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<title>週刊、教育心理学</title>
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<description>主に教育や経済格差について、心理学や行動経済学を交えて書いたりします。フィードバック歓迎です。A place to put my brainstorming on education, economic policy, and other things.</description>
<language>ja</language>
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<title>経験年数は罠！（スキルアップの心理学）</title>
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<![CDATA[ <blockquote><p>見知らぬ街で旅をしていたら、急に体の奥に変な痛みを感じた。</p><p>&nbsp;</p><p>幸い、すぐ近くにクリニックらしきものがあるので診てもらうことにした。建物に入ってみると、どうやらここは親子二代で運営している所のようだった。待合室に入ってみると、すでに患者が一人いた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのときちょうど、いかにも何十年も経験のありそうな５０代の医者と、働き始めて５年ほどであろう若い２０代の医者が出てきた。先に出てきた５０代の医者は自分より先に来ていた患者を案内し、あとからでてきた２０代の医者が自分のほうにやってきた。経験は積んでいるようだが、やはり老練な医者に比べるとこっちのほうが少し落ち着きがないように思えた。</p><p>&nbsp;</p><p>「どうせ診てもらうなら経験豊富な医者のほうがよかったなぁ」と思った。</p></blockquote><h2>「経験」はどこまで大事？</h2><p>似たような状況であれば、上の話の主人公と同じような思いをする人は多いだろう。若い医者も年を取った医者もどちらも医師免許を持っていて必要な知識を身につけているであろうことには違いないが、どうせなら経験をたくさん積んだ医者のほうが突然訪れた痛みの原因を突き止め、適切に対処してくれそうなものである。医療に限らず、なんとなく「やっぱり経験を積んでいるプロフェッショナルのほうがいいんじゃないのか？」と思っている人は多いと思う。</p><h3>医療における「経験」の価値</h3><p>ただ、少なくとも<a href="https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15710959" target="_blank">Niteesh K. Choudry氏らの２００５年のメタ解析</a>の報告からすると、安易に経験年数を積んだ医者のほうがいいケアをしてくれるとは言えない。それどころか、この解析に含まれた６２件の世界中の研究報告のうち３２件においては、<span style="font-weight:bold;">全体の５２％においてはかかった医者が経験豊富であればあるほど診断・治療の質を表す指数全てが悪化し</span>、残りのうち更に１３件においては経験豊富な医者の治療・診断のほうがやや悪かった。残りのうち１３件においては経験と診断・治療の質と経験年数に相関関係は見られなかった。経験を積めば積むほど診断・治療の質が改善したと報告したのは６２件中たったの１件（小児の糖尿病の診断）のみである。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり、６２件のうち４５件（７２％）においては経験が診断・治療の質に何らかの悪影響を及ぼしている、ということになる。もちろん、全体の傾向が「悪化、良くて停滞」であるからと言って特定の医者が必ず経験を積むにつれて悪化しているという結論にはならないが、<span style="font-weight:bold;">確率的に言えば</span>先ほどのクリニックの二人の医者だったら<span style="font-weight:bold;">若い医者のほうが的確に最新の診断基準に基づいた問診をしてくれる可能性が高い</span>ことになる。</p><h3>教育における「経験」の価値</h3><p>僕の専門は医療ではなく教育だが、教師にとっても一概に経験が多ければ多いほどいいとは言えない。教師として働き始めて最初の数年間の経験はとても価値のあるものだという研究報告は多い。例えば、<a href="https://www.epi.org/publication/books_teacher_quality_execsum_intro/" target="_blank">2003年にJennifer K. Rice氏は教師は最初の数年間は教師はとにかくいろいろやってみることによって比較的わかりやすく上達すると報告</a>している。ただ、その後のキャリアについてはあまりいい報告はない。多くの場合、教える上手さは停滞、あるいは減退していくとの見方が強い。様々な解析手法を用いた<a href="https://scholar.harvard.edu/mkraft/publications/productivity-returns-experience-teacher-labor-market-methodological-challenges-a" target="_blank">Matthew A. Kraft氏らの2015年の研究報告には</a>、教師の教える上手さには最初の5年間に一番大きな上達が見られ、その後は上達速度は基本的に減り続けていくとある。数学教師だけ見るとキャリアを通して上達し続けるのも可能という傾向がみられるが、国語の教師には同じような傾向は見られない。これもまた標本の傾向であり個人の傾向ではないため一概に経験を積んでも上達しないとは言えないが逆に<span style="font-weight:bold;">経験を積めば必ず上達するとも言えない</span>。</p><h3>ITにおける「経験」の価値</h3><p>医療と教育は人と関わるという面では似ているがそのほかの面では少なくとも表面的にはかなり違う職業だ（僕のとある友人はどちらも相手の立場でものを考え、人の心を動かすという面で同じだというかもしれないが）。にも関わらず、経験年数とスキルが比例していないという研究報告が多い。ほかの業種でも同じような傾向が見られても不思議ではない。プログラミングにおいても<span style="font-weight:bold;">経験年数と生産性に相関関係は見られず</span>、さらには<span style="font-weight:bold;">最も仕事ができるプログラマーは最も仕事ができないプログラマーの10～25倍価値を生み出している</span><a href="https://www.construx.com/blog/productivity-variations-among-software-developers-and-teams-the-origin-of-10x/" target="_blank">という研究報告</a>もあるほどだ。つまり、経験年数を見ただけでは凡人と凡人の25倍仕事ができるプログラマーの区別がつかないということになる。そこまでいくとプログラマーに関していえば経験年数には指数としての価値はないのではと思えてくる。</p><h3>経験がもちろん大事な業種もある</h3><p>その割には、経験を積んだ人のほうが仕事ができるのだろう、能力が高いのだろう、という見方は根強い。たいていの仕事においては経験年数を積めば積むほど給料も上がっていき、患者・生徒・顧客から向けられる尊敬も増える（らしい。僕はまだ20代なのでその年齢域には到達していないが）。