているのがマダムかもしれない。</p><p>とするともう６０は超えてるね。あ～　そうだった、だから彼氏が来ることに驚きがあったんだった。何歳になろうと恋をしているんだね。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170429/21/phoebe820/64/f1/j/o3167228713925061542.jpg"><img alt="" height="303" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170429/21/phoebe820/64/f1/j/o3167228713925061542.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>もう一つ、ちょっと驚いたのは、僕が日本に帰る日のことだ。</p><p>支度を整え、マダムに挨拶をすると、マダムは大きな目に涙を浮かべていたんだ。</p><p>僕は、まさかそんな風になるとは思ってなかったから、なんかとても嬉しかった。</p><p>慈悲に満ちた彼女の涙は雫となり、たちまちのうちにパリ２０区に愛情の湖を湛えてしまうかのようだった。</p><p>メトロに乗った後も僕はしばらく彼女の涙のことを思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>僕の方は彼女に、お世話になったお礼にお手玉をプレゼントした。日本を発つ前にたまたま、おばあちゃんが作ったからと実家から送られてきた本物のお手玉だ。彼女はとても喜んでくれていた。</p><p>&nbsp;</p><p>マダム、元気かな。もしまた逢えたら僕のこと覚えてくれてるかな。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12270143878.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Apr 2017 21:52:46 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出１１</title>
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<![CDATA[ <p>またまたとりとめのない話を書こう。</p><p>&nbsp;</p><p>そこそこの目抜き通りで、よくありがちなレストランに入って食事をとった時の話だ。</p><p>確か、ランチ時か昼下がりのことだったと思う。</p><p>通りに面した部分は開放的で、３間から４間ほどの間口に十分な奥行きのある店構えだった。</p><p>なぜその店を選んだのか分からない、通りのメニューを見て決めたのか、外観から決めたのか、もはや分かりようもない。</p><p>何を注文したのかもまったく分からない。</p><p>ただ、記憶にあるのは、フランス料理と聞いて通常思い浮かべるような夜のマジな食事でなく、昼時のちょっとした食事にもかかわらず、ゆったりと時間が流れていたことだ。</p><p>水がでてきて、、、　パンがでてきて　、、、 、 、　前菜がでてきて　、、、 、　、　、　、　、　　メインディッシュがでてきて　　、　　、　　、　　　、　　　、　　　　　といった具合だ。</p><p>空間を楽しみ、会話を楽しみながら、食事を楽しむのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>では、そのときの僕のように一人のときはどうしたらいいのだろう。</p><p>答えは簡単だ。それ（答え）は常に現場にあるものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>テラス席と言ってもいいような席に彼は座っていた。</p><p>いや、座るというより、足を前に放り出すように組み、椅子に深々と身を預けてリラックスしているといったほうが正解だろう。</p><p>&nbsp;</p><p>サングラス越しに通りを眺めながら、食事を楽しみ、店員の給仕の邪魔にならない程度に会話を楽しみながら、、、</p><p>&nbsp;</p><p>そんな彼を眺めながら、僕はふと、通りの出店に店員がいないことに気付いた。その店はちょっとしたキオスク程度の品揃えの店だ。</p><p>&nbsp;</p><p>ここまで来てピンときただろう。そう、彼はその店の店主なのだ。</p><p>客が足を止めるとほんの数メートル先の自分の店までおもむき、売り上げを立てるとまたゆっくりと帰ってきて食事の続きを始める。</p><p>&nbsp;</p><p>おや、また観光客が足を止めたようだ ． ． ． 　　そう、観光大国フランスのパリのそこそこの目抜き通りだからこそ成せる技なのかもしれない。</p><p>いや、でもそうかな。僕が彼の立場だったら商売中にそんなことできないなあ。</p><p>&nbsp;</p><p>いや、待てよ。日本でも酒屋さんや個人商店は店と居間がつながっていて食事をとりながらでも接客できる造りだったな。</p><p>いやいや、それは商売がメインという真面目さが表れてるものだから</p><p>寧ろサングラスの彼とは真逆だな。</p><p>&nbsp;</p><p>いやいやいいんだよそんなこと。とにかく彼はこのスタイルでこれがとても自然なんだから。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、とにかく当時の僕にこういう生き方もあるんだなあって思わせるものがあったわけさ。いまだに印象に残ってるんだから　笑</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170401/22/phoebe820/b6/14/j/o3156218813903769549.jpg"><img alt="" height="291" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170401/22/phoebe820/b6/14/j/o3156218813903769549.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>本分とは全く関係ないポンピドゥーセンター　</p><p>ここの図書館でよく勉強してたな。ソフィーマルソーのL'etudianteでも使ってるね。</p><p>&nbsp;</p><p>Au revoir！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12261746136.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Apr 2017 22:58:39 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出１０</title>
