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<title>家電のライズのブログ</title>
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<title>魂</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#00bfff" size="3">魂の輪廻転生　ユング</font></p><p><strong><font color="#0000ff">「われわれ人間は、自分の個人的な生命を持っているとはいえ、大部分は依然として、その年齢が数世紀単位で数えられるような『集合的な魂』の相続人であり、犠牲者であり、なおかつ推進者である」(ユング)スイスの精神病理学者カール・グスタフ・ユングは、フロイトと共に「深層心理学」という、新しい学問体系を樹立した人です。</font></strong></p><p><strong><font color="#0000ff">フロイトの説によると、人間の心の世界は二重構造で、日常我々が知覚できる「意識」の奥底に、普通の状態ではまったく認識困難な「無意識」が存在します。</font></strong></p><p><strong><font color="#0000ff">「我々の存在の少なくとも一部分は、数世紀にわたって生きている。」(ユング)「無意識」を、本能的な欲求や、劣等な動物的衝動の貯蔵所とし、「意識」の理性がそれを抑制することで、健全な社会生活が営めると、彼は考えました。</font></strong></p><p><strong><font color="#0000ff">理性に対する欲望を、フロイトは「リビドー」と呼びます。<br>最も根源的な「リビドー」は性欲であり、人間のあらゆる心理、精神の葛藤を、「性欲」対「理性」の対決という構図で説明しようとしたのです。</font></strong></p><p><strong><font color="#0000ff">フロイトの学説は、「人間の魂は神聖なる神から与えられたもの」とするキリスト教の社会では異端であり、当然学界からは村八分。ところがユングは、学問的良心からフロイトを支持します。</font></strong></p><p><strong><font color="#0000ff">しかし、心のすべてを「性欲と理性の対決」で割り切ってしまうのは無理があると感じ、フロイトが性欲の同義語として用いていた「リビドー」という言葉に、より広い意味をもたせ、「リビドーは自然発生的に変容する」と表現しました。</font></strong></p><p><strong><font color="#ee82ee">しかも彼は、キリスト教が支配するヨーロッパではタブー視される「魂の輪廻転生」を説いたのです。</font></strong></p><p><strong><font color="#ee82ee">「我々の存在の少なくとも一部分は、数世紀にわたって生きている。そこにおけるさまざまな要因が、現在の我々の生活に影響を及ぼしているがそれに気づくことはできない。それが無意識的である場合には、ますますその影響が深い」結局、ユングの一生は、厳しい迫害との闘いに費やされています。 </font></strong></p><p><a href="http://www.rize-akb.com/">http://www.rize-akb.com</a> </p>
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<link>https://ameblo.jp/raizuakb/entry-10071353022.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Feb 2008 12:31:27 +0900</pubDate>
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<title>黒澤明監督の言葉</title>
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<![CDATA[ <p>このような記事をみつけましたので掲載させていただきます。</p><p>ぼくは、まだ映画がよく分かっていない 黒澤明</p><p>「ぼくは、まだ映画がよく分かっていない」(黒澤明)<br>産経新聞のコラムに、次のような文章がありました。</p><p>話題の映画『まあだだよ』の中で、黒澤監督は、作家、内田百閒の口を借りて子供たちに言って聞かせる。<br>「本当に好きなもの、本当に大切なものを見つけてください。<br>それを見つけたら、その大切なものに向かって努力しなさい」それこそが人生の目的だというのである。</p><p>黒澤監督といえば、日本を代表する映画づくりの名人でした。<br>現代アメリカ映画界最高の売れっ子、スピルバーグやルーカスが師と仰ぎ、彼らが作品をつくる時は、黒澤映画をすべて見直すほどだといいます。</p><p>しかし、８３歳のとき、映画という、本当に好きで大切なものを追い求めてきた黒澤さんが、「ぼくは、映画がまだよく分からない」。</p><p>大指揮者トスカニーニは、晩年に、「私はようやく、べートーべンの第九が理解できるようになってきた」と、述懐しています。</p><p>「回峰行は、人生の縮図。人生も行も無始無終だ」これでは達成の喜びは、死ぬまでないことになる。<br>芸術、スポーツ、学問、武術、これらには完成や卒業はありません。</p><p>戦後、最高齢で千日回峰行を二度達成した酒井雄哉さんは、言います。