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<title>オモイメグリテ　ー精神科医の精神ー</title>
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<description>いつまで続くかわからない、ツイッターより長い備忘録的随想とあとネタ帳。</description>
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<title>患者はマスクで語る</title>
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<![CDATA[ <p>2時半まで仕事をしていてあまりに眠たくならないため、久々のブログ更新をする。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>外来という10分程度の会話の中で、患者の状態をスピーディーに理解できそうなものならなんでも使いたくなるのが忙しい精神科医の宿命である。</p><p>&nbsp;</p><p>歩き方、声をかけた反応、潜時、目線、なんてものは確かによく使うが、「今日は2週前より潜時が長い」「なんか声のトーンが低い感じがする」というのは、ちゃんと録音して音声的解析をしないと難しい。精神科医の「感覚」になってしまうところが多い。</p><p>&nbsp;</p><p>スピーディーに回さないと採算が取れないのも確かである。ある精神科の先生は腱反射を使っていると聞く。腱反射が亢進しているから、この人は今日は緊張している、調子が悪い、とかなんとか。その先生が、てんかん専門の神経内科医に講演会で質問していたが、「腱反射では精神症状は測れないと思います」と一刀両断されていたのも記憶に新しい。</p><p>&nbsp;</p><p>なかなかそんな都合のいいものはないんだなぁ、って外来をしながら感じるわけであるけれど、これは、と思うものが最近ある。マスクだ。</p><p>&nbsp;</p><p>昔は、マスクといえば布が何枚もかぶった四角い使い回すマスクが主流だった。小さい頃、母に「寝るときにつけときなさい」と言われても、分厚さが鼻にまとわりついて息がしづらく、苦手だった。</p><p>&nbsp;</p><p>今でも、口と鼻をかろうじて塞ぐマスクはお爺様世代がつけているのをたまに見るが、ほとんどは使い捨てのマスクである。トンビのくちばしのような（僕としてはパタリロのタマネギ部隊のような、と形容したいが）鼻まですっぽり覆うマスク、あるいは四角くても鼻の部分を折り込める大きめのマスクが、衛生的に安価に手に入るようになって、かなり多くの患者がつけてきている。</p><p>&nbsp;</p><p>申し訳ないことなのかもしれないが、僕は診察のときにマスクをするのが嫌いだ。飲み会やニンニクの次の日で匂いが隠せないかもと心配になるとき以外はつけないことが多い。</p><p>本当は衛生面ではマスクをするべきなのだろうが。</p><p><br>なぜなのだろう、と思うと、やはり笑うにしても不思議がるにしても、目だけでは感情を伝えにくく、表情を見せにくいのだ。あなたに共感していますよ、というアピールがかけにくい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>対して患者は、いろいろな理由で、マスクをしている。</p><p>&nbsp;</p><p>一番典型的には醜形恐怖の患者だ。自分の口が気に食わない、鼻がブサイクだから見られたくない、口臭が人をイヤがらせるのでは、などといった「他者の評価」を気にするがために素顔を出せない人がいる。</p><p>&nbsp;</p><p>マスクはそうした自身の引け目を隠す役割があり、自分の自身のなさや、恐怖感不安感を覆い隠すのに役立っているように見える。</p><p>&nbsp;</p><p>事実、日本の文化では（海外にも場合によってはあるようだが）笑うときに口を隠す、といった女性の礼儀がある。口を見せる、口の中を見せるということは日本人女性にとって少し憚られることであり、まして自尊心の低い心を病んだ状態では余計イヤなことなのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>診療をしているときにマスクをして入ってくる人は、基本的に一年中マスクをしている。夏場だから暑くて今日はしてこなかった、ということは少ない。涙やはなみずで汚れて外すことはあっても、めったなことでは外さない。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、診療をしていると、そうやってマスクを毎回つけていた患者が、ふとマスクを剥がすことがある。いつもマスクをつけて入ってきているのに、今日はマスクをしていないから一瞬誰かわからなかった、というのは時としてある。</p><p>&nbsp;</p><p>具体例を挙げると、一人は、双極性障害の患者だ。鬱エピソード時は、必ずマスクをつけてくる。しんどいです、どうしようもないんです、と言いながら、決してマスクを外さない。しかし、ある日、マスクを外して診察室に入ってくる。あぁ、この人はこんな顔をしてるんだ、なんて思いながら診察していると、めちゃくちゃしゃべる。