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<![CDATA[ <p>またとりとめのない話を書こう</p><p>&nbsp;</p><p>パリでは自販機を見たこ ． ． ．&nbsp; 　ごめん、それは前回の内容だった。</p><p>今回はTGVの話だ。</p><p>TGVとは、言わずと知れたフランスの高速列車のことだ。小学生の頃に学校の壁ニュースに貼ってあったが、その時の僕の感想は生意気にも「ほー生意気だな」といったところだった（笑）</p><p>田んぼの中にある小学校の近くを新幹線が毎日忙しそうに通過してる環境だったから、自然と「我が誇りの新幹線」となっていたのだろう。まあ、それ以外にも、フランスは日本車に高い関税をかけて輸入を阻害しているとか、科学技術大国を標榜してるとかといったことは耳にしていたし、長らく世界第二位の経済大国で科学技術においても米と１、２位を争っていた日本に住む僕からすると、農業大国というイメージしかなかったフランスに対して「はあ？」といった感じだったのだろう（ま、どうでもいい話だ　笑）。</p><p>&nbsp;</p><p>パリからTGVに乗るのに、行き先に何か目的が必要ということで、ベルサイユ宮殿をからめて行ったはずだ。</p><p>頼りにならない記憶にあるのは、地平線が見えるくらいの一面の小麦畑の中を進んでいったというイメージだ。</p><p>&nbsp;</p><p>客車内には電光掲示板があって今現在のスピードが表示されていた。そして、新幹線の営業速度以上のスピードが表示されている時にたまたま通りかかった車掌に「これが今のスピード？」と聞くと、満面の笑みで「ウィー」と答えていた。</p><p>その車掌さんは見た目、田舎でオーバーオールでも着て農業をやってそうな感じの人の良さそうなおじさんだったが、ウィーと言う時にややおどけた感じに胸を張り、なんだかとても嬉しそうだった。</p><p>ああ、このTGVのことを、我が祖国のことを愛しているんだなあというのが、なんかいい感じに伝わってきたのだ。</p><p>もし、彼がただの業務中ですからといったスタイルや或いは高慢ちきな態度だったら、僕の記憶にはそのシーンのかけらも残らなかったことだろう。</p><p>いや、逆に人差し指と小指を立てた右手を高々と掲げ、野太い声でウィーと雄叫びを上げていたらそれはそれで強烈な記憶が残っ ． ． ．て、 それはスタンハンセンやないかーい。</p><p>&nbsp;</p><p>ベルサイユ宮殿については、真っ平らで広大な農地の中にぽつんとあるんだなあというのと、ベッドが意外に小さいんだなあというのだけなんとなく覚えてる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/b3/20/j/o3120416013887830227.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/b3/20/j/o3120416013887830227.jpg" width="420"></a></p><p>何かないのかと探したら茶封筒の中に入ってた。TGVはルマンまで乗ったんだね。</p><p>オペラ・ガル二エでは紳士淑女が集まっていて、大人のこういうのはカッコイイなあって感じたな。何を観たか全く思い出せないが、終わった後も皆さんゆっくりと時間を過ごす、というか楽しんでいた。</p><p>今の僕なら SEIKO JAZZか、松本隆さんを楽しみたいね。</p><p>&nbsp;</p><p>Au&nbsp; revoir！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12259578468.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Mar 2017 17:40:12 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出９</title>
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<![CDATA[ <p>とりとめのない話を書こう</p><p>&nbsp;</p><p>パリでは自販機を見た記憶がついぞ無い・・・と言いたいところだが、何事にも例外があるように実は一つだけ見たことがある。</p><p>夜、ある劇場にオペラを観に行った時のことだ。その劇場の前方は公道ごと比較的大きな広場になっており、そのかなり目立つ場所に自販機がひとつだけあったのだ。</p><p>ステージ上で脚光を浴びながらプリマドンナが一人立つように。</p><p>もちろん、僕の視線はその自販機の放つ光に吸い寄せられた。</p><p>&nbsp;</p><p>一歩一歩近づくに連れ、そのBOXは次第に自らの詳細を明らかにし始めるわけだが、ジョージアコーヒーやファンタオレンジのようなジュース類ではないことは確かだった。かといってアルコール類でもない。</p><p>やがてその全容がはっきりと見て取れる位置まで来ると、なんとそこに並んでいたのは誇り高きチョコレートバーだったのだ。</p><p>およそ１０種類ほどの彼らを眺めるうちに、僕はその片隅に馴染みの顔があることに気付いた。</p><p>彼の名はスニッカーズ、そう　お腹がすいたらスニッカーズだ。スキーに行くときには必ずコンビニで一個二個買っておいてウエアーのポケットに忍ばせておくやつだ。</p><p>彼のチョコバーとしての重量感は相当のもので、コンビニの棚のチョコレート群の中でも彼以上にずっしりとくる奴はまずないだろう。もちろん当時の日本におけるチョコレートバーの中では彼は間違いなく主役級だった。</p><p>それなのに、ここパリでは右下の隅の方に１フェイスで肩身が狭そうにしていたのだ。</p><p>翻ってゴールデンラインに意気揚々と陣取っていたのはMarsたちだった。</p><p>以前に、欧米人ではスニッカーズなんかじゃ物足りない、もっとキャラメルっぽいこってりねっちょりしたやつじゃないとだめだと聞いたことがあったが、この広場にそびえたつ自販機の棚割にもその欧米観がものの見事に演出されていたわけだ。</p><p>だがまてよ、、、Marsはアメリカのメーカーだったな。まあ、日本でもその数年前から盛んにCM流してたからここでも頑張って営業してたんだろ（笑）</p><p>しかし、できたらもっとフランスにちなんだものを書くように気をつけよう。</p><p>&nbsp;</p><p>Au&nbsp; revoir！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12257437642.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Mar 2017 11:01:52 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出８</title>
