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<title>popoppy9のブログ</title>
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<description>ぼおお</description>
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<title>停電の教室で指導員が倒れかけた話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「学童指導員、退任前に倒れる　後継見えぬまま夏休み最終日」</p><p>【浜千鳥市】</p><p>浜千鳥市汐路町の放課後児童クラブ「つばくろ学童クラブ」で8月28日午後、夏休み最終の登所日に落雷で約40分間停電し、定員25人に対し在籍29人が詰め込まれた室内で指導員の神楽坂トキ子さん(71)が熱中症で倒れかけた。神楽坂さんは今年度末での退任を表明しているが、後任の公募は3年連続で応募ゼロが続いている。</p><p>当日は室温35度を超える蒸し暑さの中、児童を涼しい場所に移そうとした神楽坂さんがふらつき、その場にしゃがみ込んだ。たまたま娘の陽向ちゃん(6)を迎えに来ていた竹村航さん(29)が駆け寄って体を支え、氷水で首元を冷やしながら119番通報。搬送先の点滴で大事には至らなかったが、波留間さんは「あと数分遅れていたら、と思うとぞっとした。あの日、教室に大人は神楽坂さんだけだった」と振り返る。</p><p>波留間さんは2年前、家業の製氷会社「浜千鳥製氷」四代目として妻の美咲さん(28)と共にUターンした。港で働く漁師や仲買人向けに氷を卸す傍ら、娘の送迎で学童に日々顔を出すうちに現場の逼迫を肌で知った。「継ぐと決めた時は港と工場のことしか考えていなかった。まさか子どもの居場所まで綱渡りだとは知らなかった」と話す。</p><p>神楽坂さんは開設33年目のこの学童クラブに29年間勤め、自ら定員超過分の児童も断らずに受け入れてきた。「辞めると言ってから3年、誰も手を挙げてくれない。時給は近隣より150円ほど低いままで、体一つで29人を見るのはもう限界」と漏らす。市子ども未来課の桧原学係長(48)は「補助指導員の募集にも予算措置にも動いているが、なり手不足は市単独では解決できない」と説明する。</p><p>汀線大学の蓑輪誠一教授(地域福祉論)は「こども家庭庁の2024年調査では全国の学童待機児童は約1万7千人にのぼるが、より深刻なのは現場を支える指導員の担い手不足だ。定員内に収まっていても、実際には一人の指導員が限界を超えて子どもを抱え込んでいる自治体は少なくない」と指摘する。</p><p>神楽坂さんは搬送翌日には教室に戻り、9月末に迫る後任の最終公募締め切りを控える。市議会では来月、学童保育の増員予算が審議される予定だが、可決されても指導員が見つかる保証はない。退任まで残り7カ月、つばくろ学童クラブの当番表には、今も神楽坂さんの名前だけが並んでいる。」</p><p>定員25人に対し29人が詰め込まれた学童クラブで、落雷による停電の中、71歳の指導員が熱中症で倒れかけた、という記事を読んだ。退任を表明してから3年、後任の公募は3年連続応募ゼロが続いているらしい。</p><p>「あの日、教室に大人は神楽坂さんだけだった」という、たまたま居合わせた保護者の言葉が怖かった。一人体制のギリギリさが、天候一つで表に出る話だと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838225.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:11:52 +0900</pubDate>
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<title>土俵を作っている数分の間に母がいなくなった話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「二百十日の土俵、途切れぬ介護　教員辞め3年、母見失った夜」</p><p>【蓑輪村】</p><p>蓑輪村栃谷地区で8月30日夜、二百十日を前に風を鎮める「風の三郎社奉納相撲」の土俵づくりが行われた最中、母を自宅に残していた元小学校教諭の杉浦圭介さん(57)の家から、認知症の母トヨさん(89、要介護3)がひとりで姿を消した。