<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>御朱印と太平記の旅</title>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/poesaku/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>仕事辞めてからボーッとしてるのも何ですわな。そんな時、たまたま図書館で手にした本が、太平記を紹介した本だった。そうだ、太平記を読みながら旧跡をたどる旅をしてみたら面白そうだ。同時に、少し前に始めた御朱印を集める旅も太平記にからめてみよう。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>よろしくお願いします</title>
<description>
<![CDATA[ 母親が入院したので、ちょっとバタバタしています。<br>実家の父親も高齢のため、ブログを始めたばかりなのに、これまでのように頻繁にアクセス出来ないかもしれません。<br>どうぞ、これからもよろしくお願いします。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11865990209.html</link>
<pubDate>Fri, 30 May 2014 12:55:11 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>元弘の変始末</title>
<description>
<![CDATA[ さて、太平記４巻の始まりですが、その初頭に北畠具行の処刑が載っています。<br><br>笠置城が落城し召捕られた人々の処分が決まった。<br>比叡山、奈良の諸門跡、月卿、雲客、諸衛の司に至るまで、罪の軽量によってそれぞれ禁獄・流罪に処せられることになった。<br><br>笠置城で奮戦した足助次郎重範は六條河原で斬首。<br><br>万里小路大納言宣房卿は子の藤房・季房の二人に連座して捕へられ、七十歳の老体を囚人の如くに取扱われたのは無残であった。<br><br>罪のあるなしにかかわらず、後醍醐天皇に仕えた公卿殿上人達は、出勤をさしとめられて隠遁、あるいは官職を免ぜられ生活の糧に困るなど、運不運の移り変わりは夢か幻のように儚いものと思われた。<br><br><a href="http://ameblo.jp/poesaku/entry-11848901335.html" target="_blank">http://ameblo.jp/poesaku/entry-11848901335.html</a><br><a href="http://ameblo.jp/poesaku/entry-11849731933.html" target="_blank">http://ameblo.jp/poesaku/entry-11849731933.html<br></a><br>源中納言具行卿（北畠具行）は、佐々木道誉が道中の警固をして鎌倉へ送られたが、首謀者と見られていたので、道中で斬られることに決まっていた。<br><br>道誉は具行の立派な態度に感服し、道中の歩みを遅らせ何度も助命の嘆願をしたが、近江の柏原で斬れとの使者が何度もやって来て急かすので、もはや処刑を遅らせることは不可能となった。<br>そこで、道誉はもはや万策尽きたことを具行にわびて、柏原の宿で具行を処刑した。<br><br>尹大納言師賢卿（後醍醐天皇に成りすましてバレた人ですな）は、下総の国へ流刑となり、後に出家して仏門に帰依されたが、まもなく急病で亡くなった。<br><br>後醍醐天皇に従って笠置城に立て籠もった中納言藤房は、常陸の国へ流刑となった。<br><br>この藤房卿は、後醍醐天皇の中宮に仕えていた左衛門佐局という美しい女房に、一目惚れしてひそかに思いを寄せたが、３年もの間おのれの心の中を伝えることもできずにいた。<br><br>どういうめぐり合わせか、ようやく浅い契りを結ぶことができ、一夜枕を交わすこととなった。<br><br>明くる日、後醍醐天皇がにわかに笠置へ落ちることになり、藤房卿も御供することになった。<br>別れのため今一度会いたいものだと、彼女の元を訪れたが運悪く彼女は他出していた。<br><br>仕方なく彼は、髪の毛を少し切りそれに歌を書き添えて置いて帰った。<br><br>彼女は、後でその形見の髪と歌とを見て嘆き悲しみ、悲しみのあまり哀れにも大井川（桂川の上流です）へ身を投げたとのことである。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11862532230.html</link>
<pubDate>Tue, 27 May 2014 08:46:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>勾当内侍の事　太平記20巻</title>
<description>
<![CDATA[ 太平記では勾当内侍について野神神社の説明とは異なってます。<br><br>義貞の首獄門に懸かくる事　付けたり勾当内侍の事 太平記20巻<br><br>新田義貞と勾当内侍が結ばれたいきさつはこうである。<br><br>新田義貞が後醍醐天皇に仕え、宮中の守護をしていた時のことである。<br>勾当内侍を見かけた新田義貞は彼女に一目惚れする。<br>自分の想いを歌にして勾当内侍に届けるが、受け取ってもらうこともできなかった。<br><br>がっかりすると同時に、こうした無礼を天皇に知られたらと生きた心地もしなかった。<br><br>しかし、この話を知った後醍醐天皇は、無礼を怒るどころか「田舎者の一徹さ、思ひ詰めたものよのう」と憐れんで新田義貞を呼ばれた。<br>そして、御酒を勧めて「勾当内侍をこの盃につけて取らせよう」との粋なはからいをなされた。<br><br>今ならば、やれ女性の人格無視だの性奴隷だとうるさいことだろうが、当時はこんな感じで宮中恋愛劇を繰り広げてたのであろう。<br><br>勾当内侍もまんざらではなかったと見え、「内侍もこの年月の（義貞の）志に、さそふ水あらばと思ひけるにや」とある。<br><br>新田義貞は、喜ぶと同時にますます後醍醐天皇への忠勤を誓ったのはもちろんである。<br><br>こうして結ばれただけに、新田義貞の勾当内侍に対する愛情は深いものがあった。<br>それどころか、内侍に対する愛情に惹かれて新田義貞はしばしば戦機を逸することがあったと太平記は非難する。<br><br>中将ほどの人の心の迷ひである、誰れも諌める者がなかつたので、前には建武の末、朝敵が西海の波に漂つてゐた時も、中将は此内侍に暫しの別れを悲しんで、征伐に出るのを躊躇し、後には叡山臨幸の時、寄手が大嶽（おほだけ）から追ひ落され、其儘押し寄せたら京都が手に入つたらうものを、中将は此内侍に迷つて、勝ちに乗じ、疲れを攻める作戦に出でなかつた。そして其結果、国は遂に敵の為めに奪はれてしまつた。