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<title>idée puérile</title>
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<description>座右の銘は『他人に優しく自分に甘く・・・』稚拙な読書感想文をちょこちょこ書いています。(ネタバレ有)俯いてばかりの人生に終止符が打てることを願いつつ、辛うじて生きています。　今日も太陽がまぶしい……</description>
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<title>こうふくなせいかつ</title>
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<![CDATA[ <p>「裏切る」という言葉を聞くと、ほぼ全ての人が悪いイメージを持つのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>きっと義理人情にかけた行いをしたんだろうなとか、</p><p>期待されていたのに結果を出せなかったんだろうなとか、</p><p>とかくネガティブな連想をしてしまいがちな気がしますが、</p><p>クリエイターにとっては、悪い意味合い以外でもよく使用されるようです。</p><p>&nbsp;</p><p>たとえば、読者の予想する展開を裏切る漫画家や小説家であったり、</p><p>プレイヤーや視聴者の想像する結末を裏切る内容を作り上げる監督や放送作家などの職業に就かれている人達などなど、『良い意味で』が頭に付く裏切り行為を態と仕掛けている人も大勢いるでしょう。</p><p>その『裏切った展開』が、果たして受け取り手にとって素晴らしいものであるのかどうかはさて置くとしても、とにかく、裏切りのない作品は、見方によっては予定調和的に映ってしまいかねませんし、まぁ適度に裏をかいて、『予想外』を与えつつ、物語に飽きさせないような工夫を凝らす作業は作家さん達の重要な仕事のひとつなのかも知れません。</p><p>&nbsp;</p><p>百田尚樹さんの【幸福な生活】は、最後の一行でこの『裏切り』を仕掛けることに注力した短編集です。</p><p>全てがどんでん返しというわけでもなく、ただ、ラストに一言、衝撃的な事実が明かされたり、謎が解けたりと、所謂『オチ』が一言に集約されているわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>帯には随分と大袈裟な文言が書かれていたようですが、</p><p>どの話も、言う程衝撃のラストという感じはありませんでしたし、ストーリー自体が有り触れたものばかりで、２０編近くありましたが、どれも割と淡々とした、あまり記憶に残らないようなものばかりだったようにも思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、取り分け詰まらないわけでもなかったので、</p><p>印象に残ったお話に触れてみます。</p><p>&nbsp;</p><p>まず一発目に載っている『母の記憶』です。</p><p>認知症になって老人ホームで暮らしている母の戯言に付き合っている内、思いもよらない発言を耳にすることになる、そんな内容です。</p><p>&nbsp;</p><p>認知症や耄碌した人間が口にする台詞の数々、</p><p>それらは本当に全てが信じるに値しない妄言なのでしょうか。</p><p>実はたくさんの言葉の石ころの中には、本物の宝石が紛れこんでいるのかも知れません……。</p><p>そんな感想を持ちました。</p><p>&nbsp;</p><p>それと『おとなしい妻』。</p><p>これもよくある人格障害ネタで、特に捻りもなく最初から見えていたゴールに向かってジョギングしつつ完走しますが、個人的には好きなネタでもあるので、この話も嫌いではないです。</p><p>騒がしい男と書いてあったので、奥さんの別人格は男の声を出せるのでしょうか……。</p><p>&nbsp;</p><p>『痴漢』も、面白くはなかったけれど、やりたいことは伝わりました。</p><p>冤罪の被害者になったことがなくとも、男なら一度は思い描いたことがある「痴漢冤罪で人生が終わってしまう」という恐怖を和らげる優しい物語でした(笑)</p><p>&nbsp;</p><p>逆恨みと取られてしまうのかもしれませんが、もしも本当に心当たりがなくて、示談金目的に痴漢の犯人にされてしまった場合、多くの男はその女性に対し復讐を誓うでしょうし、仕事や家族を含む、自分の人生を壊されてしまった人は、殺人だって辞さないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>本当に痴漢をされてしまったら、勇気を出して声を上げるべきですが、</p><p>お金欲しさに冤罪犯を作ろうとしている女性は、命を懸けて挑戦するべきですと忠告しておきます。</p><p>&nbsp;</p><p>『再会』は唐突な幽霊話で、なんというか「これでいいのか……」とも思いましたが、結末を見るといい話(？)なので、ここまでの数話が後味の悪いオチだっただけに、少しだけ優しい気持ちになれました。</p><p>&nbsp;</p><p>『ビデオレター』は、一番確り作られていた、といいますか、これはひとつの作品としてちゃんと完成してる感がありました。</p><p>後味は悪いですけど。</p><p>妻が亡くなり、少ししてから届けられたビデオレターを、老人男性が観ている――ただそれだけで、ずっと妻の独り語りなのですが、途中、男の浮気話や、その妻と結ばれるに当たり、様々な裏工作を行っていたことを、実は知っていましたという、強迫染みたことを延々口にしているところから、何かしら復讐が仕掛けられているんだろうなと思いつつ、彼が一番ショックを受ける復讐と言えばもうそれしかないだろうなという、まさにどんぴしゃりのオチでした。</p><p>意外性こそないものの、落ちるべき場所に落ちた感はありました。</p><p>最後の一行台詞を「ごめんあそばせ」で終わらせたのも良かったです。</p><p>&nbsp;</p><p>あとは『深夜の乗客』 位ですね。</p><p>これは結構好きです。障害者を装うことで「守るべき被害者」になろうとする人は、現実世界にもいそうですし、変なリアリティがありました。</p><p>個人タクシーの運転手が深夜に乗っけた女性客が、車内での動向がおかしい客のことを「頭に障害を持ってるんだろうな」と断じながら、彼女の家に送り届け、お金を取ってくると言って家に這入っていったきり、一向に戻る気配がない為、インターフォンを鳴らすと老婆が出てきて、「……それはきっと死んだ娘です。あの子が……帰って来たんですね」みたいな流れになって――という感じです。</p><p>まぁ働けるのに生活保護で生活している人もいますし、何とも言えませんね。</p><p>&nbsp;</p><p>表題にもなっている『幸福な生活』は、一言で言えば夢オチです。</p><p>面白くも詰まらなくもなく、ただただ「夢オチである」の一言に尽きます。</p><p>手塚先生が禁止された手法ですが、２０１０年代になっても相変わらず使用されているところを見ると、やはりお手軽に"裏切れる"から、というのもあるのでしょうね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>以上が一冊通しての何となくの感想ですが、</p><p>正直、「他の作品も読んでみたい！」と思えるような、後引く読後感はありませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、話題作のカエル達の楽園話は興味がありますので、</p><p>石平さんとの対談本含め、近々読んでみたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;" contenteditable="false"><table style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%" cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=33486662" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow"><img alt="幸福な生活 (祥伝社文庫)" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;" data-img="affiliate" border="0" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/516TA7qG7ML._SL160_.jpg"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=33486662" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">幸福な生活 (祥伝社文庫)</a><div style="padding: 3px 0;">700円</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/pitiable-pierrot/entry-12231580677.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Dec 2016 10:15:22 +0900</pubDate>
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<title>あのひ　③</title>
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<![CDATA[ <p>少し本の話とは逸れてしまいますが、『叩き方』を間違えている人がとても多い気がします。</p><p>&nbsp;</p><p>上手く言い表せませんが、</p><p>「その程度のことでそれだけのことを言っちゃうの？」というか、</p><p>「この段階でそこまで言っちゃうのか……」とか、</p><p>小さなミスが露呈するや否や、口角に泡を付けた、真っ赤な顔を思い浮かべてしまうくらいの、空恐ろしい文章をネット上に垂れ流してしまう人が多く、しかも自らを省みたことがあるのだろうかと疑いたくなる程の、まるで自分は神であるかのように錯覚してしまっているのか、自分に全く関係がない事柄にまで、叩ける材料探しの目を向け、目に止まった『ミス』を片っ端から攻撃していっているのではとすら感じてしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>「罪を犯したことがない者だけ石を投げなさい」と言われたとしても、満面の笑みを湛えながら両腕いっぱいに抱えた石を投げつけることができる恐ろしい人達なんだろうなと、正直恐怖すら覚えます。</p><p>&nbsp;</p><p>それと、口調、というか、余りにも酷い攻撃的な文章で相手を詰り、謗り、自分が相手より上の存在であると、やはり錯覚したいのでしょうけれど、たとえばその相手が本当に悪いことをしたとして、責められるべき立場にいるとしても、被害者でもない第三者が口汚く罵ってしまうことによって、それを見た良心のある人間の多くは、罵られている加害者に同情の目を向けることになるかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>僕に良識がどれ程備わっているのかは分かりませんが、少なくとも小保方さんの件がまさにそれでした。