約40分後、集落から850メートル離れた吊り橋のたもとでうずくまっているのを隣人が見つけ、けがはなかったが、3年前に教職を辞めて母を介護する道を選んだ杉浦さんに、改めて重い問いを突きつける夜になった。</p><p>風の三郎社奉納相撲は台風襲来の時期にあたる二百十日の前後、集落35戸が総出で土俵を作り、稲の無事を祈って続けてきた行事だ。杉浦さんは蓑輪村立栃谷小学校で33年間教壇に立ち、2023年春、当時要介護1だった母の症状悪化を機に早期退職した。「土俵の砂を運んでいる間、目を離したのはほんの数分でした」と杉浦さんは振り返る。妻の悦子さん(54)はパートの合間に駆けつけ、「あの人が教員を辞めてくれたから何とか回っている家です。でも本音を言えば、まだ現役でいてほしかった」と複雑な胸中を明かした。</p><p>母を見つけた隣人の荒木仙太郎さん(78)は、「昔の教え子の顔まで覚えとる人が、家の前の道すら分からなくなる。信じられん気持ちだった」と話す。地区長の桐山常雄さん(73)によると、栃谷地区の35戸のうち16戸が独居か老老介護世帯で、村内で介護を理由に離職したのは杉浦さんで4人目という。訪問介護は週2回入るが自己負担は月2万8千円に上り、特別養護老人ホームまでは片道17キロの山道を要する。</p><p>総務省の2022年就業構造基本調査では、介護・看護を理由とした離職者は年間約10万6千人にのぼり、うち男性は3割弱にとどまるが、地方の中山間地では担い手不足から男性の離職が目立つとされる。千歳野大学の桐生淳教授(社会福祉学)は「都市部なら在宅サービスや施設で補える部分が、山間の集落では家族、しかも現役世代の男性に集中しがちだ。行事の存続と個人の介護離職が同じ地域課題の裏表になっている典型例だ」と指摘する。</p><p>9月1日、予定通り奉納相撲は営まれ、杉浦さんは行司役を務めた土俵の脇で母の車いすを押した。人手は例年より2人減ったが何とか神事は終えられたという。それでも、母がいつまた家を出るか分からない不安は消えない。杉浦さんは土俵を片づけながら、絞り出すように語った。「教員を辞めたことに後悔はないと言いたいんですが、正直、まだ分かりません。母を守れた代わりに、自分が積み上げてきたものを手放した実感だけが、ずっと消えないんです」」</p><p>台風の時期の伝統行事「奉納相撲」の土俵づくり中に、目を離したほんの数分の間に、介護していた89歳の母が家からいなくなった、という記事を読んだ。3年前に教員を辞めて介護の道を選んだ57歳の男性の話で、母は無事だったものの、改めて重い問いが残る夜だったらしい。</p><p>「教員を辞めたことに後悔はないと言いたいんですが、正直、まだ分かりません」という言葉が、きれいごとじゃなく本音として残っていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838209.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:11:41 +0900</pubDate>
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<title>台風の朝、一人が休んだだけで村中を頼った話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「唯一の指導員、35年の重み　後任見えぬまま台風の朝、港町の学童クラブ」</p><p>【棚田村】</p><p>棚田村亥の浦地区の放課後児童クラブ「亥の浦っ子クラブ」で、開設以来35年にわたりただ一人で指導員を務めてきた沖田チヨさん(80)が、来年3月末での退任を村教育委員会に伝えたことが分かった。後任を求める公募は今年で2年連続で応募がなく、定員20人に対し利用児童は23人と超過が続く中、後継者不在のまま「一人体制」の限界が露呈している。</p><p>転機は8月20日の朝に訪れた。台風接近に伴う高波警報が出るなか、沖田さんが自宅で足首をひねり出勤できなくなった。代わりの指導員はおらず、クラブは急きょ休所に。牡蠣の種苗入れ替え作業で沖に出ていた神尾涼太さん(27)の携帯に一報が届いたのは午前10時。船を寄せる間もなく、隣家の元漁師・樽井作造さん(76)に頼み込み、徒歩12分の亥の浦小学校まで長女の陽向ちゃん(6)を迎えに走ってもらった。「まさか指導員さんが一人休むだけで、村中を頼って回ることになるとは」と涼太さんは振り返る。</p><p>涼太さんは大手建設会社を辞め、3年前に妻の結衣さん(25)と娘とともにUターンし、祖父の代から続く牡蠣養殖業「神尾水産」の四代目を継いだ。仕事は潮の満ち引きに縛られ、平日の送迎はほぼ沖田さん頼みだった。「学童があるからこそ、この村で漁を継ぐ決断ができた」と話す。