一たび笑めば能く国を傾くとは、誠に理の深い箴言である。<br><br>傾国の美女「勾当内侍」、その容色に溺れる新田義貞。<br><br><br>しかし、これはないだろう。<br><br>新田義貞とて後醍醐天皇方の総大将ともいえる武将である。<br>少し優柔不断な所はあったかもしれないが、女のために戦を躊躇するようなことはなかろう。<br><br>勾当内侍の容色に溺れ腑抜けになったような記述はなし、第一そんな状態なら部下たちが黙ってないだろう。<br><br>又、勾当内侍も傾国の美女と言われた妲己や褒姒のように、男を手玉に取るような悪女とも思えない。<br><br>それはさておき、<br><br>新田義貞は、湊川での合戦で敗北した後、後醍醐天皇の息子の恒良親王、尊良親王を奉じて北陸を転戦するが、越前藤島であっけなく戦死してしまう。<br><br>新田義貞が北陸を転戦するにあたって、勾当内侍も一緒に行くことを願ったが、道中の難儀を考えて今堅田で別れることとなった。<br><br>必ずいつか迎えにくるとの義貞の言葉を信じて、勾当内侍は京で悲しみの日々を送っていた。<br><br>ようやく義貞からの迎えが来たので、勾当内侍は北陸へ向かうが、杣山（福井県南条町）において新田義貞の戦死を知ることとなった。<br><br>悲しみに包まれながら京都に戻り仁和寺あたりに住まっていた。<br><br>ある時「おいたわしや」と大勢の人が群がっているので近寄ってみると、新田義貞の首が獄門に懸けられているではないか。<br><br>内侍は、眼が塞がり色が変った首を二目とは見られずに、土塀の陰に泣き倒れられた。<br>皆それを見て、涙を流さない者はなかった。<br><br>日は巳に暮れたが、なおも草むらの中で泣き崩れている内侍を見た僧が、「あまりに御気の毒で、お慰め申す言葉もございません」と請じて内へ誘い入れたところ、其夜直ぐ黒髪を剃りおろして比丘尼になった。<br><br>暫くの間は亡き人の面影を思い出し泣き悲しんでいたが、遂に世をはかなんで嵯峨の奥、往生院のあたりの小庵に移り住んで、朝夕に新田義貞の菩提を弔ったとのことである。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11861538076.html</link>
<pubDate>Mon, 26 May 2014 09:50:21 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>勾当内侍の墓</title>
<description>
<![CDATA[ 勾当内侍は、新田義貞の妻でしたが義貞戦死の報を聞いて、この地で琵琶湖に入水したとされています。<br><br>琵琶湖大橋に向かう途中、ヤマダ電機の前の道を南へ一筋、コメリホームセンターの横を琵琶湖畔に向かって行くとあります。<br><br>あまり訪れる人もないような神社ですが、きちんと整備され自動音声による案内が設置されてました。ちゃんと作動してましたよ。<br><br>野神神社の鳥居<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140525/10/poesaku/45/99/j/o0640048012952048324.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140525/10/poesaku/45/99/j/t02200165_0640048012952048324.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>勾当内侍の由来<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140525/10/poesaku/fc/f9/j/o0640048012952048323.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140525/10/poesaku/fc/f9/j/t02200165_0640048012952048323.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>野神神社<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140525/10/poesaku/40/00/j/o0640048012952048326.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140525/10/poesaku/40/00/j/t02200165_0640048012952048326.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br>勾当内侍のお墓です<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140525/10/poesaku/04/f9/j/o0640048012952048325.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140525/10/poesaku/04/f9/j/t02200165_0640048012952048325.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11860442206.html</link>
<pubDate>Sun, 25 May 2014 10:20:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>日吉大社</title>
<description>
<![CDATA[ 日吉大社は、神仏習合により比叡山延暦寺の守護神とされました。<br>比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のものです。<br>坂本にある日吉大社からケーブルカーで比叡山に行くことができます。<br><br>元弘の変で逮捕された円観上人が拷問されそうになった時、北條高時が比叡山の坂本から数千の猿がやって来て上人を守ろうとする夢を見たため、免れたという話は以前紹介しました。<br><a href="http://ameblo.jp/poesaku/entry-11834077230.html" target="_blank">http://ameblo.jp/poesaku/entry-11834077230.html</a><br><br>日吉大社の鳥居です。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/f8/00/j/o0640048012950975999.