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<title>psymage2のブログ</title>
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<title>ら抜き言葉</title>
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<![CDATA[ 　1月冒頭に何回か、書こうとして挫折し、下書き状態になっているものを削除し、さて気づいてみればもう2月10日、ずいぶん間が開いてしまった。そろそろ始動しよう。ということで、本年1発目。ブログ的には「あけおめ」状態だ。<br><br>　さて、mixiのニュースで取り上げられていた「教えて!goo」の「<a href="http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6472033.html?from=mixi_news&amp;check_ok=1" target="_blank" title="ら抜き言葉を直してもらいたい">ら抜き言葉を直してもらいたい</a>」というトピックをみての感想を少々。「教えて!goo」に質問者への回答として書くほどのことではないので、こちらで。<br><br>　かつて自分でも「<a href="http://www.psymage.com/blog/archives/2005/10/post_176.html" target="_blank">国語のクイズ</a>という記事でちょっとだけ「ら抜き言葉」について触れているが、今でもその考え方は変わっていない。<br><br>　トピックの趣旨は、彼氏が「ら抜き言葉」を使うのが気持ち悪いし、父親も厳しいので、その前でそんな言葉を使ったら結婚を許可してもらえないのではという悩みに助言を求めたものだが。ポイントが「ら抜き言葉」と「このカップルの関係」の2点あって、賛否はそれぞれ出ている。<br><br>「ら抜き言葉」を使う人をこの人もそうだが、回答者の中にも「教養がない」という表現を使っているのが、実は少々気になった。<br><br>『教養』を辞書で牽くと<br><blockquote><p><br>①教え育てること｡<br>②(cultureイギリス･フランス･Bildungドイツ) 単なる学殖･多識とは異なり､一定の文化理想を体得し､それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識｡その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる<br>（広辞苑）<br><br>(1)おしえそだてること｡｢父は其子を―するの勤労を免かれ/民約論(徳)｣<br>(2)社会人として必要な広い文化的な知識｡また,それによって養われた品位｡｢―を身につける｣<br>(3)〔英 culture; (ドイツ) Bildung〕<br>単なる知識ではなく,人間がその素質を精神的･全人的に開化･発展させるために学び養われる学問や芸術など｡<br>（三省堂国語辞典）<br><br>人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす。とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である。教養はとくに専門的、職業的知識を意識した場合、「一般教養」と表現されることがある。教養ということばの原語である英語やフランス語のcultureがラテン語のcultura（耕作）からきていることからわかるように、土地を耕して作物を育てる意味だったものを「心の耕作」に転義させて、人間の精神を耕すことが教養であると解されている。その「心の耕作」cultura animiという表現を初めて用いたのは古代ローマのキケロである。<br>〈諏訪内敬司〉<br>（スーパー・ニッポニカ 日本大百科全書：一部抜粋）</p></blockquote><br>とある。まあ、「ら抜き」言葉一つで無教養と思われるとしたら、なかなか辛いことだ。<br>　ただ、こういう場合もそうだが、他人に対して教養がないというような表現を使う場合は、非常に気をつけるべきだと思う。時代と共に生き方や考え方はどんどん多様化していくし、正しさと間違えを分ける分水嶺もとても低くなっている気がするからだ。自分の意見だとして述べるのであれば、相手を貶める表現ではなく、相手を尊重しながら言う方がいいと言うことだ。<br><br>　このトピ主が「ら抜き言葉」を受け付けられず困っていることだけを素直に書けば、反論は半分くらいで済んだのではないかと思えるからだ。「教養」という言葉を使ったり、どんな教育を受けてきたらこうなるのかのような表現が反感を呼んでいるに違いない。元々こういう表現は、その意思がなくても上から目線に見えるので、いかにあとで弁解してもその印象はぬぐえない。<br>　感情の問題は仕方がないので、「あなたのその表現は、私は耐えられない」と言うことであれば、結婚を考えようかという相手の気持ちは尊重してくれる場合が多いと思う。