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<title>ココロの休息処</title>
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<description>気ままにのんびり。疲れたときには ホッ。 してあげましょう。</description>
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<title>人として大切にしたいこと</title>
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<![CDATA[ みなさんこんにちは。<br><br><br>今回は、「人として大切にしたいこと」をテーマに記事を書こうと思います。<br>これはあくまで私見ですので、絶対的ではありません。<br>そういうのもあんのかな、とか、自分は別でこう考えるな、などと自由に気楽に受け取っていただけたらと思います。<br><br><br>人として大切にしたいこと。<br><br>私自身、心がけていることがあります。<br>それは、<br><br>①『誠実であること』<br>②『嘘をつかないこと』<br>③『その人として接して、尊敬すること』<br>④『許してあげること』<br>⑤『人に求める前に、まず自分から』<br><br>です。これらは人のためでもありますが、なにより自分にとっても、具合が良いことに気付いたのです。<br><br><br><br>①『誠実であること』<br><br>まず、基本的に人によって接し方を変えることをしない方が自分にとって具合がいいことに気づきました。<br>もちろん、上司、先生、友達、家族…というように枠組みが変わればある程度の違いが出るのは仕方ない、というか一様にはできないと思います。<br>「まじさー」みたいなことは上司や先生には言えませんからね。<br>なので、相手と自分の関係性によって違いはでてくるとは思いますが、基本的に誰に対しても誠実性がとても重要だと思うのです。<br><br>たとえば、家族や恋人など、どんなに親密な人であっても、感謝の気持ちを持ち、それを示すのです。<br>悪いことをしたら「ごめんなさい」をするし、気を使ってくれたら「ありがとう」を伝えるのです。<br>言わなくてもわかるでしょ、となってくるとどんどん気持ちを言葉に表せなくなっていって、裏腹な行動になってしまうことが出てきちゃったりします。<br>それって、すごくさみしいことだと思うのです。<br>小さいことでも、気持ちを言葉にして伝えてみることを強くお勧めしたいです。<br><br><br>②『嘘をつかないこと』<br><br>これは①の誠実であることと重複いたしますが…<br>嘘って、なんでついちゃうんでしょう。<br>これについて、皆さんはどのように考えますか？<br><br>私は、自分のプライドを守ったり、恥を回避するためなのかなぁと思います。<br>なので、とっさにでも嘘がでてきちゃうのかなあって。<br>でも、嘘をつくと、またそれに嘘を重ねる必要性がでてくることが多いです。<br>また、その場はしのげても、ばれたらより一層相手（あるいは自分をも）を傷つける恐れがあります。<br>そうすると、嘘がばれないように取り繕ったりして、結果的に自分の首が絞まっちゃったりして息苦しくなっちゃいますね。<br><br>そんなわけで、簡単に言うと、自分も苦しいし、相手も傷つけちゃう恐れがあるのであれば、いっそのこと嘘つかなければいいじゃーん！というのが私の短絡的な考えだったりします。<br>しかし、『嘘はつかないけど冗談は言う』ということにしています。そしてこれを公言しています。笑<br><br>それはなぜかというと、とっさに嘘をついてしまうこと、照れ隠しについてしまうことなどなどが今でもあります。。笑<br><br>なので、『嘘というのは相手が信じたら嘘で、相手が信じない程度もしくは信じそうになったら嘘であることをいう、ということを前提に冗談を言う』という風に自分のなかでルールを決めています。笑<br><br><br>③『その人として接して、尊敬すること』<br><br>これはすごく大切なことだと心底思うのです。<br>といっても、なかなか難しい。<br>私も出来ていないことがたくさんあるので、私もこれについて修業中です。<br>しかし、気をつけることは、いつだってできるのです。<br><br>たとえば、●●学校卒だから～、とか、あの人は理系だから～とか。<br>私たちはなにかを考えるときに、ある枠（準拠枠）にあてはめて考えがちです。<br>枠にあてはめたほうが、思考が簡単になりますから、それ自体は人間の持つ一つの能力なのだと思います。<br><br>それが、悪いというわけではなく、必ずしも正しいとは限らない、ということです。<br><br>枠というものは、思考を簡単にしたり、内側と外側というものを明確にわけることができます。