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<title>ranarcoticらなるこてぃっく</title>
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<description>人生模作中毒。</description>
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<title>何かと、不真面目な私について</title>
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<![CDATA[ 単に楽しいこと、心地よさを求めてしまうだけなのに。＜だから何事もいまいち成功しないんだよ！あと、それって、精神疾患の始まり＞<br><br>本当は空回っているだけの部分も在るかもしれない。ずっと、本当は頑張れる子なのに、あらゆる本当の心地よさを禁止したり、色々なことをして自分をくるしめていたら、本当に頑張ろうって思った時に<br>目標の喪失をしている自分がそこにいて。<br><br>一体何のためにどう頑張るんだろうとか。人生の根源的な目標に先立つ意味は労働かもしれないと近頃おもったり。<br><br>それでも、なかなか私のできそうな仕事は教育を在る程度の基準、受けていて能力が備わっていないと<br><br>駄目なものだし。わたしにも達成感を感じられる目標到達の指標となる明確に分かりやすく区切られたステージが欲しいと思う時もあるし、そうやって自ら<br>＜文章書けなくなってきた＞<br>の人生を軌道修正したいって気持ちも在るし。<br><br>でもなんか冷めちゃうんだよね。結局この犠牲をはらって得られる代償としての能力はこの程度かって。<br>自分に失望し過ぎない様に常に高い基準での目標の達成を掲げながらも、より根源的な生きる意味にすら根ざした結果を残せる学校生活っていうのが理想で、それを成し遂げるためには、それを支える家庭での生活のすさんだ部分をあるていど直さなきゃって言うのもあるし。<br><br>食事とか、このころよりは何でも食べられる様になってきたし。<br><br>何故私は常に高い目標を掲げ続けて、昨日の自分を乗り越え続けなければ行けないのかというプレッシャーについてももう少したまには考えてみたいと思ったり。<br>今凄く停滞しているのはそのプレッシャーが私をその目標達成から遮る精神状態に至らせるほどに、肥えた目だけが私の能力を嘲笑し続けてその行為すらを無価値にするからだよ。<br><br>何か間違っていると思うのは、私にとって満足できる何かが常に完璧に近い状態で達成され得る確約のある私と学校の教育プログラムの不在、商品の不在にもあるよ、消費からそれに代替される似た様な感情を満たそうとしても。<br>私は何処に行こうと、そして、何に辿り着こうとしているのだろう。。。。。。<br><br>＜それでもう、そのやってた事は無価値だってなる、物事を軽視し始める自分がいて／自分のできる結果に満足できないだけなのに。主観が支配する世界って怖い＞<br>
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-11083708228.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Nov 2011 07:14:44 +0900</pubDate>
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<title>私、半ギレ、常に。</title>
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<![CDATA[ 何か私の文章読んでると苛々して、きつそうな怖い厚化粧の＜ぴぐのせい＞おばさんだなって、思う。あのつくった顔が怖くって、もうameba使いたくないくらい。
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-11083698119.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Nov 2011 06:27:54 +0900</pubDate>
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<title>私の苦手なこともの。</title>
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<![CDATA[ またかよ。<br><br>苦手とか、恐怖とか基本的にネガティブな要素から自分を知ろうとするのだね、私、まずは。<br><br>でも今回は苦手というより、興味のないものに近いかな？<br><br>どうでもいいこと。<br><br>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br><br>誰が知りたいんだよ、って言うのはおいといて。<br>基本的に最近文才ないなってきづいた私の自己満ブログだからね。<br><br>満足もしてないけどね、デフォで。