</p><p>沖田さんは35年前、村に学童保育がまだなかった時代に自ら村に掛け合って開設した「生みの親」でもある。定員20人に対し在籍23人という超過状態を一人で見続けてきた。「体力の限界はとっくに超えていた。でも辞めますと言えば、この村から子どもを預ける場所が消える」と声を落とす。</p><p>村教育委員会子ども未来係長の桧山悠子さん(46)によると、今年度の指導員公募への応募はゼロで、これで2年連続。時給は900円台にとどまり、近隣市の学童指導員求人より約150円低い。汀大学の南条美和教授(地域福祉学)は「漁業や農業が中心の地域では学童指導員のなり手不足が特に深刻で、こども家庭庁の2024年時点の全国調査でも待機児童数は約1万7千人に上る。一人体制の学童は、指導員の退任がそのまま『廃止』に直結しかねない」と指摘する。</p><p>村は来月、臨時の保護者説明会を開き、指導員一人体制から複数人によるローテーション制への移行案を示す予定だが、財源のめどは立っていない。沖田さんの退任まで残り7カ月。すでに次の台風が勢力を強めながら村に近づいており、涼太さんの携帯には、今度こそ自分が海に出ている間に電話が鳴るのではという不安がよぎる。」</p><p>開設以来35年、たった一人で学童クラブの指導員を務めてきた80歳の人が来年退任する、という記事を読んだ。台風の朝に本人が足首をひねって休んだだけで、代わりの送迎を求めて漁師やUターン青年など村中を頼ることになった、というくだりがその脆さをよく表していた。</p><p>公募2年連続応募ゼロ、時給は近隣より150円低い。「体力の限界はとっくに超えていた」という本人の言葉に、続けてきた35年の重みを感じた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838196.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:11:32 +0900</pubDate>
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<title>ガラス戸の前で踵を返した人の話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「「たんぽぽ食堂」開設30年、ガラス戸の前で　古町区西口、踏み出せない一歩と続く見守り」</p><p>【古町区】</p><p>古町区西口「さつき通り」商店街の一角にある居場所カフェ「たんぽぽ食堂」が8月31日、開設30周年を迎える茶話会を開いた。区立古町西高校の部活動「つばさ部」顧問、神代篤志さん(57)と生徒たちが30年分の来場者の手紙を並べた特別展示を企画したが、会場のガラス戸の前で足を止めたまま中に入れなかった一人の来場者の姿が、支援の届く限界を映し出した。</p><p>その人物はひきこもり歴15年になる皆川亮太さん(38)。母の久美子さん(66)によると、亮太さんは開始5分前に自宅を出て徒歩6分、480メートルの道のりを歩き、ガラス戸に手を伸ばしかけた。だが中から歓声が上がった瞬間、踵を返して帰ってしまったという。「あと少しだったのに」と久美子さんは声を落とした。</p><p>神代さんが顧問を20年続ける「つばさ部」の生徒たちは、毎年欠かさず手作りの便りを地域の郵便受けに配ってきた。部長の結城美咲さん(17)は「返事が来なくても、誰かが読んでいるかもしれないと信じて続けてきました」と話す。30年前に食堂を開いた沢井とし子さん(79)は「あの子がガラス戸まで来てくれただけで、今日は十分な一日だったのかもしれない」と静かに語った。</p><p>内閣府の2023年調査では、ひきこもり状態にある人は全国の15〜64歳で推計146万人とされる。常盤大学の逢坂誠一教授(60、社会学)は「地域の居場所は当事者が『いつか行ける場所』として機能する意味が大きい一方、実際に足を踏み入れる一歩を後押しする制度的な支援はまだ乏しい」と指摘する。</p><p>区福祉政策課の火野雅代課長(46)によると、区内で支援が必要とみられる世帯は推計84世帯だが、実際に相談機関とつながっているのは21世帯にとどまる。今年度の相談件数は58件で5年前の34件から増えたが、食堂の年間運営費210万円のうち区補助金は65万円にすぎない。「予算も人員も、需要の伸びに追いついていません」と火野さんは認める。</p><p>茶話会が終わり、片付けられた30年分の手紙の束を見つめながら、神代さんはぽつりと言った。「あの子が次に来られる日は、来るんでしょうか」。誰も、その問いに答えられなかった。」