いつもと違う。あぁ、これは彼女は躁転したな、と気づくのである。その後の様子を見ていても、彼女はうつ病期にはマスクをし、躁状態の時には外している。rapid cyclerの彼女を一目で理解するのに、非常に役立つツールとなっている。</p><p>&nbsp;</p><p>もう一人は不安障害、ACの傾向とも言えるような低い自尊心で苦しんでいる患者だ。彼女は、4月からずっと通して僕の診察にマスクをしてきていた。でもある日、マスクを外して入ってくる。僕は反応が一瞬遅れる。マスクをしていないと相貌失認が起こるのかもしれない。</p><p>そして、「今日はマスクをしていないんですね。何か心境の変化があるのでしょうか」と聞く。すると、「私ブサイクだから、顔見せるとみんなをイヤがらせるかなっておもってて、決してマスク外さないんです。でも今日は確かにマスク買い足してこなくて。先生ならブサイクなんて言わないだろうからってことですかね」と言った。その後「いや、先生、でも、先生はそういう悪いこと言わないのわかりますけど、すっごい緊張しますね。目を見れないや」と、強い対人恐怖感を感じていたようだった。彼女には醜形恐怖があり、ずっと隠してきているものを、僕には見せてくれようとしてくれたのだ、と理解した。</p><p>&nbsp;</p><p>　マスクは、バリア、いや、もっと厳密にいえば、ATフィールドなのだろう。弱い、自身のない自分を他社から遠ざけるため、個性を没するためのバリアなのだ。そのバリアを破いて、患者の素顔に迫れる時、いや患者がそのバリアを取り去る時、医師と患者の間には何か超えられた関係性が出来上がった時なのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　ところで、今は忘年会シーズンだ。</p><p>　この記事の最後に、過日の忘年会で披露した　もしかしてだけど　病棟バージョンの一節を紹介しようと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>　お気に入りの看護師さんは　他の時は素顔なのに</p><p>　僕の前では　マスクを外さない</p><p>　もしかしてだけど　もしかしてだけど</p><p>　ひっぺがされて　無理やり唇　奪われたいんじゃないの</p><p>&nbsp;</p><p>　もちろんそんなことは毛頭思っていない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12336938778.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Dec 2017 03:21:47 +0900</pubDate>
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<title>随筆</title>
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<![CDATA[ <p>　少し暗めのダウンライトに照らされて、丸いテーブルが、小ぶりな椅子に取り囲まれている。人はその上で、本を読んだり、携帯を必死に叩いたり、コーヒーを飲んだり、必要以上に近づいてくる男の顔を避けるようにのけぞってみたりしている。</p><p>&nbsp;</p><p>　僕は、iPhoneの修理を待っている。その一環として、周りと同化して、スターバックスで初めてラップサンドを楽しんでみたり、いつもは読まない小説を買ってみたりしながら、ぼんやりと、かつては様々な思いが駆け巡っていたのに今日は二日酔いで何も浮かんでこない頭の、アルデヒドに蝕まれている感覚を楽しんでいる。</p><p>&nbsp;</p><p>　人は本屋に何を求めるのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>　なんて、生きていくのに別に必要のないことを考える時間を持つことが、休日のあるべき姿なのだろう。久々の、何にも縛られない、身勝手な休日。</p>
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12325483219.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Nov 2017 12:22:41 +0900</pubDate>
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<title>セルフ動機付け面接</title>