<br><br>／／／／／／／／／／／／<br><br>私は、勉強が苦手な癖して、その他の分野、例えばスポーツや、美容関係、美術関係の才能もないのでは<br>ないかということが近年発覚しつつある、そうとう知恵おくれのおばかさんだという事が判明しまして。<br><br>そして、それだけではなく、興味すらないのではないかと。<br><br>苦手な事って、いまいち興味が低いだけに何かその物事に接近する様な行為をしてもその行動を行うた<br><br>めのモチベーションがいまいちあがらなかったりとかして。<br><br>あともっと極端に辛いのは以前好きだったものが嫌いになっている自分を実感している時かな。<br><br>まず、私が余り興味のないものは、ハイヒール、現代美術、ライブ、下北沢、池袋、ヘアスタイル、マスカラ、<br><br>つけまという一見なんの関連性も互いに在りそうもないごたごたなのですが。<br><br>理由は私の好みがつまはじきにしちゃう事が多いからかな。<br><br>とくに複雑な理由はないんだけど、単に私の現在の生活の中での存在意義がなくなってきちゃった諸々<br>かな、って思うの。<br><br>私、この一年で洋服の好みから、好きな事まで様変わりしたなって思う。<br><br>そういうのって変化は少しづつだから、あまりにも激しく様変わりしたって訳じゃないから、どうしてかって分からない。<br><br><br>人も街も変わるけど、変わらないのは、自分の中で継続的に育んできた能力の奥深さ、もしくは浅さだけで。<br><br>生きている限り、そういう現在完了形で表現可能なプロセス、生きた証を蓄えて、常にアップデートされた、<br>今までで一番素敵な自分を生きているのが今であったらいいけれど。<br><br>表面的に生きている人間を見る事を大切にして、視覚的に受け取れる物質としての存在が根本的に人間<br><br>の全てだと考えるべきかも<br><br>しれないとしたらについてもそのような表面的な物事のつくり得るもののなかにある違和感に含まれて<br>いるかもしれ<br>ない。<br><br>私が一部の人間を使った文化的な作品に感じる違和感は自分とそういった表現される事柄ら、それに<br><br>代表的に使われる人間と自分との落差に、空しさとかやるせなさを感じるからもあるかもしれない。<br><br>このような認識に先立つ世界には私の人生は必要ない、排除されていると感じない様にするための<br><br>自己防衛本能の働きのなせる技とでもいうか。<br><br><br>単に綺麗とか格好いいって言う。<br><br>そういう人を使ってつくっている映画とか。<br><br>表面的なものとか目に見えるものをどれだけ信じられるかの限界とか、猜疑心が強いからなんだろうね。<br><br>ただ美しいと脳が感じるものを私の目がみるだけで、それに肯定的な評価を下しかけているだけで<br><br>軽い罪悪感を感じる。<br><br>何か、私は今心の底から大切にしたい何かを探していて、多分それは物事でも、商品でもないと思う。<br><br>もっと包括的に人間としての自分を成長させてくれたり、その社会性を実感させてくれる関わりの増加<br><br>とかを本当は心の奥底で望んでいるのではないかなという気もしていて。<br><br>でもそれは必ずしも人との直接的なかかわり合いの中で得られるものとは限らないんだよね。<br><br>今私の心の中の天気も雨模様だと思う。<br><br>だから本当は読書をしたりして、もっと間接的に知見を広げるべきなのかもとか。<br><br>精神世界にとっての明確な生きている証は、人の表現の中にしかないと思っていて。<br><br>それの最も直接的な認識方法は言葉を使っての確認作業であると。<br><br>故に、広がりをもたせるためには、私は人生の欠落を補う、知らない世界や言葉を補填しなければ<br><br>ならないのかもって。<br><br>結局至らなさとか不器用さのうずく理由って言うのは対象喪失からくる悲しみのもたらした、自らの<br><br>一貫性や論理性の破綻による、何を大切に思えばいいかわからないという、とっても無意味な空しさ<br><br>から、あらゆる明晰さとか、社会に適合している感覚とかがすぽっと抜け<br><br>おちて、私をただの心の病んだ病人にカテゴライズしていく雰囲気が言葉の中にも如実にあらわれて自らの意思より先に行進していっ<br><br>てしまっていたって感じかな。<br><br>案外、孤独＜つまり社会的な通念からみて、なにかそこに参画すらさせちゃいけないアウトサイダーな<br><br>要素とか、劣った部分が多数派にとってあると感じられるから、孤独にされてないがしろにされていた<br><br>私という客観的にみて受動的な自己認識における、見放された感、より強くある主観のここには私と<br><br>通う価値観や意識の有り様、好みと相通じるものが見当たらないという、もしかしたら勘違いからくる<br><br>アウトサイダー的な自己認識の確立の仕様が常に私の中立的な観点からの社会参画を阻んでいるという<br><br>か。単に心を許せない、もしくは自らの他者との関係性における存在の意義が見当たらなくって、とか。＞が常に達成しようとしているそのずれて、何処かおかしい境地にこそ<br><br>本来の私らしさが現れているかもしれないと考えるとそんな自分の反映である文章の細かなディテール<br><br>にいらだって、嫌ってしまったりとか。