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<title>バス運転士の網膜剥離回顧録</title>
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<title>網膜剥離回顧録 終わりに②</title>
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<![CDATA[ 網膜剥離を発症し二回の手術を経て､その結果視力が低下してしまったのは前述のとおりです。退院直後に比べると格段に良くなってはいるものの､発症前の視力には現在も戻ってはいません。おそらく､これからも以前の視力に戻ることはないでしょう。今は､左目でものを見ているウェイトがかなり高いと思います。入院中は目にアルミ眼帯をしていたので気がつきませんでしたが､いざ退院となって古い眼鏡をかけた時､右目が完全にぼやけていて､特に右後方の気配をまったく感じなくなっていることを認識した時はさすがにショックでした。<br><br>退院后は3ヶ月に一回､定期検診をしています。１ヶ月前にようやく北里大学病院を卒業して､先日から一番最初にかかった街の眼医者にて診察をしています。検診の結果は常に良好です。自分自身としては､二回も手術をしてシリコンスポンジまで縫い付けてあるのですから､さすがにもう再剥離はしないだろうとは思いつつも､網膜剥離は再発率の高い病気のため､今もあまり激しく身体を動かさないようにして､二度目の再発を防ぐべく､用心をしています。<br><br>『網膜剥離回顧録』では､私の事実に基づいて書き進めてきましたが､皆が同じような症状になる訳ではありません。入院してから知りましたが､私のように左目にも網膜剥離を発症して､自覚のないまま自然とくっついているケースもあれば､黄斑部にまで剥離が進行して､手術の甲斐もなく視力がほとんどなくなってしまうケースなど､様々です。よって､どの疾患でもそうですが､身体に異常を感じたら､放置せずにすぐ医師に診てもらったほうがいいかと思われます。<br><br>これにていよいよ『網膜剥離回顧録』も終わりとなりますが､最後に､病院にお見舞いに来てくれた皆さん､お見舞いにこそ来なかったものの心配をして頂いた皆さんと共に､一年後とかなり長い時間が経ってしまいましたが､医師､看護師さん､看護補佐さんなど､北里大学病院のスタッフに感謝の意を表して末筆にしたいと思います。<br><br><br>-網膜剥離回顧録 完-<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10522365327.html</link>
<pubDate>Sat, 01 May 2010 01:04:51 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 終わりに①</title>
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<![CDATA[ 長い間､つたない文章の『網膜剥離回顧録』を読んで頂いてありがとうございました。冒頭にも記したとおり､一年前の網膜剥離の闘病生活を､覚えている範囲で日記調で書き綴っていったら､次から次へといろいろなことが思い出され､気づいてみたら第42章にもなってしまいました。<br><br>私と同じく､網膜剥離を発症した人たちのブログもたくさん読ませて頂きました。皆さん自身の身に振りかかった症状についてよく調べられていて､それを読んだ私もいろいろと参考になりましたが､一方の私のこの『網膜剥離回顧録』は､入院生活からその后の安静生活をただ日記調で書いているだけなので､あまり参考にはならなかったかと思います。その意味で､同じ網膜剥離を患っている方で､私のこのブログで医学的な記述を期待された方がいらっしゃったら申し訳ないと思います。<br><br>職場復帰后についてですが､発症前に比べて遠近感が多少乏しくなったことと､眼鏡使用ではあっても右目の視力が著しく低いので､左目に負担がかかって､勤務中は緊張感であまり自覚はないのですが､勤務が終わった時には､かなり目が疲れている感じがします。私は今の仕事を始めて4年と2ヶ月（うち､休職が4ヶ月）がたちますが､発症前の3年間で一度しか経験したことのない､左のミラーを4回もぶつけてしまいました（念のために記しますが､幸いなことに4回ともミラーを割ることはありませんでした。ちなみに､ボデーをぶつけたことは一度もありません）。<br><br>目の不調で事故を起こしたとしても､それは言い訳にもなりませんから､あまりバスを左に寄せないとか､眼球にシリコンスポンジを縫い付けた後遺症で眼球の動きが悪い（というか､遅い）ので､発症前よりはスピードを控え目にして走るなど､今の自身の実状に合わせた運転をしています。<br><br>しかし､ハンドルを握りながらいつも思うことですが､網膜剥離を発症した輩が､果たしてバスを運転していていいのかなと､常に疑問に思います。勿論､事故さえ起こさなければ何の問題もないのですが､仮に目の不具合で事故を起こしてしまったとしたら､その時はバスの運転士を引退する時かなとも考えています。<br><br>→続く
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10521723308.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Apr 2010 11:41:59 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 最終章</title>