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<![CDATA[ <p>動機付け面接とは、元々アルコール依存症患者との面接技法の中で生まれた技術で、患者が「変わりたい」という思いを表出するチェンジトークと、「変わりたくない」という気持ちの表れである維持トークに着目しながら、OARSと言われる技法を用いて前者を増やしていくことで、本人のself-orientation能力を上げていく面接スタイルである。</p><p>&nbsp;</p><p>大学ではこういった勉強会が開かれていたが、赴任してからご無沙汰になってしまい、精神療法に目を向ける暇が少なかったのだが、久々にアルコール依存講習のなかで聞き、元々の精神療法への興味が再燃した。</p><p>&nbsp;</p><p>（もともと精神療法がお好きだったんですね）</p><p>&nbsp;</p><p>精神療法を元々好きだったのは、若い頃の精神科医のイメージによるだろう。言葉による意思へのアプローチという妙技を体得したかったのだ。それに、部活で行動変容、意思決定といったディベートやスピーチの技能を磨いていたことも関連している。</p><p>&nbsp;</p><p>（行動変容に興味があるんですね。その中でも一番の理由ってなんでしょうか）</p><p>&nbsp;</p><p>一番の理由は、自身の行動変容を促したい、これに尽きるかもしれない。自身の行動への自信のなさ、求められたままに動くこと、それで過ごしてきた20余年を塗り替えたいのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>（どういったことに自信がありませんか？）</p><p>&nbsp;</p><p>まず、人生の決断。勤務先を選ぶ、科を選ぶと言った時に大きな決断はできず、周りにとってどう動くと良いか、なんてことを常におどおどと察しながら動く。自分が率先して動き始め、人を引っ張るってのが最近はあまりできない。</p><p>&nbsp;</p><p>（人を引っ張って仕事をすることに憧れがある、と）</p><p>&nbsp;</p><p>人を引っ張るのと同時に、やはり自分自身を引っ張っていってる感覚が欲しい。川の流れにゆらゆらと揺らめき、最終的には海にザブンと流れ着いてしまうようなそんな人生が嫌なんだ</p><p>&nbsp;</p><p>（自分自身をコントロールしている感覚が欲しいんですね）</p><p>&nbsp;</p><p>そう、自分自身をコントロールしたい。誰の意図でもなく、自分の意図で活動をしたい。</p><p>&nbsp;</p><p>（そうだ、自分自身で自分の人生を進むんだ！）</p><p>&nbsp;</p><p>うおー！やるぞ！</p><p>（やるぞ！）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>（内なる声で動機付けしてみようと思ったけど飽きた。）</p>
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12319420620.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Oct 2017 11:30:54 +0900</pubDate>
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<title>忙しいと人は病む。</title>
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<![CDATA[ <p>長らくこのブログも更新していなくて、文章の書き方なんて忘れてしまったが、思ったことがすぐに川の流れのように見えなくなってしまう日々を過ごしつつ、少しでも釣り針や網に引っ掛けていくことも大切だと思い、また筆をとってみる。</p><p>&nbsp;</p><p>4月に北近畿の地方都市に赴任して、様々なことが変わった。車の免許をとってウロウロしていることや、診療にもかなりの責任を伴うようになったこと、興味の対象がぶれていることなど、数えだすとキリがない。</p><p>&nbsp;</p><p>1日40人の外来を週2回。ベテランの先生に比べれば大した量じゃないんだろうけど、毎日の業務で吐きそうになりながら働く自分に、少し嫌気がさしているのも確かで、どこかでゆっくりとしたい、そんな気持ちになることも多い。外来なんてほったらかして、川に寝そべってねていたい、なんて。</p><p>&nbsp;</p><p>そういうときは、いつも決まって「この人の人生を背負ってしまっている」と考えすぎていることが多い。</p><p>自分の言葉一つでこの人の生活は変わり、それを僕は背負うのだ、と。</p><p>&nbsp;</p><p>確かに、そんな人もいるかもしれない。でも、そう思いすぎて僕が潰れても仕方ない。所詮僕の言葉で変わる人は誰の診療でもいいはずだ、僕の診療で簡単に人の人生を変えられるなんて、驕りでしかない、そんな考えを持つようにする。すると、少し肩の荷が降りる。</p><p>&nbsp;</p><p>でも大変な人が入院してくると四六時中その人のことが頭に浮かび、休まる気がしない。そして最良の手を尽くさないとと思うばかりで、体が動かない。</p><p>&nbsp;</p><p>だめだだめだ、自分勝手に、自分の好きなことを考えなきゃ、そう思っていても、いつの間にか臨床のことを思い出したりする。そしてうまくいってないときはよりモヤモヤしてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>むいてないのかな、なんて思うことも多い。</p><p>疲弊しているな、なんて思うことも。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>9月末に夏休みをとって、その後研修でさらに1週間休みがあって、やっと回復してきたかなぁ、と思いつつ、こんな文章をもう一度書いてみている。</p><p>&nbsp;</p><p>バカなことでも、苦しいことでも、定期的に吐き出していったほうが、多分楽になるんじゃないかな、なんてことを、研修の合間に思いついてトライ。続きますように。</p>
