◆雨要思考◆ https://ameblo.jp/rainman2009/ 小野道風が雨蛙に出会った。あめいりしこう。 ja-jp つぶやき https://ameblo.jp/rainman2009/entry-11093356396.html 最近ツイッターでつぶやいてみたこと。http://twitter.com/#!/rainman_daisuke 旅人から旅人へ、読み終わった文庫本(小説)が手渡しで回ったりする。そして、最後のページには読み終わった日付と町の名前が書いてあったりするんだ。なかには、自分なんかじゃ太刀打ちできないコースで旅してる文庫本もあった。旅してるのは人だけじゃないんだよな。10年以上前に、ネパールのポカラという町に、日本から郵送してもらって「キン肉マン」の単行本全巻を寄付したのだが、今もどこかにあるだろうか。 2011-11-30T07:50:30+09:00 10年目の旅 https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10779252143.html 2011年だ。rainmanは、長期に渡り続けた放浪を終え2001年6月に日本に戻ったあと、すぐにメンバーを探し始めたので、活動10年目に突入したことになる。ちなみに初ライブは2002年の1月15日で、CD出したのが2003年の5月なので、ライブ活動し始めてからだと9年目、CDデビューしてからだと8年目って感じ。まぁ俺の場合は結成しようって決めた日が活動開始日だと思ってるので、10年やったってことでOKだろう。俺の心の中で「やろう」って決めて、当たり前だけどその時は俺しかその事実は知らないわけ 2011-01-25T14:01:48+09:00 風使いの雨宿り https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10447696298.html 初めての海外旅行は20歳の時。タイランドに行った。バンコックのチャイナタウン(ヤワラート)にあるゲストハウスに泊まった。のちにたくさんのゲストハウスを渡り歩くことになるんだけど、一番最初に泊まったゲストハウスはこの町、バンコックのチャイナタウンだ。バンコックのチャイナタウンは、当時、「アジアの魔窟」といわれるくらい危険だった。らしい。俺はそういうことを後から知ったので、居る時は実感しなかった。ただ、いつもいつも騒がしい町だなとは思った。泊まったゲストハウスの名前は「ナインストーリー」。かっこいい 2010-02-01T02:47:07+09:00 まい ふぇいばりっと アニマルハウス その2 https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10377879571.html 1の続き僕はバンドを辞めて、暫くバックパッカーになっていた。まぁ言葉で言ってしまうと「挫折」である。旅をしていた頃の話はここでは省くが、旅をした僕は約6年後に再びアニマルハウスのドアをたたく。その日のこともよく覚えてる。その日は平日で、ライブが行われる代わりに、つるさんのバンドがステージで練習していた。つるさんは最初、僕が誰だかわからなかったようだ。なんだよだいすけかよ、お前あか抜けたなぁ。そんな第一声。そこで僕はクアーズを何本も飲んで、つるさんバンドの練習を見てた。帰り際、新しくrainman 2009-11-01T00:41:50+09:00 まい ふぇいばりっと アニマルハウス その1 https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10377808644.html 「富士アニマルハウス」に初めて出演した時のことはよく覚えてる。 当時の富士シティは、石を投げればバンドマンに当たる(多少大げさか…)と言うくらいバンドマンが多かった。80年代の終わりに出てきた空前のバンドブーム、と今になっては言われているが、当時をリアルに過ごした僕としては、ギターを持つことはごく当たり前の手段という感覚だった。ロックの神様ってのがいるんなら、僕はそいつにまだ出会ったばかりのころだ。 高3の夏休みに富士シティの目だったバンドを集めてちょっと大き目のイベントを開いた。今はなくなっ 2009-10-31T23:22:58+09:00 rainman8年目、PARTY9年目 https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10296079821.html 以前書いていた、自問風答というblog で、メンバーについて一人ひとり、rainmanメンバーになった経緯や個人的に見た人間性なんかを書いたんだが、あれからもう4年も経った。(知らない人は読み返して見てくれ)驚いたのは、あの頃彼らに感じていた思いが、今とさほど変わらないということだ。one-tanは抜けちゃったけど、bobaがいるし、俺の理想どおりのBANDの形があの頃と変わらず今もそこにある。思い上がったり、自己嫌悪に陥ったり、まぁみんなと同じように日常を過ごしてきたけど、rainmanでのツ 2009-07-08T22:51:17+09:00 砂の海 https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10216434087.html ~「続・終わらない風の終わらない唄」を歌ってほしい。今日インドから戻ってくる彼が大好きな歌なんです~というメールがホームページを通して届いた。俺は久しぶりに「続・終わらない風の終わらない唄」をセットリストに入れた。この曲を唄う時いつも思い描く景色がある。俺にとってこの唄は、終わりと始まりの唄なんだ。この唄は2001年の旅の一番最後に作った曲だ。場所は、アフリカ・モロッコ。長期でバックパッカーをしたことがある方なら一度は感じたことがあると思うが、長い旅をしていると、旅を終えるきっかけを見失ったよう 2009-03-01T07:59:15+09:00 せんきゅーまいふれん https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10211598679.html ネパールからインドにかけて、三人組の日本人青年と出会った。彼等はまだ当時二十歳くらいだったと思う。すごいテンションの高いヤツラで、いつも三人で大笑いしていた。誰がリーダーというわけでもなく、上も下もない幼馴染という感じだった。日本でずっと不良やってきて、国内じゃ飽き足らず、外国でも遊んでやろう!ってノリでインドに来ちゃったっていう展開が、とても解りやすく想像できた。俺は彼等の「何事も面白いことがあればスマートに楽しむ」という遊びのスタイルが好きだった。「ほほえましく思えた」とか、そういう上からの 2009-02-20T12:09:49+09:00 アムステルダムでの奇妙な出会い https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10206550427.html アムステルダムにいた頃に一人の日本人青年と会った。市街を散歩していたら「日本人の方ですよね?」と声をかけられたのだ。歳は22か23くらい。背は余り高くなかったけど、ヨーロッパを旅している旅行者らしくおしゃれな感じの服装で、アジア・アフリカを抜けてきた僕と並ぶとかなり小奇麗に見えた。着いたばかりで右も左もわからなかった僕に、彼は色々と道案内をしてくれた。話しているうちに、同時期にインドの同じ町にいたことがわかったりして、僕らはすぐに仲良くなった。彼はインドに行ったあと日本に戻り、また再び旅に出て、 2009-02-11T14:08:47+09:00 おかんのMIDNIGHT EXPRESS https://ameblo.jp/rainman2009/entry-10205180009.html 深夜特急を読み返していて、ふと、俺のおかんがネパールまで会いに来た2000年の冬のことを思い出した。今思うと、とてつもないパワーだなぁ。おかんはネパールに何日か滞在して、俺が、旅の間どんな生活をしているのかを全部見たんだ。最後、日本に帰るおかんを空港まで見送りに行ったんだけど、チケット持ってない人間が入れるのは空港の入り口だけで、先に進んでしまったおかんに「じゃあ俺ここまでだから気をつけてー」と、喧騒の中で伝えて、空港を出たんだ。タクシーに向って歩いていると、「大輔!!」と、叫ぶ声が聞こえた。振 2009-02-08T21:36:01+09:00