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/f8/00/j/t02200165_0640048012950975999.jpg" alt="日吉大社鳥居" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br>守り神の猿が飼われておりました。<br>えらく厳重に金網で囲われてるけど、悪戯するんでしょうかね？　<br>可哀想ですな。守り神にしては扱いが悪いです。<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/68/11/j/o0640048012950977600.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/68/11/j/t02200165_0640048012950977600.jpg" alt="お使い" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>隣には、ちょっとおちゃめな神馬がいました。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/3b/8f/j/o0640048012950975998.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/3b/8f/j/t02200165_0640048012950975998.jpg" alt="神馬" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>境内は、木がうっそうと茂り、お堂は石垣の上に建てられ、さながら城郭のようです。<br>太平記には、何度も坂本に布陣したと出ていますが、無理もないです。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/91/b1/j/o0640048012950976594.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/91/b1/j/t02200165_0640048012950976594.jpg" alt="城郭" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>日吉神社は、東と西の本宮があります。<br><br>西本宮<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/7b/4f/j/o0640048012950976593.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/7b/4f/j/t02200165_0640048012950976593.jpg" alt="西本宮" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>西本宮本殿<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/22/78/j/o0640048012950977170.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/22/78/j/t02200165_0640048012950977170.jpg" alt="西本宮本殿" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>東本宮<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/fe/af/j/o0640048012950977172.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/fe/af/j/t02200165_0640048012950977172.jpg" alt="東本宮" width="220" height="165" border="0"></a><br>東本宮本殿<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/3f/85/j/o0640048012950977171.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/3f/85/j/t02200165_0640048012950977171.jpg" alt="東本宮本殿" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>日吉大社の狛犬は、木製でした。<br>あっしは、石造の狛犬しか見たことがないです。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/c2/c1/j/o0640048012950977601.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/c2/c1/j/t02200165_0640048012950977601.jpg" alt="木の狛犬" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>坂本の日吉大社あたりは昔の街並みが残っており、写生する人が数多く見られました。<br>しっとりと落ち着いた、良い雰囲気です。<br>ゆったりと散策するにはもってこいです。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/0c/01/j/o0640048012950976592.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/0c/01/j/t02200165_0640048012950976592.jpg" alt="街並み" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>日吉大社の御朱印です。<br>東本宮と西本宮があるので、全体ということで総本宮となってます。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/ee/cd/j/o0426064012950975997.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140524/09/poesaku/ee/cd/j/t02200331_0426064012950975997.jpg" alt="日吉大社御朱印" width="220" height="331" border="0"></a>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11859449031.html</link>