</p><p>居場所カフェの開設30周年の茶話会で、ひきこもり歴15年の38歳の男性が、開始5分前に家を出てガラス戸に手を伸ばしかけたところで、中から歓声が上がった瞬間に帰ってしまった、という記事を読んだ。「あと少しだったのに」という母親の言葉が切ない。</p><p>相談が必要な世帯の推計84世帯のうち、実際につながっているのは21世帯だけ、という数字も出ていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838176.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:11:19 +0900</pubDate>
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<title>十五夜の材料を自転車で運んだ実習生の話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「移動販売車が故障　十五夜控え、実習生が自転車で４キロ買い出し」</p><p>【蓑輪村】</p><p>蓑輪村杉ノ木台ニュータウンで九月二十四日、住民約六百八十世帯の生命線となっている移動販売車「まつむら便利屋」の軽トラックがエンジン故障で動かなくなった。二日後に迫った十五夜の月見だんご作り会の材料調達のめどが立たなくなる中、同ニュータウンの特別養護老人ホーム「杉ノ木園」で働くインドネシア人技能実習生、スリ・ワヒュニさん（24）が自転車で片道四・一キロ離れた旧市街まで二往復し、材料を運んだ。</p><p>二十四日午前、松村徳一さん（70）が運転する軽トラックは坂の途中でエンストし、そのまま動かなくなった。修理には部品調達を含め最低十日かかるとみられ、二十六日午後二時開始予定の月見会に白玉粉や里芋、栗が届かない事態になった。連絡を受けたスリさんは休憩時間を削り、自分の自転車で旧市街の「みのわマルシェ」へ向かった。白玉粉七キロと里芋の入った袋を荷台にくくりつけ、片道四・一キロの坂道を二往復、一往復に約九十分を要した。「お年寄りが毎年楽しみにしている会だから、材料がないなんて言えなかった」とスリさんは振り返る。</p><p>杉ノ木台は造成から四十七年、六百八十世帯のうち六割超が六十五歳以上を占める。三年前に唯一のスーパー「杉ノ木ストア」が閉店して以来、週二回の移動販売が住民の頼みの綱だった。独居の神林トシさん（78）は「あの車が来なくなったら、私たちは何を食べたらいいのか分からなくなる」と声を落とす。二十六日の月見会には四十六人が参加を予定しており、準備を担う蓑輪村社会福祉協議会杉ノ木台支部の蓮尾清高支部長（66）は「実習生の彼女に頼るしかなかった。本来はうちらの仕事なのに」と唇をかんだ。</p><p>農林水産省の二〇二〇年推計によると、生鮮食品店まで五百メートル以上離れ自動車を持たない「食料品アクセス困難人口」は全国で約九百四万人に上り、うち約七割を六十五歳以上が占める。地域経済に詳しい藤代久司・千歳野大学教授（地域経済学）は「過疎地の生活インフラを外国人技能実習生の善意と体力で支えている例は各地にある。制度上、実習生は数年で帰国や転籍を迫られる立場で、地域がそこに依存する構造自体が持続可能ではない」と指摘する。</p><p>まつむら便利屋の車は結局、月見会前日の二十五日夕方に応急修理で動き出し、材料は何とか間に合った。だが村社協が検討してきたコミュニティバスの試験運行は財源のめどが立たず、来年度予算に盛り込まれるかどうかは十二月の村議会まで分からない。加えて、スリさんの技能実習期間は来年三月までで、特定技能への移行試験に合格できなければ帰国が決まっている。「次に車が壊れたとき、私はもうここにいないかもしれない」。スリさんはそう言って、片付けを終えた自転車の空気を静かに入れ直した。」</p><p>住民680世帯の生命線である移動販売車が故障し、2日後の十五夜の月見会の材料が届かなくなったとき、特養で働く実習生が片道4.1キロの坂道を自転車で2往復した、という記事を読んだ。一往復90分、荷台に白玉粉と里芋をくくりつけて、というのがなかなかハードだと思う。</p><p>「次に車が壊れたとき、私はもうここにいないかもしれない」という実習生の最後の言葉が、この手の話に共通する不安なんだろうなと思った。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838161.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:11:08 +0900</pubDate>