逆にそこで尊重しないという人であれば、前途が思いやられる。<br><br>　ただ一つ思うのは「食べれる、見れる」は仕方ないが、「信じれる」「耐えれる」「感じれる」は理解しがたいという行だ。これって、その人が単に耳や目にした回数に依存していないだろうか？ということである。あるいは、どれだけの人が、誰が使っているかという情報に左右されてはいないかということで、だとすれば、時間が経てば解消することではないか？ということである。<br><br>　先日、雑誌にちょっと記事を書き、その中で私は原稿に「当に好適の一冊」という表現を使ったのだが、実際には「本当に最適の一冊」と印刷されていた。意味は変わらないので「まさに」がいけなかったのか「こうてき」がいけなかったのか、いずれにしても一般的な表現ではないと思われたから変えられたのだろうが、あるいはこうやって言葉は消えていくのかな、と思った一瞬だった。<br>　友人にその話をしたとき、「こうてきってどういう意味」といわれたときにはその感をより深くした。<br>　仮にこの言葉が「古語」になるにしてもそれはだいぶ先の話で、でもいずれはそうなるのかもしれないわけだ。<br><br>　ただそれとは別に、過渡期というのはなかなか難しいもので、例えば言葉であれば、これまで無かった用法は「間違い」というレッテルを一時期貼られ、それが生き延びて定着すれば「新しい用法」に、消えてしまえば、一過性の言葉（場合によっては流行語）となるのだろう。<br>　伝統や習わしなどは、経過年数の長さだけで尊重されることも多い。尊重すること自体が悪いわけでは決してないが、そこから外れる者を排斥するのは簡単だが必ずしもいいことではない（状況によっては正しい場合もあるだろうが）。<br>　言葉も実はこの伝統に則っているので「文法」はその用法を使いやすくまとめたものに過ぎないので、文法に外れることが「間違い」なわけではない。許容していくのも一つのありようである。<br><br>　但し感性の問題は、できるだけ被害者に合わせていった方がよい。<br>　ら抜き言葉が苦手な相手にはそれを使わない、そばをすする音が苦手な相手の前では、なるべく音を立てないで食べる、などだ。ら抜き言葉や食事時の音に慣れさせるよりも、人として優しくあれる方が私は好きだ。<br><br>　<br>　<br><br>
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<pubDate>Thu, 10 Feb 2011 15:39:21 +0900</pubDate>
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<title>年の暮れ</title>
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<![CDATA[ 　今年も一年が終わる。とはいえ、明日はいつでも明日なので、12月31日の翌日になると言うだけには違いない。<br><br>　人はこういう区切りや記念日など、何かのエポックをもって何かを変えたり、新たな道に進んだり、変化のモチベーションにすることが多い。走り幅跳びの踏切線みたいなもので、勢いを付けるにはいいのだ。<br><br>　普段の日に「さあやろう」と思うよりも、変化に勢いが付きそうな気がするではないか。<br><br>　問題は、その気分なのであり、その結果必ずしも目的は達成されないかもしれないけど、幾分達成されることもある。本当は、是が非でもやるんだという気持ちが大切だという人もあろう。<br><br>　それも一つの真理ではあると思うが、この世界には70億に迫る人が生きている。<br><br>　その70億人が同じ生き方、同じ考え方をするなどと言うのは所詮無理なことで、たまたまこの間何かで聴いたモーニング娘。の曲で（今時!）みんながかわいかったら、平凡みたいな歌があった。<br>　<br>　同様に、皆が同じようにできないからこそ、この世は成り立っているのだ。<br><br>　それは記録や結果だけの話ではなく、ものの考え方や生き方もそうだ。<br><br>　もちろんよりよい生き方や、より幸福な生活を望み、それに向かって努力することは、どんな場合でも大切だし、いいことでもある。でも一様に、これが正しいという風に決めることなど、どだい無理なことだ。<br><br>　A地点からB地点まで行く方法は、最短は一つかもしれないが、多くのルートがある。どれをとるかも、あるいはB地点に行かないという選択肢も含めて、決めていくこと、そしてそれに自ら責任を持っていくことが個人主義というものだ。<br><br>　その中で、他を認めていくということがしかし実は、より正しい個人主義なのであって、必ずしも自己を主張するだけのことではない。<br><br>　そう、世の中全てバランスだ。人が生きていられるのも、空気中の元素の絶妙なバランスかもしれないし、バランスの取れた、いい1年にするために、踏切線を踏まないように気をつけて、来年はジャンプしたいものだと思う。<br><br>　今年お世話になった全ての方、取引先も友人も、宅配で顔を合わせただけのお兄さんたちや、レジで笑顔をくれたおばさんたちにも、今年かかわったあらゆる方々に、「ありがとうございました」。そして、来るべき年も、是非よろしくお願い致します。<br><br>