<pubDate>Sat, 24 May 2014 09:55:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>三井寺</title>
<description>
<![CDATA[ 由緒あるお寺なので見る所が一杯あります。<br>拝観料　500円<br><br>大門（仁王門）<br>近江の常楽寺（滋賀県湖南市）の門を慶長6年（1601年）徳川家康が寄進、移築したものです。<br>大きなお寺なのに意外と小さいです。これに比べると、ホントに南禅寺の山門は大きいです。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/2c/0e/j/o0640048012949952819.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/2c/0e/j/t02200165_0640048012949952819.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/fe/39/j/o0640048012949952818.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/fe/39/j/t02200165_0640048012949952818.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>三井の晩鐘<br>廣重の浮世絵「近江八景」の一つ「三井の晩鐘」です。<br>宇治の平等院、高尾の神護寺と共に、日本三銘鐘の一つに数えられています。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/c4/0e/j/o0640048012949953122.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/c4/0e/j/t02200165_0640048012949953122.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>弁慶の引き摺り鐘<br>「イノー、イノー」と鳴いた鐘ですな。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/52/87/j/o0640048012949953731.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/52/87/j/t02200165_0640048012949953731.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>一切経蔵<br>一切経の版木が納られてます。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/e1/d8/j/o0640048012949952817.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/e1/d8/j/t02200165_0640048012949952817.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>三重塔<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/09/poesaku/9f/b6/j/o0480064012949958936.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/09/poesaku/9f/b6/j/t02200293_0480064012949958936.jpg" alt="" width="220" height="293" border="0"></a><br><br>唐院潅頂堂<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/71/7e/j/o0640048012949953402.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/71/7e/j/t02200165_0640048012949953402.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>村雲橋から見た勧学院<br>さながら城郭のような石垣です。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/a0/00/j/o0640048012949953400.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/a0/00/j/t02200165_0640048012949953400.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>水観寺<br>三井寺の五別所の一つ<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/fd/dc/j/o0640048012949953124.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/fd/dc/j/t02200165_0640048012949953124.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>水観寺の薬師如来像<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/c0/d5/j/o0640048012949953123.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/c0/d5/j/t02200165_0640048012949953123.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>本堂の御朱印です。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/49/fe/j/o0457064012949953732.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/49/fe/j/t02200308_0457064012949953732.jpg" alt="" width="220" height="308" border="0"></a><br><br>水観寺の御朱印です。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/42/a5/j/o0460064012949953733.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140523/08/poesaku/42/a5/j/t02200306_0460064012949953733.jpg" alt="" width="220" height="306" border="0"></a><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11858502494.html</link>
