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<title>あーすはーとのブログ</title>
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<description>現在、過去の出来事や体験談、役に立ちそうな情報なんかを日々発信していきます。よかったらいつでも気楽に立ち寄っていってください＾＾</description>
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<title>シャーニー天の内なる心の瞑想会</title>
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<![CDATA[ <p>シャーニー天の内なる心の平和の瞑想会に参加させていただきました。VEDYAさんの言われる通り、大事なことは自分の心の中に平和を見出すことだとつくづく思います。</p><p>シャノン先生の話を聞いていて思い出したことがありました。</p><p>それは、大事なことは人ではなく理念、真実であるということです。<br><br>人は生まれ<br><br>人を愛し、求め、悩み、苦しみ<br><br>そして死を迎える<br><br>しかし真実、理念は決して死ぬことはない<br><br>真実、理念は<br><br>何百年たった今も人を心の底からつき動かす<br><br>真実、理念は<br><br>何百年もの間人々の心の中で生き続ける<br><br>大事なのは人ではなく<br><br>真実、理念<br><br>人のもとに集まってはいけない<br><br>集うべきは真実の下<br><br>そしてあなたもまた真実を伝えなければいけない<br><br>あなたもやがて死を迎えるだろう<br><br>しかしあなたが伝えた真実は<br><br>永遠に人の心に生きる<br><br>真実に生きる<br><br>これ以上の事があるのだろうか<br><br><br><br><br><br></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-12072560248.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Sep 2015 09:56:05 +0900</pubDate>
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<title>シャー二天の世界平和につながる瞑想会</title>
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<![CDATA[ <p>世界平和につながる瞑想会<br><br></p><p>来る8月8日に世界平和につながる瞑想会が開催されます。<br><br></p><p>新しく参加されてくる方、去っていく方、皆さんそれぞれではありますが、どちらにしても悔いのない毎日を送っていただきたいと思います。<br><br></p><p>シャー二天の道は厳しく、覚悟も必要ですが、それはいつかは通らなくてはいけない道であって、それをいつ行うのかだけだと思います。<br><br></p><p>自分も偉そうなことを言うつもりはないので、自分のことについて少しシェアしたいと思います。<br><br></p><p>自分の気持ちをいつまでもキープするのはとても大変なことだと思います。初めてシャノン先生に出合い、仲間のみんなに出合い、これからの希望と期待で胸がいっぱいになったのは、はや2年以上前のことです。<br><br></p><p>その時は何があってもこの道を歩み続けたいと思っていましたが、シャノン先生の元いろんな気付きを得て、それが日々惰性化しだしました。そしていつの間にかそのありがたみそのものすら薄れてきました。<br><br></p><p>恥ずかしい話ですが、参加当時の期待や希望はいつしかやらなくてはいけないという、重荷のように感じた時期もあります。<br><br></p><p>シャノン先生はグルとしては優しすぎる方だと思います。普段であればグルの教えを何とか仰ごうと必死に話を聞き、一言も漏らせず実行すべきだと思うのですが、シャノン先生はまるで惜しみもなくいろんなことを教えてくれます。<br><br></p><p>そんな先生のやさしい態度にいつしか自分は甘え、まるで先生にやりなさいとでも言われているかのように受け取っていたと思います。<br><br></p><p>然しもとはといえば自分で欲して選んだ道であり、先生の教えをもらうのではなく、何とか聞き出す(言い方があまりよくないですが）というのが本来の姿ではないかと思います。<br><br></p><p>この道、特にシャー二天の道に導いてくださり、この道を歩みたいという気持ちで今はいっぱいです。義務感や使命感ではなく、自分の心の奥からくる強い欲望として感じるようになりました。<br><br></p><p>この道を長く歩き続けるには受動的になってはいけないと思います。毎日の瞑想や自己観察をつらく思うのは、自分が受動的になっている証拠。それでは何も気づきは得られないと気が付きました。<br><br></p><p>これから道を選んで歩み始める方、もうすでに歩み始める方、ぜひもう一度なぜ自分はこの道を選んだのか、そしてその時の胸の高まりの原因は何だったのか振り返ってみるのもいいと思いませんか。<br><br></p><p>シャー二天の瞑想会ではそんな自分を見つめられるいい機会と必ず出会えることでしょう。<br><br><a title="" href="http://ameblo.jp/shannon-sensei/" target="_blank">外国人スピリチュアル大使が見た日本</a></p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p><a></a>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-12058116632.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Aug 2015 18:32:56 +0900</pubDate>
