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<title>高校生のための常識チェックブック</title>
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<description>高校生のための常識チェックブック</description>
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<title>北極振動とは</title>
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<![CDATA[ 寒波が到来し、アメリカや日本でも寒い日が続いていますが、これは北極振動が原因といわれています。<br><br>北極振動とは「北極圏」とそれを取り巻く「中緯度帯の気圧場」の振動をいいます。地震のように地面が振動しているのではなく、気圧が高低するので「振動」といっています。<br><br>北極が低気圧に覆われると、その影響で周囲が相対的に高気圧になります。そこに気圧差が生じ、空気の流れが起こります。それがジェット気流（偏西風）に影響を与え気象にさまざまな影響を与えるというわけです。<br><br>たとえば北極の気圧が平年よりも低い時には、これを「北極振動指数が正」といいますが、この指数が正の時は北極と中緯度の気圧差が大きくなり、その結果「北極」を取り巻く寒帯ジェット気流が強くなります。そのため北極からの寒気の南下が抑えられ中緯度の地域は暖冬になります。<br><br>※空気は高気圧から低気圧に移動する性質があるため<br><br>逆に北極振動指数が負の時はジェット気流が弱くなるため北極からの寒気の南下し厳寒の冬となります。<br><br>異常気象といえば、低緯度（赤道付近）のエルニーニョが有名ですが、高緯度に起こるこの北極振動も気象に大きな影響を与えていることが最近になってわかってきました。特に日本は振動の対象となる中緯度に位置するため、この北極振動の影響を受けやすくなっています。<br><br>北極振動が変化する要因の1つとして太陽活動との関連が知られています。地球温暖化というと、二酸化炭素の放出ばかり取り沙汰されますが、こういった太陽活動も含めた大きな力が働いていることを認識すべきでしょう。
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<link>https://ameblo.jp/qtxdfhfth/entry-10474170910.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 15:41:28 +0900</pubDate>
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<title>常識家 か</title>
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<![CDATA[  [common senseの訳語] 健全な社会人なら持っているはずの(ことが要求される)、ごく普通の知識・判断力。～(中略)～ －論[=一応視野が広くて首肯出来るように見えるが、専門的見地からすると成立しないと思われる考え(方)]<br> 【常識家 か】常識を備えている人。[ひらめきを有しない人や、冒険をしない平凡な人の意にも用いられる]<br><br>だそうです。「健全な社会人」とか「ごく普通の」とか「専門的見地からすると成立しないと思われる考え」とか、なんだかよくわからないけど、勝手に決め付けを行っているあたりが新明解の新明解たる所以だったりするわけですが、でも、もっとすごい解釈をしてくれるか、と期待した割にはいまいちでした。<br><br>さて、別に「常識」という言葉が辞書でどういうふうに解説されているか、というのを調べるのが今回のテーマでは、もちろんありません。<br>世の中にはこの「常識」と言う言葉、とにかくやたら使いたがる人が結構いますね。仕事の上でも、やたら「常識」「常識」言う輩、嫌と言うほど目に付くわけですが、<br>「○○するときには、△△に決まってるだろ? そんなの常識だよ。何考えてるんだ、オマエは?」<br>なとど言われて、<br>「どうして、△△が常識なんですか?」<br>などと尋ねても、<br>「ばかやろー、常識だから常識だ、って言ってんだよ。『○○には△△』これは常識なんだよ。いいから、つべこべ言わずにやれ!」<br>などと言うことになって、「はあ、そうですか。『常識だから常識』なんですね、はいはい」ということになるわけです。<br>自分の主義やら主張やら要求やらを、強引に相手に押し付けたい場合なんかに便利ですよね、「常識」って言葉。理由も明らかにせず(出来ず)とも「そんなの常識」と言ってしまえばそれで済む。いや、便利な言葉ですね、「常識」。<br><br>先日、某社で作られた、とてもとても読みづらいCのプログラムを見る羽目になったのですが、何が読みづらいかと言って、訳の分からないコーディング規則に則って作られているからなんですね。<br>実際にそのコーディングルールは目にしてないので推測ですが、変なところを挙げてみると、<br><br>    * 関数名、変数名は全部大文字(と数字)。<br>    * 関数名は、(よく噂には聞く)プロジェクトコードやらファイル名やら通し番号やらを組み合わせた意味不明なもの ←命名規則を解析してみようと試みたけど途中で挫折しました。<br>    * 内部変数名は、関数管理番号(関数名とは別に番号が振られている、関数を一つ作るごとに台帳に登録する仕組みらしい)と通し番号の組み合わせ ←内部変数を使ってもいいらしい、ということだけでもまだマシという話もありますが…。<br>    * もちろん構造体の名前も、そのメンバ名も、コードやら通し番号から成り立っていて、いったい何の構造体の何のメンバだか分からない。しかもそこのファイルでしか使わない(使うことはありえない)構造体も、全てヘッダに登録。どうやら、「構造体を作った場合は必ず、台帳に登録して通し番号を取得、ヘッダファイルに入れる」というような規則があるらしい。 
