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<title>ぽっぷタイムマシン</title>
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<description>まともに働くことを拒否し、楽に稼いで早くクリエイティブワークに没頭したいと夢想する、そんな頭のおかしい僕の徒然日記（主に映画とか）。</description>
<language>ja</language>
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<title>果てしない忘却。</title>
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<![CDATA[ 書きたいこと、思っていること。<br>それらはみな、家に着いた瞬間に忘れる。<br>飯を食べたとき、忘れる。<br><br>結局何も思い出せず、何もしないで、人は一生を終えてしまうのだろうか。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10025358817.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Feb 2007 01:26:28 +0900</pubDate>
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<title>道具の思想　～日本とアメリカ～</title>
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<![CDATA[ 以前どこかで、第二次大戦中の日本とアメリカの兵器の違いについて書かれていたことがあった。<br>それは、日本では鍛え抜かれた玄人たちが使いやすいように、可能な限り無駄な機能や補助機能を道具から削ってしまっていたということ。反対にアメリカは、だれでも一定の戦闘力を発揮できるよう可能な限り機械に人間のアシストをさせていたそうである。<br>これは初期の局地戦における日本軍の圧倒的強さと、中盤以降の持久力戦において物量にモノをいわせるアメリカ軍の強さを証明するものではないだろうか。<br><br>まぁこんなことを以前知ったのだ。<br>それが頭の中に残っていて、ある時日本人の道具に関する一つの考え方があることに、自分なりに気付いた。<br>それは前述のとおりアメリカとは反対の思想であると思う。<br><br>欧米では、人が道具を選ぶ。<br>日本では、道具が人を選ぶ。<br><br>例えば、日本の風呂敷と折り紙がある。<br>風呂敷はただの一枚の布きれである。が、かつての日本ではそれはただ包むだけでなく、結び方巻き方次第で箱から壜からスイカまで、日常にある物なんでも包み運ぶことができた。<br>このように風呂敷には多くの機能を内包しているが、残念なことに風呂敷を見つめていてもその機能をがどこに隠れているのか見つけることはできない。<br>なぜならそれは、使う人間の中にあるからだ。<br>物そのものには機能を導くインターフェイスはなく、ただ素地があるだけである。<br>折り紙も風呂敷と同じ思想の上に成り立つと思う。<br>これもただの紙にすぎないが、やはり折る人間の能力に応じて変化する。<br><br>これに対してアメリカなどでは、道具は人間の能力差を埋めるために存在しているように思える。<br>日本では食事は箸一つで済ませてしまうが、向こうではナイフ、フォーク、スプーンなどそれぞれの用途に合わせた道具が使われている。１機能に対して一つの道具という形をとることで、その道具には与えられた機能にのみ特化させることができ、結果的にさほどの修練を積むことなく容易に道具の使い方を習得できる。<br><br>こっから先は完全な推測だが、日本では、役に立たない奴というのは道具を使いこなせない人間のことで、道具が無用だと考えることはなかったのではないだろうか。<br>逆に、欧米では役に立たないと言ったら主にその道具が何の役に立つのかわからない、ということを意味するのではないだろうか。<br><br>自分がこんな記事を書いてる間にも、自分自身に対する疑念はあるのだが今回は、なんとなく気付いたことを書いてみた。<br>まったくもって説得力に欠けることは十分承知しているし、説明不足なのもわかっている。<br>もし機会があればより詳細なことも書くべきかもしれないが、今回はご勘弁を。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10024160794.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Jan 2007 00:19:21 +0900</pubDate>
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<title>道に迷ったのかもしれない</title>