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<![CDATA[ <p>語学学校は一クラス50～60人くらいだったが、なぜかそこで仲良くなれる人がいなかった。</p><p>記憶にあるのは、ブルックシールズをさらに艶やかにしたようなオーストラリアの女の子が妙にゴールドコーストちっくで見てるだけで気が引けてしまったことや、カップスターのCMにでてきそうなゲルマン系の美しいドイツの女性が妙に大人びていてこれまた気が引けてしまったことぐらいだろうか。日本の女の子も一人いたがちょっと距離を置いてしまっていた。</p><p>自分の席の前後左右にも、なんとなく「やあ」となるような気が合う人がいなかったな。</p><p>1ヶ月という期間の中で、この中から親睦を深めていくのはちょっと難しかった。</p><p>あるいは、負け惜しみを言えばLA BOUMの主題歌にあるような　I feel something special about youな子がいなかったからかもしれない。</p><p>でもよくよく考えると、みんな他国からフランス語を学びに来てるわけだから、このクラスには地元のフランス人はいなかったわけだね。</p><p>あとは先生の女性がNAF NAFのトレーナーにジーンズで随分ラフな格好なんだなと感じたことくらいだったかな。</p><p>でも少なくともこの学校を基本として生活を送っていくことになったわけだ。</p><p>授業が終わったあと、街をふらついていると例のドイツの女性が同じように一人、街を散策しているのに出会ったことがあった。彼女は袋にたくさん入った細いニンジンをかじりながら歩いていた。ここでもお互い「あ、（＾＾」とはなったがそれ以上はなかった。</p><p>今となってみると、せっかくホームステイしてるんだからマダムにもっと甘えて、フランス語を教えてもらって、さらにフランスの女の子を紹介してもらうなどすればよかったのにと感じる（笑）</p><p>あ、大学の第二外国語は仏語を選択していたし、NHKのフランス語会話を毎日聞いてたりしてたのだが、全くダメだったな。まあ、そもそも英語もおぼつかない状態だったし．．．</p><p>一度、ソルボンヌ大学の学食にいったことがあるが、留学していた日本の綺麗なお姉さんがいて（中尊寺ゆつこさんの漫画にでてきそうな超イケイケのお姉さん）、「やっだーたけし君、そのコートについてるのな～に～？はなみずみたーい！ぎゃはははー」と笑われたことがあったが、「いやー綺麗な女の人にはかなわないなー」などと思ったものさ（笑）</p><p>そのコートというのは、2～3月という寒い時期に東欧を旅することもあり、その時自分が持ってた防寒着で一番暖かそうなダッフルコートの隙間をなくすためにマジックテープをボンドでとめてたのだが、そのボンドが剝がれたしまった跡のことを指摘されたのだ。</p><p>彼女は男性陣にちやほやされて思いっきりエンジョイしてる感じだったな。</p><p>よく言われることだが、日本の女の子は可愛いから海外でもてるね。例えば、聖子ちゃんのような可愛らしさは日本人にしか求めることができないと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>ここはパリ、男は常に女性を追い求め、告白して愛をささやく街だ。</p><p>男の興味関心は女性に対してしかないといっても過言ではないだろう。</p><p>翻って女性はどうかといえば、ただ可愛いだけでいいのだ。男が一生懸命求愛してくる。</p><p>&nbsp;</p><p>僕はそのすべてにおいて積極性が不足していたわけだ。</p><p>なんなら街角で出会ったその瞬間にボードレールの詩の一編や二編をすらすらっと諳んじられるくらいじゃなければいけない。</p><p>もし、今の僕から当時の僕に話しかけることができるなら、フランスの女の子と恋をするためにもっと真剣にフランス語を勉強しろと言ってあげたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/e0/dc/j/o3307221813887829891.jpg"><img alt="" height="282" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/e0/dc/j/o3307221813887829891.jpg" width="420"></a></p><p>通学途中に、いかにもパリという雰囲気だなと思って撮ったんだろう。</p><p>歴史を大切にする街並みの中で駐車場など無いのだろう。そしてこのバイクに乗ってる姿も含め、LA BOUMの世界そのものだなと感じたんだろうなあ。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/02/13/j/o2463351813887829820.jpg"><img alt="" height="600" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/02/13/j/o2463351813887829820.jpg" width="420"></a></p><p>この広告塔のようなものも、日本なら格好いいイメージで使われるのだろうが、ここは本場だからね（笑）</p><p>車の停め方がやはりパリなんだね。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/52/42/j/o3159218113887829608.jpg"><img alt="" height="290" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/52/42/j/o3159218113887829608.jpg" width="420"></a></p><p>自販機もなければコンビニもないわけだからね。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/9f/51/j/o3362234913887829781.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/9f/51/j/o3362234913887829781.jpg" width="420"></a></p><p>落ち着いた雰囲気だね。歴史の重みも手伝っているのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/00/dc/j/o2974224513887829882.jpg"><img alt="" height="317" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/08/phoebe820/00/dc/j/o2974224513887829882.jpg" width="420"></a></p><p>メトロのホームから撮ったもの。糸井さんが載ってる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ではまた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12255620469.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Mar 2017 10:50:40 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出７</title>