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<![CDATA[ 網膜剥離を発症した頃は､視野欠損はあったものの､視力が下がったという自覚はありませんでしたが､入院をして二度の手術をしてから､右目だけは一気に視力が下がってしまいました。後から調べたら､それは術後の後遺症とのことでした。もし網膜剥離を放置していたら失明していた可能性が高いので､比較をすればまだ視力低下のほうが良かったのかなとも思います。<br><br>しかし､このまま視力が戻らなければ､バスの運転士を続ける訳にはいきません。視力が安定する3ヶ月后も見え方が変わらなければ､やはりバスの運転士は辞めたほうがいいなと結論づけました。<br><br>7月7日､その3ヶ月后の診察の日がやってきました。まず視力を測り､続いて前からお願いしていた､大型免許の必須条件の深視力を測ってもらい（本当は､退院后すぐに深視力の測定をしてもらいたかったのですが､術後3ヶ月はだめということなので､この日まで待っていました）､その結果､ようやく職場復帰にゴーサインが出されました。診察をしてくれたS先生がいつもの笑顔で「良かったですね」と言って私の膝をポンポンと叩き､「バス運転の業務に影響はないと､今の段階では推察される」という診断書を書いて頂きました。これで､職場復帰が認められました。北里大学病院を退院してからの､3ヶ月間の怠惰な日々からようやく解放されることになりました。<br><br>7月16日､およそ4ヶ月ぶりに職場復帰を果たすことが出来ました。「果たして､自分は職場復帰出来るのだろうか」と考えていたのが嘘のようです。久しくバスの運転をしていなかったため､復帰后一週間の見習い乗務をした後､運転が認められて､いよいよひとりで運転出来るようになりました。網膜剥離発症時にはまだ､車内に暖房をかけて走っていましたが､復帰后は既に､エアコンを全開で廻す暑い夏になっていました。
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10521463429.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Apr 2010 00:24:08 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 その41</title>
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<![CDATA[ 退院后の毎日を詳細に記すと､この『網膜剥離回顧録』も際限なく続いてしまうので省略しますが､この3ヶ月の欠勤中､有り余る時間を使って､右目の治療は勿論ですが､そこそこ自分自身なりに充電出来たような気がします。<br><br>退院して最初のうちは早く職場に戻りたいなという思いはありましたが､時間の制約がない毎日を送っているうちに､今のほうが気楽でいいやという､だらしのない気分になってきました。<br><br>お金がないので､つつましい日々を過ごさなければならなかったこともありますが､入院中の安静生活がクセになってしまったのか､一日どこにも出掛けずに､ずっと家にこもっているという日のほうが多かったような気がします。網膜剥離を発症してから､自分の意に反してすっかりインドア派になってしまいました。まあしかし､網膜剥離の再発を防ぐためにも､これはやむを得ないかなとも思います。<br><br>欠勤中は何回か帰省をしたり､気晴らしに仲間を誘って酒席を設けたり新幹線に乗って出掛けたりもしましたが､家で本を読んだり（欠勤中､合計9冊の本を読みました）DVDを見たり､夜はナイター中継を見たりして過ごしていました。しかし､退院直後は「あれもやろう､これもやろう」と思っていましたが､日が経つにつれて､朝起きると､「さて､今日は何をして過ごそうかな」と､そんなことばかりを考えていました。<br><br>かように､日々ダラダラと過ごしてはいましたが､肝心の目のほうは一向に視力が上がる気配がありません。そこで､新聞広告にヒントを得て､暫定的に今の視力に合った眼鏡は作れないかと考えました。早速､駅の近くの眼鏡屋に行きその旨を話してみると､3ヶ月以内だったら無償でレンズの交換が出来るということを聞き､早速眼鏡を作ることにしました。<br><br>一週間ほどして新しい眼鏡が出来ました。かけてみると､それまでとは全然違ってよく見えるようになりました。翌日には2ヶ月ぶりに車を運転してみました。久しぶりなのでとても緊張しました。車を運転するのにこんなに緊張するのはおそらく､免許を取って以来ではないかと思います。<br><br>よく見えるようになったのはあくまでも前の眼鏡と比較しての話であり､すべてがスッキリと見える訳ではありませんでした。視力がなかなか上がってこないので､果たして自分は本当に職場復帰出来るのか､日が経つにつれて心配になってきました。
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10516960622.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Apr 2010 22:15:50 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 その40</title>