<pubDate>Fri, 23 May 2014 08:55:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>三井寺（園城寺）</title>
<description>
<![CDATA[ 太平記の時代を遡ることおよそ300年、宗教上の問題（三井寺の戒壇設置）で対立、それ以来三井寺(園城寺)と山門（延暦寺）とは仲が悪く、何度か争っています。<br><br>延暦寺の戒壇に対し園城寺も独自の戒壇を持とうと運動しましたが、延暦寺側は強訴してこれを妨害、武力衝突を起こして三井寺は何度も焼失しています。<br><br>*戒壇（かいだん）とは、出家者に戒律を授ける（授戒）ための場所をいいます。<br>どこででも授戒できるわけではなく、戒壇で行われる必要があります。<br>最初の戒壇は、鑑真が754年に東大寺に築きました。<br><br>「三井寺合戦ならびに当寺撞鐘の事付けたり俵藤太が事」　太平記15巻　<br><br>延暦寺を味方につけた後醍醐天皇に対抗し、足利尊氏は仲の悪い三井寺に対して味方すれば戒壇設置を認めようと懐柔します。<br><br>もともと三井寺は、源頼義（新羅三郎）が前九年の役に出陣するにあたって三井寺に詣で、新羅明神に戦勝を祈願したことから「源氏数代崇重の寺」といわれていました。<br>そこで、源氏の足利尊氏に味方したわけです。<br><br>建武3年（1336）新田義貞は、援軍の北畠顕家軍が到着したので、即刻三井寺攻撃にかかります。<br>新田軍の電光石火の攻撃に三井寺は炎上し、足利軍は敗北しました。<br><br>「新田の三万余騎の勢、城の中へ懸けはいって、まづ合図の火をぞ揚げたりける、これを見て山門の大衆二万余人、如意越えより落ち合ひて、すなはち院々・谷々へ乱れり、堂舎・仏閣に火を懸けて、をめき叫んでぞ攻めたりける、猛火東西より吹き懸けて、敵南北に充ち満ちたれば、今は叶はじと思いけん、三井寺の衆徒ども、あるいは金堂に走り入って、猛火の中に腹を切つて伏し、あるいは聖教を抱いて幽谷に倒れまろぶ…… されば半日ばかりの合戦に、大津、松本、三井寺の中に討ち倒れたる敵を数ふるに、七千三百余人なり……」<br><br>この合戦で、三井寺は炎上し、金堂本尊の弥勒菩薩をそのまま放置するわけにゆかず、三井寺の僧が首を切って藪の中に隠しました。<br><br>それを見つけた山（比叡山）法師が、「山をわが敵とはいかで思いけん 寺法師にぞ首を切らるる」と落首を添え晒しました。<br><br>三井寺の僧もいくら緊急時とはいえ、ご本尊の首を切るってのはな～、しかも藪の中に隠すとは。<br><br>それに、延暦寺の僧兵も一応僧侶なんだから、崇拝しなければならない仏像にいたずら書きしたというんですから何をか言わんや。<br><br>敵も味方もめちゃくちゃ。<br>神も仏もない、まさしく動乱の時代の幕開けです。<br><br>また焦土と化した境内には、空しく焼け残った梵鐘がありました。<br>例によって太平記15巻は、この鐘の由来を詳しく紹介しています。<br><br>この鐘は、昔、俵藤太秀郷が百足退治をした褒美に竜宮城から贈られ、それを秀郷が三井寺に寄進したものといわれてます。<br><br>その後、文保3年（1319年）に延暦寺と園城寺が争った時、叡山の僧兵がこの鐘を奪って延暦寺に持ち帰りました。<br>撞いてみると、「三井寺にゆかう」と鳴り響いたので、叡山の衆徒が怒って山から投げ下ろしたので粉々になってしまったそうな。<br><br>不要になった破片を三井寺に送ったところ、ある時小さな蛇がこの鐘の破片を尾っぽで叩いたところ、一夜のうちに元通りになり、疵の一つも見当たりませんでしたとさ。<br><br>ところが、三井寺に現存する鐘は「弁慶の引き摺り鐘」といって、弁慶が延暦寺に引きずっていったものだという伝説があるんですね。<br>弁慶となると100年以上の差がありますな。<br><br>「弁慶の引き摺り鐘」伝説によると、<br>山門との争いでこの鐘を弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げました。<br>撞いてみると ”イノー・イノー”（関西弁で帰りたい）と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか！」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。<br>　　三井寺パンフレットより<br><br>現存する鐘に残っている傷痕や破目などは、その時のものといわれていますが、どちらが正しいんでしょうね？<br><br>鐘が関西弁で鳴いたってのが可笑しい。<br>弁慶ってことにしときましょ。<br><br>また建武の争乱時に、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き、 これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、この鐘をめぐってはまさに霊鐘というにふさわしい様々な不思議な事件が起こったと伝わってます。<br><br>さて、後に足利尊氏は焼失した三井寺の再興に尽力しましたとさ。<br>マ、自分に味方してくれたのだから、当然といや当然なんだが。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11857681820.html</link>
<pubDate>Thu, 22 May 2014 10:21:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>近江神宮</title>
<description>