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12318904275.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Oct 2017 13:32:53 +0900</pubDate>
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<title>芸術と精神疾患</title>
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<![CDATA[ <p>患者に絵を描く人がいる。</p><p>詳しくは書けないが、僕はこの人の診察が好きで、自身の活動を徐々に障害者を対象としたものなどにも広げている様子。</p><p>&nbsp;</p><p>あぁ、いいなぁ。こういうのだなぁ。</p><p>&nbsp;</p><p>学生の頃に出会った患者は、短歌の形で幻聴が聞こえてきていたし、</p><p>風景構成法でM字開脚した女性を描いた人もいた。</p><p>&nbsp;</p><p>普通の画家や、普通の音楽家には描出できないような世界を描いてくれることが、精神疾患を持った芸術家には、ままあるように感じられる。</p><p>&nbsp;</p><p>往年の偉大な芸術家も、強い鬱や、明らかなADHDや、シゾがいたようだ。</p><p>小説も、健全な心と、すくすくと文句のない成長過程ではかけるものではないだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>精神疾患を持っている、芸術家達を応援する団体、そんなのが作れたらいいのにな。</p><p>デイケアなどの仕事で身銭をある程度担保しつつ、自身の創作活動にうまくつぎ込む時間と環境を与えるような、そんなNPO。</p>
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12236924141.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Jan 2017 23:05:46 +0900</pubDate>
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<title>セルフ・ブランディング</title>
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<![CDATA[ <p>新年あけましておめでとうございます。</p><p>&nbsp;</p><p>　フェイスブックの方には書きましたが、4月より転勤で、田舎暮らしになります。</p><p>&nbsp;</p><p>　27年間過ごしてきた関西の都会を離れて、同じ関西ですが冬はスノータイヤ必須の寒い地域にまいります。</p><p>&nbsp;</p><p>　転勤に際して危惧しているのは、自分の核を見直さなければならない、ということ。</p><p>&nbsp;</p><p>　動いた先でふにゃふにゃっと仕事をしては、また別の場所に動いて周りに合わせてそろそろっと仕事をして、というスタイルもいいかもしれませんが、</p><p>&nbsp;</p><p>　「どこにいっても自分がこういう人間だ、こういうことに興味があるのだ、と言える核」がないと、結局何も大成できない。</p><p>&nbsp;</p><p>ー</p><p>&nbsp;</p><p>　最近よくホリエモンの本を読みます。</p><p>&nbsp;</p><p>　東大時代に授業そっちのけで麻雀や競馬に打ち込むものの、心機一転プログラミングに没頭し、アルバイトを経て起業、ライブドア事件で1年半の刑務所生活になるも、出所後は種々のSNS立ち上げに関与したり、宇宙事業への投資、自身の名を冠する有料サロンを経営していたり。</p><p>&nbsp;</p><p>　本の内容は、多くは「旧来の体制に疑問を持ち」「自分の興味を持ったことに没入する」といった内容。「保険なんてかけるな」というスタイルが物語っているように、あとさきをあまり考えずにスタートする、やってみる、という姿勢が非常に強い人です。</p><p>&nbsp;</p><p>　特にすごいな、と思ったのは、（ネット上ではチラチラと見かけていましたが）月額1万円の堀江貴文イノベーション大学校。ホリエモン自身が参加する月二回のトークイベント、およびホリエモンが関与している分科会やフェイスブックのページに参加できる権利を、月1万で売る、というもの。現在800人ほどの会員がいるため、それだけで年収は1億か。