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<![CDATA[ <div>東欧の旅を終えてパリに入ってからのことを書こうと思うが、どうしてもためらいが出てしまう。</div><div>なぜなら、日記等の記録がないからだ。</div><div>つまり、何度となくあっけにとらされた自分の記憶の曖昧さに思いっきり頼らざるを得ないわけだ。</div><div>それと、一言でいえばパリでの生活は惨敗だ。それについては追い追い述べていくこととしよう。</div><div>&nbsp;</div><div>二度目となるパリでは、人々の生活にもっと触れたいという欲から、ホームステイしながら語学学校に１ヶ月短期留学するという形をとった。</div><div>大学生協にあった張り紙かパンフで申し込んだ記憶がある。</div><div>ホームステイ先は元モデルの独身マダムの家だった。家といっても一軒家ではなく、石造りのアパートのような建物のある区画を縦に１階から３階まで所有してるような造りだ。</div><div>マダムは美貌の持ち主でそのまま映画に出てもいいんじゃないかと思うような女性だった。</div><div>その家には同じ語学学校に通う生徒が他に２人いたのだが、なぜかあまり交流した記憶がない。たしか白人の男の子とアジア系の女の子だったが、二人ができてしまっていてちょっと遠慮してたような気がする。</div><div>&nbsp;</div><div>マダムは年の頃なら４０代後半から５０代くらい、今でもこんなに美しいのになぜ結婚をしてないのかなどと野暮なことを考えてはいけない。</div><div>なんたってここはフランスはパリだ。</div><div>彼女のところへはやはり５０代以降の教授のような風貌のおじさんが毎週末に遊びに来ていた。おじさんなどと言っては失礼だったね。つまりこのムッシュは彼女の恋人だ。</div><div>彼がくると食事はみんなで一緒にとった。</div><div>あ、そうだ、その前に日々の食事について書いておこう。</div><div>透明なガラスで仕切られたバスルームのついてる勉強部屋にいると、下の階から階段越しに「オ～　ララ～　Take～shi～♪　〇※？△＋・・・」と陽気な声が聞こえてきて、その声に誘われ降りていくと、真ん中に果物が盛り合わせてある円形のテーブルに僕たち３人とマダムの分の食器がセットされている。着席すると、笑顔のマダムの手によって、前菜から順においしそうな料理がでてくるんだ。といっても、僕たちだけが食べてるのではなくて、マダムも着席して一緒に食べて、一つの料理が終わるとその食器をさっと片付け、次の料理を並べてはまた一緒に食べるという感じだ。そして、最後は必ず真ん中のフルーツのどれかを手に取り、ナイフで皮をむき、人数分に分けていただくんだ。一つを食べ終わるとさらにまた一つを手に取り、、、という風にね。</div><div>&nbsp;</div><div>で、件の彼氏が来ているとどうなるかというと、こういう感じだ。</div><div>彼氏「〇※△？ΣΠＺ÷ΦΔθΨ@Σ・・・・・・・・・・・・・・」</div><div>マダム（相槌をうちながら彼のほうをずーっと見て笑ったり驚いたり）</div><div>彼氏（しゃべりながらようやく料理にナイフをいれフォークで口もとへ運ぶ）</div><div>マダム「〇※△？ΣΠＺ÷ΦΔθ・・・・・・・・・・・・・・」</div><div>彼氏（料理をほおばる前に）「〇※△？ΣΠＺ÷ΦΔθ・・・・・・・・・・・・・・」フォークはまた皿の上あたりに戻されたまま</div><div>マダム（さっと一口料理を口にいれ）「〇※△？ΣΠＺ÷ΦΔθ・・・・・・・・・・・・・・」</div><div>彼氏（ようやく先ほどの料理を口にいれ、間髪いれずに）「〇※△？ΣΠＺ÷ΦΔθ・・・・・・・・・・・・・・」</div><div>僕らは話しの内容も分からず、愛想笑いをしながら食べてるだけ。</div><div>&nbsp;</div><div>さすが、カフェをサロンのように会話を楽しみ、サルトル、ボーヴォワールを輩出したお国柄だね。</div><div>&nbsp;</div><div>ではまた。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12249041451.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Feb 2017 19:54:41 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出６</title>
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<![CDATA[ <p>久しぶり！では、ブダペストの続きから書いていこう。</p><p>&nbsp;</p><p>3/4（宿泊都市 ブダペスト）　今日はいつものごとく日本人バックパッカーと観光地めぐりをしたが、途中でchange moneyをしようとして昨日ドルをだましとられた奴らしき奴にあった。まあ、やっぱりドルを取り返すことなんてことはできなかったが、その代わりむこうずねを思いっきり蹴とばしてやったぜハハハ（←ほんとかよ？）</p><p>夜はフォアグラとトカイワインで気持ちよくなった後、ミュージカルSingin' in the Rainを観た。マジャール語で何がなんだかさっぱり分からなかったがすごくよかった。ミュージカルは楽しくていいね。</p><p>&nbsp;</p><p>3/5（宿泊都市&nbsp;ブダペスト）&nbsp;今日はとても楽しかった。車中は昨日の連れと一緒にいたが大したこともなく、夕方ルーマニアに行くのにドルがないことに気付き、おーやべーというところから始まり、ドルを円と交換してくれるという人が現れたので、その人と3万円と190ドルを交換した。その後、その人の連れ達と食事をしたがすんげえー面白かった。ファミリーの店で食った。早稲田のお兄さんと一緒に笑い転げた。飯のあとは有志でゲレルトの丘に夜景を見に登った。すんげえーきれいだった。</p><p>&nbsp;</p><p>　―　当方、この辺の記憶は全くない。前回の温泉も。そこでパラパラ日記帳をめくってたら後ろの方に住所録の頁があって住所交換をした方々が載ってたが、それを見ていてなんとなく感覚を思い出した。この円と交換してくれた方は日本人でファミリーの店では男女5名ほどで食事をしていたんだね。皆さん元気かな。（＾＾</p><p>ってことは、と思って米旅行のものも見てみたら、あーこっちは国際色豊かな住所録となっていた。帰りに寄ったハワイでナンパした女の子のも笑、そういえば同じ京都だったから日本でもその後遊んだなあ。</p><p>最初に、１回生の夏に足を踏み入れたイタリアでは、ミラノあたりでpost cardを見てた同志社の女の子と仲良くなってやっぱり日本で一緒によく遊んだし、そういえば米旅行でもドナの宿で一緒だった同志社の女の子を西海岸ではややボディガード代わりにエスコートしてあげたりしてた。なんでこんなことを書くかと言うと、一応、米、欧州ともにサブテーマがあってそこに軌道修正をするための伏線的なものなのさ 笑。　あ、それと日記帳でワインがでてきたので、ワインを飲みながら書き進めることにするよ。―</p><p>&nbsp;</p><p>3/6（車中泊）　今日はまず切符を買った。ブダペスト ― ブカレスト ― ティミショアラ ― ベオグラード ― パリが約2万円だった。カードで払った。床屋（600円）で髪を切ってもらったが忙しそうな奴が担当であまり上手くなかった。なお、ブダで一番よいと思われる宿泊場所は（と地図が書いてある）。</p><p>&nbsp;</p><p>3/7（車中泊）　昼頃、ブカレストに着いた。それほど危険さは感じなかった。