</p><p>「回峰行は、人生の縮図。起伏のある山道、平坦な道のくり返しで、その日その日を懸命に生きることが大事だと知らされた。人生も行も無始無終だ」</p><p>好きなものは十人十色、大切なものも千差万別、それに向かって努力すること自体が目的なら、達成の喜びは、死ぬまでありません。</p><p>これらは、生きがいではあっても、人生の目的ではないのです。</p><p>世界の黒澤と言われた方でも凄く繊細な部分があると思いました。<br><a href="http://www.rize-akb.com">http://www.rize-akb.com</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/raizuakb/entry-10070898589.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Feb 2008 13:00:09 +0900</pubDate>
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<title>世界の北野　北野武</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#0000ff" size="3"><strong>哲学の究極の目的/ビートたけし</strong></font></p><br><p><font color="#ee82ee"><strong>「人生観が変わった。それほどショックだった」</strong></font></p><p><font color="#0000ff">炎上する世界貿易センタービル(Wikipedia)平成１３年、米国同時多発テロ事件の後、イアン･ソープ選手の語った言葉です。</font></p><p><font color="#0000ff">世界水泳選手権で、６つの金メダルを獲得し、名をとどろかせたイアン・ソープ選手(オーストラリア)は、事件の日、近くのホテルに宿泊していました。</font></p><p><font color="#0000ff">悲劇の起きた朝、ソープ選手は最上階からの眺望を楽しむために、世界貿易センタービルに向かっていました。<br>ところが、途中でカメラを忘れたことに気づき、引き返すのです。</font></p><p><font color="#0000ff">直後の惨事。テレビから流れる生々しい情景を目にしたソープ選手は、「(事件後は)何をしていても、ほかに大切なことがあるのではと自問自答するようになった」と述懐しました。</font></p><p><font color="#0000ff">私たちは、死を眼前に突きつけられた時、大きな衝撃を受けます。名誉も栄光も力にはなりません。<br>人生観が覆される人も少なくないでしょう。</font></p><p><font color="#0000ff">平成６年、タレントのビートたけしさんも、バイク事故で生死の境をさまよいました。<br>ソープ選手と同様、人生観が変わったと、著書『たけしの死ぬための生き方』に記しています。 </font></p><p><font color="#0000ff">死の準備について</font></p><p><font color="#0000ff">死ぬってことは人間みんなの目的であるっていうか、終着点であることには間違いない。<br>死というのは突如来る暴力なんだね。その暴力にいかに準備しているか。<br>それが必要だってことは、うすうすはわかるんだけれど、あまりにも儚いっていうか、空しい努力のような気がしてしまう。<br>なにしろ死ぬことに対する対応だからね。</font></p><p><font color="#0000ff">死はすべての終わり。それに対して何で準備してなきゃいけないのか。<br>対応しようがしまいが、死ぬことは死ぬことで仕方ない。<br>そう考えりゃ、準備なんかしなくたっていいじゃないか、と言う奴もいる。だけど、準備なんかしなくたっていいと言ってても、結局死というものには無理矢理対応させられるわけだよ。<br>あまりにも一方的に向こうが勝手に来るわけだから。</font></p><p><font color="#0000ff">それに準備してる奴としない奴と、死ぬことは結果的には同じだけれども、そのショックというのは半端じゃないんだよ。<br>死を考える、死ぬための心の準備をするというのは、生きているということに対する反対の意義なんだけども、異常に重いテーマなんだ。</font></p><p><font color="#0000ff">下手するとこれが哲学の究極の目的なんじゃないかって思うね。<br>頭のいいのからバカから、金持ちから貧乏人から、人間全部に対しての問題提起なんだ。<br>そうすると、バカでもなんでも対応せざるを得ない。<br>そうしたとき、それの能力とか財産にもかかわらず、人間は対応する努力をしていかなきゃならない、と思ったんだ。</font></p><p><font color="#0000ff">人生って、生まれながらにして死ぬ時のその対応の仕方をいかにして模索していくかが人生のような気がする。<br>息抜きに色んなことをしてるだけであって、基本ラインは死ぬことに向って一直線に突っ走ってて、それに人間はどう対応するんだろうかってだけのような気もする。<br>だからおいらにとって、今度の事故というのは凄いショックだったね。<br>物理的なショックのみならず、精神的ショックがマグニチュード８という感じだった。</font></p><p><font color="#0000ff">今回のおいらの場合奇跡がいくつも重なっている。