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<title>古代からのまなざし</title>
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<title>音の盆</title>
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死者の霊を迎え　懐かしむ　遠い記憶の旅        過去と記憶をともにする時　送り火は記憶を未来へと投影する　        記憶の襞の中に　未来の予感と新たな生命の胎動が隠されている　歴史のなかの未来　　　一粒の生命のしずくが様々な流れに引き継がれ　　　　やがて放流となって宇宙へと解き放たれてゆく　　　　永劫に続く生命の循環　宇宙との交感   宇宙が鳴り響いている　　   音楽家は祠祭であり　踊り手は犠牲体となり果てる　観客はなく　たしかな共感だけが存在する　　   それは生命への感謝　祖霊
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<dc:date>2011-02-14T20:29:54+09:00</dc:date>
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<title>TOKYO KIDS という村祭り</title>
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東京都庁前の広場の中心に　土俵を据える誰からも等距離の円形の砂場　土俵何もない大草原に　円陣を組み立てた　ユーラシア・ノマドの知恵誰でも登ってゆけるこの丸い砂場は　同じ仲間の遊び場だしかしいったんその輪の中に入ると　そこは真剣勝負の場にかわるここでは「らしさ」や「ふり」が通用しない子供達はいい加減な対応を許さない　瞬間瞬間の本気と誠実がためされるここで出会えて良かったと心から思うと　それが歌になる歌は祈りとなり　どこかから祭り囃子が聞こえ出す西も東もない　地球のどこかの村で今日も　祭り太鼓の響き
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<dc:date>2011-02-14T20:04:14+09:00</dc:date>
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<title>チンギス・ハーンのクリルタイ          ユーラシアの祝祭（構成・演出班のみんなへ）</title>
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内容や進行がようやく固まりつつあるというのに、ここの自然は過酷です。この自然とそこで生きてきた人々とのつきあい方を、個人のレベルだけではなく、仕事の一つ一つに対象化させて、具体的に積極的に方向づけをし、提案すべき時です。集団は目的や変化への可能性を閉ざすと、必然性を失います。目標の確認や、コンセプトの明確化を日々洗い直して、内的な緊張を維持させるのは大変ですが大切なことです。しかし目の前の絶対的な対象物が立ちはだかっています。ここでもっとも具体的な存在は、ここの自然と人々の生き方、つまり文化＝異
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<dc:date>2011-02-14T19:50:19+09:00</dc:date>
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<title>踊りの彼方へ　　 奄美大島にて</title>
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型によって支えられてきた伝統がある初めから型があったわけではないが  最も原理的で抜き差しならないものが型として残ってきたのだろう型は伝統を形成し、継承されてきた 型を揺さぶるのは生きた生命だ　踊りへの衝動だ生命と踊りへの衝動は、ひとつづつ固有な肉体と精神がささえる固有性が高鳴るダイナミズムを作り出し　その共感が人々を突き動かし　魂が型を揺さぶるのだ揺さぶるダイナミズムが新たな伝統を生み出してゆく人は型や伝統を残すために踊るわけではないためにする行為はむなしい踊ることの楽しさと共感こそが踊りの場
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<dc:date>2011-02-14T19:35:37+09:00</dc:date>
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<title>ワイオミング</title>
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広大な自然公園の傍らで　しっかりと自然を守ってきたという人達に出会った僕には自然は守れない　だた自然に守られて生きていると言うことだけだここの赤松は山火事になっても　その時のための種子を特別な松ぼっくりのなかに隠している彼らは山火事を見込んでいるのだここにも固有の「生」がある土から生まれた　それぞれの「固有の生」      大いなる自然と折り合いながら　生かされている自分に感謝する              宇宙はいつも鳴り響いていて           僕らはその響きの中から　「音楽」を見つけ
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<dc:date>2011-02-14T19:31:02+09:00</dc:date>
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<title>ミュージック＆リズムス　in FUJI</title>
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ミュージック＆リズムスは世界各地で、そして一人一人の中で始まっている様に思います。僕は富士吉田の人々に一緒にミュージック＆リズムスを作らないかと呼びかけました。新潟・越後妻有でも始まろうとしている様な気がします。どんな関係や社会性で孤立化されていても、人は必ず変わる可能性を持っている。その可能性は自分が変わるかも知れない可能性である。　つまり未来への希望である。僕はあきらめていません。「美しい国」は政治の狭間にあるのではなく、何万年もの間耐えて瞬間を生き切ってきた生命の連続性の中にこそあるのです
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<dc:date>2011-02-14T19:21:06+09:00</dc:date>
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<title>ナイジェリアの事     　マドリッド 王立植物園のベンチにて 2008.6.12</title>
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  異文化交流のような出会いがしらの  僕たちではあったけれどそこにしかない生身の息づかいは確かな信頼を生み出していたと思うその瞬間でしかなく　また、その関係の中にしかない半ば恋愛のような心や身体のお互いの反応が抜き差しならないものへの予感さえ感じさせていた  つらく激しいものを僕たちは確かに育てていたのだ もはや　振り返ることも出来ないほど　遠くはなれてここまで無理矢理逃げ延びてきたのではないか 早く通り過ぎ　抜け出してどこまでも遠いところまで行きたかった僕がいる それほど大切な何かを見てしま
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<dc:date>2011-02-14T18:41:42+09:00</dc:date>
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<title>踊り　　　　Mさんへ</title>
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創作過程の共有そのものが「生きた作品」である事を実感します。何を作ったかも重要かも知れないが、　       それ以上に重要なのはどう生きたかと言うことだと思います。時間と場所に消えてゆく一回限りのパフォーマンスとしての表現は、「場」を生ききる事そのものであると言えましょう。　     だから精一杯、瞬間と瞬間を生ききる事しかないのです。地球が丸い惑星ならば、地球と人間は点と点でこそ結ばれ、接しているといえます。       身体表現とは地球との「瞬間と点の出会い」の連続の事をいいます。    
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<title>スペイン   サラゴザ　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</title>
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古い敷石を思い出す茶色や灰色のゴツゴツした表面のヨーロッパの敷石道は歩きにくく　疲れる時間がなく　小走りに歩くときがあぶない　重心がとりにくく　ひょっとすると足首をくじいたりする雨が降ると石と石の間がちいさな川のようになってなんの為の道路なのかがわからなくなるしかもすべりやすいころぶと相手は石なので痛いいい気味だと言わんばかりにささくれ立っている １９８７年　ブリュッセル１９８９年　プラハ１９９１年　モスクワ２００１年　ベオグラード　そして今日　２００８年　スペイン　サラゴザ時は降り積もり、いつ
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<title>サンパウロ   日本ブラジル移民博物館</title>
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何故日本国は南米移民100年の歴史を本気で受け止めようとしないのだろうか。ここに生きた人々一人一人の肉体と心の奥底に焼き付いた血のにじむような体験。それを生ききってきた瞬間瞬間の努力と、一人一人の物語りこそが、遙かな地で発展してきた「もう一つの国」を支えてきたのではないのか。その国がまぼろしであっていいはずがない。きちんと名乗り出るべきは「日本国」ではないのか。 サンパウロ美術館で写真家たちの連作を見る。それぞれの底にあるのはアイデンティティーへの希求だ。アフリカのまじない師たち。古ぼけたぼろを
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