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<![CDATA[ 退院翌日の22日は一日中家でのんびり過ごし､そのまた翌日の23日に挨拶と書類提出のために､およそ１ヶ月ぶりに会社に行きました。久しぶりに会社に行くので､何だか照れくさかったです。会社に着くとみんなが退院を祝ってくれて､とても嬉しかったです。<br><br>二時間ほど会社にいた後に､次は会社の近くの知り合いのところに向かい､入院中大変お世話になったことのお礼をしてきました。本当は退院翌日に出向きたかったのですが､当日はこの知り合いの家が経営するお店が定休日だったのでこの日にしました。二度手間にならないよう､会社への挨拶もこの日にした次第です。<br><br>会社に行った時に､翌日とそのまた翌日に健康診断があることを教えられました。この健康診断を受けておかないと､職場復帰してもバスに乗務させてもらえないという話を聞き､近所に住む同僚の車に乗せてもらい､二日続けて会社に出向きました。<br><br>健康診断ではほとんど異常はなかったものの､やはり右目の視力だけは問題ありでした。眼鏡をかけても0.1はありませんでした。網膜剥離の件を保健士さんに話しはしましたが､さすがにショックでした。<br><br>およそ一週間后の28日､午前中は北里大学病院で一回目の外来診察をした後､夜は仲間が快気祝いを催してくれました。この夜は二次会三次会と流れ､結局タクシーで家に帰ったのは午前4時を過ぎていましたが､毎日が休みなので､こんな遅い時間になってもまったく苦にはなりませんでした。仲間の暖かい心遣いに ただただ感謝し､退院后の楽しい一夜を過ごしました。
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10516931281.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Apr 2010 21:48:13 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 その39</title>
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<![CDATA[ 話は退院直前に戻りますが､退院后の注意点の中で､『眼鏡は視力が安定する術後3ヶ月を目安として医師に相談してください』とありました。と言うことは､当然の如く3ヶ月間は視力が安定しないということになります。これは､バス運転士を職業とする私には重大な問題です。<br><br>退院を前提として､この件についてS先生に尋ねました。S先生が「職業は何ですか?」と尋ねるので「バスの運転士です」と答えたら､「うーんそうですか､バスの運転士さんならやっぱり3ヶ月は休んだほうがいいですね。人を乗せて走る訳ですから」と言われました。このS先生の答えで､退院后3ヶ月間は会社を欠勤することに決定しました。入院すると決まった当初､勝手な予測で､2週間入院して､その后一週間自宅療養してから職場復帰だと考えていましたが､そこから大幅に欠勤期間が延びて､合計4ヶ月にもなってしまいました。<br><br>思いもよらない長期休暇が振りかかってきました。時間は無限に出来たものの､何せ欠勤中の身分なのでお金がありません。健康保険組合から出る傷病手当のみが唯一の収入となってしまいました。そうなると､自宅療養の3ヶ月間は､つつましい生活を送らざるを得なくなりました。<br><br>上記の話を前提として､退院后の3ヶ月間のことを書いていきます。バスを降りて雨の中を濡れながら歩き､29日ぶりに自宅に着きました。これだけ留守にしていたので､ポストは郵便物とチラシで溢れていました。部屋に入ってまずは窓を開けて換気をし､荷物の整理をしてから､入院中は御法度だったテレビ､読書､タバコにいそしみました。網膜剥離で入院さえしなければ日常何でもなかったことが､たった29日間のブランクとはいえ､とても新鮮に思えました。<br><br>退院はしたものの､目の中のガスがまだ残っていたので､ガスが抜けるまでは基本は安静で､寝る時は横向きでと言い渡されていました。荷物の整理が終わってからは言われたとおりにしていましたが､夕方からは､旧友のY氏がわが街に来てくれて､ささやかながらの退院祝いを開いてくれました。これもまた､実に29日ぶりのお酒です。酒が腹にしみわたる気はしたものの､こちらもブランクがあったためにあまりたくさん呑むことは出来ませんでした。しかし､そこそこに酔ってお開きになった後は､これまた久しぶりに横向きになってゆっくりと休むことが出来ました。
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10512006855.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Apr 2010 22:46:10 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 その38</title>