</p><p>彼女がどれ程の罪を犯したのか、その大きさは僕には推し量ることができませんが、故意なのか嵌められたのか、それとも偶然が重なって、最悪の結果になってしまったのか、彼女が責められるべき立場に立ってしまったことは間違いなさそうで、それに関しては何らかの、然るべき措置というか、罰というか、対処が必要なのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、彼女の受けた制裁は、本当に『正しい制裁』だったのでしょうか。</p><p>バカンティ教授を始め、幾人もの権威ある教授達に認められる何かしらの才能を持っていたであろう彼女から、実験を奪うことが、世間にとってプラスになるのでしょうか。</p><p>いや、博士号を剥奪することや、研究所から追放されるのは、もしかしたら当然の措置だったのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、なんの被害も被っていない一市民達は、何故怨嗟の言葉を彼女に投げつけたのでしょうか。</p><p>直接的にしろ、間接的にしろ、彼女の死を願ったり、責任を取れと迫ったり、許されないぞと更に責任を追及したり、最低だとか、屑だとか、人となりどころか肉声すら碌に聞いたことがない相手に対して、そして実際にどれだけのことが起きているのかをどこまで理解しているのかも分からない人間達が、彼女をあれ程までに叩くことは必要だったのかなと、僕は腑に落ちないところもあります。</p><p>&nbsp;</p><p>もしも、世間の声がもっと彼女――というよりも、この問題に対して無関心であったり、擁護が多数を占めるのであったなら、もしかしたら僕は、「彼女はもっと制裁を受けるべきなのでは」と考えたかもしれません。</p><p>何も擁護ではなくとも、もっと批難の声が小さければ、今とは違う見方ができたのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、世間は不必要なまでに、彼女を『無責任』に責め立て、仮に自分の一言で彼女が自らの命を絶とうとも、「自分は正しいことをした」と責任を感じることなく、あくまでも一市民として正義を全うしたとでも言いたげな、誇らしげな気持ちで罪悪感など微塵も感じることなく日々を過ごしていくのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>『責任感の弱い』僕は、自分の言葉に責任を取れないことが分かっているので、</p><p>このブログ以外で誰かを悪く書くようなことはありませんし、</p><p>嫌いなものは嫌い、酷いと感じたことは酷いと書きますが、</p><p>極力タダの悪口にはならないように配慮しようと心掛けてはいるつもりです。</p><p>&nbsp;</p><p>読み人知らずなこんな日記でも、自分以外の人間の目に触れる機会があるのだから、嫌いな理由、苦手な理由を、せめて自分自身を納得させられる程度にはきちんと書こうと、言い訳染みたことを考えながらキーボードを叩いています。</p><p>&nbsp;</p><p>どちらにしても、たかが無名な一般庶民のブログを隅々まで読み込むような奇特な人は世界広しと言えど、ひとりいるかいないかでしょうから、『無責任』なりに、感じたことをできるだけ素直に書き残し続けてみようかと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえず、この本の感想のまとめとしては、</p><p>虚飾と捏造に塗れたニュースを信じるか信じないかはあなた次第、ということでしょうか。。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;" contenteditable="false"><table style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%" cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow" href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=33437493"><img alt="あの日" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;" data-img="affiliate" border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F31eCfegtnJL._SL160_.jpg"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow" href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=33437493">あの日</a><div style="padding: 3px 0;">1,512円</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/pitiable-pierrot/entry-12229813870.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Dec 2016 21:44:26 +0900</pubDate>
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<title>あのひ　②</title>
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<![CDATA[ <p>そんな無責任なメディアと、利権や名声を欲した欲の塊である大人達に翻弄された小保方晴子さんの【あの日】という本を読みました。</p><p>&nbsp;</p><p>正直、あれだけ騒ぎになったにもかかわらず、</p><p>その騒ぎの内容を殆ど理解していない僕にとっては、</p><p>この本を読んでもいまいちピンと来ない部分が多く、</p><p>ただただ、終始彼女がマスコミに面白おかしくネタにされたいた印象しかありませんでしたので、ＳＴＡＰ細胞騒動の裏で関係者達がどれだけ大変だったのか、この本を読んで、極一部ではあるのでしょうけれど、知ることができたと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、この手の本の大前提して、あくまでも作者の目線で見た『事実』であって、それが湾曲されているのか、悪意なく曲解してしまっているのか、それとも丸々全部捏造であるのか、それは作者本人を含めた当事者達にしか知れないことなので、真実味がある文章であったとしても、あくまでも５０％は疑いの目で見ながら読み進める必要があります。</p><p>&nbsp;</p><p>最先端科学はもちろん、小学生の理科の知識ですら怪しい僕がこの問題に対して意見することも提起することも何らありませんが、前述したように、マスメディアの異常さはこの本を読むだけでも十分に理解できました。</p><p>&nbsp;</p><p>それと早稲田大学・東京女子医大の不誠実さ、</p><p>この件に絡んだ大半の教授たちの名誉欲（？）や無責任さ、</p><p>それだけではなく、訳知り顔でこの問題に意見し、まるで世間代表であるかのように小保方さんを批難し続けた無責任代表のコメンテーター達。</p><p>&nbsp;</p><p>橋下さんが知事時代に「無責任な小銭稼ぎのコメンテーター」と揶揄、というか、直批判されていたのが懐かしいです。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、小保方さんの肩を持つ気もありませんし、そもそも彼女がどれだけ凄い細胞を発見したのかも、浅学どころか無学な僕には理解が及びませんので、科学用語が並んだ本文はただただ目を滑らせてしまいましたが、彼女を含め、この本の登場人物の中に、１００％の被害者は恐らくいませんし、パーセンテージに開きはあるものの、誰もが少しずつ、問題をややこしくしてしまった犯人のひとりである気もします。</p><p>&nbsp;</p><p>欲に塗れ、保身に走り、挙句「自分は関係ない、寧ろ被害者である」と口にできるメンタルの強さは、繊細に過ぎる僕からすれば見習わなければならないなとも思ってしまうのですが、この手記を信じるのであれば、若山先生を筆頭に、大学の関係者達も本当に自分のことしか考えてないんだろうなというのが透けて見えました。</p><p>&nbsp;</p><p>自ら命を絶った笹井先生が聖人というわけでももちろんありませんが、</p><p>笹井先生は自分の責任だという強い思いがあったのだろうなと感じられる内容がいくつか書かれてもいて、最終的に死を選んでしまったのは、『責任感が強い故の悲劇』なのかも知れません。</p><p>&nbsp;</p><p>笹井先生が亡くなられた結果、マスコミだけでなく、世間の小保方さんへの風当たりはとても強くなってしまいました。</p><p>本書でも書かれていましたが、「よく生きてられますね」「お前が死ねばよかったのに」という書き込みを、たくさんネット上で見かけました。</p><p>&nbsp;</p><p>この書き込みができる人の精神状態も凄く怖いですが、</p><p>小保方さんが感じた恐怖心は比にならないでしょうね。</p><p>&nbsp;</p><p>間接的な殺人予告みたいなものですし。</p><p>&nbsp;</p><p>著名で実績もある笹井先生の死は、</p><p>確かに彼女が原因のひとつでもあって、</p><p>たとえば笹井先生の家族や近しい友人などに責められるだけなら、まだ本人も納得できたと思います。「責められても仕方ない」と、素直に陳謝できる部分もあったのではと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、面識もなく、知識もなく、ただ売上のことしか考えていない週刊誌に踊らされている多くの人間に死を望まれる筋合いは毛頭ないはずで、「なんで私がこんな目に…」と考えても不思議ではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>この騒動のそもそもの発端は、「若くて可愛らしい女性が――」というニュースを連日取り上げたマスコミが、様々な疑惑が出た途端に百八十度ひっくり返して「小保方捏造！」「私欲の為に世間を欺いていた」と一斉に叩き始めたことにより、理研を含め、多くの人間の人生を狂わせることになったのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>STAP細胞がIPS細胞並に、存在の確証が得られる前の段階で、大々的に盛り上げ、自分達の顔に泥を塗ったという憤りか、若しくは注目を集められそうなニュースになればそれでいいやという腐った性格からか、一転して総攻撃を仕掛け、物理的にひとりの人間を殺し、精神的に、少なくともひとりの人間を追い詰め、多くの研究者や、見方によっては日本国自体の評価すら落とすことになってしまいました。</p><p>もしかしたらあのまま実験を続けられていれば本当に再現されていたのかもしれないSTAP細胞は、日の目を見ることなく潰されてしまったのか、それともまだ研究が続けられているのかは分かりませんが、外国の新聞か何かで、「何故日本は可能性のある優秀な科学者である若者をこんな風に潰してしまうのか」というような記事が書かれていたような覚えがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>小保方さんがどれだけ優秀なのか、それともただ運がいいだけなのかは知りませんが、それでも、あの事件で彼女だけがあれだけ責められる謂われはなかったのかなと、少しだけ同情心も沸いてしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>自称「科学に精通している」人達は、小保方さんを批難する声が多い気もします。