これは、我々の一般的な上達の経験に基づいているところが大きいと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば楽器演奏においては、トップの人たちは子供のころから練習を続けてきた人ばかりであり、ピアノを弾く中学生を何人か集めたら２年弾いてる生徒と8年弾いてる生徒の間には大きな差が見られることだろう。スポーツにおいても、一般的に言えば小学生のころからやってきた高校生と高校に入ってきてから始めた高校生を比べたらスキルに差が見られるだろう。経験年数が大事な分野は確実に存在する。ただ、いくつかの分野において経験年数と平均練度が比例しているからといってすべての分野においてその関係が成り立つものと見なすのは上記の研究報告などを見てもわかるように早計なのだ。特に一般人・一般的な職業に関していえば経験年数にどこまでメリットがあるのか怪しい。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ年数だけつぎ込んでも大して上達しないのは、おそらく読者の方々にとっても職場であたりを見回せば明らかだろう。<span style="font-style:italic;">少なくとも僕の職場では特に顕著な相関関係は見られない。</span><span style="font-weight:bold;">ヒヨっ子教師なのに生徒に異常なほどの成長を促せる教師もいれば</span>、何十年も教壇に立っている<span style="font-weight:bold;">ベテラン教師なのに生徒に嫌われ生徒のやる気を毎日削ぐ教師もいる</span>。また、生徒のほうを見ても年数だけつぎ込んでも意味がないのは明らかだろう。９年間（アメリカだと12年間）義務教育を受けたからといって、「学業のエキスパート」になったといえる生徒は一体何人いるだろうか？　少なくとも僕は高校を卒業した時点では特に学びのエキスパートではなく大学で苦労もした。</p><p><br>特に社会に出てからの仕事に関しては、<span style="font-weight:bold;">人とは、たいていある仕事・勉強が程度でき、クビ・退学にならない程度まで上達したらその分楽をしたがるものである。</span></p><h2>Deliberate Practice</h2><p>Eric Andersson氏は、一般的な傾向に真っ向から逆らいスキルアップし続ける人材の研究をしてきた。彼は著書「Peak: Secrets from the New Science of Expertise」（<a href="https://www.amazon.co.jp/%E8%B6%85%E4%B8%80%E6%B5%81%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E6%89%8D%E8%83%BD%E3%81%8B%E5%8A%AA%E5%8A%9B%E3%81%8B-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4163904956" target="_blank">和訳版</a>。アフィリエイトではない）において、<span style="font-weight:bold;">上達の鍵は「Deliberate Practice」にあると</span>説明している（上記の翻訳を手掛けた土方奈美氏は「限界的練習」と訳している。意味合いは大体あっているが、「Deliberate」には「意図的」という意味も含まれている）。<span style="font-weight:bold;">出来るとわかっていることをやるのではなく、いまギリギリできないことを特定し、足りないスキルに負荷がかかるような訓練を設計し、遂行する</span>、というものである。ただなんとなく練習するだけではだめなのだ。自分が苦手だとわかっているケースの対処を苦手じゃなくなるまで反復練習し、克服したらすぐまた次の苦手なものを克服しにかかる。たいていの人が上達しなくなるのは、ある程度スキルを獲得したら以前はできてた限界的練習が<span style="font-weight:bold;">できない</span>、あるいはただ<span style="font-weight:bold;">やらない</span>ためである。</p><h3>できない</h3><p>仕事の環境によっては勝手に自分の仕事の内容を以前よりちょっと難しいものにしてはいけないだろうし、雇い主としてもある仕事をある能率でこなしてもらうために雇っている人物が急に慣れない仕事ばかりやり始めたら能率が下がるので迷惑と感じるだろう。たいていの業種においては、「基礎」にあたる部分を身につければある程度仕事ができる。例えば、一般的な商社などでいえば新人研修を終え、いくつか案件を自分でこなせるようになった状態だ。そして、雇い主もそのレベルの能率で十分満足していて、逆に下手に苦手な仕事に手を出して能率を下げてほしくはないと思っている雇い主も多いだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>また、たいていの職種においては<span style="font-weight:bold;">「基礎」から先にどうやって進めばいいのか不明であったり</span>、少なくとも音楽やスポーツなどに比べると<span style="font-weight:bold;">スキルアップを体系的にできるような体制が整っていない</span>。医師や教師など、いい例だろう。研修やカンファレンスなどで見聞を広めるのは楽しいが、特に効果があるという研究報告はない。プレゼンなどに出席するだけでは、Deliberate Practice体験はできない。多対一で情報を伝える形式だと、必然的に観客一人一人の限界に合ったフィードバックは提供できないため、どのレベルに合わせても観客の多くにとって利益のない体験になってしまう（尤も、これは学校教育全般に関しても言えることだが）。</p><p>&nbsp;</p><p>僕自身、教師として数年間いろいろ試しある程度教えられるようになり、教える上手さに関しては校内一位、二位を争えるまでになったが、去年頃<span style="font-weight:bold;">「ここから先、どう上達していけばいいのだろう」</span>と思い苦労した。幸い、うちの学校は教師の提案に対して寛容的なので、僕は今年は教えたことがない文系のクラスを受け持つことができた。慣れない科目でとても楽とは言えないがその分発見や学びも多い。そして、この文系のクラスを通して学んだことを応用することによって、本分である理系のクラスもさらに改善することができる。また、普段は英語で教えているが、日本語でも教え始めた。文系のクラス同様、慣れないがその分学びも多く自分の考えや手法が洗練されていくのがわかる。</p><h3>やらない</h3><p>また、Deliberate Practiceが行われない理由として、<span style="font-weight:bold;">この限界的練習、かなり面倒くさい</span>というのがある。相当面倒くさい。ただでさえ出る必要のない会議に出席させられ仕事の根幹に関係ない雑務をやらされ長い時間拘束されている現代の社会人にさらに自分の限界を常に超えられるような訓練を探せというのも無理がある。</p><p>&nbsp;</p><p>実際、体調が悪い日は文系のクラスも日本語で教えるクラスもものすごく面倒くさいと感じてしまう。常に自分の限界を試すのには相当な集中力と体力が要る。その分いろんな楽しみを犠牲にしなくてはならないかもしれない（必ずしもそうとは限らないが）。周りの同僚がこういったことをやっていなかったり、自分の人生においてDeliberate Practiceをやる経験が少なければたいていの人が限界的練習に挑まず「そこそこ」の練度で上達をやめるのもうなずける。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、そうして居心地よく仕事をしている年数、<span style="font-weight:bold;">限界的練習にあたらない経験年数はスキルに関してはノーカン</span>だということを忘れてはならない。