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<title>天才では無い凡人がクズを嗤う</title>
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<description>書籍・ドラマ・漫画・ゲーム・実体験……。それらを通じて学んだことを基に、現実に蔓延る『クズ』の意見を否定するブログです。</description>
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<title>其の八　『浮気なんて最低だ！そんなのをテレビに出すな！――お前に文句言う権利なんかねーから』</title>
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<![CDATA[ <p>少々――いや、かなり時期を逸した話であるが、いい加減に書くことも底を尽きつつあるので、今年に入って立て続けに騒動になっていた『不倫・浮気』というものについて語ろうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>まず最初に、一部のバカが口にする『浮気は犯罪』という荒唐無稽な発言を訂正しておきましょう。</p><p>犯罪とは<span style="color: rgb(0, 0, 255);">『刑罰が科せられる違法行為』</span>を行って初めて犯罪なのであり、罰則規定の存在しない不倫・浮気は犯罪行為ではありません。不法行為ではあります犯罪では無い。</p><p>これは議論の余地のない絶対的な事実であることを認識しなければなりません。その上で話を進めて行きましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、不倫や浮気が報じられると世間では謝罪を求める声が上がります。</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);">――なんでお前らに謝る必要があるんですかね。</span></span></span></p><p>騒動に関与する当事者の家族や、イメージダウンによって損失を被る企業。</p><p>そんな人たちが謝罪を求めるのは道理に則った行動です。</p><p>しかし、単なる野次馬に過ぎない一介の民衆に対し、何を謝る必要があると言うんでしょう。</p><p>愚昧な大衆の中には理解出来ていない人が多いようですからはっきりと言いましょう。</p><p><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 1.4em;">不倫騒動は当事者間のみの問題であり、野次馬には口を挟む余地など最初から無いんだよ。</span></span></span></p><p>&nbsp;</p><p>不倫とは正しくは『貞操義務違反』にあたり、民法で規制されています。</p><p>貞操義務違反は不法行為にもなりますし、離婚事由にもなります。が、それはあくまで当事者間においての話。当事者が問題視しなければそれで終わる話です。</p><p>単なる野次馬に過ぎない無関係な大衆が、あーだこーだと騒ぐことがそもそも論外なんですよ。</p><p>&nbsp;</p><p>個々人の好き嫌いはもちろん自由ですし、それを口にするのは自由です。</p><p>ですが、中傷や適当な批判、営業妨害にも当たるような発言は認められていません。</p><p>この国の保障する自由は無制限でも無ければ、無責任に保障されるものでもありません。</p><p>単なる不法行為に過ぎない不倫より、何の権利も無いくせに誹謗中傷を繰り返して他人を傷つける行為の方がよっぽど卑しく浅ましい行為であることを自覚して欲しいものだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12158629739.html</link>
<pubDate>Mon, 09 May 2016 17:07:51 +0900</pubDate>
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<title>其の七　『イジメを撲滅する！――そんな世迷言を言っている限り、イジメ問題は解決しない』</title>
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<![CDATA[ <p>イジメを原因とする自殺。</p><p>今年に入ってからもいくつも報じられましたし、報じられない年は無いほどの深刻な問題と言えるでしょう。</p><p>これらの事件が報じられると、マスコミやネット民、一部の有識者ぶった著名人が学校や教師を叩くことに終始します。<span style="color: rgb(255, 0, 0);">――やってることがイジメと同じだという自覚すら無く。</span></p><p>そして連中は決まって口にします。</p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);">「社会からイジメを失くすにはどうしたら良いのか」</span></span>と。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1em;">バカか、お前らは。いや、断言しよう</span><span style="font-size: 1.4em;">。</span></p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 1.4em;">バカだお前らは。</span></span></p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 1.4em;">そんな思考だからイジメ問題は解決の方向にすら向かわない。