僕も、この本に散りばめられている自己弁護や、自責の振りをして有耶無耶にしようとしていると取れる、不必要に比喩を用いた文章を読んで、彼女の人間性が垣間見れた気もしていて、盲目的に信じるに値しない感はありましたが、作中、遠回しながらも思い切り批難している若山先生なる人物の胡散臭さの方がやはり気になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>彼はこの本を読んだのでしょうか。</p><p>仮に読んでいなかったとしても、知人やネットで少なからず内容は目にしているでしょうし、「若山先生のせいです」と取れる多くの文章を見た人達が、彼に直接真相を尋ねていると思いますが、どのように答えたのか気になります。</p><p>&nbsp;</p><p>「それは違う。彼女は嘘を吐いている」というのであれば、</p><p>大々的に反論するでしょうし、</p><p>それが見られないということは、概ねその通りなのかも知れませんね。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、『外』からでは『本当に悪い人』が誰なのかは分かりませんが、</p><p>それでもメディアは断言します。</p><p>「小保方のせいだ」と。</p><p>それは間違いではないのでしょうけれど、本当に正しいのかなと、</p><p>常日頃のメディアの報道姿勢を見ていると、どうしても首を傾げたくなってしまいます。</p><p>彼らがしたいことは不正を暴くことでもなく、誰かを救うことでもなく、紙幅割きつつ私腹を肥やすことだけですから。きっと。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>③へつづく</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/pitiable-pierrot/entry-12227661169.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Dec 2016 21:27:21 +0900</pubDate>
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<title>あのひ　①</title>
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<![CDATA[ <p>『責任感が強い人』とは、人間としても、そして社会的にも信用があって、</p><p>人格的にも優れている人が多いようにも感じます。</p><p>&nbsp;</p><p>求人広告などでも、「責任感が強い方」などの募集文言が載っていることは多々ありますし、最後までやり遂げてくれるだろうという安心感から、上司からも仕事を任せられ易く、メキメキと能力を伸ばし、本人にとっても会社にとってもプラス要素だらけなので、この『責任感の強さ』というのは、生きていく上でかなり重要なファクターになるであろうことは間違いなさそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>では反対に、「責任感が弱い人」はどうなのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>責任を負いたくないから仕事を任されたくない、</p><p>怒られたくないから他人に失敗を擦り付けたい、</p><p>そんな風に考えてしまう人が『弱い人』だとすると、</p><p>確かに『強い人』と比較すれば、</p><p>能力的にも人間性を見ても、</p><p>どちらが優れているかなど一目瞭然であって、</p><p>この弱い人を選ぶ人間など余程の物好きでもない限りはいないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、あまり『責任感が弱い』という言い方はされませんので、</p><p>敢えて分かり易く言い換えれば『無責任な人』でしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>この無責任という言葉が当てはまるのは、</p><p>何も上で挙げたような責任回避のために仕事を選ぶ人だけではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>進んで仕事に手を付けつつも、納期などに間に合わなくても自責を感じている素振りも見せず、たとえ周囲に迷惑をかけようと、特定の人を陥れるような結果になってしまおうと、知らぬ存ぜぬで、同じようなことを繰り返しては反感を買い、仕舞には「自分を責める相手が間違っている」という認識を持つようになる、モンスターである場合も考えられます。</p><p>&nbsp;</p><p>このタイプの人間の厄介さたるや、</p><p>それはもう同じ空気を吸うことすら辛いものでして、</p><p>本人の自覚有る無しにかかわらず、</p><p>嫌悪感を通り越して不気味さを感じる程恐ろしい人種なのです。</p><p>&nbsp;</p><p>一般的に認知されている無責任代表といえば、</p><p>もちろんテレビや雑誌を中心としたメディアであることは周知の通りでして、</p><p>『正義』を標榜した記者連中の非常識さ、モラルの無さ、</p><p>そして世間とはかけ離れた、ズレにズレているであろう倫理観や正義感は、ネットを開けば毎日のように目にできますが、思えば物心ついてから、彼らの『無責任さ』加減に僕は度肝を抜かれっ放しです。</p><p>&nbsp;</p><p>「あいつは悪い奴だから徹底的にプライバシーの細部まで世に垂れ流してやれ」</p><p>「奴は犯罪者だ。被害を受けた人間がいる。叩けるだけ叩いてやれ」</p><p>これらはまだ、明確な証拠が明らかであれば気持ちも分からなくはないですし、通り魔殺人や集団暴行の末に殺害したというニュースを聞けば、温厚な僕でも犯人の個人情報を流した上で極刑に処して欲しいと願うことも屡ですが、</p><p>現時点でハッキリと白黒の着いていない、『一容疑者』の時点で、</p><p>まるで人を喰らう悪鬼のような印象を読者や視聴者に与えるような、</p><p>情報操作とも取れる内容の記事などを平気で衆人の目に晒せる神経は到底理解できる気がしませんし、そんな彼らは厚顔無恥どころか、何らかの精神障害を患っているとしか思えません。</p><p>&nbsp;</p><p>最近では右寄りな発言と、それに加えて過激な発言も多い百田さんの『海賊と呼ばれた男』という小説が映画化されたそうですが、宣伝では一切作者である百田さんの名前が出されず、それを見た本人が小説家の引退を発表されたという、何とも言えない出来事もありますし、現時点では白黒不明といえば、成宮さんのコカイン疑惑の件でもそうですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>芸能界引退発表後、すぐに海外に発たれたということからも、</p><p>限りなくクロに近いのではと噂されていて、写真も撮られていたようなので、もしかしたら警察の捜査が及ぶのも時間の問題なのかも知れませんが、雑誌各社が挙って彼のプライベートを探り始め、ちょっとした情報から、件のコカイン関連の情報まで、信憑性があろうなかろうが、早いもの勝ちとでも言わんばかりにポンポンとテレビ雑誌新聞で取り扱われています。</p><p>&nbsp;</p><p>仮に彼が薬物使用していたとしても、嘘か本当か、同性愛の気があったとしても、そこまで全て詳らかにする必要があるのかどうか、僕は不思議で仕方ありません。</p><p>&nbsp;</p><p>本当にフライデーが明確な証拠を掴んだのであれば、</p><p>まずは警察に通報し、それを元に警察は取り調べを行い、</p><p>コカイン使用が認められれば、</p><p>「本誌では証拠を掴み警察に通報しました。結果クロでした」と記事にすればいいわけで、数万円程度の報酬で週刊誌に成宮さんを売った友人Ａも相当の屑ですが、自分達の飯の種になればその後の人生などどうでもいいというスタンスは、日本だけではなく、世界でもマスメディア界では常識なのでしょうか……。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>②へつづく</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/pitiable-pierrot/entry-12227649633.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Dec 2016 21:10:49 +0900</pubDate>
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<title>ボクダケガイナイマチ</title>
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<![CDATA[ 小説を読むにあたって、どうしても気になってしまうのが、「この作品は何人称視点で描かれているのか」という部分で、「あれ、なんで一人称で進んでたのに急に主人公以外の第三者の心の声が地の文に書かれているんだろう」とか、「あれ、これ三人称だったはずなのに主人公の心の声で終始書かれてる気がする」とか、そういうのって結構大事なポイントだと思うんですよね。<br><br>もちろん、文学の知識もなければ作品を作るノウハウもプロフェッショナルな彼らに比べれば僕にはひと欠片すら持ち合わせていなくて、黙って彼らの描いてくれる世界を堪能していればいいのでしょうけれど、やっぱり気になってしまうのは止められません。<br><br>小説だけならいいのですが、困ったことに最近これらの『気にしぃ症候群』は漫画作品を読んでいる時でも発揮されてしまい、特に主人公のモノローグが頻出しつつ進行していく作品に関しては、モブや第三者の心情や心の声をモノローグ化して表現されてしまうと、「あれ、主人公目線で進んでるのになんで他人の声を知ることができるんだろう」と不思議な感じがして、物語に没入できなくなってしまいます。<br><br>そして、これをミステリの類でやられてしまうと、それはもう反則じゃん！　と、読む気がなくなってしまうのです。<br><br>多分、『誰の目線で描かれているか』って、みんな気にしていないようで結構気に触ることがあるんじゃないかなとも思うんですよね。<br>どこか違和感を覚えたり、何となくここっておかしくない？　とか、ちょっと引っかかるような箇所があったら、そういう矛盾みたいなことだったりするのかなとも思います。<br><br>なんで突然こんなことを書き出したのかというと、<br>今月はあまりにも小説を読まな過ぎて、感想文を書くことができなそうだったので、漫画の感想でも載せようかと思い立ったものの、特に面白かった漫画を読んだわけでもなく、でもじゃあ昔読んだドラえもんの感想でも書こうかしらとここを開いた途端に、先日漫喫で読んだ【僕だけがいない街】でいいやと思い至り、冒頭の文句へと繋がったというわけなのです。<br><br>２００万部以上売れた割と有名な作品みたいですので、<br>粗筋は言わずもがなな感もありますが、<br>所謂ループもののひとつです。<br><br>そして、そのループ設定をあまり生かせていないといいますか、<br>ループ設定だけじゃなく、主人公が漫画家であることもそうだし、その他いくつか読んでいて「要るかなこれ」と思わざるをえなかった点があり、一部ネット上で絶賛されるような優れた作品だとは思えませんでした。<br><br>面白くなかったのかと言われれば、楽しめたのは否定しませんし、<br>全８巻ということもあって、短時間で読破できてしまうのもコンパクトでいいと思います。<br>しかし、後半は、若干の引き延ばしなのか、冗長というか、それこそ「要る？」というシーン満載で、どうやらアニメ化や映画化などのメディアミックスが絡んでいた為、作者に引き延ばし要請が下ったというのが大方の見方のようでして、僕もそれが真相だと思います。