<br><br>結局、自己充足として、一人でありそうで足らないのが私で、観念的に大切な誰かや、信じられる<br><br>何かが欲しいのにそれがいまいちしっくりとこれだとはまるようにしてある具体的なピースがあらゆる<br><br>物事でなる一つ一つの組み合わされた破片からなる固まりとしても一つの私の完成形に達するまでには<br><br>足りないそういう破片が見つからなくって。<br><br>それはその一つの私をなしている一つ一つの破片すら間違っていたのではなかという疑問まで催させる<br><br>にいたって。<br><br>それでも、行動なき考えのつたなさは結局は時間の無駄でしかないとしても。<br><br>結局は人生なんて、無駄な時間の暇つぶしに過ぎないのかも知れないよとも思う。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-11083694476.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Nov 2011 05:47:23 +0900</pubDate>
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<title>何がいいかを知らなければ</title>
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<![CDATA[ いいものを買ってその商品を作った人を支持するという表明をすることもできないの。悲しいね。<br><br>結局それしかないなんて。買い物しか楽しくないなんて。
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-10941290302.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Jul 2011 18:25:06 +0900</pubDate>
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<title>好き嫌いからの偏見シリーズその２</title>
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<![CDATA[ フォアグラと相撲この世からなくなればいいのに。全然だめだ、文化的なものの全てを尊重するとか<br><br><br>私には向いてないみたい。内向的である事を誇っているから、それ自体は間違いじゃないんだけどね、<br><br><br>好きなものを選ぶ基準とか。本当にいいものだけ次世代に残していくべきだと思う。人も文化的な遺産<br><br><br>も。その判断基準を何にするかは、絶対的な杓子がない事柄だけに、むしろ個々人の個人的な判断しか<br><br><br>なくって。内向性のまったく介在しない好き嫌いなんて存在し得ないものだと思うし。<br><br><br>だから、結局衆愚政治と言われようが、それによる集積としての民主的な決定に近い様なものが常に求<br><br><br>められているのが政治の世界だけではなくって普通の市井の中でも行われているのかもしれないとも思<br><br><br>うんだよね、ぼんやりとした世相の様な、流行の様なものがそれの如実に反映されたものであればいい<br><br><br>んだと思うけど、世の中はそんな単純なものだけで回ってる訳じゃないことくらい誰でも分かるよね。<br><br><br>例えば流行の色とかだって人為的に決められてる訳だし。でも、あんなに沢山のお店があるのに、自分<br><br><br>の好きなものがまったく買えない時代なんて経験しようがないと思うんだよね。<br><br><br>ものの方が私には優しく感じられて、どれだけはぶられても、ものだけはいつも私の欲しいものが、<br><br><br>毎シーズン沢山あらゆるお店に出回るの。それなのに、私は孤独を感じてる。変なの。<br><br><br>ものしか信じられない、だって私は商品が好きだもの。<br><br><br>もし私がその全ての好きな新商品を買える経済力があってそれを纏えてたらもっとその雰囲気が好きな<br><br><br>友達が沢山できたの？一体何処で出会えるの？<br><br><br>全ては結局お金なんだね。見せたい自分も教育の結果もそう。<br><br><br>親の経済力に準拠してるんだ。<br><br><br>大人になっても、子供でいても、そこからは一生自由になれないんだね。<br><br><br>なんて空しい人生だろう。<br><br><br>恣意性の全く介入しない何かの結果なんて、ない様に思うし。<br><br><br>誰も私の内面の感情を見れないのと同じ様に、そしてまた必要もないのと同じ様に。<br><br><br><br>私が何を侮辱的に感じて嫌ったのか、そのような生き方を嫌って、私は世の中から軽い断絶をしたかの<br><br><br><br>感情の理由なんて、別に誰も知らなくていいし、私の世界は私のそういう不快な感情を基準にして、そ<br><br><br><br>こから離れる事で達成されようとする理想の境地を求めている。<br><br><br><br>見たいものしか見たくないでいいんだと思う、結局無責任なんだ、世の中に対しても、現実的な事実に<br><br><br><br>対しても、私。