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">イジメを失くそうなんていう荒唐無稽な考えはさっさと捨てろ。</span></p><p>寧ろ、イジメが全く起こらない子どもの集団は健全に成長していないとさえ言える。</p><p>――何故か、理由は簡単だ。</p><p>人間に最も近しい動物の一種たる猿の群れを見るといい。或いは犬、オオカミの群れを見るといい。群れで生活を営む動物は、『力による上下関係』を築くのが当たり前なんだよ。</p><p>子どもたちが『集団生活を営む』ということを学校で学んでいる以上、その中で力による上下関係の構築は起こって当然のこと。それが健全な成長と言うものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>このような発言をすると、短絡的なバカはすぐに『イジメを肯定するなんて社会の敵だ』などと食って掛かってくる。<span style="font-weight: bold;">――実に愚かで救いがたい連中だ。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">『イジメの発生を容認すること』</span>と<span style="color: rgb(0, 0, 255);">『イジメを放置すること』</span>は全く別。</p><p>この違いが分からない手合いが実に多い。</p><p>&nbsp;</p><p>イジメが何故問題なのか。</p><p>極めて簡単に言えば、犯罪行為に当たるからだ。</p><p>暴行や犯罪教唆、恐喝……etc.</p><p>個々人で誰かを嫌うことは問題にならず、イジメが問題になるのはただ一点。<span style="color: rgb(0, 0, 255);">『犯罪行為に当たるか否か』</span>の違いだ。</p><p>故に、親や教育者たちは集団生活を営む上で遵法意識を持たせる為にイジメを止める責務を有している。</p><p>&nbsp;</p><p>そう、『イジメが起こらないようにする』なんて考えは論外で、<span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);">『当然に起きるイジメを止め、人間社会のルールを教える』</span></span>のが有るべき姿なのだ。</p><p>こんなことは少しでも知恵があれば、誰でも分かることだと言うのに、教育評論家を名乗る有識者面した人間すら気づけない。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもはまだ人間では無く、動物なのだ。</p><p>人間社会のルールが体に染みついておらず、本能が理性に打ち勝つことも珍しくない。</p><p>そんな当たり前のことから目を背けるから、教育者たちから躾ける力を奪い取っていく。イジメを止める力を奪っていく。その癖、責任だけは教育者に押し付ける。</p><p>――貴様らは他人のイジメを語る前に、自分のやっているイジメを止めるべきなんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12157870998.html</link>
<pubDate>Sat, 07 May 2016 14:31:09 +0900</pubDate>
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<title>其の六　『投票率が低い！問題だ！――さて、何が問題なのか詳しく教えてくれたまえ』</title>
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<![CDATA[ <p><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 1.4em;">日本の選挙は投票率が低い。</span></span></span></p><p>少なくともわたしが物心ついた頃には言われていましたから、少なくともかれこれ30年近く言われ続けていることでは無いでしょうか。</p><p>その間、選挙によっては一時的に投票率が高まることもありましたが、総合的に見ると投票率が上がったとは言い難い状況です。</p><p>選挙が近くなれば決まって『選挙に行こう』という呼びかけCMが放送されるようになる有様です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ところで、何故投票率が低いのが問題なのでしょうか。</p><p>問題があるからこそ、政府もメディアも投票率の低さを問題視している筈です。</p><p>ですが『何が問題なのか』を取り上げることは殆どありません。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-size: 1.4em;">――というか、本当に問題なのでしょうか。</span></span></span></p><p>&nbsp;</p><p>この国は民主主義国家です。</p><p>国民が主権を行使する場が選挙なのですから、投票率が高い方がより民意を反映できる。</p><p>それは間違いないでしょう。</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);"><span style="font-weight: bold;">国民が知名度で政治家を選ぶような間抜けの集まりで無ければ……ですが。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>民主政治は<span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);">衆愚政治</span></span>とも呼ばれる諸刃の剣です。</p><p>民衆が愚かであれば、愚かな民衆によって政治は誤った方向へと進んでいく。