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<title>空の声</title>
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<description>色々な声が詰まっています。</description>
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<title>被災地の今</title>
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<![CDATA[ わたしは生まれが宮城だった事もあり、東日本大震災の後は毎年、お祈りと取材を兼ねて沿岸を訪れています。<br><br>被災地が復興するのは良い事だと思いますが、やはりまだまだ時間はかかりそうですね。<br><br>厳しい意見を言うと、その現状を見て思うのが<br>「馬鹿なんじゃないか？」と。<br>震災を忘れないようにしようとか、風化させないようにしようとか言いますけど、何回同じ事を繰り返すんでしょうか。<br><br>ご存知の方も多いと思いますが、あの地では東日本大震災よりも前に大津波があり、多くの被害が出ています。<br>その被害にあった過去の方々が、また同じ被害を繰り返さないようにと願い、津波が押し寄せた高台の石碑に<br>「これより下に家を建ててはいけない」<br>と残し、今でもしっかり残っています。<br>ですがその願いは裏切られ、東日本大震災においてまた多くの被害が出ました。<br><br>そしてまた人々は、震災を忘れてはいけないと口では言いながらまた同じ場所に家を建てていきます。<br><br>なのでわたしは毎年<br>「石碑に刻まれた言葉を知りもしない、守れないこんな馬鹿な人間達ですいません」<br>と、過去に被害に遭われた方々に謝罪しています。
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<link>https://ameblo.jp/pocopi-09/entry-12632571374.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Oct 2020 19:33:46 +0900</pubDate>
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<title>カップ麺と老人</title>
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<![CDATA[ わたしは昔からカップ麺が大好きだった。<br>特にはまりだしたのは大学生の頃である。<br>典型的な貧乏学生だったわたしは、ラグビー部に所属していた事もあり、安い学食だけでは足りず講義の合間にいつもカップ麺を食べていた。<br>毎日4〜5個程カップ麺を食べていた程だが、ラグビー部の厳しい練習のおかけで体型を維持しつつ健康そのものだった。<br>しかし大学を卒業して社会人1年目。<br>初任給も少なく生活も厳しかったのでカップ麺で生活する日々を過ごしていたが、さすがに運動をしなくなると体重はみるみる増え、会社の健康診断にも引っかかってしまった。<br>さすがにまずいと思い食生活を改め、そのおかげで現在はまた健康な身体を維持できている。<br>やはりカップ麺ばかり食べていては長生きできないだろう。<br>そう思うのはわたしだけではないはず。<br>だが現実はそう簡単な事ではないようだ。<br><br>あちこち取材している中で、たまたまカップ麺が大好きだと言う老人に出会った。<br>カップ麺=健康に悪い。長生きできない物だと思っていたわたしだが、その方は男性で年齢はなんと94歳だというから驚いた。<br>その男性は60代の頃妻に先立たれ、それ以来ずっと1人で暮らしていたらしい。<br>性格は典型的な昔の親父とでもいうのだろうか。<br>家事は女の仕事と考え、一切してこなかったそうだ。<br>妻に先立たれ自分で料理も出来ないからと、食事をカップ麺のみでまかなってきたそうだから驚いた。<br><br>男性の普段の生活を詳しく聞かせてもらう事ができた。<br>酒やタバコは全くやらないが、だからといって健康志向というわけではないようだ。<br>特に運動をしているわけではなく、毎日家でテレビを見たり、近所の公園のベンチで座りながら本を読むのが趣味だという。