<br><br><br><br>”嫉妬はしない代わりに、本当にいいものを、よりいいものをもっと愛して、一元的なものの見方なんて<br><br><br><br>できないとは思うから、何故それがいいと思うかの理由は極めて利己的に好きだからですむものに過ぎ<br><br><br><br>ないと思うのだけれど。”<br><br><br><br>そういう自分の根幹となるものを外圧によって歪められるのには耐えられないし、許せない。<br><br><br><br>私は本当に自分の好きなものを守りたい。<br><br><br><br>それによって一部の誰かに嫌われてもいい。<br><br><br><br>私は私の好きなものを理解してくれる人たちと共にいたいし、また近くともその発展として、全く自分<br><br><br>と同<br><br><br><br>じ人間なんてこの世に他にいないのだから、からくるその人たちがもたらし得る新たな世界との化学<br><br><br>反応を大切にして、よりよい何かを築きたい。
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-10941281480.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Jul 2011 17:49:53 +0900</pubDate>
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<title>好き嫌いからの偏見シリーズその２</title>
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<![CDATA[ フォアグラと相撲この世からなくなればいいのに。全然だめだ、文化的なものの全てを尊重するとか私には<br><br>向いてないみたい。内向的である事を誇っているから、それ自体は間違いじゃないんだけどね、好きなもの<br><br>を選ぶ基準とか。本当にいいものだけ次世代に残していくべきだと思う。人も文化的な遺産も。その判断<br><br>基準を何にするかは、絶対的な杓子がない事柄だけに、むしろ個々人の個人的な判断しかなくって。内向性<br><br>がまったくない好き嫌いなんて存在し得ないものだと思うし。だから、結局衆愚政治と言われようが、それ<br><br>による集積としての民主的な決定に近い様なものが常に求められているのが政治の世界だけではなくって<br><br>普通の市井の中でも行われているのかもしれないとも思うんだよね、ぼんやりとした世相の様な、流行の<br><br>様なものがそれの如実に反映されたものであればいいんだと思うけど、世の中はそんな単純なものだけで<br><br>回ってる訳じゃないことくらい誰でも分かるよね。恣意性の全く介入しない結果なんて、ない様に思うし。<br><br>誰も私の内面の感情を見れないのと同じ様に、そしてまた必要もないのと同じ様に。<br><br>私が何を侮辱的に感じて嫌ったのか、そのような生き方を嫌って、私は世の中から軽い断絶をしたかの<br><br>感情の理由なんて、別に誰も知らなくていいし、私の世界は私のそういう不快な感情を基準にして、そ<br><br>こから離れる事で達成されようとする理想の境地を求めている。<br><br>見たいものしか見たくないでいいんだと思う、結局無責任なんだ、世の中に対しても、現実的な事実に<br><br>対しても、私。<br><br>嫉妬はしない代わりに、本当にいいものを、よりいいものをもっと愛して、一元的なものの見方なんて<br><br>できないとは思うから、何故それがいいと思うかの理由は極めて利己的に好きだからですむものに過ぎ<br><br>ないと思うのだけれど。<br><br>そういう自分の根幹となるものを外圧によって歪められるのには耐えられないし、許せない。<br><br>私は本当に自分の好きなものを守りたい。<br><br>それによって一部の誰かに嫌われてもいい。<br><br>私は私の好きなものを理解してくれる人と共にいたいし、また近くともその発展として、全く誰かと同<br><br>じ人間なんてこの世に他にいないのだから、からくるその人たちがもたらし得る新たな世界からの化学<br><br>反応を大切にして、よりよい何かを築きたい。
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-10941274359.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Jul 2011 17:49:53 +0900</pubDate>
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<title>私の目は節穴？モダニズム嫌い？</title>
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<![CDATA[ ルコルビジェの建築をただの老朽化した昭和の日本建築にしか思えなかった私。。
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-10902134209.html</link>
<pubDate>Tue, 24 May 2011 23:24:36 +0900</pubDate>