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<title>8分で見つかった迷子の話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「迷子から8分、つながった温泉街　シングルマザーの案内処が結んだ絆」</p><p>【若葉町】</p><p>若葉町温泉の路地「木洩れ日横丁」に7月3日、案内処「つばくろ案内所」が開業した。開いたのは、旅館の仲居を辞めて独立した芝崎友梨さん(35)。息子の湊くん(7)と二人暮らしで、日帰り客の忘れ物や道案内を引き受ける4坪の小さな店だが、開業からわずか2カ月で、迷子や困りごとを温泉街全体で助け合う仕組みへと育ちつつある。</p><p>開業のきっかけは、仲居時代に感じていた「お客さんが困っても、頼れる窓口がない」という思いだった。改装費は約90万円。設備はタブレット端末1台と、近隣12店舗をつないだ連絡用のグループだけだ。「大きなことはできませんが、誰かが困った時にすぐ動ける場所にしたかったんです」と友梨さんは話す。</p><p>転機は開業11日目の7月13日午後に訪れた。台湾から来た陳美玲さん(41)が、坂道ではぐれた長男(4)を捜して案内所に駆け込んだ。友梨さんはすぐさま男の子の特徴を近隣12店舗のグループに写真付きで送信。8分後、300メートル離れた饅頭店の店先で、店主の郡司福治さん(68)が保護していた男の子が見つかった。「泣きじゃくる子を前に何もできず悔しかった。でもすぐに連絡が回って、こんなに早く見つかるとは思いませんでした」と陳さんは涙をぬぐった。</p><p>この一件を機に、これまで様子見だった老舗旅館の女将、蓮池セツさん(70)も協力を申し出た。「若い人がこれだけ動いてくれるなら、私たちも黙っていられない」と、旅館のロビーを日中の一時待合スペースとして開放。郡司さんも店先の縁側を子ども連れの休憩場所に使ってもらうようになった。若葉町温泉旅館協同組合長の桧山勲さん(59)は「一軒一軒は小さな店でも、つながれば温泉街全体の安心になる」と手応えを語る。</p><p>友梨さん親子の小さな挑戦は、いま静かに輪を広げている。組合の集計によると、開業前は月平均3件だった迷子・忘れ物相談は、8月には月平均12件に増えた一方、平均解決時間は45分から9分へ短縮された。協力店舗は開業時の5店から19店に増え、若葉町温泉の日帰り客数は前年同月比で6%伸びたという。」</p><p>温泉街に開業した小さな案内所が、迷子になった台湾人観光客の子どもを近隣12店舗のグループ連絡で8分で見つけ出した、という記事を読んだ。設備はタブレット1台と連絡用グループだけ、というのが逆にリアルだった。</p><p>平均解決時間が45分から9分に短縮された、という数字も良かったけど、それより「一軒一軒は小さな店でも、つながれば温泉街全体の安心になる」というコメントの方が印象に残った。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838142.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:10:59 +0900</pubDate>
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<title>避難誘導灯が届いていなかった宿の話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「停電の谷筋に灯らぬ誘導灯　偶然居合わせた客が拓いた避難路、残る「備え」の格差」</p><p>【緑ケ丘市】</p><p>八月二十八日夜、緑ケ丘市西部の温泉街「小夜霧温泉郷」で、台風十二号による記録的短時間豪雨で集落全体が停電し、市道沿いに設置された避難誘導灯が届かない谷筋の民宿から、宿泊客ら十四人が徒歩一・一キロの山道を歩いて高台の公民館へ避難する出来事があった。誘導したのは、たまたま素泊まりで宿泊していた会社員の男性と、民宿を営むシングルマザーだった。市が二年前に整備した誘導灯は、客室十五室以上の旅館九軒に限られ、六室以下の小規模宿五軒は対象外のままだった。</p><p>民宿「谷風荘」を営む蔦谷ひろみさん(39)は、長男の颯くん(9)と二人暮らし。七年前に夫と死別し、以来一人で宿を切り盛りしてきた。二十八日夜は午後九時すぎに集落全体が停電し、「懐中電灯だけを頼りに、颯と抱き合ってじっとしていました」と振り返る。</p><p>同じ頃、隣室に素泊まりしていた会社員の梶浦壮太さん(41)は防災士の資格を持ち、出張の合間にたまたま谷風荘に投宿していた。