<![CDATA[ 667年に天智天皇が大津に遷都したことに因んで、紀元2600年にあたる1940年11月7日、同天皇を祭神として創祀された神社です。<br><br>近江神宮楼門<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/6c/9e/j/o0640048012947956494.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/6c/9e/j/t02200165_0640048012947956494.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>近江神宮外拝殿<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/19/db/j/o0640048012947956493.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/19/db/j/t02200165_0640048012947956493.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br>近江神宮内拝殿<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/cb/c5/j/o0640048012947960623.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/cb/c5/j/t02200165_0640048012947960623.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br>時の記念日（6月10日）に行われる漏刻祭や、1月に行われる競技かるたの名人戦が有名です。<br><br>『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条（天智天皇10年4月25日）に、<br>「置漏尅於新臺。始打候時動鍾鼓。始用漏尅。云々。」とあります。<br><br>訳：日本書紀　下　講談社学術文庫　P237<br>天智天皇10年夏4月25日、漏尅（水時計）を新しい台の上に置き、初めて鐘・鼓を打って時刻を知らせた。<br><br>これをグレゴリオ暦になおすと671年6月10日となることから、6月10日を時の記念日としたものです。<br>これにちなんで、境内には漏刻や日時計の模型などがあります。<br><br>漏刻の模型です。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/b3/f9/j/o0640048012947957330.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/b3/f9/j/t02200165_0640048012947957330.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>階段状になった枡を水が流れ落ち、最下段の水槽に水が入ると、その水量によって浮かべてある白い矢が浮き上がり時刻を教えるようになってます。<br>矢に付けた目盛は10分刻みになってます。<br>オメガ社総代理店が奉納したとの事。<br><br>各種の日時計です。<br>精密日時計<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/f1/23/j/o0640048012947957328.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/f1/23/j/t02200165_0640048012947957328.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br>矢橋式日時計<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/37/ff/j/o0640048012947957329.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/37/ff/j/t02200165_0640048012947957329.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br>併設の時計館宝物館は、月曜で休館でした。<br><br>また、小倉百人一首の第1首目が天智天皇の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ」であることに因んで、1月には競技かるたが行われます。<br><br>近江神宮の御朱印です<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/c4/0e/j/o0431064012947956492.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140521/09/poesaku/c4/0e/j/t02200327_0431064012947956492.jpg" alt="" width="220" height="327" border="0"></a><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11856618799.html</link>
<pubDate>Wed, 21 May 2014 09:33:53 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>吉田神社</title>
<description>
<![CDATA[ 吉田神社は、京都大学の近くの吉田山の中腹にあります。<br>東一条から京都大学の時計台を左に見ながら進むと参道に突き当たります。<br><br>室町時代末期に吉田兼倶が吉田神道（唯一神道）を創始し、室町幕府に取り入って権勢を拡大、吉田家を神道の家元的な立場に押し上げました。<br><br>毎年2/2～2/4に行われる節分会が有名ですね。<br>2/2の 追儺(鬼やらい神事)や、2/3夜に行われるどんど焼き（うず高く積まれた注連飾りやお札を焼きます）は見ものです。<br>辺り一帯には屋台が立ち並び、寒い中、多くの参拝客が訪れます。<br><br>斎場所大元宮（重要文化財）<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140520/11/poesaku/38/fd/j/o0640048012947002430.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140520/11/poesaku/38/fd/j/t02200165_0640048012947002430.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>交叉した千木が格好良いな～。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140520/09/poesaku/6a/a4/j/o0640048012946938492.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140520/09/poesaku/6a/a4/j/t02200165_0640048012946938492.