死ななかった上に、脳も損傷をまぬがれたんだからね。<br>あのまま死んでると何の問題もなかったかもしれない。</font></p><p><font color="#0000ff">ところが生きたってことに対しては、今考えれば良かったなと思うけれど、良かったと思う感覚の数十倍重いテーマを被せられちゃったんだね。</font></p><p><font color="#0000ff">だから、生き残ったことが凄い良かったのか悪かったのか分からないけども、これが生きてて良かったって確認できることは、死というテーマに対して自分がどれだけ対応できるかにかかっているよね。<br>それが確認できなかったら、死んでた方が良かったっていうことになる可能性もある。</font></p><p><font color="#0000ff">(新潮社「たけしの死ぬための生き方」 ビートたけし著)</font></p><p><font color="#0000ff">確かにスポーツや事業などに熱中できれば、「これが私の生きる意味だ」と充実感は味わえます。<br>それはただし、死の影を忘れていられる間だけのことです。</font></p><p><font color="#0000ff">「あなたはやがて死ぬんだよ」というささやきが聞こえてくると、好きなことをして、望んだものを手中に収めても、喜びにはなりません。</font></p><p><font color="#ff0000">「いま、なすべきことは何か」</font></p><p><strong><font color="#ee82ee" size="2">１００パーセント確実な未来を直視したとき、人生最大の問題と対峙させられるのです。</font></strong></p><p><strong><font color="#ee82ee" size="2">いやぁ～素晴らしいお言葉です。<br>世界のたけしらしいお言葉です。</font></strong></p><p><a href="http://www.rize-akb.com">http://www.rize-akb.com</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/raizuakb/entry-10070897270.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Feb 2008 12:56:58 +0900</pubDate>
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<title>アインシュタイン</title>
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<![CDATA[ <p>現代科学に欠けているもの アインシュタイン</p><p>｢現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは『仏教』です。｣(アインシュタイン)宗教といえば、とかく非科学的というイメージがつきまとっています。<br>奇跡、神秘を売り物にし、多くの信者を集めて金をまきあげる、といったうさんくささを感ずる人も多いでしょう。</p><p>確かに、そういった何ら根拠のない迷信が世にはびこっていることは事実です。<br>ですから、無宗教を自慢する若者や似非インテリがばっこするのも、無理からぬことでしょう。<br>しかし真の科学者は、「宗教は科学と矛盾する」とは決して言わないものです。</p><p>アインシュタインは、こうも語っています。</p><p>「科学的探求は特殊な宗教的感情をひき起こしますが、これは、愚かな狂信的宗教感情とはまったく違ったものです」</p><p>真の科学者は、「宗教は科学と矛盾する」とは決して言わない仏教は、とても知性的な宗教です。</p><p>若手の理論物理学者の間で盛んに仏典が読まれているのも、「諸行無常」「諸法無我」の仏説が、現代科学と少しも矛盾しないばかりか、科学のめざす真理を先取りしている感すらあると、気づいているからです。</p><p>人工知能の研究で知られるマサチューセッツ工科大学でも、やはり仏典が研究されていますが、「人間の心のしくみを探るのに、仏教以上の教えはありません」と、研究をリードするマーヴィン・ミンスキー教授は語っています。</p><p>ここで、フランスの哲学者パスカルの言葉を。</p><p>「人々は宗教を軽蔑している。人々は宗教を嫌い、宗教が真実であることをおそれている。これを正すためには、まず宗教が理性に反するものでないことを、示してやらねばならない」<br>仏教こそ、パスカルの言う宗教に合致することを、私たちは知るべきでしょう。</p><p><a href="http://www.rize-akb.com">http://www.rize-akb.com</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/raizuakb/entry-10070895530.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Feb 2008 12:48:17 +0900</pubDate>
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<title>恐怖</title>