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<pubDate>Fri, 31 Dec 2010 17:56:14 +0900</pubDate>
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<title>全編Flashのホームページ</title>
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<![CDATA[ 　ほとんどテキストが無くFlashだけで構成されたホームページというのがある。著名な映画のオフィシャルページなどは多くがこのスタイルを取っていてカッコイイ。スタイリッシュだし、デザイン優先のホームページもできる。<br>　SEOのことを考えると、フルFLASHというのは、正直まだいいとは思えない。映画などの、ほとんど固有名詞に近いサイトの場合は意図的に上位に行くようにも思えるので問題はないし、検索する側も目的がしっかりしているので、これまた問題ない。<br><br>　だが一般のサイトがこれをやると、なかなか難しいこといなる。使うならテキストをしっかり別に用意して、ということだ。<br><br>　先日、パリの<a href="http:http://www.lebonmarche.com/" target="_blank" title="Bon Marche">Bon Marche</a>という百貨店のホームページを見たのだが、ここがフルFLASHサイトだ。<br>　（Marcheのeにはアクサンテギュがつく）<br>　カッコイイが使いにくい。デザイナーはいいと思っているに違いないが、イメージ戦略上は成功していないと言えないこともないが、ホームページとしては決していい物ではないと思う。もちろんこれも個人差があるので、断言はしないが、ホームページは料理と同じで、見栄えも大切だが本来は味で勝負なのだと思う。<br><br>　しかもここはフランス語のサイトなので、Googleの翻訳バーが翻訳してくれるはずなのだが、FLASHなので全く反応しない。ただしここには日本語のページがあるので、一応は解る。それでも日本語のページに行くためには<br>「Le Bon Marche Rive Gauche」というところをクリックせねばならず、結果試行錯誤が必要だ。<br>　尤も、この翻訳に関してはFLASHだけでなく画像ばかりで構成されたページも同じだ。<br>　こちらも基本はデザイン優先の結果、より綺麗な字体で見せたいなどの意図がある。<br><br>　いずれは画像やFLASHなどにも検索用の文字埋め込みなどの技術が出てくるかしもしれないが、SPAMの危険もあるので簡単にはいかないだろう。<br><br>　検索（SEO)や翻訳（日本のページだって外国人が見ないとは限らない）、使い勝手といった意味で、FLASHも画像も、上手くバランスを取って展開すべきだ。何事もデザイン優先され、なおかつ知名度もそこそこある企業は別だが、一般的な企業は、そこを間違えると、思っているほどの効果が得られないものだ。<br><br>　あくまで利用者あってのホームページだし、ぱっと見がいいだけでは決していいホームページではないということが、改めてこういうところを見ると解る。<br><br>　といっても、見栄えも重要なんですけどね<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191028/14/psymage2/64/22/g/o0016001614625766145.gif" alt="" border="0" style="border:0;" class="emoji"><br>　<br><br>　<br>　<br><br>
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<pubDate>Mon, 20 Dec 2010 15:29:44 +0900</pubDate>
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<title>サンシャインタウン</title>
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<![CDATA[ 　mixiのアプリに「サンシャインタウン」というのがあり、それをやっている。<br>　シムシティの限りなく簡単なやつみたいな感じだと思う（残念ながらシムシティをやっとことがないのだが）。<br><br>　スタッフというのをいろいろな職業で働かせ、街を大きくしていくものだ。スタッフは一定時間働くと収益を上げ、そのお金で家を買うと人口が増え、一定人口になるとスタッフを増やせるという仕組みだ。しかし、人口を増やすと、彼らの満足度が下がり、新しい家が買えない。そこで、稼いだ金は家だけではなく、町の人の満足度を上げるためのデコレーションというのを購入するためにも使うことになる。