でも、今までみた中で一番みすぼらしい街並みだった。町が荒廃しているという感じ。荷物預かり所に荷物を預けるのが危ないということで、インターコンチにでも預けようとそこに行こうとしたが分からず、途中で紳士に会い、連れてってもらった。が、インターコンチでは預かっても保証できないという。そこでホテル内のレストランのコートとかを預かるところに預けた。戦いの跡はそれほど残ってなかった。弾痕があったりするだけ。だが、なんとか広場にいくと目茶苦茶に壊れた大学があった。大学生が案内してくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>―　ルーマニアは共産主義の独裁者に対する革命で武力衝突があった場所だ。いわば、この東欧旅行における目的の一つからするとクライマックスにさしかかったわけだ。―</p><p>&nbsp;</p><p>3/8（宿泊都市 ティミショアラ）　朝、駅に着くとまず目につくのはジプシーの集団。街は茶色一色。ものすごくさびれてる。中央広場に行くと花束があちこちにかざってあった。中央公園にはモニュメントが建っていた。ホテルの人に、虐殺された人々が埋葬されてる場所まで連れてってもらった。女の人が来ていて手を組んだまま泣いていた。男友達がやはり殺されたそうだ。21才だったそうだ。墓には写真がかざられていて痛々しかった。駅の前にホテルNORDがあるが、朝早くでいっぱいと言われた。そこで駅前の通りを駅に向かって右側、つまりブカレスト側へとバスで3分も乗ってると街の中心へと出る。バス亭で2つめ。</p><p>ルーマニア人に「ヤーパン、ヤーパン」といってつきまとわれて参った。写真と住所を要求されたので書いてあげた。日本人がよっぽど珍しいらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>―　日記帳にないのだが、確かルーマニアの列車内で日本人の女の子が現地の男につきまとわれて困っていたので、そこからしばらく一緒にいてあげて助けてあげた記憶がある。</p><p>え？代わりに私が送り狼的にならなかったかって？　いや、彼女の貞操は守られた。なぜかといえば、それはそのえーと、、、　つまりそういうことだからだ。笑 ―　</p><p>&nbsp;</p><p>3/9（宿泊都市 ベオグラードの駅）　今、ベオグラードの公園からドナウ川を見下ろしてる。日は静かに暮れようとしている。たった20日間だったが、東欧六か国における僕の旅は今日でようやく終わりを告げた。駅に着くと荷物を預け、両替をし、宿をとり、地球の歩き方とinformationでもらった地図を手にして市内探検にでる。</p><p>たったこれだけのプロセスをこなす間に様々な空気に出会った。様々な人々、様々な風景、様々な生活、つらく、苦しく、うれしく、楽しく ・・・、様々な感情と共に。</p><p>みんなで騒ぎながら過ごした夜もあれば、二人丘の上からドナウの夜景をながめた夜もあった。皆で楽しくとった食事もあれば、一人公園でパンをかじったこともあった。</p><p>異国、それも東欧をまわるというだけあって旅の間は「てめえらに食われてたまるか」と少々つっぱっていたけれど、人々の温かい心に触れるうちにいつしかそれもとれ、今になってこうやって静かに思い返していると、何かとても素直な気持ちになれる。僕は今、この貴重な経験を与えてくれたすべての厚意に対してありがとうといいたい。　1990．3．9</p><p>&nbsp;</p><p>BARでビールを飲んだら、となりのおじさんが話しかけてくれてビール2本おごってくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>― さて、筆者はここで、我が記憶のあまりの曖昧さに唖然とすることになる。記憶では1回生の夏に知り合いのツアーに乗りイタリアに入り、その後パリを経て、ドイツフランクフルト駅で合流（ここでキャスター付きバッグを置いたままトイレに入り見事盗られている 笑）する旅行をしたのち、3回生になる春休みにこの旅をしたと思っていたが、実際はその半年後の2回生になる春休みだったのだ。1990．3．9がそれを教えてくれた。</p><p>確かこの旅は後述のパリの分も含めて50万円の予算で行ったはずだから、約半年でそれだけの金を貯めたんだなあ。まあ、様々なバイトをしたし、なんといっても下宿代が安かったからな 笑。―</p><p>&nbsp;</p><p>3/10（車中泊）　ベオグラードの駅で寝た。途中で待合室にそうじの野郎（←おいおい、昨夜の感想は 笑）が入ってきて追い出されたので近くのカフェに行った。今、パリ行の列車の中にいる。席には座れず21時間　ひぇー。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ここで、この日記帳は終わっている。</p><p>では、何枚かの写真を載せておこう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>どこの国か忘れたが、別に工場で出荷を待つ車の列を撮ったわけじゃない。ごくごく普通の街角の駐車場で撮ったものだ。</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170108/20/phoebe820/a1/c9/j/o3564250613840970738.jpg"><img width="420" height="295" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170108/20/phoebe820/a1/c9/j/o3564250613840970738.jpg"></a></p><p>つまり、国民車だ。選択の余地は無い。こういう姿もまた、共産主義の象徴といえよう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170108/20/phoebe820/b8/ab/j/o3766245713840971490.jpg"><img width="420" height="274" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170108/20/phoebe820/b8/ab/j/o3766245713840971490.jpg"></a></p><p>あー、これは東ベルリンのマルクスエンゲルス広場だね。</p><p>京都は学生の街だけあって、古都の姿を保存する一方で、革新的な風潮をもつ都市でもあるね。京大では革マル派が張り付けにされてたりなんてこともあったな。民青主体の立命では僕は法学部だったしあまり関わらなかったけど、経済学部の先輩は、ある教授の試験はとにかくマルクスを書いておけば及第点をくれるなんて言ってたな　笑。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170108/20/phoebe820/45/3e/j/o3468245613840972454.jpg"><img width="420" height="297" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170108/20/phoebe820/45/3e/j/o3468245613840972454.jpg"></a></p><p>さあ、これは多分、ドナウ川の風景だ。