</p><h3>Deliberate Practiceのすゝめ</h3><p>もちろん、みんながみんな仕事における上達に執着すればよいのかというとそうでもないと思う。そもそもそんな仕事のみに熱狂している変態ばかりの社会に僕は個人的に住みたくはないというのもあるが、人生の意義は仕事以外にもあるはずだ。ただ、自分の（仕事の）スキルの上達に取り組んでいると、いわゆる「フロー」状態に入りやすくなり、幸福度が上がりやすいという見解もある（フローの第一人者は、<a href="https://www.ted.com/talks/mihaly_csikszentmihalyi_on_flow?language=ja" target="_blank">ミハイ・チクセントミハイ氏</a>）。フィゴツキー氏などの研究によると、上達するには常に自分の今のスキルレベルではぎりぎり（少なくとも独りでは）できないタスクに取り組む必要があるとされている。自分のスキルを自分のアイデンティティのよりどころにし、小さなスキルアップに幸せを見出せるようになれば、他人や社会に惑わされず充実した人生を送れる確率がぐっと高くなる。</p><p>&nbsp;</p><p>努力に勝る才能なしという言葉があるが、努力が生まれつきの才能であると誰が決めたのだろう。努力をしても報われないことはあるが、努力の仕方にも効果的な仕方と非効率的な仕方がある。ある分野でトップの成績を収め、自分の好きなことで飯を食べている人は、もしかしたら生まれつきの身体的・頭脳的特徴より、偶然か英才教育により早めに努力の楽しみを知り、上達を続けていた人なのかもしれない。例えば、IQテストの問題点はさておき、ノーベル物理学賞の受賞者のIQも別にそこまで高くなかったりする。<a href="https://www.forbes.com/sites/quora/2016/11/08/richard-feynmans-iq-score-was-only-125-and-he-loved-joking-about-it/" target="_blank">本人もよく言っていたが、量子電磁力学の巨人であるリチャード・ファインマンのIQは１２５ほどであった</a>。一般的に知能指数が「高い」とされるのは、１３０からである。アインシュタインは子供の頃、通知表に「この子は決して大物にはなれないだろう」<a href="https://www.theguardian.com/education/2005/jan/11/schools.uk1" target="_blank">と書かれたそうだ</a>。英語の<a href="http://www.oxfordreference.com/view/10.1093/oi/authority.20110803110350386" target="_blank">ことわざ</a>に、「小枝曲がれば大木傾く」というものがある。まだ小枝のうちに木を曲げればのちの大木も大きく曲がって育つように、早い段階で施す教育はあとになってからすることより大きな影響を及ぼす、という考え方を表すことわざだ。</p><p>&nbsp;</p><p>一度努力が報われる体験をすると、なかなか病みつきになる。そして、努力の対象、さらには努力そのものが好きになってしまえば、もう無敵だ。何人たりともその人の充実感を損なうことはできない<span style="font-weight:bold;">。努力からくる上達こそ、誰もが手にできる幸福への切符ではないだろうか</span>。</p>
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<link>https://ameblo.jp/physics-teacher/entry-12432808950.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Jan 2019 09:20:15 +0900</pubDate>
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<title>ゼロ日坊主（やる気の心理学）</title>
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<![CDATA[ <p>「今日こそこの大学の願書に出すエッセイを書かなきゃいけないんですよ」</p><p>　僕の教室のソファに腰を掛けている生徒はそう言った。</p><p>「もう数週間も先延ばしにしてて、本当に今日終わらせないとやばいんです」</p><p>　そういいながら、彼は忙しそうにノートパソコンのキーボードをたたいていた。</p><p>　およそ一時間後、コピーを取りにいくついでに捗ったかパソコンを確認してみると、彼はネットでフラッシュゲームをやっていた。僕は彼に「願書はどうしたの？」と聞いた。</p><p>　彼は、「またやってしまった・・・・・・」と手に顔をうずめた。「どうして・・・・・・いつも・・・・・」</p><p>&nbsp;</p><p>客観的にも主観的にも重要で優先順位が高いハズの仕事にも、なかなか取り掛かれないのはなぜだろう。上記の生徒にとって、行きたい大学に出す願書のエッセイを書くことは目指すところにたどり着くために不可欠なタスクである（米国の大学の多くでは日本でいうＡＯ入試制度が基本であり、エッセイなしで入れる大学は少ない）。書くのに時間と労力を注ぎ込みエッセイの質を上げれば、大学に受かる可能性もおそらく上がる。彼にとって「エッセイを書く」とは得られるものが大きいタスクだったハズだ。それにも関わらず、先延ばしにし、<span style="font-weight:bold;">言っちゃ悪いが何も得るものがない</span>フラッシュゲームをやるという行動をとってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>日本語には「三日坊主」という言葉がある（英語にはない）。何かを始めても飽きっぽくてすぐにやめてしまうこと、あるいはそういうことをする人を指している。だが、<span style="font-weight:bold;">何かやったほうがいいことを始めて辞めるならまだしも、始めることすら出来ずに燻っている人も多いのではないだろうか。</span>いうならば、ゼロ日坊主である。</p><p>&nbsp;</p><p>これを書いている僕も、今こそこうして投稿をしているがこのブログの初期設定を済ませたのは２０１８年の９月、およそ４か月前である。設定して、「よし、書くぞ」と思って以来、４か月何も書かずに過ごしていたということだ。ただ、その間ずっと「何故自分はまだ投稿してないのか」という課題についてはしょっちゅう考えていた（笑）。</p><p>&nbsp;</p><p>動機付けに関する心理学の研究はいろいろあり、まだ分野全体として定まってないところもいくつかあるが、大ざっぱにまとめると動機づけには二つの主な要因があるとする見方が多い。「期待される報酬」と、「成功する可能性」だ。</p><h2>報酬期待値</h2><p>「期待される報酬」は、要するに、「このタスクを遂行したら、自分にとってどんなメリットがあるのか？」という質問に対する答えである。例えば、「いい願書のエッセイを書く」という行為に対しては、期待される報酬としては最も直接的には</p><ul><li>「大学に受かる可能性が上がる」および</li><li>「エッセイを書かなきゃという焦燥感に駆られずに済むようになる」</li></ul><p>などが挙げられ、更に間接的に</p><ul><li>「文章能力を鍛えることが出来る」</li><li>「自分の人生を深く振り返る機会を得られる」</li></ul><p>などが挙げられるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、ここで重要なのは、実際に得られるものというよりは、<span style="font-weight:bold;">本人が得られるであろうと認識していること</span>の方が大事だということだ。得られるものがあってもそれを得られることに本人が気づいていなければ、動機づけにはならない。