<br>　家やデコレーションを購入し街に置くと、面積が足りなくなるが、それらの様々な行為によって、ゲームの王道である経験値が貯まっており、一定の経験値をクリアすると、土地を広げることができる。<br><br>　と、単なるこの繰り返しのゲームだ。<br><br>　ただ、人生でも人間は同じようなことをやって一生を送っているわけで、いわば、人生の縮図のようなものだ。<br><br>　さて、ときどきイベントがあったりするのだが、10月にはハロウィンがあり、今回はクリスマスだ。その時期に、特別な働き場が与えられ、ハロウィンの時はお城で、今回はおもちゃ工場だ。<br>　これらの職場は、通常と違って割がいい。短時間でたくさん稼げるようになっている。<br><br>　今回、ハロウィンの時になはなかった縛りがあって、そこで働かせることができるのはマイミクスタッフなのだ。<br><br>　マイミクとはもちろん、ツィッターのフォロワーみたいなもので、自分の友達として登録している知人や、mixiの中で知り合って登録した人たちのことだ。詳しくは知らないが、たくさんいる方は何百人もいるのかもしれない。<br>　残念ながら、私の場合は非常に少ない。mixi自体、日記も書いていないし、ただ参加しているだけで、マイミクを増やすつもりはほとんど無い。ただ、相手から言われたとき断る理由もないので、断りはしないが、先方にとって、何もアクションを起こさないマイミクが、あまり意味があるとも思えない。<br><br>　さて、そんなわけで、私は今回の職場でわずか2人のスタッフしか働かせることができない。残念。<br><br>　でここからが本題。<br><br>　世の若い人たち、あるいは子供たちは、友達の人数の多寡で幸せを計る傾向があるようなことを、前にテレビで見た。<br>　もちろん、友達が多いことが悪いはずもない。だが、友達が多いことが＝幸せであることも、必ずしも言えないのではないだろうか。何人以上が多くて、何人以下が少ないというのも極めて曖昧な話ではあるが、友達が少ないことを思って落ち込んだりしている人がいるとすれば、悲しいことだ。<br><br>　自分自身、友達が多いのか少ないのかよく解らないが、友の価値というのは人数で割りきれるものではない。また、深いつきあいかどうかと言う単純なものでもない。<br>　メロスの友情を信じて待つ友の情景は、美しいかもしれないし、すばらしいことかもしれない。だが、何事によらず、人生の価値というのは、一つ一つの物事の切り口だけで決まるわけでもなく、時代や国、あるいは一人一人の感性や考え方によって決まるものである。<br><br>　我々は得てして、社会通念という言葉で、あたかもこのことはこうあるべきだという、言われなき縛りに縛られることがよくある。もちろん、社会が人の集団であるなら、自ずとそこにルールはある。多くのルールは守られるべきであり、そこから逸脱した場合、裁判で裁かれることもあるだろう。<br><br>　だが、例えば友達の価値とか、愛の形、生活のやり方など個々人に許されるべきことが、意外に多くを社会によって縛られていることが多い。<br><br>　極端な例を挙げれば（ここで極端というのは誤解があるといけないのでこの話をするときにその話題か？という意味であり、ことが極端であるという意味ではない）、同性愛というのは、現代にあってさえ、なかなか多くの人から拒否反応を持って迎えられる場合が多いと思う。<br>　だが、同性愛であることが、社会通念上おかしいとしても、それは人の人生に於いては許されるべきではないのか、と私は思う。もちろん、宗教的な心情から許さない人も多いと思うし、それに関しては相手が宗教なので、立ち向かう言葉を知らない。<br><br>　だが一般的に言って、同性しか愛せない人たちがお互いに愛し合ったら、それで一生を送ることが、そうでない人にとってどんな不都合を生じさせているのだろう？生物学的に見て子孫が増えないのだという論理は、この際、そもそもの同性愛を認めない人にとっての論拠であるとは思っていないので、意味はほとんど無い。<br><br>　少なからずそれは、その人たちが持つ感情や思想的な嫌悪感などに起因しているだけだ。<br><br>　ではその嫌悪感をどうしてくれる、という理屈もまた、この世からあらゆる人が嫌悪するものを、片っ端から消していったらどんな世の中になるかを考えれば自ずと解ることだ。ゴミ屋敷の隣に住むというのとは次元が違う。<br>　だが、どう違うのだと尋ねられれば、私は、その違いが例を挙げるだけで理解されないことの方が悲しい気がする。<br><br>　いわばこういった、寛容と理解がどの程度あるかが、人類の進化の度合いを測るバロメーターなのではないかとさえ思える。自分と他人が違う人生を歩んでおり、可能な限り認め合うことからしか、平和は生まれてこないのだと言うことだ。<br><br>　サンシャインタウンのマイミクしか使えない設定というのが、実は友が少なくて悩んでいる人たちへの、意外に心に踏み込む刃物になりかねないのだと言うことを、ふと思った。<br><br>　かつて私は、自分の女好きをジョークにするために、｢ホモに人権はない｣と言わないでいいことを、全然ゲイではない人物に言ったことがある。実際にそんなことを思っているわけでもないし、単なる軽口以上のことではない。だが今では深く反省している。<br>　冗談でも、軽口でも人を傷つけるのは難しいことではない。そして冗談だから、でいつでも許されるわけでもないのだ。<br><br>　いじめで自殺する子供もいる。<br>　社会が守れるとしたら、やはり絶えず、人を思いやる気持ちをまず大人が持ち、子供にも教えていくしかない。今の大人たちは、どれほどがもてているだろうか？<br><br>　人が人に寛容であり優しい態度で接することが第一の社会通念として存在できる未来が来ることを、私は信じたい。<br><br>　<br><br>