<br>だから僕は映像化が大嫌いなのです。偶にアニメ等から逆輸入みたいな展開もありますが、基本的には原作に悪影響しか与えていません。少なくとも僕の中では。<br>当然出版社は、作品の出来如何よりも、宣伝や他社との兼ね合いみたいなものを最優先にしますから、漫画化にとってはどうしても蛇足が増え、駄作へと踏み出してしまう危険性もある行為に手を出さなければならないというのは、不本意なのでしょうけれど、やはり書かせてもらってるという引け目みたいな部分もあるのか、仕方のないことなのかもしれません。<br><br>個人的に納得いかなかったのは、雛月ちゃんという、主人公の小学生時代のクラスメイトが割とあっさりともうひとりのクラスメイトの男の子と結婚していたことです。<br><br>雛月という少女は、主人公が生きている時間軸(？)では、連続殺人犯に殺されてしまう可哀想な被害者でして、彼女と結婚した広美という少年も、同じく殺されてしまう被害者なのです。<br><br>そして、タイムリープした主人公が、彼らを殺させない為に、小学生の身体で駆けずり回り、彼らを犯人の魔手から救い出すことに成功します。<br><br>物語りの前半は、明らかにこれが話の枢軸で、雛月ちゃんがヒロインとして描かれていて、(姿だけは)幼い主人公と心を蚊よし、淡い恋心を深めていきます。<br><br>しかし、彼らの命が救われても物語は終わらず、今度は主人公が犯人に目を付けられて、殺されかけてしまいます。<br>十五年間も寝たきりになり、所謂植物状態で過ごした主人公は目を覚ますと大人の身体に成長していて、軽い記憶喪失みたいな症状がありつつも、ずっと看病していてくれた母親に感謝をし、復活を喜んでくれた友人にも励まされながら、リハビリに励みます。<br>そして、そのリハビリ中に、赤ん坊を抱いた女性が彼を訪れたのです。<br>雛月ちゃんです。<br>なんと彼女は結婚して幸せな家庭を築いていたのです。<br>これはこれで素晴らしいことなのでしょうけれど、何だかちょっと、納得できない感が僕にはあって、別にじゃあ純潔を守って目が覚めた主人公とくっ付くのが当たり前だよねとかそういうことでもなくて、命の恩人だと自他共に認めていた彼が目を覚まさない間、自身の幸せを確り掴もうという気になったのが、あまり好きなタイプのキャラクターじゃないなという、実に自分勝手で押しつけがましく、偏見に満ち満ちた意見なのは百も承知なのですが、とにかく少し冷めてしまった場面でした。<br><br>現実の世界でも子供が殺されたとか誘拐されて行方不明とかで哀しんでいるはずの親の格好を見ると服飾全てをブランド物で固め、バッチリメイクをし、明らかに手入れの行き届いた髪の毛に、なんならちょっと肌艶良いよねというくらいに肥えた人ととか、そういう人をテレビとかで見ると、なんだかその哀しみとか絶望感が嘘臭く思えてしまうんですよね。<br>いやいや、哀しみ方なんて人それぞれでしょということで話は終わってしまうんですけれど、でもそう感じるんだから仕方ありません。<br>哀しみ方が人それぞれであるように、受け取り方も人それぞれなので、彼ら彼女らを批難する気は毛頭ありませんが、そういう風に考えてしまう僕を批難される気も毛頭ないので、相容れない考え方をしている者同士、決して関わることなく生活していけることを祈り続けるしかありませんよね。<br><br>話がズレてしまいましたが、<br>要するに主人公は過去に戻り、世界を変えてしまったわけで、<br>本来死んでしまっているはずの二人の少年と少女が、他の誰かと結婚でもしようものなら、それは他の誰かの人生も大きく変えてしまっているということにもなって、なんか色々その世界の中の整合性的な何かが崩れてしまうからとか、なんかそんな理由なんだろうなと適当に結論付けましたが、こういうのって作者が「これはこういうものだから」という一言で何でもありになってしまうので、考えるだけ無駄なのです。<br>そう、考え損になってしまうので、これはこういうもの！　で、いいのです。きっと。<br><br>犯人に関しては、もうこいつしかいないでしょってくらいそいつでした。<br>中途半端な見せ方が、逆に確信つかせてしまう悪例ですね。<br>態とらしいフラグもバンバン立ててましたし、寧ろそいつじゃなかった場合、完全に読者の裏をかけたと思いますが、余程の上手い伏線を張っていない限り、それはそれで奇を衒っただけというのがバレバレで寒々しい結果になってしまったと思いますし、この犯人で正解だったのかもしれません。<br><br>犯人自体は別に嫌いなタイプでもなくて、まぁよくある異常者、最近で言う『サイコパス』というカテゴリに属すタイプなのでしょうか、そんな感じで、表面的には魅力的な人間ではあるのだけれど、裏では殺人行為を愉しむような、歪んだ人間性の持ち主でした。<br><br>最終巻で、大人になった主人公と決着を付けますが、良いシーンなのは分かりますが、然程感動もなく、成程な～という、ハッピーエンドへ向けて、行くべき方向へ行った感がありました。<br>それが良いとか悪いとかではなく、予想通りで、予想通り過ぎた為、反対に肩透かしを喰らってしまったような気分でした。<br><br>終わり方は、これまたよくある「僕は明日を生きる！」的な奴で、大団円で、みんなが幸せになって、何もかもが上手くいって――みたいな、毒にも薬にもならない、何も残らない終わり方でした。<br><br>そういえば、重要な登場人物を忘れていました。<br>アイリという少女です。<br><br>少年時代にタイムリープする前、現代で、ピザのデリバリーをしながら漫画家をやっていた主人公と仲の良かった女子高生少女なのですが、何だか結局よく分かりませんでした。<br><br>母親殺しの罪を着せられ、逃げ回る主人公を通報した店長の顔面を殴りつけたり、未来が変わった世界でも「十五年間眠り続けていた少年」として主人公を追いかけ回し盗撮していたカメラマンに同じく顔面を殴りつけたりという暴力少女なのですが、どうやら彼女が物語りのキーになっていたようで、所々でなんだかよく分からない登場の仕方をしていました。<br><br>因みに、現代では殺人罪で追われる主人公に唯一救いの手を差し伸べてくれた人物で、その為彼女も犯人に命を狙われかけたり、なんとか一命を取り留めたものの、今度は共犯の罪でマークされて、挙句病院から抜け出したのを尾行され、彼女のせいで見事主人公は警察に捕まってしまいます。<br>そして手錠をかけられ連行されているシーンでタイムリープ。<br>この後はこの世界はなかったことになってしまいます。<br>アイリ以外は。<br><br>植物状態から回復した後、記憶を取り戻した主人公は、主人公のことなど知る由もない彼女に会いに行きますが、彼女の顔を見て、声をかけるのを止めます。<br>恐らくもう巻き込みたくなかったからなのでしょう。<br><br>で、その後犯人との対決を終え、主人公は売れっ子漫画家として花を咲かせ、人生を謳歌するのですが、何だかよく分からないことに、ネーム作りに出かけた主人公が、前の世界線(？)で逮捕されてしまった橋の下に立っていると、アイリが走ってきます。<br>そして主人公が泣きながらモノローグで何やら言い、何だかよく分からないハッピーエンドを迎えます。<br><br>この手の作品は、「分からない奴が頭悪い」とか、「これを面白いと思えないのは想像力がないから」とか、とかく否定する人間に対して否定的な意見を口にする人が多いですが、個人がおかしいと思うのであればおかしいのだろうし、楽しめなかったのならその感想が全てなので、絶賛する人を否定するつもりは僕にはありませんが、かと言って彼らが僕の的外れな指摘を見聞きすれば、泡を飛ばして罵りの言葉をくれることになりそうです。<br><br>実際今、この感想文を書いていて、時系列も目茶目茶で、何が言いたいのかも自分でよくわかっていない僕なので、物語を理解する能力が足らないのは確かなのでしょうけれど、説明し過ぎなくらい説明過多な本作品は、想像の余地を残すことなく、僕が思い描く『幸せ』とは異なる幸せを描いてそれを主人公に与えた作者の考えを僕は肯定する気にはなれないので、結論としては、雛月ちゃんが救われるまでの話は面白かったけれど、その後(特に７巻ら辺)は惰性で読み流していた位退屈な作品でした。<br><br>それはそうと、もうひとつだけ気になったというか、直接は関係ないのかもですが、<br>雛月ちゃんは母親に虐待されていて、児童相談所の人間が来て、主人公の頑張りもあって、母親から祖母の手に引き取られます。<br><br>現実には、施設に行くこともあるでしょうし、保護者になれる人の所へ送られることになるケースが多いのでしょうけれど、虐待の疑いがあると言われて、じゃあ他に引き取り手もなく、施設にも入れないとなった場合、その子はどうなってしまうのでしょうか。<br><br>虐待死は頻繁にニュースなどでも目にします。<br>これは学校内で起こるイジメ問題も同じで、第三者が口を挟んだことによって、更に攻撃がエスカレートするパターンはかなり多いのではと素人の僕は思っていて、大抵その手の非人道的行為を繰り返すような人間は、他人の注意をまともに飲み込めるわけがないとみておいて間違いないでしょうし、ならば指摘することにより激昂して、死に至らしめるところまで追い込むようなことも平気でしかねないのではないかなと心配になります。<br><br>よく、近所で虐待が疑われるような家があれば即座に通報しろみたいに言いますけれど、それまではちょっとぶたれたり罵られたり程度で済んでいたのに、それを気に「あんたのせいで……！」と、暴力性が増す危険性って低いのでしょうか。<br>見えない場所に攻撃を加えるようになる可能背は低いのでしょうか。<br><br>どんな生活状況であって、どんな精神状態であっても、<br>日常的に暴力を振るえる人間はまともではありません。<br><br>彼らには言葉は通じないのでしょうし、<br>「話せば分かる」と言っている人の言葉すら、<br>届くことはないのではという気もします。<br><br>１００点満点の解決法なんて一生出てこないのでしょうけれど、<br>せめて被害者の被害が拡大しない方法を、<br>現行の法律よりも、もっともっと、被害者の安全性を高められるような何かを、<br>大金を懐に入れてのほほんと暮らしている日本のお偉いさんは話合っていくべきなのではないでしょうか。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><a 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<pubDate>Wed, 24 Aug 2016 19:41:07 +0900</pubDate>
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<title>しょうせつかというしょくぎょう　②</title>