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<![CDATA[ 4月21日､退院出来るかも知れない朝を迎えました。仮に､この日の診察でまた剥離が見つかれば､また退院が延期になってしまいます。<br><br>朝食后すぐに診察に呼ばれました。Y先生かなと思ったら､この日はS先生でした。診察室に向かうのにこれだけ緊張したのは､この日が初めてでした。<br><br>診察が始まりました。いつもどおり上を見てから一周して､結果は異常なし。晴れて退院となりました。29日にも及ぶ長い入院生活も､これでいよいよ終わりを告げました。<br><br>退院はお昼迄にすれば良かったのですが､だらだら病院に残っていると後ろ髪を引かれるような気がして､退院后の生活のガイダンスを受けてすぐに､慣れ親しんだ516号室を後にしました。<br><br>ナースステーションで入院中ずっとしていた左手首の患者IDを切ってもらい､これで5A病棟ともお別れです。ステーションにいた病棟スタッフがみんな､「おめでとうございます!」と言ってくれたので､入院中お世話になったお礼を述べて､エレベーターに乗りました。<br><br>エレベーターを降りてまず向かったのは喫煙所です。退院したらまず行こうと､入院中ずっと考えていました。こうして5A病棟以外の院内を歩くのも､実に28日ぶりのことです。車椅子で喫煙所に行っていた時の記憶を頼りに､何回か道に迷いながら､何とか喫煙所までたどり着くことが出来ました。<br><br>喫煙所でタバコをゆっくりと一本吸って､病院の外に出ました。外は雨が降っていて､傘の持ち合わせがない私はタクシーで帰ることも考えましたが､意外に料金が高いことを看護補佐さんから聞いていたので､バスで帰ることにしました。<br><br>しばらくバス停で待っていた後に､少し遅れてバスがやってきました。降りるお客が終わるのを待っていざバスに乗ろうとした時に､また遠近感がなくなっていることを思い知らされました。ステップに足をかけたのですが､それがステップの上なのかステップのへりなのかがわかりませんでした。もしへりの部分だったらつまづいて転んでしまうので､恐る恐る足を動かしてバスに乗り込みました。運転士さんは怪訝そうな顔をしています。結局､その場所はへりではなく､無事にバスに乗ることが出来､運転士さんに職員パスを提示したら､更に怪訝な顔をされました。<br><br>バスは北里大学病院を発車しました。これで本当に､病院にさよならすることとなりました。
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10511070669.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Apr 2010 22:07:19 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 その37</title>
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<![CDATA[ タバコの話題をもう少し。2日后に､同じ5A病棟に入院している人と一緒に喫煙所に行きました。タバコを吸いながら話を聞くと､左目の網膜剥離で入院し､退院して一週間后の外来診察で今度は右目の網膜剥離が発覚し､再び入院したそうです。私も再発しましたが､この話を聞いてあらためて網膜剥離の恐ろしさを感じました。私の場合は入院中の再発でしたが､この人は退院してすぐの再入院でさぞショックだっただろうなと思いました。<br><br>結局､入院中は3回喫煙所に行きましたが､ひとつ不安だったのが､一回喫煙所に行くと､すぐにまたタバコを吸いたくなるのではないかと思っていましたが､25日間もタバコを口にしていなかったせいか､一回タバコを吸えばその日はもうタバコを吸わなくていられたのは幸いでした。前にも書きましたが､この入院での良かったことと言えば､それ以降は一日のタバコの本数がかなり減ったことでした。<br><br>私に喫煙を許可してくれたS先生にはただ感謝です。入院生活が長くなったからという特例でしたが､そうでもなければまず喫煙許可が出ることはなかったでしょう。<br><br>退院前日になりました。心は既に退院モードでしたが､一ヶ月をこの北里大学病院で過ごし､病院スタッフに良くしてもらっていたので､退院するのは嬉しくもあり､また寂しくもありといったところでした。消灯后は､その思いと､3月22日に網膜剥離が判明してから今日までのことがいろいろと思い出されてなかなか寝付けませんでした。<br>夕方､最後のお見舞い客として会社の同僚2人が来てくれましたが､「今病院に着いた。これから部屋に行く」というメールがきてから､一向に部屋に来る気配がありません。ようやく姿が見えたので聞いてみたら､いつかそういう人がいるだろうとは思っていましたが､間違えて北里東病院に行ってしまったとのことでした。<br><br>ついに退院の時を迎えることが出来ましたが､3月終わりにあった退院の話から一転､翌日に再剥離ということもあったので､翌日の診察結果が出るまでは､まだ退院出来るかどうかは疑心暗鬼でした。
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10510240146.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Apr 2010 22:46:31 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 その36</title>
