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<title>きょうのマナ～恵みの備忘録～</title>
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<title>私は驚くべきもの！</title>
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<![CDATA[ <p>＜詩編＞</p><p>&nbsp;139:13 あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。<br>&nbsp;139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。</p><p>　　　　御業がどんなに驚くべきものか、わたしの魂はよく知っている。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>1個の受精卵が2個に細胞分裂し、次に4個、8個、16個、32個、64個、128個、256個、512個、1024個と倍々に</p><p>増えていく。凄いことだ。60Kｇの人の細胞数は37兆あるとされ、3ｋｇの赤ちゃんの場合、約2兆という。</p><p>2兆個になるには40回細胞分裂することになる。どこに細胞分裂する力とシステムがあるのか。</p><p>さらには、その細胞が体の色々な部分に分化していくのだ。心臓になり肺になり脳になり、また頭部になり手になり足になる。</p><p>同じ細胞だったのに、あたかも設計図に従うかのように分化して、赤ちゃんになるのだ。なんということだ。</p><p>&nbsp;</p><p>先日このような動画を見て、改めて上掲のみ言葉を確信した。私という存在は偶然の為せるものではないと！</p>
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<link>https://ameblo.jp/ponjirou2002/entry-12970193098.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 22:55:52 +0900</pubDate>
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<title>主なる神の意味の発見</title>
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<![CDATA[ <p>＜出エジプト＞7:5</p><p>「 わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>これから10の災いが起こり、ファラオは民を解放する。それは、モーセの神が主であることを知るからである。今日、この「主である」とはどういうことか気づいた。主といえば主人の主がピンと来て、従うべき存在、いわばボスである。でも、ここではもっと本質的なことを暗示している。主とは「ヤハゥエ」である。「いまここにある」という意味である。即ち、この文脈では「生きている」ということ、生ける神であるということである。エジプトの神々は偶像であるが、モーセの神は生きているのである。主なる神とは生ける神という意味、そう開かれた。感謝！</p>
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<pubDate>Thu, 23 Apr 2026 23:21:09 +0900</pubDate>
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<title>復活を信じると救われる！</title>
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<![CDATA[ <p>＜ローマ＞１０：９</p><p>口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>見ないで信じる者は幸い！その幸いな内容がまた明らかになった。救われるのである。神がイエス様を死者の中から復活させられたと信じるなら・・・と復活を信じることが条件になっている。このことを深めていきたい。</p>
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<pubDate>Fri, 17 Apr 2026 10:11:59 +0900</pubDate>
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<title>見ないで信じる者の幸いとは？</title>
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<![CDATA[ <p>＜ヨハネ＞20：29</p><p>イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>トマスは見て信じた。でも、イエス様は「見ないのに、・・・聞いて信じる者は幸い」と言われた。</p><p>ヨハネがこの福音書を書いている時、信者のほとんどの人は聞いて信じた人たちだった。</p><p>彼らは喜びながら嵐の迫害を突き抜けて言ったのである。</p><p>では、見ないのに信じる者の幸いとは何か？見て信じる者以上の幸いであることは当然だ。なぜなら</p><p>ここにはチャレンジ、賭けがあり、疑いや不安を抱えて、イエス様の招きへの応答である。</p><p>だからこのチャレンジはイエス様への愛である。だから幸いだ、祝福される、というのである。</p><p>では、その祝福とは何か？ここしばらく考えてきたが、言葉として表現できそうだ。</p><p>それは、罪が赦され、義とされ、神の子とされること。そして、いつも共にいて下さるという約束の中を</p><p>生きることができるということである。ハレルヤ！</p>
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<link>https://ameblo.jp/ponjirou2002/entry-12963136158.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Apr 2026 00:05:15 +0900</pubDate>
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<title>イエス様は救いの門である！</title>
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<![CDATA[ <p>ヨハネ10：9</p><p>&nbsp;わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>イエス様は救いの門である。この門は人に救いを約束する。凄い門である。</p><p>大学の門や他宗教の門は、卒業や最期に期待される学位や御利益を目指すスタートである。</p><p>結果は指導者の助けもあるが、本人の実力や精進である。</p><p>イエス様という門はスタートで救いが与えられ、そのプロセスは救いの実質化といえる。</p><p>へブル人への手紙10:19－20はイエス様が聖所への門であると証言している。</p><p>「 10:19 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。<br>&nbsp;10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために</p><p>開いてくださったのです。」十字架の叫びに呼応して、神殿の幕屋が上から裂けた。15センチもある</p><p>分厚い幕が裂けたということは、神のわざである。至聖所が解放されたのである。</p><p>しかし、私達は汚れたままで聖なるところには入られない。イエスの血によって清められて</p><p>入ることができるのである。イエス様の体が垂れ幕の役目をはたしている。</p><p>ここを通って聖所に入る。つまり、イエス様は救いの門である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ponjirou2002/entry-12961424429.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Mar 2026 21:05:46 +0900</pubDate>