</p><p>それが民主主義社会。主権の行使というものです。</p><p>政治にかんして何も知らない、それどころか知ろうとすらしない。</p><p>そんな主権者と呼ぶのも憚られる人間が、その場のノリと勢いで投じる一票。</p><p>それがその後数年間に渡って、政治の方向性を決めかねないんです。</p><p>その方がよっぽど恐ろしいことでは無いですか。</p><p>&nbsp;</p><p>投票率が低い。良いことじゃ無いですか。実に歓迎すべきことだ。</p><p>自分の住んでいる国が歩んでいく方向、歩幅、それらを決めることに興味も示さず、我関せずとばかりにのうのうと生きている連中の気まぐれなんて必要ない。</p><p>自分の頭で考え、目の前にぶら下がった人参では無く、その先に続いている道を見て進路を決められる人間だけが票を投じて為政者を選ぶ。――それで良いではありませんか。</p><p>&nbsp;</p><p>この国において、投票率は『低く』あるべきだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12156157063.html</link>
<pubDate>Mon, 02 May 2016 14:35:13 +0900</pubDate>
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<title>其の六　『日本は男尊女卑の文化が根強く女性を差別している！――その思考が無能の証だ』</title>
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<![CDATA[ <p>男女平等という言葉が叫ばれるようになってどれほど経ったでしょう。</p><p>政府もさまざまな政策で女性の社会進出を後押ししてきました。</p><p>しかし、世界経済フォーラムによれば、日本の男女格差は世界145か国中101位と発展途上国並みだそうです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-size: 1.96em;">実に喜ばしいことでは無いですか。</span></span></span></p><p><span style="font-weight: bold;">男女平等などと言うバカげた世論に惑わされていないという証拠です。</span></p><p>&nbsp;</p><p>このフォーラムで集計している男女格差とは、管理職の数や給料の総和などを考慮している訳ですが、そんなものは男女差別と何の関係も無い。</p><p>確かに男女の間で『権利の有無』に関して違いがあれば男女差別と言えるだろう。</p><p>かつての日本では『家を守る女性は勉強をする意味が無い』と勉学の自由を制限されていました。これは紛れも無く男女差別であり問題だ。だからこそ現代の日本では解消されているんです。</p><p>同フォーラムにおいても<span style="color: rgb(0, 0, 0);">、</span><span style="color: rgb(0, 0, 255);">『教育・法・制度上の男女差は少ない』</span>とされています。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="text-decoration: underline;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);">そう、本来男女差別にあたるかどうかは『教育・法・制度上の男女差』の話で有る筈です。</span></span></p><p>結果の平等まで約束するものは、最早平等では無く単なる特権に過ぎない。</p><p>&nbsp;</p><p>同じ人間とは言え男と女は身体の構造からして異なる生き物です。</p><p>無論個人差はあるものの、生物としての特徴は紛れも無く存在するんです。</p><p>それを考慮することは『差別』なのでしょうか。</p><p>――いいえ、違います。それが差別である筈がありません。</p><p>新卒で面接に来た二人。</p><p>Ａさんは無名の私大卒。Ｂさんは東大卒。学歴で判断することが差別ですか？</p><p>いいえ違います。学歴が全てではありませんが、重要な判断要素の一つです。</p><p>『性別』もそれと同じです。性別から判断できる『傾向的な特徴』を判断材料にして一体何が悪いと言うんでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>海外では女性が社会進出しており、管理職になったり経営者になっている現実も確かに存在します。――だから何だ。</p><p>彼女らは他の男たちに負けないだけの努力を重ねてきた結果です。</p><p>感情的になってヒステリーを起こすのではなく仲間を束ね、その中で結果を出してきたからこそ評価されたんです。</p><p>『女性だから評価されない』などと喚くのであれば、その前に社内トップの業績を叩き出しなさい。それでも評価されなければ辞めて起業すればいい。管理職に足るだけの能力が本当に有るのなら問題ない筈でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>日本で『女性差別』と喚いている連中の殆どは、単なる『適材適所』に過ぎません。</p><p>自分が評価されない理由を理解出来ず、『女性だから評価されないのだ』と言い訳しているに過ぎません。</p><p>はっきり言って差し上げましょう。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 1.96em;">自分が評価されない理由も分からないほど『無能』だから評価されないんだよ。</span></span></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>教育・法・制度上の男女差が存在するのであれば、それは是正すべき問題です。</p><p>しかし、権利の保証は結果の保証でも無ければ、負け犬の言い訳道具でも無い。</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12154527850.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Apr 2016 17:36:00 +0900</pubDate>