これは自分がやろうと思ったことでも、外から課題として課されたものでも同じである。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、<span style="font-weight:bold;">自分がタスクを与える側であり与えられる側にやる気をもってもらいたいのであれば、得られるものをなるべく具体的に鮮明に伝える努力が必要である</span>。いくら算数の教師が「この難しい問題に取り組んだら算数の概念の理解が深まり分析能力が上がる」と思っていても、生徒にそれが見えておらず「この難しい問題を解いてもせいぜい成績がちょっと上がるだけだ」程度の認識であったらやる気が出ないのも頷ける。逆に先生が日ごろから「数学は楽しい！」という姿勢を見せており、「この課題に取り組めばこういうスキルを練習しこういう知識が増える」と具体的に説明できるのであれば生徒にもやる気が出やすい。</p><p>&nbsp;</p><p>これから導き出せるのは、<span style="font-weight:bold;">やる気が出ない場合は、「何が得られるか、自分がどのように成長できるか」じっくり考えてみるとやる気に繋がる可能性が高い</span>ということである。自分が認識していないメリットがあった場合、認識するようになるだけでも動機づけには役立つ。逆に自分が何のために頑張らなきゃいけないのかわからないと、どんなに真面目な人でも頑張るのは辛い。</p><p>&nbsp;</p><p>更に細かく分けると、この要因には外発的なものと内発的なものがある。</p><p>&nbsp;</p><p>外発的な要因には、外部からもらえる物理的・金銭的・社会的な報酬などが含まれる。例えば、以下のようなものだ。</p><ul><li>「この仕事で成功すれば、出世につながる」</li><li>「この課題を提出すれば、成績および単位がとれる」</li><li>「このテストでいい点を取れば、親にもらえるお小遣いを増やしてもらえる」</li><li>「この試合に勝てば、あの子にカッコいいとこ見せられる」</li></ul><div>それに比べて内発的な要因には、自分のアイデンティティに関わる動機、達成感、および純粋な「楽しさ」などが含まれる。</div><ul><li>「この仕事で最高のパフォーマンスをたたき出すことができれば、気持ちいいだろう」</li><li>「自分は単位は取るべくして取る、そういう人間だからこの課題は提出する」</li><li>「このテストでいい点を取れば、前回のテストと比べて自分は成長できるって自分に証明できる」</li><li>「この試合に勝てば、あの子にいいとこ見せられるけどそれ以上に勝つことが面白い」</li></ul><div>スポーツ、音楽、芸術、学術、およびビジネス等で世界トップクラスの成績を残す人材の成長を辿ると、彼ら・彼女らは小さいころは「親に褒められるのが好き」「親と一緒に遊べるのが好き」などといった理由でいずれプロになる活動に取り組み始めたことが多いことがわかる（詳しくは、<a href="https://www.amazon.co.jp/%E8%B6%85%E4%B8%80%E6%B5%81%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E6%89%8D%E8%83%BD%E3%81%8B%E5%8A%AA%E5%8A%9B%E3%81%8B-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4163904956" target="_blank">アンダース・エリックソンら著のこの書籍</a>を参照することをおススメするが、和訳は読んだことないので読みごたえは保証しかねる）。これらはどちらかというと外発的な動機である。通学する年齢になっても、「水泳で学校代表になったら人気者になった」「チェスが出来るとかっこよくてもてる」等も外発的動機である。<span style="font-weight:bold;">ただ、外発的動機付けのみではなかなかやる気を長年保つのは難しいという問題がある。その理由の一つとして、ご褒美がなくなったらやる気もなくなりやすい、というものがある。</span>教師として時々見るのは、勉強してもらうために小遣いを上げ始めたら、金銭的ご褒美無しでは勉強したがらない子供が育ってしまった、というものだ。また、外発的動機のみで頑張っていて苦しくなると「この報酬別に要らないんじゃね？」と諦めてしまうこともある。</div><div>&nbsp;</div><div>僕の弟は片づけをしない。実際に片づけをする能力はある（・・・・・・と思う。執行能力は概して高いので）。それにも関わらず、片づけをしない。おそらく「得るものが少ない」と認識しているのだろう。片づけをせずとも自分が何がどこにあるかはわかっている。特に困っていない。おそらくそのため、片づけのために必要な労力を費やそうとは思わずエントロピーのなすがままになっているのだ。</div><div>&nbsp;</div><div>比べて、内発的動機は強い。自分の周りの状況が変わっても、自分が自分のやる気の源泉になれるのだから、躓こうが行き止まりにあたろうが「自分はこういうのを乗り越えていく、○○のプロだ」という意識があれば続けることができる。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものだ。最初は下手でも、細かな上達やその活動の些細なディテールを楽しむことができるようになれば、上達への道に乗れる上、その活動自体のためにやっているのでわかり易いご褒美がなくなっても突き進むことが出来る。超一流のプロになる人材は、一番最初は親の喜ぶ顔が見たくて始めても、およそ中学生から高校生になるころ自分のアイデンティティの一部に「自分はバイオリニストだ」「自分は数学者だ」という概念を組み込むようになるらしい（先述の書籍より）。</div><div>&nbsp;</div><div>ここまではすべてプラス要因（得られるもの）についてだったが、もちろんマイナスを避ける、というプラス（？）要因も考えられる。例えば、「仕事で頑張れば、嫌な上司の支配下から抜け出せる」などという状況があったらそれはマイナスを避ける系のプラス要因だろう。また、「成績を上げないとゲーム機取り上げられたままだから、成績を上げよう」などというのも同類である。何か新しく得るのではなく処罰を逃れニュートラルな未来にたどり着ける、というのでは現在の待遇がよほどひどくない限りあまり人を奮い立たせることはできないが何も動機づけがないよりはマシであろう。</div><div>&nbsp;</div><div>やる気が出ない場合、自分が思いつく報酬を外発的および内発的なものに分けてみると良いだろう。外発的な要因しかなければ、やる気がなかなか出ないのも頷ける。人は概してあまり外から強制的にいろいろやらされたくはないものだ。外発的な要因しかない場合、世界に踊らされていて自分で結局は何も選べていない、という感覚が生まれる場合もある。その場合は内発的な要因を探してみるのもよいだろう。そのタスクを完璧に執行できた場合の達成感や、その活動の中の細かなニュアンスの面白さ、および自分のアイデンティティにどうかかわってくるかなど考えてみると内発的な動機付けを見出せるようになるだろう。</div><h2>成功確率</h2><div>ただ、期待される報酬ばかりについて考えていては動機づけの真なる姿が見えてこない。報酬と同じぐらい重要なのが、自分が考える成功確率である。「自分がこのタスクに取り組んだ場合、自分が思い描く結果にたどり着ける確率はどのぐらいだろうか？」と、人の脳は結構常に考えている。意識的に計算するときもあれば、無意識的に決めつけている場合もある。報酬と成功確率の関係を大ざっぱに表すとすると、</div><h3>動機　∝　報酬価値　×　成功確率</h3><div>という感じになる。自分が思い描く成功確率が高ければ高いほどやる気は出やすくなるが、期待される報酬が低すぎるとやる気は出ない。</div><div>&nbsp;</div><div>例えば、大抵の人は１から１００００までの数を今から数え書き出すことができるだろう。