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<title>ランダムランブルズ</title>
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<description>スペシャルなコラムをお届けします</description>
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<title>何を読みたいですか？</title>
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<![CDATA[ <p>SNSにおいてベターな親切さは、投稿が統一されていることだ。例えばその人の株式投資に関する投稿が読みたいのに、アニメやコミックの投稿が混ざってTLに流れてくるとノイズになる。私は両方に関心があるけど、その人から読みたいものは厳密に異なる。他人とSNSについて語り合う機会がないので、一般化するほどの話ではないが、ノイズは好転しにくいように思っている。推奨アルゴリズムが関係しているからだ。投資を知りたいのに、TLはいつの間にか、イラスト投稿に支配されている……。真剣に情報収集する人ほど、対象はよく絞り込む。要するにピントの合いにくいアカウントは、誰かから選ばれにくい。</p><p>&nbsp;</p><p>あちらこちらへ異なるジャンルの話が展開していても「その人がする話なら」という見方はある。例えば好きな音楽アーティストから、最新リリース曲についてのニュースだけ流してほしいなんて人は実は少ないのではないだろうか。それはなぜかと言うと彼らが芸能人だからだ。作品だけじゃなく、日頃からどんな体験をしているのかも知らせてほしい。熱烈なファンなら、その人と同じ格好、同じものを食べたいと思うかも。その感覚はわからないでもないが、一応ことわっておくと、私はそこまで欲していない。でも言いたいことはそういうことだ。そう、人格が好かれていれば、投稿が肯定されやすい。参考にしたいと思われる。</p><p>&nbsp;</p><p>さて今後の私が何について投稿するかというと、有り体にいえば「ピントの合いにくい」話のピントを合わせることに注力する。それで持て余したタイピングを存分に活かすことができる。ネットを彷徨い、このブログに到達した読者の気持ちを満足させることができる。既に近代SNSの話を切り取って説明してみせた。何が支持されやすく、のけものにされやすいのかだ。私は興味・関心のある事柄が多く、その全てのことに愛着と執着を抱えながら日常生活を送っている。いずれかに限定して投稿をするのは無理だ。そういう方法は取りたくない。かといって誰からも注目されないのもやり甲斐がないので嫌だ。</p><p>&nbsp;</p><p>読者のみなさんは本能的に、あるいは計算的に理解していると思う。SNS社会は、そして実社会も、虚実とりまぜた切り抜きの連続に過ぎないと。私はそういう混沌の世界を眺めて意見を書こうと考えている。このブログを読むということは、その視点のひとつを獲得するということだ。どうぞよろしくおねがいします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rambles/entry-12981842606.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>はじめに</title>
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<![CDATA[ <p>はじめまして。</p><p>&nbsp;</p><p>当ブログでは日常のあらゆる出来事をコラムとしてお届けします。私は以前からインターネット上では偽名で暗躍しておりました。早い話が、他人と交流を深めもせず広げたりもしない「書き逃げ」のようなスタンスです。ここでも基本的なスタンスは変えませんが、従来と異なるのは「家族、友人、職場の人などに見せる」前提で書くということです。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の漫然としたネット活動を振り返ったとき、「逃避」と「危機管理」が、スローガンとして形作っていたことに気が付きました。私の投稿には、現実で関わる人と共有しにくい感覚が含まれています。その諦念を自覚しつつ、密かに説明力を育ててきました。感情表現から始まり、論理的な解説を駆使しながら、寓話などへの創作技術も扱います。カジュアルに、探求や発散を目的に文章を書いてきました。</p><p>&nbsp;</p><p>前述の「逃避」「危機管理」のスローガンを変革・変質させる必要があると考えています。逃避をするということをポジティブに言い換えると「柔軟な発想をする」ということです。それ自体は現実的なアプローチから乖離しており、荒唐無稽です。その夢想と、現実を、上手に結ぶ文脈に関心があります。確かな読み応えが生じたら、喜びを感じられるからです。</p><p>&nbsp;</p><p>誤解を恐れずに告白すると、他人の書く文章はプロアマ問わず大抵の場合は退屈なものだと感じているのですが、時折、シンクロニシティを感じられることがあります。文章の巧拙にかかわらず、読者のコンディション次第で、こういった現象が起きるときには起きるのではないかと考えています。読者が私の文章を読んだ際に、この現象を感じてもらいたいし、出来る限り長く体験してほしいと願っています。</p><p>&nbsp;</p><p>過去は特に、自分のための文章を書いてきたかのように思いますが、最近では他人のためにも書くようにと、少し目的意識が変わってきたかのように感じています。ビジネスメールやレポート、書類をいくつも作成していくうちに、否応なしに考えざるを得ない事情もあります。しかしそれ以上に、ネット読者の存在が偉大でした。以前から不特定多数に向けた文章を意識はしていましたが、思わしい手応えを感じられなかった頃は、自己との対話に終始していたように思われます。</p><p>&nbsp;</p><p>では今は、ネット読者から確かな手応えがあるのか……そう断言できるほどのものではないのですが、以前とは様子が違うようです。自分のアプローチが変化しているからなのか、時代が変わってきたのか、色々な要因はあるかと考えますが……。重要なのは、自分の書き方で何を読んでもらおうとするのか、そういうことです。想定される読者と、存在が確定している読者の完全一致が文章を書く上でのテクニック的な目標といえます。</p><p>&nbsp;</p><p>気ままに無差別に文章を書いていますと、言い訳しているよりかは良いでしょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rambles/entry-12981796154.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Oct 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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