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<![CDATA[ <br>それと、「作家になりたいなら小説を読むな」とも書いてありました。<br>どうしても既存の作品に寄っていってしまったり、影響を受け過ぎると新しい道を切り開くのに弊害があるような理由でしたが、それもどうなのかなと思わざるを得ませんでした。<br>森さんは、とにかく「新しいことをしろ」「今までになかった作品を書け」というスタイルを進めていて、確かに新ジャンルは競争相手がいませんから、読者を独占できる可能性は高いですし、言っている意味も充分分かります。<br>ですが、他の人の作品を読まずに描く『新ジャンル』とは、どういったものなのでしょうか。既存の作品を知っているからこそ、『今までになかったもの』が生まれるのではないでしょうか。この世に何色があるか分からないのに、「新しい色作った！」と得意気に紫色を掲げることを推奨しているようなもので、必要以上に読み込む必要はないものの、とりあえずどんなものが世間巷を席巻しているのか、優秀な作品とされているもの、売れてはいないけれど、一部のマニア達には評判がいいもの、そして、自分が好きな作家やジャンルなどなど、広く浅く読み込み、その上で「こんな世界観ってあんまりないよな」というものが見えてくるのではないでしょうか。森さんの進める「新しさ」とは、旧きを知ることによって切り開ける道であり、過去に何があったのかを知らずに新たな歴史は刻めません。況して、そこの道で生計を立てて行こうとしているのですから、新しいと思って心血注いで書き上げた数百の作品が、散々擦られて、もう焼け野原みたいになってるジャンルだった場合、目も当てられません。<br>「森博嗣がこう言っていたから自分はこっちに進んだのに！」と文句を宣うような人間は無視して結構ですが、ご自分の影響力を、お得意の『分析力』で十二分に熟知しているはずなので、その辺はもっと慎重に言葉を選んでも良かったのかなとも思いますが、森ファンにしてみれば、「言われなくても分かってる」といったところなのでしょうか。<br>ファンと強い絆で結ばれているのであれば、こちらからは言うことがありませんが、ファン以外も読むでしょうし、いくら「あくまでも自分の体験談だし、合わないと思った人はこの本を読まないほうがいいです」という前口上があったとしても、それは少し無責任な気もします。<br>小説は読者に委ねる部分が大きいとご自身も言われているので、それなら想像力のない人間や純粋無垢な人間、そして森博嗣に心酔している人間がいることも念頭に置かれて、もっと彼らのことを考えてあげてもいいのではと、余計なお世話な感想を抱いてしまいました。<br><br>ただ、もちろんこのエッセイは悪いところばかりでもなくて、参考になる部分もありました。<br><br>本人が書かれていますが、巷に出回るノウハウ本は、そのやり方が通用しなくなってから出されるというのは常識であって、「ＦＸ必勝方！」とか「株の儲け方」みたいな、破滅へ誘う指南本も多数出されていて、それを手に取って、最早時代遅れの知識や技能を見に付けた人から首を吊っていっているのかもと考えると、出版社や作者はとても罪深いことをしていますよね。<br>とはいえ、基礎知識に関しては、たとえ古い教科書であっても学びにはなりますし、使い古された知識や技術であろうと、それを上手く使いこなせるのであれば、決して無駄ではないのでしょうね。<br><br>作家になっても続かない人が多い理由もいくつか挙げられていましたが、<br>その中で納得できたのは「読者の慣れ」に関して言及されている部分です。<br>読者は実に勝手なもので、前作が感動系の作品だった場合には、二作目にはそれ以上の感動を、ミステリ系であれば前作以上のトリックを――と、どんどんより強い刺激を求めるようになり、『その人の中での前作に対しての評価』を超えないと、「この作家一発屋だな」なんて思われてしまうことも多いのでしょうね。<br><br>それと、「批判に腹を立てるような人は作家を諦めたほうがいい。腹を立てるのは自信がないからであり、それを笑い飛ばせるような人が作家に向いている」といった旨の記述をされていましたが、これも同感です。<br>作家に限らずクリエイター全般に言えることですが、やはり批判に過剰に反応する人間は、自分の作品に対しての自信もなければ、ともすれば揺らいでしまう危うさを秘めていると思います。「すげーモン作ったぜ！　みんな見てくれ！」って発表して、それを「しょうもない」と詰られたら「お前には伝わらなかったかごめんな」で済ませることができない著名人が随分たくさんいらっしゃいますよね。<br><br>ここ数年、芸人さんがツイッターで煽られて乗っかって、暴言を吐いているなんて話題もちょこちょこと目にしますが、本当に恥ずかしいなとしか思いません。<br>宮迫さんやほっしゃんさんは、顔を真っ赤にしてポチポチしてたんだろうなと想像すると、もう二度と笑うことができません。元からあまり笑ったことはありませんが。<br><br>なので、批判でコロコロ思想や作品に対する取り組み方を変えたり、反対に「てめーには分かんねーだろうなこの素人が！」なんて発想を持つ人間は、世間一般に広く認知され、多くの人に評価される仕事を選ぶべきではない気がします。<br><br>しかし、この森さんという人は、どちらの人種とも一味違うようです。<br>「褒められても嬉しくない。それはこちらが狙った通りの感想だから」<br>「批判の多くは誤読や誤解であり、『ああそんな風に読んじゃったか』とある意味で新しい発見になりニヤついてしまう」<br>そんなことを言われています。<br>この文章を読んで感じ悪いな～とならない人は、きっと森さんの大ファンなのでしょう。<br>それか森さんを全く知らない人なのか、どちらかですね。<br><br>なんと言うか、「絶対に自分が正しい」という思いを常に念頭に置き、自分を批判する人間は間違っていて、曲解していて、理解力が欠如していて、想像力が乏しい可哀想な人間であると、彼は思いながら他人と接しているんだろうなと、あくまでも僕の貧困な想像ではありますが、そんな風に受け取れるのです。<br><br>終始上から目線で、絶対の自信を持ち、褒められても喜ばず、貶されても動じず、この一冊の殆どの頁に嫌味や達観している自分に酔い痴れているような文言が並び、ナルシスト然とした物腰に引きっ放しではありましたが、そりゃこれだけの経歴を持っていたら自惚れもするよなぁとも思うので、他人がどうこう言って「ああ、確かにちょっと自画自賛が過ぎるな」と考えられるような人ではないのは仕方がないのかもしれません。<br><br>以前、松本人志さんが、視聴者に「最近天狗になってないか」と指摘されたことに対して「俺だからこのくらいの天狗で済んでる。お前がこの才能を持ってたらこんなもんじゃないぞ」的なことを著書で書かれていたのを思い出します。<br><br>芸人さん繋がりで言うと、さんまさんを筆頭に多くの芸人さんが多様する「素人」という言葉、あれもあまり好きではありません。もちろん笑いに関しては素人なのは当然ですし、たとえば大工さんから見たら弁護士さんは『素人』であり、お医者さんから見たらパイロットは『素人』で、Ｆ１選手からしたらアメリカ大統領も『素人』です。<br>なので、この言葉自体が悪いとか、単純に言葉の意味が分からないということではなく、何故敢えてそこで素人という言葉を選ぶのか、という意味では意味が分かりません。<br>何故使うのか。それは暗に、芸人さんが自分達の業界以外の人を下に見ているからということに尽きますが、大工さんは弁護士さんを素人と言わないでしょう。言うとしたら、大工の仕事に「もっとこうしたらいいんじゃないの？」と駄目出しをしたときや、自ら鉋や釘を持って日曜大工を行う時などは、大工さんの本職に関わることなので「素人さんは～」という言い方もするでしょう。これは法律を扱う時の弁護士さんや、医療に関しての話をする時のお医者さんも同様で、自分の生業としている職業に直接関係ある物事を相手に伝える時などには使用するのも自然です。しかし、芸人さんは、自分の仕事関係なく「素人さんが」と多様するきらいがある気もします。たとえば『素人』と呼ばれる、『お笑い芸人以外の職についている、俗に言う一般人』が芸人さんの漫才に対して「テンポが悪い」や「間が悪い」などと批判した場合、「やったこともない素人に間の良し悪しがどれだけ分かってんだよ」と思うのは当然ですし、その場合は素人呼ばわりもおかしいとは感じません。しかし、「こないだ新宿歩いてたら素人さんがこんなことやってて～」「素人さんに声かけられることもあって」とか、何となく「あれ？」と、変な違和感を覚えることも偶にあります。多分、有名人だったら有名ではない人は声をかけることがあるでしょう。顔の知れた宇宙飛行士が歩いてたら「頑張ってください」「握手してください」と話しかける人もいるでしょう。でも宇宙飛行士さんは「こないだ素人さんに声かけられちゃいました」とは言わないでしょう。何故なら顔を知っているだけで、宇宙の話などその人は一言も言っていないからです。しかし、芸人さんはテレビに出ていない人＝素人という認識があるのか、割と出始めの若手芸人すらも「素人が」と言いたがります。それはプライドであったり、優越感みたいな思いが発露となって、つい無意識に出てしまうことなのかもしれません。<br>なので、特別批判的な気持ちもなく、ただあんまりいい気はしないな程度の違和感であって、しかも相手は何十億何百億と稼いできた人達ですから、社会の歯車にすらなれない僕が苦言を呈すこと自体がおこがましくもあり、僕こそが自惚れ屋の厚顔無恥男であると指を差されて笑われてしまっても反論の余地がありません。<br><br>ただ、才能があって、努力もして、多分運も味方をしてくれて、途轍もない収入を得た人間に対し、「お前は自惚れてるぞ！」と指摘することの虚しさたるや、もう恥ずかしさで死ぬまで顔を赤く染めたままの状態になってしまいそうです。<br><br>細かく書き出せば、ほぼ全ての頁にここはこうで～と、森さんの言うところの「誤読や誤解」をしてしまい、批判染みたことを書けそうですが、それはそれでやっぱり虚しいので、三作目にして早くも『脱森宣言』をして、感想文を締め括ろうと思います。<br><br>今回得た教訓。<br>「好きな人だからこそ、深く知ろうとするな」<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=32432224" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">小説家という職業 (集英社新書)/集英社<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41ioLMk1oZL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥価格不明<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Sat, 30 Jul 2016 14:01:42 +0900</pubDate>
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<title>しょうせつかというしょくぎょう　①</title>
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<![CDATA[ 好きになった人のことをもっと深く知りたい、詳しく知りたいと思う欲求は極自然な感情で、誰しも少なからず行動に移したことはあるのではないでしょうか。<br><br>そして、それを知ることによってその人のことがもっと好きになったり、その人の作り出す作品などがもっと楽しめたりと、プラスの効果を齎すこともありますし、知らなければよかったと後悔することもあり得ます。<br><br>僕は大抵後者の感想を抱くことが多く、<br>その人の人間性や思想、日々どんなことを考え実行し、そして作品を作るに至った経緯であったり、どんな言葉を好み、他者に対してどれだけの思い遣りや理解を示せるのかなどなど、とにかく色々な情報を仕入れて、その人を分かった気になり悦に浸るのが趣味のひとつでもあるのですが、やっぱり嫌な気持ちになることの方が多いです。<br><br>みんながみんな精神的に大人だとか余裕があるとか、聖人君子である必要なんて当然なくて、優しそうな人が毒づいていたり、反対にグロテスクな描写が大好きな人が実は繊細で腰の低い人だったりと、ギャップにはプラスマイナス両面が付き物ですし、その人の裏の顔というか、別の一面を見た時に与えられるインパクトは好転することもありますし、その人に対する興味を根こそぎ奪ってしまうこともあるので、好きであるなら好きである程、相手に深入りするのは避けるべきなのかなという気も流石にしています。<br><br>この手の話をすると、「そんなので好きじゃなくなるならそれは本当に好きじゃなかったんだよ」と言う人が必ず現れますが、その通りでもあり、それを言い出したらじゃあ本当に好きってどういう状態なの？　とも思ってしまいます。