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<title>其の五　『火事場泥棒は弱者を食い物にしている！――当然だ、それが社会というものだ』</title>
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<![CDATA[ <p>熊本地震も沈静化……とは言わないまでも、本震直後の混乱からは回復。</p><p>まだ油断は出来ないものの立ち直りの兆しを見せ始めた頃と言えるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>そこで聞こえてくる声がちらほら。</p><p><span style="color: rgb(255, 0, 0);">『被災地で火事場泥棒を働くような連中はなんて酷いんだ』</span>という声。</p><p>今回の地震に限った話では無く、かつての震災の時にも必ず盗みを働く人間がおり、それを殊更に非難する声が上がりました。</p><p>&nbsp;</p><p>何を寝ぼけたことを言っているんでしょう。これが平和に飼い殺された国民というものですよ。</p><p>当然のことながら一応断りを入れておくと、火事場泥棒を肯定している訳ではありません。</p><p>被災地で起ころうと、平常時の都心で起ころうと『窃盗は窃盗である』と言っているに過ぎません。よって、以後の話においては『窃盗の違法性』に関しては言及しませんが悪しからず。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、大衆が主張する『被災者を狙うなんて酷い』という言葉は何を示しているのでしょう。</p><p>よく聞く声としては<span style="color: rgb(255, 0, 0);">『被災して弱っている人間に、更に追い打ちをかけるような仕打ちは悪逆非道である』</span>と言うもの。要するに『弱者を食い物にする』という行為が非難を受ける最大の理由だそうです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-size: 1.4em;">くだらない。実にくだらない批判だ。</span></span></span></p><p>如何にも寝ぼけた大衆らしい薄っぺらい綺麗事だ。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">ケース１：医者</span></p><p>病に侵されて弱っている人間がいる。医者はその人間から金銭を得る代わりに病を治す。</p><p>これが『弱者を食い物にする』行為でなくてなんだと言うのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">ケース２：健康器具・サプリ類</span></p><p>健康に悩みながらも摂生や運動はしたくない。そんな心の弱い人間に囁きかけるんです。これを使えば簡単に健康な体が手に入る……と。これが『弱者を食い物にする』行為でなくてなんだと言うのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>程度の大小こそあれ、この社会において『弱者を食い物にして成り立っているもの』なんて掃いて捨てるほどあるんですよ。何故ならそれが健全な社会だから。</p><p>弱者は強者の糧になる。極めて単純明快な自然の摂理そのものではありませんか。</p><p>ライオンが獲物を狩る時に『あの鹿は怪我して可哀想だから襲うのを止めよう』なんて思いますか？</p><p>寧ろ好機であると考え嬉々として狙いを定めるでしょう。</p><p>それが摂理です。それこそ自然の姿なんです。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、改めて問いましょう。</p><p>『被災地における火事場泥棒』を特別視し、殊更に他の窃盗と区別して批判する正当な言い分とは何でしょうか。</p><p>――そんなものは無いんですよ。単なる印象に過ぎません。</p><p>&nbsp;</p><p>道徳などと言う絵空事で誤魔化し、人の心なんていう曖昧なものに頼らなければ説明も出来ないようなものは、単なる個人の好悪に過ぎません。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12153833245.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Apr 2016 11:43:05 +0900</pubDate>
