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<title>ピザBのブログ</title>
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<title>知らない間に差別は生まれる</title>
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<![CDATA[ 「世界には学校に行きたいと思っている子供たちがいるが、彼らは学校をサボりたくてもサボれない子供たちの気持ちを考えるべきだ。」<br>こんなことをいえば、おそらく多くの人は発言した人を批判するだろう。<br>  しかし、逆を言っても批判はされない。逆というのは「学校をサボりたいと思っている子供たちは、学校に行きたくても行けない子供たちの気持ちを考えるべきだ。」という考えのことである。この考えはむしろ多くの人が支持するものである。<br>  なぜであろうか。学校に行きたい子供をA、学校をサボりたい子供をBとすると、「BはAの気持ちを考えるべきだ」は支持され、「AはBの気持ちを考えるべきだ」は批判されるというのだ。<br>  答えは簡単である。AとBの立場は対等ではないのだ。多くの人は、Bを「恵まれたガキ」、Aを「恵まれないかわいそうな子」とみなし、Aに同情の目を向ける。ここで、Aは弱い立場だから擁護する、Bは強い立場だから非難してもいい、という考えが生まれている。これはれっきとした差別なのだ。
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<link>https://ameblo.jp/pizzabeee/entry-11497470444.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Mar 2013 00:12:00 +0900</pubDate>
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<title>2 論説文を書く目的</title>
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<![CDATA[ そもそも論説文とは、どういった目的で書かれるものなのか。最も大きな目的は、それまで思いつかなかった考えを読者に伝えることである。既に読者が思いついている内容を繰り返すだけなら、それはむしろ説教と呼ぶのがふさわしいだろう。
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<pubDate>Mon, 25 Mar 2013 00:02:00 +0900</pubDate>
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<title>1 導入</title>
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<![CDATA[ 最近、文章、とりわけ論説文を書くとはどういうことか、あるいはどのように書くべきかといったことについて考えることが多く、その結果としてある程度定まった結論を出した。その結論が正しいかどうかはわからないし、正しいかどうかは大きな問題ではないと考えている。なぜなら、考えるプロセス自体が私にとって有意義で、満足のいくものであったからだ。以下ではその結論を書いていく。
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<link>https://ameblo.jp/pizzabeee/entry-11497447640.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Mar 2013 23:53:00 +0900</pubDate>
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