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<pubDate>Sat, 11 Dec 2010 19:15:00 +0900</pubDate>
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<title>スティーヴン・セガールの新作「沈黙の復讐」</title>
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<![CDATA[ 　ニュースでスティーヴン・セガールの「沈黙シリーズ」の19作目が公開されるとあった。<br><br>　そもそも｢沈黙｣シリーズは「沈黙の戦艦」から始まるが、これは「Under Siege」という原題で（包囲されたとかの意味か）ライバックという元海軍特殊部隊のコックが主役の話で、この後、「Under Siege2」という映画が、「暴走特急」というタイトルで公開される。これは同じ主人公を主役にした続編である。<br><br>　ところがこの間に公開された「On Deadly Ground」という、アラスカの石油採掘所を舞台にした作品がある。そしてこれの邦題が「沈黙の要塞」。実際にこのときに、既に｢沈黙シリーズ第2弾｣と言われていたらしい。<br>　<br>　だが、｢暴走特急｣は沈黙シリーズ第3弾とはならす、97年の「沈黙の断崖（Fire Down Below）」が第3弾となる。<br>　で、その間に「グリマーマン｣という、これこそそのまま原題をカタカナにしたのでは、意味不明なタイトルの作品を挟んでいるが、これは｢沈黙｣していない。<br><br>　沈黙って何だ？<br><br>　セガールは全く寡黙ではないし、軽薄な声で日本語を操るとってもラブリーな男だ。途中かなり太ってやばかったが、最近は少しダイエットしたようだ。でも、「刑事ニコ｣とか見ると別人のようだ。<br><br>　その沈黙の意味が分からぬまま、時折｢沈黙｣していない作品をいくつも間に挟みつつ、今度の作品は「沈黙」シリーズ第19作目だという。<br><br>　断言してもいいが、作品のテイストや傾向で｢沈黙｣と銘打っていないことは確かで、考えられるのはただ、そう付けた方が売れるから・・・・間違いなくそうに違いない。<br><br>　確かに、作品のクオリティがあまり高くない作品は多い。個人的に好きなのは「沈黙の戦艦」｢暴走特急｣「沈黙の断崖」｢グリマーマン｣で、それ以降の作品はあまりいただけないものが多い。でも必ず見る。<br><br>　それは、「浅見さんは刑事局長さんの弟さんでしたか～お人が悪い」シーンが読みたいが為に内田康夫を読み続けるのとにている。<br>　とにかく強い。負けない。ヒーローってのはこういうのを言うのだ。何度も苦境に陥るヒーローなんてエセだ！<br>　というくらい強い。<br><br>　日本人は負けて這い上がるタイプが好きなようだが、ヒーローたるもの、負けてはならない。負けているように見えるのは、卑怯な不意打ち、女を守るため、そしてわざと、他にはない。自分と同等のライバルなどあってはならないのだ。<br><br>　私は｢バビル2世｣が好きだが、あたかもヨミはバビル2世と同等のように見えるが、決してそんなことはない。ヨミは一度としてバビル2世には敵わないのだ。ここにヒーローのヒーローたる所以があると私は思う。<br><br>　いや、世間の誰がなんと言おうと、私にとっては弱いヒーローなどヒーローではない。それでいいじゃないか。私が言ってるだけだ。ウィキペディアの｢ヒーロー｣の項に付け足そうなんて、これっぽっちも思っていないのだから。<br><br>　あ、セガールもきっと、何回か負けているかもしれない。でも見なかったことにしよう。<br><br><br>そして予告編・・・<br><object width="640" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/8zG7e7rA2pE?fs=1&amp;hl=ja_JP&amp;color1=0x5d1719&amp;color2=0xcd311b"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/8zG7e7rA2pE?fs=1&amp;hl=ja_JP&amp;color1=0x5d1719&amp;color2=0xcd311b" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="640" height="385"></object><br><br>