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<![CDATA[ <p>死の恐怖 渡辺格</p><p>「なぜ死ぬか。だれもが一度は取りつかれる疑問だが、やがてまた忘れられる。答えが出せないからだ。しかし、死の恐怖は、忘れることでしか解決できないのだろうか」(渡辺格)<br>慶応大学名誉教授であり、生命科学者の渡辺格氏は、著書『なぜ死ぬか』の中で、こう問いかけています。</p><p>渡辺氏は、子供のころから死の恐怖にとりつかれていたといいます。</p><p>あまりの恐怖に、夜中に悲鳴をあげて飛び起きることが年に２、３回はある。<br>理性も何もなく、ただ断末魔のような叫び声を上げているのだ。<br>隣に寝ていた妻は、驚いて目を覚まし、『誰だって死ぬのは当たり前じゃない』そう平然と答えた。<br>内心私は、死を実感できないなんて、のんきなものだとあきれていたのだった。<br>同氏は、死がこわい理由に２つあると述べています。</p><p>１つは、死がもつ、あまりに大きな破壊作用。<br>予告もなく、すべての希望を奪いさる。<br>もう１つは、死ぬときの肉体的な苦しみ。<br>しかも、この２つが技術的に和らげられたとしても、人間は、死のもつ不条理を受け入れることはできないといいます。</p><p>「死ぬべくして生まれてきた人間とは一体何なのか、という問題は未解決のままなのだ」<br>「むしろ恐怖を受け止めながらも、正面から死を見つめることのほうが、人間として大切なのではないだろうか」<br>「死ぬべくして生まれてきた人間とは一体何なのか、という問題は未解決のままだ」(渡辺格)こう考えた渡辺氏は、物と心を分断したデカルトの方法論に疑問を持ち、生命の研究に向かいました。</p><p>遺伝子の正体はＤＮＡであると知り、さらに心との関係を考察していきます。</p><p>著書の最後は、こう締めくくられています。</p><p>「なぜ死ぬか。それは宇宙が死に向かっているからだ。銀河も星も惑星も、すべてが死に向かうなかに、人間の営みも、文明もある」</p><p>「必ず死ぬ運命にあることは分かった。では、なぜ生きるのか。それを探るのが、今地球上に死ぬべくして生まれてきた我々人間なのである」<br>一流科学者の、これが人生の結論なのでしょうか。</p><p>難しい話しばかりですみません。<br><a href="http://www.rize-akb.com">http://www.rize-akb.com</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/raizuakb/entry-10070895340.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Feb 2008 12:47:05 +0900</pubDate>
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<title>もう許してあげて欲しい！　「涙の謝罪」倖田 問題発言</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#ee82ee" size="3"><strong>もう本当に許してあげてください。</strong></font></p><p><strong><font color="#ee82ee" size="3">私を含めたファンの皆もいい気はしないはずです。</font></strong></p><p><font color="#ee82ee" size="3"><strong>（；。；）ｍｍｍ</strong></font></p><p><font color="#ee82ee" size="3"><strong><font color="#ee82ee">"(/へ＼*)"))ｳｩ､ﾋｯｸ</font></strong></font></p><p><strong><font color="#0000ff" size="3"><br></font></strong></p><p><font color="#0000ff" size="3"><strong>倖田 問題発言でエリカ様式「涙の謝罪」<br></strong></font>2月7日10時21分配信 デイリースポーツより</p><p><br>　問題発言でアルバムのＰＲ活動を自粛している歌手・倖田來未（２５）が、７日夕放送のフジテレビ・関西系「ＦＮＮスーパーニュース」で謝罪することが６日、分かった。倖田は先月２９日深夜放送のラジオ番組での「羊水発言」をして以来、自ら語るのは初めて。インタビュー形式で数分にわたり謝罪、釈明する。現場では涙を見せる一幕もあったという。<br>　　◇　　◇<br>　「３５（歳）を過ぎるとお母さんの羊水が腐る」というラジオ番組での発言は、アルバム「Ｋｉｎｇｄｏｍ」のプロモーション活動や番組出演の自粛、さらには倖田をＣＭに起用している企業が放送を控えるなど、大きな波紋を広げた。<br>　倖田は２月１日付の自身のホームページで「皆様に不快な思いをさせてしまったことを心より深くおわび申し上げます」と謝罪したものの、火種はくすぶったまま。騒動から１週間が過ぎ、ひと段落はしたものの、改めて自らの言葉で謝罪することを決断。発言をしたのはニッポン放送の番組だったが、全国に伝わるようにと同じ系列のフジテレビの番組を謝罪の場に選んだようだ。<br>　関係者らによると、生出演し謝罪するという選択肢もあったが、生放送では思いを伝え切れないうちに時間切れになる可能性もあるため、収録したものをオンエアするという形になったという。倖田は黒のスーツ姿で登場しインタビューに答える形で「軽率だった」などと謝罪し、涙を見せる一幕もあったという。<br>　印象は全く違うが、失言から騒動に発展し、テレビでの涙の謝罪、という形は、くしくも沢尻エリカ（２１）の「別に」発言と同じ経過をたどることになった。<br>　羊水発言は結婚した男性マネジャーに早く子供をつくってほしいというトークの流れの中で出たものだったが、メーンターゲットである女性に対しての失言となってしまった。  </p><br>