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<link>https://ameblo.jp/qtxdfhfth/entry-10474170060.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 15:40:11 +0900</pubDate>
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<title>超伝導の発見</title>
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<![CDATA[ 超伝導の発見は、液体ヘリウムの発明によるところが大きい。液体ヘリウムはマイナス２６９℃ですが、この液体ヘリウムを寒剤として水銀を冷やしたところ、ある温度において電気抵抗が突然ゼロとなる超電導現象が発見されたのです。１９１１年のことです。<br><br>その後多くの金属や合金にもこの現象がみられ、超伝導は一般的な性質であることがわかりました。このような現象を超伝導と呼び、超伝導となる物質を超伝導体と呼びます。物質を冷やしていったときの超伝導となる温度を転移点といいますが、これは物質によってまちまちですが、大体が数K（ケルビン：華氏ではない）の程度となっています。これに対し１９８６年以後発見された銅酸化物の超伝導体の転移点はかなり高く１００K以上のものもありました。このような転移点の高い超伝導体を高温超伝導体と呼んでいます。高温といってもマイナス１７０℃ではあるのですが。<br><br>超伝導の大きな特徴とあげられるのが電気抵抗がゼロになるということです。抵抗がゼロであるということは超伝導体で輪を作り、そこに電気を流すと電流は減衰することなくいつまでも同じ力で流れつづけることになります。電気を閉じ込めればその中でずーっと回り続けるということです。電磁石なのに永久磁石が作れるということです。実験によれば１年くらい回り続けても減衰しなかったという結果があります。<br><br>また電気抵抗がないということは、そこに大電流を流しても発熱することなく流れるということ、つまりエネルギーロスがないということです。電気抵抗があった場合大電流を流したら大変な熱が発生します。それがないということは大電流を流しても安全かつ管理も楽で、大きな力を持った磁石ができるということになります。リニアモーターカーなど大きな物体を浮上させるには相当なエネルギーが必要ですが、ロスの無い超伝導は最適というわけです。<br><br>欠点もあります。超伝導は超伝導が起こる温度では電気抵抗も無く安定して動作しますが、その温度管理システムが壊れたとき、つまり温度が高くなってしまったときは電気抵抗が生じ、それに伴い大電流による大発熱が起こります。これは相当危険なことです。こういった事故を予防する技術も平行して研究を進める必要がある。それが超伝導です。
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<link>https://ameblo.jp/qtxdfhfth/entry-10474169470.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 15:39:16 +0900</pubDate>
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<title>判断の基準</title>
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<![CDATA[ 人が判断をするときには、なにか基準や根拠になるものが必要なはずです。それがハッキリしない場合に使うごまかしの言葉が「常識」だ、というものです。<br><br>判断の基準や根拠が明確な場合には、「～から考えて、こうしたほうがいい」とか「～だから、こうしなさい」と言えば簡単です。でもこの場合、話し手にとって、面倒な問題が生じてきます。<br>判断の基準や根拠について、その正しさを証明しなければならないからです。<br>相手から、自分の判断の基準や根拠を批判され、反論された場合、その批判や反論に対し、さらに反論し返さなければなりません。よほどしっかりした基準や根拠がないと、「水掛け論」になってしまいます。<br><br>結局、「常識」という言葉は、相手の批判や反論を封じ込めるための「魔法の呪文」だと考えると、とてもわかりやすいでしょう。<br>自分の判断に自信がない人にとって、うってつけの言葉なわけです。<br><br>先ほどの例を見てみましょう。<br>どれも、実際にそう言われた場合、反論しにくいのがよくわかります。特に、ａ、ｂ、ｃ、ｆ、ｇの例のように、上の立場の人が、下の立場の人に対して発言する場合には、これほど便利な言葉はありません。判断の基準や根拠を、まったく考えなくていいのです。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/qtxdfhfth/entry-10474168957.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 15:37:57 +0900</pubDate>
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<title>「常識」というのは</title>