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>吉田神社から、大元宮に向かう坂の途中に末社の菓祖神社があります。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140520/09/poesaku/cb/52/j/o0640048012946938494.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140520/09/poesaku/cb/52/j/t02200165_0640048012946938494.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br>祭神の田道間守命（たぢまもりのみこと）は、垂仁天皇の命を受け常世の国から不老不死の非時香菓 （ ときじくのかぐのこのみ ） を持ち帰り、菓子を作りました。<br>「 非時香菓 」 は、古事記よると橘だといわれてます。<br><br>そこで、「 菓子の神様」 とされ、参道にはお菓子屋さんの寄進した石柱が並んでます。<br>京都は和菓子の本場ですからね。 <br><br>吉田神社の御朱印です。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140520/09/poesaku/05/70/j/o0441064012946938493.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140520/09/poesaku/05/70/j/t02200319_0441064012946938493.jpg" alt="" width="220" height="319" style="clear:both;float:left;" border="0"></a><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11855617749.html</link>
<pubDate>Tue, 20 May 2014 09:42:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>真如堂</title>
<description>
<![CDATA[ 法勝寺跡のところでも触れましたが、叡山の僧兵は法勝寺に陣を構え、六波羅軍と真如堂あたりでぶつかり合いました。<br>「山徒（延暦寺の僧兵）京都に寄すること」太平記8巻<br><br>兵力は僧兵が六波羅軍の10倍、大差があるので僧兵は油断しておりました。<br>しかし、僧兵には騎馬武者がいないのを見て六波羅勢は打って出ます。<br><br>騎馬で近寄り矢を放ち、反撃を受けるとサッと身を翻して逃げる。<br>これを猫がネズミをいたぶるように、何度も何度も繰り返します。<br><br>僧兵どもは数では勝るものの、なにせ徒歩なので次第に鎧の重さもあって疲労困憊。<br>とうとう負けて比叡山に逃げ帰ります。<br><br>真如堂山門<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/00/00/j/o0640048012945857315.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/00/00/j/t02200165_0640048012945857315.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br>真如堂三重塔<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/40/00/j/o0480064012945857316.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/40/00/j/t02200293_0480064012945857316.jpg" alt="" width="220" height="293" border="0"></a><br><br>真如堂本堂<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/e5/19/j/o0640048012945857314.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/e5/19/j/t02200165_0640048012945857314.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>真如堂本堂内部<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/7f/7e/j/o0640048012945857318.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/7f/7e/j/t02200165_0640048012945857318.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>真如堂境内<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/83/05/j/o0640048012945857317.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/83/05/j/t02200165_0640048012945857317.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>真如堂御朱印<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/c9/2b/j/o0439064012945857588.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140519/09/poesaku/c9/2b/j/t02200321_0439064012945857588.jpg" alt="" width="220" height="321" border="0"></a><br><br>上部が少し空きすぎて、ちょっとバランスが悪いですね。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/poesaku/entry-11854598145.html</link>
<pubDate>Mon, 19 May 2014 08:57:19 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