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<![CDATA[ 自分の言葉がいつも不明瞭なのは、自分に自信がないからである、そう思っていた。<br>そう考えた僕は意識して、ハッキリと言葉を発してみたりもする。<br>しかしながら、慣れない行為には違和感が付きまとうものだ。<br>そんな言葉の内容にも、その言葉を発する自分自身に対しても多くの疑問が出てきてしまう。<br><br>なぜ、そこまでハッキリ言い切れるのか？<br>完璧なYESは、ほぼ１００％の自信が無ければ言えない。しかしそんな自信も成果もましてや能力すら自分にあるとは到底思えず、したがってどこをどう捻ったって、「できました」「完成させました」「間違いありません」こんな自信に満ちた（本当に満ちているのかどうかは別として）答えを、相手に伝えることが出来ない。<br>必ずといっていい。僕は前述の答えの前に「おそらく・・・」「たぶん・・・」などといった曖昧な言葉が付記されてしまう。<br>これの原因は自分自身に自信がないこと、これは自分でも感じている。<br><br>しかし、それ以上の原因があることに気付いた。<br>それは、自分の目的が曖昧であり、ハッキリしていないのが原因ではないかと。<br>大きな人生の目標、白昼夢のような目的ならなんとなく自分の頭の中に構築することが出来ても、小さな会話や行動において目的をうまく設定することができない。<br>とくに会話や作文においては、どこに話を持って行くか、落ち着かせるかといった能力に著しく欠けている感が自分にはあるのだ。<br>おそらくのはなしだが。<br><br>眠くてこれ以上書けないからまた今度。<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10023297822.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Jan 2007 01:29:51 +0900</pubDate>
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<title>日本語が下手な件について</title>
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<![CDATA[ 僕にとって、しゃべる言葉、書く言葉、どちらも苦手です。<br>とくに会話がとっても苦手。<br><br>相手に何も伝わらない。<br>自分の伝えたいことを、うまく言葉に出来ない。<br>自分の頭の中にはイメージ、ちゃんとあるのにね。<br><br>的確な言葉、話す順序、つまり会話の構成。<br>とっても苦手です。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10021788069.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Dec 2006 01:49:20 +0900</pubDate>
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<title>ネット復活しました。</title>
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<![CDATA[ やっとネットがつながりました。<br>借りたアパートにもともとケーブルテレビの回線があったらしく、そこから３０Mbpsのネットに繋がっております。<br>昨今の光ファイバーに比べたら、遅いは遅いですが、もともと１M位のネット環境だったので、問題なしです。<br><br>しかし、ネットがなくても何とかなりますね。<br>意外と暇は感じませんでした。<br>かといって本を読んだり、映画を観ていたわけではないのですが。<br>やることがなくて（本当はあるけど）早く寝てしまっていたし。<br><br>とりあえずまたもとの生活に戻りそうです。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10019799761.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Nov 2006 12:56:55 +0900</pubDate>
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<title>遂にお引っ越しでござい。</title>
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<![CDATA[ 家を決めたのが二週間前で、契約が一週間前。<br>そして引っ越しはこの3連休。<br><br>その間に間髪なしの転職もあり、かなりテンコテンテコ舞い舞いでした。<br><br>新居にはまだネットが繋がっていないので今まで以上に書き込みが減ります。<br>というより実質2ヶ月くらい書き込みないかも。<br><br>たまにネットカフェでちょろっと書き込むくらいかな。<br><br>2ヶ月間、TVもネットも無い生活ってどんなだろうか。<br>とりあえず本とDVDはたんまり持って行く。<br>これがいい勉強の機会になればいいと思う。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10019308085.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Nov 2006 03:30:43 +0900</pubDate>
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<title>直感を信じた。ある意味で、奇跡が起こった。</title>
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<![CDATA[ 今週の土日に、一人暮らしするための部屋を探しに行った。<br>候補は２件。<br><br>一つは、部屋も広く、駅からちょっと歩くが、周りは静かで２階角部屋で、日当たり良好、風通しも良く、となりは女子大生。<br>もうひとつは線路沿いの一階、部屋はやや狭めで、バルコニーはあるが、電車がしょっちゅう通って埃を巻き上げるためあまり外に洗濯物は干せない。そのため、浴室乾燥機が付いている。そして駅から近い。<br><br>はて、普通の人なら間違いなく最初の物件を選ぶだろう。<br>自分でもその選択が正しいと、頭では考える。<br>しかし、直感は理性を信用しない。<br><br>もうひとつの物件、一年毎日朝から晩まで電車が隣を通過していくその物件に魅力を感じるのだ。<br>それだけではない。