スマートフォンのオフライン地図で近くの土砂災害警戒区域と避難路を確かめ、ひろみさんと二人で谷筋の民宿四軒を一軒ずつ回った。「灯りが全部消えていて、声をかけないと誰も気づかない状態でした」と梶浦さん。結局、谷風荘を含む五軒の宿泊客と経営者ら計十四人が、懐中電灯だけを頼りに石段六十三段を含む一・一キロの山道を約二十五分かけて歩き、緑ケ丘市立小夜霧公民館へ避難した。</p><p>緑ケ丘市は二年前、防災対策費二千四百万円を投じ、市道沿いの旅館九軒に太陽光式の避難誘導灯を設置した。だが対象は客室十五室以上の組合加盟施設に限られ、脇道に点在する客室六室以下の小規模宿五軒は補助の枠外に置かれた。市防災危機管理課の蓑輪達也課長(56)は「限られた予算の中で、まず宿泊者数の多い施設を優先した」としつつ、「小規模宿への対応は次年度以降の検討課題」と述べるにとどまった。</p><p>総務省消防庁の調査では、全国の宿泊施設のうち客室十室未満の施設で避難誘導灯や戸別受信機などの防災設備が整っているのは三十一%にとどまり、十室以上の施設の六十八%との差は開いたままだ。防災社会学が専門の白鳥大学・柏木理沙教授(48)は「小規模宿泊施設は財政力も組合との結びつきも弱く、行政の補助制度から漏れやすい。今回のように偶然居合わせた個人の判断に頼る避難は、再現性がなく危うい」と指摘する。</p><p>避難から三日後の八月三十一日、市は「防災モデル温泉地・緑ケ丘」と大書したPR看板を、対象九軒が並ぶ通りの街灯柱に設置した。看板は谷風荘のある脇道の入り口からも見える位置に立つが、肝心の避難誘導灯はまだ一基も増設されておらず、蔦谷さんはその看板を横目に、颯くんと懐中電灯の予備電池を買いに出かけた。」</p><p>台風の豪雨で温泉街が停電した夜、避難誘導灯の対象外だった小規模宿から、たまたま宿泊していた防災士資格を持つ客とシングルマザーの女将が、宿泊客14人を懐中電灯だけで山道を歩いて避難させた、という記事を読んだ。誘導灯は客室15室以上の旅館9軒だけに設置されていて、6室以下の宿5軒は対象外だったらしい。</p><p>避難から3日後に「防災モデル温泉地」というPR看板が立った、という最後の一文が皮肉だった。看板より先に誘導灯を増やしてほしい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838124.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:10:48 +0900</pubDate>
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<title>30年続けても、次の子がまた同じ場所に立っている話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「居場所30年、なお届かぬ声　水無月町「はなみずき部」茶話会」</p><p>【水無月町】</p><p>8月30日、私鉄水無月線水無月駅西口「くすのき通り」商店街の一角にある居場所「こだま食堂」で、開設30周年を記念する茶話会が開かれた。ひきこもり状態にある人やその家族を支えてきたこの場所を、水無月町立水無月高校の部活動「はなみずき部」の生徒たちが20年近く手伝い続けている。集まったのは本人や家族、卒業生ら約50人。だが顧問の蒔田周平さん(61)の表情は、節目を祝う華やぎとは裏腹に硬かった。</p><p>顧問歴28年の蒔田さんは、部員22人と月2回、食堂の清掃や配膳、家庭への訪問声かけを担ってきた。「最初は部活動というより、断られ続ける仕事でした」と蒔田さん。この日、体験談を語るために壇上に立ったのは、7年間ひきこもり状態にあり、いまは町内の運送会社で働く早川直樹さん(34)だった。「あの食堂の灯りだけが、外とつながる糸でした」と語り始めた早川さんのスマートフォンが、スピーチの途中で震えた。中学2年の長男が通う学校からの着信だった。早川さんは会場の隅で小声で応対し、戻ってくると「息子が、また教室に入れなかったそうです」とだけ告げ、それ以上は続けられなかった。</p><p>30年前にこの食堂を創設した桜庭みね子さん(74)は「あの子が救われても、次の子がまた同じ場所に立っている」とつぶやいた。現在も相談待ちは12組にのぼり、対象と推計される町内の世帯約110のうち、継続的な支援につながっているのは31世帯にとどまる。</p><p>内閣府の2023年調査では、15歳から64歳のひきこもり状態にある人は全国で推計146万人とされ、10年前の調査より増加傾向にある。