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<title>謙虚とは</title>
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<![CDATA[ <p>謙虚</p><p>カルマヨガを行う上でとても重要な要素の一つに謙虚であるというのがあります。もちろんカルマヨガに限ったことではありませんが、謙虚とは私たちが常にあるべき心の状態だといえると思います。<br><br></p><p>謙虚とはいったいどういう状態なのでしょうか。というより、そもそも謙虚の反対とは何なんでしょうか。それは傲慢といえるでしょう。<br><br></p><p>人は自分が傲慢だということに全く気が付いていません。自分も含めてではありますが、この世にはたして傲慢でない人などいるのでしょうか。<br><br></p><p>夕飯のおかずの買い出しの時、前の人のかごにたくさんのものが入っていたり、<br>自分の得意分野で、人から口を挟まれ注意されたり、<br>服の色の使い方が変わっているなどと言われたりした時、<br>本当にまったく気にしませんか？<br>反射的に答えるのではなく、じっくり心の中に問いかけていきます。<br><br></p><p>シャノン先生曰く、人が傲慢になるのは、自分が完璧な存在であると思い込んでいるからだそうです。<br><br></p><p>答えを知るのは決して楽しいことばかりではありません。<br>だからといって、放っておくべきでしょうか。<br>勿論それは本人の自由ですが、カルマの神シャー二天は私たちに要求してきます。<br><br></p><p>己を知ろうともせず、いったい何を知りたいというのか<br>謙虚とは、己の無知を認めること<br>謙虚とは、己を守らないこと<br>謙虚とは、何も批判しないこと<br>真の己を知るには、勇気と意志の強さが必要である<br>そしてその時人は初めて知るだろう<br>やっと最初の一歩を踏み出したことを</p>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-12055706281.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Jul 2015 02:10:17 +0900</pubDate>
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<title>無知</title>
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<![CDATA[ <p>自分は無知である<br><br>と、心の底から言える人はいったいどれ程いるのだろうか<br><br>それがいかなる事柄にせよ、多かれ少なかれ、私たちは経験し成長していくもの<br><br>そしてその過程で私たちは知恵を得たと考える<br><br>私たちはもう無知ではないと考え、自信を得ていく<br><br>そしていつしか私たちは謙虚さを失い始め<br><br>傲慢さが頭をもたげ始める<br><br>そして他人を批判し、自分を守ろうと必死になる<br><br>何を守るのか<br><br>それは己の無知さに他ならない<br><br>もし本当に無知でないのなら<br><br>なぜそうも同じことで悩まなくてはいけないのか<br><br>いったい私たちは過去何度同じことで涙を流してきたのだろう<br><br>なぜまた同じ苦しみ、悲しみを経験しなければならないのだろう<br><br>なぜ同じ過ちを繰り返えし、怒りのあまり発狂するのか<br><br>私たちはもう本当に無知ではないのだろうか<br><br>人が成長するとき、人は必ずその過程で気付く<br><br>いかに自分が無知であったかを<br><br>あなたは自分で無知だという人を批判するだろうか<br><br>もしそうならば、あなたは無知という言葉の本当の意味を知らない<br><br>あなたは本当に心の底から自分が無知であるといえるだろうか<br><br><br>ようこそカルマの世界へ<br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-12054331099.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Jul 2015 10:21:58 +0900</pubDate>
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<title>シャノン先生　スピリチュアルトークLIVE</title>