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<title>恐怖が勝る。</title>
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<![CDATA[ 人を信頼する前に猜疑心ばっかりが、あらゆるノイズをさえぎって、自己保身しか感じられない。<br><br>とか、そんな時、一体信頼心って、どこから沸いてきて、それを育んでいける様になるのか、って。<br><br>時には凄く長い時間もかかるだろうし、自らへの不信感がそのまま、他者への評価に反映されてしまう<br><br>事もあると思う。<br><br>なんで、そんな生き方しかできてないんだろうね、私？<br><br>完璧ってなんだろう。<br><br>私の到達する事のない、自分の中の身近な異文化を完全に体得して、それは血に流れているもので、<br><br>気質でもあって、体質的に反応してしまって、どうも、信頼してしまう、と思えるほどに催眠に<br><br>強くかかれるまでに至って、という連鎖があるとして、そこにその何かが<br><br>隠れているとしたら、本当に全ての習慣って麻薬みたい。<br><br>一度、それに嵌ると抜け出すのが大変という嗜好性からくる、中毒要素が私を包囲している。<br><br>何でだか分からない、けれどよく思った。<br><br>ないものねだりの一種かな？<br><br>私が同じ世界の違う場所にうまれていたら、って思う事がある。<br><br>それは、一部は無知からくるもので、一部は、ここではないどこかを求めてしまう、体質から。<br><br>気質的に作られた、私は偽物かもしれないね。<br><br><br>注：麻薬を使うのは犯罪行為です。私は一度もこの記事の中で推奨していません。それは世界の違う<br><br>場所と記す事で、別の場所へ生きたい気持ちもありながら、そのような場所のもつ問題点をそこであげ<br><br>ることでの、この世の楽園が如何に存在しないかを表現したかったのです。<br><br>そして、煙草と比較して、どちらがより使用者本人以外の他者への健康被害が少ないかを考慮して、<br><br>判断しました。精神的な被害は考慮していないために、その本人の与えかねない社会への影響は考慮<br><br>していません。どちらにしろ、犯罪行為は嫌いです。
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-10898916611.html</link>
<pubDate>Sat, 21 May 2011 21:58:52 +0900</pubDate>
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<title>人を先入観や偏見の枠の中に閉じ込めて</title>
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<![CDATA[ 　育てるのがいいとは考えないんだよね、例えば。さっきの誤解を呼びそうな言い方をした、まっとうに、<br><br>とか、自分の属するあらゆるはめられうる枠組みがもたらしうる弊害的ともとれる偏見を擁護しているか<br><br>のような誤解を与えるのはよくないな、と思ったので、一応付け加えておこうと考え、新しい記事を投稿<br><br>することにしました。<br><br>　そういう年齢を重ねてくことによって、物事に対して鈍感になりつつある、ことへの慣れが自分をこれ<br><br>以上ぐにゃんぐにゃんにするのは、もうこりごりだと思って。<br><br>　頭が柔らかいの意味でのぐにゃんぐにゃんは悪くないんだよ！<br><br>　そうじゃなくって、変な風に固めちゃう自分の偏見への許容度の高さが増していく事に恐怖を覚えたの。<br><br>ああ、面倒くせえ、ってこととか、ネガティブな方向に自分の言葉の連なりを発し続けてしまって<br><br>、どつぼに嵌るのとか、人種のるつぼならともかく、もうこりごりなんだけど、<br><br>　これ現実、私最近そんなのばっか。<br><br>ばか、ばか、ばっか／<br><br>生きてるようで、生きてないのに、慣れ過ぎてしまったみたい。<br><br>今日ではなくって、明日を期待しようという不思議な生き様をしすぎて、今をないがしろにしつづけて<br><br>いる様に思う。<br><br>そんな私にとっての青春は虚構、偽物の十代。<br><br>それでも、毎日、全く充実していないとは言い切れないと思うし、そんな風に生きたいなとは<br><br>つらつらと。<br><br>才気煥発、というよりはぼやっとした感じの一日に目を閉ざして、仕舞い込んだ思い出の中身が透明な<br><br>皮膚呼吸をする生地の中から透けて見える。<br><br>比べてみれば、本当におんなじ、あの頃とおんなじようにくすぶって、つまらぬことに自分の心が<br><br>怯えて枯れ果てている、そこで。<br><br>どうして、このような土壌のなかにある、感情をとめどなく溢れさすその器官未満の概念は、私を<br><br>縛り付けて離さないのだろう。<br><br>知った振りをしないで、私も知らない。<br><br>私のプライバシーを蹂躙しないで。<br><br>って思えるくらいの恐怖の連続に私の人生は壊され続けている。<br><br>人権が粉々。<br><br>また、人を憎むのだろうか？<br><br>いつもそうだ。<br><br>世俗的な好奇は倫理と愛を凌駕する。<br><br>そんな世の中に。<br><br>私はまた、後退していく足取りを憚った。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-10898872357.html</link>