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<![CDATA[ 　世の中には、誰もが使っていながら、実はよくわからない「言葉」というものがあります。<br>　その代表は、「常識」という言葉でしょう。<br>　「常識」というのは、ふつう、「誰もが知っていて当たり前のこと」という意味で使われています。専門的ではない、一般的な知識だといいかえてもいいでしょう。<br>　しかし、「常識」について考え出すと、不思議なことがたくさん出てきます。<br><br>　少し例をあげてみましょう。<br><br>　「おまえ、そんなことも知らないのか。なんて、常識のないやつだ」・・・ ａ<br>　「もっと、常識をわきまえなさい」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ｂ<br>　「そんなこと、あるわけがない。常識に反している」・・・・・・・・・・・・・・・ ｃ<br>　「常識的に考えて、これが一番いいでしょう」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ｄ<br>　「常識からすれば、あなたの言う通りでしょう」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ｅ<br>　「アメリカでは違うかもしれないが、日本では常識だ」・・・・・・・・・・・・・・ ｆ<br>　「この業界では、常識なのだ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ｇ<br>　「みなさんには違うかもしれませんが、私にとっては常識です」・・・・・・・ ｈ<br>　「昔と違って、今では、もう、常識でしょう」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ｉ<br><br>　ａ、ｂは、やはり、誰もが持っている、または持っているべき知識であることがわかります。また、「常識」を持っていることが、社会人として、一人前と認められる条件であることもわかります。<br>　ｃ、ｄ、ｅは、共通の判断の基準として、用いられています。<br>　しかし、ｆ以後は、その「常識」の通用する範囲が限定されています。<br>　ｈでは、「常識」とはいいながらも、個人にしか通用しません。<br>　ｉでは、「常識」が時間とともに変化することを示しています。<br>　これはいったい、どうしたことでしょう。<br><br>　もう少し、掘り下げてみましょう。<br>　「常識」とは、一般的であって、専門的ではないはずなのですが、その通用する範囲が限定されることもあります。つまり、専門的なこともあるわけです。<br>　とてもおかしなことだと思いませんか？
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<link>https://ameblo.jp/qtxdfhfth/entry-10474168047.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 15:36:34 +0900</pubDate>
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<title>西欧に於ける常識の概念</title>
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<![CDATA[ 西欧に於ける常識の概念はアリストテレスの『霊魂論』に見える共通感覚（希：κοινή αἴσθησις コイネー・アイステーシス、羅：Sensus Communis センスス・コムニス)の概念に由来する。<br><br>アリストテレスは五感に共通的なもうひとつの感覚があって、これが、個別の感覚器官に限定されない知覚を可能にし、それを統合していると考え、これを共通感覚と呼んだ。具体的には、感覚の間の比較、関係づけ、個別の感覚だけには属さない抽象的な性質である、形、大きさ、数などがその対象であると考えられた。<br><br>ついで、自然法思想の起源をなし、「自然の光」に照らされた理性的判断は「万人の合意 consensus omnium」をもたらすと説いたストア派から、Sensus Communis には現在に通じる、人々の間で共通する感覚・判断という意味合いが発生した。とくに、それをうけて、キケロに代表される修辞学の伝統においては、この意味における Sensus Communis が重視された。<br><br>13世紀のトマス・アクィナスはアリストテレスの意味での共通感覚の規定を受け継いで、彼自身の認識論をより詳細に展開させ、スコラ哲学はそれを受け継いだ。<br><br>17世紀のヴィーコやシャフツベリ伯によって、人々の共通の感覚という意味での常識は哲学的に主題化された。<br><br>イギリス経験論、およびスコットランド常識学派において、人々が共有する本能的で（健全な）判断能力という意味での常識の概念は重要な位置を占めた。トーマス・リードはその常識の観念を提示するに当たって、しばしばキケロの Sensus Communis を引用している。<br><br>カントにおいては Sensus Communis は「共同体感覚」という意味合いで規定され、感性的なものの普遍性・伝達可能性を支えるものとされている。<br><br>歴史的には、トマス・ペインのパンフレットコモン・センスが共和主義的アジテーションにおいて常識の概念を中核に据えたことが有名である。
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<link>https://ameblo.jp/qtxdfhfth/entry-10474165561.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 15:22:52 +0900</pubDate>
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