<br><br>よく、「本当に好きだったらさ～」と恋愛絡みの話題で出てきますが、<br>本当に好きだったらこれぐらい我慢できるとか、<br>本当に好きだったらこれをしてあげたくなるとか、<br>そんなの人それぞれストレスに感じることも違えばその相手の望んでいることも違うんだから一概に言えないはずだし、そもそも思いっ切り殴られて嬉しいと感じる人がいるとして、その人にＤＶ被害を相談した結果「本当に好きなの？　自分は殴られても全然気にしないけど」と言われたらどう返すのでしょうか。<br>「それはおかしいよ。普通、本当に好きだったら暴力振るわないし、暴力振るわれて喜ばないよ」とでも言い返すのでしょうか。<br>他人に『本当』を押しつける厚かましさを持つ人間は『本当』に恐ろしいですね。<br><br>というわけで、さっさとタイトルを出してしまいますが、<br>今回は森博嗣さんの「作家を目指す者達へのアドバイスという名目で語られる自慢話」がつらつらと語られている【小説家という職業】の感想文です。<br><br>ここでの感想文を書いた二作しか読んだことがないので、<br>正直、どのような作家さんなのかあまり知らなかったのですが、<br>なんというか、苦手なタイプの人でした。<br><br>「主人公が嫌いだからこの作品が嫌いとか言う人もいるけど、主人公と恋愛でもするつもりなのだろうか」と仰っていた森さんは恐らく、「作家のパーソナリティなんて作品には関係ない」と考えているでしょうし、「作家が嫌いだからといって作品を読まないなんて、作家と結婚でもするつもりなのだろうか」と言われてしまうかもしれませんが、主人公のことを好きか嫌いかは割と重要なファクターだと僕は思いますし、どの様な人間が書いた作品なのかは受け取り手にとって、重要とまでは言わずとも、影響は大きいのではないでしょうか。<br><br>たとえば猟奇殺人犯が主人公の作品で、オビに主人公の性格が書かれているわけでもなく、内容を知らずに読み始めた作品だった場合、まず主人公に嫌悪感を抱くと思います。<br><br>現実に起こっている通り魔殺人を模した内容で、主人公は嬉々として人を殺していく。<br>耳を削ぎ落して、指を切り落として、目を刳り貫いて、舌を引き抜いてと、次々理解不能な言い訳を口にしながら善良な市民を虐殺していくシーンが描かれているとします。<br><br>たとえストーリーに無理がなく、まぁそれなりにきちっとした落ちがつけられて、全体的に綺麗に纏まった一冊だったとして、その作品が好きとなるかといえば、好きだと言える人はかなりの少数派なのではと思います。<br><br>主人公に対する感情が作品の評価全てを引き受けることなんて当然なくて、反対に主人公以外の出来が評価の全てを担うことも当然ないので、メインキャラクターのひとりがとてもではないけれど受け付けない性格をしていた場合や、どう考えても納得できない言動をしていた場合に、作品に対するヘイトは溜まるでしょうし、人によっては「もう読みたくないな」と思っても仕方ないと僕は思うのですが。<br><br>実際、例としては正しいのか分かりませんが、<br>この作品に対する某サイトのレビューを読んだところ、<br>「作者のサクセスストーリーが延々と書いてあるだけなので気分が悪くなり途中で読むのを止めました」といった旨の感想がありました。<br><br>この【小説家という職業】の主人公は森博嗣さんであって、<br>このレビューを書いた人はこの作品の主人公が気に入らなかったから読むのを止めたのだと思います。<br><br>これは小説ではなくエッセイの類ですし、登場人物が森さんしかいないので、それをそのまま当て嵌めるのは違うのかもしれませんが、少なくとも彼は主人公と結婚をするつもりもなければ、主人公の性格が嫌いだから、という理由だけで読み続けることを拒否したわけではないはずです。そして僕はレビューを書いた人の気持ちが少し分かります。この本を楽しく読めるのはファンクラブのメンバー位ではないでしょうか。心底心酔していて、神様と崇めるような熱心な信者であれば、「あぁ、これはいつもの森先生だな。先生らしいや」と笑みを溢しながら読破してしまうのでしょうけれど、僕のような初心者にはまだ早かったようです。<br><br>何より気になったのは、偏見に満ち満ちている印象があったことです。<br>僕が本当に嫌だなと感じたのは、<a href="http://ameblo.jp/pitiable-pierrot/entry-11911226646.html" target="_self">【さいえんす？】</a>で、東野圭吾さんの文系に対する見下した発言と同様の不快感です。<br>僕は大学も行っていませんし、理系でもなければ文系でもなく、どちらにも属せない半端者なので、理系と文系の間にどのような抗争があっても全く関係ないのですが、何故こうも理系の人は文系の人間を見下すような発言が多いのか、理解に苦しみます。<br>いや、僕は文系でもなければ文系を代表して物申す気もありませんので、苦しみはありませんが、やっぱり見ていて不愉快です。<br>東野さん程露骨ではないものの、――露骨でないからこそ感じが悪くもあるのですが、出版社の編集者を始め、会社自体の考え方や経営方針、作家に対する姿勢などを批判しながら、「何故文系の人間はこうなのか」と嘆いている箇所があるのですが、どうやら森さんの中では、編集者は本が好き＝文系という方程式ができ上がっているようで、森さんがミスを叱る→謝りに来る→それでＯＫだと思って改善しないし、今後どうしていくつもりなのか、ミスに対してどのような賠償などをするのかを明示せずに終わらせてしまう→出版社（文系）の連中はおかしいのではないか――。<br>そんな不満を吐露されていました。<br>それって、本当にどの出版社でも同じなのでしょうか。<br>会社としての対応は、会社のカラーやマニュアルがあるでしょうし、たとえばそれが講談社だった場合、もしかしたら他の編集者も同じ対応をしたかもしれません。<br>しかしでは、集英社を始め、他社でも同様の対応をされたのでしょうか。<br>それに、ミスと言っても様々ですし、作者が１％も悪くない事案もあれば、作者の落ち度があってそのミスに繋がってしまったというケースだってあるのではないでしょうか。<br><br>森さんはとてもプライドが高いと思われますので、基本、あまり謝罪をされないのかなというイメージが僕の中にはあって、文章にはネチネチとした皮肉や、あとがきで書かれていた「生きるのに向いていない」というような、卑下をしつつも、自分の能力を高く高く評価しているのがヒシヒシと伝わってくる、終始、徹頭徹尾自分は間違っていないという、傲慢さや、読者を含め、他人を低く見積もっている感をふんだんに孕んだ文章は、読んでいて決して気持ちのいいものではありませんでした。<br><br>コアなファン、森信者という名の盲信者と言い換えてもいいのかもしれませんが、<br>その人達は「森先生は照れ屋だから、敢えて皮肉っぽい言い回しをしてる」と、好意的に解釈されているのかもしれませんが、好意的に見ることができない僕には偏屈なお爺さんといった印象しかありません。<br><br>何より、性質が悪いのが、森さんが何もかも手にした人間だからという事実なのかもしれません。<br>若くして自ら設計した家に住み、研究が認められ、いくつもの賞をもらい、ふとしたきっかけで小説を書いて応募したらすぐにデビュー、立て続けに作品を出し、それらの映像化などもあって、数十億を手に入れ、妻と子を養い、趣味の工作などにも没頭する時間も能力もあるという、じゃあ他に欲しいものってなんかあるの？　と聞きたくなるような、完璧な人生を歩まれているので、たとえ「実はこの時これだけ苦労したんだよ」と後で言われても何だか鼻白んでしまいそうです。<br>人は嫉妬する生き物なので、僕も例に漏れず嫉妬の鬼と化してしまったんだろうと指摘されてしまえばそうなのかもなと思い当たる節もありますが、百億稼いでいようと世界中の人間から称賛されていようと、羨むことはあっても嫌いになることはまずありません。<br>ビルゲイツもピカソもイチローもマイケルジャクソンも全く嫌いじゃないですから。<br>ただ、やっぱり不必要なまでに他人に対して、それもカテゴライズして、そこに属す人間を一緒くたにして語る人間は物凄く嫌いですし、醜いと思います。しかも本人はそんなつもりないよという、寧ろそんな批判をするお前こそレッテル貼りの差別主義者じゃないの？　と言い返されてしまいそうな気がするくらい、とにかく自分がＡと思うものをＢと言う人がいれば「彼は駄目だな」と切って捨てる人であると、僕の中の森さん像は定まってしまいました。<br><br>先述したように、別に作家が全員優しい人である必要はありませんし、僕が好きなタイプの人間であることを強要するのは、それこそ僕が忌み嫌う偏見に満ちた側の人々と同じになってしまうので、そんなつもりは全くありませんが、それでも読み手に文系の人がいて、その人が気持ちよく読めるかどうかを考えれば、それはそんなはずがないよなと思い直すこともできたのではと、余計なお世話でしかありませんが、素人ながらに思ってしまうのです。<br><br>森さんに先見の明があるのは確かでしょうし、色々と頭を悩ませた上でここまでの成功を収めたのでしょうから、成功できていない企業のやり方を否定するのは間違っていませんし、これを読んだ出版社初め本に携わる企業達が何かしらのヒントを得ることができれば、この本はとても評価されるでしょうし、ある意味、業界の救世主にもなるのでしょうけれど、一貫して、「何故僕のこの正しいやり方を採用しないのか」という不満が書き殴られていて、プロの作家さんですから乱文ではありませんが、愚痴ブログを読んでいる気分になりました。<br><br><br>②へつづく
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<link>https://ameblo.jp/pitiable-pierrot/entry-12185177928.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Jul 2016 13:47:03 +0900</pubDate>
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<title>しんやひゃくたろう　いりぐち</title>