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<link>https://ameblo.jp/raizuakb/entry-10070920384.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Feb 2008 15:34:23 +0900</pubDate>
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<title>くぅちゃん発言のコメントをくださった方へ。また、ちょっと前に浅草で横山大観の展示？があった。</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#0000ff" size="3"><strong>パンフをそのまま写しましたので良ければ見てください。</strong></font></p><p><strong><font color="#ff0000" size="3"><br></font></strong></p><p><strong><font color="#ff0000" size="3">また先日くぅちゃん発言のコメントをくださった方。</font></strong></p><p><strong><font color="#ee82ee" size="3"><br></font></strong></p><p><strong><font color="#ee82ee" size="3">ありがとうございます。</font></strong></p><p><strong><font color="#ee82ee" size="3">（；0；）私と同じ気持ちの人がいるという事はたくさんの方が居るはずです。</font></strong></p><p><strong><font color="#ee82ee" size="3">早くテレビで活躍して欲しいです。</font></strong></p><br><p><font color="#0000ff">それでわ横山大観様について<font size="3"><strong>マルコピですが（＾＾；；；</strong></font></font></p><br><p>横山大観と醉心</p><p>元醉心取締役東京広島県人会副会長<br>故山根賞三（社長の弟）遺文</p><p>醉心と言えば大観、大観といえば醉心。<br>醉心は大観先生がこよなく愛した酒として天下に名高いのですが、先生と醉心との出会いは昭和１６年に始まります。<br>広島県出身の政友会の政治家望月圭助先生のお通夜の席で醉心醸造元27台頭首山根薫と若き日の当社社長山根泰二（薫の次男）が偶然大観先生のお隣に座ったのが機縁となったのです。<br>望月先生は原敬内閣時代、幹事長を務め逓信・内務の大臣を歴任して世に人情大臣と慕われた大政治家で、後に池田勇人が「貧乏人は麦を喰え」と言って、大臣を辞任した時、師と仰ぐ望月に申し訳ないと涙を流したように多くの方に慕われた方でした。<br>大観先生は一時朦朧派と称され、茨城県五浦に退き絵の売れない時代を過ごされました。<br>自分は生活の為には一枚の絵も描いていない」自分の絵を評価して喜んでくれる方に納めたいと明治の人らしい気概の持ち主。<br>片や先々代山根薫も農家の次男として生まれ子供心に農家の人たちの苦労を身に滲みて育った男で、縁あって山根家に養子に迎えられ農民が血と汗で作ったお米を自分の利益の為には使いたくない。<br>本当に喜び楽しんで頂ける酒を造るんだと、丁度果物が腐敗する一歩手前がおいしいのと同様、お酒もその段階で発酵を止めようと努力し、先祖からの身代を傾ける程の出費を重ねて遂に当時としては画期的な醸造技術を完成し、大蔵省主催の全国酒品評会で3年連続の日本一に輝き名誉賞を頂きました（名誉醉心の由来）。<br>「名人は名人を知る」と言うことか、大観先生も先々代はたった一回の出会いで意気投合し、大観先生は今後醉心以外の酒は口にせぬことを誓い、それに応えて大観の生涯の酒を贈り続ける事を約束しました。先生の没後計算してみると最晩年を除き、平均して一日2升3合という記録になります。<br>一般に大観先生は米飯を食べないで朝から醉心ばかり飲んでおられたように言われていますが、つまみ（良質の蛋白質）を少しずつ並べてゆっくりと楽しみながら召し上がり、米飯は軽く一杯だったようです。<br>先生ご自身も世間では私のことを大酒飲みと思っているがそれは違う。<br>私はただ酒を愛するだけで酒徒であると。<br>それかあらぬか、病気になられて点滴のない時代最後まで酒で薬を飲まれていたのであります。<br>これぞ誠の酒徒ではないかと思います。 </p><p>経歴</p><p>1868年、旧水戸藩藩士・酒井捨彦の長男として生まれる。<br>府立一中卒業後、私立の東京英語学校在学中に絵画に興味を抱き、洋画家・渡辺文三郎に鉛筆画を学ぶ。<br>1888年、母方の縁戚である横山家の養子となる。<br>同時期、狩野派の巨匠狩野芳崖などに教えを受ける。<br>翌1889年、東京美術学校に第一期生として入学。岡倉天心、橋本雅邦らに学ぶ。<br>同期生には菱田春草、下村観山などがいる。</p><p>美術学校卒業後、京都に移り仏画の研究を始め、同時に京都市立美術工芸学校予備科教員となる。<br>またこの頃より雅号「大観」を使い始めるようになる。<br>1896年同職を辞すと、母校・東京美術学校の助教授に就任した。しかし2年後に校長・岡倉天心への排斥運動が起こり、岡倉が失脚。<br>岡倉を師と仰ぐ大観はこれに従って助教授職を辞し、同年日本美術院創設に参加する。