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<pubDate>Tue, 07 Dec 2010 21:36:50 +0900</pubDate>
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<title>山河</title>
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<![CDATA[ 　小椋佳作詞、堀内孝雄作曲の｢山河｣という曲がある。<br>　この曲を初めて耳にしたのはたぶん、2000年の紅白だったと思う。五木ひろしがそこで歌っているとき、丁度家に帰り、曲の名前もよく解らず、暫く経ってから探したのだ。実は、いい歌だと思っただけで、歌詞すら覚えていなかった。<br><br>　YouTubeで見つけたときはうれしかった。いい時代だ。<br><br>　そしてこの曲は、書いたとおりの作詞･作曲なので、当然その二人も歌っている。<br><div style="text-align:center; margin:20px auto;"><br><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/iiWKhdGZCHQ?fs=1&amp;hl=ja_JP"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/iiWKhdGZCHQ?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></object><br><br>五木ひろしバージョン<br></div><div style="text-align:center; margin:20px auto;"><br><object width="640" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/niwkGW2IJVk?fs=1&amp;hl=ja_JP"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/niwkGW2IJVk?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="640" height="385"></object><br><br>小椋佳バージョン。この人にこの歌は向いてない気がする。<br></div><div style="text-align:center; margin:20px auto;"><br><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/W3U_mgfoWlA?fs=1&amp;hl=ja_JP"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/W3U_mgfoWlA?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></object><br><br>堀内孝雄バージョン。3人の中では、実は一番これが好きだ。<br></div><br><br>　だが、この3人を圧して、感動的ですばらしい歌を歌っているのが島津亜矢という演歌歌手だ。<br>　島津亜矢は、かつて私がCDをお店で販売しているときには既に歌っていたので、20年選手ではあると思う。今までほとんど聴いたことはなかった。上手いという話は聞いたことがあったが。<br><br>　その動画が現在YouTubeにない。NHKの番組の一部を上げてあっただけで、歌手の宣伝以上の効果はないと思うのだが、なぜか削除されている。投稿者が単に消したのか、著作権がらみで消されたのか解らないが、寂しい限りだ。<br><br>　それほどすばらしい歌唱だった。上の3人では泣けなかったが、島津亜矢のは涙が流れた。<br><br>　ダウンロードしてあるので、上げてもいいし、完全に個人のブログなら上げるだろうが、一応仕事のブログなのでやめておく。<br><br>　しかし彼女がCDにしているか、探したのだが無かった。残念。<br>　また上がれば、ここでご紹介したいとも思う。<br><br>
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<pubDate>Fri, 03 Dec 2010 18:11:27 +0900</pubDate>
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<title>TAG</title>