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<![CDATA[ ５月２日（土）、１３：３０～１５：００<br><br>東京のムーンライトスタジオにてシャノン先生のスピリチュアルトークが開催されます。<br><br>詳しい内容や料金等は<a title="" href="http://ameblo.jp/vasumatri-ma/entry-12013983263.html" target="_blank"><font color="#0000ff"><strong>こちらのページで確認してください。</strong></font></a><br><br>シャノン先生とは現在自分が指導を受けている先生ですが、本来先生のやられていることや、その内容からすると、先生というよりはむしろザ・マスターと呼んだほうがいいと思います。<br><br>自分自身もう２０年以上この精神世界を旅し、世界各国を巡り、いろいろな国の人々と接触してきました。中にはマヤの奥地まで連れていかれ、シャーマンと出会ったこともありました。<br><br>色々と不思議な体験をしてきましたが、シャノン先生ほど自分をスピリチュアルな世界に深く連れて行ってくれた方はいませんでした。<br><br>それは理論や理屈、単なる想像ではなく、実際に自分に合った道を示してくれ、自分の力でその道を切り開いていくというものです。<br><br>その過程で自分の守護神と巡り合わせていただき、その神と共に生きるために必要な特別なマントラや、その他自分に必要であるものをいただいています。<br><br>先生曰く、それは先生の選択ではなく、守護神の選択であり、先生は自分と守護神の架け橋のような存在であるといわれています。<br><br>今回、その先生の講談が一般に開かれるようになりました。<br><br>実際に東京の会場にて参加されてもいいし、YouTubeにて動画を視聴することも可能です。<br><br>やはりいきなり先生に会うのは心配と思われる方はこの機会に動画を視聴してみてはいかがでしょうか。<br><br>自分も仕事上当日は参加できないので、YouTubeにて後日視聴しようと思っています。<br><br>一人でも多くの方が皆さんの探し続けているものに、一日も早く出会えることを祈っています。<br><br>最後まで読んでいただきありがとうございます<br><br><a title="" href="http://ameblo.jp/vasumatri-ma/entry-12013983263.html" target="_blank"><font color="#0000ff"><strong>詳細はこちらまで</strong></font></a><br><br><br><br><br><a></a>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-12014544997.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Apr 2015 11:20:26 +0900</pubDate>
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<title>マントラの力と心の平和につながる瞑想会</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/amemberentry-12013521302.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Apr 2015 21:23:39 +0900</pubDate>
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<title>心の平和につながる瞑想会　４月</title>
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<![CDATA[ 先週の土曜日、４月１１日、東京のムーンライトスタジオにおいて心の平和につながる瞑想会が開催されました。<br><br>この瞑想会はそもそも、カルマをつかさどるシャーに天の切なる願いにより実現したものであり、その意図は人々の心より怒りを取り除き、平和を世界にもたらすというものです。<br><br>このように聞くとどこにでもありそうな、平和を願う人々の集まりのように聞こえることでしょう。<br><br>人々が平和を求めるのは今日に始まったことではなく、それは人がこの世に存在したその日から続いている、いわば不変の願いというべきものだと思います。<br><br>つまり人とは、平和と共に存在することが困難な生き物であることの裏返しなのでしょうか。<br><br>人がいるからこそ戦争や悲劇は繰り返され、愛する者が目の前で無情にも意味のない死を強制され続けるのでしょうか。<br><br>人がいなければこの世界は平和を取り戻すことができるのでしょうか。<br><br>怒りは新たな怒りを生み、その連鎖はほぼ永遠に切れることなく、私たち人間がいる以上続いていくのではないでしょうか。<br><br>この連鎖を切ることは可能なのでしょうか。<br><br>いや、そもそも私たちは、私たちの心の中にある怒りというものを真に意識し、理解できているのでしょうか。<br><br>人はとても賢く知恵のある生き物であり、巧妙に自分の怒りを私たちの気が付かない意識の奥深くに隠してしまうものです。<br><br>その怒りが知らず知らずのうちに大きくなり、私たちは私たちの願いとは裏腹にその怒りをあらゆる形でこの世に創造しています。<br><br>それはあたかもほかの世界で起きていることのように見えますが、その怒りの根源はへいわを願う私たち一人一人の心の中にもあるのです。<br><br>言い換えれば、その怒りの連鎖を切るカギは私たち一人一人の心の中にあるということです。