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<title>其の四　『裁判員制度で国民感情が取り入れられるようになった！――無知の極みだな』</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-weight: bold;">裁判員制度。</span></p><p>２００９年より施行され、一部の刑事訴訟に限定されるものの一般人が『裁く立場』として裁判に参加するようになりました。思い守秘義務や会社を休まなければならない負担、痛ましい資料の閲覧など色々な問題を抱えながらも、数年間機能してきている制度です。</p><p>裁判員制度では従来の裁判よりも厳罰に処する傾向があると統計的にも明らかになっており、まさに市民感情が司法へ流れ込んでいると言えるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしながら、そういった判決の中には『判例に反した判決であり不当』として高裁以降で覆るものも少なくありません。</p><p>そんな時に必ず上がる世間の声は決まってこうです。</p><p><span style="color: rgb(255, 0, 0);">『裁判員制度は国民感情を裁判に取り入れる為の制度だろ！』</span></p><p><span style="color: rgb(255, 0, 0);">『頭でっかちな裁判官では正しい判決が出来ないから裁判員制度を導入したのに無意味だ！』</span></p><p>&nbsp;</p><p>――実にバカバカしい。</p><p>無知とはかくも罪深いものなのだと痛感する、荒唐無稽な言い分です。</p><p>しかしながら大衆は本気でこのように喚いている。実に救いがたいバカです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">『この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に<span style="text-decoration: underline;">刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する</span>ことにかんがみ（以下略）』</span></p><p>これは通称裁判員法に明記された法律の趣旨です。省略した部分は『法律を定める』ということを長ったらしく書いているだけで本旨とは無関係な為に割愛しました。</p><p>どこにも『国民感情を反映させる目的』なんて書いていないことが一目瞭然でしょう。</p><p>声を大にして言いましょう。</p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 1.4em;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);">裁判員制度は国民感情を司法に持ち込む為の制度では無い。</span></span></span></p><p>&nbsp;</p><p>では何の為に導入された制度なのか。</p><p>先ほど引用した趣旨に記載されている通りです。</p><p>裁判に国民代表を取り入れることで、判決に対して国民の理解を得ようという思惑です。</p><p>&nbsp;</p><p>司法の下す判決と国民感情が乖離している。</p><p>確かにメディアでも多く報じられていることですし、実感している人も多いでしょう。</p><p>当然です。乖離して当然なのですから。</p><p>司法は<span style="color: rgb(0, 0, 255);">『法に則り、感情論を排して判決を下す』</span></p><p>国民は<span style="color: rgb(0, 0, 255);">『法を無視して感情の赴くままに判決を望む』</span></p><p>両者が一致する訳が無い。乖離するべくして乖離しているんです。</p><p>国民感情からかけ離れているというのは、非難されるべきことでは無く、寧ろ正しいことだとさえ言えるんです。</p><p>&nbsp;</p><p>ならば裁判員制度に意味などあるのか。</p><p>国民がバカで無ければ意味など無いでしょう。</p><p>この国の民衆が理性的で、法治というものを正しく理解し、正常に機能している司法を否定するような愚か者の集団で無ければ裁判員制度なんて不要なんです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>国民感情と言う暴力を司法の中に持ち込もうとする愚者に対して告げたい。</p><p>人間は神では無い。故に、人が人を裁くなど許されるべき行為では無い。</p><p>故に人は『法』を作り、『法』が人に成り代わって人を裁くのだ。</p><p>感情を排し法と証拠に拠ってのみ人を裁く。それが横暴な圧政に苦しみながらも人類が生み出した『法治国家』というものなのだ。</p><p>一時の感情に流されるのは法治の終焉なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>わたしが尊敬してやまない架空の人物。古美門研介弁護士の言葉を少々変えておくらせて頂こう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12153758331.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Apr 2016 11:23:15 +0900</pubDate>
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<title>其の三　『殺人犯が数年で出所。そんな裁判じゃ浮かばれない！――寝言は寝てから言え』</title>
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<![CDATA[ <p>前回述べた通り、『有罪判決が下った』場合の話をしましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>日本の場合、殺人罪を犯したところで容易に死刑判決が出ないことは承知のことでしょう。</p><p>明確な基準がある訳ではありませんが、人数であったり、動機、計画性、残虐性、等々あらゆる事情が考慮された上で、死刑なのか或いは有期刑なのかを判断する訳です。</p><p>&nbsp;</p><p>するとこの国には、こんなことを喚く人たちがいます。</p><p><span style="color: rgb(255, 0, 0);">『何人も殺しているのに10年程度で野放しなんて、死んだ被害者や遺族が可哀相だ』</span>と。