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<![CDATA[ 　HTMLを自分で書く場合、あるいはソフトで書いたものをテキスト･エディタなどで修正する場合、HTMLのタグの知識は、スタイルシートの知識と共に不可欠だが、では全てのタグを覚えているかというと、その要素まで含めて全部覚えている人問のは、よっぽど自分でホームページのコーディングを毎日していない限り、そう多くはないだろう。<br>　スタイルシートについては尚更である。<br><br>　本を買ってもいいが、そんなときに役に立つのが、HTMLを紹介してくれているサイトである。<br><br>　<a href="http://www.tagindex.com/i" target="_blank" title="TAG &lt;index>">TAG <index></index></a><br><br>　は、そんな中でも見やすく、最も使いやすいサイトの一つである。<br><br>　文字コードを変換してくれるツールなども便利である。<br>　<br>　ここをじっくり読めば、普通にホームページがソフトウェアの手助け無しでもできるようになるだろう。<br>　とはいえ、それをするのはめんどくさいだろうから、そういう方は、是非弊社にご用命を！<br><br>　何て宣伝をしたりして。<br><br>　こういうサイトは基本的なところを学ぶのに適しているが、今後も、お役立ちサイトを順次ご紹介していきたい。今日のはジャブだな。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/psymage2/entry-12540085992.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Dec 2010 21:31:34 +0900</pubDate>
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<title>小惑星探査機：はやぶさ</title>
<description>
<![CDATA[ ちょっと時機を逸している感はあるが、小惑星探査機「はやぶさ」。<br><br>　<blockquote><p>小惑星探査機「はやぶさ」の偉業を表彰するため、海江田万里宇宙開発担当相と高木義明文部科学相が感謝状を贈ることになった。３０日の閣議後会見で両大臣が発表した。</p></blockquote><br><br>　というニュースを見たので。<br><br>　いや、確かにすごいことだろう。この事業にかかわった人たちの努力も、かなり報われただろう。<br>　アメリカは2030年までに、火星に人を送り込むとも言っている。<br><br>　ああでも、現在2010年、かつて夢見た21世紀はいったいどこに。<br><br>　小学生の時、私は宇宙に行きたかった。<br>　21世紀はそういう世紀だと思っていた。<br><br>「2001年宇宙の旅」という映画は、1968年の公開で、アポロ11号が月面に人類の第一歩を刻む前の年だった。<br><br>　SFで育った私のような人間は、この50年間の遅々として進まぬ宇宙開発に、ある意味落胆をしている人も少なくないと思う。<br>　パソコンや携帯がいくら発達しても、人類は未だに地球に縛り付けられている。<br><br>　もちろん、自分では何らそういった事業に貢献している部分があるわけでもないので、全くの他力本願なのだけれど、夢は大きく破れていることに違いはない。<br><br>　かつてヒューゴー･ガーンズバックがSFという言葉を生んだとき、その言葉には実現可能な科学的未来という意味が含まれていた。ヒューゴー賞という、SFで最も権威ある賞に名を冠されたこの人は、自らの小説に、その後実現された多くの家電や仕組みを盛り込むことができた。<br><br>　しかしその後の多くのSF作家がなし得たのは、優れた作品を世に送り出すことで、決して実現可能な未来を描くことではなかったようだ。<br><br>　確かにはやぶさはすごいことをやったのだと思う。でも中学生の私は、2010年、少なくとも人類は月や火星に旅行に行くぐらいのことになっているという、淡い期待を持っていた。残念。<br><br>　せめて22世紀には、そうなっていて欲しいな。その頃にはわたしはとっくにいないけど。<br><br>
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<pubDate>Tue, 30 Nov 2010 22:44:55 +0900</pubDate>
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<title>番組中のテロップ</title>