</p><p>&nbsp;</p><p>　ムショから出所後のホリエモンが、なぜここまで人の求心力があるかといえば、確実に「軸があり」「セルフブランディング力」がある点だろうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　自分がやりたいことに正直に飛びついて、それをキープできる能力</p><p>&nbsp;</p><p>　結果をあげて、また自身の意見を表出して、しっかりと「こういう人間だ」と発信してきたこと</p><p>&nbsp;</p><p>　一緒に行動すれば、きっと面白いものに出会える、というワクワク感</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　この3つの塊のような人間が、堀江貴文。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>（おそらく、我々の専門分野に落とし込めば、ADT・ADHD傾向のある人なのかもしれないけれど、こういう人が成功している分、本当にこの診断名がさすところをfocusしていかないとな、と思うものです。）</p><p>ー</p><p>&nbsp;</p><p>　小さい頃から、いわゆる「カリスマ」を持つ人に憧れて、自分もそうなりたいと必死に前に立ってきたけど、あんまり人気が出ず、結局2番手3番手に落ちぶれていく、ということを何度もしてきました。</p><p>　ホリエモンは、カリスマです。僕のずっとなりたかった人間に近い人だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　ホリエモン的素質が、自分にはあるかな、と思うと</p><p>&nbsp;</p><p>・自分が興味を持つこと、アイデアを持つことはできても、それをキープして実行に移すのは弱い。</p><p>・こういう人間だ、としっかり表出するのも、狭い世界にしかできていない。</p><p>・面白いもの、人との出会いを、自分がまだもとめている現状</p><p>&nbsp;</p><p>　であり、もっと自分磨きをしていかないといけません。</p><p>&nbsp;</p><p>ー</p><p>今年の目標は</p><p>・ブログ更新毎日（できるだけ頻度アップ）→自身の核を見つけていく。</p><p>・自分磨き（ダイエット、運動、読書、学習）→自信をつけていく。</p><p>・なんでもとびついてやってみる　→失敗を恐れない。</p><p>&nbsp;</p><p>　一皮も二皮も剥けたいと思います。みなさん是非今後とも一緒に楽しんでいきましょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12234332405.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Jan 2017 19:20:59 +0900</pubDate>
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<title>自己肯定感の低い星野源が流行っても、実際にいればただ面倒なだけの存在だと気づける文章</title>
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<![CDATA[ <p>　世の女性に告ぐ。星野源がいくらカッコよかろうと、実際に自己肯定感の低い男はこんなもんなんだ。ドラマの星野源が、日記を残しながら星野源のドラマをみた場合にどんな事を書くだろうか書いてやろう。</p><p>&nbsp;</p><p>「</p><p>&nbsp;</p><p>　フェイスブックを見てると、たまにすごくしんどくなる。</p><p>　</p><p>　仕事人として、部下を指導する立場として生きつつも、家庭では父として、夫として子や妻を養い、自身の趣味にも広く力を注いでいる人がいる。人がいる、なんて言い方は違うかもしれない、僕が研修医の頃から指導を賜ってきた医師はかなりの数、そうだ。</p><p>　とてもキラキラしている。たとえ40、50になってハゲてても、若々しくて、水もはじきそうな笑顔をしていて、人間的魅力に非常に溢れている。</p><p>&nbsp;</p><p>　後輩たちも、やりたいことを見つけて、辛いながらも海外のテストをクリアしたり、留学したり、自分の能力を十二分に発揮しながら、前へ前へと進んでいる人が沢山いる。</p><p>&nbsp;</p><p>　高校の時の同期も、仕事を楽しみながらも趣味で海外で大会にでたり、人生を謳歌していそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　比して僕は寒いなぁと言いながら、一人暮らしの1階の角部屋の、すきま風吹く8年目の下宿で、目の前の仕事に手をかける気力もなく、ただ突っ伏していたり眠気と戦っていたりゲームをしようとして興味が続かなくて目だけしょぼついたり、まぁせいぜい無為で怠惰な生活をしている。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうやっている間にもキラキラボーイズ＆ガールズはより自分磨きをしているというのに、僕は磨けば光るダイヤの原石だなんて嘯きながら、布団と脂肪のバリアーをまとい、磨くのを諦めさせるほどの殻をつくってただ閉じこもるのだ。何もできないんだ。変わりたいけど変われない自分という存在に苦しみ続ける人生なんだ！ちくしょう！</p><p>&nbsp;</p><p>　えいえいそこのキラキラさんたちめ。君たちが作ったキラキラした文集の中に、僕はどす黒いうんこみたいな文章を書いて残してやるぞ。