<br><br>カルマをつかさどる神シャー二は、その真実を伝えるべくこの瞑想会を開催することを強く願っています。<br><br>今回新たに何名かの方が瞑想会に参加されております。<br><br>誰にでも門は開いているとはいえ、人は常にあるべき時に、あるべきところに存在するもの。<br><br>故に人はまだ真の意味で神々と共に平和を望む段階まで来ていないのでしょうか。<br><br>このブログを読まれ、まだ一歩を踏み出せないでいる読者のみなさん、皆さんの平和は、いったいいつになったら訪れるのでしょう。<br><br>皆さんの平和へのかぎはもう見つけたでしょうか。<br><br>じかいの心の平和につながる瞑想会jは、５月９日（土）、１４時より開催されます。<br><br>オンラインでの参加も可能ですので、自宅にいてもこの瞑想会に参加することはできるようになっております。<br><br>ぜひ皆さんの心の平和のかぎをつかんでください。<br><br>詳細はこちらまで<br><a title="" href="http://ameblo.jp/sakusakuwooi312/entry-12013237383.html" target="_blank">心の平和につながる瞑想会</a><br><br><br><a></a>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-12013474818.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Apr 2015 19:41:08 +0900</pubDate>
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<title>生きることへの無関心　(シャーニー天の花びら）</title>
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<![CDATA[ 今自分はシャーに天の花びらのマントラを日々唱えています<br><br>いろんなことに対し無関心になっていく、そんなテーマがここ最近強く自分に表れていますが、その中で感じることは色々あり、うまく説明できないものばかり<br><br><br><br>普通人はカルマを抱え、この世に転生してくるといいます<br><br>カルマ、または輪廻転生<br><br>それは一つの人生を超え、廻って戻ってくるその人の人生のテーマ<br><br>カルマにはどちらかというと厳しい教訓のようなイメージが強い気がします<br><br>払わなければいけない借りのようなもの<br><br>人が人であるということは<br><br>基本的に自我を持つということ<br><br>自我とは自分という個人の意識<br><br>自我それ自体には良いも悪いもなく<br><br>自我本来の意義がある<br><br>が、人はなぜかその自我から解放されたいと思ってしまう<br><br>なぜこの世に生まれながら、あえて自ら、自我から解放されたいと願うのだろうか<br><br>そもそも自我とは何か理解しているのだろうか<br><br>が、それも人の欲望のひとつ<br><br>つまりはカルマであり、その人が転生してきたまさに理由でもある<br><br>矛盾しているが、ひとは自我から解放されたいと思い自我を経験する<br><br>自我の本当の意味を理解できるその日まで<br><br>この世で生きるということは何かを欲すること<br><br>この世の中に何も欲しない人などいるのでしょうか<br><br>何かに対し感情を感じるとき、そこには必ずその人の欲望があると思います。喜怒哀楽。その感じ方はその人それぞれですが、それこそがその人の欲望の表れであり、カルマであると思います。<br><br>人が何かの形で成長すれば、同じことを経験しても、感じ方は変わってきます。つまり、感情とは、その人のその時のカルマがどのような状態なのかを示す道しるべのようなものといえるのではないでしょうか。<br><br>カルマとはただ永遠に廻る輪ではなく、その輪自体が、実は私たちなのではないかと思うのです。<br><br>つまり私たちは本来欲望の塊であり<br><br>それがこの世に具現化されたもの<br><br>カルマという名のもとに<br><br>廻るのは輪ではなく、私たち自身<br><br>私たちは欲望であり、カルマでもある<br><br>そしてカルマとは愛である<br><br>いや、愛がカルマであるというべきか<br><br><br><br>４月のシャーニー天による世界平和の瞑想会は１１日の土曜日です。<br>ぜひこの機会に、自分、つまり、カルマと向かい合ってみてはどうでしょうか。<br>新しい発見がきっと待っていると思います<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-12002433635.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Mar 2015 22:18:24 +0900</pubDate>
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<title>死</title>