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<![CDATA[ 　mixiのニュースを見ていてみつけたのだが、NHKの龍馬伝、最終回の暗殺場面に愛媛県知事の投票結果のテロップが流れて顰蹙を買っているという趣旨の記事だ。<br><br><a href="http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20101129/enn1011291251009-n1.htm" target="_blank" title="http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20101129/enn1011291251009-n1.htm">http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20101129/enn1011291251009-n1.htm</a><br><br>　地震速報やら大きな天災や事故、事件の速報など、緊急性を必要とする場面でのテレビのテロップは、むしろ必要だと思うが、選挙結果や裁判の判決など、敢えて速報性がないものに関して、テレビが速報で流すのはなぜなのだろう？ただし、CM中に見たことは全くないのだが。<br><br>　言ってみればテレビ局などは、基本的に視聴者第一ではないと言うことなのだろう。あるいは、視聴者が望んでいることを実はくみ取れていないと言うことでもある。<br><br>　幕末と福山雅治のどちらにも興味がない私としては、実際に観ていないのでなんだが、記事にあるように、暗殺シーンを外れていれば良かったのか？という気はする。番組が終わった後で十分間に合う情報だし、その数十分が誰かに大きな影響を与える情報でもない。<br>　<br>　観ている側にそれが不快感を与えることを、まさかテレビ局の人間が知らないはずもないし、知らなかったとすれば、なんたる無知っぷりかと言わざるをえない。<br>　<br>　北朝鮮が爆弾を放ったなどというニュースは、番組を中断しても伝えるべき内容かもしれないが、それらのニュースの即時性をテレビ局は何か勘違いしてるとしか思えない。<br><br>　これは、ニュースのテロップばかりではない。たまに昼間の番組を観ていたりすると、笑えるように夜の番組の紹介を流し続けていたりする。昼の番組の視聴率と、ほぼ再放送と言うことを考えると、あまり文句を言う人も少ないのだとは思うが、少なくとも観ている人間の気持ちなどは考えていないだろうことは判る。<br><br>　視聴者のことは考えなくても、CM中にそういうことをしないというのは、スポンサーのことは考えているのだな、ということも解る。だが大事なのは、スポンサーの先にいる消費者で、それは視聴者と同じ人たちであることを、テレビ局もスポンサーも、たぶんあまり考えていないのだろう。考えていたとしても、あまりそうは見えない。<br><br>　増して今回はNHK、スポンサーはすなわちそのまま視聴者なのだけれど、たぶん、視聴者は全員。愛媛県知事選挙の動向が気になって仕方がないと思ったんだろうな。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/psymage2/entry-12540085990.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Nov 2010 20:52:19 +0900</pubDate>
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<title>SoftBank</title>
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<![CDATA[ 　今日は愚痴みたいなものだ。<br><br>　私はSoftBankの携帯を使っているのだが、それはいち早く家族無料を打ち出したのがSoftBankで、とても便利に使えたからだ。今現在も不満はない。<br><br>　今日2回、SoftBank代理店を名乗るところから会社に電話があった。このSoftBank代理店というのは異様に多い。DoCoMoやauはほとんど無いが、SoftBank代理店は、年中かけてくる。<br><br>　別に先方の話し方がぞんざいなわけではない（たまに、嫌いなタイプの人もいるが）。既にSoftBankの携帯を使っているとか、固定電話は光電話だとかいえば、すぐに電話も終わるので、1件1件はさほど問題ではない。<br>　だが、度重なるとウザイ。<br><br>　SoftBank自体は好きとか嫌いとか言う会社でもなく、ホークスにも興味はない（ペタジー二が辞めたのだ）。<br><br>　代理店がやることなのだろうが、少し管理しろよといいたくなる。ひどくなれば携帯会社を代えることも十分にある。<br><br>　iphoneばかり目立っていたが、他のスマートフォンもあるから、その点ではSoftBankから他に鞍替えする気はなくなった。アンチApple、アンチAdobeの私としては、そこだけが気になっていたので、安心した。<br><br>　それでも、同じような営業の電話が何回もかかってくるというのは、親会社の責任もあるのではないか、と思う。<br><br>　孫さん、無理ならお父さん、考えて下さいな。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/psymage2/entry-12540085987.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Nov 2010 22:33:18 +0900</pubDate>
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