廃絶するがいい、拒否するがいい！ちくしょう！ぼくだってキラキラしたいけど仕方がわからないんだい！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　そういや最近は自己肯定感の低い男のドラマがあるらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>　自己肯定感なんていうものは、褒められて、承認されることがどれくらい当たり前か、ってのによるんだ。あの魚みたいな名前の男に、小さい頃に母親からどういう言葉をかけられたか、って聞いてみたら、きっと間違いなく否定的な言葉がしょっぱなに思い出されるにちがいない。強権的な親に産まれりゃ簡単にあんな男はできる。そしてたぶんあの話のオチは「あなたが必要なの」とかヒロインがすり寄ってきて、そこで肯定感がみたされてハッピーエンドになるんだよ。</p><p>&nbsp;</p><p>　甘い。幼き時に手に入れられなかった母の代替としての女は、パートナーとしての、人生の伴侶としての女に進化できるかが問題なんだ。そこで終わりじゃいけないんだ。親からは旅立つんだ。母としての女はいつか旅立たれるぞ！</p><p>&nbsp;</p><p>」</p><p>&nbsp;</p><p>　どうだ。これを読んでまだ星野源を愛でたいならドラマを見るがいい。ちくしょう！</p>
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12216053417.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Nov 2016 20:57:56 +0900</pubDate>
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<title>繰り返されるテーマ、似たようなことの言い換え</title>
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<![CDATA[ 　精神科医として働いて半年。<br>　この半年間は、ブログを書けなかったわけではないけれど、物理的、精神的に様々な変化があり、その点一点を詳細に記す気力がなかった、というのが正しかったかもしれない。<br>　これといってネタを見つけたから再度パソコンを開けているわけではないけれど、ふらふらつらつらと駄文を書き連ねたい時間と残パケットがあったためにこうやってパチパチとキーボードをこねくり回している。<br><br><br>　この半年で、興味、精神医学の見方、病気の考え方、いろいろ変わったところはある。しかしそれらを書き続けても趣向を凝らした結果口の中が喧嘩になるフルコース料理みたいになっても困るので、逆に変わっていないところを考えてみる。<br><br>　自分をどう捉えるか。<br><br>　哲学的観点、心理学的観点、脳科学的観点様々な見方があるが、もう少し具体的な問題からの明かりを当ててみて考えるとすると、なぜ自分は精神医学を志しているのか、という視点がある。精神医学を志したのは、家庭環境や、友人の存在を理由として前に出すことが多かったのだが、今改めて思うのは、突出への憧憬、並行して存在する自身に内在する怠惰さ、傲慢さへの自己嫌悪。言い換えるなら、社会的成功への羨望と失敗への恐怖。後景に潜んでいたこれらの角が、じわじわと僕の背中を突き破って生えてきて、その痛みへの抵抗、あるいは救いを求めるために精神科医になったのかもしれない、というところだ。<br><br>　小さいころから、おそらく僕は普通であることを望んでいなかった。これは画家である母親の影響かもしれず、はたまた自身の中で生来的に身についている何かかもしれないが、人と違う存在、あるいは人より抜きん出て1番であることで、人からの賞賛を得たい、という傲慢さがあった。しかし、努力して人を突き抜けるだけの力、こだわりはなく、怠惰さが常に勝ってしまう。そういうエピソードが続いてきた。<br><br>　小学生の頃は、ある程度幼少期からのそろばん学習やピアノなどのおかげで、人より成績は良かったし、一番になることができた。しかし、そろばんも同い年の女の子にぬかれて、決して一番にできるものではなくなった。ではそこから一番を取り返すかというと、うまく立ち回っていたのか運命がそうさせているのか、自分がうまくいかなくなる頃には、違うフィールドで少し抜きん出る部分ができていた。4年生前から通い始めた塾で、大体1番を取れていたことが、そのころの自分の支えになっていた。6年の時に、塾をどうするか親に尋ねられた時に、「もったいないからやめない」といったのは、もったいないのが何よりもそれまでに掛けたお金や習得した知識といったものではなく、自分が一番になれる場所、という傲慢さの表れだったのだろう。そこでは一番だったから好き勝手できた。王将の餃子を教室に持って行って臭気を漂わせることもできたし、クラスの女の子から余ったおかずをもらうこともできた。多少失敗しても悪さしても怒られずに許してもらえていた。<br><br>　しかし、その一番は、はかなくも中学入学とともに泡のように弾ける。勉強面では自分が追いつける気もしないような友人がたくさんいて、中1の冬には、平均点を切ってしまうということを初めて経験する。