</p><p>&nbsp;</p><p>――寝言は寝てから言って欲しいものです。実に的を外した滑稽な意見だ。</p><p>彼ら、或いは彼女らは、『死刑』をいったい何だと思っているのでしょうか。</p><p>連中のピンポン玉程度の脳みそでは、『刑罰』と『私刑』の区別さえ満足にできていないんです。</p><p>&nbsp;</p><p>いいですか、この際にハッキリと言っておきましょう。</p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-size: 1.4em;">『刑罰は被害者や遺族の為に執行されるのではない！』</span></span></span></p><p>&nbsp;</p><p>未だにこの基本すら理解出来ずに御託を並べる手合いが実に多い。</p><p>そしてそういう手合いに限って、此方が『根拠』で説明しても受け入れようとせず、個人的主観に基づいた感情論で喚きたてるしか能が無い落ちこぼれなのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>まず刑罰――というか刑事訴訟（犯罪を裁く裁判）が被害者の為に行われる訳でない根拠は実に単純明快である。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);"><span style="text-decoration: underline;">１．そもそも被害者には訴える権利が無い。</span></span></p><p>基本にして根源と言えるだろう。そもそも訴える権利すら存在していないのに、被害者の為である訳が無い。だから被害者の意志に反して刑事訴訟が起きることもあれば、被害者の意志に反して起訴されないこともある。この国で刑事訴訟を起こすのは被害者では無く『検察』だ。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);"><span style="text-decoration: underline;">２．被害者参加が認められたのが極めて最近のこと。</span></span></p><p>日本には『被害者参加制度』と呼ばれる制度があり、これによって被害者は自ら裁判に参加することが出来るようになった。</p><p>逆に言えば、この法律が施行された2008年以前は『被害者は裁判に参加出来なかった』と言うことだ。被害者の為に行われる裁判ならば、当然ながらそのような措置はあり得ない。</p><p>そして今なお、この制度は『法の下の平等を破壊し、裁判がただの被害者の鬱憤晴らしの場になってしまう』という理由で問題視されている。</p><p>それが問題視される時点で『裁判は被害者の鬱憤を晴らす為のものでは無い』ということだ。</p><p>&nbsp;</p><p>これで裁判や法律に関して素人であっても理解出来るでしょう。</p><p>『刑事訴訟、そしてそこで下る刑罰は被害者の為に行われるのではない』と。</p><p>&nbsp;</p><p>まだ釈然としない人にいいことを教えてさしあげましょう。</p><p>別に納得する必要はありません。何故なら、<span style="color: rgb(0, 0, 0);">そもそも</span><span style="color: rgb(255, 0, 0);">君の納得など求めていない</span><span style="color: rgb(0, 0, 0);">のだから。</span></p><p>これは法律によって定められた純然たるルールであり、求めるのは理解することだけです。</p><p>&nbsp;</p><p>刑事事件の裁判とは『国』と『被告人』が法律に則って審議し、法律の定めに従って解決することであり、被害者だの被害者遺族だのという存在は『二の次』だということをしっかり頭に叩き込め。繰り返すが『納得』など求めていない。ルールを理解しろ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それがどうしても納得いかない。そんなの不正義だ。そう思うのは勝手だ。</p><p>ならば『立法者』になって自ら法を変えればいい。それが民主主義国家というものだ。</p><p>法律自体が変われば、司法はそれに従って粛々と機能していくだけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そう――ここが愚昧な人間の大きな間違い。</p><p>文句を言う場所が根本的に違っている。</p><p>よく物事を理解せず感情のままに喚くしか出来ない愚民には『何が問題なのか』ということさえ理解する力が無いのだ。</p><p>司法の結果が不満なら『法律』を改正すべきなのだ。</p><p><span style="font-size: 0.83em;">（無論、司法の判断や法解釈に問題がある場合はその限りでは無いが、そんな例は極めて少ない。――無いとは言わないが）</span></p><p>&nbsp;</p><p>発情期の猫じゃないんだから、無駄に喚くのではなく『現実』に目を向けることをお勧めする。</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12153145167.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Apr 2016 15:13:03 +0900</pubDate>
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<title>其の二　『日本の法律は加害者に甘い？　だから何だと言うのか』</title>