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<![CDATA[ お金持ちの家に生まれてそこそこの容姿とそこそこの地頭とそこそこのコミュニケーション能力を持っている人に対しての嫉妬とか羨望とかはきっと無い物強請りというか、もし自分がそっち側の人間だったら「何を羨んでるの？」って理解不能だったんじゃないかなって思うのです。<br><br>そういうのって持っていない側からすると理不尽だなとも感じるし、自分が努力したわけでもないのに初めから手元にある、色んな意味での『財産』みたいなものって、努力しても得られない人がいることを考えると、当たり前だけれど世の中って平等じゃないし、やっぱり理不尽以外の何ものでもない気がします。<br><br>事故や病気で命を落としてしまった人からすると、これ以上ない理不尽さを感じたまま他界したでしょうし、天命を全うできたと堂々と宣言できる人なんてほとんどいないでしょうから、結局未だ大きな怪我も病気もしていない自分はそういう人達からすると理不尽な程に恵まれた人生を歩んでいるのかも知れません。<br><br>ただ、そんな理不尽さのハイエンドといえば、幽霊に殺されてしまう人なのではないでしょうか。<br>もちろん幽霊が存在するなら、という前提ではありますが。<br><br>以前、イギリスかどこかの研究所だか大学だかで、幽霊は存在しないということを科学的に解明したと聞いたことがありますし、スイスかどこかでは科学的に幽霊を作り出したという話まであった気もします。<br><br>あくまでも脳内で作り出した存在であることはまぁ何となく想像がつきますし、確かに世間巷で登場する幽霊話の大半は似たような格好をしていたり、墓地だったり学校だったり薄暗い通りだったりと似たようなシチュエーションで出てくることが圧倒的に多いですから、幽霊肯定派には申し訳ないなと思いつつも、「幽霊は本当にいるんだ」という考えを持つことはなかなかに難しいですね。<br><br>とはいえ、幽霊が登場する怪談話、ホラー映画の類はとても人気コンテンツでもあって、学校の怪談や七不思議の類に関しては世代を超えて語り継がれていたりもしますから、話題に上がり続ける『幽霊話』は、価値というか重要がとても高いのは間違いなさそうです。<br><br>で、幽霊がいてもいなくてもどちらでも特に影響がないと考えている僕も例に漏れず、怪談話は嫌いではなく、ゾッとする感覚が嫌だな～と思いつつもつい手に取り目にし、あぁ見なければよかったな……と後悔する日々を送っています。<br><br>舞城王太郎さんの【深夜百太郎　入口】もそんなちょっとした興味から手に取りました。<br><br>もちろん、俄か舞城ファンでもある僕が舞城作品を読まないわけもなく、いつものように慣れ親しんだ文体を読み進める内に、気付いたら４００頁を超える一冊を読み終えていたくらい、読み易さ抜群の、でも何とも言い難い、感想の難しい作品でした。<br><br>そもそも舞城作品は、ほぼ例外なく粗筋を語ることすら難しいので、今回も例に外れることなく、況して５０コもの独立した怪談話があるので、いちいちこれはこうで～と感想を語っていては指が疲れてしまいますし、この感想文日記には全体の感想だけを書き残しておこうと思います。<br><br>ほぼ全ての作品に霊的な現象や超常現象とでもいうのか、得体の知れない者々に殺害され、闇に引き摺りこまれ、そしてワープまでしてしまうような、もう何でもありないつもの舞城節が全編通してみられました。<br><br>多分、この本の中で最も人気が高いのは、横内さんの話だと思います。<br>大抵は７頁前後であるのに、この横内さん含むいくつかの話だけは十数頁にもなり、その分内容も深く描かれています。<br><br>この横内さんは、舞城王太郎らしさ爆発でした。<br>二転三転する場面を実に淡々と、流し読みしていたら理解できないような、本当に自然な感じで転換されていく物語は、最後まで飽きさせないというか、無駄がありません。<br><br>恐らく舞城王太郎の魅力は、独特の文章はもちろんですが、この無駄のなさ、抑揚があるのに無いように見せる技術というか、なんだかどんどん読み進めさせられてる感じというか、それはある意味その本の世界に引き込まれているみたいなことなのでしょうけれど、とにかく上手いなぁと思います。<br><br>もしかしたら計算で書いているというよりは天然でそういう性質を持っているのかもですが、どちらにしても、魅力的なことには変わりません。<br><br>勿体ぶる作者が多い中、この人はあっさりと手の内をひけらかし、そしてあっさりと別の手を見せてきて、何もないところを歩いていると思ったら突然目の前に壁が出現したような感覚になるような、赤く見えていたはずなのに気付けば茶色だったみたいな、一辺倒ではないところも読んでいて楽しく感じる要因のひとつなのでしょうね。<br><br>『家族の手』……だったと思いますが、いつも本を読みながら眠りに落ちてしまう少女にブランケットをかけてくれる人がいて、少女は母親だと思っていたのに、実は霊的な何かの手で、優しい話だなぁと思っていたら実はどこかに連れて行こうとしていたような描写があったり、もう安心して読めません。<br>この世にいい話なんてあるのかと不安になります。<br>でも止められません。<br><br>お風呂に入っている間に誰かが部屋にいる話も、本当に不気味で気持ちの悪さが半端ではなくて、もう……ほんとに気持ち悪いです。<br><br>全ての作品に言えることですが、想像力のある人間の方が怖がりなんでしょうね。<br>逆に、想像力がなければ怖くなんてないのが怖がらない人間だとも言い換えられて、そういう人は怪談話以外にも、あまり熱中できる小説はないのではと思います。<br><br>当然楽しみ方なんて人それぞれですので、感情が欠如していようとも、常識が欠如していようとも、楽しく読めるのであれば、読者間で同じ感覚を共有する必要もないですし、何も問題ありません。<br><br>とにかく、なるべく近日中に　出口　も読みたいので、<br>入口　の感想は少なめにしつつ、また　出口　を読み終えたら日記を書こうと思います。<br><br><br><br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=32336136" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">深夜百太郎 入口/MASAFUMI SANAI<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41eWDQ1BwPL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,620<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Fri, 15 Jul 2016 20:42:42 +0900</pubDate>
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<title>しんじつのじゅうめーとるてまえ</title>
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<![CDATA[ 推理小説好きである子供達の多くは一度は探偵という職業に憧れた経験があると思います。<br>かく言う僕も、小学生の時分はシャーロックホームズに自己投影し、いつかは人殺しをバンバン逮捕へと導こうと物騒な将来像を描いていましたが、<br>ある時、探偵の仕事が浮気などの素行調査や人探しなどが主であると知り、<br>そして、自分の無知さと融通の利かなさ、機転の利かなさを知り、<br>次第にワナビ精神を忘れ、フィクション探偵達の活躍を読むに留まっている状況です。<br><br>しかし、時は流れ、もう新たなミステリ物を描くのは難しいとも言われるようになりました。<br>一番の理由としては、トリックなどの枯渇でしょうか。<br>密室やらアリバイやら、シーン毎の展開にしても散々出し尽くされた感もあり、<br>読者の度肝を抜くような、今までにない作品を作ろうとしてもなかなか難しいのでしょうね。<br><br>しかも、科学の発展と共に、不可能犯罪が可能犯罪になり、<br>携帯電話を誰しもが所持している現代に於いては、<br>ちょっとしたすれ違いなども難しくなってしまいました。<br><br>これはミステリだけではなく、恋愛物でも言えそうです。<br>ドキドキがなくなったというか、世界が狭くなった分、<br>今相手はどこで何をしているんだろうと思いを馳せる必要もなくなりましたし、<br>ツイッターやらラインやらインスタやらで、今誰が何を思ってどんな行動をしているのか常に把握できるようにもなっていますし、更に秒単位で位置を確認できるような時代になってしまったので、プライベートもなければ相手を思っての些細な嘘すら吐けなくなってしまった感もあります。<br><br>これが良いのか悪いのか。<br>束縛されることを嫌がる人にとってはマイナスが大きい気もしますけれど、<br>監視社会になりつつある状況を良しとしている人も意外と多いのかも知れませんね。<br>何かを把握しているというのは心強くもありますから。<br><br>そして、その科学発展のお陰で、小説の中の探偵達も職を失いつつあるようです。<br>事件解決が飯の種である彼らにとって、他人が読み解くことのできない事件や暗号を華麗に解決することで一身に尊敬を集め、活躍してきたのですが、科学捜査も当然発達してしまった為、最早探偵の賢い頭脳なくしても、グズで鈍重な警察官だけでも、ある程度のことは詳らかにできてしまうのです。<br><br>こうなると探偵は用済みで、ひとり部屋でバイオリンでも引きながら大麻を吸って暇を持て余すくらいしかやることがありませんが、何よりも困ってしまうのは生みの親である作家さんです。<br><br>探偵が職にあぶれてしまうということは、自らも筆を進めることはできず、<br>ご飯が食べられなくなってしまいます。<br><br>そこで登場したのが、職業探偵ではなく、所謂素人探偵です。<br><br>素人探偵自体は昔からあったでしょうし、<br>それこそドイルが現役の頃から既に登場していたのでしょうけれど、<br>今はもう、巷に溢れる書物の探偵はほぼ素人探偵なのではないでしょうか。<br><br>素人だから理路整然としていなくても、そこはご愛敬で済まされるし、<br>素人だからたとえ間違った推理を展開しても周囲から責められることはありません。<br><br>読者も素人だから仕方ないと思える部分もあるでしょうし、<br>詰めの甘さや頭の回転が悪いところも、まぁ仕方ないと諦めて読み進めることができるという、<br>ある意味ではwin-winなのかも知れません。<br><br>そして、それは必然的に『日常ミステリ』を増やす結果にも繋がります。<br>どこぞの少年探偵や偉大な祖父を持つ長髪高校生でもあるまいし、<br>素人探偵が次から次へと人殺しの手口を暴いていくという設定はなかなか無理もありますし、<br>どんだけ周りで人が死んでるんだよと当然の突っ込みも入りますので、<br>そこはやはり殺人程の大きな事件ではなく、ちょっとした窃盗や泥棒、友達同士のいざこざや軽度の傷害事件で収めるしかないきもします。<br><br>そんなストーリーを書かれている作家さんもたくさんいますが、<br>僕が一番親しみ深いのはやはり米澤穂信さんです。<br><br>愚者のエンドロールという作品から入り、<br>出版された本は殆ど読んできました。<br><br>米澤さんの本を継続購読しようと決めたのは、確かその愚者のエンドロール内での会話だったと思いますが、コナンドイルの作品が登場し、登場人物がその作品に対して「僕は延原訳でしかホームズを読まない」というようなことを言っていたのが切欠だったと思います。<br><br>僕も延原訳以外ではしっくりこないので、新潮社から出ている文庫本しかホームズ初めドイル作品は読みません。その為同じことを感じている人がいたんだなという喜びというか、なんか嬉しくなってしまったんですよね。<br><br>……このままだと前置きだけで終わってしまいそうなので、そろそろ本題の感想文に入ろうと思うのですが、正直、あんまり良い感想も浮かばないし、かと言って腐す程悪いとも思わないので、書くことが全然ないのです。<br><br>というわけで、【真実の１０メートル手前】という、短編小説を読みました。<br><br>もうひと月以上前なので、断片的にしか覚えていないのですが、<br>表題作を含め、印象に残っているものはありません。<br><br>どれも後味が悪く、どれも明確な解決はなく、<br>読者は事件の概要をそれぞれの章の冒頭で知り、<br>大刀洗万智という超有能なフリーの記者の頭の中で展開された推理を彼女の口から聞き、<br>そうして事件の裏側を教えてもらうことで決して愉快な気持ちにならぬまま物語は終わっていくという、なんとも言えない一冊でした。<br><br>面白味がないというのが正直な感想で、<br>目端が利き、想像力も逞しく、先見の明もあり、圧倒的な行動力を以って現場に入りこんでいく彼女の姿勢は素晴らしいのでしょうけれど、なんというか、事件の裏側や加害者、そして被害者の心理を聞かされたところで、だからどうしたとしか思えません。<br><br>主人公が記者という職業である為、結局記事を通して読者にこの事件の顛末などを知らせ、それぞれの読者に解釈を委ねるしかないという、アンチテーゼというよりは週刊誌などを読む人々への一種の警告みたいな気もしなくはないですが、それでも、僕は楽しめませんでした。