<br>最初の物件は、あまりにも普通の人間の暮らし向きで、発狂の予感が自分にはした。<br><br>もしかしたら、年中電車が横を通り過ぎていく部屋というのは、普通の人からすればその方が気が狂いやすいのかもしれない。<br>でも私にはそっちの方が優しい、そう感じたのだ。<br><br>迷いに迷い、結局最初の物件にしようとしたが、タッチの差で別の人が契約したと聞いたときは、正直私も驚く。<br>不動産屋に、どうしますか？、と聞かれ、なんのためらいもなく線路沿いの部屋に決めた。<br>最後の迷いを運命が動かしたのだと思った。<br>これから、蟻やらゴキブリやらナメクジやらと闘うことになるとは思うが、運命がそう動かしたのなら、その挑戦は受けて立つべきである。<br><br>迷いのある安全策より、決断できる危険な道の方が、きっと納得できる生き方に違いない。<br>今はそう信じて生きていく。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10018738853.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Oct 2006 22:57:21 +0900</pubDate>
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<title>僕は相変わらず無口です。</title>
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<![CDATA[ 人と話すのが苦手と言うわけではないのだけれども、それでも話したいとは思わない。<br>相手が話してくれるなら一生懸命聞きますが、やはり自分から話そうとは思わない。<br><br>自分のものを相手に伝えるのは難しい。<br>自分の中にあるものはなんでも漠然としたイメージで、言葉で伝えられることは、同じく言葉でインプットされた知識以外にない。<br><br>ところが知識だけの会話は虚しい。<br>本当に誰かを理解したり、または自分を理解してもらうには言葉にならない、この漠然としたイメージの共有以外にないと思う。<br>しかし、言葉によるイメージの共有は難しい。<br><br>言葉からイメージを喚起させるには莫大なボキャブラリーと教養が双方に必要になる。<br>さらにその両方とも知識ではなく、すでにイメージとして自分の中に固着するほど使い込まれていなければならない。<br>そんなこと出来るのは、作家と詩人だけ。<br><br>結局は僕は、無口のままだ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10018031648.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Oct 2006 02:04:37 +0900</pubDate>
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<title>『Vフォー・ヴェンデッタ』</title>
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<![CDATA[ Vフォー・ヴェンデッタを観る。<br>CMを観た感じと、プロデューサーと脚本がマトリックスチームなので、てっきりアクション映画だと思っていたら意外とサスペンスっぽい部分が多いこと。<br>まぁアクションを期待していた訳ではないからいいのだが。<br><br>映画としての出来は如何と云われれば、決して良くない。<br>まず台詞での説明が多い。<br>原作は、８０年代のイギリスのコミックらしく、おそらく、あまり工夫もせずに漫画と同じ手法で映画を作ってしまったのかなと感じる。<br>このへんはゲドと同じ臭いも感じてしまった。<br><br>それとカットの切り替えが早い。<br>監督が撮影に際してあまり計画を立ててないことが丸わかりである。<br>カットの切れ目がおかしいとところもチラホラ（カットそのものがおかしいところもチラホラ）あった。<br><br>それでもいいなと思ってしまったのが、伝えたいことがあるな、と感じるところだ。<br>映画としては駄目でも、何か伝えたいことがあれば観られる作品になるということ。<br><br>問題点は山積みだが、ただ格好良ければいいと考えて作られた作品（『マイアミ・バイス』とか）よりかは全然良作だ。<br>しかし、こんな作品が良い作品だなんて言ってしまう辺りが、世界の娯楽映画産業が衰退している証拠なのだろうな。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10017459461.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Sep 2006 23:19:17 +0900</pubDate>
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<title>嫌気とか、なんとか。</title>
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<![CDATA[ どうも人とうまく渡り歩けない自分がいる。<br>このままどっかに行きたい気持ちがある。<br>今いる世界が狭い世界とわかっていても、嫌なものは嫌だ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/pop-timemachine/entry-10017141473.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Sep 2006 14:05:30 +0900</pubDate>
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