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<![CDATA[ <p>本来はこの話題を一回目に持ってこようと思っていたのだが、</p><p>日本で生活をしていれば一度くらいは耳にしたことがあるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight: bold;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-size: 1.4em;">『日本の法律は加害者ばかり甘やかしている』</span></span></span>という言葉。</p><p>&nbsp;</p><p>だから何だと言うんだ、アホらしい。</p><p>冷徹にもそう告げると、顔を真っ赤にして善人ぶったクズたちはこう喚くだろう。</p><p>「犯罪者を取り締まってこそ法律だ」</p><p>「被害者の気持ちを踏みにじるのか」……etc.</p><p>――実にくだらん。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、ここで少しばかり歴史を振り返ってみよう。</p><p>中世ヨーロッパ。か弱く無力な女性たちの多くが命を奪われた。</p><p>重い鉄を抱かされ、水瓶の中に沈められたのだ。</p><p>浮かんでくれば魔女だから殺せ。沈んで死んだら人間だから安心だ、と。</p><p>魔女裁判と呼ばれる、民衆によって殺された者たちだ。</p><p>&nbsp;</p><p>或いは王侯貴族の治める領地内。</p><p>反逆の疑いを掛けられた領民は捕らえられ、幾日にも渡る拷問を受け、やってもいないことを認めさせられた挙句に磔にされる。権力者によって殺された者たちだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな歴史を歩んできた人類は、ある時立ち上がる。</p><p>こんな不当な裁きを受けるのはおかしい。</p><p>疑わしいだけで拷問を受け、その挙句に殺されるなんておかしい。</p><p>弁明の余地すら与えられずに殺されるなんて納得いかない。</p><p>同じことをしたのにあいつは無罪で俺は死刑なんて納得できるか。</p><p>彼らは立ち上がり権力者を打ち倒し、自分たちを不当な力から守るべく『法』を生み出したのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ここまで述べれば、少しでも頭に血の廻る人は気付くのではないだろうか。</p><p>法が<span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 1.4em;"><span style="color: rgb(255, 0, 0);">『そもそも被告人を守る為に生まれたものなのだ』</span></span></span>という事実に。</p><p>時の権力者や暴走する民衆の魔の手から被告人を守る為の堅牢な盾。それが法なのだと。</p><p>&nbsp;</p><p>黙秘する権利、弁護士を依頼する権利、推定無罪の原則、一事不再理、法の下の平等、罪刑法定主義……etc.</p><p>確かに日本の司法は加害者――正確には『被告人』に有利な制度が多い。当然だ。</p><p>犯罪を行ったから被告人になる訳では無い。被告人は犯人とは限らないのだから。</p><p>この国にいる人間は誰でも、いつだって被告人として裁かれる立場になり得るのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>『日本の法律は加害者に甘い』なんて言っている連中は、いざ自分が被告人席に立たされた時、初めて気づくことだろう。</p><p>『罪を犯したかどうかさえ不確かなんだから、きちんと守ってあげるべきだ』という思いやりによって築き上げられた法のありがたみに。</p><p>&nbsp;</p><p>次は、『被告人』という立場からもう一歩進んだ先、『有罪となった者の刑の重さ』について語ろうと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12152084635.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Apr 2016 10:51:39 +0900</pubDate>
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<title>其の一　『善意？　そんなものは偽善にも劣るただのゴミだ』</title>
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<![CDATA[ <p>私の住む大分県も無関係では無い、平成28年熊本地震。</p><p>折角の機会なのでこれにも関係する話を、一回目の話題にしようと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて、『善意』とは何だろう。<span style="font-size: 0.83em;">（念のために断わっておくが、法律用語の『善意』では無い）</span></p><p>答えは実に簡単。それは<span style="color: rgb(255, 0, 0);">『単なる自己満足』</span>だ。何の役にも立たない。</p><p>排泄物ですら肥料に使えるというのに、この『善意』というやつはそれすら出来ない、正真正銘の役立たずだ。</p><p>&nbsp;</p><p>きっと諸君らの中には『そんなことは無い。善意は素晴らしいものだ』と主張する心優しい人間もいることだろう。</p><p>――実にくだらない。クズの典型例のような連中だ。</p><p>&nbsp;</p><p>例①</p><p>災害にあって熊本が大変だ。そう感じたAさんは純粋な善意から自ら車を持ち出し、支援物資を積み、辛うじて繋がっていた道路を車で走行していました。</p><p>しかし、熊本に入るかどうかの頃、Aさんは不注意で事故を起こしてしまい車は横転。熊本と外部を辛うじて繋いでいた道路を見事に塞いでしまいました。