成功確率はかなり高い。ただ、得られるものの価値があまりにも低い（というか無に等しい）。なので、「１から１００００までの数を数える」という課題を与えられてもやる気は出てこないだろう。教育の現場においては、（少なくともアメリカでは）能力が高い子ほど単純な数学の反復練習のワークなどを嫌い提出しない、などという傾向もある。これも、やればできるけどやったところで得られるものが何もないと思われるからやらない。</div><div>&nbsp;</div><div>逆に、いくら期待される報酬の値が高くとも、成功確率が低い様に思えればなかなかやる気が出ないのが人間の性である。</div><div>&nbsp;</div><div>例えば、プロのアメリカンフットボール選手の年棒は<a href="https://second-effort.com/column/salary/" target="_blank">平均２．１億円ほどである</a>。金銭的報酬および（アメリカにおける）社会的なステータスを考えると数ある職業の中でも報酬がトップクラスの職業だ。完全に外発的動機であるのはさておき、成功した場合の報酬は桁違いに高い。ただ、一般人が今からトレーニングをしてプロのアメリカンフットボール選手になれる可能性は限りなくゼロに近い。なので、今からなるために必要な過酷なトレーニングを始めよういう気にはなかなかなれない。</div><div>&nbsp;</div><div>どちらも極端な例だが、もっと日常的な場面でもこの式は当てはまる。先ほどのエッセイを書かずにいた生徒は、いわゆる完璧主義者なのである。ただ、その割には成績はあまり良くない。何故なのか。答えは、この成功確率にある。</div><div>&nbsp;</div><div><span style="font-weight:bold;">完璧主義者であるがゆえ、何をするにしても、目指すべき水準の初期設定が「最初っから最後まで完璧」になってしまっているのだ。</span>すると、どうだろう。そこそこのエッセイは絶対書けて、なかなかいいエッセイも少し頑張れば書ける実力を持っていても目指すべき水準が「非の打ち所がない」なので成功確率は常にゼロなのだ。これではいくら報酬や処罰があっても取り掛かれない。何故最初っから完璧を目指してしまうのか所説あるが、少なくとも自分が教室で見てきた生徒には「プライドが高く、頑張っても残念な結果になるのが怖い。頑張ってもそこそこの結果になるぐらいだったら頑張らないほうがマシ」という生徒が多かった。</div><div>&nbsp;</div><div>そうして、取り掛かれずただ時間だけが過ぎてゆき、いずれ〆切が差し迫った状況になって初めて取り掛かるようになれることが多い。尻に火が付くととりかかれる場合が多いのは、意識的にか無意識的にか「時間が足りなく急いでやっているので、質が完璧じゃなくても時間のなさのせいにできる」という心理が関わっていると自分は推察する。<span style="font-weight:bold;">実際、完璧主義者故に仕事に取り掛かれないくせプライドが高い人物ほど、しきりに「この課題、昨日やったんだぜ」「俺なんか今朝やったんだぜ」「じつは勉強ほとんどしてなくてー」などと保険をかける発言をするのが伺える。</span></div><div>&nbsp;</div><div>自分も、目指す質が高すぎてこのブログを書くのを先延ばしにしていたのではないかと思う。中高生の頃八年間ほどブログをやっていたが、その時期以来日本語で文章はほとんど書いていない。特にアメリカに住んでいるので、いくらか自分の日本語力に不安があったのかもしれない。<span style="font-weight:bold;">だが、今日ふと「別に書いてみたらいいんじゃない？　最初は下手でも成長していけばいいんだし」と思ったら自然に書き始めることができた。</span></div><div>&nbsp;</div><div>読者の皆さんも、何かやったほうがいいけど取り掛かれていないことがあったら、<span style="font-weight:bold;">「もしかして最初っから完璧にやらないと自分の評判に傷がつくと思っていないか？」</span>と自分に問いかけてみるのはどうだろう。もしかしたら、そんな些細な質問で道は開けるかもしれない。</div>
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<link>https://ameblo.jp/physics-teacher/entry-12431265584.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Jan 2019 11:30:11 +0900</pubDate>
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<title>&quot;Land of equal opportunity&quot;</title>
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<![CDATA[ <p>The United States is free to not have a decent social safety net. However, as long as that continues, it's willfully ignorant for the nation to realistically call itself the "land of equal opportunity".</p><p>&nbsp;</p><p>What would be a suitable definition of opportunity, and what would it mean for that to be equal? I think broadly people are in agreement that effort should matter in success, that someone who puts in a lot of effort and sacrifice should fare better in a fair system of opportunity than those who exert little. In the United States, a capitalist economy, do effort and exertion correlate to outcome, especially financial?</p><p>&nbsp;</p><p>Because it's hard to measure effort precisely, universally, and objectively, the answer is not entirely clear. All of us have some subjective sense of what it means to put forth effort, but don't really know how that compares to people in very different environments. It certainly is clear that outcomes are vastly unequal in the market system and that in certain economies such as the US's, parental income is a significant predictor of an individual's eventual economic status. Internationally, the US lags far, far behind many other industrialized wealthy countries in social mobility. In 2011, the US was 13th out of 17th in a study of intergenerational correlations of individual income; our neighbor to the north was 4th [1]. So unless you assume that the the poor in the US have a much lower level of effort than poor in the other countries to begin with, it's hard to argue that effort takes you as far in the US as it may in other countries.