</p><p>美術院の活動の中で、大観は菱田春草と共に西洋画の画法を取り入れた新たな画風の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた没線描法の絵画を次々に発表する。<br>しかしその先進的な画風は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びた。<br>現在ではその画風を的確に表す言葉とされる『朦朧体』という呼称も、当初は「勢いに欠ける、曖昧でぼんやりとした画風」という意味で、批判的に使用された言葉であった。<br>保守的風潮の強い国内での活動が行き詰まりを見せはじめたため、大観は菱田と共に海外に渡り、コルカタ、ニューヨーク、ボストンで相次いで展覧会を開き、高い評価を得た。<br>その後ヨーロッパに渡り、ロンドン、ベルリン、パリでも展覧会を開き、ここでも高い評価を受ける。<br>この欧米での高評価を受けて日本国内でもその画風が評価され始め、1907年にはこの年より始まった文部省美術展覧会（文展）の審査員を務め、1913年には守旧派に押されて活動が途絶えていた日本美術院の再興に至った。</p><p>以後、日本画壇の重鎮として確固たる地位を築き、1935年には帝国美術院会員となり、1937年にはこの年制定された第一回文化勲章の受章者となった。<br>1957年、89歳で死去。永年に渡る日本美術発展への貢献により正三位に叙せられ、勲一等旭日大綬章を贈られた。</p><br>
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<pubDate>Thu, 07 Feb 2008 12:37:15 +0900</pubDate>
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<title>みなさんは倖田失言どうおもいますか？</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#ff33ff" size="5">もう、ゆるしてあげたいと思いますが・・・</font></p><p><font color="#0000ff" size="5"><br></font></p><p><font color="#0000ff" size="5">倖田失言余波、テレビ局広告界に飛び火</font><br>スポーツ報知より抜粋しました。</p><p><br>　歌手の倖田來未（２５）が先月のラジオ番組で<font color="#0000ff">「３５歳をまわると羊水が腐ってくる」</font>と失言し、ホームページ（ＨＰ）で謝罪した件で、倖田が出演する「キリンチューハイ　氷結」のＣＭ放送が当面自粛されることが４日、分かった。また、７日放送のテレ朝系「徹子の部屋」は、倖田の活動自粛を受け、局では延期を決定。余波は広告、テレビ業界にも飛び火した形だ。一方で、先月３０日発売の新アルバム「Ｋｉｎｇｄｏｍ」はオリコンで初登場１位を獲得した。</p><p>　倖田の失言余波が、週明けに広告、テレビ業界に広がった。</p><p>　倖田がＣＭ出演している「キリンチューハイ　氷結」を発売しているキリンビール広報部はこの日、スポーツ報知の取材に「弊社の判断で、広告の起用を差し控えます」と説明。予定されていた倖田出演のＣＭ放送を当面取りやめ、ほかに差し替えることを決めた。</p><p>　エイベックス関係者は一時休止について「厳粛に受け止めます」としている。契約そのものの解除ではないという。倖田は少なくとも２月いっぱいは活動を自粛する見通しだが、ＣＭ放送が再開されるかどうかも含め、現在のところ未定だ。</p><p>　すでにテレビＣＭの放送期間は終了した企業も対応に追われた。謝罪コメントを発表した１日までにＨＰを閉鎖したコーセーに続き、ホンダも「ＺＥＳＴ　ＳＰＯＲＴＳ」のＨＰを閉鎖。森永製菓「ウイダー　プロテインバー」も倖田の画像やＣＭ映像を削除した。</p><p>　ジレットでは、今月発売する「Ｖｅｎｕｓ」シリーズの新商品のＣＭにも倖田が出演予定だったという。同社によると、放送予定が来月以降だったため、オンエアするかどうか、２月の謹慎期間中に今後の動向をみて判断するという。</p><p>　余波はテレビ局にもおよんだ。テレビ朝日ではこの日緊急会議を開催。すでに収録済みで、７日放送予定の倖田が出演する「徹子の部屋」の放送延期を決定。「倖田さんが活動を再開された際に、改めて放送させていただきます」とコメント。オペラ歌手の島田祐子が出演する分と差し替える。日テレは２日の「恋のから騒ぎ」、フジテレビは３日の「新堂本兄弟」に倖田が出演していたが、予定通り放送。フジにはこの日「なぜ出すんだ」など１００件を超える批判があった。 </p><br><p><font color="#ee82ee" size="7">わたしは大のファンです（；。；）みなさん</font></p><p><font color="#ee82ee" size="7">許してあげましょうよ。</font><br></p>
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<pubDate>Wed, 06 Feb 2008 19:02:39 +0900</pubDate>
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<title>記事を見つけて</title>