松濤大学の縣康弘教授(55、社会学)は「地域の居場所は当事者と社会をつなぐ貴重な回路だが、担い手のほとんどが手弁当のボランティアで、支援が届く前に本人が高齢化してしまう『8050問題』の芽もすでに水無月町にはある」と指摘する。</p><p>町福祉課の神保由紀課長(46)は「専門職員は2人しかおらず、30年続いた居場所頼みの現状は変えなければならない」と話すが、来年度予算案に新たな人員配置の見通しはまだ立っていない。</p><p>茶話会が終わり、片付けを終えた蒔田さんは、暗くなった商店街のシャッター通りを見渡してつぶやいた。「30年やって、僕らが本当に押せたのは何人分の背中だったのか。早川くんの息子さんの背中は、いったい誰が押すんでしょうか」。答えは、まだ誰も持っていない。」</p><p>ひきこもり支援の居場所30周年の記念茶話会で、7年間ひきこもり状態だった34歳の男性が体験談を話している最中に、自分の息子の学校から「また教室に入れなかった」という電話が来た、という記事を読んだ。「あの子が救われても、次の子がまた同じ場所に立っている」という創設者の言葉が重い。</p><p>全国推計146万人という数字が出ていたけど、数字より息子の着信の方が実感として刺さった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838114.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:10:39 +0900</pubDate>
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<title>パン屋の隣、解体待ちの空き家の話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「空き家のパン工房、潮風の坂に再始動　若葉町・貝殻浜地区、隣の廃屋は解体順番待ちのまま」</p><p>【若葉町】</p><p>8月20日、若葉町貝殻浜地区で、11年間空き家だった元漁師住居を改装したパン工房「浜風舎」が開業した。手がけたのは商店主の潮田早苗さん(48)。焼きたてのパンの香りが石段沿いの路地に漂うようになった一方、店の壁一枚を隔てた隣家は町の「特定空家」指定を受けたまま、行政代執行による解体の順番待ちが続いている。</p><p>潮田さんは3年前まで隣町でパート勤務をしていたが、亡き祖父が営んでいたこの家を継ぐ形で改装を決意。空き家バンクを通じて借り受けた建物は築62年で、改修費は当初見積もりの480万円から水回りの傷みが判明して610万円に膨らんだ。開業前日の7月19日夜、台風接近に伴う強風で隣の空き家の庭に自生していた高さ約8メートルの木が倒れ、開業準備中だった店先の看板と自転車置き場を直撃する騒ぎがあった。「あと数分早く外に出ていたらと思うと、今も肝が冷えます」と潮田さんは振り返る。</p><p>隣家に長年住む漁師の出浦儀助さん(76)は「持ち主の息子は県外に出たきり。屋根が落ちても誰も直しに来ない家を、毎日横目で見ながら暮らしてきた」と話す。町建設課空き家対策係の鴨井拓海さん(41)によると、隣家は2023年に特定空家に指定されたが、代執行を担う職員は町内で2人だけ。年間の解体対応件数は3件が限度で、順番待ちは現在17件に上るという。「危険性は認識しているが、予算も人手も追いつかない」と鴨井さんは説明する。</p><p>総務省の住宅・土地統計調査では、2023年時点の全国の空き家数は約900万戸と過去最多を更新した。灘見大学の早瀬桂子教授(地域政策)は「行政代執行は費用回収が困難なため自治体が及び腰になりやすく、特定空家に指定されても実際に解体まで進む物件は全国的に1割に満たない。若葉町のように商店が先に動き出す例は珍しくないが、隣接する危険家屋の問題を個人の努力だけで解決するのは無理がある」と指摘する。</p><p>潮田さんの夫で会社員の年男さん(52)は休日ごとに開業準備を手伝ってきた。「早苗が焼くパンで坂の空気が変わった気がする」と話す一方、「隣が崩れてこないか、正直まだ心配は消えない」とも漏らす。潮田さんは9月13日に貝殻浜地区の秋祭りに合わせて焼き菓子の出張販売を予定しており、来月には近隣の漁協直売所との共同企画も準備している。ただし隣家の解体時期は、鴨井さんによると「早くて再来年度以降」としか示されていない。」</p><p>11年空き家だった元漁師住居を改装してパン工房を開いた、という良い話の記事だったんだけど、壁一枚隔てた隣家がずっと「特定空家」指定のまま解体の順番待ちをしている、という後半が引っかかった。台風で倒れた木が開業前日に看板を直撃したエピソードもあった。</p><p>全国の空き家は約900万戸で過去最多、特定空家に指定されても実際に解体まで進む物件は1割に満たない、という数字も出ていた。パン屋の開業と隣の危険家屋、同じ町の同じ路地で起きていることだと思うと、なんとも言えない気持ちになる。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838097.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:10:29 +0900</pubDate>