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<![CDATA[ 今週立て続けに二人の方が自分のいる老人ホームでなくなりました。<br><br>一人の方は身寄りのないまだ７０代の男の方で、男性でありながらとても明るく、いつも職員にありがとうと嬉しそうに話していました。<br><br>その方はYさんというんですが、今日自分が出勤したころに亡くなったと思います。<br><br>今朝６時に出勤するや否や夜勤の職員に呼ばれ大急ぎでYさんの居室に行きました。そこにはまだなくなって間もないYさんがよこになっていたんです。<br><br>夜勤の職員はショックが隠せない様子で、たったさっきYさんをお越しがてら顔を拭いたばっかりなのに、と動揺していました。<br><br>ただ自分はなぜかとても冷静で、管理者に連絡するようにその職員に伝え、Yさんと二人きりになりました。<br><br>人がなくなると、今までの知っているその人の顔とは全く別の顔になります。当たり前のことですが、これは何回経験しても慣れません。<br><br>人とはこれ程までにも一瞬で変わってしまうものかと毎回思います。まさに抜け殻というのでしょうか、そこには何も感じられません。<br><br>自分の癖で、亡くなった方のおでこをそっとなでる癖があるのですが、Yさんはまだ温かく、静かに目を閉じているようでした。<br><br>その時自分は悲しみや無念の感情はなく、ただ思いました、<br>今までご苦労様、行ってらっしゃい、と<br><br>人の死を数多く経験し、それが人生のサイクルの一つであることが自然と身についてきています。死をこれほど自然に、しかも当たり前のように受け入れられたのは今回が初めてのことでした。<br><br>本当に死を悲しむのは残された人々であって、死にゆくく本人ではないように思えます。もちろんやり残したことを無念に死にゆく人もあると思いますが、それはとても悲しい死に方ではないでしょうか。<br><br>死とは人のあるべき姿であり、私たちの一部です。本当に恐れるべきは死ではなく、感謝や愛のない生なのではないでしょうか。<br><br>老人ホームを最後の生活の場とする方は大勢います。<br><br>毎日、すべての方に感謝し、穏やかに暮らす方もいれば、おば捨て山に捨てられたと嘆き、早く死にたいと訴える方もいます。<br><br>ただ、死はすべての人に必ず訪れるものであり、それを知っていても敢えて今の命を嘆くのは賢明な判断なのでしょうか。<br><br>勿論それらすべても人生の学びであり、カルマでしょう。またそれを日々目の当たりにしているのも自分のカルマであると感じます。<br><br>VEDYAさんの声が聞こえてきます。自分の感情と他人の感情を区別しなさいと。<br><br>Yさんの声がまだ頭の中でこだましています。<br><br>おっ、いつもありがとーな！！<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-11994251315.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Feb 2015 00:58:41 +0900</pubDate>
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<title>世界平和の瞑想会</title>
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<![CDATA[ <p>最近まったく何も書けない状態が続いてしまい<br><br>ブログを書くのも新年が明けて以来ですが．．．<br><br>自分の中の何かがシフトしていて<br><br>うまく言葉にはできないのですが<br><br>というより<br><br>言葉が全く続かなくなってしまってます<br><br>それはさておき<br><br>もうすぐ世界平和の瞑想会が行われますね<br><br>VEDYAさんがいつも言われてます<br><br>心の中の怒りや不安を<br><br>感謝や思いやりに変えていくようにと<br><br>この瞑想会はすべての人に開かれています<br><br>シャノン先生にまったくあったことがない方<br><br>イニシエーションを受けていない方<br><br>その他すべての方が参加できる瞑想会です<br><br>もし興味があるのに、なかなか参加できない方<br><br>ぜひこの機会に一歩踏み出してみてはいかがでしょうか<br><br>同じ一歩でも、最初の一歩ほど重たいものはありませんが<br><br>気が付けば毎日踏み出しているその一歩こそが<br><br>皆さんの生きた証そのものではないのでしょうか<br><br>人はいつ死ぬなどとは考えませんね<br><br>然しだからといって今生きているとも考えないものです<br><br>しかしその何気ない一歩が<br><br>自分の人生を大きく変えてしまうこともあります<br><br>踏み出したその足の下に何があるのかを感じたことがありますか<br><br>その足に反発してくるその何か<br><br>それに気が付いたそのときこそ<br><br>皆さんは今というこの瞬間を生き始めているのではないでしょうか<br><br>ただ漠然と歩くのではなく<br><br>その変哲もない一歩に感動を覚え<br><br>自分が生きていると感じられるその時こそ<br><br>皆さんの人生は間違いなく大きく変化しているといえると思います<br><br>世界平和の瞑想会はそんな大きな変化をもたらしてくれることでしょう<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/privatelog21/entry-11982107105.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Jan 2015 01:19:13 +0900</pubDate>
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