<br>しかし何より驚いたのは食生活だ。<br>なんと妻に先立たれてからずっとカップ麺しか食べてないという。<br>外食はしないのか尋ねると、昔は店選びから注文から全て妻がしてくれた。最近のハイカラな店は注文の仕方が分からなくて入りにくいと言う。<br><br>食べる時間は特に決めていないようで、1日平均2個くらい食べるとか。<br>あまりお腹が空いてないときは1日カップ麺1個だけで過ごす日もあるという。<br>カップ麺以外は基本的に水かお茶くらいしか口にしないと言う。<br><br>自宅が近くだというので、半信半疑だったわたしは自宅にお邪魔させてもらったのだが、玄関を開けて驚いたのは大量のカップ麺のダンボールだった。<br>6畳の小さな部屋にカップ麺のダンボールが山積みにされ、部屋にあるのはテレビと布団、そして小さなテーブルにポットが一つだけ。<br>調理器具どころか食器すらなかった。<br><br>たしかにカップ麺の良いところは、お湯を入れ食べ終わったら捨てればよい。皿洗いなどしなくていいのだ。<br>この部屋を見て、カップ麺しか食べないと言うのは本当だと確信したのだが、疑問もでた。<br><br>若者ならいざ知らず、90を過ぎた老人が毎日カップ麺だかり食べて身体は大丈夫なのかと。<br>見た目は普通の体型だ。むしろ痩せている方だと思う。<br>しかし塩分や血圧はどうなんだろうか。<br>尋ねると男性は、毎年受けているという健康診断の結果をわたしに見せてくれた。<br><br>全ての数値が正常値なのだ。<br>この結果にわたしの中の常識は変わった。<br><br>カップ麺は身体に悪い。野菜を食べないといけない。<br>これと真逆の食生活をしているのに94歳になった今でも元気かつ健康でいるのだから。<br><br>ちなみにこの男性は取材当時94歳だったが、今年の6月で97歳になったのだ。<br>電話をしてみたところ、まだ元気で相変わらずカップ麺だけで生活しているとか。<br>カップ麺だけで100歳を是非目指して欲しいと、その時はまた改めて取材したいと話したところ、本人はすごくやる気だった。<br>是非長生きしてもらいたい。<br><br>最後に長生きの秘訣は何か聞いたところ、やはり好きな物を食べるのが1番だと。<br>医者や周りの友人が、野菜を食べないと長生きできないと。<br>そう言って野菜ばっかり食べてたやつがみんな先に死んじゃったよ。<br>と、ジョークなのか本気なのか笑いながら話してくれた。
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<link>https://ameblo.jp/pocopi-09/entry-12631460657.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Oct 2020 14:06:20 +0900</pubDate>
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<title>東日本大震災　息子</title>
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<![CDATA[ 東日本大震災をきっかけに家族の絆を取り戻したAさん(64歳)に取材させてもらった時の話です。<br>辛い経験はかりでなく、幸せになった人もいたという事を伝えたくて書きました。<br><br><br><br>わたしの家族は妻(58歳)と息子(30歳)の3人家族でした。<br>その日わたしは畑仕事に出ており、畑で作業していると大きな揺れに襲われました。<br>揺れが収まり一息ついたわたしはあたりに散らばった荷物を片付けていると、町中に大きなサイレンが響き渡り、津波警報が出たのです。<br>慌てて家にいる妻に電話をしましたが繋がらず、もう避難しているだろうと思いながらも車に乗り自宅へと向かいました。<br><br>自宅についたわたしは声を張り上げ<br>「おーい！いるかー！おーい！」<br>叫びましたが返事はありませんでした。<br>妻が心配でしたが、きっと先に避難している。<br>そう思いまた車を走らせ高台の避難所へと向かいました。<br>避難所についたわたしが見た光景は、自宅にまで押し寄せてきた津波が、更に勢いを増し町を飲み込んでいく様でした。<br><br>そんな町の路地をふと見ると1人の女性が電柱にしがみつきうずくまっていました。