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<title>パウダーシュガー卸について思う</title>
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<description>パウダーシュガー卸について思う</description>
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<title>運搬用機械設備レンタル・リースについて</title>
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<![CDATA[ 底野　　おこよさ、池中館の娘さ。<br>飛田　　なんだ、借金取か。<br>底野　　借金は第二だ。<br>飛田　　おこよが来たからどうだつて云ふんだい。それが、貴様の主義とどう関係がある。不良学生に取巻かれて、精神的処女性をとつくに失つてゐる娘から、何を得たといふんだ。貴様の果報つていふのはそんなことか。<br>底野　　なにを。精神的処女性なるものを、貴様、云々する資格があるか。昔の友人が金持になり、支店長になり、それが、貴様の現在とどう関係がある。カクテル一杯で、頭が変になりやしまいな。公平に比べてみろ。たとへ誰のものでもいゝ。たとへ何を失つてゐてもいゝ。この殺風景な、この家賃も碌に払つてないやうな家の中で、一つ二つは隠してゐるとしても当年取つて十九歳と称せられる十人並以上の美少女とたゞ二人、火のない火鉢を挟んで相対坐し得たといふことは、これこそ、おれが日頃……。<br>
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<link>https://ameblo.jp/psoelld2/entry-11445439065.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Jan 2013 16:24:43 +0900</pubDate>
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<title>恋する!?キャバ嬢とは</title>
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<![CDATA[ それであればこそ、第一義的に見て大して存在理由のなさそうに見える形式社会学も相当な存在理由を見出すことが出来るのであった。丁度、総合社会学が存在し得られそうに見えながら、必ずしも［＃「必ずしも」に傍点］存在し得るとは限らない、と反対に。<br>　さて知識［＃「知識」に傍点］の社会学――それは社会学の本来の領域でもあった――も亦従って、知識という社会的存在から歴史性＝階級性を天引きすることによって、合理的となることが出来る。実際、予め知識からその歴史性――歴史的原理――を引き去っておけば、後は安心して自由に、恐らく天才的に、歴史的事実［＃「事実」に傍点］を引例することも出来るだろう。マックス・シェーラーの知識社会学は、この要領を見逃さなかった最も代表的な場合である。 正にシェーラーは、コントの社会学から、その歴史的原理を完全に引き去るためにこそ、コントのかの歴史三段階説（尤も之はすでにサン・シモンにあるのであるが）を批難することから始める必要があった。それがミルやスペンサー等に関わると、マッハやアヴェナリウス等に関わるとを問わず、コントの実証主義に帰着する三段階説は、彼によれば「根本的に誤っている」のである。三つのこの段階は、科学発展の歴史的な順序に於ける段相を意味すべきではなくて、実は元来、人間精神の本質と共に与えられた三種類の永劫な精神態度と認識形式なのであるから、例えば一つのものが他のものに代って位置を占めたり、他のものの代理をつとめたりすることは出来ない。<br>
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<link>https://ameblo.jp/psoelld2/entry-11435837353.html</link>
<pubDate>Thu, 27 Dec 2012 09:09:03 +0900</pubDate>
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<title>寺院用具製造について</title>
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<![CDATA[ しかしその隣国の工業の衰微その他の原因によって、工業品の輸入が著しく阻害されるかまたは全然杜絶するかしても、食物と粗生原料とを自給する国は長い間当惑することはあり得ない。しばらくの間はなるほどそれは供給は十分とは云えなくなるであろうが、しかし工業者や職工はまもなく現われ、そしてまもなく相当の技術を獲得するであろう１）［＃「１）」は縦中横］［＃「１）」は行右小書き］。そして国の資本と人口とは、この新たなる事情の下において、従前のように急速には増加しないかもしれないが、しかし両者の増加力は依然極めて大であろう。これはアメリカにおいて十分に例証されている（一八一六年）。　他方において、単に工業のみを営む国民が食物と粗生原料とを供給されなくなるならば、それが久しく存続し得ないことは明かである。しかし極端な場合を仮定すれば、かかる国民の絶対的生存が外国貿易に依存するばかりでなく、またその富の増進はほとんど全く貿易相手国の進歩と需要とに依存しなければならぬ。かかる国民がいかに器用で勤勉で節約的であっても、もしその顧客が、怠惰と蓄積不足のために、その貨物の年々増加する価値を消化する意思も能力も有たないならば、その国民の熟練と機械との効果は極めて短期間にして消滅するであろう。　熟練と機械とによりある一国の工業貨物が低廉になれば、他の国における粗生生産物の増加が奨励されるに至ることは、何人も疑い得ない。しかし同時に、国民が怠惰で統治の悪い国家においては、高利潤が長い間続いても富の増加を来さない場合があることは、吾々の知るところである。
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<link>https://ameblo.jp/psoelld2/entry-11429032903.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Dec 2012 16:43:25 +0900</pubDate>
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<title>ヒップホップ教室について思う</title>
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<![CDATA[ 石の多い地方には石工が多く、木の多い地方には木工が沢山あります。西洋で家を建てるのには石工が多く働き、日本では大工が多いのはその国の地理的影響によるのであります。西洋では家の壁から先に築いていきますが、日本では屋根を先に造ります。又、西洋では昔から石に人の肖像を彫りますが、日本では木に彫りつけます。所によつて家の建て方から美術工芸品の製作に至るまでみんな違つてをります。人間はいろんな技術や経済生活に至るまで何一つとして地から離れることは出来ません。この地に即し、地を愛し、大地の精神を汲んでいくところに郷土精神があり、そこに郷土芸術、郷土文芸が発達して来るのであります。而してこの郷土的なものが人間として最も美くしく、且つ健全であり、真実であります。この郷土的な意味を真実に発達させていくのが農民自治の精神であります。<br>　各地方の事情を重んじ郷土精神を発揮することに努めると、全体としてまとまりのない社会になりはしないかと心配する人があるかもしれませんが、この郷土的な全体を綜合することによつて初めてよい社会が出来るのであります。総ての人、総ての地方が器械的に同様であつたならば、日本も実につまらぬ国であります。各地方の個性を認めて、その綜合をはかるところに国家としても真の意義を発揮することが出来るのであります。
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<link>https://ameblo.jp/psoelld2/entry-11416516827.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Nov 2012 13:16:01 +0900</pubDate>
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