<br>しかしその一方で、ネームバリューやスティグマなど、偏見や差別が生まれます。<br>そうすると、たちまち物事が良くも悪くも歪んで見えてきてしまいます。<br>その人にくっつけられたプロフィールや情報によって、その人の個性が隠されてしまうことは、非常によく生じることだと思います。<br><br>学歴や職歴などのステータスからその人を判断するのではなく<br>それらのプロフィールと、その人個人とがどのように絡み合って、今目の前に存在しているのか。<br>色眼鏡を使うことなく、『その人』を『その人』として見ることの大切さを強くお伝えしたいのです。<br>気をつけてみると、今まで自分がどんなに偏った見方をしていたのかと気づかされますし、<br>たったひとりのその人を敬う気持ちが自然と湧いてきます。<br>本当に不思議で、感動的です。<br>今でも「ああ、自分はこんな風に考えていたのか。」と、いろんな偏見に気づかされてばかりです。<br>でも、気づくことで、私はだいぶ楽になりました。<br><br><br>④『許してあげること』<br><br>すごい上からな表現となってしまっていますが、これが一番近しいかと思いました。<br>これは、誰か人に対してだけじゃなくて、自分に対してもです。<br><br>人間だれしも完璧ではありません。<br>失敗したり、足踏みしたりします。<br>そんなとき、失敗を振り返って反省をすることは大切なことだと思いますが<br>それを厳しく責めたり、過度に卑下しないことが大切だと思います。<br>あー失敗した、というとき、怒られなくたって本人はすごく反省したり傷ついたりしていることが多いです。<br>なのになんか言われたら「わかってるよ！」とか言いたくなりませんか？笑<br><br>怒るよりむしろ、次は頑張ろうとかいう励ましの方がより建設的なことはたくさんあるように思います。<br>傷ついたり反省している人や自分を責めてさらに落ち込ませず、励ましたり、『まあそんなこともあるよ』などと許してあげることがベターだと考えます。<br><br>厳しくしたり責めたりするのはいつでも簡単です。<br>ですが、許したり認めたりするのは難しいことだと思います。<br>なので、ときにはそういうときもあるよ、と許してあげてほしいと思います。<br>それが、自分自身であっても。<br><br><br>そんなこんなでつらつら書いてみました。<br>これはあくまで私見ですので、そうすべきだ！とかいう内容では全然ありません。<br>でも、私はこのようにしたら人を大切に出来るようになった、ということをお伝えしたく思いました。<br><br>嘘をつかないことで、人に誠実でいられます。<br>この二つが両立できることで、人それぞれに、少しはまっすぐに向き合えるようになったように感じています。<br><br>もちろん困難なこともありましたが、自分を含め人の失敗を「まあそういうこともあるよね」と思えるようになってから、人づきあいの質は変わりました。<br>これまでこの4つを十分に出来たと感じたことはありません。<br>でも、反省をすることで少しずつ変化をしていることは実感できます。<br><br><br>そう思うと、⑤として、『人に求める前に、まず自分から（見直す・行動する）』というのが挙げられるのかもしれないですね。<br><br><br>いつでもどのようにしたら、人の笑顔が増えるか、嫌な気持ちを最小限にして生きていけるかを考えたいと私は思っています。<br>私の意見はひとつの側面でしかないので、より多くのみなさんの考えやご意見をどんどんお聞かせいただけたらとおもいます。<br><br><br>それでは、今回はこの辺で。<br>明日もみなさまにひとつでもおおく笑顔が届きますように　:)<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/psy-hina/entry-12097511763.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Nov 2015 02:17:55 +0900</pubDate>
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<title>情報の正しさは？</title>
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<![CDATA[ みなさんこんにちは。<br><br>今回は情報の正しさについて、書いてみようかなと思います。<br><br><br>突拍子もないかもしれませんが、これは今後私のブログを読んでくださる方々へのお願いでもあり、私のブログ以外でもすごく大切なことだと思うので、はじめの話題として取り上げてみることにしました。<br><br><br>世の中には、非常に多くの情報があふれかえってます。<br>テレビのニュース、本、雑誌、ネット、口コミ…etc<br><br>今まさに、という情報や、他人の個人的な事情などもSNSやブログを通して知ることもできてしまいます。