</p><p>&nbsp;</p><p>So do children with higher income parents simply try more? Through genetics or nurture, is the culture of effort correlated to economic status of one's upbringing? A study of sugar cane farmers in India conducted by Mani et al. throws doubt at that, in which the seasonal occurrence of poverty, independent of all other factors such as calendar timing, nutrition, physical exertion, etc. had a profound effect on the intellectual performance of the *exact same* individual [2]. When poorer, independent of any other factors, the farmers fared worse on measures of cognitive capacity, and better when they had more money. In a knowledge economy, cognitive capacity is EXACTLY WHAT CAN MOVE YOU UP. How can the poor hope to compete and systematically move up if their starting condition of poverty gives them a significant cognitive handicap?</p><p>&nbsp;</p><p>Other studies suggest that parents from poor families work as much as parents of middle- or upper-class families do, and that there's no "inherent laziness" passed down from low-income parent to statistically-likely-to-be-low-income-child [3]. For those who have seen poor and dejected students, a significant factor may be learned helplessness, in which turbulent family circumstances associated with financial troubles can lead a child to "give up" because they feel like they have no say in whether or not their own life is stable and predictable. After years of moving around due to unpredictable family finances, a child may for example think "Why work hard to forge friendships and work hard for the teacher you like if you think you'll have to move again a couple of months?"</p><p>&nbsp;</p><p>Schools have a role to play too; a study of 60 high-poverty schools found the school and teacher to play a large role in student motivation (there's a significant difference in teachers who assume laziness and mediocrity in their students and teachers who actually can *teach*--rather than preach--the rewarding experience of hard work and how to effectively do it) [4]. Complacency and inertia in a significant portion of the teaching profession must be addressed as well, since there is extensive documentation that higher income zip codes receive disproportionate shares of the top teaching talent through funding and connections (which probably many can relate to and make sense of anyway in a country where school funding is tied to average property value of homes in the district).</p><p>&nbsp;</p><p>Despite the research, out of ignorance or denial some people still respond to any debate of economic stratification of achievement by predictably saying "the poor should try harder". My suspicion is that those who legitimately think the vast majority of children from lower-income families stay lower-income due to a simple lack of effort don't know those children, haven't worked closely with them, and are making intellectually lazy excuses for endorsing a system in which the deck is always stacked against those who happened to be born poor. Having worked in an economically distressed school district for years with students who have very little capital--social or financial--to rely on, I know that the last thing you can say about them are that they don't care. The mere presence of poverty can shackle your mind to extents unimaginable for those of us who are not financially burdened all of the time.