僕は、高校の時に世界史をとってなかったし、あまり歴史に興味関心がなかったからせっかく欧州を旅していながら歴史的建造物になんの興味も示さなかったけど、こういうのは撮ってたわけだ。</p><p>古代～中世～近世～近代～現代と、王国や帝国の興亡、教会の台頭、封建制度や絶対王政、革命、戦争、、、欧州の長い長い歴史をたゆまぬ流れにのせてただただ眺めてきたんだね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>聖なる夜も　きっと</p><p>静かにたたずむ君</p><p>僕に話してほしい</p><p>悲しみも　喜びも</p><p>君の気の向くままに</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ではまた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12236258615.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Jan 2017 21:21:34 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出５</title>
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<![CDATA[ <p>とは言ってみたものの、今、ブダペストにいるのだがすんげー寒くてとても野原で寝転ぶどころじゃない。そこで温泉に入って湯に浮かびながら空を見上げることにした。そこはちゃんとした何とか風の建物に囲まれたところで、ただし水着着用、湯はぬるま湯、もちろん天井はなく、時折雪が降るくらい寒かったのだが、久々に広々したところでゆっくりできるので2時間も入ってしまった。でもって、実をいうと3人くらいのホモのおじさんにつけまわされてしまったのだ。言っとくけどここはハンガリーだぜ⁉どこにでもホモはいるもんだなと感心させられたよ。</p><p>&nbsp;</p><p>あっ、失礼。日記帳がこのようにはじまっていたもので・・・。ということでなるべく余計な編集をせずにいつものように転記で。</p><p>&nbsp;</p><p>まあとにかく、今日は何かといろいろあった日だった。夜行列車の中で朝早くから向かいに座ってたレゲエ風の2人連れにステーキとパンとビールを無理矢理食わされたのに始まり、パスポートチェックに来たチェコのおやじに余った金をexchangeしたいと聞いたところ、そのレゲエの彼がハンガリーに着いたら銀行まで連れてってやると言い出して、実際銀行に着いたのはいいがexchangeしてくれなくて、とそこへヤミ両替の好青年がいておいしい話を吹っかけてくるのだが、レゲエの彼が危ないから気をつけろとばかりにそいつをshut outしようとする。でもはっきり言って俺はそいつと両替したかった。そこでその好青年と英語で話し込んでいると英語の分からないレゲエは住所交換をしてからチャオと言って去っていった。</p><p>そしてそのルーマニアン好青年との話はヤミ両替にとどまらずどんどんふくれ、１時間も話した後、おいしい両替をしてから住所交換をして写真をとって別れたが、別れ際にFUJI FILMを売らされた。よく考えると日本人の俺が街頭で日本製フィルムのたたき売りをすればかなりいい値で売れるんじゃないかという気がした。</p><p>それから宿をとるために斡旋所を探してると初老の紳士が～（このくだり長いので割愛）。</p><p>斡旋所ではたまたま来てた民宿のおばあちゃんと話がまとまった。</p><p>その後、街でヤミ両替に今度は騙され、どこかの窓口で苦労させられたくだりがあり以下に続く。</p><p>ったく東側ってのは概してこうだ。とにかく窓口がぶっきらぼう。それで頭にきてこの野郎という態度にでるとさっさと向こうにいっちまう。それから街全体に今ひとつ活気がなくなんとなく鉛色が立ちこめてる感じがする。でも一人一人に注目してみると実はかなり活気があり、特に若者はどこにいても威勢がよく、街の人々は窓口と違って非常に親切だ。ぶっきらぼうな窓口に対してこっちの味方になってくれる（もしかしたらこれも社会主義国が当初の理念とは別のところに行き着いてしまったところの社会構造における風景の一端に触れられてるのかもしれませんね）。それと皆かなり勤勉で列車の中で超分厚い本の１ページ目から読み始める。中にはエスカレーターに乗ってから読み始める人もいる。それと、ここハンガリーってのは他の東欧諸国と比較してかなり進んでる。チェコのようにエスカレーターの本体と手すりの速度が違って寄りかかってるとだんだん前のめりになってしまうこともない。それから、ワルシャワの若者は皆すごいおしゃれだ。東側のパリっ子といってもいいくらいだと思う。</p><p>などとどうでもいいようなことをいろいろと書いてきたが、これを書いてる間も宿のおばあちゃんが部屋に入ってきちゃあ何か言って俺の頭を撫でていく。おそらく孫のように思えるのだろう。（また一部割愛）と、ここまで書いたところでまたおばあちゃんが入ってきてもう寝るか？と電気を消そうとしているのでこれで寝ることにします、おやすみ。</p><p>&nbsp;</p><p>この宿、なんとなく覚えてるのだが、6人分くらいのベッドがあったが、この日泊まったのは僕だけだったのがちょっと残念に感じていた。イメージでは、ドストエフスキーの罪と罰にでてきそうな宿だった（もちろんこのイメージも読みながら勝手に想像していただけのものだが 笑）。</p><p>それとちょっと？な出来事があって、夜中に隣の居間兼台所の部屋からおばあさんが誰かと争うような声が聞こえて次に僕の部屋にきて「Help me、Help me」とすがるようにしてきた。僕は何事かと思いながらも、これは助けなきゃいけないと意を決して隣室に入ると下着姿の若い男が一人椅子に座って向こうの方をむいてる。おばあさんも下着姿で「ザトル マイサン、ザトル マイサン」と言うので？と思いながらも、確かに息子なんだねと確認をしてからほっとして部屋に戻ると、またさっきのような声がして「Help me」と入ってくる。こんなのが3回も続いたかな。ますます彼の小説のようだね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さてここまできて、さんざん日記帳がでてくるが、というより日記帳の転記になってるのでその日記帳そのものの写真を載せておこう。</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161218/11/phoebe820/c0/03/j/o3120416013823849908.jpg"><img width="420" height="560" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161218/11/phoebe820/c0/03/j/o3120416013823849908.jpg"></a></p><p>&nbsp;</p><p>どうしても向きが変えられない 笑。　