<br>「何してんだ、走れ！そこじゃあぶねど！」<br>そう叫んだと同時にわたしはハッとしました。<br>その女性が着ていた服は、今朝妻が着ていたのと全く同じでした。<br>まさかと思い表に走り出しその女性の姿をはっきりと確認し、愕然としました。<br>今まさに津波に飲み込まれようとしているその女性は、わたしの妻でした。<br><br>妻は元々足が悪く、いち早く自宅から避難していたが、避難所までの長い坂道は体力がもたなかったそうだ。<br>町を飲み込みながら少しずつ後ろに迫りくる津波に、歩けない妻は覚悟したのか、その場にしゃがみ込み両手を合わせ動こうとはしなかった。<br>わたしはとにかく叫んだ<br>「止まるな！走れ！早く走れ！」<br>妻がもう走れないのはわかっている。<br>だが自分も足が動かない。<br>何も出来ずとにかく走れと叫んだ。<br>だがそうしてる間にも津波はどんどん町を飲み込みながら進み、ついには妻のすぐ後ろまで迫ってきた。<br><br>もうダメだ。助からない。<br>そう覚悟したその時、1人の男性が飛び出してきた。<br>「母ちゃん、あきらめんな！」<br>そう叫んで妻の元へ走り出し<br>「早くおぶされ！捕まってろ!」<br>男性はそう言って妻を背中に背負い、避難所めがけ走り出した。<br>もう体力も無いであろう妻も、最後の力を振り絞りその男性の背中に必死にしがみついていた。<br>すぐ後ろに津波が迫る中妻を背負い走ってくる男性にわたしは<br>「早く走れ！急げー！」<br>そう叫ぶのがやっとだった。<br>男性が妻を背負いわたしの所まで来た所で、途端に涙がでた。<br>助かったという安心感。<br>自分ではどうする事も出来なかった悔しさ。<br>そして妻の命が助かった嬉しさ。<br>わたしはとにかく泣いて妻を抱きしめた。<br>そして妻を助けてくれた男性にお礼を言おうと顔を見ると、どこか懐かしい雰囲気がした。<br>髪は伸びてくしゃくしゃになっており、無精髭が伸び最初は誰か分からなかったが、目元にははっきりと息子の面影があった。<br><br>息子は20の頃就職が上手くいかず、それ以来ずっと部屋に引き籠るようになり、恥ずかしい話だが同じ屋根の下にいながら10年来顔を合わすどころか一言も話しすらしてこなかったのだ。<br><br>そんな息子とこんな形で会う事になり、何を話したらいいのか分からなくなってしまい、お互い黙って避難所へと向かった。<br><br>避難所で夜を迎えわたしたち家族は、10年ぶりに3人で食事をした。<br>わたしたち家族はみな無事だったが、同じ避難所には家族を失った人たちもいる。<br>それでもわたしは10年ぶりに会う息子と話したくて<br>「冷えてないけど、飲むか？」<br>と、こっそり持ってきたビールを手渡した。<br>息子は黙って受け取り、わたしと妻と3人で静かに飲んだ。<br>家族で缶詰をつまみ、生温いビールを飲みながら息子は、就職が上手くいかなかった理由などわたしに話してくれた。<br>「俺の仕事手伝ってみるか？」<br>と聞くと、息子は<br>「やるよ」<br>そう言ってくれた。<br><br>避難所生活が落ち着き、息子はわたしの跡を継いで農業をやるようになった。<br>息子は引き篭もっている間パソコンを勉強していたようで、通信販売で野菜を売れば儲かるというので息子に任せたら飛ぶように売れ、その収入のおかげでわたしたちは新しい家を建てる事が出来た。<br>しかもそんな息子の働きぶりを見て見合いの話があり、わたしにも去年孫ができたのだ。<br><br>今は毎日家族で食卓を囲み、幸せな日々をおくっている。<br><br>震災で失ったものもあるが、あの震災がなければ息子と話す事もなかったと思うと、大きな声では言えないがいいきっかけになったと思っている。<br><br>避難所で食べた缶詰と温いビールで、家族の絆がとりもどせた。<br>あの日わたしたち家族はまた１つになった。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pocopi-09/entry-12625212335.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Sep 2020 22:00:15 +0900</pubDate>
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