<br>あちらこちらから降って湧いてくるような様々な情報ですが、皆さんはどのように情報を得ていらっしゃるでしょうか。<br>どのようにその情報を受け止めて、発信していらっしゃるでしょうか。<br><br>なにか例を挙げてみようと思います。<br><br>たとえば、男性or女性の○割はXXが好き！　とか　○○色の似あう人はXXな傾向がある！　とか<br>因果について端的に表現されている文章って、きっと一度は見たことがるのではないかと思います。<br>これって、皆さんはどのように感じられますか？<br><br>もうちょっと具体的にいくと、ある記事には<br>『男性はぽっちゃりした女性が好きという調査結果が！』<br>と書いてあったのに、別の記事では<br>『男性はやっぱりスレンダーな女性が好きだった！』<br>みたいな記事があったとします。<br>この二つの調査結果は相反する結論ですよね。<br><br>こういう記事を書くことが良い悪いという話ではなくて、相反する結果を示す調査についてそのどちらも出回っていることがものすごーくよくある、ということを強調したいのです。<br><br>そしてさらに、どちらかが間違っているかというとそういうわけでもなく、どちらも正しいということが非常によく生じていると私は感じるのです。<br><br>美容系商品を買うときの説明（モデル・医者が認めた！みたいなやつ）とか<br>学問的な言い回しや表現を用いられたものとか。<br><br><br>「いかにも、もっともらしく」書いてあると、私たちはそれをると、それがあたかも正しいように受け取ってしまいがちです。<br><br>もちろん、すべてが全くの嘘ではないと思います。<br>だけど、それは行き過ぎた表現であるかもしれないし、実は間違っているかもしれない。<br>どういう調査をしてそういう結果になったの？というプロセスが明示されていないと、一般化したり、自分に当てはめて考えたりするには適当でないかもしれません。<br><br>ある情報が自分にとってどんな意味を持つのか、また本当にそれは正しいのだろうか、とちょっと疑ってみると<br>場合によっては、差別や偏見などが幾分か減るかもしれないし、なにやら新しい発見も生まれるかもしれません。<br>根拠のない情報を多くの人が正しいと信じると、迫害だって起こりえます。<br>そういう事実は過去の歴史のなかに大なり小なりあったと思います。<br><br>先例で行くと、男性にはぽっちゃり好きはいると思いますし、スレンダー好きもいると思います<br>どっちも正しいと思います。ただ、どっちと限定されないし、言い切ることは難しいことがとても多いのではないかと考えます。<br>調査の仕方によっては、例えば、男性or女性○○人にきいた！というアンケートでも、対象者年齢は20代であったとしたら、20代以外の人にはその情報は適当じゃないかもしれません。<br><br><br><br>その情報は本当に正しいのか、どこまで真実なのか。<br>私がお伝えしたいと感じたことは、情報について100%信じず、ちょっぴり疑ってみるといいんじゃないかな、ということです。<br><br>しかし、そこでみなさん「じゃあ疑おう！」とならないでいただきたいです。<br>というのも、私のこの文章だってある意味、一個人の意見を書いてあるもので<br>情報は偏っている可能性がありますし、もっともらしく受け取られる方もいらっしゃるかもしれません。<br>ですが、間違ったことを言っている可能性もありますし、場合によってはあってる時もあるような情報もあるかもしれません。<br><br><br>これから私の更新頻度が恐ろしく悪いこのブログの中で<br>きっといろいろな考えを述べることはたくさんあると思います。<br><br>でも、それは私の価値観とか経験等にすごく影響を受けていて、真実が歪曲されている可能性は大いにあると思います。<br><br>なので、すべてを信じず、私のブログにしてもほかの情報にしても「まあ、そういうこともあるかな」くらいにうけとって頂けるといいな、と私は考えています。<br><br>自分を弁護するわけではなく、みなさんを混乱させたくない、という思いから<br>このようなお願いをさせていただきたく思いました。<br><br><br>いつまでたってもうまくない私の文章（笑）なのに読んでくださる方がいるというのは幸せなことです。<br>本当にありがとうございます。<br><br><br>明日も多くの方々がより幸せな時間を過ごせますよう、切に願っております。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/psy-hina/entry-12097512415.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Nov 2015 02:31:32 +0900</pubDate>
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