<br><br>賢い人間の言動は、見ていてワクワクしますし、突拍子もないことを始められた時の頁を捲る手の早まる感覚が好きでミステリを読み続けている人も中にはいるのではと思いますが、この主人公は初めから全て頭の中で完結しているようで、新たな証拠が見つかると歓喜することもありますが、それも予定調和というか、作者が主人公の為に用意しましたという、何とも面白みのない演出だらけで、「えー！　そんな事実が……」とは全く思えませんでした。<br><br>全部決まっているストーリーを、<br>全部分かっている主人公が、<br>特に紆余曲折もなく真実（と思われる事実）を手にし、<br>やっぱりこういうことだったのねで終わりです。<br><br>読者はあれこれ脳内で妄想を膨らます余地もなければ、<br>何となく後出しではと思わせる情報を見せられ、<br>首を斜めに傾げながらただただ頁を捲るだけです。<br><br>ただ、少なくとも僕はそんな感想を抱きましたが、<br>もしかしたらミステリ上級者や、信者と言われる程の米澤フリークの人達からすると全くそんなことはないのかも知れません。<br><br>前述したように、今や素人探偵の謎解きがミステリ界でもメインな気がしますし、<br>それも僕が知らないだけで玄人探偵が大部分を占めているのかも知れませんが、<br>さて置き、そうなると圧倒的な推理力や事件の調査を始める前から事件の全容を把握し、後はそれを確かめるだけとなるような有能素人の手腕を見ていても、違和感というのか、何だか嵌まれません。<br><br>この作品自体の評価はそこそこ高いように見受けられますので、<br>恐らく僕の見方が浅いのか、無知故に好きになれないのか、どちらかだとは思いますが、<br>それにしても太刀洗さんの活躍は見ていて全く面白くありませんでした。<br><br>基本無表情で、感情を表すことが少なく、興味のないことには殆ど口を開かないキャラクターは僕が一番好きな部類ですので、太刀洗万智というキャラクター自体は嫌いではないのですが、やはりどうしても楽しめませんでした。<br><br>さよなら妖精に出ていたらしいのですが、それもあんまり関係ありません。<br>あぁそう言えばいた気もするな程度の認識のまま読み終えてしまいました。<br><br>近々王とサーカスを読もうと思っていますが、<br>そちらも太刀洗さんが主役なんですよね。<br><br>……止めておいたほうがいいのかな。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=32175700" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">真実の10メートル手前/東京創元社<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51Of-5%252BtwZL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,512<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/pitiable-pierrot/entry-12172847120.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Jun 2016 21:10:01 +0900</pubDate>
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<title>にほんじんをしんかんさせたみかいけつじけん71</title>
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<![CDATA[ 法律を熟知している人間の格好良さたるや、<br>まるで世の理を悟ってしまったかのような、<br>雲の上の存在だと思ってしまいがちな僕ですが、<br>中学生の時分、裁判の傍聴を希望する程、<br>『法の裁き』というワードに憧れていたこともありました。<br><br>が、憧れるばかりで学ぶ気を失くしてしまったのは、<br>はっきりとは覚えていませんが、<br>殺人事件が起きたことが切欠だったと思います。<br><br>被害者は惨殺され、犯人も捕まり、<br>さぁじゃあ法廷で――となった時に、<br>加害者側の弁護士の詭弁があまりにも聞くに耐えなくて、<br>法律とは何か、誰を守るものなのかがよく分からなくなってしまったのかなと。<br><br>光市の母子殺害もそういう意味では最悪な好例ですね。<br>被告人を弁護する弁護士達に、<br>もしもまともな倫理観や、<br>人間として持ち合わせていて当然の善意などが僅かにでもあれば、<br>減刑を求めるのは仕方がないにしても、<br>精神異常を理由に無罪を主張することなどまずもってありえないのではないでしょうか。<br><br>有名な事件の判決は、素人目には納得できないものがとても多く、<br>「よしじゃあこれはもっと法律を勉強して彼らの言い分が正しいのか検証してやる」<br>だなんて気は間違っても起きなくて、<br>それは何故かと言えば、裁判長の胸先三寸で罪の重さが確定してしまうからです。<br><br>数年前にも裁判員制度によって強制的に集められた一般人が、<br>無い知恵を絞って、殺人を犯した加害者側の人間に復讐されるかも知れない恐怖心に怯え、<br>それでも勇気を振り絞って出した結論を、<br>それだけの刑に処す根拠がないとあっさりと彼らの意見を蹴散らし、<br>数年の懲役刑にしてしまったことがありました。<br><br>じゃあ裁判員なんていらないじゃんと。<br>じゃあ法律なんていらないじゃんと、単純な僕は思い至ってしまいます。<br><br>実際、法曹界に身を置く方々からすれば、<br>「お前は何も分かっていないのに、何を偉そうなことを～」を、<br>御立腹もされるでしょうが、<br>法律を守ることや、それらが適応されるのは日本国民全ての人間であって、<br>他人事でない以上、知っておくべき知識なのは重々承知しているのですが、<br>それでも、明らかにまともではない判決を述べる裁判長って、<br>実は結構多くないですか？<br><br>それ程調べたわけでもないですが、<br>よくニュースなんかで上がってくる情報の中には、<br>結構な頻度で「なにそれ、納得いかない」と思うことが多いです。<br><br>長く法律の世界に浸かっていると、<br>一般人の感覚とはずれていらっしゃるのでしょうか。<br>それとも僕の感覚が一般人の感覚とはずれているのでしょうか。<br><br>殺人事件ではなくとも、<br>原発関連やらその他企業や国に関する裁判でも、<br>明らかに利権だの裏取引だのの匂いのする判決はないのでしょうか。<br><br>その辺の裏まで読むことができない僕は、<br>もう見るのを止めてしまいました。<br><br>見ても決して良い気はしないし、<br>「分からないのに云々」と、叱責されても敵わないからです。<br><br>最近だと、赤ん坊を背負った母親が信号のない道路を自転車で横断し、<br>車に撥ねられてしまい、赤ん坊は死亡したという事件なんて、<br>車を運転していた女性は犯罪者として全国ニュースでフルネームを晒されてしまっています。<br>既に逮捕され、まぁ流石に刑務所に入る様なことはないでしょうが、<br>ある意味、人生を終わらせられてしまったようなものです。<br><br>自転車を運転していた母親も、被害者ではありますが、<br>生まれてすぐに他界した赤子、そして法定速度を守っていた介護職に就く若い女性、<br>二人の人生を奪ってしまった母親が、今後どのような行動に出るのか多少の興味はあります。<br><br>法律的に何対何でどちらにどれだけの過失があり、<br>どれだけの罪があるのかは分かりませんが、<br>母親の言動によって、車を運転していた女性はもちろん、<br>世論の騒ぎ方も変わってくるのではないでしょうか。<br><br>あくまでも被害者として訴えていくのか、<br>もしくは、加害者のひとりであると、<br>和解へと導いていくのか。<br><br>人の心を持たない弁護人が、彼女につかないことを祈るばかりです。<br><br>ということで、何やら前置きが全然本来の意図と関係のない方向へ行ってしまった感がありますが、<br>【日本を震撼させた未解決事件71】という本を読んだ感想を書こうと、<br>あれやこれや思ったことを書き出していたのですが、<br>何やらまたもや愚痴っぽくなっていました。<br><br>この本、内容はとんでもなく薄いです。<br><br>色々な有名事件を羅列しているだけに過ぎず、<br>見開き二頁で事件のあらましを紹介しているだけで、<br>それこそウィキペディアでも読んでいた方が余程詳しく知ることができます。<br><br>独自取材もなければ独自目線での解析もなく、<br>「怖いね～」「不思議だね～」「怪しいね～」と、<br>ただただ感想を添えているだけです。<br><br>この手の本としては、最低レベルの出来なのではないでしょうか。<br><br>ただ、「未解決事件を解き明かします！」と銘打っているわけでもなければ、<br>「我々だけが知る驚愕の事実」のような煽りがあるわけでもないので、<br>あくまでも、こんな事件があったんだなぁと、<br>それらを知る切欠になるという意味では、<br>全く意義がないわけでもなくて、<br>どちらかというと、この手の後味が悪く、<br>こうしている今もどこかに犯人が……みたいな話に興味を持ち始めた若い世代にとって、<br>入門書的イメージだと、評価もそれ程低くはならないのではと思います。<br><br>２０００年代の事件から始まり、<br>あの有名な津山事件まで遡るという、<br>年代だけで見るならば、なんとも幅広い話ではありますが、<br>前述の通り内容は希薄であるため、<br>「ふーん」で終わってしまいます。<br><br>特にその事件が既知であるならば、<br>読み飛ばしてもいいくらいです。<br><br>しかも、一応解決の目を見ているものもあり、<br>『ある意味未解決』な事件も多数扱っていて、<br>言われてみればそうかもねという部分もあります。<br><br>事実は小説より奇なりと誰かが言っていましたが、<br>小説などの、誰かが創り出したフィクションの影響を少なからず受け、<br>犯罪行為に及ぶ人がいることを考えると、<br>じゃあ小説にもないようなぶっ飛んだ展開やらミステリ性を持つ事件を起こす人って凄いよねということもなく、どちらにせよ人間が考え、ペンを取って文字に起こすか、それとも我が身を使い、事件を起こすかの違いでしかなくて、更に言えば、実際の事件を元に多少シチュエーションを変えて執筆された小説だって多数あるでしょうから、この論に関しての卵と鶏どちらが先かなのかは、誰にも分からないというか、ケースバイケースなのかなという気もしてきます。<br><br>過失で犯す罪と故意に犯す罪。<br>過失は必要以上に重く、故意は必要以上に軽い罰を受ける印象があるのは、<br>もしかして僕だけなのでしょうか。<br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31859778" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">日本人を震撼させた 未解決事件71 (PHP文庫)/PHP研究所<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F517JDGJct0L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥637<br>Amazon.co.jp
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<pubDate>Mon, 16 May 2016 17:47:36 +0900</pubDate>
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