結果、多くの支援物資は熊本に届けられなくなってしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>例②</p><p>災害にあって熊本が大変だ。そう感じた漁師のBさんは、自分に出来るのは新鮮な魚を送ることだと思い込み、熊本県庁に大量の鮮魚を送りました。しかし、熊本県庁は今、大手企業が提供してくれた水やパンと言った生活必需品を捌くので手一杯。結局、大量の鮮魚は痛んでしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>何が言いたいのか、少しでも頭に血の廻っている人間ならば理解出来るでしょう。</p><p>『相手の利』という結果が伴わない善意など、何の役にも立たないのだ。</p><p>有難迷惑、大きなお世話、百害あって一利なし。</p><p>偽善だろうが売名行為だろうが悪徳商法だろうが、それが結果として相手の利益に繋がるのならそれは『意味のある行為』だが、どれほど高尚な善意に基づいた行動だろうと、それが相手にとって迷惑にしかならないことは往々にしてあるのだ。</p><p>相手が危機的状況であればあるほど、大事なのは気持ちや思惑では無く、『結果』なのだと言うことを理解すべきである。</p><p>&nbsp;</p><p>そこに思考が廻らない。指摘されれば『人の好意・善意に対して無礼だ』などと逆切れする。</p><p>それが『善意』という馬の糞にも劣る役立たずを賞賛するクズ共の言い分です。</p><p>そんな馴れ合いは平和な時、誰も困っていない時に勝手にやっていればいい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>かつての災害の時もそうだった。</p><p>善意と言う名のもと送られる千羽鶴や古着と言った『ゴミ』</p><p>誰も求めていないものを送り付け、それで自分は良いことをしたつもりになって浮かれている。これを自己満足と呼ばずになんと呼べばいいんでしょう。</p><p>敢えて下品な言い方をするなら、そんなものは自己の快楽のみを求めた自慰行為に過ぎない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>真に善意を持っているのであれば、短絡的な善意など捨てるべきだ。</p><p>現実に相手に利益を与えることが出来るのかどうか。そんな初歩の初歩すら考えることの出来ないような連中の、何の意味も無い善意になど一銭の価値も存在しない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12151834371.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Apr 2016 15:54:59 +0900</pubDate>
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<title>其の零　まずはご挨拶</title>
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<![CDATA[ <p>この度は、当ブログ<span style="color: rgb(255, 0, 0);">『天才では無い凡人がクズを嗤う』</span>を閲覧して頂き感謝いたします。</p><p>&nbsp;</p><p>タイトルにも冠している通り、私は天才ではありません。</p><p>世界を真に動かしているのは常に一握りの天才でありますが、誠に残念ながら私にその才は御座いません。至って平凡な才の持ち主に過ぎません。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしながら、私はこの国の大衆の多くを見下し、嘲り、侮蔑し、心の底から愚かしく滑稽な生き物であると嗤っております。平凡な才しか持たないこの私が……です。</p><p>&nbsp;</p><p>要はそれだけこの国には<span style="font-weight: bold;">『凡人にも著しく劣るクズ』</span>が多いということです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>前もって断っておきますが、学歴の有無や資産の有無、知識の深さや秀でた才能の有無などでクズかどうかを判断しているのではありません。</p><p>私がクズと見下す人間の中にも、特定の分野では私より遥かに深い知識を有している人間もいるでしょうし、スポーツやユーモアなど、私には到底真似することの出来ない才能を有している人間もいるでしょう。</p><p>如何にクズと見下していても、それらの才覚や知識には相応の賞賛もしましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>私の言うクズとは、感情論と理性の区別を付けられない『動物』と大差ない生き物や、目先の正義感に捉われるような愚昧な人間、そして口先ばかりが一人前で自ら為そうとしない連中のことです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>人間とは理性を持ち、知性を持ち、初めて人間足り得る存在です。</p><p>理性も知性も無い者は単なる動物に過ぎません。そういうクズを嗤い、事実を語る。</p><p>それがここ<span style="color: rgb(255, 0, 0);">『天才では無い凡人がクズを嗤う』</span>です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/qoo-low/entry-12151826167.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Apr 2016 15:23:04 +0900</pubDate>
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