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<![CDATA[ <p>記事を見つけましたので掲載します。<br>私はこの記事をみて考えさせられました。</p><p><font color="#0000ff">オウム事件の本質<br>松本智津夫被告への死刑判決より<br>平成１６年２月２７日、オウム真理教の「教祖」松本智津夫被告に死刑判決が下されました。<br>地下鉄サリン事件の惨劇から９年後の判決でしたが、各メディアでの大規模な報道は、多くの人々の関心の高さを物語っています。<br>私たちはこの事件から、何を学ぶべきなのでしょうか。<br>１つは、親鸞聖人がすでに、「九十五種世をけがす」と言われているとおり、宗教には厳然と正邪があるということでしょう。<br>「どの宗教もいいところがあるのだから、他を排斥するのはよくない」という主張は、宗教に対する無知からくるものであって、今回のオウム事件に関する初動捜査の遅れや、マスコミのまずい対応も、彼らの危険性にあまりにも幼稚な知識しか持たなかったことに、大きな要因があると言えないでしょうか。<br>第２に、オウムは断じて仏教ではない、という点も、改めて確認しておかねばなりません。<br>生命の尊厳を説き、人間として生まれた喜びを教示された釈尊の教えからは、殺人を肯定するオウムの教義など、絶対に容認できるものではないからです。<br>最も大切な本尊をヒンズー教のシバ神としていたことや、一連の事件が、聖書の「ヨハネ黙示録」に書かれたハルマゲドン（神と悪魔の最終戦争）を引き起こし、教祖自身が日本の王となって支配する野望を果たすためであったことからすれば、仏教の仮面をかぶった邪教であったことは明白でしょう。<br>そして、最も重要な点は、なぜあれほど多くの若者がオウムに迷ったか、そして現在も、以前と変わらぬ教義を信奉するアーレフと改称した教団が１２５１人（２００３年 教団が公安調査庁に報告した数）もの信者を抱えているのか、という疑問の解明ではないでしょうか。<br>今回の判決でも、多くの識者のコメントやマスコミの大報道でも、実は、この点は何も明らかにされていないと言っても過言ではありません。<br>判決の翌日、『読売』の一面に「オウムの呪縛どう解く」と題して社会部長が論考を寄せていますが、その結論はこうです。<br>底知れない恐怖、漠然とした不安は、オウム事件後、この社会に取りついて離れない。その意味では、オウムは、多かれ少なかれ私たちすべての心に住みついている。松本被告によるその呪縛をどう解いていくか。一審判決は長い道のりの始まりに過ぎない。（平成１６年２月２８日 読売新聞朝刊）<br>いたずらに不安感を助長させるだけで、これでは何も語っていないのと同じです。<br>「何がオウムを生んだのか」と題した『朝日』の社説は次のとおりです。<br>知識や分別があると思われる人たちが教祖の指示に従ったのはなぜなのか。その不可解さが社会に衝撃を与えた。（中略）脱会して再び教団に戻る者がいれば、新たに入信する者もいる。教祖への帰依も変わらない。いま教団にいるのは、ほかに居場所がない人たちだ。社会から排除するだけでは解決にならない。そこにむずかしさがある。（中略）なぜ事件は起きたのか。なぜ教団がなくならないのか。私たちも考え続けなければなるまい。<br>解決の糸口さえも、つかめていないようです。これで、オピニオン・リーダーとしての新聞の責務を果たしうるのでしょうか。いやそれよりも、これが、日本の代表紙の論説委員たちの結論なのかと思うと、暗然たる思いに沈んでしまいます。<br>なぜなら、これではオウム信者のだれ１人説得することはできないでしょうし、第２、第３のオウムの悲劇を食い止めることはできないと確信するからです。<br>『毎日』の一面コラム・余録は、こう警鐘を鳴らしています。<br>（オウムから）抜け出せなくなってしまった多くの若者の存在は、この文明の何か根本的な欠陥の表れではないのか。<br>まさに、そのとおりでしょう。しかし、その根本的欠陥が何かは、余禄子も示し得ないようです。<br>事件が起きた当初、この問題の本質を、私はこう書きました。<br>大衆はノドの渇きに苦しんでいる。オウムの泥水を飲むなと、いくら言っても、飲料水を与えねば、他の泥水に走るだけだろう。<br>速に、清らかな水を徹底提供することこそ急務である。<br>「ノドの渇き」とは何か。これこそ、万人が持つ精神の飢渇であり、人生の目的が知りたいという、強烈な魂の欲求にほかなりません。<br>「何のために生まれてきたのか。生きているのか。苦しくとも生きねばならぬ、真の理由は何か」<br>「この社会のどこに、生きる意味があるというのだ」<br>人間存在の意味を問う、この根本問題に対し、世の学問も仕事も恋愛も、レジャーも快楽も、その他いかなる生きがいも、解答しえなかったのです。<br>いや、病気直しや出世、金儲けなど、現世のご利益を売り物にする新興宗教も、見てくればかりでまったく中身のない既成伝統教団も、真摯に人生の意義を求める人々には、何の魅力も感じられないでしょう。<br>人間の奥底には、生きる意味を「死に物狂い」で知りたがる願望が、激しく鳴り響いている、と不条理の哲学で有名なアルベール・カミュは言っています。どうしても生きる目的を知りたい、いや知らなかったら生きていけないのが人間です。<br>意味なき人生に耐え切れない、人生の目的に渇き切った心は、オウムの泥水でもすすらずにいられなかった。<br>社会復帰を呼びかけても一向に応じない彼らの心は、「この社会のどこに、生きるに値するものがあるというのだ」と、反問しているに違いありません。<br>決して、オウムに迷った若者たちだけではない。世界一の豊かさと自由を享受しているかのようなこの日本で、毎年３万人以上もが自殺してゆく現実は、何を物語っているのでしょう。<br>真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。