<pubDate>Sat, 21 May 2011 20:41:59 +0900</pubDate>
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<title>フォビアの所以ってあるのかな？</title>
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<![CDATA[ 　<br>　今までどうしても、他人から勧められても好きになれなかったもの、もしくはなれないだろうってもの、<br><br>ただ何が面白いのか分かりかねたという理由からの、自分自身を内省してみようかなと。<br><br>　時代劇、歴史、少年漫画、スポーツ、アクション、戦争映画、理科＜特に力学系統＞、酒、煙草、<br><br>いいお店のない繁華街、パチンコ店、サラミ、塩気の強すぎる料理、海藻、牛肉、特に脂身、<br><br>魚介類、ブイヤベースとか生臭い系、などなど。<br><br>　やはり、人間的に、というか案外一個体としての適当に割り振られた属性、性別などから、簡単に<br><br>当てはめられそうな好みとあまり外れた、どうしても好きになれないものが、案外というか、まっとうに<br><br>というか、見当たらなかったり。　案外社会階層的にも、もし属している様なものがあるとしたら、<br><br>そこの位でできないような食生活に含まれたものって、おこぼれなく、嫌いだったりして。<br><br>　人って嫉妬とかしないように、できてるんです。生理的に。自分のできない生活って、根本的に<br><br>受け付けなくって、不思議なもので。　<br><br>私、例えばホテルの会食とかのご飯ってとても苦手なんです。フランス料理とか、<br><br>中華料理の大衆的じゃないものとか、和食の会食とか。<br><br>食事恐怖症。フォビア、多すぎますね、私。<br><br>更なる面倒ポイントが出現。私って、本当に面倒の固まりなんです。<br><br>基本的な人間の生理的な三大欲求に起因するものに対するフォビアって、普段は自覚されてこず、<br><br>無意識下に根を張っているがために、さして気に留めるという事はなく生きているのですが。<br><br>　何かを改めて書こうと思った時に、自分自身と向き合った時に、案外出てきてしまうのが、その辺の<br><br>問題ですね。<br><br>問題とするほど深刻でも重要でもないのですが。<br><br>なんだか、こう生きづらいな、っていう。　そういう困難もあり、何かと単独行動する事が多くて。<br><br>そういうのって、なかなか理解されづらい部分ですからね。<br><br>私が妥協せずに常にソバーなのと同じくらい。<br><br>一体社会性溢れる生き方の到達しうる喜びの最大値を身を以て体感、もしくは実感されてる方って<br><br>果たしてどのくらいいるのだろう。<br><br>　私の、内向性は、このまま後何年でも、私を孤独にしたまま、ゆらゆらと生かしておきそうなくらい<br><br>で。<br>　<br>深刻さは欠いていても、特性と言ってもいいほどの、この単純には解けない自我の絡まりが織りなす<br><br>私という現実、この障害を常に背負っているために、全ての理解を求める回り道は、長く険しく。<br><br>楽な方を選ぶために、孤立という果てに辿り着くのです。<br><br>それで、っていう。<br><br>単に楽しいこと、心地よさを求めてしまうだけなのに。＜だから何事もいまいち成功しないんだよ！あと、それって、精神疾患の始まり＞<br><br>本当は空回っているだけの部分も在るかもしれない。ずっと、本当は頑張れる子なのに、あらゆる本当の心地よさを禁止したり、色々なことをして自分をくるしめていたら、本当に頑張ろうって思った時に<br>目標の喪失をしている自分がそこにいて。<br><br>一体何のためにどう頑張るんだろうとか。人生の根源的な目標に先立つ意味は労働かもしれないと近頃おもったり。<br><br>それでも、なかなか私のできそうな仕事は教育を在る程度の基準、受けていて能力が備わっていないと<br><br>駄目なものだし。わたしにも達成感という目標到達を区切れるステージが欲しいし、感じながら、自ら<br><br>の人生を軌道修正したいって気持ちも在るし。<br><br>精神構造の幼児性が耽溺したグラスの中をのぞいたら、そこから見えた景色は。
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<link>https://ameblo.jp/ranarcosis/entry-10889930062.html</link>
<pubDate>Thu, 12 May 2011 23:38:06 +0900</pubDate>
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