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<![CDATA[ 「後で看護師に話しておきます。でもいいですか､本当はタバコはだめなんですから､一日一回ですよ。それから看護師の目を盗んで自分で歩いて行ってはいけませんよ」 S先生は前にも言ったことを繰り返し､ようやく本当に喫煙を許可してくれたようです。<br><br>初めて喫煙所に行けたのは､この会話から3日ぐらいしてからでした。またもやS先生は看護師さんに伝えるのを忘れていたようです。<br>4月18日､昼食が終わってから看護補佐さんが車椅子を持って迎えに来てくれました。多忙な看護補佐さんの手を煩わせてはいけないと思い､歩いて行く旨を話しましたが､S先生の指示とのこと。「気にしなくていいですよ」と言われ､車椅子で行くことにしました。<br><br>5A病棟から喫煙所までは､自分の足で歩いていかなかったので､迷路のような印象を受けました。今､同じ道のりを歩けと言われたら､間違いなく迷子になることでしょう。<br><br>喫煙所に着きました。S先生は一日一回と言いましたが､一日一本とは言わなかったので､まとめて何本か吸おうと思い､看護補佐さんには「15分したら迎えに来てください」とお願いしました。私がタバコを吸っている間じゅう待っていてもらうのは､多忙な看護補佐さんには悪いという気持ちもありました。<br>いよいよ､25日ぶりにタバコが吸えます。久々に頭がクラクラする感触が味わえると期待したのですが､残念ながらそれはありませんでした。目だけではありましたが､体調が良くないので､そちらのほうに神経がいっていたのかも知れません。それよりも気になったのが､ベッドの上にいる時には気がつかなかったのですが､入院してからあまり目を使っていなかったためか､それとも術後の後遺症からか､遠近感がなくなっていました。タバコの灰を灰皿に落とそうとしたのですが､灰皿に差し出したタバコが､本当に灰を落とす場所にあるのかどうかがわかりませんでした。迷っていたら隣の人が慌てて､「どうぞどうぞ」と､灰皿を私のすぐ近くに移動してくれました。車椅子に乗って､目にアルミの眼帯をして灰を落とす場所もわからない私を､重症患者だと思っていたのかも知れません。
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10510201700.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Apr 2010 22:08:09 +0900</pubDate>
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<title>網膜剥離回顧録 その35</title>
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<![CDATA[ 入院直前に､病院まで送ってくれたKT氏の車を降りてすぐに吸って以来､タバコが吸えなかったことは前述しましたが､ある時に同じ網膜剥離で入院してきたHさんが､入院翌日の朝に看護師さんの目を盗んでバスターミナルでタバコを吸ったという話を本人から聞いてから､久しぶりにタバコが吸いたくなりました。<br><br>今の世の中の禁煙の風潮の中で､タバコを吸いたいとお願いしても､一番喫煙から縁遠いところにいる医師からは絶対に許可は出ないと思いつつも､恐る恐るS先生にお願いしてみました。ところが､意外や意外､S先生は「そうですねぇ､だいぶ入院生活も長くなっていますから､そろそろタバコも吸いたくなる頃でしょうねぇ。タバコは身体に悪いし､入院中はベッド上安静なので本当はだめなんですけど､一日一回なら特別に許可しましょう。後で看護師に話しておきますから」と言ってくれました。お願いはしてみるものです。<br>ところが､その后一向に喫煙所に行ってもいいという話が出てきません。看護師さんからもタバコの話題が出てこないので､どうやら多忙なS先生が忘れてしまっているようです。<br><br>最初のお願いからおよそ一週間して､再度S先生にお願いしてみましたが､これが大失敗でした。この日は教授回診の日だったのです。教授の前で自分の立場を考えて､S先生はかなりきつい口調で言いました。「何言っているんですか! 入院中はベッド上安静だからタバコなんか吸える訳ないじゃないですか!」… 一週間前とはまったく逆になり､ましてこの口調に私も思わずムッとしましたが､こんな時にタバコの話題を出した自分が浅はかだったと思い､反論することもしませんでした。<br>それから数日后､意外なことにS先生からタバコの話が出ました。「私もすっかり忘れていましたが､タバコの話がありましたね。我慢していましたか?」 素直なS先生は､忘れていたことを正直に告げました。「はあ､先生から許可が出るまでは待っていました」 すると､S先生は笑顔で私の足をポンポンと叩き､「偉い偉い。どうしてもタバコを吸わないとおかしくなりそうなら許可しますが､どうですか､おかしくなりそうですか?」と聞くので､このチャンスを逃してはならないと思い､「はい､おかしくなりそうです!」とはっきり告げました。ここでようやく､S先生から本当の喫煙許可がでました。
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<link>https://ameblo.jp/powertard/entry-10510169624.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Apr 2010 21:36:25 +0900</pubDate>
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