そのころの支えは卓球だった。小学生時代のクラブで触っていた卓球だった。中学でも卓球部に入ったらしばらくは部内で一番うまくできていた。幅を利かせるも、徐々に容易に友人に追い抜かれ、スクールに通い始めた後輩にも力で負けるようになってくる。すると次は、生徒会活動や、ギターといった新しい逃げ道を探して、そこで頑張る。自身の「抜きん出た部分」を次に作ろう、次に作ろうとする。しかしやはり、抜きん出た部分はoriginalであるか、あるいは枠をそれていることが大切で、軽音でギターをしていなかった（軽音に入らなかった）のは、クラシック研究部でやるから初めてギターが特異となれたからなのかもしれない。<br><br>　しかしそのギターも、結局は、特に抜きん出ていないことを理解する。某MBSの夕方の情報番組で、学校訪問をする企画が始まった。特に突出する人間の多い高校であるために、最年少気象予報士や、◯学オリンピック金賞受賞、といった栄誉のある突出、キャラクターの濃い同級生がピックアップされる中で、凡の極みの僕は、ギターを弾いていた。もちろん、オンエアは最後のつなぎの2秒ほど。本名をググれば、当時の同級生が「やっぱりこいつはおもろないから全然オンエアされなかったな」という言葉をブログに残しているのが見られる。そうなのだ。結局は何も突出できないのだ、と。二回目の生徒会選挙で敗れてからは、再度自分の拠り所を勉強に移した。そろそろどこか塾にいって受験をクリアしようと考えたけれども、鉄緑会は選ばなかった。周囲の明らかに上位クラスがみんな行く塾では、埋もれるだろうと思ったからだ。結果まだマイナーだった河合塾現役にいって、はたまた塾講師に気に入られながら大学になんとか通る。（これも一瞬成績が良いように思われたが、本番は散々であった。傲慢でいられるデータが集まった瞬間に、怠惰なノイシスが現れる。）<br><br>　大学に入ってからは、医学や学問での情熱の違いから、僕は課外活動に拠り所を求めて行った。初めての英語スピーチで上位を取れたために、僕はそこに没頭して行った。しかし、やはり外部の大会にでて上位を取れない可能性を考えると、狭いコミュニティで偉そうなことを言っているしかなかった。<br><br><br>　突出したい<br>　面白くありたい<br>　特別でありたい<br>　　　　という傲慢さを抱きつつ、<br>　でも、努力はしたくない<br>　でも、最小限の労力でそうなりたい<br>　　　　という反吐の出るような怠惰さを持ち合わせるがために、<br>　　　　井戸から井戸へとぴょんぴょん逃げ惑うカエルのような生き方をしてきた。<br><br><br>　自らの中で自ずと繰り返されるこのテーマは、まだうまく表出しきれないものの、精神科医を選んだことに関係しているきがする。<br>　まだクリアに説明できない部分を、あえて言語化するならば、<br>・出会う人が特別であること（平均から外れている人が多い）<br>・最低限の労力で医者をしようとすれば、本当にクソみたいな臨床しかできない医者になってしまうこと（そしてそれで生きていけること）<br>・否応なく、自分の苦手な努力を必要とすること（天性の要領の良さだけでは済ませない部分が大きいこと）<br>・他者の迷いや葛藤と、常に付いて回る自身のそれを比較することが、臨床に応用できること<br>ここについてはまだ洗練されていないからあまり突っ込まないでほしい。<br><br>　下手なフルコースにならないように絞ったつもりが、書いてみたらまとまりのないギトギトの肉の煮込みになってしまった。みなさま明日テネスムスにならぬよう。<br>　
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12208447791.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Oct 2016 23:03:30 +0900</pubDate>
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<title>キラキラドMブタ野郎</title>
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<![CDATA[ 　精神科医になり、1週間。<br>　医員にとって毎年恒例のセキュリティーカード未発行による病棟からの締め出しで洗礼。忘却の彼方の病棟業務、書類の不備で事務から呼び出し、身分証明書なしで始まるいきなりの当直、緊急入院の嵐、荒れる患者、ほとばしる血しぶき（血はシブかない科である）。<br>　緊張の連続で当直日より右に限局した咽頭痛嚥下痛、白苔を認め咳嗽を認めず前頸部リンパ節腫張を認めるも発熱はなし、迅速検査2回行うも溶連菌（ー）、念のためにサワシリン内服し、腸内の菌交代現象により絶賛軟便中。疼痛管理に飲んでいたボルタレンで粘膜障害が進行し嚥下痛の消退がなく、昨日よりは家にあったトラムセットを2T分2で内服。アルコール麻酔で食事は入るため飲み会には参加中。<br>　日給は研修医時代より2000円増えるものの住宅手当は消失。時間外が一定時間しかつけられないという暗黙のルールがあれば1日分日給が消失してしまう危険性をはらむ、福利厚生面では最底辺の有期雇用非常勤職員ボーナスなし。その分バイトで生活費を稼ぐ姿は、程度の差はあれブラックジャックによろしくで描かれる昔の研修医生活に酷似。