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<title>火事に出動したら配達日当が引かれた話</title>
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<![CDATA[ <p>こんな記事を読んだ。全文引用します。</p><p>「文具店、三年ぶりに灯る　消防団員の配達、出動のたび消える日当」</p><p>【若葉町】</p><p>若葉町の下町の路地「弥生小路」に8月20日、文具店「つたや文具」が3年ぶりに営業を再開した。店主の蔦谷純平さん(36)は、平日は宅配委託会社と契約する個人事業主のドライバーとして1件184円の配達をこなしながら、地元消防団第二分団の団員として9年間、火災や水害の現場に駆けつけてきた。亡き父が42年続けた店を畳んでからの空白を、自分の手で埋め直すつもりだった。</p><p>改装費は約110万円。貯金と、妻の理恵さん(33)のパート収入を切り崩して工面した。「店だけでは食べていけないのは分かっている。でも父の店の看板を、このまま朽ちさせたくなかった」と純平さんは話す。文具店の月商は開業から3週間でおよそ3万5千円。配達の稼ぎを合わせても、手取りは月14万円台にとどまる。</p><p>開業9日目の夜、弥生小路から200メートルほどの民家でぼやが発生し、純平さんの携帯電話に招集の連絡が入った。店のシャッターを半分下ろしたまま現場へ走り、火は30分ほどで消し止められたが、その間に予定していた配達16件のうち5件をこなせなかった。代役を探す時間もなく、後日、委託先の地域統括を務める沢渡雅之さん(52)から届いた通知には「当日の欠配は契約上、原則ご本人による代替手配をお願いしている。次月の配車数を調整させていただく」とだけ記されていた。「命がけで火を消しに行ったのに、その埋め合わせは自分でどうにかしろと言われる」と純平さんはうつむいた。</p><p>弥生小路商店会長の早乙女宗一さん(68)は「純平くんの店に灯りがついただけで、路地の空気が変わった」と歓迎しつつも、「地域を守っている人間の暮らしを、地域自身が支えられていないのはおかしい」と漏らす。妻の理恵さんも「出動のたびに収入が削られると分かっていて、いつまで続けられるのか」と表情を曇らせた。</p><p>若葉大学の蔵本祐子教授(労働経済学)によると、総務省の2025年労働力調査で非正規雇用労働者は2100万人を超え、雇用者全体の36.9%を占める。「業務委託という『個人事業主』の形は労災補償や休業給付の枠外に置かれやすく、消防団活動のような公的な役割との両立を支える制度は、全国的にまだ谷間にある」と蔵本教授は指摘する。</p><p>シャッターに手をかけたまま、純平さんはしばらく黙り込んだ。「地域のために出た日の分は、いったい誰が埋めてくれるんですかね」。その問いに、まだ誰も答えを持っていない。」</p><p>3年ぶりに営業再開した文具店の店主が、平日は個人事業主のドライバーとして配達をしながら消防団員も9年続けている、という記事を読んだ。開業9日目にぼやで出動した際、欠配になった分は「原則ご本人による代替手配をお願いしている」と通知が来た、というくだりに、正直ちょっと腹が立った。</p><p>「命がけで火を消しに行ったのに、その埋め合わせは自分でどうにかしろと言われる」という言葉、業務委託という働き方の隙間がそのまま出てる気がする。</p>
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<link>https://ameblo.jp/popoppy9/entry-12977838078.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 16:10:18 +0900</pubDate>
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