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<title>pumioのブログ</title>
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<description>音楽について、その他について。思っていることをそのまま書いていくつもりです。誰かに発信することを意図したものではないけれど、誰かが読んで何かを感じとってくれたなら嬉しいです。だいたい眠れない夜の暇つぶしになるんじゃないかなあと思っています。</description>
<language>ja</language>
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<title>顔をあげて</title>
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<![CDATA[ 顔を上げてバンドをやろう。<br>うつむいたままでは周りの音色も景色も、何も入ってこない。<br>何も入ってこないまま出したその音に意味は乗っているのか？<br><br>顔を上げてバンドをやろう。<br>そこにいる仲間たちの顔を見て、奏でる音を噛みしめて、感情を共有しよう。<br>その日その時のその場所で、その音楽を共有する喜びを逃してはならない。<br><br>音も聞かず顔も見ず、ただ正確な演奏と見映えのする動きをなぞるだけで何かをした気になってはいけない。仲間は、観客は、そんなものを見にきてはいない。<br><br>顔を上げて生きよう。自分が何をするかでなく、自分がなぜそれをするか考えられるから。
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/entry-11492006011.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Mar 2013 01:44:21 +0900</pubDate>
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<title>いつかまた、この場所で。</title>
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<![CDATA[ <p>いつかまたこの場所で</p><p>君とめぐり会いたい</p><br><br><p>スピッツのチェリーという曲の歌詞。</p><p>追いコンの最後のバンドで、この曲を演奏することができてよかった。</p><br><br><p>いつか、また。</p><p>また今度、また明日、ではなく、「いつか、また」。</p><p>今日のライブは、次回の約束されない、節目のライブでした。</p><br><p>でも、最後ではない。</p><p>あの場所で、あのメンバーでのライブは一度きりのものだけど、また何らかの形で「また」があると信じている僕は、そのときを待ちわびて「曲がりくねった道をゆく」ことにします。</p><br><p>卒業できるといいなあ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/entry-11484986904.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Mar 2013 00:30:52 +0900</pubDate>
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<title>チェリー</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/amemberentry-11484982092.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Mar 2013 00:23:26 +0900</pubDate>
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<title>もしも</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/amemberentry-11461097262.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Feb 2013 03:20:09 +0900</pubDate>
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<title>言葉、音楽。2</title>
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<![CDATA[ 良い文章、とは。<br><br>最高の感性と、最高の表現力をもって表現されたものであると僕は考えている。<br><br>最高の感性があっても、表現力が幼稚であれば受け手に意図は伝わらない。最高の表現力があっても、感性がなければ言葉遊びである。そこに意図は存在しない。溢れ出る感性と、それを余すところなく伝えきる表現力を両立する必要がある。<br><br>では、良い音楽とは？<br><br>P.S. バンドのコピーを言葉に例えると、既存の文章の朗読会。棒読みでは寂しいなあ。<br><br>iPhoneからの投稿<br><br>
]]>
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/entry-11351751577.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Sep 2012 07:49:27 +0900</pubDate>
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<title>言葉、音楽。</title>
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<![CDATA[ 音楽は、言葉でありたい。<br><br>人はなにかを話すとき、その方法について意識しない。横隔膜の動き、声帯の形、唇と舌の動きについて考えることなく音を出す。音は単語の選び方から強弱、速度、表情など細部に至って意味を持ち、話者の意図を伝える。受け手はそのほとんどを理解し、自分の意図をこめて言葉を発する。キャッチボールは続いてゆく。<br><br>音楽も同じでありたい。だけどそれについては、あえて詳しく書かない。きっとこの文章の受け手は、僕の表現から意図を読みとってくれる。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/entry-11351748612.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Sep 2012 07:38:53 +0900</pubDate>
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<title>意識の総量について。</title>
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<![CDATA[ 意識には量があり、その総量を増やすこと、ひとつひとつの動作にかける意識の量を減らすことによって演奏は自由自在に近づいてゆく。<br><br>人が自分の演奏に全ての意識を向けるとき、自分の演奏でないものを意識することができない。人が周りに意識を向けるとき、自分の演奏に完全に集中することはできない。<br><br><br><br>ある人が100の意識を持っているとする。彼はそのうち20を周りに、80を自分の演奏に向けている。自らに向けた80のうち四肢のそれぞれに20ずつの意識を向けていて、周りに向けた20のうち5ずつをギター、ベース、ヴォーカル、シンセサイザーの音を聴くことに向けている。<br><br>彼は成長し、たくさんのことを意識することができるようになった。意識の総量が倍になり、また練習によって自らの演奏をあまり意識することなく自然に行えるようになった。<br><br>彼はいま、200の意識を持っている。彼はそのうち80を周りに、120を自分の演奏に向けている。自らに向けた120のうち四肢のそれぞれに30ずつの意識を向けていて、周りに向けた80のうち20ずつをギター、ベース、ヴォーカル、シンセサイザーの音を聴くことに向けている。<br><br>彼はさらに成長し、四肢のそれぞれについて別々に意識することなく、思い描いたフレーズを楽器からそのまま表現することができるようになった。舌の動きや呼吸のしかたを意識することなく言葉を発するように、その手段を意識せずに楽器から音を奏でられるようになった。意識の総量は更に増し、たくさんの音を聴くことができるようになった。<br><br>彼はいま、300の意識を持っている。彼はそのうち180を周りに、120を自分の演奏に向けている。自らは120の意識ですべてを完全に意識し演奏することができる。周りに向けた180のうち40ずつをギタリスト、ベーシスト、ヴォーカリスト、キーボーディストに向け、その音だけでなく表情や体の動きまで意識することができる。20を観客席に向け、その空気を感じとっている。<br><br>もっと僕は上手くなれる。<br><br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/entry-11351741745.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Sep 2012 07:06:39 +0900</pubDate>
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<title>音楽性について。2</title>
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<![CDATA[ 音楽にはその制作者の意図が細部まで込められていてほしいと思っている。たとえ全て打ち込みで楽曲を制作したとしても、名曲は名曲であって然るべきだと思う。グルーヴがどう、後ノリがどうと言う人も多いが、僕自身はそれが意図されたものであって欲しい。<br><br>意図して選んだももの以外のもの、それはすなわち選ばざるを得なかったものだ。個性だとかアレンジだとか、よく言えばそうなるのだろうけれど、前ノリやジャストという選択を吟味していない後ノリは、音楽性というよりはただのクセだと思うのだ。その好き嫌いは勿論あるけれど。<br><br>自らの奏でる音はすべて意図されたものでありたい。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/entry-11351734104.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Sep 2012 06:57:37 +0900</pubDate>
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<title>音楽性について。</title>
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<![CDATA[ 「好き」だけでなく「嫌い」によって自らの音楽性を露にしていくということの重要性について考えている。意図して選ぶだけでなく、意図して捨てることによって表現はより緻密で恣意的なものになるのでは。<br><br>最高の音楽性と、最高の表現力をもって奏でられたものが真の音楽であるべきであると考えている僕にとって、世は好む音楽よりもそうでない音楽で満ち満ちているように思える。それを音楽と呼ぶならばの話ではあるけれど。<br><br>ひとりで文章を書いているとややキザったらしい文になりがちだね。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/entry-11351731500.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Sep 2012 06:50:46 +0900</pubDate>
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<title>初投稿</title>
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<![CDATA[ 他人への発信を目的としない文章を書き留める場が欲しくて、ブログを開設してみることにした。実験的なものであり、いつまで続くかは不明。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/pupupumio/entry-11351729922.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Sep 2012 06:48:18 +0900</pubDate>
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