緑のは米旅行時、開いてるのは今回の欧州のものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>当時の写真を探していて気付いたのだが、20年以上前の写真を束のままフジカラーの袋にいれてあるのだが、<span style="font-size:1.96em;">色褪せてない</span><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161218/11/phoebe820/99/75/j/o4160312013823850627.jpg"><img width="420" height="315" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161218/11/phoebe820/99/75/j/o4160312013823850627.jpg"></a></p><p>こんな感じだ。</p><p>写ってるのは米アルカトラズ島で脱獄できずに途方に暮れてる筆者 笑。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>いや、東欧のことを書いてるのだからこれも載せておこう</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161218/11/phoebe820/e9/0e/j/o3599254813823851031.jpg"><img width="420" height="297" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161218/11/phoebe820/e9/0e/j/o3599254813823851031.jpg"></a></p><p>&nbsp;</p><p>多分これはベルリンの壁ね</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ではまた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12229683550.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Dec 2016 12:09:07 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出４</title>
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<![CDATA[ <p>前回書き忘れたが、この旅が物価の違いを感じる初めての経験だった。もちろん、単一通貨ユーロなどまだない時代だ。</p><p>日本はバブル景気に湧き（正確にはこの時期には崩壊し始めていたようだが当時世間ではまだ分からず、１年後の各企業本決算で正確に数字に表れ、僕らの就職戦線も如実にその瞬間から翻弄されたように記憶している。京都でもそれまでクラウンが停まってた場所にある日フェラーリが登場し、それが1～2年もすると忽然と姿を消したりしていた）、世界で最も物価が高いと言われていた時期だっただけに僕にはかなりの驚きだったわけだ。</p><p>強制両替というのはおそらく各政府が貴重な外貨であるドルを確保する手段として一般的だったのでしょう。東欧はどこにいっても闇両替のお兄ちゃんが「チェンマネ、チェンマネ」とやってきて正規レートよりかなりいいレートで両替できてました。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、前回、次は写真とともにと書いたが、なにを隠そう日記帳がここからしばらくミミズのような字のおざなりな殴り書きになってるからだ　笑。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161120/07/phoebe820/4d/0a/j/o3452238013802126247.jpg"><img width="420" height="290" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161120/07/phoebe820/4d/0a/j/o3452238013802126247.jpg"></a></p><p>町中どこでも同じ車が国民車として走っていた。これは色違いの等間隔でまるでCMみたい。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161120/07/phoebe820/5b/78/j/o3145229113802126071.jpg"><img width="420" height="306" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161120/07/phoebe820/5b/78/j/o3145229113802126071.jpg"></a></p><p>どこかの街で日本車が停まってたらこういう感じだ。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161120/07/phoebe820/64/21/j/o3422243013802126172.jpg"><img width="420" height="298" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161120/07/phoebe820/64/21/j/o3422243013802126172.jpg"></a></p><p>列車から撮った風景だな。東欧らしいね（どこの国か分からない）。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161120/07/phoebe820/ec/59/j/o3878270013802126118.jpg"><img width="420" height="292" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161120/07/phoebe820/ec/59/j/o3878270013802126118.jpg"></a></p><p>かと思えばこういうシーンもあるわけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、ここでアウシュビッツ収容所のことを書いておこう。以下、日記をアレンジしながら。</p><p>クラコフの中央駅に着くとすかさずタクシーの運ちゃんがアウシュビッツまで15＄とやってくる。</p><p>12＄に値切ってGO。</p><p>あまり舗装状態の良くない田舎道をひと昔前の車でガンガンに飛ばしアウシュビッツに着いたのは閉館１時間前でしとしと雨が降る夕刻だった。資料館に入ってもそこにいるのは僕一人。多くのユダヤ人が悲惨な思いをしたそこは薄暗く展示品も悲惨なものが多い。地下にいく階段に鎖もなにもしてないため降りてみたが、その瞬間に飛び込んできたのはガラスの向こう一面にうず高く積まれていた頭髪の山だった。</p><p>係員もいないその展示場はなにか違う空気に覆われているように感じた。</p><p>また、映画を見れる時間ではなかったのだが、おっちゃんが200ズロチのところを2000ズロチと１０倍の値段で特別に見せてくれた。</p><p>見終わって表にでるともう暗くなってる中でタクシーの運ちゃんが待っていてくれてるわけだが、今にしてみるとよくもまあバックパックをトランクにいれたまま待たせていたなと自分の甘さを感じる笑。