(カミュ『シジフォスの神話』冒頭より)なぜ生きる。人生の目的は何か。<br>この究極の問いに答ええない人類は、今もなお深い闇の中にいます。<br>親鸞聖人は、主著『教行信証』の冒頭に、その解答を次のように明示されています。<br>難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり<br>"弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破る太陽であり、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しく渡す大船である。この船に乗ることこそが、人生の目的なのだ"と。<br>難度海（苦しみの人生）からの救出の叫びは、今なお充満しているのです。</font></p><p>でわまたヾ(=・ω・=)o☆ﾊﾞｲﾊﾞｲ☆ヾ(=・ω・=)o <br>そうそう、私はお店を開いてますのでもし良かったら遊びに来てください。</p><p><a href="http://www.rize-akb.com">http://www.rize-akb.com</a><br>((ﾉ(_ _ ﾉ)ﾖﾛｼｸｵﾈｶﾞｲｼﾏｽ<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/raizuakb/entry-10067936259.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Jan 2008 12:27:26 +0900</pubDate>
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<title>健康管理</title>
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<![CDATA[ <p>健康になりたい。<br>知人が心筋症という病気を患いました。<br>自分なりに調べてみましたが大変な病気なんですね。</p><p>心臓は、まさに袋状の筋肉のかたまりであり、その筋肉を心筋と呼ぶんだそうです。<br>全身から戻ってきた血液を酸素の補給を受けるために肺に送り出し、さらにそれを全身へと力強く送り込むポンプの役割を果たしています。<br>心筋がこんなにも元気に動いていられるのは、心臓を冠状に取り囲む血管、冠状動脈が、常に血流に乗せて、酸素を送り込んでいる為です。<br>この血管が、詰まってしまうと、筋肉の動きが弱まり狭心症や心筋梗塞につながります。<br>つまり、心筋が酸欠状態になり、全身に血液を運ぶポンプの機能が弱まり、様々な障害につながるそうです。<br>ところが、血流の詰まりのよリンパの流れが悪くなると、むくみの原因になります。<br>顔がむくんで気になるとき、実は体の他の部分のリンパの流れが原因になっている場合もあります。<br><font color="#00ff00">そこで小顔の為の、全身のリンパの流れに注目したマッサージをご紹介します。<br>マッサージの注意点を始めに述べておきます。<br>やり過ぎは禁物。<br>１日１回、目安時間を守ってください。<br>また、食後２時間以内とお酒を飲んだ後は控えてください。<br>また、過度の疲労、皮膚の湿疹がある時、妊娠中は控えてください。</font></p><p><font color="#00ff00">それでは全身を軽くさするマッサージの紹介です。</font></p><p><font color="#ff0000">①（足）両手のひらを、ふくらはぎを包み込むように添えて、足首から付け根に掛けてさすり上げます。（左右３０秒）</font></p><p><font color="#ff0000">②（お腹）五本の指先をみぞおちから、おへその下まで両手を交互に入替えながらさすりおろします。（６０秒）</font></p><p><font color="#ff0000">③（背中）背骨を中心に両手の指先を揃え、指先は下に向けて、腰からおしりにかけてさすりおろします。<br>お尻まで来たら左右対称にアルファベットのＪの字を描きましょう。（６０秒）</font></p><p><font color="#ff0000">④（腕）手首から腕の付け根に掛けて、脇下に流し込むようにさすりあげる。（左右３０秒づつ）</font></p><p><font color="#ff0000">⑤（首と顔）首を手のひらで包み込み、交互にあご下から鎖骨までさすり下ろします。<br>また、顔は中心から図のように耳に向って軽くさする。（各３０秒）</font></p><p><font color="#ff0000">これらが効果的だそうです。<br>みなさん気をつけましょうね。<br></font>そんな私は病気と関係なくネットショップをやっております。<br>もし宜しければお店に足を運んでくださいませ。<br>価格交渉にものりますので♪</p><p><a href="http://www.rize-akb.com">http://www.rize-akb.com</a></p><p>最後は宣伝になってしまいましたが次回は狭心症についてお話したいと思います。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/raizuakb/entry-10067520949.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Jan 2008 13:33:12 +0900</pubDate>
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