</p><p>&nbsp;</p><p>Are you aware, for example, of how being posed with a <span style="font-style:italic;">hypothetical </span>financial expense when your family is poor can put background strain on your cognition equivalent to a 14-point drop in IQ, the difference between "average" and "borderline deficient"? [2] A system which does not account for financial distress will simply write off those who perform 14 points-equivalent worse on a test as "not worth further investment" via enrichment opportunities or scholarships. When the College Board touts the predictive ability of the SATs to college success, they very much take oversimplified measures assuming all colleges have the same grading standards and systems. Studies promoted by the College Board also ignore the fact that lower-income students often never even apply, because they are often discouraged or funneled out of that track long before the college application years [5]. Also, given the availability of costly preparation aids, it's no surprise that SAT scores are highly correlated to family income [6].</p><p>&nbsp;</p><p>And how about childhood lead exposure? Lead exposure is much more common in zip codes where property values are low, where lower-income families live. Just as with iodine deficiency several generations back, if a child's capabilities are significantly hampered by childhood lead exposure because they happened to be born into a poor family, is that really "equality of opportunity?" And what does it say about a nation that continues to allow such disparities to persist despite decades of documented evidence? A nation which was <span style="font-style:italic;">actually </span>committed to equality of opportunity would surely work to eradicate such a demonstrated hindrance to academic and economic achievement which happens to be concentrated in the poorest neighborhoods [7].To be sure, lead exposure is a worldwide problem [8], but particularly poignant and ironic in a nation that calls itself the land of opportunity.</p><p>&nbsp;</p><p>Often there's an objector who replies "I was born poor, but I made it! Poor people just need to try harder, things are fine the way they are!" But a minuscule sample size of an anecdote doesn't disprove systemic inequalities concerning opportunity. Outliers exist, and a very few may even be significant outliers. People are much more likely to credit individual effort in success and discount luck, while the reverse holds true for failures. We then apply this mindset to others as well: If that person hasn't succeeded, clearly they must be doing something wrong, because I tried and am doing fine. We are all too ready to dismiss what luck we may have had in our birth, which is fine, if we don’t then turn around and pat ourselves on the back for being “a country of equal opportunity”.</p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr" id="docs-internal-guid-bf7fe6d4-7fff-90f6-90ca-68d5b62e2d2a">[1] E. Gould, “U.S. Lags behind peer countries in mobility,” Economic Policy Institute. [Online]. Available: <a href="https://www.epi.org/publication/usa-lags-peer-countries-mobility/">https://www.epi.org/publication/usa-lags-peer-countries-mobility/</a> [Accessed Jan 6, 2019].</p><p dir="ltr">[2] A. Mani, S. Mullainathan, E. Shafir, and J.