そのままいなくなっててもなんの不思議もないからね。</p><p>&nbsp;</p><p>クラコフに行く前にワルシャワではディスコに行ってる。22時開店。若者の男女が入り乱れて踊ってたシーンを断片的に思い出せる。熱気も日本のものとなんら変わらなかった（当時の日本はマハラジャ全盛）。その後1：05の列車ににってクラコフに行こうとしたが列車が来なくて駅で寝ている笑。</p><p>クラコフからプラハへ行く途中では駅を間違えたが、英語を話せる青年にトラムに乗っていくことを教えられ、そのトラムの中では可愛らしい女の子二人組に中央広場まで案内してもらい、プラハ行の列車の中ではコロンにexchangeできずにあやうく途中駅で降りるはめになるところを同じ車両の男の人にexchangeさせてもらって助かったらしい。ということで今はプラハ　イエーイ！と書いてある笑。</p><p>&nbsp;</p><p>ではそのプラハでの日記をまた書き写して今回は終わることとしよう。</p><p>「今、プラハ城近くの黄金小路でcoffeeを飲んでいる。店の中は僕一人だ。旅行を始めて10 日が過ぎた。この間、いろいろな空気に出会った。いろいろな建物、いろいろな人々。</p><p>皆それなりに一生懸命それぞれの生き方をしている。妥協してる奴は一人もいない。</p><p>俺は高校の時に思った。向上心のない奴は人間として失格だ。今の俺はそこまで思わないがこの東側諸国に生きている人間とそこを旅している人間にはある程度あてはまるかもしれない。</p><p>環境は人間に対して大きな影響力をもつ。旅をすることは様々な環境に出会うということだ。俺は俺だと片意地をはるのもいいが、その時の波に翻弄されるのもまたいい。</p><p>ここまで大都市ばかりを駆け足でまわってきた。そしてここプラハで中世の旅はクライマックスを迎えた気がする。正直言ってもう飽きた。</p><p>明日はハンガリー、大草原の上で寝転んで昼寝でもしていよう。」（←全体的に笑）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12221139027.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Nov 2016 08:29:57 +0900</pubDate>
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<title>欧州の思い出３</title>
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<![CDATA[ <p>彼女とは連絡先の交換をしたのかどうかもはや分からない。日記帳に書いてないからさ。</p><p>でも、もしかしたらそうだったのかもしれないね。</p><p>だとしたら彼女に悪いことしたなあ、、、なんてね。想うことは勝手だから　笑　　</p><p>&nbsp;</p><p>電話を待つ君　 &nbsp;夜は更けて</p><p>列車のカフェに　 二人の夢</p><p>見つめ合って &nbsp; 過ごした夢</p><p>何を話したか　 &nbsp;忘れてしまっても</p><p>そのまなざしは　 昨日のように</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて、東欧紀行を進めようと思うが記憶が曖昧すぎるため、東ベルリンに入ってからまずどうしてたのか等、例によって日記帳を書き写してみる。あ、トーマスクックと地球の歩き方を片手にというのは基本ね。</p><p>Zoo Stで彼と別れた後、僕は一人でフリードリヒストラーゼ駅へ。強制両替がなくなっていた。日本人は一番通路でとてもすいていたためすぐ一日ビザがとれた（5DM←？）。その後、何がなんだか分からないのでバックパックを背負ったままブランデンブルグ門へ。ベルリンの壁の取り壊しに乗じて削り取られたという同門の柱を見たかったが鉄板で覆われていた。それから駅へ戻りMRKにchangeした後、コインロッカーに荷物を入れ、それからランターデンリンデン通りを今度は東へ。朝早くは何もやってない。一軒だけスーパーがあったので入ってみたがメチャクチャ安い。1㎏の黒パン20円位、リンゴの小さめのやつ４個で20円位、ビン詰め30円位、すぐ腹いっぱいになる。</p><p>TV塔の下のu'fermatier（←？）でユースホステルというとすぐ手配してくれた。初めtelがつながらなかったらしく30～40MRK位のWorkers Hotelでもよいかと聞いてきて、Yesというと念のためもう一度ユースにかけるといってつながったらしい。ティアパークのユースだった。</p><p>さて街に出ると立ち食いのホットドッグ屋がありベルリンの人がみんな利用してるので食べてみた。30円くらいでかなりいける。ビールは500mlくらいが30円。</p><p>ポーランド大使館に行くと日本人が３人いた。みんな強者だ。東欧をかなりいろいろと旅行してるらしい。ポーランドも強制両替なし、ルーマニアはかなり危ない、チェコのプラハが素晴らしい。そこでVISAをとった時の様子はどうかというと扉には1時までとあったが、おじちゃんは2時までいい（実をいうとバックパックに写真を忘れ、その時は1時だった）と言っていて、1：30頃持っていくと、15分待てと言い、15分後にくると5分位ですぐVISAを発給してくれた。その後、3人のうちの一人の女の子とレストランで食事をした。あまり美味くはなかったが給仕のおばちゃんが一生懸命やってて可愛らしかった。</p><p>ライゼビューロでstay visaをとった後、Museumに入ろうとしたらLibraryだった。昔の建築物をLibraryにしてしまうなんてうらやましい。ティアパークに行くのにアレクサンダー広場からV-bernを使ったがはっきりいって金を払わないでもすむ。改札もなければ車掌もこない。なにしろ切符売場らしきところでおじちゃんに「ティアパーク」と言うと「こっちだよ」と階段の方向を教えてくれただけで切符を売ろうとしなかったのだ(注　ちゃんと切符を買ってます笑）。</p><p>ユースに着くとちょっと横になったつもりが朝まで寝てしまった。部屋の中に盆栽の写真が飾ってあった。</p><p>&nbsp;</p><p>旧東側の街や人々に対する感想を総論的に敢えて書こうとしてないが、僕の記憶では、朝は出勤の流れがあり、ちゃんと普通の生活があるなあと感じたような、ただ、活気というものはなく東欧はどこへ行ってもどこか重々しい雰囲気があったような気がする。</p><p>でも、この描写からは人々がのどかに、あるいは一生懸命に、西側となんら変わらぬ生き方をしていたんだなということが伝わってきますね。</p><p>&nbsp;</p><p>次からは写真を載せながらテンポよく東欧紀行を書いていきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/phoebe820/entry-12216688862.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Nov 2016 21:36:51 +0900</pubDate>
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