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<title>イエス様は救いの門である！</title>
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<![CDATA[ <p>ヨハネ10：9</p><p>&nbsp;わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>イエス様は救いの門である。この門は人に救いを約束する。凄い門である。</p><p>大学の門や他宗教の門は、卒業や最期に期待される学位や御利益を目指すスタートである。</p><p>結果は指導者の助けもあるが、本人の実力や精進である。</p><p>イエス様という門はスタートで救いが与えられ、そのプロセスは救いの実質化といえる。</p><p>へブル人への手紙10:19－20はイエス様が聖所への門であると証言している。</p><p>「 10:19 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。<br>&nbsp;10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために</p><p>開いてくださったのです。」十字架の叫びに呼応して、神殿の幕屋が上から裂けた。15センチもある</p><p>分厚い幕が裂けたということは、神のわざである。至聖所が解放されたのである。</p><p>しかし、私達は汚れたままで聖なるところには入られない。イエスの血によって清められて</p><p>入ることができるのである。イエス様の体が垂れ幕の役目をはたしている。</p><p>ここを通って聖所に入る。つまり、イエス様は救いの門である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ponjirou2002/entry-12961424427.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Mar 2026 21:05:46 +0900</pubDate>
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<title>足を洗われた弟子たち</title>
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<![CDATA[ <p>ヨハネ13：12</p><p>さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>あと数時間で逮捕する者たちに連行され、受難が始まる。そんな時、イエス様は突如として弟子たちの足を洗われたのである。これまでは、互いに足を洗うようにと模範を示された、その1点で読んでいた。ところが先日、別の読み方に気づいた。それはペトロとのやり取りである。「手も頭も」いうペトロに、「すでに体を洗ったものは全身清いのだから、足だけ洗えばよい」と言われたのである。ペトロはすでに体を洗ったものとされているのである。だから足だけで十分だと。</p><p>この事を考えていたら、もしかしたら、イエス様は十字架で弟子たちのすべての罪を贖い、弟子たちを全身清い者と見做していた、のではないか。足を洗ったのは、十字架の贖いの象徴的行為であり、後に弟子たちに十字架の贖いをこの洗足の行為を通して確信させるためではなかったか。そのように思うと、腑に落ちる。後日弟子達は洗われた自分の足を見ながら、十字架の恵みを確信したのではないだろうか。弟子たちのように私もイエス様に足を洗われたのだ！</p>
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<link>https://ameblo.jp/ponjirou2002/entry-12960377691.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Mar 2026 22:39:20 +0900</pubDate>
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<title>使徒たちを確信させた証拠を確信して・・・。</title>
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<![CDATA[ <p>使徒言行録1:3</p><p>イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>イエス様の復活は数多くの証拠があるとルカは記している。ヨハネもそうだ。イエス様が多くのしるしをなさった、と証している。私達は彼らの確信を確信として、彼らに続いて、イエス様を信じて生きるのだ。換言すれば、彼らを確信させた証拠をばねにして信仰に生きるのだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ponjirou2002/entry-12958223297.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Feb 2026 22:47:41 +0900</pubDate>
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<title>私を正しく裁き、でも愛をもって！</title>
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<![CDATA[ <p>＜エレミヤ＞10:24&nbsp;</p><p>主よ、わたしを懲らしめてください。しかし、正しい裁きによって。怒りによらず、わたしが無に帰することのないように。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>世界に裁き主がおられることは、人生不条理ではないということだ。希望である。</p><p>でも、それは自分もまた裁きの対象になるということを受け入れることだ。</p><p>上掲のように、私も祈りたい。主よ、わたしを正しく、しかも愛をもって！</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ponjirou2002/entry-12957394303.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Feb 2026 08:52:52 +0900</pubDate>
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<title>私は無神論者になるほどの信仰は持っていません！</title>
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<![CDATA[ <p><strong>詩編 139:13-14</strong></p><p>&nbsp;あなたは、わたしの内臓を造り母の胎内にわたしを組み立ててくださった。 わたしはあなたに感謝をささげる。 わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>この目も耳も気がついたらあったのだ。わたしの意志ではない。私を超えた存在を指し示している。それでも無神論を主張する人は、恐ろしいほどの強い信仰があると言える。</p><p>私には無神論者になるほどの信仰はありません。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ponjirou2002/entry-12956593846.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Feb 2026 15:56:23 +0900</pubDate>
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