&nbsp; Zhao, “Poverty Impedes Cognitive Function,” <span style="font-style:italic;">Science</span>, vol. 341, pp.976-980, Aug. 2013. [Online] Available: <a href="http://science.sciencemag.org/content/341/6149/976">http://science.sciencemag.org/content/341/6149/976</a>; summaries provided in <a href="http://behavioralscientist.org/the-cognitive-burden-of-poverty/">http://behavioralscientist.org/the-cognitive-burden-of-poverty/</a> and <a href="https://harvardmagazine.com/2015/05/the-science-of-scarcity">https://harvardmagazine.com/2015/05/the-science-of-scarcity</a></p><p dir="ltr">[3] H. Boushey, J. Bernstein, and L. Mischel, <span style="font-style:italic;">The State of Working America 2002-03.</span> Ithaca, New York: Cornell University Press, 2002. Executive summary available: <a href="https://www.epi.org/publication/books_swa2002_swa2002intro/ The State of Working America 2002-03" target="_blank">https://www.epi.org/publication/books_swa2002_swa2002intro/ The State of Working America 2002-03</a></p><p dir="ltr">[4] M. Irvin, J. Meece, S. Byun, T. Farmer, and B. Hutchins, "Relationship of school context to rural youth’s educational achievement and aspirations,"<span style="font-style:italic;"> Journal of Youth and Adolescence</span>, vol. 40(9), pp. 1225–1242. Sep. 2011. <a href="https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21755376">https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21755376</a></p><p dir="ltr">[5] S. Jaschik, "Renewed Debate on SAT and Wealth," <span style="font-style:italic;">Inside Higher Ed</span>, Sep 14, 2012. [Online]. Available: <a href="https://www.insidehighered.com/news/2012/09/14/new-research-finds-sat-equally-predictive-those-high-and-low-socioeconomic-status">https://www.insidehighered.com/news/2012/09/14/new-research-finds-sat-equally-predictive-those-high-and-low-socioeconomic-status</a> [Accessed Jan 6, 2019]</p><p dir="ltr">[6] Z. Goldfarb, "These four charts show how the SAT favors rich, educated families," <span style="font-style:italic;">The Washington Post</span>, Mar 5 2014. [Online] Available: <a href="https://www.washingtonpost.com/news/wonk/wp/2014/03/05/these-four-charts-show-how-the-sat-favors-the-rich-educated-families/?noredirect=on&amp;utm_term=.f93a28dfe2b0">https://www.washingtonpost.com/news/wonk/wp/2014/03/05/these-four-charts-show-how-the-sat-favors-the-rich-educated-families/</a> [Accessed Jan 6, 2019]</p><p dir="ltr">[7] J. M. Timberlake “Racial and Ethnic Inequality in the Duration of Children's Exposure to Neighborhood Poverty and Affluence,” <span style="font-style:italic;">Social Problems</span>, vol. 54, pp. 319-342. Jul. 2014. [Online] Available: <a href="https://academic.oup.com/socpro/article-abstract/54/3/319/1633588">https://academic.oup.com/socpro/article-abstract/54/3/319/1633588</a> as well as <a href="https://www.healthaffairs.org/do/10.1377/hblog20170808.061398/full/">https://www.healthaffairs.org/do/10.1377/hblog20170808.061398/full/</a></p><p dir="ltr">[8] NYU Langone Health, "Economic Costs of Lead Exposure in Low- &amp; Middle-Income Countries." [Online] Available: <a href="https://med.nyu.edu/departments-institutes/pediatrics/divisions/environmental-pediatrics/research/policy-initiatives/economic-costs-childhood-lead-exposure-low-middle-income-countries">https://med.nyu.edu/departments-institutes/pediatrics/divisions/environmental-pediatrics/research/policy-initiatives/economic-costs-childhood-lead-exposure-low-middle-income-countries</a></p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 07 Jan 2019 09:57:40 +0900</pubDate>
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