しかし僕にはNICUの可愛いナースさんは寄ってこない。<br>　それでも好きな診療科で働いている、キラキラ後期研修医を自称していたのに、病棟事務のお姉さまから「学生の頃のきらめきがなくなった」と一蹴。思えば4、5年断続的にお邪魔している病棟だった。昼飯も食えずにバタバタしていても「ダイエットになっていいね」なんて言われて言い返す事もできないドMブタ野郎。いつかスレンダーになってみんな惚れさせてやる、なんて考えながら実行に映らない。せめて他職員と同じようにコナミスポーツセンターを1日700円で使わせてくれたら運動する気にもなるのに。<br>　休日はしっかりしている分、様々な友人と飲み歩きつつ、9回目の鴨川の春に幸せを感じる。勉強しなきゃなぁと思い始めて今日は少し病棟で本棚を組み立てる。住環境を整えて、さぁ日中に読めない本を読もうと、深く腰掛けてゆったりすればよかったものの、虫の知らせでカルテを開いてみてみると、案の定自分の患者が荒れている。あぁ書類を書かなきゃ、なんてやってたら日も暮れる。家に帰って腫れた喉に食事を詰め込み、目をシロクロさせながら布団とシンクロする。羽毛と毛布の波長に脳波を合わせて、閉眼安静時のα波にhumpを乗せていく。<br>　いけないいけない。寝る前のサワシリンを飲まねば、なんて考えてシンクロを切りつつ、こんな事を書いて暇をつぶして、明日また病棟に行くのがちょっと楽しみな自分は、ドMブタ野郎でもあり、やっぱり自称キラキラ後期研修医って事でいいと思う。<br>　
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12148981413.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Apr 2016 01:15:00 +0900</pubDate>
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<title>寿司感</title>
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<![CDATA[ 寿司が好きだ。<br><br>まずはイカ、タコといった歯ごたえの楽しい海鮮からいって、徐々にタイ、ヒラメ、赤身のマグロなんかを頬張りながら、次第にハマチ、うなぎ、トロといった魚の脂を堪能する。<br>たまには数の子とか、ウニイクラなんかで口を惑わせてもよい。卵でリセットしたり、ガリをなめて口をさっぱりさせたりしながら、もう一度最初から2周するのもよい。<br><br>魚を楽しむための食事である寿司。<br><br>比して回転寿しは、どちらかといえばジャンクフードだ。<br><br>腹が減った、寿司をたらふく食いたい、うおぉサーモンじゃサーモン！サーモンだけ2種類ぐらい食ったうえでよーし軍艦でネギトロ食うぞ、おおサラダってなんじゃこれ、食うてみたろ。なんでハンバーグ乗ってんねん！おもろいやんけ！くうたろ！なんやこのタイ！かぴかぴやんけ！まぁしゃぁないくうたろ。ふー、とりあえず腹が満ちたし、この辺りでサイドメニューで唐揚げでも食うか。意外とうどんもおいしいよね。ふぉーもう一度サーモン！締めは、うーんミルクレープかなー。<br><br>魚を楽しむ、では決してなく、寿司の形をした違う食べ物が目の前を軽やかに通り過ぎるのを眺め、腹が満ちるまでスピーディーに楽しむのが回転寿しであり、どちらかといえばエンターテイメントである。<br><br>では、柿の葉寿司はどうか。<br><br>まず買った時点でネタ、量が決まっている。サケ、ます、たまにいいのではエビ、タイ。基本白身。5個セットなら5個セットで、もうちょっと食べタイな、ができない。だいたいネタに関わらず値段も一緒で、まるでできるだけ抜個性したかのようで、そしてまるで定義の古いユートピアのように、管理され、均質化され、みんなマルくてみんないい、といったような、自由度を減らした寿司。<br><br>small spaceにfixさせられた柿の葉寿司ちゃんは、どちらかといえば、彼らは電車の中で小腹を満たすために楽しむ軽食であり、エンターテイメント性の高いジャンクフードではなく、ましてや魚を楽しむための超高級食品でもない。<br><br>だから、仕事で疲れて帰ってきて、「回転寿しだ！」とか「寿司だ！」ならココロオドルけど、「柿の葉寿司だ！」になると、うーん、晩ご飯に柿の葉寿司かーとなってしまう。<br><br><br>今日救急の仕事を終え、ふと、柿の葉寿司をみて、おもったのだ。<br><br>寿司から感じる情動（寿司感）にバラエティがあるのか、と26年生きてきて初めて気づいた。<br><br>日本人ならではの寿司感、皆さんも大事にしていってください。（大仏県の皆さんとは共有できないかもしれない）<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/princearoe/entry-12113505616.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Jan 2016 21:09:19 +0900</pubDate>
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